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          夢であってくれ
何度そう想ったことか
これは悪い夢で、目を覚ませば夫はいつもと変わりなくそこに居て、仕事をしているか、あるいは縁側で串団子を頬張っているか
だが、目を覚まそうにも先ず、眠らなくては夢は見れない
眠れない以上、これは現実なのだと帰蝶に突き付ける
                 織田信長は死んだのだと

翌日、朝早く信長の棺は人目を避けるかのように、那古野・政秀寺に運ばれた
運ばれた先では、信長に保護されていた岩室あやが待っていた
あやはまさかと言う顔で
だけど、帰蝶よりは現実を受け入れた顔で、信長の棺が運ばれるのを見守った
本堂で信長のための経文が唱えられる
葬式など、信長の父・信秀以来か
あの時帰蝶は、子が流れたばかりで躰が不安定だった
焼香だけをして、直ぐに那古野に戻った
政秀が死んだ時は、帰蝶は葬式には出席しなかった
家臣の死であり、何より、切腹での死だ
主君妻が出なくてはならない葬式ではなく、また、出席すれば己の非を認めたことになる
それは信長への謀叛を容認したことになり、出席したくてもできなかった
あの頃は既に信勝と対立していたのだから、信勝に付け入る隙を与えてしまう
だからこそ、信長も『じぃ』である政秀の葬儀を遠慮した
こうして、坊主が木魚を叩きながら、家臣らが焼香する姿など見るとは想っていなかった
心がぼんやりとする
信長との想い出が、帰蝶を苦しめるかのように次々と浮かんでは消え、消えては浮かぶ
それを一つ一つ言葉にするほど、軽い想い出ではなかった
どれも帰蝶にとっては、意味のあるものだった
僧侶の経に、本堂の至るところからすすり泣く声が聞こえる
お能も、菊子も、なつも
可成も、弥三郎も、秀隆も、長秀も、一益も、恒興も、時親も、貞勝も、利家も
小姓になったばかりの義近も、その弟の秀頼も
みんな、信長が大好きだった
大好きな信長を奪ったのは、自分の初恋の男だった・・・・・・・・・・・・
何を想ったか、帰蝶は突然立ち上がり、本堂を出た
「奥方様!」
また、稲葉山城に乗り込む気か?
なつは顔を青褪めさせて立ち上がり掛けた
それより早く、帰蝶は表に出て、待たせてある松風に飛び乗った
その帰蝶を、後から可成と弥三郎が追う
「奥方様、一体どこに」
「取り敢えず、今は追い駆けよう」
馬廻り衆とは言え、それでも黒母衣衆筆頭の秀隆が追い付けなかったのだ
可成と弥三郎に帰蝶を追い越せというのは、無理な話だった
高そうな小袖を着た貴人が馬を疾走させている
その光景に誰もが目を剥いた
遊び慣れた那古野の町を、帰蝶は松風を走らせた
中には信長と共にこの町を散策していた帰蝶を知る者も居る
松風の余りの速さ、余りのあっと言う間の出来事に、誰も声を掛けられなかった
その後を二頭の馬が続く
道ゆく人間の全てが慌しく逃げ惑った
「無茶し過ぎだ・・・」
蹴散らす町民に悪いと想いながら、弥三郎はぼやいた
「『姫様』は、そう言う人なんだ」
と、可成が庇う
「え?」
「夢中になったら、他のことなんて目に入らない。いつも、そうだった。自分の信じた道を、ただ真っ直ぐ歩く。あの方は、そう言う人なんだ。そこが例え敵地のど真ん中であろうが、それが自分の歩く道だと信じたら、一歩も引かず、少しも怯まず、真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ歩かれるお方なんだ。だから、殿は         

信じたのだろう
己が妻を
自分の夢を継いでくれるのは、妻だけだと
夢を実現できるのは、妻だけだと
だから、自分の後を妻に託した
可成は、そう想った

帰蝶の抜けた寺では、送り経が終わり、後は埋葬だけと言うところまで来た
だが、喪主である帰蝶が居ないことには、信長を埋めることはできない
「どうしましょうか・・・」
困り果て、長秀が呟いた
「どうするって、奥方様が戻るのを待つしかないだろ」
当たり前のことを聞くなとでも言いたげに、秀隆が面倒臭そうに応える
「待つって、いつ戻られるんですか」
「知るかよ」
「知るかって、河尻様、あのね         
「あなた方は、お帰りなさい」
二人の間になつが割り込む
「ですが、おなつ様」
「私が残ります。それに、いつまでも城を空けておくわけには行かないでしょう?太田殿一人では大変でしょうし、城は今日も変わらず機能しているのだから」
          奥方様は、戻られますでしょうかね?」
秀隆自身、それが気になったのだろう
なつなら応えられるかと聞いてみた
すると、なつは自分と違って堂々とした態度でこう言い切る
「戻られます。ここに若が居る限り、奥方様は必ず戻って来ます」
「奥方様の傷心も、わからなくもありませんけど。そうですよね。後もうちょっとってところまで、尾張国主の席が近付いて来たのに、こんなことに         
夢が途中で終わってしまい、長秀も落胆していたのだろうか
愚痴とも取れる言葉を吐いた
「いいえ。奥方様は、そんなこと、眼中にないわ」
「え?尾張国主なんて、どうでも良いってことですか?」
「そうは言ってないわよ。奥方様が落胆したのは、確かに最愛の夫を喪ったからかも知れない、でもね、それだけじゃないの」
「それだけじゃないって?」
秀隆も訊き返す
「奥方様にとって若は、自分の半身だったのよ」
「半身・・・」
恒興が呟く
「そう。もう一人の自分。きっと若も、同じ気持ちだったでしょうね。だからこの二人は、常に寄り添い、常に共に過ごして居られたの。どんなつらい時も、どんな悲しい時も、楽しい時も、嬉しい時も、それら全ての感情を共有して来れたの。その、自分の半分がなくなったのよ?あなた達に、耐えられる?」
                
問われ、誰も応えられない
「だからね、ここに若が居る限り、奥方様の帰る場所はここしかないの。もう一人の自分を拾いに、奥方様は必ずここに戻る。だからあなた達は安心して、城に帰ってちょうだい」
「もう一人の自分を拾いに、ここに・・・」
帰蝶が戦に出る時は、いつも自分が側で守っていた
それを自負する恒興は、母の言った言葉を噛み締める
          そう、ですよね・・・。奥方様はいつも、ご自分のことより、殿の事を優先して来られた・・・。その奥方様が、殿をここに置いたまま、どこかに行ってしまうなんてこと、ありませんよね・・・」
「そうよ、勝三郎」
恒興は立ち上がり、母に言った
「母上、後はお願いします。私は城に戻ります。奥方様が戻られるまで、城を守ってなきゃ」
どうしたのだろう
急に大人になったような我が子を、なつは目を細め、そして、棺に近付く恒興を見守った
恒興に釣られ、一益も立ち上がる
二人は棺の中の信長に深々と敬礼しながら、本堂を後にした
それからぽつぽつ、と、一人、二人立ち上がる
「吉兵衛、あなたも戻ってちょうだい。清洲復興で、きっと商店街の主人達が来るでしょうから、その窓口になってちょうだい」
          はい」
立ち上がり、信長に深々と頭を下げ、貞勝も寺を後にした
「お能、お菊、あなた達も。恵那一人じゃ大変よ」
「はい・・・、わかりました、おなつ様・・・」
二人は目を真っ赤に腫らし、みなと同じように信長に深く頭を下げて本堂を出る
残ったのは、なつと秀隆だけだった
「河尻殿は、戻られないのですか?」
「奥方様が必ず戻って来られるかどうか、確かめてやろうかと想いましてね」
「まぁ、私の言うことが信じられないとでも?」
「ははは、違いますよ」
笑いながら、信長の棺をぼんやりと眺める
眺めながら、秀隆は応えた
「託されたんですよ」
「託された?」
「と、想いたいだけなんでしょうけどね」
「何を?」
聞かれ、視線をなつに移して、それから、確かめるような口調で応えた
          殿の、最後の言葉を」
「最後の・・・・・・・言葉・・・・・・・・」
「奥方様にね、伝えなきゃならないこと、まだ伝えてなかったんですよ。それを伝えるのは、俺の役目だと想ってます」
          そう」

松風が辿り着いた先は、伊勢湾の浜辺だった
初めて信長に連れて来られた場所で、初めて世界の広さを教わった場所で、初めて松が真っ直ぐ伸びないことを知った場所で、初めて信長の夢を聞いた場所で、初めて、口付けを交わした場所だった
ここには信長との想い出が溢れるほど残っている
それを集めに来たのか
それとも、何かを探しに来たのか
松風から飛び降り、帰蝶は海岸に走った
美濃に居た頃は、海の色も形も知らなかった
海がこんなにも広いことを、帰蝶は知らなかった
海の水がしょっぱいことを、帰蝶は知らなかった
何もかも、夫が自分に与えてくれた
与えられるままで、何一つ返せない内に、夫は先立ってしまった
ありがとうを、もっともっと言いたかった
夫の言葉の返礼を、何一つできなかった
何もできないまま、夫を死なせてしまった
「あ・・・、あ・・・・・」
波打ち際で、その足元を海の水が濡らす
帰蝶は海の中を走り、その打ち際で膝を崩した
倒れるように
漸く追い着いた可成と弥三郎が、波打ち際で波に打たれている帰蝶を見付け、慌てて馬から降りる
「奥方様!」
想わず引き上げようと走る弥三郎の腕を、可成が掴んで引き止めた
「だって、奥方様・・・!まさか、入水されるわけじゃ・・・ッ」
「有り得ない。奥方様はまだ、殿との約束を果たされていない。無責任に放り出して逃げるようなお方じゃないッ!」
「三左さん・・・」

ここで
この浜辺で、夫はこの国の行く末を憂いた
何かが間違っているこの世を正したいと、語っていた
その夢の手伝いをしたいと願った
夢の途中で、夫は消えた
「吉法師・・・様・・・ッ」
波の下の砂を握り締め、これまでの様々な想いが早馬のように駆け巡る

          海の色を群青色だと、夫が教えてくれた
群がる、青い色と教えてくれたのは、夫だった
夫が、この世の広さを教えてくれた
その広い世界に連れて来られ、夢中になり、駆け出し、目まぐるしく変わる世の中に胸をワクワクさせ、振り返れば
夫の姿はなかった
そこから一人で、どう進めば良いのか、帰蝶にはわからなかった
どうすれば夫の夢を実現できるのか、帰蝶にはわからなかった
「帰蝶には、無理です・・・ッ。吉法師様の夢、どうすれば良いのか、何もわかりませんッ、何も浮かびませんッ・・・」

ずっと、泣けなかった
泣けなかったのは、夫の死を認めたくなかったから

信長の声が、耳に蘇る

          自由に飛べ

「吉・・・法師・・・様・・・・・・・」

          俺の、揚羽蝶

「帰蝶は・・・・・・・・」

泣けば夫が死んだことを認めてしまうと想ったから

「帰蝶は、吉法師様の居ない空は、飛べませんッ!」

帰蝶は叫ぶと同時に、ザブン!と顔を波の底に沈めた
「奥方様ッ!」
それを見ていた弥三郎が、慌てて浜辺に駆け出した
その弥三郎を、可成が掴んで引き止める
「奥方様を信じるんだッ!」
「だって、あんなことしたら、死んじまう!」
「それでも、信じろ!俺達の主を!俺達の新しい主君をッ!」
「新しい、主君・・・・・・・」

半身は、片割れとも言う
だけど片割れは、正しくは『片我』
もう一人の自分と言う意味なの

「そう言うことですか」
「そう。若にとって奥方様は、もう一人の自分。奥方様にとって若は、もう一人の自分。二人で、一つ。私は、あんなにも絆で結ばれた夫婦を、見たことがない」
「俺もです」
残った政秀寺で、なつと秀隆は語り合った
「稲葉山城に向かって鉄砲を撃ち込んだ奥方様を目の当たりにして、殿の妻はこの人しか居なかったんじゃないかって、想えました。普通じゃない殿には、普通じゃない奥方様でなきゃ。そうじゃなきゃ、二人は『夫婦』ではいられなかったでしょうね」
「そうね。表面どおり、ただの政略の相手だったでしょうね。その相手が、伴侶に変わるだなんて、不思議な縁ね」
「二人は、生まれる前から結ばれる運命だったのでしょうか」
「それは私にもわからないわ」
なつは苦笑いして応えた
「でもね、私はこう想うの。二人は初めから絆と言う糸を握り合っていて、それが時を経て辿り合わせたんじゃないかって」
「じゃぁやっぱり、初めから結ばれる運命だったってことじゃないですか」
「ムキにならないでよ。少し違うの」
「どう違うんですか」
「どれだけ絆の両端を持っていたってね、必ず巡り会えるとは限らないのよ。一生顔を合わせないまま、終わることだってあるでしょうに、結ばれないまま終わることだってあるでしょう。今は特にそう言う時代なのだし」
          そうですね」
「それでも、二人は間違えることなく、巡り会えたの。それは、初めから結ばれる運命とかではなくて」
「何なんですか」
凛とした顔で、なつは言った
「必然、よ」
          必然・・・」
「運命なんて軽い言葉じゃないの。そうね、奥方様ならきっと、そう言うでしょうね」
「必然で巡り会ったと?」
「いいえ」
「じゃぁ、何なんですか」
「『そう、約束していたから』、って、ね」
                
なつの言葉に、秀隆はぽかんと口を開ける
「なんなの、その顔は」
「だって、そうでしょ?」
「なんなのよ」
「殿も奥方様も変わり者で、その二人とよく調子合わせられるなぁって想ったら」
「想ったら?」
「おなつさんも、変わり者だ」
秀隆の言葉に、なつの目が据わった
          殴るわよ?」

強く握った波の下の砂が、指の間から波に浚われ、さらさらと流れて行く
それでも、小さな掌には僅かに砂が残る
流されても、それでも残った物が本物だと想った
波の中で帰蝶は大きく口を開け、誰にも見せず、誰にも知られず泣いた
帰蝶の開いた口から大きな泡(あぶく)が海面に浮き、弾けて消える

この世を縛っているのは武家だと、夫は言った
武家の下らない仕来りが、民を苦しめているのだと
その武家を壊さなくては、民に幸せはやって来ない
だが、自分だけが武家を放棄したところで、この世が変わるわけもない
信長は誰にも言ってなかったが、帰蝶にはわかっていた
自分が武家の頂点に立ち、そして、武力を放棄すれば良いのだと
だから、夫は戦っていたのだと
何処(いずこ)とも知れぬ、顔すら合わせたこともない民の幸せをも、夫は願っていた
そんなにも、夫は優しく、そして、温かい人だった
その優しさと温かさで、自分をあるがまま受け入れてくれた
あの日、局処で、お能と一緒に居た自分を、間違えることなく見付けてくれた
そして、受け入れてくれた
今度は自分が受け入れる番だ
帰蝶は、そう想った
数多の飛沫を散らしながらガバッと顔を上げ、そして、白い雲の浮かぶ空を見上げた
ここには夫は居ないかも知れない
ここは夫の居ない空かも知れない
それでも夫は言った
飛べ、と
自由に飛べ、と
この世は、夫の居ない空かも知れない
だけど、夫が自分の空、そのものになった
自分が飛べる空に、夫がなってくれたのだと想えた

          吉法師様・・・・・・」

愛してる
帰蝶

「お前が斎藤の姫君か」

髪は乱雑な茶筅結い
目立つ赤や黄色の細紐を髪に絡ませている
少し痩せた感の体付きで、顔立ちも女っぽい
だから、態と乱暴に振舞っているのだろうかと想った
小袖は袖がなく肩が剥き出しになっており、袴もなく、裾を腰紐に引っ掛けた、随分と乱暴な姿である
おまけに、割れた裾から下帯がちらつき、そこから大事な物が零れ落ちている様子も覗える
不躾と言うか、ただ単純に傾寄者(かぶきもの)な少年
初めて逢った信長の、あのお日様のような笑顔が、群青色に揺れる
「私も、です・・・、吉法師様・・・。帰蝶も、吉法師様を・・・・・・・」

          愛してます

海の色を群青色だと教えてくれたのは、信長だった
信長が教えてくれなければ、自分は一生、知らないままだった
その群青色の波間に、帰蝶はそっと口付けた
それから、目蓋を閉じて空を仰ぐ
閉じた目蓋から一筋の雫が流れた
それは涙なのか、それとも海の雫なのか、誰も知らない
帰蝶も
信長以外は

時代は女から全てを奪って行く
大事な物も、大切な者も
だけど、そこから立ち上がった女だけが、次の時代へと進むことができた
嬉しいことも、楽しいことも、全て用意して

静かな波打ち際の、漣の音を聞きながら、帰蝶はゆっくりと立ち上がった
今頃になって、指先の火傷達がずきずきと傷み始める
自分は生きているのだな、と、実感した
生きているからこそ悲しくて、切なくて、苦しくて、その全てが愛おしいのだと想った
どうしてだか、夫の居なくなった今を虚しいとまでは想えない
この胸に、数え切れないほどの想い出が眠っているからだろうか
その想い出が、夫を包み込んでいるのだと
そうだ
どうしてこんな単純なことを、今の今まで忘れていたのだろう
自分が忘れない限り、夫は決して死ぬことはないのだと
だからこそ、心に穴が開くこともなく、こうして立ち上がれるのだと
ふと目をやると、死にそうな顔をして自分を見詰めている可成と弥三郎の姿が映った
帰蝶は二人の許に歩き出した

          奥方様・・・」
一番初めに、弥三郎が声を掛けた
「なつ、          頭から角、出してるかしら」
「多分」
苦笑いしながら、可成が応えた
「それなら、もう少しここに居ましょうか」
「良いんですか?」
弥三郎が聞く
「どうせ叱られるんだったら、心行くまでのんびりしてから怒鳴られたいわ」
「怒鳴られるのを、待ってるんですか?」
「そんな趣味、ないわよ」
苦笑いして、帰蝶は砂浜に腰を下ろした
続けて可成もその隣に腰を下ろす
弥三郎は帰蝶を可成と挟むように、反対側に座った
それから、帰蝶がごろんと寝転がる
可成もそれに倣う
遅れて弥三郎も寝転がった
「良い天気」
暖かな日差しが燦々と降り注ぐ
柔らかくて、優しくて、信長の腕に抱かれているような気分になった
「昨日まで天気は悪かったのに」
「そうですね。綺麗な青い空ですね」
目を閉じながら、可成が応えた
この空の向うに、愛する夫が居る
そして、いつか自分が行くのを待ってくれている
できる限り、ゆっくり来いと言われているような気がした
「約束」
「はい?」
帰蝶の言葉に、弥三郎が反応した
「この世を、吉法師様の望んだ世界にする」
「奥方様・・・・・・」
「だから、私に力を貸して」
「勿論です。初めからそのつもりですよ」
落ち着いた声で可成が応えた
「俺もです」
「ありがとう、三左、弥三郎」
しばらく空を流れる雲を眺め、軽く息を吐く
「二人とも、私の顔を見ちゃ駄目よ」
「え?」
意味がわからず、上半身を起そうとした弥三郎の顔を、帰蝶は寝転がったまま手で押さえ、無理矢理浜辺に押し付けた
可成は言わずもがな、大人しく目を閉じていた
それから、帰蝶もそっと目を閉じる

吉法師様
あなたの愛した尾張は、帰蝶が守ります
今度こそ
必ず、守ってみせます

帰蝶の、閉じた目蓋から一筋の涙が流れた

吉法師様
帰蝶はもう、泣きません
民が幸せになるまで
あなたとの約束が果たせる日まで、帰蝶は、泣きません
約束です

          そんな世の中になったら、人はきっと幸せに暮らせる
みんな、笑って過ごせる
人から言わせれば下らない理想かもしんないけどさ、俺はいつかそう言うまほろばみたいな国にしてぇんだ
この尾張を

はい
わかりました
吉法師様
帰蝶がそれを、果たします
だから、吉法師様
安心して、眠ってください         

想えばこの世は 常の住み家にあらず
草葉に置く白露 水に宿る月より なお妖し
金谷に花を詠じ 榮花は先立つて 無常の風に 誘わるる
南楼の月を 弄ぶ輩も 月に先立つて 有為の雲に 隠れり
人間五十年 化天の内を比ぶれば 夢 幻の如くなり
一度生を享け 滅せぬものの あるべきか
これを菩提の 種と想い定めざらんは 口 惜しかりき次第ぞ

夫は五十年も生きていられなかった
だったら、自分がその分、生きてやる
この世が変わるその瞬間まで、目蓋を見開いて見届けてやる
心にそう誓い、帰蝶は目を開かせた
綺麗な空の青が、その瞳に映っていた
信長と共にいつも見ていた、青い空が

「夕餉の支度、いたしましょうか。少し早いですが、清洲に戻られるのでしたら、何かお腹に入れておいた方が」
気を遣いながら、あやが本堂の外の縁側から声を掛ける
「いえ、もう直ぐ奥方様も戻られるでしょうから。お気遣い、ありがとうございます」
なつはあやに頭を下げる
「では、湯漬けと香の物だけでも」
「ありがとうございます」
「奥方様、戻られるでしょうか」
二人の遣り取りに、秀隆が口を挟んだ
必ず戻って来ると言い切ったなつの言葉だが、夕日が近付く頃になっても、帰蝶は戻って来なかった
「大丈夫ですよ。奥方様なら、戻って来られます」
意外なことに、なつではなくあやが応える
「岩室様まで・・・」
「私は奥方様のことは良く存じませんが、意志の強い目をしておられました。どんな苦難も乗り越えてしまうような、そんな力強い目をされておられました。今は若殿様が亡くなられたばかりで打ち拉がれておられますが、あの方なら大丈夫のような気がいたします」
                
目を見開くなつに、あやは顔を赤くして俯く
「申し訳ございません、差し出口でございました。奥方様のこと、何も知りもしないで偉そうなことを・・・・・・・」
「いいえ」
なつはたおやかに微笑んだ
「あや様の仰るとおりです。奥方様は、簡単に負けてしまうような弱い人じゃありません。ご迷惑でしょうが、もうしばらく待たせてもらいます」
なつの笑顔にあやも救われたような想いをする
「どうぞ、ご遠慮なく」
頼りないが、あやも笑顔を見せた

貞勝らが先に戻った清洲城は、なつの言ったとおり残った資房が慌しく駆け回っている
「太田殿」
そんな資房に貞勝が声を掛ける
「おおお、村井殿。お戻りになられましたか、助かります」
「一人にして、申し訳ございません。池田殿や滝川殿もお戻りになられてますので、何なりとお手伝い申し上げます」
「それはありがたい。殿の代わりは、この壮年には無理でございますなぁ」
資房は苦笑いの混ざった爽やかな笑顔を向けた
それは、信長が死んでも平気と言うわけではなく、信長の残したこの清洲を守り抜くと言う決意が表に出ている証拠だった
資房は信長が生まれる前から織田家に仕えている
信長家臣団の中では一番の古株だ
死んだ政秀を除いて
「そうそう、村井殿」
「はい」
「清洲商店街の甚目屋さんがお待ちですよ」
「甚目屋さんが?」
資房に言われ、甚目屋が待っている居間に入った
「甚目屋さん、お待たせしたようで申し訳ない」
「ああ、村井様、お待ちしておりました」
甚目屋の主人、庄左衛門は、ほっとした顔で貞勝を見た
「清洲の様子はどうですか。戻る際にある程度は見て回ったのですが、随分焼け落ちた家や店が多いようですが」
「ええ、結構死人も出てます」
「そうですか・・・」
落胆の色が隠せない
「甚目屋さんのところは」
甚目屋は貞勝がやっている『米札』の取引場として活用していた
そこも甚大的な被害を受けていたら、しばらくは機能しないだろう
だが、それはただの心配に過ぎなかった
「うちは何とか。店邸宅の周りに水を撒き散らしましたので、延焼はなんとか食い止められました。油も今日、仕入先から届く予定でしたので、在庫が少なかったのが幸いしたようで」
「そうでしたか!それは良かった、何よりです」
「ですが、米問屋の須賀屋さんとこが酷くてね」
「須賀屋さんが、どうしました」
当時、一般人は名字を持っていない
そのため、屋号は自分達が暮らしている町名を取って付けるのが習慣だった
庄左衛門は甚目寺に住んでいるので、『甚目屋』
お能の実家は長森
店を開いた時代、その付近は『岐阜』と呼ばれていたので、『岐阜屋』
「蔵は燃えて、店も滅茶苦茶。おまけに、ご隠居さんが火に巻き込まれて、お亡くなりになられましてね」
「なんと・・・」
「うちら商店街店主連合会でも、なんとかしてやりたいと話し合ってるんですが、如何せん自分らのことで精一杯、とてもじゃないが須賀屋さんの店に出資できるだけの余裕がなくて。他にも店を燃やされたとこはたくさんありますしね。村井様、どうにかならないもんでしょうか?」
庄左衛門はそのことを相談しに、貞勝が戻るのをずっと待っていたのだ
計らずとも、なつの言ったとおりになる
「勿論、協力させてもらいますよ。日頃世話になってる店ばかりだ。黙って見過ごすことなどできません」
貞勝の言葉に、庄左衛門は頬を綻ばせた
「おおお、ありがたい言葉です、村井様」
「それじゃぁ甚目屋さん」
「はい、なんでしょう」
「救済窓口を設置しますので、商店街の人達に声を掛けてもらえませんか。被害の範囲、失った財産や被害者が居ないかどうか、それも一緒に報告してもらえると助かります」
「お安い御用です。では、早速みんなに知らせて来ます」
「それと、商店街以外の一般家庭でも。商店街の側には住宅街がありますからね、民も相当の被害を受けてると想いますので」
「はい、近隣の町や村にも声を掛けます」
「お願いします」

庄左衛門が居間を出て行った後、岩倉が燃やした町の被害を想定し、その救済資金の算出をしていた貞勝の許に、長秀が小走りに駆けて来た
「村井殿」
「はい、どうなさいました」
「奥方様に、お客様が・・・」
「お客?          こんな時に?」
誰だろうと、貞勝は顔を顰めて長秀の後に続き部屋を出た

夕日が那古野の空を茜色に染めようとしている
漸く、帰蝶が戻って来た
落飾に、結い上げていた髪はぐしゃぐしゃに乱れ、着ていた高級小袖は染みだらけ
なんとも無残な姿である
それでも、戻って来た
ここに
「奥方様・・・」
「遅くなって・・・・・」
申し訳なさそうな顔をする帰蝶に、なつの右の掌が大きく振り上がる
帰蝶は想わず肩を竦めた
秀隆も側に居て、つい目を硬く閉じる
だが、なつは振り上げた手を一旦降ろし左手で握り締め、それから、想い直したように痛くない程度に、軽くぺチン、と、帰蝶の頬を張った
「また、ほっつき歩いて」
「なつ・・・・・・・・・・・」
「奥方様の悪い癖です」
「・・・・・・・・・・・ごめんなさい」
「そう言うとこまで、若を見習わなくて良いんです。本当に、あなた方二人は似た者夫婦って言うか、異口同音と言うか、もう、なんて言えば良いんですか、言葉が見付かりませんッ」
「ごめん・・・・・」
小さくなる帰蝶に、なつは軽く溜息を吐く
          若が、ずっと待ってるんですよ。あなたの帰りを、ずっと」
「吉法師様・・・・・・・・・・・・」
帰蝶は草履を脱ぎ捨てると、急いで本堂に上がった
それから、信長を収めている棺に駆け寄る
「吉法師様」
蓋を開け、中の信長の顔を見てほっとする
いつもと変わりない寝顔だった
信長の枕元には、切った自分の髪が添えられていた
「ただいま、吉法師様」

          おかえり

あの世まで、共に
そんな想いが込められている
夫は死んでしまった
だけど魂はいつまでも共にある
いつまでも一緒に居る
側を離れない
決して
添えた髪には、そんな想いが込められていた

とっぷりと日が暮れ、空が真っ赤に燃え上がる
それでも帰蝶は戻らず、貞勝は門前まで出て外の様子を見守った
しばらく門の前の行ったり来たりうろうろしていると、本丸から恒興がやって来た
「吉兵衛様」
「ああ、勝三郎殿。あなたもですか?」
「はい、落ち着かなくて。早く、奥方様のお顔を拝見したくって・・・」
「そうでしたか。実は、私もですよ」
「吉兵衛様も?」
「仕事は山ほどありますのにね、どうしてでしょうか、奥方様のお顔を拝見したら、なんだか落ち着けるような気がしまして」
「同じですね」
「ええ。それに、早く奥方様に逢わせたい方々が来られてますし」
「ああ、今、表座敷にいらっしゃる」
「ええ。しかし、さすがと申しましょうか、どことなく似た面影でいらっしゃいました」
「そうでしたか。私はまだ拝見しておりませんでした。ご挨拶だけでも申し上げれば良かったかな」
「後で嫌と言うほど顔を合わせられますよ」
少し笑えたのは、『待つ人』ができたからだろうか
今は帰蝶の帰還を心待ちにしている
そんな二人の許に、一益が門の外から近付いて来た
「お帰りなさいませ、滝川様。清洲はどうでしたか」
「ああ、そうだな、商店街の店主達が、結構がんばってると言うか」
                 ?」
歯切れの悪い一益に、貞勝は首を傾げる
そんな一益に、恒興が呟くように聞く
「もしかして滝川様、清洲視察じゃなくて、那古野方面に行ってませんでしたか?」
「えっ?」
恒興の言葉に、貞勝は驚く
「まっ、まさか!そんな、職務放棄のような真似、するわけがないっ」
慌てれば慌てるほど、恒興の眼差しが疑いの色で濃くなる
「どうでしょうかねぇ。滝川様は諜報として奥方様と接する時間も多かったですし、奥方様のご帰還を心配して、我々に黙ってこっそり政秀寺に戻ったんじゃないんですか?」
「そんなわけがない!失敬だな、勝三郎は」
「まぁまぁ、お二人とも。こんなところで言い争いもあれですし・・・」
間に挟まり、貞勝も焦る
そんな三人の前に、長秀もやって来た
「村井様、こんなとこで油売ってないで、仕事してくださいよ、仕事」
「そう言うお前も、実は奥方様を心配して、村井殿を探しに来た振りをしてるんじゃないのか?」
「はぁ?!な、何を仰いますか!」
顔を真っ赤にする長秀に、恒興が突っ込む
「案外図星のようですね、五郎左衛門さん」
「勝三郎!そなた、いつからそのような生意気な口を聞くように!」
そうこうしていると、門の外から利家の姿も現れる
「あれ?みんな揃って何やってんですか?」
「そう言うお前こそ、何処で油売ってた」
貞勝以外の全員が口を揃えて問い質す
「奥方様、まだかな~って、ちょっと庄内川まで」
「堂々とサボってるな!」
「一人抜け駆けとは、許すまじき行為!」
貞勝以外の全員で、利家に掴み掛かる
「みっ、みなさま方、おお、落ち着いてっ!」
目の前で起きた乱闘騒ぎに、貞勝一人が狼狽し、右往左往する
そこへ火に油と言うか、なんと言うか、とうとう資房までやって来た
「皆々様方、何をやっておられますか!本丸で平三郎殿一人、てんてこ舞いでございますぞ!」
「喧しい!貴様も誰よりも先に奥方様の顔を見ようと、張りに来たのであろうッ?!」
「はぁ・・・?」
ぽかんとする資房の隣で、全員の本音を垣間見た貞勝が、呆れた顔を差し向ける
「みなさま方、そう言った魂胆で」
「何を言うか、村井殿。一番最初にここに来たのは、そなたであろう」
「わっ、私は仕事で・・・!」
「そなたの仕事は奉行職、表門と何の関係がござるか!」
「失敬な!言い掛かりにも程がある!」
と、貞勝は年甲斐もなく乱闘騒ぎに飛び込んだ
「む、村井殿!お止めなさいませ!また、持病の腰痛が悪化しますぞ!」
「黙らっしゃい!人を年寄り扱いとは、無礼千万!太田殿より一つ若こうござますぞ!」
「何をぉぉぉー・・・。言わせておけば、猪口才な!」

そんな、清洲の騒動も知らず
政秀寺では漸く信長の埋葬が始まろうかとしていた
最後の別れに一人一人、信長に手向けの花を添える

「若・・・。お疲れ様でした。家がゴタゴタしている中で、良く家臣を纏め上げましたね。あなたの乳母に選出されたこと、このなつ、一生の誇りにしますね」
最初に、なつが信長に花を添えた
次に秀隆が信長に跪く
「殿。子供の頃の殿は随分やんちゃで、これで大人になれるのか?って心配してましたけど、なんのなんの、ちゃんと大人の男になりましたね。おまけに、こんな心強い奥方様までもらっちゃって」
                
聞いている帰蝶は、照れ臭さに顔を俯けた
「殿は三国一の幸せ者ですよ」
          河尻・・・」
次に、幼馴染みも同然の弥三郎が進み出る
「殿・・・。俺、なんて言えば良いのかな・・・。おなつさんや、河尻様みたいな気の利いたこと、言えませんよ。でもね、これだけは言えます。殿、大好きでしたよ。長らくうちをご贔屓くださって、ありがとうございます」
「弥三郎、それ掛ける言葉じゃないだろ。何でこんな時に商売根性出してるんだ。お前、武士だろうが」
後ろで透かさず秀隆が突っ込む
「あ、そっか」
想わず全員で大爆笑した
帰蝶も、笑えた
「殿                
可成は、この中では信長との付き合いが一番短い
誰よりも信長を知っているわけではない
だけど、『誰よりも帰蝶を知って』いた

          後のことは、お任せ下さい
奥方様のことは、必ずお守りいたします
あなたほどの力はないかも知れません
あなたほど奥方様を支えられる力も、ないかも知れません
ですが、この命、奥方様のために使わせてもらいます
どうか安心して、遠くから見守っていてください
新しい、私達の主を
その行く末を

三人と違って、可成は心の中で信長に語り掛けた
心なしか、信長の死に顔が穏やかに見えた

最後に、喪主である帰蝶が歩み出る
本来なら親か、あるいは子が喪主を務めるのが慣わしだった
だが、喪主になり得る親は既になく、子も居ないまま信長は死んでしまった
仲違いの市弥に頼めるわけもなく、帰蝶しか該当者が居なかった
その帰蝶が、信長の寝顔をじっと見詰める

「吉法師様・・・。あなたに語り掛ける言葉は、尽きることがありません。きっと、これから何年、何十年、と、あなたに語り掛けるかも知れません。だから、今はやめておきます」
          奥方様・・・」
背中でなつが心配そうに見守っていた
「吉法師様。あなたとの日々は眩く輝いて、私の人生を明るく照らしてくれます。だから、ね、『さよなら』は言いません。『また、後で』。待っててくださいね。必ず参りますから。あなたとの約束を果たしてから。だから、吉法師様」

          私の側に、居てくださいね
私の飛ぶ空で、居てくださいね

          殿・・・、ね」
そんな帰蝶の背中から、秀隆がぽつりと声を掛けた
そっと振り返る
「あの時・・・。馬から落ちる前、殿ね、叫んだんですよ」
「叫んだ?」
「『逃げろ、帰蝶』・・・・・・・・って」
                
帰蝶の目が見開かれた
なつも
可成も
弥三郎も、驚きの顔を隠せない
「逃げろ・・・って・・・?」
「はい」

腰に燃えるような激痛が走った
信長は咄嗟に清洲の城のある方を向き、力の限り叫んだ

「逃げろッ!帰蝶ォ                 ォッ!」

その声を掻き消すかのように
帰蝶に届くのを邪魔するかのように、立て続けに何発もの銃声が轟いた

「吉法師様・・・・・・・・・・・・・・・」
「あそこに・・・。羽島に奥方様は居なかったのに、岩倉に襲撃されて、自分も撃たれて、もしかしたら、無意識だったのかも知れませんね・・・。もう自分は、妻を守ることができないかも知れないって。だから、逃げろって言ったのかも知れません・・・」
「吉法師・・・様・・・」
帰蝶は信長の寝顔に、再び目を戻した
「若・・・・・・・・・ッ」
後ろではなつが顔を押えて、号泣した
可成も弥三郎も、信長の、帰蝶への深過ぎる愛を知り、男泣きに顔をぐしゃぐしゃにした
「何で・・・。何でそんな時まで、私を心配するの・・・?私は大丈夫だって、いつも言ってるじゃない・・・。大丈夫だって・・・。吉法師様、本当に、心配性ね・・・」
苦笑いに、涙が零れて仕方ない
止められなかった
まるでパンパンに膨れ上がった皮袋を無理矢理引き裂き、そこから水が一気に吹き零れるかのように、信長への想いが溢れて、止めることができなくなった
「どうしてッ!」
一気に振り返り、帰蝶は秀隆に掴み掛かった
「どうしてこんな時になって言うのよッ!約束したのよ?!もう、泣かないって、吉法師様に約束したのよッ!どうしてよ!どうして今頃になって、そんなこと言うのよ!どうして聞かせるのよッ!」
「奥方様・・・ッ!」
自分の胸を殴り付ける帰蝶を、秀隆はぎゅっと抱き締めた
「返してよッ!吉法師様を、返してよッ!どうして吉法師様を守ってくれなかったのよッ!なんのための黒母衣衆よ!なんのための筆頭よッ!吉法師様だけ死なせて、自分達は無傷で・・・ッ」
「奥方様・・・・・」
細い指で拳を作り、自分の胸を殴り続ける
今まで見せたことがないくらいの涙を流しながら
「お前が死ねばよかったんだッ!お前が死ねば・・・吉法師様は、死ぬことはなかった・・・。お前が・・・・・、お前が死ねばよかったんだッ!」
                

ずっと、我慢していたのだと知った
本当はもっと早く、こんな風に泣きたかったのだと
それをずっと、我慢していたのだと
自分を罵り、胸の中で泣き叫ぶ帰蝶を、秀隆はきつく抱き締めた

『絆』は、糸を半分にしてその両端を互いに持ち合うのだと、夫は言った
片方が離してしまわない限り、その絆は決して断ち切れることはないと
「俺とお前には、絶対切れない絆があると想うんだ」
そう言っていた夫の言葉を、帰蝶は秀隆の胸の中で想い出した

泣くだけ泣いたら少しはすっきりしたのか、なつに涙でぐしょぐしょになった顔を搾った手拭で拭ってもらうと、帰蝶も漸く落ち着きを取り戻せた
「夫が死んでも、泣くことは恥じゃありませんよ。奥方様は、少し無理をし過ぎです」
「なつ・・・」
「無茶は構いません。少しくらいは、大目に見て差し上げます。でもね、無理だけは絶対にしないでください。お願いです」
                
上手く応えられず、帰蝶は信長の棺に戻った
それから、愛しい夫をじっと見詰め、やがて、そっと口付けを落とした
          もう一人の自分を拾いに
なつは、そう言った
そのとおりだった
愛する夫を喪った、その余りにも大きな悲しみに、現実から逃げ、大切な想いを置き去りにしてしまった
その想いを拾いに、帰蝶はここに戻って来た
そして、拾い上げた想いはひとつになった

                 天下、統一

若干十九歳
実質まだ十八の女が背負うには、余りにも大きく、余りにも途方もない夫の夢が、はっきりと形になって、帰蝶の両手に残った

「奥方様、まだかなぁ・・・」
誰も彼もが顔に大小の青痣を作り、雁首揃えて清洲門の前に居並ぶ
空はすっかり藍色に染まり、松明がぼうぼうと燃え盛る中を、貞勝、恒興、長秀、一益、資房、利家、そして、一人無事で、だけど呆れ果てた顔の時親が帰蝶の帰りを、今か今かと待っていた
そんな中を、利家の声が張り上がる
「あ!奥方様ッ!」
指差す方向に目を向けると、秀隆を先頭に両脇に可成、弥三郎を引き連れ、少し後ろから控えるなつと共に清洲の大堀の橋を渡る帰蝶の姿が見えた
「奥方様!お帰りなさいッ!」
「お帰りなさいませ!」
最初に、一番若い利家が駆け出す
次に、意外なことに貞勝が、若造に負けて堪るかと言った勢いで走るのを、資房と恒興がぎょっとした顔で見た
「お帰りなさいませ、奥方様」
小走りで長秀が駆ける
一益は無言で、だけど頬を綻ばせて駆け寄った
          ただいま」
                
たおやかな
とても美しく、そしてとても心強い微笑みで、帰蝶はみなの出迎えに応えた
全員の心が呆ける
そんな束の間の夢を、なつがぶち壊す
「みんな、仕事はッ?」
          はっ・・・!」
我に返り、あたふたと取り乱す
「村井殿がこんなとこで油売ってるから!」
「ええ?!私ですか?!」
「そう言う滝川様だって、表ぶらぶらしてたんじゃないですかっ」
「何を言うか!わしは清洲の視察に」
「滝川様を責められますか!犬千代殿だって、奥方様探しに庄内川まで行ってたんでしょ!」
「悪いのかよ?!何か悪いのかよ、奥方様迎えに行こうとしただけじゃねーかよ!」
「開き直るにも程がある。各々方!みんな仕事さぼって好き勝手やって!」
「あんたがゆーな!」
全員で資房に突っ込む
「良いから、さっさと持ち場に戻りなさい!さもなきゃ、半年減棒ですよッ!」
「ひぃぃ          !」
なつの一声に、全員がばたばたと本丸に駆け出した
その背中を、帰蝶は苦笑いに吹き出し、なつは「もう!」とでも言いたげに頬を膨らませ、腰に手を当て睨み付ける

後世、信長の形成した『信長軍団』に名を連ねる武将は数あれど、信長と共に時代を駆け抜けた武将は、ほんの僅かだった
いや
だからこそ、彼らは『信長軍団』の中では一際輝く『本物』だった

河尻与兵衛秀隆
出身は、美濃・大洞村
先祖は土岐の一族・不破氏に仕えていたが、斎藤との争いに破れ帰農
その後、美濃から単身尾張に出向いた秀隆は、清洲・大和守家に仕えることになった
そして、信長の父・信秀に見出され、小姓になる
後に筆頭家老に任命されるも、それを辞退
生涯を帰蝶のために生きる

池田勝三郎恒興
出身は、尾張・那古野
母は信長の乳母・池田なつ
信長の乳兄弟と伝わっているが、実質信長はなつの乳房を含んだことはない
父は信長亡父の家臣、池田恒利
だが、その池田家も、元々は美濃出身である
父とは生まれる前に死別しており、母・なつの女手一つで育てられたため、多少優柔不断
しかし、それを余り持ってある生来の心の優しさに、何度も帰蝶を助けることとなる

前田犬千代利家
出身は尾張だが、先祖が斎藤家の傍流と言う奇縁を持つ
信長の小姓から逸早く馬廻り衆、母衣衆と大躍進を見せた武将で、生涯帰蝶の親衛隊を務める

森三左衛門尉可成
生まれは利家と同じく尾張だが、元々は土岐家に仕える一族の出身
美濃衆の中では一番早くに信長に仕え、その自慢の槍を存分に揮う
『信長軍団』斬り込み隊初代隊長
後に森長可、森乱丸と、名を馳せる武将の父である

滝川久助一益
伊勢出身の豪族
先祖は伊勢湾の海賊であったが、それは余り知られていない
一益自身は既に海賊の血も薄まった頃に生まれているため、余り自覚はなく、また、泳ぎも苦手である
北畠家との争いに敗れ、故郷を逃げ出し、苦手な水泳で尾張に逃げ泳いでいる最中に力尽き、浜辺に打ち上げられていたのを信長に助けられた経緯を持つ
体の軽さが自慢で、織田家の諜報活動を一手に引き受ける
そのため、彼は『忍者』で有名な伊賀、あるいは甲賀出身と、挙句の果てに『忍者だった』との逸話まで生まれるほどである
また、鉄砲の扱いにも長けている、天性の努力家

丹羽五郎左衛門長秀
尾張・丹羽郡出身
信長の美濃攻めには、なくてはならない人物の一人であり、後の安土城築城普請にも携わる
長秀が最初に普請したのが小牧山城で、武将としてよりも帰蝶の補佐としての役割が大きい
戦の際の兵糧・荷駄の全ては長秀が管理するほど、帰蝶から信頼されていた
普段はおっとりした性格だが、やる時にはやる男でもあり、火事場のクソ力に長けている

土田平三郎時親・弥三郎利親兄弟
信長生母土田御前の実家の一族出身
祖先の土地を土田御前の家筋に乗っ取られる辛酸を舐めるも、持ち前の前向きな姿勢と積み重ねた努力で信長の信頼を得る
兄・時親は斯波家のその後の管理を引き受け、弟・利親は可成と共に信長斬り込み隊部隊長を務める
時親の後妻は美濃でも一番の大店・岐阜屋の次女・能
能も生涯帰蝶に仕えた女性であり、侍女頭筆頭にも上り詰めた
後の織田家にとって、なくてはならない人物の、実の両親となる

村井吉兵衛貞勝
南近江出身
実家は商家であったため、商売上手の計算上手
織田家の奉行筆頭
信長の乳母・なつとは幼馴染みで、幼い頃から懇意を深め合っている仲
信長の内政の殆どを担い、帰蝶の良き相談相手として生涯を過ごす
帰蝶の最も大事な人の最期を看取る人物でもある

太田又助資房
俗に『太田牛一』の名で有名だが、資房自身、『牛一』を名乗ったことはない
信長の軍記物・信長公記の著者であるが、資房が本当に記したかった『信長公記』は別記され、密かに隠されている
城に置いて、帰蝶の相談相手でもあり、戦の際は後詰部隊の筆頭を務める
また、帰蝶の弓の師匠でもあることは余り知られていない
と言うか、寧ろ公然の秘密であった

そして
その生涯を武将達と共に帰蝶に捧げた女性
池田なつ
戒名・養徳院
帰蝶亡夫・信長の乳母であり、池田恒興の生母
その溢れる愛情で信長を育て、帰蝶を育てた、二人の『第二の母』でもある
気が強く涙もろい
常に帰蝶の側に居て、彼女を見守る
織田家の中では信長生母・土田御前に次ぐ権力を持つが、実質的帰蝶の補佐である彼女の発言力は絶大であった

これが、帰蝶が自ら選出した、『初代・信長軍団』の全容である
彼ら、あるいは彼女らは、常に流れる時代の中で、帰蝶と共に駆け、帰蝶と共に戦い、帰蝶と共に生き抜いた

そんな彼らの背中を眺めながら、帰蝶はなつに告白した
「私・・・・・・・・」
「はい」
「一人ぼっちになるって、怖かった」
「奥方様・・・・・・・・・」
「でも、私は、一人じゃないのね」
「そうですよ」
なつはぱっと笑って見せ、応えた
「あなたは、一人なんかじゃありません。寧ろ、一人になんかできますか、恐ろしい」
「なつ・・・・・・・・・・」
ばっさり斬り捨てるなつに、帰蝶の頭から汗が浮かんだ
「若が残した全ては、あなたの物です。この清洲も、城も、町も、財産も、この世も。          私達の命も、全て、あなたの物です。奥方様。どうぞ、好きに使ってください」
          ありがとう」

もう、泣かないって決めた
秀隆の胸で、散々泣いた
だから、もう、涙は出ない
ただほんの少しだけ、帰蝶の瞳が月夜に輝いた

空は太陽が出ても、雲が流れても、雨が降っても、夜になっても、月が出ても、それでも、空は、空
帰蝶が飛ぶ空に違いはなかった
その全てが夫なのだから、帰蝶にはもう、怖い物は何もなかった
空になった夫が、自分を包み込んでくれるのだから
だから

再び、歩くことができた
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Secret
長くなりました・・・
自分でもびっくりするくらい、今回は長くなりました
32話の冒頭半分、帰蝶が浜辺に駆けるまで、前回31話の中に入ってました
それが普通に長くなってしまったので、急遽半分にカットして32話に回したんですが、その32話がこんなに長くなってしまいました
これもカットして33話に回そうかなって想ったんですが、次回は『新生・信長軍団』(正しくは『帰蝶軍団』か)に焦点を当てたかったので、断腸の想いで(大袈裟・・・)強引に更新
ちょっと手が止まったこともありますが、振り返れば一気に書き上げられました
伊勢湾の、信長との想い出に溢れた浜辺で、帰蝶は泣くこととさよならしたつもりだったけど、最後の最後に大泣き
その怒り、悲しみの全てを受け取った秀隆は、生涯、帰蝶にとって最良の『戦友』となります

史実、誰よりも信長の側に居たはずなのに、秀隆の史料は殆どありません
彼がどれだけ『信長の影』に徹したかがよくわかります
時には家臣、時には父親、時には友人として、秀隆は信長嫡男・信忠に仕えます
『信長ノをんな』でも一時期大活躍しましたが、彼なくして信長は語れません
信長の最重要人物・秀隆はこれからも帰蝶と共に戦場を駆け抜けることでしょう

前回から今回まで、わたしはずっと同じ曲を聴いて書いてました
『cranky』さんと言うアーティストの『月下美人~Moonlight Cinderella~』と言う、半インストールメンタルの曲です
物静かで、だけど時には激しい情念のような、そんな素敵な一曲です
全体的にとても美しい曲で、そのお陰でこんなにも長い1話を書けました

見事立ち直った帰蝶
かのように、見えるだけ、かも知れません
もしかしたら、時には挫けて立ち止まることもあるかもしれない
だけど、『帰蝶軍団』が存在する限り、彼らは全力で帰蝶を支えてくれる
わたし自身そう願いながら、新しい世界を描いていきたいです
今日もお付き合いくださり、ありがとうございます
また、著しい捏造の個所もありますが、物語だからと大目に見ていただけると幸いです
村井貞勝と太田資房はこの時まだ20代の若武者ですが、帰蝶の良き人生の大先輩と言うポジションの双璧を担ってもらいたかったので、実際年齢の倍ぐらい年を取らせてもらいました
そこのところは改めてご了承ください
(でも、二人が1こ違いなのは適当に設定したんですが、改めて経歴見るとほんとに1こ違いだったことにわたし自身驚いてます)
そしてまた、例によって誤字脱字(以下略
Haruhi 2009/07/30(Thu)16:08:33 編集
濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます

先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い

文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます

了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
管理人の独り言も混じっております
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ゲームブログ
千極一夜

家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません

◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』

おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑

祝:お濃さま出演 But模擬専…     (戦国無双3)


おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
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カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です

今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
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清洲桜醸造株式会社公式サイト

濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます

清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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