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更新が止まってますね
理由はこの先の展開、恐らく多くの方が想像しているかとは思いますが、指が止まってしまっているのは、(ファンの方、ごめんなさい→)例え信長が嫌いでも、自分で書く信長までは嫌いになれない、でも、書かなきゃ話が先に進まない
書き進めたら、誰かが不幸になる
そう言うの、自分で書いてて言うもんじゃないでしょうけど、つらいですね
更新と言うか、書き上げたらの更新ですので、わたしが毎日やっているのは下書きを書き進めていること
だけど一日数行しか書けません
やっぱりね、つらいんですよね
史実の信長と帰蝶がどんな夫婦だったのか、それを伝える物は何もないにも等しいものです
だから好き勝手に「信長には妻以外に愛した女が」なんて乱立するように捏造される
テレビ東京の歴史バラエティ番組では、年に何回もしつこいほどその件を取り上げます
でも、本当にそうでしょうか
二人を伝えるものは、何もない
だけど、地図を見てみてください
昔の地名で言い換えます
尾張、小牧の上に『丹羽郡』があります
そこは生駒氏の住んでいた地でもありますが、そもそもは信長の片腕・丹羽長秀が生まれた土地でもあります
あの清洲会議で決定打を出した人物です
信長からは全幅の信頼を受けていた人で、常に信長と行動を共にして来ました
その人の発祥の地である丹羽郡
そこの扶桑町には『斎藤』の地名が数多く存在します
読み方は『さいとう』ではなく『さいと』ですが、テレビ東京が『これでもか!』と痛め付けるほど取り上げているくらいに『信長と帰蝶(濃姫)が不仲』だったら、信長は自分の故郷に不仲の妻の実家の名前を残すでしょうか
そして、義龍と道三が長良川で戦った戦地の直ぐ近くに、『織田町』と言う地名があります
道三の首塚は度重なる長良川の氾濫により何度も移動を繰り返していたそうですが、元々はどこに首塚があったんでしょうか
現在の首塚が、その織田町の近くです
テレビ東京が『クソくらえ!』とまで何度も何度も取り上げているくらいに『信長と帰蝶(濃姫)が不仲』だったら、信長は不仲の妻の故郷に自分の名前を残すでしょうか
しかも、織田町は道三が戦死した場所の直ぐ近くです
勿論信長が金華山の麓に建てた屋敷とは別の方向で、そこからはかなりの距離があります
美濃・長良の織田町
尾張・丹羽の扶桑町斎藤
この二つの地名の由来も、いつ頃からそう呼ばれるようになったのかまでは、わたしにはわかりません
だけどひとつだけ、わかりました
二人は世間で言われている不仲の夫婦でもなければ、政略だけの関係ではなかったのだと言う事を
何よりの証拠は、帰蝶の実弟・斎藤新五郎利治の保護と重用(嫡男の与力にまでしている)、道三の生き残った息子達の居る『京都・妙覚寺』と、『美濃・常在寺』の保護です
妙覚寺は道三の父・新左衛門が出たところです
ですので、道三以降斎藤家は日蓮宗なのです
常在寺はその妙覚寺の末寺
信長は上洛した際は必ず妙覚寺に寄宿し(本能寺の寄宿は実際、ほんの数回程度でしかない)、道三の息子との親睦を深めていました
しかも妙覚寺に隣接した公家屋敷を買い取ってまで、その場所を大事にして来ました
理由は「庭が気に入った」だそうですが、その割には大掛かりな改装までしています
道三の息子は病死した義龍以外、全員、信長に保護されたのではないかと思えます
しかも、道三が開いた楽市楽座も保護しています
不仲の妻の父親を、そこまで大事にする理由はなんでしょう
これに答えられる人は居ますか?
ちなみに信長は、道三の茶師匠だった人物も保護しています
世間は圧倒的に、生駒の後家を大事にしているでしょう
その方が面白いですもんね
戦国に生まれたロマンスとして
でもね、現実を見てみませんか?
尾張に斎藤の名は残っていても、『生駒』の地名はありますか?
探せばあるかもしれないけれど、わたしは未だ見たことがありません
信長が最も愛した女と大々的に宣伝されているにも、関わらず、です
彼女に纏わる地名はありますか?
信長が保護した彼女の家族は誰ですか?
信長は、妻・帰蝶の家族の多くを保護しています
だけど、テレビが言う『最愛の女性』の家族はどうですか
最終的には母親の実家・土田に乗っ取られてるじゃないですか
その後歴史に名を刻む『生駒氏』は、元々は美濃・可児の土田家です(生駒の城のある地元住民に確認済み。四国の生駒は土田由来です)
その現実から目を背けた人間は、生駒一正を『生駒後家が前夫の土田なんちゃらとの間に生まれた子供』なんて言ってしまってますが、一正は『土田親正』の息子です
年齢的に合致しないんですよ
生駒後家は帰蝶が嫁に来る前から信長と同棲してたなんて書いてるとこもありますが、その頃後家は人妻です
どうやって信長と同棲できるんですか?
まぁ、そんな根拠のない幻想話にムキになったってしょうがないので、この辺で
帰蝶・濃姫が好きだから、ではなく、どう考えても『信長に愛されていたとしか思えない濃姫が、何故(テレビ東京や日本テレビ、NHKなどで)こんな酷い扱いを受けなきゃならないのか』と疑問に思ったのが、濃姫に惹かれた理由です
テレビ局がどれだけ濃姫を穢そうとしても、彼女は決して汚れない
どうしてなのか
やはりあの世でも信長が妻・帰蝶(濃姫)を守っているからですよ
日テレ、テレ東京よ
好きなだけ生駒後家をヨイショしろ
でもね、どれだけ「信長は生駒を愛し、妻を追い出した」なんてテレビでやってもね、濃姫は決してあなた方の思うようには行きませんよ
寧ろ彼女のファンは増える一方じゃないですかね
だって、そうでしょう?
どんなに彼女を卑下しても、わたしのように『濃姫が大好きだ!』って言える人間が大勢居るんですよ
その実態などほとんどわからなくても、小説やテレビで大事にされている虚像の『生駒後家』をそっち退けて、彼女を支持する人間が大勢居るんです
なんの史料もないのに、濃姫にはそれだけの魅力があるんです
何も伝わらなくても、いえ、何も伝わらないからこそ、彼女の魅力は全く損なうことなく現代のわたし達を魅了して止まないのではないでしょうか
だけど、こうも思います
「もしも信長と帰蝶の姿が現在に正しく伝わっていたら」
間違いなく、誰もがうらやむ理想の夫婦だっただろう、と
信長は小説やテレビ、ドラマで戦国のヒーローとなり別格扱いになりました
でも、濃姫にとっては「大好きな旦那様」でしかなかったのでは
特別な存在には違いないだろうけど、わたし達が思うような『絶対的なヒーロー』ではなく、やっぱり『わっちの旦那様』だったのだろうな、と思います
多くの声、それは
『信長は濃姫を大事にしたからこそ、彼女の実態が表(世間)には出て来なかった』のではないか、と言うこと
世間の目に晒されることなく、夫の死後は静かに暮らせた
特に政治利用されることもなく(秀吉の妻は政治利用されまくっていた)、本当に、静かに余生を過ごしていたのだろうな、と思います
信長の死後も織田(信長の兄弟限定)に守られていたからこそ、彼女がどんな暮らしをしていたとか、どんな死に際だったかとか、肝心な、『どこで死んだか』も一切表に出て来なかったのでしょうか
豊臣の世になっても、濃姫は『織田の大方様(その家で一番権力のある女性の呼び方)』として、周りに大事にされていた
そう思うのは、罪でしょうか
道三の死後、信長は斎藤義龍・龍興親子と戦います
それは「美濃が欲しいから」ではなく、「父を亡くした妻のため」に戦ったのではないでしょうか
「美濃が欲しいから」戦ったのは、後の小説家達が勝手に作り上げた信長像に惑わされ、「信長だからそうに間違いない」と摺り込まれた、偽りの人物像に騙されているだけです
信長が義龍に戦いを挑んで、実際に美濃を落としたのはそれから12年後のことです
余りにも時間を掛け過ぎではありませんか?
しかも信長は、できるだけ美濃に被害を出さないよう気遣っていました
信長との戦いで命を落とした美濃の武将は、本当に、ほんの少しなんです
それも、亡くなったのは『長井家』の人間です
斎藤家では信長との戦いで戦死した人は一人も居ません
「勝てないから調略を使った」のではなく、「死なせたくないから調略を使った」の間違いだと思います
だって、結果的に信長が勝って、それで処分された美濃衆は居ましたか?
全員、信長の軍門に下ってるじゃないですか
一人も死んでないんですよ、本当に
有能な弟を殺してまで織田の家督争いに勝った信長が、ですよ?
安藤守就は信長の存命中に追放されましたが、それは(ここを訂正→)武田勝頼と内応していたのが発覚したので、追放されたのです
ただでさえ坊丸が武田に送られて立腹しているのに、守就の行動は火に油を注ぐだけでした
守就が戦死したのは、信長の没後のことです
信じてくれませんか?
信長は、誰よりも妻の実家を大事にしていたのだという事を
自分に逆らい続けていた斎藤家を、信長は大名家から引き摺り落としたけれど、誰一人処分してないんですよ
義龍と共に信長に牙を向け続けていた斎藤利尭ですら、信長は自分の家臣として迎え大事にしていました
斎藤家の家宝である壷をよこせと迫った時、道三の子供らは濃姫を筆頭に全員、信長と対立しました
その時、信長は誰かを処罰しましたか?
寧ろ、信長の方が折れたんですよ?
信じられますか?
わがまま大王の信長が、初めて折れたんですよ?
道三が死んで、濃姫に利用価値がなくなったから追い出した
それが事実だったら、その12年後にこんなエピソードが誰かに語られることがあったでしょうか?
これに答えられる生駒ファンは居ますか?
居たら出て来てください!
岐阜県の織田町、愛知県の(丹羽郡扶桑町)斎藤
互いの故郷に互いの名を残し合った信長と帰蝶
二人が不仲だった証拠すら、この世にはありません
(反対に、腹を割って話し合える仲だったのだろうと言う証拠なら、あるでしょうが)
あの世でもきっと、仲良く暮らしていることでしょう
お気付きでしょうか
斎藤のある扶桑町の『扶桑』
意味は「古代、中国で日の出る東海の中にあるとされた神木。また、それのある土地。転じて、日本の異称。」(大辞林引用)
解釈は様々ですが、文面どおり中国の地方の故事のことかも知れませんし、あるいは『日の出る国』とすれば=日本
『東海』=東海地方、つまり現在の愛知県
『神木』=信仰、崇拝の対象
この『扶桑』と言う地名が信長の時代からあったのなら、名の示すとおり神聖な場所だったのではないでしょうか
つまり、「妻の実家の人間を移り住ませた場所」だとしたら?
扶桑町は犬山に近い場所です
犬山は後に織田信房(全くの仮説では、濃姫が生んだ子供とされています)が城主となる犬山城のあるところです
そして、斎藤利治の居城の近くでもあります
この扶桑町の『扶桑』も、いつの時代からそう呼ばれているのかわかりませんが、わたしの想像での話だとしても、信長がどれだけ帰蝶を大事にしていたか、ほんの少しでも垣間見れると思いませんか?
追記
【史実、仲が良かったとされる武田信玄・三条夫人】
三条夫人の死を嘆き悲しんだ信玄は、夫人のための霊廟堂を建てた
墓は武田家の菩提寺にもあり、寺の名前を夫人の法名と同じにまで改名したほど
小説では側室の諏訪御料人の方が愛されたとされることが圧倒的だが、諏訪御料人は墓すらない
小説で注目を浴びてから彼女の墓が建てられると言うのは、生駒後家に似ている
また、家の実質的な跡取りが彼女の生んだ息子であったため(実際には臨時だが)、その生母である彼女が最愛の女性に改竄されてしまったのも生駒後家と全く同じである
【史実、仲が良かったとされる真田信之・本多稲】
稲姫の死に落胆した信之は、自宅近所に妻の霊廟堂を建てたほど
その後隠居して引越しをするが、その際にも稲姫の霊廟堂を移動させた
最愛の妻といつでも逢えるようにと願ったのか、稲姫の墓は至るところに存在する
【史実はわからんが、織田信長・斎藤帰蝶】
夫が先立ってしまったため、彼女の霊廟堂は存在せず
不確かながら彼女の墓は信長の正式な墓でもある京都・大徳寺の総見院にある
場所は離れているだろうが、同じ寺に存在するのが夫婦仲が良かった証拠
また、お鍋の方が保護した岐阜の信長の慰霊塔がある寺は、元々は土岐家の菩提寺
その寺を保護したのが信長
ちなみに、生駒後家の墓は昭和建築らしい(武功夜話が世に出た後、慌てて建てたという見方が大きい)
最愛の女性なのに、上記女性らのように霊廟すらないのが、『最愛ではなかった』何よりの証拠
よく考えたら信長って、『元祖格差結婚』ですね
(妻・大名家出身、夫・豪族出身)
(追記の追加)
【史実別居するまで仲が悪かったとされる立花宗茂と誾千代】
別居した理由は二人に子供ができなかったから
宗茂は別居後も何かしら誾千代とは連絡を取り合っていたと思われる
その誾千代が病没した時、宗茂も上記(信長除く)男性陣と同じく、誾千代のための寺を当時住んでいた京都に建立した
理由はこの先の展開、恐らく多くの方が想像しているかとは思いますが、指が止まってしまっているのは、(ファンの方、ごめんなさい→)例え信長が嫌いでも、自分で書く信長までは嫌いになれない、でも、書かなきゃ話が先に進まない
書き進めたら、誰かが不幸になる
そう言うの、自分で書いてて言うもんじゃないでしょうけど、つらいですね
更新と言うか、書き上げたらの更新ですので、わたしが毎日やっているのは下書きを書き進めていること
だけど一日数行しか書けません
やっぱりね、つらいんですよね
史実の信長と帰蝶がどんな夫婦だったのか、それを伝える物は何もないにも等しいものです
だから好き勝手に「信長には妻以外に愛した女が」なんて乱立するように捏造される
テレビ東京の歴史バラエティ番組では、年に何回もしつこいほどその件を取り上げます
でも、本当にそうでしょうか
二人を伝えるものは、何もない
だけど、地図を見てみてください
昔の地名で言い換えます
尾張、小牧の上に『丹羽郡』があります
そこは生駒氏の住んでいた地でもありますが、そもそもは信長の片腕・丹羽長秀が生まれた土地でもあります
あの清洲会議で決定打を出した人物です
信長からは全幅の信頼を受けていた人で、常に信長と行動を共にして来ました
その人の発祥の地である丹羽郡
そこの扶桑町には『斎藤』の地名が数多く存在します
読み方は『さいとう』ではなく『さいと』ですが、テレビ東京が『これでもか!』と痛め付けるほど取り上げているくらいに『信長と帰蝶(濃姫)が不仲』だったら、信長は自分の故郷に不仲の妻の実家の名前を残すでしょうか
そして、義龍と道三が長良川で戦った戦地の直ぐ近くに、『織田町』と言う地名があります
道三の首塚は度重なる長良川の氾濫により何度も移動を繰り返していたそうですが、元々はどこに首塚があったんでしょうか
現在の首塚が、その織田町の近くです
テレビ東京が『クソくらえ!』とまで何度も何度も取り上げているくらいに『信長と帰蝶(濃姫)が不仲』だったら、信長は不仲の妻の故郷に自分の名前を残すでしょうか
しかも、織田町は道三が戦死した場所の直ぐ近くです
勿論信長が金華山の麓に建てた屋敷とは別の方向で、そこからはかなりの距離があります
美濃・長良の織田町
尾張・丹羽の扶桑町斎藤
この二つの地名の由来も、いつ頃からそう呼ばれるようになったのかまでは、わたしにはわかりません
だけどひとつだけ、わかりました
二人は世間で言われている不仲の夫婦でもなければ、政略だけの関係ではなかったのだと言う事を
何よりの証拠は、帰蝶の実弟・斎藤新五郎利治の保護と重用(嫡男の与力にまでしている)、道三の生き残った息子達の居る『京都・妙覚寺』と、『美濃・常在寺』の保護です
妙覚寺は道三の父・新左衛門が出たところです
ですので、道三以降斎藤家は日蓮宗なのです
常在寺はその妙覚寺の末寺
信長は上洛した際は必ず妙覚寺に寄宿し(本能寺の寄宿は実際、ほんの数回程度でしかない)、道三の息子との親睦を深めていました
しかも妙覚寺に隣接した公家屋敷を買い取ってまで、その場所を大事にして来ました
理由は「庭が気に入った」だそうですが、その割には大掛かりな改装までしています
道三の息子は病死した義龍以外、全員、信長に保護されたのではないかと思えます
しかも、道三が開いた楽市楽座も保護しています
不仲の妻の父親を、そこまで大事にする理由はなんでしょう
これに答えられる人は居ますか?
ちなみに信長は、道三の茶師匠だった人物も保護しています
世間は圧倒的に、生駒の後家を大事にしているでしょう
その方が面白いですもんね
戦国に生まれたロマンスとして
でもね、現実を見てみませんか?
尾張に斎藤の名は残っていても、『生駒』の地名はありますか?
探せばあるかもしれないけれど、わたしは未だ見たことがありません
信長が最も愛した女と大々的に宣伝されているにも、関わらず、です
彼女に纏わる地名はありますか?
信長が保護した彼女の家族は誰ですか?
信長は、妻・帰蝶の家族の多くを保護しています
だけど、テレビが言う『最愛の女性』の家族はどうですか
最終的には母親の実家・土田に乗っ取られてるじゃないですか
その後歴史に名を刻む『生駒氏』は、元々は美濃・可児の土田家です(生駒の城のある地元住民に確認済み。四国の生駒は土田由来です)
その現実から目を背けた人間は、生駒一正を『生駒後家が前夫の土田なんちゃらとの間に生まれた子供』なんて言ってしまってますが、一正は『土田親正』の息子です
年齢的に合致しないんですよ
生駒後家は帰蝶が嫁に来る前から信長と同棲してたなんて書いてるとこもありますが、その頃後家は人妻です
どうやって信長と同棲できるんですか?
まぁ、そんな根拠のない幻想話にムキになったってしょうがないので、この辺で
帰蝶・濃姫が好きだから、ではなく、どう考えても『信長に愛されていたとしか思えない濃姫が、何故(テレビ東京や日本テレビ、NHKなどで)こんな酷い扱いを受けなきゃならないのか』と疑問に思ったのが、濃姫に惹かれた理由です
テレビ局がどれだけ濃姫を穢そうとしても、彼女は決して汚れない
どうしてなのか
やはりあの世でも信長が妻・帰蝶(濃姫)を守っているからですよ
日テレ、テレ東京よ
好きなだけ生駒後家をヨイショしろ
でもね、どれだけ「信長は生駒を愛し、妻を追い出した」なんてテレビでやってもね、濃姫は決してあなた方の思うようには行きませんよ
寧ろ彼女のファンは増える一方じゃないですかね
だって、そうでしょう?
どんなに彼女を卑下しても、わたしのように『濃姫が大好きだ!』って言える人間が大勢居るんですよ
その実態などほとんどわからなくても、小説やテレビで大事にされている虚像の『生駒後家』をそっち退けて、彼女を支持する人間が大勢居るんです
なんの史料もないのに、濃姫にはそれだけの魅力があるんです
何も伝わらなくても、いえ、何も伝わらないからこそ、彼女の魅力は全く損なうことなく現代のわたし達を魅了して止まないのではないでしょうか
だけど、こうも思います
「もしも信長と帰蝶の姿が現在に正しく伝わっていたら」
間違いなく、誰もがうらやむ理想の夫婦だっただろう、と
信長は小説やテレビ、ドラマで戦国のヒーローとなり別格扱いになりました
でも、濃姫にとっては「大好きな旦那様」でしかなかったのでは
特別な存在には違いないだろうけど、わたし達が思うような『絶対的なヒーロー』ではなく、やっぱり『わっちの旦那様』だったのだろうな、と思います
多くの声、それは
『信長は濃姫を大事にしたからこそ、彼女の実態が表(世間)には出て来なかった』のではないか、と言うこと
世間の目に晒されることなく、夫の死後は静かに暮らせた
特に政治利用されることもなく(秀吉の妻は政治利用されまくっていた)、本当に、静かに余生を過ごしていたのだろうな、と思います
信長の死後も織田(信長の兄弟限定)に守られていたからこそ、彼女がどんな暮らしをしていたとか、どんな死に際だったかとか、肝心な、『どこで死んだか』も一切表に出て来なかったのでしょうか
豊臣の世になっても、濃姫は『織田の大方様(その家で一番権力のある女性の呼び方)』として、周りに大事にされていた
そう思うのは、罪でしょうか
道三の死後、信長は斎藤義龍・龍興親子と戦います
それは「美濃が欲しいから」ではなく、「父を亡くした妻のため」に戦ったのではないでしょうか
「美濃が欲しいから」戦ったのは、後の小説家達が勝手に作り上げた信長像に惑わされ、「信長だからそうに間違いない」と摺り込まれた、偽りの人物像に騙されているだけです
信長が義龍に戦いを挑んで、実際に美濃を落としたのはそれから12年後のことです
余りにも時間を掛け過ぎではありませんか?
しかも信長は、できるだけ美濃に被害を出さないよう気遣っていました
信長との戦いで命を落とした美濃の武将は、本当に、ほんの少しなんです
それも、亡くなったのは『長井家』の人間です
斎藤家では信長との戦いで戦死した人は一人も居ません
「勝てないから調略を使った」のではなく、「死なせたくないから調略を使った」の間違いだと思います
だって、結果的に信長が勝って、それで処分された美濃衆は居ましたか?
全員、信長の軍門に下ってるじゃないですか
一人も死んでないんですよ、本当に
有能な弟を殺してまで織田の家督争いに勝った信長が、ですよ?
安藤守就は信長の存命中に追放されましたが、それは(ここを訂正→)武田勝頼と内応していたのが発覚したので、追放されたのです
ただでさえ坊丸が武田に送られて立腹しているのに、守就の行動は火に油を注ぐだけでした
守就が戦死したのは、信長の没後のことです
信じてくれませんか?
信長は、誰よりも妻の実家を大事にしていたのだという事を
自分に逆らい続けていた斎藤家を、信長は大名家から引き摺り落としたけれど、誰一人処分してないんですよ
義龍と共に信長に牙を向け続けていた斎藤利尭ですら、信長は自分の家臣として迎え大事にしていました
斎藤家の家宝である壷をよこせと迫った時、道三の子供らは濃姫を筆頭に全員、信長と対立しました
その時、信長は誰かを処罰しましたか?
寧ろ、信長の方が折れたんですよ?
信じられますか?
わがまま大王の信長が、初めて折れたんですよ?
道三が死んで、濃姫に利用価値がなくなったから追い出した
それが事実だったら、その12年後にこんなエピソードが誰かに語られることがあったでしょうか?
これに答えられる生駒ファンは居ますか?
居たら出て来てください!
岐阜県の織田町、愛知県の(丹羽郡扶桑町)斎藤
互いの故郷に互いの名を残し合った信長と帰蝶
二人が不仲だった証拠すら、この世にはありません
(反対に、腹を割って話し合える仲だったのだろうと言う証拠なら、あるでしょうが)
あの世でもきっと、仲良く暮らしていることでしょう
お気付きでしょうか
斎藤のある扶桑町の『扶桑』
意味は「古代、中国で日の出る東海の中にあるとされた神木。また、それのある土地。転じて、日本の異称。」(大辞林引用)
解釈は様々ですが、文面どおり中国の地方の故事のことかも知れませんし、あるいは『日の出る国』とすれば=日本
『東海』=東海地方、つまり現在の愛知県
『神木』=信仰、崇拝の対象
この『扶桑』と言う地名が信長の時代からあったのなら、名の示すとおり神聖な場所だったのではないでしょうか
つまり、「妻の実家の人間を移り住ませた場所」だとしたら?
扶桑町は犬山に近い場所です
犬山は後に織田信房(全くの仮説では、濃姫が生んだ子供とされています)が城主となる犬山城のあるところです
そして、斎藤利治の居城の近くでもあります
この扶桑町の『扶桑』も、いつの時代からそう呼ばれているのかわかりませんが、わたしの想像での話だとしても、信長がどれだけ帰蝶を大事にしていたか、ほんの少しでも垣間見れると思いませんか?
追記
【史実、仲が良かったとされる武田信玄・三条夫人】
三条夫人の死を嘆き悲しんだ信玄は、夫人のための霊廟堂を建てた
墓は武田家の菩提寺にもあり、寺の名前を夫人の法名と同じにまで改名したほど
小説では側室の諏訪御料人の方が愛されたとされることが圧倒的だが、諏訪御料人は墓すらない
小説で注目を浴びてから彼女の墓が建てられると言うのは、生駒後家に似ている
また、家の実質的な跡取りが彼女の生んだ息子であったため(実際には臨時だが)、その生母である彼女が最愛の女性に改竄されてしまったのも生駒後家と全く同じである
【史実、仲が良かったとされる真田信之・本多稲】
稲姫の死に落胆した信之は、自宅近所に妻の霊廟堂を建てたほど
その後隠居して引越しをするが、その際にも稲姫の霊廟堂を移動させた
最愛の妻といつでも逢えるようにと願ったのか、稲姫の墓は至るところに存在する
【史実はわからんが、織田信長・斎藤帰蝶】
夫が先立ってしまったため、彼女の霊廟堂は存在せず
不確かながら彼女の墓は信長の正式な墓でもある京都・大徳寺の総見院にある
場所は離れているだろうが、同じ寺に存在するのが夫婦仲が良かった証拠
また、お鍋の方が保護した岐阜の信長の慰霊塔がある寺は、元々は土岐家の菩提寺
その寺を保護したのが信長
ちなみに、生駒後家の墓は昭和建築らしい(武功夜話が世に出た後、慌てて建てたという見方が大きい)
最愛の女性なのに、上記女性らのように霊廟すらないのが、『最愛ではなかった』何よりの証拠
よく考えたら信長って、『元祖格差結婚』ですね
(妻・大名家出身、夫・豪族出身)
(追記の追加)
【史実別居するまで仲が悪かったとされる立花宗茂と誾千代】
別居した理由は二人に子供ができなかったから
宗茂は別居後も何かしら誾千代とは連絡を取り合っていたと思われる
その誾千代が病没した時、宗茂も上記(信長除く)男性陣と同じく、誾千代のための寺を当時住んでいた京都に建立した
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そうなんですよね
TV局 NHKまでもが偽書から話し作っているのには驚きました 私の県では離縁なんて微塵も伝わってなかったのでふと歴史番組見たら一方的に離縁されて初めて聞いた女がいきなり出てきたものですからハアと思って親に聞いてみたんですよ そしたらやっぱり何それ?離縁もそんな女も聞いた事ないと言われましたよ地元では濃姫以外の側室の名全く伝わってませんでしいもの よく生駒好小説家とか濃姫に道三がいたから側室置けなかったなんてアホな事言う人いますがこの時代別に側室置くことなんて普通なんだから(道三にもいたし問題ないよ)離縁して嫌っていたなら大事な後継者信忠に姫の弟おくかってーの暗殺されちゃう恐れのが強いですよね
生駒主義の人たちって結局信長の事好きでも何でもなくて売れる注目を浴びるのかければいいって感じがしますね、そういう小説って信長の性格なんか違う地元にある話と 昔津本小説読んだんですが姫の扱い悪いし信長の性格違うしでガックリした覚えが・・(入院してて暇つぶしに父がもってたので読んでみた 父もつまらなかったようで1巻で終わってましたが詰まらん時間を過ごしましたよ全く)信長の性格からしていくら有能でも嫌いな相手はとことん嫌いで家臣にするわけがない そして姫が一方的に信長に離縁されたら信長の下にきませよね(義龍道三や弟達斬ったの後年とても後悔してたらしいので妹がそんな目にあったら尾張とっとと攻め滅ぼしたでしょう)偽書を扱う人達は信長自身も見てないので嫌になります そして小説やTVを安易に信じないで欲しいですよね 私も濃姫が離縁なんてTVなどで見なかったら自分で調べたり嘘だった(TVや小説の歴史)なんて思いもしませんでしたから ある意味良かったのか(良くないんですけども)姫様のおかげでいろいろ考えさせられましたそしてやっぱりこの二人は仲良かったんだと確信しましたよ^-^
生駒主義の人たちって結局信長の事好きでも何でもなくて売れる注目を浴びるのかければいいって感じがしますね、そういう小説って信長の性格なんか違う地元にある話と 昔津本小説読んだんですが姫の扱い悪いし信長の性格違うしでガックリした覚えが・・(入院してて暇つぶしに父がもってたので読んでみた 父もつまらなかったようで1巻で終わってましたが詰まらん時間を過ごしましたよ全く)信長の性格からしていくら有能でも嫌いな相手はとことん嫌いで家臣にするわけがない そして姫が一方的に信長に離縁されたら信長の下にきませよね(義龍道三や弟達斬ったの後年とても後悔してたらしいので妹がそんな目にあったら尾張とっとと攻め滅ぼしたでしょう)偽書を扱う人達は信長自身も見てないので嫌になります そして小説やTVを安易に信じないで欲しいですよね 私も濃姫が離縁なんてTVなどで見なかったら自分で調べたり嘘だった(TVや小説の歴史)なんて思いもしませんでしたから ある意味良かったのか(良くないんですけども)姫様のおかげでいろいろ考えさせられましたそしてやっぱりこの二人は仲良かったんだと確信しましたよ^-^
Re:そうなんですよね
「アホか」と思えることなら、わたしの身の周りでも
わたしが住んでいるのは、まぁカミングアウトするなら『真田丸』跡地です
そこにある商店街(調べたら簡単に出ると想いますが、心情的に名前伏せちゃおっと)のシンボルは、真田の家紋である『六文銭』を鉢巻に、額に付けたパチンコ玉みたいなキャラでして、しかも軍旗には信玄の『風林火山』がでかでかと書かれてます
「これ、おかしいやないか」と、近くに居た喫茶店の店主に問いましたら、「あんた、何ゆうてんの。真田は武田信玄の家臣やで?なんも知らんねんな」
と来たもんだ
信玄の家臣て、何代前のことゆうてんのや、と、その店主、打ん殴ってやりたくなりましたわ
真田家が武田の家臣だったのは一度もありません
全員人質でしたから
家臣並みの扱いを受けていたのは、真田昌幸のじーちゃんととーちゃんまで
真田昌幸は長篠で武田が瓦解した後、武田から独立し、信濃の上田の豪族に返り咲きました
昌幸が武田に忠誠を誓ったことは一度もありません
増してや、NHK大河のように織田と組んだこともありません
年寄りからしてこんなこと言っちゃってるんですから、それをテレビで当たり前のようになってたら、良く知らない人はみんな信じますよね
武功夜話でも、知っている人の話の因れば「生駒女のことなんて、冒頭にちょろっと書かれてるだけ。それがなんであんなに話が膨れてるのか、そっちの方が寧ろ凄いわ」とのこと
信長の側室で名前を残した人は、確かに居ませんね
小説に出て来るような人でも、実際の実名がそうだったという証拠は何もありませんし、寧ろ『軍記物』での架空の名前でしかありません
その点、濃姫はきちんと名前が残ってるのだから(←他の女性に比べたら、信憑性は相当高い)生駒ファンが寄って集って「一級史料じゃないから怪しい」なんて言っても、無駄な足掻きです
そうですね、それでも今も生駒ファンや生駒女の名前を見たら八つ裂きにしたくなるほど嫌悪感は感じてます
津本本は、どの作品も最悪です
信長に限らず、直江兼続でも石田三成が「出っ歯でチビで後頭部が突き出たヘコヘコ男」と表現されています
確認はしてませんが、三成ファンからは相当揚げ玉食らってるんじゃないですか?
他にも最悪な感性を持った作家は大勢居ます
このクソ津本と南條と言う作家、それから、武功夜話マンセーの静岡の大学教授・小和田、信長信者の井沢
わたしの中の極悪四人衆です
こいつら纏めて世間からも叩かれまくられてますし、わたしから言わせれば司馬遼太郎もクソです
わたしが住んでいるのは、まぁカミングアウトするなら『真田丸』跡地です
そこにある商店街(調べたら簡単に出ると想いますが、心情的に名前伏せちゃおっと)のシンボルは、真田の家紋である『六文銭』を鉢巻に、額に付けたパチンコ玉みたいなキャラでして、しかも軍旗には信玄の『風林火山』がでかでかと書かれてます
「これ、おかしいやないか」と、近くに居た喫茶店の店主に問いましたら、「あんた、何ゆうてんの。真田は武田信玄の家臣やで?なんも知らんねんな」
と来たもんだ
信玄の家臣て、何代前のことゆうてんのや、と、その店主、打ん殴ってやりたくなりましたわ
真田家が武田の家臣だったのは一度もありません
全員人質でしたから
家臣並みの扱いを受けていたのは、真田昌幸のじーちゃんととーちゃんまで
真田昌幸は長篠で武田が瓦解した後、武田から独立し、信濃の上田の豪族に返り咲きました
昌幸が武田に忠誠を誓ったことは一度もありません
増してや、NHK大河のように織田と組んだこともありません
年寄りからしてこんなこと言っちゃってるんですから、それをテレビで当たり前のようになってたら、良く知らない人はみんな信じますよね
武功夜話でも、知っている人の話の因れば「生駒女のことなんて、冒頭にちょろっと書かれてるだけ。それがなんであんなに話が膨れてるのか、そっちの方が寧ろ凄いわ」とのこと
信長の側室で名前を残した人は、確かに居ませんね
小説に出て来るような人でも、実際の実名がそうだったという証拠は何もありませんし、寧ろ『軍記物』での架空の名前でしかありません
その点、濃姫はきちんと名前が残ってるのだから(←他の女性に比べたら、信憑性は相当高い)生駒ファンが寄って集って「一級史料じゃないから怪しい」なんて言っても、無駄な足掻きです
そうですね、それでも今も生駒ファンや生駒女の名前を見たら八つ裂きにしたくなるほど嫌悪感は感じてます
津本本は、どの作品も最悪です
信長に限らず、直江兼続でも石田三成が「出っ歯でチビで後頭部が突き出たヘコヘコ男」と表現されています
確認はしてませんが、三成ファンからは相当揚げ玉食らってるんじゃないですか?
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見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
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更新のお知らせ
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ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
岐阜の地酒 日本泉公式サイト
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夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
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フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
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麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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