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八郎の家は、女系家族だった
姉、妹ばかりの家庭である
男児は居たことは居たが、全て早世してしまった
今現在、男は八郎一人で、家族が寄せる期待も半端なものではない
家は元々は土豪の出身で、祖父の頃から楠木に仕官した
しかし、所詮『氏族』の出ではない八郎の家は、楠木で重んじられることはなかった
その、八郎の家に光が差したのは、当主が正成に代わってからのことだった
父の長年の苦労と努力、功績が、正成に認められた
そして、漸く侍大将にまで上り詰めたと言うところで、父は戦死した
寺田との戦で死んだ
父が死んだのは、河南の所為ではない
八郎自身、わかっていた
わかっていても、河南を憎まずにはいられなかった
八郎の自宅は、山を降りた麓の村にある
土豪を抜け武士にはなったが、贅沢ができるような家柄でもない
生まれながらの氏族である正成や新九郎とは違っていた
父の活躍あって家そのものは大きくても、粗末な造りに変わりはない
その家の、囲いのような門を自分の手で開け、八郎は自宅に入った

「ただいま」
「お帰りなさい」
少し年取った母が、玄関まで出迎えてくれる
いつもの日課だった
「今日は早いのね」
「ああ、殿が早く帰れって」
「そう」
母は八郎の小さな荷物を受け取りながら、そこに膝を落とした
踏み石に昇り、縁側に腰を降ろし、草履を脱ぐ
足袋などは履いていないので、土で汚れた足を置かれている盥に突っ込む
まだ肌寒い春の初め、水の冷たさに身が縮こまった
「はい」
と、母が手拭を差し出す
それを受け取り、足を拭って立ち上がった
「ああ、そうだ・・・」
八郎は、懐に入れていた干し柿を、母に差し出した
「あら、今時珍しい」
「殿にもらったんだ」
「楠木様に?そう、お前、気に掛けてもらっているのね」
                
素直に嬉しそうな顔をする母に、八郎の胸がちくりとする
「それ・・・」
母が受け取った干し柿を見詰めながら、八郎はぽつりと言った
「ほんとは、河南・・・って子が、呉れたんだ」
「河南?」
          最近、殿が引き取った子で・・・」
「あら。楠木様、とうとう養子をもらうことにしたの?」
あさが子を産んでいないことは、誰もが知っている
それを口にしただけだ
「いや・・・、養子じゃない・・・」
「え?          じゃあ、侍女か何か?」
「いや・・・」
「誰なの?」
それを口にしたら、母はどれだけ驚くだろうか
どれだけ、傷付くだろうか
だけど
          寺田の、娘なんだ・・・」
                
話さずにはいられなかった
母の反応は想像したとおりで、大きく眼を見開いていた
「寺田の・・・」
「その、家族皆殺しになって、それで、行くとこがなくて、それで、殿が」
八郎は慌てて言い訳を並べた
だが、母はそれ以上、特に驚く様子もない
素早く表情を戻し、寧ろ悲しそうに微笑んでいるようにも見えた
「そう・・・」
「かあちゃん・・・」
「強い子ね」
          え?」
母の一言に、八郎の方が驚かされる
「だって、寺田を根切りにしたのでしょう?」
                
八郎は黙って頷いた
「その子は、仇の家で暮らしているのよ?」
それは正成からも聞かされている
言われずとも、八郎自身、理解していた
「どれだけやるせない想いで、暮らしているのかしら。例え幼子だとしてもね、わかるのよ。自分の、親の仇くらいは」
「あ・・・・・・・・・・」
八郎は、初めてはっとさせられた
そうだ
自分も、そうだ
誰に言われるまでもなく、自分の仇の相手くらいはわかっている
河南も、同じなのだ
それだけではない
河南は、『自分の目の前』で親や兄弟を殺されたのだ
姉達は、犯された上に殺されると言う、惨い死に方までしている
それでも・・・
それでも河南は、挫けた様子を見せていない
無口ではあるけれど、しゃんと背筋を伸ばして生きている
今、自分の目の前にある現実と、きちんと向き合っている
                
黙り込む八郎に、母は干し柿を手渡した
「これは、あなたが食べなさい」
「かあちゃん・・・」
「河南と言う子の想いを、受け取りなさい。それが、あなたの役目よ」
                

いつも何かに苛々していたのは、河南の所為ではなかった
自分だった
自分自身にあったことを、八郎は漸く気付いた
あの時、あの夜、河南の姉達が犯されているのを、八郎は黙って見ていた
その輪の中に加わることはしなかったが、大勢の男達に輪姦され、甚振られ、泣き叫んでいる娘達を冷ややかに笑って見ていたのは、自分だった
                
本当の仇は、自分の、そんな醜い心だったのだと、八郎は気付いた
河南に、ただ、そんな心を知られるのが嫌で
恥かしくて
だから、わけもなく河南を憎んでいた
無垢な河南に、汚れた自分を見られるのが嫌で・・・・・・・・・
小さな中庭の縁側に座り、柱に凭れながら黙ってじっと、手の中にある干し柿を見詰める
自然と涙が零れた
河南は、あれほど痛め付けられたのに、痛め付けた自分のために、これを譲ってくれた
子供にとって甘いものは、どれだけのご馳走か
どれだけ楽しいことか
どれだけ嬉しいことか
自分にも覚えがある
たまに手に入る甘芋を干し、姉や妹達と奪い合って食べていた幼い頃を想い出す
その、ご馳走であり、楽しいこと、嬉しいこと、それを譲ってくれた河南に、自分はなんてことをしたのだろうと後悔の念ばかりが波のように押し寄せ、八郎を苦しめた
          畜生・・・ッ」
溢れて零れた涙が、ぼたぼたと干し柿の上に降り注ぐ
「畜生・・・ッ」
小さく叫びながら、八郎は干し柿に齧り付いた
自分の父親は、戦で死んだ
河南の父親は、自分達が殺した
なのにその河南に、謝らせてしまった
「畜生ッ・・・、しょっぱいじゃねーかよッ」
自分の涙塗れになった干し柿を、八郎は種だけになるまでずっと、齧り続けた

この日の夜、河南は久し振りにあさの寝室で寝息を立てた
河南の、心落ち着ける場所は、あさの部屋しかないのが理由だった
静かな寝息を立てる河南を、添い寝しているあさは上からじっと見詰めた
自分の腹を痛めて産んだ子ではないのに、河南が愛しくて仕方ない
それは、子供が自分を守るために、自然と醸し出す雰囲気に当てられたのかも知れない
それでも、あさは河南が愛しかった
正成も同じ想いなのだろう
だけど、家臣のことも大事に想っている
その『想い』の間で揺れ動き、苦しんでいるのだろうと感じた
          いい子、いい子ね」
小さく囁きながら、頭を撫でる
感じ取った河南は、きゅっとあさの方に身を寄せた
あさの豊かな乳房から漂う、母と同じ香りに引き寄せられて
乳房に河南の感触を感じながら、あさは軽く河南を抱き締めた
いつかこんな風に、自分の子も抱きたいと願いながら

翌日、八郎は約束どおりいつもより早目に屋敷に上がった
八郎はまだ無官であり、扱いは雑兵と同じではあったが、正成の計らいで軽い身分ながらも表座敷に上がることを許されていた
正成の代になってから、楠木は大きく変わった
若くとも、生まれは卑しくとも、才があれば上に上がる機会が与えられる
正成に気に入られればいきなり足軽大将も夢ではない
なのに、その正成の側にはいつも河南がおり、自分は女の河南にすら負けているような気分を味わされ、正常ではいられなかった
「おう、来たか」
正成は表座敷の、いつもの上座に座って自分を待っていた
          お早うございます」
小さな声でぽつりと挨拶する
「おう」
                
じっと黙って立ったままの八郎に声を掛ける
「いつまで突っ立ってんだ。こっち来い。そして、正座しろ」
                
正成の言い草に、言うなりの八郎の頭に汗が浮かぶ
「で?どうだ」
「え・・・?」
「干し柿の味だよ」
「ああ・・・」
「どうだった」
          しょっぱかったです・・・」
ぽつりと、正直に答える
「しょっぱかったか」
「殿は、如何でしたか・・・」
「俺は、土でじゃりじゃりしてたぞ」
と、正成は苦笑いして言った
だが八郎は、一緒になって笑うことはできなかった
「でも、美味かった」
          はい・・・。美味かったです・・・」
八郎も釣られて、そう応える
「そっか、美味かったか」
「はい・・・」
「しょっぱくて、美味くて、それ、どんな味だ?」
                
聞かれ、八郎は一瞬戸惑い、それからぽそりと呟く
          優しい味でした・・・」
「そうか。優しい味だったか。奇遇だな、俺も一緒だ」
「殿・・・」
「河南みてえな味だった」
「え?」
          いや、河南は食ってねえぞ?やったらあさに殺されちまう」
                
真面目に応える正成に、八郎はもう一度頭に汗を浮かばせた
「今直ぐは無理でもさ、ちょっとずつでいいから河南のこと、認めてやってくんねえかな?」
「殿・・・」
それは以前、あさにも似たようなことを言われたのを想い出した
「ちょっとずつで良いんだ、ちょっとずつで。急に全部を認めろなんて、無理だもんな。だからよ」
正成は、こんなにも優しい目をして微笑める男なのかと、八郎は想った
「頼むよ」
                
こんなにも優しい目をした正成など、初めて見た
朗らかで明るくとも、いつも残忍な方法を選んでいた正成が
河南の親でさえ、無残に殺した正成が
応じる気のない休戦に応じ、騙まし討ちで皆殺しを選んだ男が
こんなにも、こんなにも慈愛に満ちた目をしている
正成を変えたのは、河南なのだろうか
それとも、元々そんな心を持っていたのを、誰にも知らせず、それを河南が表に引き出したのだろうか
八郎にはわからなかったが、河南が来てから全ての世界が変わり始めていることを肌で知った

「櫓に行って来ます」
それから何日か経った
外に日溜りが現れるようになり、部屋に居るよりも表に出た方が暖かい日が続く
河南はこの日、あさに断って表に出た
門を潜るなどそうそうできない
河南ができることと言えば、屋敷内にある鎮守の森で遊ぶか、櫓を登ることくらいだった
後は、あさに森の中に植えている木の名前を教わるくらいか
「お昼前には戻るのよ」
「はい」
この頃になって漸く、河南も自分の行きたい場所を自分の口で言えるようになった
だからと言って、急にお喋りになるわけではないが、来た当初のことを考えれば随分回復した方である
奥座敷のあさの部屋から表に出る河南を、さとと二人で見送った
「河南殿も、少しは声が出せるようになって」
「ええ、本当に」
「奥様や旦那様の愛情が、ちゃんと伝わっているのですね」
「そう?」
さとの言葉に、あさは悪い気がしないのか、頬を緩ませた
「だと、良いんだけど・・・」

「これはー、蜜柑。これはー、金柑。これはー、柿。これはー、枇杷。これはー・・・。食べ物ばっかりー」
出鱈目に木を指差し、名前を言いながら鎮守の森を抜ける
「欅ー、杉ー、楠ー、松ー」
言っている名前は聞いただけで、実際木とは全く合っていない
「梅ー、桜ー、ええと、紅葉ー」
その場に正成が居たら、容赦ない突っ込みが飛んで来るだろう
一人でも周囲を楽しみながら櫓のある裏山に到着し、櫓に駆け寄る
「ええと、これは椿の木」
と、出鱈目もいいところの名前を口にしながら、櫓の梯子を掴んだ
「今日の昼餉はー、鮎の塩焼きー。・・・海老も食べたーい」
河南の暮らしていた和泉は海がある
今暮らしている河内には、海がない
楠木に来て、河南は川魚しか食べていなかった
その想いが言葉に出たのだろう
屋敷ではどうしても無口になってしまうが、独りになった時だけは、河南は以前の自分を取り戻せていた
「明日はー、えーっと・・・、なんだろ」
梯子を登りながら、ふと手が止まる
その直後、自分の鼻の先に蝶が飛んだ
                 ッ」
それに驚いた河南は背中を後ろに反らせ、反動で手が梯子から滑った
小さな躰はそのまま、容赦なく背中から地面に叩き付けられる
                
しばらく蠢き、それから、動きが止まった

「はああ・・・、昼に薇使うから探して来いって、どんな家だよ」
ぶつぶつと呟きながら、八郎は裏山に向かった
「俺は雑魚じゃねえっつーの。          雑兵だけど・・・」
と、自虐に呟く
同じ頃、正成があさの部屋を訪れた
「河南、どこだ?」
いつものようにそれを訊ねる
「裏山の櫓に行くって出掛けましたよ」
「え?またか?」
「ええ、またです」
「そっかぁ」
「で、旦那様は『また』、河南を探しに裏山へ?」
「悪いか?」
「いえ・・・」
はっきり言い切る正成に、あさはそれ以上何も言えない

「確か櫓の広場の上の方に、野草とか色々生えてたよな」
と、以前、櫓で番をしていた時の経験を想い出す
偶然見付けた野草を摘んで帰り、母が喜んで料理してくれたことがあった
あの時とは時季が違うが、鎮守の森を探すより見付けやすいのではないかと、八郎は森を抜け裏山に向かい、櫓のある広場に出た
その櫓の梯子の前に、何か大きなものが落ちている
          ん?何だ?」
自分の居る場所からはそれはよく見えず、八郎は何だろうと想いながら梯子に近付く
そして、それが河南であることを知った
          お・・・、おい・・・」
河南は横になって倒れたまま、ぴくりとも動かない
「おい・・・、どうしたんだ・・・」
八郎は驚いて、恐る恐る近付いた
「おい、どうした・・・」
河南の足元の近くまで寄るが、それ以上は怖くて近寄れない
「おい・・・、生きてるのか・・・?          死んでるのか・・・?」
恐怖のあまり大きな声が出せず、八郎は囁くように訊ねる
しかし、河南からの返答はなかった
「おい・・・、          おい!」
思い切って大きな声を出してみるも、河南は依然、無言のままだった
「ど・・・、どうしよう・・・」
八郎は屋敷から誰かを呼んで来るべきかと、辺りをきょろきょろし始めた
このまま放っておけばいいのか、それとも、素直に正成かあさを呼べばいいのか
                
しばらく立ち悩んだ末、八郎は誰でもいいから呼ぼうと思い立つ
しかし、動こうと踵を返した瞬間、正成の声がした
「河南ッ!」
                 ッ」
びくんと、八郎の肩が震える
「おい!河南!どうしたッ!」
正成は勢いよく走り込んで来ると、すぐさま河南の肩を掴んで半身を起こした
「河南!河南!河南ッ!」
                
必死になって河南の名を呼ぶ正成の勢いに、圧倒される
「八郎!これは一体どう言うことだッ!」
          え・・・?」
「お前、河南を・・・・・」
                
正成のその目は、憎しみに満ちた色をしていた
          俺じゃ・・・」
八郎は、気付く
「ちっ、違います!俺じゃないッ!」
「お前・・・。ガキに八つ当たりして、てめえの気持ちを整理しようとするのは、卑怯者のやることだ」
正成の声が、怒りに震えていた
「殿・・・」
自分がやったと想い込んでいる
「好い加減、現実から目を逸らすなッ!河南を痛め付けたって、お前の現実はこれぽっちも変わらねえッ!」
「俺じゃないッ!」
必死になって無実を訴えた
「お前じゃなきゃ、誰なんだ!誰が河南をこんな目に!」
「俺じゃないッ!」
                
二人の怒鳴り声に気付いたか、河南が薄っすらと意識を取り戻す
震える力なき手で正成の小袖の襟を掴み、小さな声で呟く
「河南、気付いたかッ?!」
                
まだ朦朧としている目は、正成の姿を捉えた
                
河南の意識が戻ったことに、八郎もほっとする
だが、もし河南が「八郎がやった」と言ってしまえば、自分の立場は脆く崩れ去る
          河南に謝れ・・・」
「え・・・?」
                
河南の口唇が、動く
八郎は、その小さな口唇がどんな言葉を発するのか、生きた心地がしないような気持ちで見守った
だが
          ちが・・・う」
河南は小さな、小さな声でそう言った
「え?」
「ち・がう・・・」
「・・・違うのか?」
「ちが・う・・・」
                

まだはっきりと言葉が出せない状態のため、河南はいつものようにあさの部屋に運ばれ、寝かされた
八郎はそのまま、表座敷に連れて行かれる
                
正成も八郎も黙り込んだまま、長く一言も言葉を交わさない
その均衡を崩したのは、正成だった
「お前、河南をどうしたいんだ」
          え・・・?」
正成のその言葉は、自分に何を言わせたがっているのか、八郎にはわからなかった
「お前の、その心から来る感情は、一体なんなんだ」
                
自分でもわからず、その問い掛けには応えられない
「上手く行くと想ってたんだがな」
「殿・・・」
「河南の干し柿は、なんの意味も成さなかったのか」
                
心底残念がっているのが、手に取るようにわかる
尚更、八郎は応えられなくなった
「お前もいつか、わかってくれると想ってた。でもそれは、俺が勝手に『想ってた』だけだったんだな」
                
「ふん」
正成は、時折鼻から溜息を吐くのが癖だった
気持ちを切り替える時は、特にその癖が出て来やすい
「俺もな、色々考えた。このまま、河南をここに置いておくのは良いことなのか、どうか」
「殿・・・?」
「お前だけじゃないからな、寺田に恨みを持ってるのは。今はお前が特化して河南に当たってるから他のもんは大人しいけど、それもいつまで持つか」
                
「河南を捨てようかと想ってる」
「え・・・?」
正成の言葉に、八郎は目を見張った
「だって、ここに居たらお前、落ち着かんだろ。俺もな、河南を置いてて家臣に謀反起こされるなんて、冗談じゃねーしな」
「殿・・・」
「新九郎もよ、あん時河南もぶっ殺してたらよ、こんな面倒は起きなかったのによ」
と、正成は顔を顰めて、立てていた片膝に肘を付け、顎を掌に置いた
「ったくよ、しちめんどくせえ」
「殿・・・ッ」
本当に面倒臭そうな顔をして、庭に顔を向ける
その顔を八郎に戻して、正成は言った
「なんなら八郎、お前がやるか?」
「え・・・・・・・・?」
八郎は、我が耳を疑った
あれほど可愛がっている河南を、殺せと命令したのだ
「殿・・・、正気ですか・・・」
声が震える
膝の上に置いた手が震える
「だってよ、お前、河南のこと嫌いだろ?殺したいほど憎いんだろ?だったらお前に譲ってやるよ。俺はご免だな。河南を殺すことはできん」
「なら、殺さずとも・・・」
「だってお前、殺さなきゃ気が済まんのだろ?言ってたじゃないか。さっさとここから出て行かないと、殺すぞって」
「殿・・・ッ」
あの時のことを、正成は知っていた
自分が河南に暴力を振るったこと、その際、河南に「殺してしまうかも知れない」と言ってしまったこと
正成は全て、知っている
八郎の顔が青褪めた
「今直ぐに殺せとは言わん。お前の気が向いた時にでも、河南を殺して良いぞ」
                
本気か
自分を試しているのか
正成の表情からは、その考えは読めなかった

相当背中を強く打ち付けたのか、それからしばらく河南は起き上がることもままならない状態になっていた
正成も、河南のことは口にしなくなった
時々は様子を見に奥座敷へは入るが、屋敷でそれを誰かに話すこともなかった
河南が漸く動けるように頃、水越神社の奉納祭が開催された
同じ日、正成は八郎を呼び付ける
あれから八郎は河南の顔を見ていない
河南もずっと奥座敷に居たのだから、八郎が奥座敷に入らない限り顔を合わせることはなかっただろう
八郎自身、表座敷からできるだけ遠ざかるようにしていた
河南の顔を、見たくなかった
その八郎に、正成はそれを命令した
          え・・・?俺が河南を・・・?」
「ああ」
「でも・・・」
命じられた八郎は、心なしか顔が青くなる
「ほんとは俺が連れてく約束だったんだけどな、そんな時に限って羅刹が来やがる」
「羅刹殿が・・・」
羅刹は金剛山の山伏である
以前より楠木家に近隣諸国の情報を齎し、河南の実家の寺田家襲撃も羅刹率いる『金剛衆』の陰の活躍あってのことぐらい、八郎も知っていた
その羅刹が屋敷を訪れると言うことは、もう直ぐ戦が始まると言うことである
そうなると、正成が屋敷を空けるわけにもいかないのは最もらしい理由だった
「河南にはあさが小遣いを持たせてる。充分楽しませてやってくれ」
「殿・・・」
「なんなら、その帰りに河南を殺しても良い」
                 ッ」
その一言に、八郎は生きた心地がせず、青くなり掛けた顔が真っ青に変わった
「骸は、そうだな。川にでも流しとけ。運が良かったら河南の生まれた和泉に着くだろ」
「殿・・・、ほ、本気ですか・・・」
「どうせ死にゆく命。最期は祭りで楽しませてやれ」
                
本気だ
本気で正成は河南を殺せと自分に命じている
その、修羅にも似た眼差しは、海千山千の羅刹ですら、時折畏れさせるほどの威力を持つ
「俺・・・は・・・」
やっと、河南の持つ『優しさ』と言う、目に見えざる力に気付き始めたと想えたのに
なのに、そんな想いとは裏腹に、主君から殺害命令が出た
これは現実なのかと、震えながら正成を見詰める
正成の目は、本気で、「やりたければやれ」と言っていた
                

「はい、出来上がり」
この日のために誂えた、真新しい小袖を身に纏った河南は、今以上に愛らしく可憐に見えた
ほんの少し茜色に近い赤の下地に、小さな揚羽蝶が菜の花の周りにたくさん飛んでいる様子が描かれている
「良く似合ってるわ」
自分で仕上げた小袖姿だからか、あさも自賛の意味を込めてうっとりと河南の姿を見た
「本当に、良くお似合いで」
さとも河南の姿を誉める
「河南殿は肌が白いので、緋色が映えますね」
「ええ。無理を言って、業者に頼んだ甲斐があったわ」
                
二人から誉められ、河南も照れ臭そうに俯く
「それじゃ、表座敷に行きましょうか。旦那様も河南のこの姿を見たら屹度(きっと)、腰を抜かすほど驚くわよ」
「ですが結局、緋縮緬は間に合いませんでしたね」
「ええ。この小袖と揃いにと、髪飾りで用意してあげたかったのだけど、縮緬自体、中々入って来ないものですものね」
「もしかして」
どこかで戦でも起きているのではないのか、さとはそう言いたかったが、河南の手前、それを口にしてはいけないと、その先は言わなかった
「行きましょう、河南。旦那様が待ちくたびれているわよ」
「はい」
あさに手を繋がれ、奥座敷を出ようとした河南の前に、おずおずとした様子で八郎が現れる
「あら、八郎。どうしたの?」
「え?あ・・・、いえ」
あんなことがあっただけに、八郎は河南の顔をまともに見れない
「旦那様は、表座敷?今日はまだ一度もお見えになってないのだけど、忙しそうになさってるの?」
          今日は、羅刹殿が来られるそうで・・・」
「え?じゃあ、河南は誰が連れて行くの?あれほど約束していたのに」
                
あさの言葉を聞いて、がっかりしたのか河南が俯いた
「そっ、それで、俺が代わりに、河南・・・殿をお連れすることに・・・」
「え?そうなの?八郎が連れて行ってくれるの?」
                
その途端、河南が顔を上げる
八郎の胸がちくりと痛み出す
「良かったわね、河南。八郎が連れて行ってくれるのですって」
                
河南も、笑いこそしないが、あさに頷いてみせる
益々、胸が痛み出した
なんの疑いも持たない河南を、自分は、これから・・・・・・・
そう考えるだけで、目の前がぼやけそうになって、何度もへたり込んでしまいそうな気分になった

「それじゃあ八郎、お願いね。あまり遅くならない内に、帰って来てね」
「はい、奥方様・・・」
「河南、八郎の言うことをよく聞いて、しっかり着いて行くのよ?一人で走ったりしちゃ駄目だからね。もし迷子になったら、宮司様のお顔は覚えているわよね?」
                
黙って頷く
「事情を説明したら、誰かが屋敷まで送ってくれるわ。今日はお祭りだから人でごった返しているからね、一人で帰ろうなんて想わないで、誰かに着いて来てもらうのよ?わかった?」
「はい」
「なら、行ってらっしゃい」
「行って来ます」
表座敷の玄関から見送られ、八郎は河南を連れて屋敷を出た
珍しい組み合わせだなと、門番も首を傾げて見送る
屋敷前の坂道は斜傾が強く、うっかりすると河南なら転がりそうなほどの急勾配であった
一人で下るのなら大したことはなくとも、今日は八郎と一緒である
どうしても、八郎の歩調に合わせなくてはならなかった
「さっさと来いよッ!」
途中、何度も八郎に怒鳴られる
怒鳴られる度に河南は、急いで小走りで駆け寄った
しかし、少し経つとやはり、八郎から離れてしまう
八郎に睨まれ、河南は急いで走った
いつも目印にしている道祖神からの分かれ道で、人の数も随分と増えて来る
少しでも離れると、八郎が怖い顔をして河南を睨んだ
河南は慌てて八郎の後にぴたりと着いた
そんなことが何度も繰り返され、漸く神社の門を潜る
中は河南がこれまで見たこともないような人だかりと、露店が並ぶ光景が目に入った
                
途端に、ここに到着するまでの苦労など、すっかり忘れたかのように瞳を輝かせる
境内へと続く参道は、いつもなら見える石畳が、今日に限って全く見えない
それほどに、人の数が多かった
境内の前では今年一年の五穀豊穣を願う奉納相撲、それを観戦する観客の白熱した応援の声
「あっ、おい!」
八郎から離れ、露店を覗いてみればそれは、去年収穫された団栗を加工した独楽や、松ぼっくりを加工した人形がたくさん並び、木でできた細工人形、竹で編まれた籠、古着市もいくつも軒を連ねていた
乾燥させた果実や木の実も売られ、河南は河内に来て初めて、心がわくわくした
                
あっちは何だろうと、駆け出す
その河南の腕を、八郎が掴んだ
「勝手に歩くなって、奥方様に言われてるだろ?」
                
八郎が怖い顔をして言う
河南はびくついて頷いた
「来い」
                
河南は黙って、八郎の後を着いた

          和泉が」
二人が神社に到着した頃、楠木の屋敷に羅刹がやって来た
表座敷の縁側の外から正成に情報を齎す
「寺田の消滅の後、しばらくは小競り合い程度ではあったが、ここのところ本格的な戦に発展している」
「何せ寺田は和泉のほぼ半分を掌握してたんだからな。邪魔者が居なくなれば、領地の奪い合いは必至だ」
「しばらくは寺田屋敷襲撃の件は親族によって隠されていたが、それも限界に達したのだろう。後は川が決壊するが如く。水が溢れ出すが如く」
「じゃあ、その川の流れに乗ってやろうか」
「多聞丸殿」
にやりと笑う正成を、羅刹はまじまじと見詰めた
「できるのか?河南殿の実家だろう?」
「河南の実家は、もうこの世にゃねえ。今はこの楠木が河南の『実家』だ」
「多聞丸殿・・・」
そう言い切る正成に、羅刹は驚いた顔をする
「そなた、それほどまでに」
「ん?」
「そなたの、河南殿への過保護は伝わってはいるが         
「ちょっと待て!なんだ、その『過保護』っつうのは」
心外なことを言われたと、正成は目を剥いて問い質した
「楠木の若殿が、可愛に可愛がっている幼子が居ると、世間では専らの評判だが?」
「なんだ、それ・・・」
「知らぬのか?楠木の若は年端もゆかぬ幼い童女に尻毛を抜かれたと」
「もういい、それ以上何も言うな・・・」
俄かに激しい動悸に襲われ、正成は胸を押さえて羅刹の言葉を遮った
「なんでそんな話になってんだ」
「仕方あるまい?ことあるごとに河南殿を追い駆け回しているのだろう?屋敷の者でなくとも、何れは人の口に上る」
          俺って、そんな・・・?」
「領主の身分で度々人里に現れているのだからな、神社の参拝者ですら口々に囁いておろうものを」
                
この世に出(いずる)こと二十一年
ここに来て、正成は『生まれて初めて』、自分の行動を反省した

                
さっきから河南は、じっとしたまま動かなかった
金魚を売っている露店の前にしゃがみ込み、木箱の水槽の中を泳ぐ金魚をじっと見詰めたまま微動だにしなかった
「おい」
八郎が声を掛けても、返事をしない
「いつまでここに座ってんだよ。好い加減動けよっ!」
                
それでも、河南は動こうとしない
「お嬢ちゃん、気に入ったかい?」
店主が話し掛ける
河南は素直に頷いた
「そうかい。じゃあ、買っとくれ」
                
河南は頷き、あさからもらった小遣いを出そうと、小袖と同じ柄の巾着を広げる
「ちょっと待て!」
それを八郎が慌てて止めた
「お前、まだ境内回るんだろ?」
                
「今からそんなの買っちまったら、邪魔で歩きづらくなるぞ?」
                
それもそうかと、河南は巾着の口を縛る
「じゃあ、後で寄っとくれな」
                
店主に頷くと、河南は漸く立ち上がった
「ほれ、行くぞ」
                
また、黙って頷く
店主は一言も口を利かない河南を、『唖』かと想った
だとしてもこの時代、障害を持っていながら生きているのは珍しいと感じた
何かしらの障害を抱えて生まれてしまうと、親はそれを疎んじて『間引き』するのが当たり前だった
生きて行くのに、足手纏いになる者は『邪魔』なだけなのだから
なのに今そこに座っていた少女は、綺麗な小袖を羽織り、立派な身形の武士に付き添われている
どこのお嬢かと想いながら、河南の背中を見送った

境内を進むと、この日のために特別に建てられた木枠の舞台が目に見えた
人だかりでその先は見えないが、そこから聞き覚えのある笙の笛の音色が流れて来る
河南は立ち止まって舞台を見ようと爪先立ちになった
「おい」
着いて来ない河南に声を掛ける
しかし、河南は振り向かなかった
「行くぞ!おい!」
                
黙って、舞台の方を見ようと爪先で必死になって立っている
「っち」
八郎は舌打ちすると、河南の軽い躰を持ち上げ、肩車に乗せた
                 ッ」
驚いた河南が、躰をビクンと震わせる
「見えるか?」
                
八郎の方を見下ろし、それから舞台の方に顔を向ける
                
人の頭で充分には見れないが、あの時見た巫女達が五人に増えて舞っている上半身が目に映った
河南は息を呑んでそれを見詰めた
八郎も頭を上げ、河南の様子を伺う
「河南・・・」
河南の真っ直ぐな瞳が、舞台から全く動かない
その先に何が行われているのか、八郎は知っている
巫女の奉納舞だ
それを河南は食い入るように見詰めていた
                
下からも、河南の綺麗な瞳が見える
この子が仇なのか
そう、自問した
答えなど見付かる筈もないが

                
河南を送り出した後、あさはなんだか心が落ち着かない
「奥様、ご心配なのですか?」
さとに見透かされ、苦笑いする
「大丈夫だと想うの。大丈夫だとは。旦那様がそうするよう、八郎に命じたのですものね。八郎を信じないと言うことは、旦那様を信じないも同じだわ。でも・・・」
「それでも、心配なものは心配なのですよね?」
                
あさは苦笑いして頷いた
「今日は河南殿もお留守だから、旦那様もお見えになるのが遅いですね」
「そんなことねーぞ」
言った側から正成の声がする
「まあ、旦那様」
さとは素早く平伏し
「失礼いたしました、陰口などと」
と謝罪する
「いや、気にすんな」
「旦那様」
部屋に入って来る正成を、あさはじっと見詰めた
「お前もそわそわしてんな」
「え?」
あさの前に座りながら言う
「俺もだ」
「旦那様・・・」
にかっと笑う正成に、あさの目が丸くなる
「大丈夫だ。八郎は、莫迦なことやりゃしねえ。でも、これは賭けに近いか」
「賭け?」
「八郎が、河南を手に掛けるか、掛けないか」
「旦那様・・・ッ」
途端に、あさの顔色が悪くなる
「あの時、河南が櫓から落ちた日のことだ。俺はてっきり八郎がやったのかと想った」
あさは黙って正成の話を聞いた
「でもあいつは、必死になって違うって言い張った。あいつの性格だったら、自分がやったことぐらい、どんな都合の悪いことだろうが他人の所為にしたりしない。そんな八郎が、自分じゃないって言い張ったんだ。必死になって、必死な目をして、さ」
                
「だから俺は、確信したんだ。八郎は絶対、河南を殺したりしねえ、って」
「そう・・・ですか」
「信じようぜ、八郎をさ」
夫が笑顔で言うのだから
          はい」
その笑顔を信じようと、あさは想った

結局、河南は巫女の舞いが終わるまでずっと、八郎の肩車で舞台を見ていた
八郎も、どうしてか河南に降りろとは言えなかった
後ろめたさがそうさせたのか、八郎にはわからない
巫女らが舞台から降りる
          帰るぞ」
八郎もやっと、声を掛けた
河南を肩から降ろし、歩き出す
                
河南はぐずぐずしながら歩き、金魚露店の前で立ち止まった
          さっさと来い!」
                 ッ」
八郎の怒鳴り声に怯え、肩を竦める
「帰るぞ」
                
でも、と、河南の目は言いたそうにしている
だけど、声が出なかった
「来いッ!」
                
怒鳴る八郎に、河南は諦めて歩き出した

いつもの参門を抜け、道祖神のある分かれ道に出る
それから八郎は、坂道を上がらず、下り始めた
                
何か言いたげに、河南が立ち止まる
「来い」
                
どうしたのだろうと、河南は八郎の言葉のまま、歩き出した
しばらくすると川に出た
川幅はかなり広い
八郎はこの水越川と千早川の合流地点まで河南を連れ、立ち止まった
                
河南の目が、大きく見開かれる
そこは広い広い、水の混ざり合う場所
大きな橋が架かっており、河南は手摺りに掴まり川を覗き込んだ
「あー・・・」
寺田屋敷から一歩も外に出たことのない河南にとって、これは初めて見る景色である
川の流れる水筋も、そこを跳ねる川魚の群れも、河南にとっては初めて目にする光景だった
その河南の背中を見詰める八郎の目は、何かを決意する
          河南。川、見たいか?」
                
河南は八郎に振り返った
「もっとちゃんと見たいか?」
                
橋げたからでは、満足に川の流れを見ることはできない
河南は素直に頷いた
「よし」
八郎は河南を橋げたの手摺りに座らせた
「見えるか?」
「わ・・・」
そこに座ると、川の流れがはっきりと見れる
河南は瞳を輝かせて川の流れに見入った
きらきらと水面を輝かせ、それはまるで宝玉のようで、魚影が木の葉のように見え、河南を夢中にさせる
その河南の背中を、八郎は押そうと両手を当てた
                
このまま押せば、この川は底が深いのだから、河南は簡単に溺死する
多少苦しむだろうが、幼子の血は見なくて済む
指先が震える
押せば自分は楽になる
          楽になる・・・?
何に楽になりたいのか
何を楽にしたいのか
これが最上の方法なのか
そうすれば自分は、満足するのか
どうすればいいのか・・・
                
自分がやろうとしていることは、正しいことなのか
それで死んだ父は喜んでくれるのか
仇を取ったと喜んでくれるのか
          あれ・・・?」
八郎は、小さな声で呟いた
父の仇は、もう、とっくの昔に取っている筈だ
まだ、仇を取らなくてはならないのか?
何故自分は、河南を憎んだのか
何故、河南を殺そうとしているのか
八郎は、それすらわからなくなってしまった

          河南を殺しても、父は帰って来ない
自分も出世など、しはしない
家はあのままだろうし、母は順を追って年を取る
正成の言葉が脳裏に甦った

「河南を痛め付けたって、お前の現実はこれぽっちも変わらねえ」

                 ッ」
危ない、と、八郎は慌てて河南を手摺りから降ろそうと手を広げた
それと同時に、河南が自分の方へ振り返った
広げた八郎の手に驚いて、河南の背中が仰け反る
そして
「河南ッ!」
河南の躰が吸い込まれるように、川に落ちた
「河南ッ!」
八郎は慌てて川面を覗き込んだ
大きな水飛沫の音が響き、幾重にも波紋が広がり、やがて、河南が顔を出して踠き始めた
「河南ッ!」
                 ッ」
何か叫びたそうに口をぱくぱくさせる
だけど、何も叫べない

あの夜から

父と母と兄と姉と弟が殺された夜
声を出したら見付かると、河南は自分の声を封じた
それから河南は、大きな声を出せなくなっていた
見付かる
見付かったら、殺される
兄が守ってくれた命
父が生きろと叫んだ約束
守りたかった

「河南ッ!」
ばたつく河南の姿に、八郎は橋から降りようと辺りを見渡す
川に出られる堤防が随分遠くにあるのが見えた
そこまで回っている間に、河南は水底に沈んでしまう
「河南・・・ッ」
                
恐怖に目を閉じる河南が、一瞬、目を開けた
その先に、八郎の顔が見えた
          けて・・・」
口を開けば川の水が流れて来る
苦しくなる
足は水の中をばたばたと暴れるだけで、徐々に河南の躰は沈んで行った
          父様・・・
母様・・・

「生きろ、河南」

父の声が聞こえた
「父様・・・」
河南の声が、八郎に届いた
「助けて!父様!」
                 ッ!」
八郎はその声を聞き、無我夢中で橋から川に飛び込んだ
しばらくして八郎の躰が浮かんで来る
「河南ッ!」
河南は落ちた場所から流されていた
八郎は邪魔な袖に腕を取られながらも、必死になって泳いだ
「河南ッ!」
もう少し
あと、もう少し
「河南ッ!」
八郎の手が、河南の腕を掴んだ
そのまま一気に引き寄せ、河南が自分を掴んで暴れないよう、両腕を自分の左腕で纏めるように抱き込み、川岸に泳ぎ着く
河南を先に岸に上げ、後から自分も引き上がる
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!」
河南は水を飲み、岸に上がって咳き込んだ
八郎もだるさに倒れそうになる
「河南・・・」
そして、ぐったりしたように横たわった
          ごめん・・・、河南・・・」
                
八郎の目から、川の水なのか、涙なのか、何かが流れて来る
「ごめん、河南・・・。ごめん・・・。ごめん・・・」
それは、きっと、涙なのだろう
八郎は顔を左腕で隠しながら、涙声で謝罪した
「ごめん、河南・・・」
                
少し息の戻った河南は、躰を引き摺るように八郎に近付き、その頭を撫でた
「河南・・・・・」
河南は、自分が泣いた時、母やあさはそうやって自分を慰めてくれたことを、想い出す
          ごめんな・・・」
                
河南は八郎の謝罪に、何も言わなかった
だが、少しだけ微笑めた
腕で目を隠している八郎には見えなかったが、それは優しい、優しい、女神のような微笑みだった

正成とあさ、二人して表門の前に立ち、河南の帰りを待つ
門番は仕事がやりにくそうな顔をして、一緒に並んでいた
「あ         
最初にあさが二人の姿を見付けた
「お」
次に正成が河南の姿を見付ける
「河南!」
あさが名を呼ぶのより少し早く、正成が駆け下りた
「旦那様!抜け駆けなんてずるいです!」
「子供か!お前は!」
「河南!」
足は正成の方が速い
あさはその後ろで名前を叫ぶのが精一杯だった
「河南!          って、お前らなんでずぶ濡れなんだ」
                

「それじゃ、おさと。お願いね」
「はい、畏まりました」
濡れた河南をさとが湯殿に連れて行く
残された八郎は奥座敷の庭に座らされ、縁側から正成が腕を組んで見下ろしていた
「河南はおさとが湯に浸けてくれるそうです」
「そうか。春先つったって、まだ寒いからな。今夜はあさが暖めてやってくれ」
「はい」
それから、ずぶ濡れのままの八郎にも声を掛ける
「八郎、あなたも今日は屋敷の湯殿に入って帰りなさい」
                
黙って平伏する
その八郎に、言う
「ありがとう、八郎」
          え?」
あさの言葉が理解できず、八郎は頭を上げた
「あの子が帰って来たの。生きて、帰って来たの。私は、それで充分」
「奥方様・・・」
「八郎」
今度は正成が声を掛ける
「答え、見付かったか?」
          え・・・?」
「今日、河南と一緒に居て、どうだった」
「どうって・・・」
「お前な、河南と一緒だったんだぞ?河南と。わかってるか?」
「それが何か・・・」
あまりの正成の気迫に、八郎は圧倒される
「心がもやもやしたとか、胸がうずうずしたとか、気持ちがくすぐったくなったとか、頭がぼや~っとしたとか」
「旦那様はそう感じてらっしゃるのですか?」
「当たり前だ!」
                
あっさり断言する正成には、女房でなくとも八郎ですら後退る
「河南だぞ?河南だぞ?」
「だからなんだと仰るのですか・・・」
「河南と一緒に居て、わくわくうずうずどきどきしない方がどうかしている!」
「どうかしているのは旦那様の方です!落ち着いてください!」
「兎に角だ、河南と一緒に居て、どうだった。それだけ聞かせろ」
「旦那様!はぐらかさないでください!河南と一緒に居て、旦那様はいつもわくわくうずうずどきどきされてらっしゃるのですか?!五歳の河南に!」
「悪いのか!」
                
もはや、何も言えなくなるあさであった
見ている八郎はもっと、何も言えない状態になる
「そんな、大事な河南をお前に託したんだ。帰って来て感想ぐらい聞いたって、罰当たんないだろ?」
          俺・・・は・・・」
自分の気持ちを整理しようと、八郎の口調がゆっくりなものになる
「まだ、良くわからない部分の方が、多いです・・・」
「そうか」
「でも・・・、良くわかんないけど、だけど         
正成の顔を見ながら、呟くように言う
          救われたような、気がしました」
「そうか」
八郎の答えに、正成は満足したかのように笑顔を見せた
「殿は、わかってたんですね」
「ん?」
「俺が、河南に手ぇ出さないって。だから、俺を試したんでしょう?河南を殺すか、連れて帰って来るか」
「ああ」
「なんで、そんなこと・・・」
          お前の心にあったのは、『後悔』だ」
                
「見てくれ荒っぽくても、お前は根の良いやつだからな。なんで河南に当たってたのかは、さすがの俺もそこまではわかんねえけど、河南を憎んでいたのは、自分自身の弱い心じゃねえのか?そんな自分の心を認めたくなくて、河南に自分を投影してたんだろ?あの夜は、お前にとって悪夢だったんじゃねえのか?」
                
「お前自身がてめえの『心』に気付かなきゃ、いくら俺らが言ったって、お前の『胸』には届かねえ。だけど、河南と一緒だったら、お前は気付くと想ってた。理解すると想ってた」
「殿・・・・・・」
「勘九郎から聞いた」
「勘九郎が・・・」
勘九郎はあの日の夜の襲撃部隊の中で、一番若い武将だ
若いが、誰よりも落ち着き、冷静さでも定評がある
「寺田の娘らの死に際は、まあ、あさの前じゃあ言いにくいけど、まともじゃなかったってな」
                
平八は黙って頷いた
あさも余計なことは口にしないよう、押し黙った
戦の話は男のものである
女が口を挟むことは許されない
「それをお前、見てたんだろ?後になって、つらかったんじゃねえのか?」
「殿・・・」
「河南はそれを想い出させる。そうじゃねえかと俺は想ったんだが、違ってても良いや。今日、屋敷を出たお前と、帰って来たお前は、違う男だ。いや、前の八郎に戻ったって感じか」
                
「『お帰り』、八郎」
「殿・・・・・・・・・・・ッ」
八郎の目から、大粒の涙が流れた

仕えた主君は男気に溢れた人物で
豪快で
大雑把で
人身掌握に長けていて
心底、河南と言う少女を愛している男で
『良い男』だと、そう想える人間だった

翌日、川で溺れたことも忘れたか、河南はにこにこした顔をしていた
一足遅れで京から緋縮緬が届いたのだ
あさがそれで髪飾り用の細帯を縫ってくれた
髪を結ってやろうとするあさの手を止め、しばらく眺めていたいと言い出した
それを持って裏山近くの鎮守の森に出掛けたのだが、うっかり風に気を取られ、手にしていた緋縮緬が靡いた
「あっ・・・!」
風に吹かれた縮緬を追い駆ける河南
吹かれた縮緬は木の枝に引っ掛かった
                
随分高い場所に引っ掛かってしまっている
どうしようかと悩んだ末、河南はその木を登ろうと試みた
だが、樹皮がつるつると滑り、上手く登れない
増してや河南は、生まれてこの方一度も木登りなどしたことがなかった
登っては滑り落ち、滑り落ちては登る
それを何度も何度も繰り返していると、とうとう額を擦り剥いてしまった
                 ッ」
『いったぁ~!』と、擦り剥いた額を両手で押さえる
しかし、のんびりしていたらまた縮緬が飛ばされるかも知れないと、河南は痛みを堪えて再び木に登った
だが、何度やっても結果は同じで、やはり少し登ってはずるっと滑り落ちてしまう
          何やってんだ・・・」
この光景を見ていた八郎が、小走りに駆け寄って河南を抱き上げる
                 ッ」
驚いた河南は八郎を見下ろした
「さっさと取れよ」
                
抱き上げられ、手が丁度届くくらいになっていた
慌てて正面を向き直し、枝に引っ掛かっていた縮緬を掴む
「取れたか?」
                
『うん』と言いたそうに河南は頷いた
それを確認すると、八郎は河南を降ろした
「誰かの助けが必要な時は、人を呼べ。その時俺しか居なくても、運が悪かったと諦めて声を掛けろ。お前が怪我してまた俺がやったと疑われるのは敵わん」
照れ臭そうに、それを隠すように、八郎は仏頂面で言った
だが、気持ちはきちんと河南に届く
縮緬を握り締めながら、河南は言った
「ありがと、はちろ」
                
その微笑が、あまりにも可愛らし過ぎて
八郎は一瞬、我を忘れてでれっとし、それから想い出したように叫んだ
「俺は『はちろ』じゃねえ!八郎だ!」

中庭で追い駆けっこをしている河南と八郎の姿があった
「待てー!河南ー!」
「あはははは!」
河南は久し振りに、声を上げて笑っていた
「こらー!」
八郎の声も、なんだか楽しそうだった
だが、『楽しくない』男が一人、ぶずっとした顔をして腕組みをし、八郎を睨んでいた
「なあ。河南はいつになったら、俺に笑ってくれんだ?」
          さあ・・・」
側に居た新九郎は、頭から汗を浮かばせる
「なんで八郎ごときに負けたような気にさせられなきゃなんねーんだよ」
                
「なんかむかつく」
「それより、定例会議を・・・」
「やってられっか」
「殿ッ!」
ぷいっと不貞腐れ、その場を後にする正成を、今度は新九郎が追い駆ける羽目になった
「殿ー!会議をー!」

河南と八郎の仲が少しは良くなったのはいいことだが、大事な河南を取られたような気がして、正成はこの上なく不愉快な想いをしていた
それはしばらく続き、家臣らにとっても迷惑この上ないものだったのは、言うまでもない
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おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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(二本セットの画像)
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本醸造 濃姫
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吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
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今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
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濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
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清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
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