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「林殿?!」
犬山を抑えるために出た筈の秀貞が引き返して来る
一戦交えたにしては余りにも早過ぎる帰還に、長秀は目を丸くして出迎えた
「如何なさいました!」
「犬山方面は侵攻できん!」
「え?」
「殿の作戦が読まれていた!」
「まさか・・・・・・・・・」
「直ぐそこまで犬山が迫ってる!蜂須賀が殿をしている、それを回収した後、すぐさま反撃に打って出る。五郎左、迎撃の準備を!」
「はっ、はい!」
若輩ながらも功労者の平手政秀と共に織田家嫡男信長の傅役を任されていただけあって、増してや、主君に盾突いたことだけはあるのか、秀貞は帰蝶にも負けぬほどの素早い指示を長秀に出した
「鉄砲隊、最前列に並べ!犬山の侵入を許すな!左側、兵が薄れている。徹底的に叩き、退散させろ!」
殿(しんがり)を務める正勝の部隊に散らされ、追い駆けて来る犬山軍も疎らになっていたのが功を奏したか
秀貞の機転により、また、長秀が築いた自慢の砦は犬山を退かせるに充分な働きを見せる
小牧山まで追い駆けて来た犬山織田軍は、手も足も出せず引き下がるしかなかった
強固な砦は犬山の侵入を許さず、正勝の勇猛な働きぶりもあってか、然したる被害もなくほぼ無事に兵の収納を済ませることはできたが、心配なのは美濃に入った帰蝶の身だった
「犬山如きがこのような動きを見せたと言うことは、本戦の方も絶望的だろうな」
表ではまだ鉄砲の音が鳴り響いている
そんな中で長秀は秀貞の言葉に顔を青くさせた
「そんな・・・、殿・・・」
「斎藤新九郎と言う人物、とんでもない食わせ物かも知れん。今川を退かせた私達を、こんな風にいとも簡単に追い込めるのだ」
                
「何故。それなのに、何故・・・」
「林殿・・・?」
何故、斎藤は天下を目指さん
そう、心で呟いた
秀貞は軍略の天才である
信長に対し謀叛を起こしたのは、勝算ありの結果を出したらこそであり、その秀貞から見ても、犬山を自在に動かせる義龍には充分、天下を目指すだけの素質は兼ね備えられていると見た
なのに何故、大人しく美濃で収まろうとしているのか、それが不可思議だった
数年前、信長に対して謀叛を決意したのは、『信長が相手なら勝てる』と算段を出したからであったが、稲生で実際に対峙したのが信長ではなく帰蝶だったために、秀貞は稲生で敗北した
もしも稲生に立ったのが帰蝶ではなく信長であったなら、秀貞は謀叛を遂行できただろう
ほんの僅かな計算のずれが、全てを決する
稲生で撤退をせざるを得ない状況に追い込まれたのは、今も遺恨として残るほど秀貞の人生に置いて一生の不覚だっただろう
それが、戦であった

何年振りだろうか
十何年振りだろうか
亡妻ですら蔑ろにしてまで恋焦がれ、逢いたい、逢いたいと願い続けた相手から
恋しい人から受けるのは、想いではなく『刀』だった
容赦なく利三に帰蝶の刀が振り下ろされる
帰蝶の兼定を、利三は悉く打ち払う
僅かな隙も見逃さず突き刺すも、全て薙ぎ払われた
夫を殺した憎い男に向けて、帰蝶は刀を振り落とす
たったそれだけのことが、こんなにも難しいことだとは想いもしなかった
掠りもしない
当りもしない
利三を驚かせることもできない
「姫様!刀を降ろしてください!」
利三の必死の説得も、帰蝶は聞く耳を持たなかった
そうだろう
ここまで来るのに四年が掛かったのだ
山名で打ち落とそうとしたが、利三までは遠かった
こうして漸く直接対決に臨めはしたが、それでも今の帰蝶に利三はまだ遠かった
「クソッ!」
渾身の力を揮っているのに、利三を退かせることすらできない
寧ろ自分が追い込まれて行く程、利三の手数は苛烈だった
刀と刀のぶつかる瞬間に弾ける火花が四方に散る
「姫様ッ!」
                
口付けのできる距離に居ながら利三は、仇だった
じっと利三の目を見詰め、口唇を動かす
          どうして」
「姫様・・・」
悲しそうな目をして
それは、信長が死んで以来、初めて見せた顔かも知れない
「どうして吉法師様を殺したッ!」
                 ッ!」
帰蝶の言葉に、利三の目が見開いた
まさか
今まで
ふと過る、夕庵の言葉

「私達は、誰を相手に戦っているのでしょうか」

認め難い現実に、利三の肩から力が抜けた
その瞬間
「もらったッ!」
帰蝶の兼定が閃光煌めかせ空(くう)に振り上がる
直後、帰蝶を取り囲んでいた斎藤の兵士を蹴散らし、馬を走らせた利家が右腕を伸ばし、擦違い様帰蝶を掻っ攫った
          犬千代・・・ッ!」
その光景に、利三もはっと我に返る
「離せ!犬千代!」
「危険です、奥方様ッ!」
利家は織田の軍議には参加していない
帰蝶が既に城では『殿』と呼ばれていることを知らなかった
「離せッ!離せ、犬千代!」
帰蝶は降りようと、足をばたつかせて暴れた
だが利家の腕は頑丈で、びくともしない
「犬死したいんですかッ?!周りをご覧下さい!どこもかしこも斎藤が奥方様を取り囲んでいます!」
帰蝶の視界に斎藤軍の兵士の姿が映る
利家の馬に蹴られ、殆どは及び腰になり眺めているだけだが
「あれが殿の仇なんですね?」
                
「仇を取ったとしても、その後無事にあの場所から脱出できるのですかッ?!」
「だけど          ・・・ッ!」
利家は帰蝶の躰を持ち上げると、自分の前に横座りさせた
「もう少しだったんだ・・・。もう少しで、吉法師様の仇が取れたのに・・・ッ!」
「奥方様・・・」
悔しそうに口唇を噛み、悲しそうに眉を寄せる帰蝶を、利家はぎゅっと抱き締めた
抱き締められ、その中で現実を見る
利家が来なかったとしても、仇は取れたのか
果たして自分の願いは叶うのか
そう、想った
それから、漸く気付く
自分が誰に向かって刀を振り上げたのか、を
信長に鉄砲を放ったのが『撫子』の軍旗を掲げる部隊だとする秀隆の証言は確かだろうが、『お清』が撃ったと言う証拠はない
利三の率いる部隊の鉄砲自慢が撃ったのかも知れないのを、帰蝶は確認していなかった
そして、十数年振りに顔を見た『お清』が、すっかり様変わりしていることにも
男らしく凛々しい顔立ちをしていた『お清』に、帰蝶は悔しさと腹立たしさと嫉妬、それから、忘れていた想いが複雑に入り乱れ、惑わされる
何もできない自分に歯痒さを噛み締めながら、利家に抱かれるまま走る馬の上で大人しくなった
利三の顔を見たことで、忘れていた胸の奥の大事なものが表に出て来そうで、それが怖かった
そんな帰蝶を追う兵も出る
「追い駆けるなッ!」
その兵を、利三は止めた
「また、罠を敷いているかも知れん!深追いするなッ!」
連れ去られたと表現してもおかしくはない帰蝶が遠退くのを、利三はただ黙って見守った
真っ直ぐな気質は、今も変わっていないのだと安堵する
だけど、帰蝶の発した言葉
『何故、吉法師様を殺した』と言う言葉が、心に引っ掛かる
信長は死んだのか
やはり、この手で殺していたのか
ならこんにちまでの織田を動かしているのは、誰なのか
まさか、姫様が
そう、頭の中で結論の出ない疑問が、ぐるぐると駆け回った

織田軍とぶつかるのを、義龍は本陣から眺めていた
無理に体を起こしての戦であるも、嬉しそうに頬を緩める
「織田は、なかなかにして勇猛だ」
周囲をぐるりと取り囲んでも、然したる混乱は起きていない
其々の部隊長の肝が据わっているのか
「ああ、東が手薄になってる。あそこから漏れたりしたら、逃げ道になってしまうなぁ」
義龍の言葉に陣太鼓が鳴り響き、東側に兵が集まった
追い詰めても、追い詰められても、その状況を楽しむことができる
故に、軍略家で策謀家でもあった父に勝利した
妹・帰蝶の軍略に一度は激情したものの、それでもただの一度きり
一度知ってしまえば、新たな驚きには繋がらない
それが、義龍の恐ろしさであった
「この光景を帰蝶が見たら、何と想うだろうか。怒髪天に怒り狂うか、それとも、まだまだ余裕と笑っていられるか」
「どうでしょう」
義龍の側に控えた夕庵も、主君の考えが読めなかった
迂闊な返事は帰蝶を追い込むことになると察する
「帰蝶が余裕で居られるのは、自分が優位に立っている時だけだ。追い詰められれば我を忘れる。だがな」
ゆっくりと夕庵に振り返り、妹を想う兄の、優しい微笑みを浮かべて告げた
「我を忘れた帰蝶ほど、恐ろしいものはない」
                
そうだ、と、夕庵も想い出す
水を含み重くなった小袖で、幼き姫君は『意地』だけで長良川を渡ろうとしたことを
泣いて許しを乞うかと想っていた
『姫君』には相応しくない発言を繰り返し、局処を混乱させた
それは
人の長い歴史の中で、女が男の頂点に立つなど、考えてはならぬことを考え、口にした
幼さゆえの浅はかさと笑えば良かっただろう
だが、あの頃の斎藤は北に朝倉、南に織田、西に土岐と、三方を敵で囲まれていた
城の中にも決着の付かぬ苛立ち、歯痒さ、追い詰められゆく者達の遠吠えが鳴り響いていた
そんな中で帰蝶の不用意な一言
織田の参入により、一進一退を繰り返す父を見て、帰蝶はついそう口にしてしまった
「男はだらしない。女の方が利口だ」
たったそれだけの言葉が、斎藤家臣らの結束を揺るがせかねない事態に発展するのは、目に見えていた
『斎藤のじゃじゃ馬娘』、『粗忽者』、『余計者』と鼻摘みに遭っていた帰蝶らしい暴言ではあっても、家の中で敵を作るわけには行かなかった
いつかは帰蝶のその才能が、美濃にとって必要になる日が来るかも知れない、と、夕庵は帰蝶に仕置きを与えた
それが、長良川に放り込むと言う暴挙である
相応の咎を受ければ、稲葉山城の人間も「そこまですることはないのに」と、寧ろ帰蝶を庇うだろうと考えた
あの時帰蝶は、自分が生意気だったと後悔するかと想っていた
だが、結果は、川の中腹で溺れたとは言え、自力で泳いで渡ろうと根性を見せた
夕庵は想った
どんな強大な力を以ってしても、帰蝶を服従させることは不可能だ、と
その帰蝶を見事乗りこなしている『信長』にも興味は沸くが、今は眼下の織田軍をどうにかすることが先決である
「お屋形様。革手を動かします」
「革手を?」
「万が一、長森に逃げ込まれては面倒です」
「ああ、岐阜屋か。そうだな」
「革手で、完全に叩き潰します」
「お前にしては、随分と物騒な物言いをする。どうした、古に猛った若き血が蘇ったか」
          どうでしょう」
夕庵は、微笑むことしかできなかった
それで帰蝶の軍略に勝てるかどうか、自信はないとは言えないがために

「クソッ!どこもかしこも斎藤軍ばっかりだ!」
帰蝶を抱えたまま走る利家は、突破口を探すのに懸命だった
南と北を行ったり来たりしている
「犬千代・・・」
「『私を置いて自分だけ逃げろ』ってのは、ナシですよ」
                
黙り込む帰蝶に、やっぱりねとでも言いたげな顔をする
          俺のこと、ありがとございました」
二人に襲い掛かる斎藤の兵士を、馬で蹴り付けながら走り回る
「権さんに、聞きました」
「権に・・・」
「出奔中で稼ぎのない俺のために、権さんに頭下げてくれたそうで」
「下げるほどのことはしていないが・・・」
「お陰で女房にはひもじい想い、させずに済みました。寸志でも権さん、俺に知行をくれて」
「そうか・・・」
「だから、奥方様を無事、ここから脱出させます!」
「犬千代・・・」
「それが義理を返すってことだ。何もしないで安穏と過ごしてたら、あの世に居る殿にケツ、蹴っ飛ばされっちまう」
「そう・・・か」
利家は知っている
信長の話をした時、この奥方様は何よりも穏やかになれることを
「ぶっ飛ばしますよ!」
馬を加速させる利家の胸に、体重が掛かるような圧力を感じる
背中に回った利家の腕が、痛いほど食い込む
馬の加速に躰が持って行かれそうになるのを、利家が抱き締めて支えてくれた
その帰蝶の隣に、利治が着く
「姉上!」
          新五・・・」
弟の姿に、帰蝶は目を見張った
自分以外誰も、信長以外の誰も乗せようとしなかった
慶次郎ですら振り落とそうとした松風が、利治を乗せて走っている光景は、信じ難い気持ちがあった
「革手に戻りますか?!」
          いや・・・」
死んだような目をした帰蝶の瞳に、輝きが戻った
「革手でも斎藤が立っていると言うことは、兄上の手に落ちたのだろう。自ら罠に飛び込むほど、私は自分を愚かだとは想わない」
「姉上」
「では、どうなさいますか」
「羽島に向う!この囲みを突破し、羽島に集結!そこから一宮に入り、勝三郎と合流できる道筋を拓く!新五!」
「はい!」
「河尻を捕まえ、一宮突入を伝えよッ!」
「承知ッ!」
利治は松風の手綱を引く
それと同時に松風が真後ろに急転回した
          松風は、器用な馬ですね」
「だから、名馬なのだ。松風は」
「そうですね」
生きた目をし始めた帰蝶に、利家も頬が綻ぶ
「犬千代、私を降ろせ」
「しかし・・・!」
また急に、いつもの無茶な帰蝶に戻ってしまったことにも落胆するが
「生きてこの囲みを突破するためだ、私を降ろせ、犬千代」
「信じて、良いんですか?」
「信じるも信じないも、お前も馬から降りろ、犬千代!」
「奥方様・・・」
帰蝶の顔が微笑みに満ち溢れている
生きて帰るとその表情が言っていた
「離せ、犬千代!」
「はっ!」
利家は帰蝶の背中に回していた腕を一瞬で解き放った
駆け続ける馬から飛び降り、右手に掴んだままの兼定を握り直す
その後を利家も続いて馬を止め、降りて槍を握った
「行くぞ、犬千代!着いて来いッ!」
「承知ッ!」
帰蝶を先頭に、斎藤軍へ二人だけで特攻を仕掛ける
逃げるものと想っていた二人の織田武将が突然引き返し、しかもたった二人だけで自分達に向って突っ込んで来るのを、斎藤の兵士は腰が抜ける想いで見守った
数の勝利と想い込み、帰蝶、利家に攻撃を仕掛けて来る者も居る
それは当然の法則ではあるが、帰蝶はいつも口にしていた理論を常に実践し、価値を見出す
『寡兵は決して不利ではない』と
「犬千代、右ッ!」
「はッ!」
帰蝶は左側に固まる斎藤軍兵士に斬り掛かる
指示された利家は右側に固まる斎藤軍兵士に槍を突き出した
元々体の大きな利家だ
一突きで二人、三人を串刺しにした
そのおぞましい光景に、斎藤軍兵士は戦意を失う
「邪魔をするなッ!」
帰蝶の鬼気迫る迫力にも、尻込みする
兼定が弾く味方兵士の、血飛沫が舞い上がり自分達に降り注ぐのを、一人、二人と腰が砕けてへたり込んだ
「歯向かう者は容赦しない!だが、大人しく引けば刃は向けない!命惜しくばこの場から立ち去れッ!」
そう叫びながら前進する帰蝶の周りを、小姓衆、馬廻り衆が徐々に集まり始めた
「殿ッ!」
利治から伝令を受けた秀隆が、馬で駆けて来るのを確認する
「河尻ッ!子細は新五から聞いたかッ!」
「はいッ!羽島方面、これより道を拓きますッ!赤母衣に河川封鎖をさせますので、殿もお早く!」
「承知したッ!」
「殿・・・?」
秀隆が帰蝶をそう呼ぶのを、利家はキョトンとした顔で見る
「説明は後だ。先ずは目の前の敵兵を殲滅するッ!」
「了解ッ!」
利家は帰蝶の背後を守るため、咄嗟に背中合わせに並んだ
「行くぞッ!」
「応よッ!」

「困ったな・・・」
周囲をぐるりと斎藤に囲まれ、恒興は引くも戻るもできずに困惑していた
下手に動けば一斉に襲い掛かって来るだろうと、簡単に読めるこの状況をどう打開すれば良いのかと思案する
その恒興の許に、佐治が駆け付けた
「池田様!」
「佐治、どうかしたか」
「提案がございます」
「うん、聞こう」
佐治のこれまでの働きを見ていれば、下らない戯言など口にできるほど器用な男ではないことぐらいわかっている
恒興自身は少し暢気な部分もあるが、佐治の『提案』とやらを聞こうと馬から降りた
「で、何だ?」
「はい。ふと想ったのですが、殿の話によれば私達が落すはずだった墨俣砦は、長井によって築かれたとのことですが、その長井が大垣に移ってからは廃棄されていたはず」
「ああ、だから殿は墨俣を入手し、大垣城攻撃の拠点として使えと。しかし、その墨俣から斎藤が出て来たのではどうしようもない。間誤付いていたら大垣からまた、長井が出て来るだろうしな」
「廃棄はされても、斎藤が居ると言うことは、ある程度の機能は残っていると言うことですよね」
「そうなるな」
「なら、今日のところは引き上げて、後日改めて墨俣だけを攻撃するというのはどうでしょう」
「それも良いが、今は先ずこの囲みを突破せねば話としては成り立つまい?」
「革手に戻るにしても、こうも囲まれているのなら無事に入れる保証もありません」
「そうだな。あるいは革手も、もう既に落ちているのかも知れん。森殿の工作が間に合わなかったか」
「あるいは、工作に引っ掛かった振りをして、逆に我らがそれにまんまと引っ掛かったということではないでしょうか」
「その可能性の方が否めないな」
「無理はありません。森様が動かれて一ヶ月も経たぬ内に戦を仕掛けられたのですから、これは殿の早計と言うしか」
「そう言える度胸、私にはないがな」
「私もです」
恒興の素直な言葉に、佐治も苦笑いで応える
「そこで、です。私の提案なんですが」
「うん」
「この囲みを突破しても、肝心の、『何処に戻れば良いのか』がわからない状態では、迂闊に清洲を目指しても恐らくは全滅」
「ああ、私もそれを懸念している」
「ですので、清洲ではなく、一宮を目指します」
「一宮?」
「一宮は美濃・羽島、長森と商業流通による協定関係にあります」
「そうなのか」
「尾張では一宮、小牧が物流の中心地なのです。西尾張は一宮、東尾張は小牧と、其々役割を分担してます。その一宮に逃げ込んでしまえば、美濃は我らに手出しすることは叶いません」
「そう断言する根拠は?」
「一宮、小牧は自由商業の町です。その町で戦を起こせば、周辺の豪族が黙っていません。勿論、美濃の豪族、国人衆も同じ。池田様」
「何だ?」
「この世で一番恐ろしい者は、何だと想いますか」
「うーん、顔を真っ赤にした殿、か・・・?」
「まぁ、確かにそれも恐ろしいですが」
佐治は苦笑いしながら続けた
「敵を共有する、『主を持たない国人』ほど、恐ろしい者はございません。斎藤の殿が聡明なお方なら、決して一宮では仕掛けて来ない。それを逆手に取ります」
「よし。私に妙案が浮かばない以上、佐治の提案を飲もう。道筋案内は、頼んでも良いか」
「勿論です、池田様。必ず、生きて一宮に到着させてみせます」
「今日ほどお前が頼もしく想ったことはないぞ、佐治」
人の良い笑顔を振り撒き、恒興は騎乗した
「池田隊、一宮に向け出発ッ!」
「斎藤の兵には目もくれるな!一目散に一宮に入れッ!」
佐治の率いた小部隊が、恒興の本隊の通る道を拓く
まだ戦慣れしていない佐治ではあるが、冷静さは織田軍でも定評がある
多勢に押し込まれても、慌てず態勢を整えたまま突き進んだ
「焦るな!焦れば敵の思う壺だ!落ち着いて行動しろ!」
佐治の檄に、周囲も混乱に落ちることはなかった
斎藤の兵の攻撃を躱しながら、着実に前へ前へと進む
「左翼!池田様を守れッ!」
佐治の指示に、側に居た小部隊が恒興の護衛に回る
その迅速さに恒興は目を見張った
僅かな間に佐治は確実に、正確に、侍としての気質を身に着けている
戦に置いて部隊長の安全と言うのは、何よりも肝心である
部隊長、この場合は恒興がそれに当るが、指令を出す者が居なくなってしまえば、部隊そのものが混乱し、壊滅を受けてしまうものだった
佐治は生きて一宮に入るには、部隊長・恒興の安全確保が何より最優先されるものだと知っている
知って、それを実行している、いや、実行できるその素質に恒興は驚いた
百姓の倅とは到底想えないほどの判断力だからである
こうして池田隊は然したる被害も出さず、先導する佐治の采配もあって無事一宮に入ることができた
佐治の読みどおり、一宮に入った途端、斎藤軍は追って来なくなった
「本当だなぁ・・・」
一宮に掛かる大橋を眺める恒興は、橋を挟んだ向こうで立ち往生している斎藤軍を視界の隅に追い遣りながら、自分よりずっと先を進んでいる佐治の背中を眺めた
「さすがは、織田の姫君に惚れ込まれただけのことはある。佐治はもしかしたら、池田隊の主戦力になるかも知れないな」
そうなると、他の部隊から引き抜きに遭うのも癪である
そうならない前に手を打とうかと考える恒興の許へ、その佐治が駆け付けた
「池田様」
「うん、どうだ」
「はい、これより一宮町の店主会長の許へ挨拶に参ります。こんな大群で町に入っては町民にも迷惑を掛けてしまいますので、先に交通の許可をもらって参ります。しばらく最寄の寺でお休みくださいますか」
「佐治が交渉してくれるのか?」
「一宮と小牧は商業都市として交流がありますので、若干の顔見知りはおられます。その伝手を頼って交渉に応じていただけるよう、取り計らってもらいます」
「そうか、面倒を掛けるが宜しく頼む」
「お安い御用でございます」
恒興にさっと頭を下げると、佐治は颯爽と走り去った
「まだ若いのに、キビキビ動けるもんだなぁ」
と、感心する恒興の頬に、ポツッと一滴の水滴が落ちる
          ん?」
空を見上げて初めて、雨雲が漂っていることに気付く
「雨・・・かな」

斎藤の動きは、雨の混乱に総じて足並みの乱れた今川軍と比べるべくものではなかった
「なんて統率力のある部隊なんだ・・・ッ」
あの桶狭間山から生きて脱出した秀隆の行く手を、すんなりとは通してくれない
「巴九曜。          氏家家か」
よりによって美濃三人衆の一人にぶち当たってしまったことを、秀隆は後悔する
だが、退く気は起きない
「木曽川封鎖を買って出たんだ。有言不実行じゃぁ、殿に首撥ねられちまう」
追い詰められた中で開き直りを見せるかのように、秀隆はにやりと笑いながら握る手綱の手を強めた
「左方、そのまま突き進め!怯むな!波状攻撃で押し返すんだッ!」
波のように押し寄せる斎藤の兵士の群れを、秀隆が先頭となって切り崩す
土壇場に強い黒母衣衆の底意地を見せた
精鋭揃いの部隊は、其々が単独で動けるほどの機動力を誇る
秀隆以外の黒母衣衆らも、自分の判断で行動し的確な指示を周囲に出した
「一斑!三班の補佐に入れッ!」
「右、詰まり過ぎてる!少し間隔を空けないと、また火矢を撃ち込まれるぞッ!」
母衣衆は戦のための集団ではあっても、戦をする集団ではなかった
信長が生きていた頃は、戦場での情報伝達や伝令以外の仕事はしていない
帰蝶が信長を襲名してから、母衣衆だろうと嫌でも槍働きをせねばならなくなった
それが良いことなのか悪いことなのか、秀隆にはわからない
だが元々は、抜きん出た戦武功を挙げる者を集めたのが『母衣衆』であり、『黒』は更にその精鋭だけを集めた集団である
戦をしろと言われて、できないこともない
今はただ、帰蝶を生きて羽島に入れること、それだけを考えた
帰蝶の本隊が背中に迫る
『母衣衆だから、戦をする必要は無い』と言える状況ではなかった

先陣を切った筈の弥三郎が、この乱戦で急遽自分の補佐に入ってくれている成政の側まで馬を走らせた
「佐々殿!」
「土田殿」
「本陣が総崩れだ。新五様も殿の援軍に入られた!」
「やはり・・・」
後方の騒乱は前線のここまで届いている
「これ以上無理をして斎藤と遊んでいることはない。活路を開く、その助っ人を願いたい」
「承知した!」
念入りな打ち合わせなど必要もなく、弥三郎と成政は左右に分かれた
「俺は最前線に居る権さん、三左さんの部隊救援に向かう!」
「では私は、退路を確保します!」
「宜しく頼む!」
「はっ!」
精鋭中の精鋭、黒母衣衆の更にその筆頭、秀隆の許で別動部隊を率いていただけのことはあるのか、成政の統率力も最前線向きだった
「邪魔をする者は味方だろうと跳ね飛ばせッ!道を拓く!全軍、続けッ!」
普段、上品な顔立ちをしている成政が戦場に立つと、軍神のような働きを見せる
自ら先頭に立ち斎藤の兵士達を馬で跳ね飛ばしながら、槍を突き刺す
後に続く部下達も、成政に倣えとばかりに槍や刀を振った
それがまるで、未開の地の草原を薙ぎ払い、正しく『道を造って』いるかのような光景だった
成政の部隊が通った場所に、真白な道ができる
空から眺めればそれはきっと、壮絶だっただろう

「殿ぉーッ!」
帰蝶の直属部隊を率いるのは、父の小姓出身で、言うなれば可成よりも馴染みの深い猪子兵助
その兵助が、逸れた帰蝶を漸く見付け駆け付けた
「無茶をなさいますなッ!」
顔を見るなり、叱咤する
「それこそ無茶を言うな!こんな状況で、のんびりしていられるか!」
退路を断たれ、進軍もできぬのでは、帰蝶の言うことにも一理ある
利家と二人きり刀を揮っている帰蝶を守るように、兵助の部隊が取り囲んだ
「黒母衣衆が羽島への道筋を開きました!早く離脱を!」
「わかった・・・」
そうするよう、秀隆に命じた
それが実践されただけのこと
なのに
兵助の言葉を聞いた途端、帰蝶の肩から力が抜けた
「奥方様!」
一瞬、ぼんやりとしてしまった帰蝶の腕を、利家が掴む
          わかってる」
                
だけど、ならばどうしてそんな、泣きたいような顔をするのか
利家はそう、聞きたくなった
「殿ッ!」
催促する兵助の声に、利家は帰蝶の腕を掴んだまま引っ張り、駆け出した
退路は秀隆の率いる黒母衣衆が
それに紛れて、利治も退路を確保していた
弥三郎の部隊から逸れたことは、大目に見るべきだろう
                
利家に腕を引かれるまま、帰蝶は背中に広がる光景に振り返った
兵助の指揮する帰蝶本部隊が、斎藤の兵士を押し留めている
その向こう側
懐かしい顔
懐かしい場所
大事な物が詰まっている、その山
その場所
大切な場所から離れてしまう
邂逅に心踊り、だが空しさと悲しみが入り乱れ、今の気持ちをどう表現すれば良いのかわからない
嬉しさと、憎しみと、絶望
そんな躁鬱感に、帰蝶の心は乱れた
それは、尾張に嫁いだ時と同じ気持ちだった

命懸けで氏家直元の部隊を切り拓き、退路を確保する黒母衣衆の中央を、兵助、利家に守られた帰蝶が走る
その姿を確認した利治は松風から飛び降りた
騎手の消えた松風は、真っ直ぐ主の許へ駆ける
誰が敵で、誰が味方かわからぬほどの混雑振りは、遠く離れた斎藤本陣から良い眺めになった
義龍はにこにことしているが、側に居る夕庵まで嬉しいわけではない
確実に、着実に退路を確保し、できた『道』を抜ける一団の姿を目に捉える
あれが信長本隊、総大将が居る処だろうか
なのに斎藤の兵士が追い着いていない
むざむざと取り逃がす結果になったことに、夕庵は腹立たしい想いを抱えた
伝令に革手に駐屯する兵士に追い込みを掛けるよう命じたが、その革手に引き戻るのではなく別の場所へ向かおうとしているのは目に見えて明らかであると言うのに、それに対する打つ手が見付からない
無理に追い駆ければこちらにも損害が出る
万が一にも部隊長の首が落とされれば、逃げの一手に転じた織田軍の士気を高め、盛り返すきっかけを与えてしまう
撤退する敵軍を追い駆けるにも、相応の覚悟が必要であることは戦での定石である
だからこそ、大方の戦では撤退する者を追い駆けることをせず、黙って見逃すのが常識なのだ
夕庵とてその『常識』を逸脱した行為など、好みようがなかった
撤退し始める織田軍を、ただ黙って見送る
その夕庵の背後で『ガタン』と派手な音と、同時に「お屋形様ッ!」と叫ぶ声が聞こえ、驚いて振り向いた
          お屋形様!」
義龍が床几から落ちて蹲っている
「お屋形様ッ!」
小姓衆が塊となって義龍の周りに集まり、大きなその躰を起そうとした
「大事ない・・・。少し疲れただけだ」
そう頼りなく笑うも、顔色がみるみる青くなって行く
「ご無理なさらず。後始末は、わたくしが。お屋形様は城に戻り、お体を労わってくださいませ」
「すまん、夕庵」
「いいえ」
夕庵は内心焦るのを取り繕って平静を装い、ゆっくりと禿(かぶろ)を振った
帰蝶が夫を伴って美濃に帰るまで、義龍にはこの地を守っていてもらわねばならないのだから・・・
義龍には国主たる器があるだろう
だが、いつまでも『土岐の血を引かぬ者』を国主に据え置いておけるほど、美濃の国人らは大人しくはない
義龍が実は土岐頼芸の子であると言うのは、道三が苦し紛れで口にした虚言だとしても、今は信じてくれている国人衆も居る
しかし、時が経てばそれが真実ではないことくらい、何れの口には昇るだろう
義龍の生母・一色深吉野が道三にもらわれて、義龍が生まれるまで丁度、十月(とつき)
道三が頼芸と兄の頼武を争わせている最中であり、頼芸の後ろ盾で斎藤の名を継いだのもほぼ同時であったためか、道三は深吉野をもらったことを直ぐには公表しなかった
それが『義龍、頼芸落胤の虚実』を生む原因となっているのを、夕庵は知っていた
自分が知っているのだから、他にも知る者が居て然るべきだろう
それに引き換え、帰蝶は
帰蝶の母は名門・明智の姫君
れっきとした土岐一門の出身である
その夫である信長が美濃の国主に収まれば、長きに渡る美濃の混乱も正常化する
この戦乱の時代を生き抜けぬほど、美濃は疲弊していた
民は絶対的な君主を欲している
それが見て取れるほど、美濃の国人衆らは斎藤から離脱したがっていた
帰蝶ならば、それが可能だと想った
離れてゆく美濃の民を、再び呼び戻すことが・・・と
織田の一軍が視界から消えた
どことなく淋しい想いをした
それが何なのか、この時の夕庵にはわからなかった

「走れ!走れッ!」
追い縋る斎藤軍を押し返し、黒母衣衆は必死になって帰蝶を守りながら前進した
帰蝶が討ち取られてしまえばこの戦、織田の負けである
それだけは絶対に避けて通らねばならない道であり、あってはならないことだった
漸く、一つの目標に向って纏まり掛けた織田の家臣が、また、ばらばらになってしまう
信長と信勝が争っていたあの、右とも左とも取れぬ混沌とした時代がやって来る
民は惑い、国内は不安定になり、尾張は再び周辺大名から狙われる、ただの『獲物』となってしまう
長い年月を掛けて、やっと、やっと光明が見えたこの時に、帰蝶を失いたくはなかった
「命懸けで殿を守れッ!絶対に守れッ!」
背中に感じる斎藤の兵士らの殺気をまともに受けながら、秀隆は殿(しんがり)で力の限り叫んだ
「天運は、我らの味方ぞッ!」
ただ、そう想い付いただけなのかも知れない、何気ないその一言
味方の背中が邪魔で、先が見えない
帰蝶を守る兵助の部隊が羽島に入る
そこから一宮を目指した時、前方に織田の軍旗が見えた
          え?」
兵助はキョトンとしてその軍旗を見上げる
その兵助に、聞き馴れた声が届いた
「猪子様ッ!」
軍旗の裾から佐治が駆け寄る
「佐治?どうした、こんなところで」
「説明は後で!今は羽島を抜けてください!一宮にて、池田隊が待機しております!」
「池田隊が?!」
大垣方面に向っていた恒興の部隊がここに居ると言うことは、やはり向うでも斎藤が待ち伏せていたのだろうかと感じた
「迎撃準備は万端、気鬱なく済ませておりますゆえどうか、殿を一刻も早く一宮へ!」
          承知した!」
恒興の部隊を追い駆けていた斎藤軍は、木曽大橋の手前で踏み止まった
だが、今自分達を追い駆けているのは、美濃三人衆の一人、氏家の部隊である
簡単に引き下がってくれる相手だとは到底想えない
「まさか本隊まで羽島に入るとは考えておりませんでしたが、殿がここを通られて良かった」
「どうしてだ?」
「墨俣から斎藤軍が現れ、私達は追われるようにここに入りました。ですが、まだ追っ手が現れるのではないかと念のため、池田様から兵力をお借りして追い払ったばかりなのです」
「だから、すんなり羽島に入れたのか」
兵助は佐治の采配に感心すると共に、念を押してくれていたことにも感謝する
織田本隊が羽島を抜け、一宮に近付いても、氏家隊は追い駆けるのを諦めようとはしない
相当の手練(てだれ)なのは明らかだ
美濃の国人衆でも特に別格に位置する『三人衆』の一つなのだから、振り切るのも簡単ではないし、何より兵助はその三人衆の属する『斎藤』の元家臣
それ以上に道三の小姓でもあり、三人衆と戦ったこともあるのだから、彼らの恐ろしさ、力強さは織田の中の誰よりも良く知っている
生きて帰れるだろうか
ふと、そう不安が過った
今川を相手に戦うよりも、今が一番恐ろしいと感じた
相手の力量を知らずに戦うよりも、知る相手と戦うことの方が余程難しい
道三の小姓だった経験を持つ兵助にとっては、離れた場所におり、『盆暗』と渾名された義龍を良く知らなかったと言うのが致命的であり、それを覆す『長良川合戦』を経験した今では、義龍を悪く評価することはできないが

帰蝶が戦に出る時は、いつも決まって、『守り』のように風が吹き、雨が降る
「急げッ!」
氏家の部隊が息の掛かる所まで追い迫った
秀隆は前を急がせるように、味方諸共追い込むように槍を振り上げた
黒母衣衆が捕まれば、帰蝶を守れなくなってしまう
帰蝶の本隊は退路確保のため先を急いでいる
進めても、追い着かれてしまえばお仕舞いだった
ここで踏ん張って、斎藤軍を食い止めなくてはならない
帰蝶は、夫の遺した夢を守るため、女の身でありながら刀を取った
ならば自分は、その帰蝶を守るために槍を握る
そんな簡単なことが、今は途轍もなく困難で、苦難だった
氏家部隊の先頭の兵士が振る槍の刃先が、いくつもいくつも秀隆に向かって突き立てられる
槍の名手である秀隆ですら、それの全てを薙ぎ払うことは不可能
そんな光景が広がった矢先、突然空からの洪水が起きた
まるで桶を引っ繰り返したように轟々と雨が降り頻る
その雨足は激しく、水の幕が斎藤軍の行く手を遮った
「何だ・・・ッ?!」
目の前が何も見えない
敵も、味方の影すら
「殿ッ!」
直元の許に部下が駆け寄る
「前方が全く見えません!これ以上の進軍は危険、どうかご決断をッ!」
雨は幕を作り、霧を生んだ
無理をして進軍すれば、万が一織田に罠の用意でもあれば一溜まりもない
          クソッ!どこまで運の良い男だ、織田上総介と言うのは・・・ッ!」
もう少しと言うところまで追い詰めておきながら、直元は先に進めぬ悔しさに口唇を噛んだ
この豪雨により、斎藤軍は織田軍を追うことができなくなってしまった

帰蝶も突然の雨に全身が濡れそぼる
頭から水を被り、その雨は帰蝶の体温を容赦なく奪った
側に漸く、松風が駆け寄る
          松風・・・」
帰蝶が手を伸ばすのを、守っていた利家が離れる
場所が開き、松風が入り込んだ
                
帰蝶は黙って松風の手綱を掴み、走り続けた疲労にふら付きながら騎乗する
その姿を利家はずっと見守った
          私の、負けか・・・」
独り言のように小さく呟く帰蝶に、利家ははっきりと応えた
「はい。奥方様の負けです」
「そうか・・・」
「完敗、です」
歯に衣着せぬ利家に、帰蝶は泣きそうな顔を歪ませ、苦笑いした
「我が兄は、遠き山にござき」
「奥方様・・・・・」
それ以上を言葉にすれば、涙が出て来そうな気がして、帰蝶は俯いて黙って耐えた

夫の仇を討つことができなかった
兄に刃を向けることもできなかった
稲葉山の山の木の枝に触れることすら、できなかった
その手前で追い返された自分は、無力だと想った
また一つ、罪を背負ったような気になった・・・

美濃攻めに出た帰蝶達が戻って来たと知らされ、なつは小袖の裾を捲って本丸に駆け出した
息子の恒興から敗退したと伝わり、帰蝶のその身、いや、その心を心配した
「殿ッ!」
兵士が戻って来たばかりの大手門は、いつも混雑する
帰蝶が本隊なのだから、先に到着しているだろうが、それでもなつは大手門を駆け抜けた
その姿に、周囲の人間は肝を潰されんばかりに驚く
「おなつ様!」
なつを見掛けた佐治が、大きく手を振って呼んだ
「佐治!殿はッ?!」
「本丸玄関に向われました。大丈夫です、無傷ですよ」
                
自分が一番知りたかったことを先に教えてくれ、なつはへたるように佐治の腕に捕まった
「おなつ様!」
「と・・・、殿のお着替えのご用意を・・・」
自分にそう言い聞かせるように、なつは佐治の腕を放して再び小袖の裾を掴み、駆け出す
そんななつの背中を苦笑いしながら見詰める佐治は、次に自分がするべきことを見付け、部隊長である恒興を探した

水浸しの躰が重い
夫の残した鎧が、尚重く感じた
髪から垂れる雫が顔に掛かり、前髪が纏わり付く
それを払う余力もなく、帰蝶は一人、本丸の私室に入った
いつもなら守り鉄砲として持って行く信長の種子島式を、今回は持って行かなかった
直ぐに終わると
早く片が付くと高を括った結果が、この有様である
力なくしゃがみ込み、腰の兼定を抜き、畳の上に放り投げる
かしゃんと金の良い音がして、だがそれが耳に心地良いわけでもなく、項垂れた
畳にぽたり、ぽたりと雫が落ちる
          利三が、自分を見ても驚かなかった
いや、寧ろ知っていたような素振りさえ見せた
          どうして、お清は私を知っていた・・・」
やはり、夫を撃ち殺したのは利三だったのか
夫が死んだことを知っていて、自分がその身代わりになっているのも知っているのか
・・・なら、どうして斎藤はそれを餌に織田を脅そうとしない
清廉な兄の性格からして、それを善しとは想っていないだけなのか
いや
本当は誰も、夫の死を知らないのではないのか
だが、利三は知っていた
自分が戦場に立っていることを
夫の死は知らなくとも、自分が戦に出ていることは知っている、とするなら・・・
          もしや・・・」
昨年、上洛する斎藤を待ち伏せて鈴鹿峠を越えた時、自分を狙撃したのも『お清』であるならば、今日、あの場所に自分が居たことに驚かなかったことも頷ける
                
帰蝶は黙って、天冠を外した
その途端、天冠で留めていた髪がどさりと崩れ落ち、畳の上を濡らした
膝の先の水溜りを黙って見詰める
それはまるで、夫の流した血に見えた
ここで息絶えた夫の、流した血に見えた
                 ッ」
愛する夫を殺した『お清』への復讐も遂げられず、おめおめと帰って来た自分に腹が立った
また、自分を傷付けてしまいそうになる、その瞬間
「いけません、若様!」
菊子の声と
「かかさぁー!」
帰命の声が重なった
          帰命・・・」
「かかさ」
自分の小さな手で襖を開け、母に弾ける笑顔を見せる帰命の姿が、襖の向こう、廊下から見えた
「かっかさっ」
「帰命」
三つになった帰命は、年相応の、いや、それ以上の言葉を覚えた
なのに、自分を呼ぶ名前だけは変わらず『かかさ』であった
まるで愛称のように
「かかさ」
帰命は母を見付け、笑顔で駆け寄り縋り付く
「駄目、帰命。濡れてしまう」
それでも構わず、帰命は母の腕に抱き付いた
「帰命・・・」
「若様、殿はお疲れなのです。着替えもまだですから、後でまた参りましょう」
そう自分を呼ぶ菊子に、帰命は返事もせず、振り向きもせず、ずっと母の腕にしがみ付いている
「帰命・・・」
「かかさ、雨降った?」
「ええ、雨。大降りの雨。でも、それで助かったの」
「良かった、良かった。きっと、ととさが守ってくれたん」
                
帰命の言葉に、そうなのか、と、さっきまでささくれていた心が少しだけ和んだ
「ととさ、かかさの味方。帰命も、かかさの味方。味方、二つ。強い、強い」
「そう・・・ね」
倅の言葉に、冷えて強張っていた帰蝶の頬が緩んだ
「お前と、ととさ。かかさには強い味方が二つもある」
帰蝶は帰命を抱き寄せ、ぎゅっと腕の中に仕舞い込む
「もう、負けない。誰にも、負けない。帰命、かかさはもう、負けない。強くなる」
「うん」
                
二人の会話を、なつは襖の陰から聞いていた
帰蝶が強くなるのは良いことだろう
だけど、それが帰蝶の幸せになるのか、どうか、なつには答えが出せなかった
女であることを忘れ、男のように生きようとしている帰蝶を、哀れだとか不憫だとか、もう、そんな簡単な言葉で片付けられる問題ではなくなっていることに気付いたから
彼女は、『斎藤帰蝶であった』ことすら、捨てようとしている
そう、想えたから         

          え?調略?」
佐治に捕まり、話を聞かされた恒興は目を見開いた
「事が上手く運んだ幸運もありましょうが、羽島に入った時、違和感がありました」
「違和感?どんなのだ?」
「墨俣の動きは活発でした。なのに、大垣の動きは然程ではなかった。もしも大垣からも斎藤が出ていれば、私達は無事清洲に戻ることなどできなかった。何故だろうと考えておりましたが、よもやな話も浮かびました。それは」
「なんだ?言ってみろ、佐治」
恒興は身を乗り出して食い下がった
「一宮で聞いたのですが、大垣の長井と周辺の国人衆が共和できていないとのこと」
「大垣と、美濃の国人衆か?」
美濃の国人衆が斎藤に対し良い感情を持っていないのは、知っている
それは帰蝶の父・道三時代からの負の遺産だとしても、その息子である義龍ですら纏め切れていないと言う事実を白日の下に晒し出しているような話だ
敵である恒興が、興味を持たない筈がない
「美濃の国人衆は元々からして気骨の強い集団。その集団を取り纏めていられたのも、偏に土岐家に数多くの英雄が輩出していたことに由縁します。ですが、現在に至ってはその土岐家に英雄の影は薄い。池田様、人が惹かれる強い者を英雄と呼ぶのであれば、殿はその資質があると想われます。殿の資質を美濃の民が知れば、美濃は一気に織田に傾きます。今がその機会なのです。この好機を逃しては、織田は美濃を落せない」
「どうすれば良い」
佐治の話がどんどんと膨らんで行くのを、恒興は身を震わせる想いで聞いた
「美濃の、斎藤に属さない国人衆を、織田に転ばせます」
「できるのか?」
「やってみせます」
                
恒興の、丸い目が益々丸くなった
織田一番の美男子とも称される弥三郎の、その従兄弟に当るのだから、佐治も相応の美男子ではある
美男子ゆえに優しい、軟弱そうに見える佐治が大きく立派に見えた
「佐治・・・・・・・・・」
「池田様に、お願いがございます」
「なんだ、何でも言ってみろ。お前の力になれるのなら、いかな助力も惜しまん」
「ありがとうございます」
佐治は披瀝を持って恒興に詳細を話した
恒興は食い入るように佐治を見詰め、一つ一つ頷いた

帰蝶が第一次美濃攻めに失敗し、逃げ帰ったその数日後
隣の国、近江でも一人の英雄の産声が上がった
「若、準備滞りなく済ましてございます」
稲葉山城のほぼ真っ直ぐ西にある、湖北・小谷山
「わかった」
その山頂近くに建てられた小谷城の、できれば最上階の天主に登りたいが、縁起が悪いと言うことでその階下の座敷から麓を眺めていたその少年は、傅役の赤尾美作守清綱に振り返り、年相応の清々しい笑顔を見せた
「これで民は、父上を許してくれるだろうか。          浅井を再び受け入れてくれるだろうか」
「全ては、殿の出す結果次第」
髭面の強面な顔を包み隠さず、清綱は少年に言い放った
「善きにしろ悪しきにしろ、若の得られた答えが全てでございます。じいが、若に着いてゆくと決めた覚悟、どうか無碍になさいますな」
「わかった。じいの折檻は、昔から厳しいからな。この年になって、また尻を引っ叩かれるのも気鬱だ。がんばろう」
十五になったばかりのその少年、浅井新九郎賢政は腰を上げ、ぴしんと伸ばした背筋のまま天主を出た

年の割りに大きな体躯
将来明るい眼差し
少年が『湖北の虎』と称されるのも、そう遠くない八月
帰蝶が初めて敗北した夏が、過ぎようとしていた
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◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』

おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑

祝:お濃さま出演 But模擬専…     (戦国無双3)


おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

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お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
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濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます

清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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