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「さちー、さちー」
昼餉が済み、庭に出た市はさちの姿を探した
さちも住み込みで働いているため、食事はいつも台所で食べている
終われば局処に戻り、小間使いに走っているのだが、そのさちの姿を見ていなかった
相変わらずの雲に、今日も子供達は屋敷の中で遊んでいる
そんな中を市一人が表に出ていた
「さちー、さちー」
まるで迷子になった幼子のように、市はさちを探して本丸の中腹にまで辿り着く
「さちー」
市の声に気付き、佐治が駆け寄って来た
「お市様、如何なさいました?本丸まで起こしになられて」
「さちが居ないの」
「さちですか?さちならさっきまで台所の用事を手伝ってましたけど、それも終わって局処に戻りましたよ?入れ違いましたか?」
「市、庭からここに来たから・・・」
「そうでしたか、それでは廊下を渡ったさちと逢えなかったのは無理もありませんね」
あからさまにがっかりした顔の市に、佐治は気を遣う
「そうだ。私も仕事がひと段落して、そろそろ休憩が取れる頃合なんです。私でよろしければ、さちの代わりを致しますが?蹴鞠でもなさいますか?それとも高鬼?かくれんぼが良いですか?」
「嫌」
「え?」
市の返事に、佐治はキョトンとする
「佐治はいつも態と負けるもの。面白くない」
          すみません・・・」
佐治は苦笑いして、頭を掻いた

「佐治も、戦に出るの?」
仕方なく市は局処に戻り、帰蝶の部屋の先にある縁側で並び、他愛もない雑談に暇を潰した
「はい。漸く出れるようになって、とてもワクワクしています」
「どうして戦に出るのが嬉しいの?人を殺めるのが嬉しいの?」
「いえ、そうではありません。確かに戦ともなれば、いつかは人を殺すことになるでしょう。ですが今の私には、そんな働きなどできようがありません。私が見たいのは、この世の動き、理です」
佐治は苦笑いして応えた
「理・・・?」
「人はどうして生きているのか、どうして死ぬのか、それを見極めたいのです」
「見極めて、どうするの?」
「世の中の何が間違っているのか、私にはそれがわかりません。わからないことを、理解したいと想ってるのです。それには、人の本能が顕著に現れる『生き死に』に直面するのが、最も私の欲しがっている答えに近付くのでなないかと想って」
「戦に出ることが、佐治の疑問に応えることになるの?」
「それは、まだ私にもわかりません。ただ、男だからそう感じるのかも知れません。例えば女であるお市様は、何れお子をお生みになられるでしょう。その中に、この世の理や慈愛、無常を感じ取る機会があるかも知れません。私は男ですので、命が生まれる瞬間を見る機会には恵まれても、それを実感することはできません。だから、それに近付くにはと自分なりに考えたのが、戦に出て人の心理を読むことではないかと」
「読んで、どうするの?間違った世の中を正すの?」
「できるかどうかは、私にもわかりませんけど、だけど、何もできないと手を拱くよりも、自分にできることを精一杯やってみて、その中に答えが見付からなければまた、別の方法を考えれば良いかなと、気楽なことは考えております」
「世の中を正して、佐治はどうしたいの?」
難しいことを、この姫君は次から次へと聞いて来るなと、その手応えに佐治は唸りながら返す
「無力さに泣くしかない人間を、少しでも減らしたいと考えております」
「どうして?」
                
まるで根掘り葉掘りだ、と、内心苦笑いする
だけど、自分の想いをこんなにも真剣に聞いてくれるのは、帰蝶以外誰も居なかった
嬉しくて、佐治もすらすらと言葉が出る
「人が泣く姿を、見たくないからです」
「どうして?」
「無力は罪だと想うからです」
「無力は、罪・・・・・・・」
「私の父は、戦で死にました」
「え・・・?」
市の円らな瞳が余計丸くなる
「私がまだ幼い頃の話です」
「佐治の、父上様、も・・・?」
「はい。犬山で起きた戦に巻き込まれ、命を落としました。それからは母が一人で畑を守って来たのですが、その母にも楽をさせてやりたいと想ってます。以前、奥方様が殿と共に那古野で過ごされていた頃、何度かお城にお邪魔することがあったんですが、その時に接したお侍様方のお姿に憧れた、と言うのが、本音でしょうか。ですがここで働かせていただけるようになってからは、そう言った甘い物ではなく、奥方様でさえ戦っておられるのに、男の私が何もしないままで居て良いのか、とも想い始めております。私はまだ何もできない無力な状態です。だから、今の自分から脱皮したい。ほんの僅かなものでも良い、ちっぽけでも良い、誰かのお役に立ちたいと考えております」
ゆっくりと、長く長く語る佐治の言葉を、市は真剣な顔付きで聞き入っていた
「武家に生まれたから、武士になるんだと想ってた。そう言うもんなんだって。兄様達が、そうだったから。新五様も、みんな」
「お市様」
「佐治が強くなったら、市のことも守ってくれる?」
それは、無邪気な問い掛けだった
何を想うでもなく、ただ素直にそう訊いただけのことだろう
佐治は破顔して応えた
「はい!喜んで」
                
真っ直ぐな佐治の返事に、市も微笑めた
自分でも不思議だった
『さち』じゃなくても、自分は微笑めるんだと自覚できたから

台所の片付けを手伝い、それから局処に戻って帰命の床の用意をし、菊子が運ぶ眠った帰命の上にそっと肌掛け布団を被せる
毎日のことなので、すっかり手馴れた
「他に何かご用はありませんか?」
さちはそう、菊子に聞く
「そうね。台所は済んだのでしょう?」
「はい」
「棚卸はまだ先のことだし、うちでは急ぐ用事もないし、今は本丸も男の人達だけがバタバタしてて、うっかり手出しもできないしね。そうだ、おなつ様に何か仕事はないか、聞いてみたら?伊予様の婚礼の準備だって、まだ完璧ってわけじゃないし、何か残ってるかも」
「はいっ、わかりました。伺って参ります」
さちはぺこりと頭を下げ、菊子から離れた
夫の妹なので、菊子にとっては義理の妹である
血の繋がりはないが、働き者のさちを嫌う理由もなく、可愛くて仕方がない
「さちも、良家にお嫁にいけると良いのだけど」
金持ちだけを良家とは言わない
嫁を大事にする家も、良家と呼ぶ
その点では、菊子の嫁いだ土田も良家であった
お能も嫁姑問題に悩まされたことがない
寧ろ平三郎、弥三郎の母・やえは賢母であり良妻であり、しかも賢婦でもあるため、息子達より自分達嫁を大事にしてくれた
この時代でも珍しい人格者だ
そんな土田家にも心配事の一つや二つはある
父・平左衛門のことだった
そろそろ隠居をしてもおかしくない年齢に達している
加えて後継者もなく、手伝いをしていた佐治も清洲に移り、今、一人で馬の商いをしていた
高齢に達してしまっては、今のように各地を回ることもできなくなるし、野生の馬を捕まえることも困難になる
そうなると、夫が面倒を見たいと言ってはいても、長男である自分が見るのが道理だと、平三郎も言い出して聞かない
親の取り合いで兄弟喧嘩も見苦しいと、今は双方で少しばかりの仕送りをして、それで生活をしてもらうよう説得をしている最中だが、頑固者の平左衛門は今もまだ自分で働いて稼いでいたいと言っている
どちらの想いもわかるだけに、菊子は口出しできず、また、お能は産休に入って久しく、屋敷に出向かない限り逢えない
だが、菊子も局処で肩書きを持ち、おまけに本丸勤めであるので、そうそう城を出るわけにもいかなかった
中々想い通りにはいかないものである
そんな物思いに更けている菊子の耳に、市だろうか、さちを探す呼び声が聞こえた
さちならおなつ様のところへ、と声を掛けようと縁側に出たが、市は既に立ち去った後で背中すら見付けられなかった

「伊予様の仕度も、後は箪笥屋から商品が届くのを待つだけで、準備はすっかり整いましたよ」
仕事はないかと尋ねに行けば、なつはすることがないと応えるばかり
「台所は?」
「もう済みました。向うでもやることがなくて、後は夕餉の支度だけになってしまったので、局処に戻ったんですが、局処でもすることがなくて」
「だったら休憩していれば良いでしょう?さちは本当に、貧乏性ねぇ」
「すみません、一日中働いていないと気が済まない家だったもので・・・」
さちは愛らしい頬を赤く染めて応えた
「それじゃぁ、召使の居る家に嫁いだら、暇で死んでしまいそうね」
「そんなっ。私は召使が居るような、立派なおうちに嫁げるような身分じゃありません。屋根のある家で充分です」
「おかしな子」
欲のない子だなと、なつはゲラゲラ笑った
「何かお手伝いできることはありませんか?」
「そうね、こちらでも特に用事はないし。          そうだ」
なつはピンと閃いた
「那古野までの街道は、知ってる?」
「はい。一度佐治と一緒に、那古野城の孫三郎様の許まで、お届け物をしたことがあります」
「ここから那古野なら人通りも多いし、さちが一人で歩いても物騒でもないわ。那古野の町に『壱林堂』と言う乾物屋があるの。そこで五平餅を買って、そのまま新五様の長屋に行って頂戴。食後のおやつに焼いてあげてくれる?」
「はい」
「味噌は、まだあるかしら」
「はい、昨日買ったばかりですので、まだ充分残ってます」
「そう。今からならたっぷり暇もあるし、帰りも暗くならないわ。行って来てくれる?」
「はい、わかりました。『壱林堂』ですね」
「看板に若布の絵を書いてあるから、直ぐにわかるわ。わからなくても、誰かに尋ねれば必ず教えてくれます。那古野の民は穏やかな者ばかりだから、大丈夫よ」
「承知しました」
なつは懐から小銭入れを出すと、それをそのままぽんとさちに手渡す
釣りや、中身を誤魔化さないと信用できるからこその行動である
「確かにお預かりしました」
「気を付けてね」
「はい。行って参ります」

「よう、おさち坊、これから新五様のところかい?」
城門に出ると、門番が声を掛けて来る
「気を付けていっといで」
「行って来ます」
明るく手を振り、振り返りながら返事するさちの姿が、少しずつ小さくなって行った
那古野に行くには、清洲の町の東口から伸びている清洲街道を、真っ直ぐ南に行けば辿り着く
信光が清洲まで何度も往復するようになってからは、街道もきっちり整備されており、見回りの数も増えたので治安は良かった
山道がないことが幸いしているのだろうか
躰は小さいが足腰の強いさちでも、半刻ほど歩けば辿り着けた
雨雲が徐々に広がりつつあるので、心配と言えばそれくらいなものか
道空が言うには、雨は降っても夜半過ぎか明け方近くだろうとのこと
だが、預言者ではないのでぴたりと当るわけでもなかった
それでも目安にはなる
急げば雨が振る前には利治の長屋に着くかも知れないと、さちは街道を急いだ

乾物屋のある商店街は那古野城の手前にあるので、城まで行くこともない
商店街から城までの距離も相当なもので、清洲から街道の終わりの三分の一はあるのだから、想うとおりの頃には目的の店も見付かった
この町も綺麗に整備されており、整然と並んだ店先だとどこがなんの店なのか遠くからでもわかる
さちはなつの指定した『壱林堂』を容易く見付け、お目当ての五平餅も無事買えた
それを胸に抱えて来た道を戻り、利治の長屋に向う
この頃毎日になりつつある利治の、夕餉の支度に井戸端に行けば、主婦達が集まって談笑していた
「あら、さっちゃん。今日は遅かったのね」
「はい、出掛けに用事があったので、それを済ませてから来ました」
「毎日ご苦労さんね、偉いわ」
「いいえ。料理してるの、楽しいですから」
自分よりずっと年上の女ばかりでも、さちは上手に相手をしている
水を汲み、部屋に戻って湯を沸かす
それが湧くまでの間、さちは別に持たされた荷物を手に、まつの住む部屋に寄った
「おまつさん、いらっしゃいますか」
「さっちゃん?」
声にまつは戸口を開け、さちの顔を見る
「いらっしゃい」
「今日は奥方様から、これを預かって来ました」
「何?」
「油みたいです」
油と言っても、行灯に使う油ではない
刀を磨く油だった
それは小さな壷に入っており、袖に仕舞えるくらいの物だった
朝、帰蝶から言付かっていたと、まつに手渡す
「磨き油・・・」
手に受け取り、まつは呟いた
「戦が・・・起きるの?」
「はい」
「岩倉と?」
「そうみたいです」
「そう、わかったわ。うちに来たら、渡しておく」
「はい、お願いします」
軽く会釈し、立ち去ろうとするさちに、まつは声を掛けた
「ねぇ、さっちゃん」
「はい」
振り返り、立ち止まる
「うちの人のこと・・・、奥方様、何か言ってた・・・?」
出奔してもう半年近くが経つ
普通だったら解雇されてもおかしくない時期だった
「いえ、別に。ただ」
「ただ?」
「戦が起きる前くらいは、側に着いててあげれば良いのに、って、仰ってました」
「そう・・・」
批難するわけでもなく、利家の帰還を主君も願ってくれているのがわかって、一人身のまつには励ましになる
「局処、おまつさん用にってお部屋、いつでも使えるように掃除してあります。つらくなったら、言って下さい。連れて来るようにと、言われてますから」
「ありがとう、さっちゃん」
さちとまつは年も近く、尚更さちにとって今のまつは気懸かりな存在だった
一日でも早く利家が戻れるか、あるいは局処で預かってもらえれば良いのにと、いつも想っている

部屋に戻る頃には、鍋の湯も良い感じに沸いていた
米の高騰もこの頃漸く収まり、米味噌も以前と変わらぬ値段に戻りつつある
少量生産の豆味噌はまだ利治の知行では買えないので、大量生産の可能な米と大豆を合わせて発酵させた味噌が主だった
人の台所とは言え、それでも利治の財布を預かるさちには嬉しい
干し魚を保管用の桐箱から一切れ取り出し、湯の中に漬け、調味料で味付けして行く
使える物と言えば醤油か味噌くらいなもので、それでも醤油もまだ高級品で、ほんの少ししか垂らせない
後は甘みのある麹味噌を甘味料代わりに使うのが、さち流だった
増してや砂糖など油より高いのだから、他の物で代用するしかない
大根を一緒に炊けば大根の甘さが溶け出し、口当たりも柔らかくなる
一つの鍋で二つの料理ができるから、これこそ一石二鳥だった
それから菜っ葉を湯掻き、鰹節を振り掛ける
湯掻いた汁は擂粉木で潰した味噌を溶かして味噌汁にした
大根の葉を刻んで入れれば出来上がりである
鰹節は元々から塩っ辛いものなので、そのまま塗して食べれば丁度良い
山菜も収穫したてのものが多く、大抵は湯掻くだけで食べれる
余分な物は省き、必要なものだけを使う
そうでなければ、安月給な利治の胃袋は満たせなかった
米だけは必需品であるため、切らすわけにはいかない
足りなかったらなつがこっそり持たせてくれたし、帰蝶もそれを黙認していた
そろそろ切れる頃だろうが、利治の知行では充分な量は買えず、やはりなつが持たせてくれた米に手を付けるしかない
それを汲んで来た水で濯ぎ、釜に掛けて落し蓋を閉じ、炊く
米を最後に炊くのは、炊き上がる頃に利治が帰って来るからだ
おかずは温め直せば食べられるが、米だけは炊きたてが一番美味しい
それを城の勤めで疲れた利治に食べさせて、元気を取り戻させてやりたかった
自分ができるのは、料理で利治を持て成すことだけだったから
落し蓋から米糊の泡がぶくぶくと吹き出し、それを合図に窯に薪を一気にくべる
燃え上がる炎に踊らされ、今頃釜の中では米が大暴れしている頃だろう
後は火が収まるのを待つと、米も自然と炊き上がる
豊かな水源に恵まれ育った美濃の米は甘く柔らかい
逆に大海原の風に吹かれて育った尾張の米はその強さゆえか、硬めで粘り気も少ない
美濃の米で育った利治が満足するのは、水を少し多めにして柔らかくふっくらと炊き上げた独特の口応えで、それを習得するのに半月は掛かった
勿論、尾張生まれの尾張育ちであるさちの炊き方に文句を言ったことは一度もないが、それでも利治好みの炊き方をしてやりたいと想うのが、さちの真心だった
米の特徴を帰蝶から教わり、尾張の米でも美濃の米と変わらぬ味にするのにそれなりの苦労はあったが、苦労話は一切口にしない
やえの躾は武家にも通用するところがあるようだった
聞けばやはりやえは農家の出身で、武家と関わったことは一度もないが、農家は農家でも土豪の出身だと言うのだから、そう言ったところで家そのものが厳しい躾を施していたのだろうか
最も、やえの実家も戦乱の世の習いで、今は影もなく消えてしまっているそうだが
米が炊き上がり、蒸らしていると案の定利治が戻った

「ただいま」
「おかえりなさい」

この日の午後、可成ら先発隊が一宮の浮野に向けて出発した
短期決戦を望む帰蝶の意向で、砦は築かれていない
それでも一応の本陣は組まなくてはならないので、それの土台作りにと腕に自信のある者が集まり、城を出た
帰蝶はまだ城に居る
布陣する予定の山名には、秀隆が先に陣を下ろしていた
近くが小牧山であるので、そこから応援も呼べる
利治は出発する可成、弥三郎、恒興らを見送るわけでもなく、午後からいつものように詰所の廊下を磨いていた
一ヶ月掛けて、ゆっくり、じっくりと磨き上げた廊下は、それまでの薄汚れた色は見事に消え、顔が映るほどピカピカと輝いている
「ふぅ~・・・」
額を腕で拭い、一仕事終えた満足感に利治は、すっきりとした顔で廊下を眺めた

鍛錬でもまぐれ当りだろうがこの頃、慶次郎と互角に打ち合えるようになっていた
何かが吹っ切れたのか
それとも、姉への想いが利治をそうさせたのか
ただ、慶次郎の軽口は相変わらずだった
「う~ん、いまいち」
「ええ?」
慶次郎の棒切れを叩き落したのに、それでも誉めてはもらえない
だが、素直な利治は、慶次郎の言うとおり、自分はまだまだなのだろうなと反省した
体力を想い切り消耗させ、よれよれの躰を引き摺って長屋に帰れば、さちが夕飯を作って待ってくれている
「ただいま」
「おかえりなさい」
さちの笑顔が、疲れた自分を抱き包んでくれるような、そんな安心感に安堵した

さちの夕餉に舌鼓を打ち、帰りはいつものように城まで送る
それは息をするかのように、利治にとってはもう当たり前になっていた
「戦、出るんだね」
「うん」
「弥三郎兄ちゃんも今日、出発しちゃったし。新五さんは、奥方様と?」
「一応は黒母衣衆に属してるからね」
「そっかぁ。じゃぁ、新五さんが活躍するところ、奥方様に直接見てもらえるんだね」
「活躍できたら良いんだけど」
歩きながら体を屈め、苦笑いする
「願うだけじゃどうにもならないよ。新五さんががんばらなきゃなんないんだもん」
「がんばってはいるけどね」
「それで慶次郎さんにからかわれてるようじゃ、まだまだよ」
「えっ?知ってるの?見たのか?」
屈めていた体を真っ直ぐに戻し、さちを見る
「今日、台所に行く途中、ちらっと」
さちは顔を前に向けたまま応えた
「通り掛かったんだったら、声ぐらい掛けてくれたら良いじゃないか」
横顔もまた、可愛らしい
「だって私、仕事の途中だったし、新五さん、真剣な顔してたから、邪魔しちゃ悪いって想って」
小さな鼻先が特徴で、指先で突付くと気持ち良さそうな形をしていた
姉とは違い、口唇は少し腫れぼったい
だけどその分小さくて、触れれば破裂するんじゃないかと想えるほど、柔らかそうだった
今まで意識したこともないさちの存在感に、どうしてなのか、利治はほんの少し、胸を高鳴らせる
それはいよいよ戦が始まると言う武者震いがそうさせるのか、利治にはわからない
さちの居る左側の肩が、妙に温かかった
「どれくらいの規模になるかわからないけど、がんばってね」
「うん」
「生きて帰って来てよ?」
「わかってるよ。こんなことで死んで堪るか。俺は、混乱した美濃から脱出したんだぞ」
                
利治の口調が急に変わったのを、さちは驚いて目を丸くさせ、立ち止まり、利治を見た
急に止まったさちに気付き、利治も足を止め振り返る
「どうした?」
「うん・・・、だって今、新五さん」
「うん?」
「自分のこと、『俺』って言った」
「嘘だ。私はそんな言葉、使わない」
「ほんとに言ったんだもん。自分のこと、俺って。俺は、混乱した美濃から脱出したんだぞ、って」
「ええ?」
さちの言葉に、利治も目を丸くする
「本当にそんなこと、言ったのか?」
聞き返す利治に、さちは黙って頷いた
「なんか、まるで慶次郎みたいだ・・・」
「ふふふっ」
絶望的な顔をする利治が面白くて、さちはクスクス笑った

帰命が巴の部屋で眠っていると聞き、龍之介をなつに着けた帰蝶は一人で向った
東から南に行くには少し距離がある
「奥方様、どちらへ?」
途中途中で侍女が帰蝶を見付け、供をする
巴の部屋に着く頃には、侍女の数も十数人に膨れ上がっていた
その光景に巴は驚く
「か、上総介様・・・。いらっしゃいませ」
帰蝶の後ろの侍女の数に、油断していた巴は急いで捲れていた膝を小袖の中に仕舞う
「巴もうとうとしていたみたいね」
苦笑いして、帰蝶は言った
「申し訳ございません、無様な姿を晒してしまいました・・・」
「帰命の相手は疲れるでしょう。やんちゃ盛りだからみんな、誰でも一人は振り回された経験があるんじゃないの?」
と、部屋に入りながら、後ろに居る侍女達にも含めた声を掛ける
巴も侍女達も、苦笑いを浮かべた
「良く眠っているわね」
すやすや寝入っている帰命の枕元に腰を降ろすと、その寝顔をじっと見詰める
この頃、信長に似て来ていた
口唇の開き方、眉の上がり方、鼻の形はまだ夫には遠く及ばない不恰好なものだが、子供だからこれからどんどん高くなるだろう
          この子のためにも、織田を大きくしなくてはならない
そう、改めて心に誓う
そっと、帰命の頭を撫でる
母の手に気付いたのか、それともそろそろ起きる頃合だったのか、帰命が目を覚ました
さぁ、一暴れ来るぞ、と巴も侍女も身構えた
寝起きの悪い帰命は、いつもぐずりながら起きる
大泣きに泣いて、手当たり次第物を投げ、投げる物がなければあやしてくれる者の髪を引っ張ったり、腹を蹴ったりと散々な暴れぶりであった
ところが、母を相手にしていると、幼いながらでもわかるのか、帰命は少し泣くと帰蝶の膝に縋り付いた
「起きたのね、帰命」
「かか、さぁ~・・・」
『かか様』と、呼びたいのか
子供の舌足らずさでは、はっきり発音できなかった
帰蝶も、誰も、自分を産んだ女性が誰なのか、帰命には伝えていない
周りには大勢の女が居る
だけど帰命は間違えることなく、自分を産んでくれた母は帰蝶だと知っていた
『臍の緒』と言う絆が教えるのか、それとも、自分の体に流れる血が教えるのか、それは誰にもわからない
「かか、さぁ~」
「お部屋に戻りたいの?」
「うん」
母を見上げ、帰命は宝石のような綺麗な瞳を向け、微笑んだ
愛らしい、愛らしい微笑みだった
見る者全てを虜にするような、美しい瞳だった
瞳だけは、母の遺伝を受け継いだようである
「じゃぁ、帰りましょうか」
「あい」
「巴」
「はい」
「少し休んでなさい。帰命の子守、ご苦労様でした」
「はい、ありがとうございます」
膝を折って頭を下げる巴を見届け、帰蝶は帰命を抱き上げると部屋を出た
半分の侍女がその場に残る
「巴様、床を敷きましょうか」
「ありがとう」
「それにしても、さすが奥方様ですね。寝起きの若様があんなに大人しいだなんて」
「そりゃ、奥方様がお母上様なのだから、若様もおわかりになられるんですよ。歯向かったら、おしりペンペンじゃ済まないって」
「あははははは!それは言えてる!」
巴の部屋で女達の笑い声が響いた

「あ、奥方様」
廊下で、龍之介を伴ったなつとかち合う
「若様も」
「なつー」
帰命がなつに向って両手を伸ばした
「これからお戻りになられるんですか?」
なつは帰命に手を伸ばし、帰蝶も黙って帰命をなつに手渡す
何も言わずとも、意思の疎通ができているからこそできるのだ
「なつも一緒にどう?少しの間帰命を見てて欲しいの」
「軍議、ですか?」
「大層なものじゃないけど、三左の部隊から何か連絡はないかと想って」
「承知しました、お供します」
「ありがとう」
帰命を胸に抱き、なつは帰蝶の後ろに着いて歩き出した
この小さな、女の背中に、一体どれくらい大きな荷物が背負わされているのだろう
一年半強が経ち、帰命も重くなっている
若様の重みにも、この小さな背中は耐えるつもりなのだろうかと想うと、なつは自分なりにできることでも良いから、主君・帰蝶の役に立ちたいと願っていた
恐らく、市弥も同じ気持ちなのだろう
だからこそ、伊予の婚儀の仕度に躍起になっていたのだ
そこには、『愛息を殺した憎い女』と言う情念はなかった
帰蝶が信勝を殺して随分になる
毎日顔を合わせていたら嫌でも知るのだろう
帰蝶に備わっている器は、女のものではないということを

          明日、山名に向う」
「明日・・・」
「初陣はもう済ませてるけど、槍を持っての戦は初めてだ」
「そうね・・・」
利治が二年前の稲生の戦いに参加した頃、さちはまだ小牧に居たが、話だけは聞かされていた
城までの道を歩きながら、いつものように会話する
いつもと違うのは、互いの雰囲気に変化が生じたのか、言葉にする声もいつもより小さかった
「明日は、何が食べたい?」
「明日は、戦に行ってるから、帰れるかどうかわからないよ」
「そう・・・だったね・・・」
明日は、新五さんに逢えないかも知れないんだ・・・
そんな淋しさが、さちを襲った
利治も言葉を止める
黙って道を歩き、城が近付く
丁度交代の頃なのか、門前の門番が引継ぎをしていて、こちらの存在に気付いていなかった
「それじゃ・・・」
「うん、ありがとう・・・」
いつもより楽しくない雰囲気の別れだった
「明日、がんばってね」
「うん」
「帰って来てね」
「うん」
「必ずよ?」
「うん」
「武功、上げてね」
「うん」
「ご飯作って、待ってるから」

それは、『友』への言葉だったのか
ずっと一緒に居た者が、戦で突然消えてしまう時代だったから
その名残だったのか
さちにも、利治にも、わからなかった

別れは、誰にも平等に訪れる

「さち」

利治は、さちの細い手首を掴み引き寄せると、強く抱き締めた

          新五さん・・・ッ」
抱き寄せられ、さちは目を丸くして驚く
それでも大人しく、利治の腕に抱かれた
「明日は、大根の甘露煮が、食べたいな・・・」
「・・・・・・・うん、わかった。作っておく」
利治の腕の中で、さちは静かに応えた
背中にある利治の腕が、熱い

一日に掻いた汗の匂いに混じって、味噌の甘い香りがさちの髪から伝わった
ほんのり香ばしく、良い匂いだった
優しい匂いだった
その匂いを嗅ぎながら、腕と胸のさちの温もりに心を癒している利治の肩に、嫌な気配が感じ取られた
                
恐る恐る顔を横に向けると、茂みの中から利家の顔が浮かんだ
「うわぁぁぁぁぁ                 ッ!!」
利治の絶叫に、驚いたさちは体を引き剥がし、離れた
「なっ、何事?!」
「いっ、犬千代殿・・・ッ!」
「いやぁ、邪魔してすんません」
「前田様・・・!」

「犬千代殿も、人が悪いです!居るなら居るで、声くらい掛けてくださいよッ」
「だって俺、人前に出ちゃなんねー身分だから、あんなとこでひょこひょこ出て来れねーでしょ、普通に」
「そうかも知れませんが、こっちの身にもなってくださいよ」
「小っ恥しいとこでも見られた気分ですか?」
「気分も何も、気持ちそのままです」
「そ、それで前田様は?奥方様にご用ですか?」
「ああ、そうだ。新五様の悲鳴で」
「悲鳴なんか上げてません!」
「門番がこっちに気付いちゃったから、今日は城の中に入るの難しそうになっちゃって、全く、誰の責任だか」
「私の所為だとでも言いたいんですか?」
「さっちゃん、奥方様に伝えてくんないか?」
「はい、何でしょう」
さっきまでのふざけた顔付きがどこかに行ったかのように、利家は真面目な表情で言った
「磨き油、ありがとうございます、って。今、おまつが槍、磨いてくれてんだ」
「そうですか」
利家の安らかな微笑みに、さちも笑顔になれた
「貧乏暮らしだってのにあいつ、俺の鎧もちゃんと置いててくれて。食い扶持で売っ払ってくれたって、良いのにさ」
「そんなことしたら、前田様はお侍様じゃなくなってしまいます。おまつさんはそんなこと、できるようなお方じゃありませんよ」
「そうだな」
さちの言葉に、利家は優しい微笑みを浮かべた
「さっちゃん。今まで、ありがとう」
「え?」
「おまつに米やら味噌やら、送り届けてくれてて」
「いいえ、そんなこと。私は新五さんのお部屋に行く序に、お届けしただけです」
「奥方様にも、伝えてくれ」
「はい」
「ありがとうございました、って」
          承知しました」
利家もこの戦に、黙って参戦するつもりだと感じた
赤母衣衆に所属していたらば、部下も連れて一人きりの戦ではなかっただろう
だけど今、利家は出奔中の身
部下も家臣も持っていない状態だ
それでも、戦に出るつもりなんだと知った
一人きりでも戦うつもりなんだとわかった
利家の覚悟に、利治も身を引き締めることができた

「明日」
帰蝶の声を、なつは黙って聞こうとした
                
いよいよ、決戦の時が近付く
表座敷から戻った帰蝶を、なつは部屋で待っていた
言葉が上手く出て来ない帰蝶を庇って、なつは言った
「祝賀会の準備、しておきます」
「頼むわね、なつ」
「はい」

雨が近付く
夫の仇の一人がそこに居る
帰蝶の全身の毛穴が開き、皮膚がぴりぴりと痛んだ
先発した可成らの部隊が岩倉の動きを監視する
一夜で築いた本陣で、弥三郎がその帰りを待つ
雲が黒く染まった
月は隠れ、松明の明かりだけが目印となる
「天幕、貼ってた方が良いでしょうかね」
恒興が弥三郎に聞いた
「そうだな、その方が無難か。勝三郎さんがこっちに着いてくれて、良かった。俺じゃ天幕なんて気の利いたもん、使うことも想い付かない」
「ははははは。弥三郎さんは、現場主義だから」
「そう言えば、千郷様、どう?」
「ええ」
ちょっと頬を赤らめて、恒興はそっと応えた
「先日、漸く月の物が来ました」
「そうか、それじゃぁ跡継ぎももう直ぐってわけだ」
弥三郎は自分のことのように、喜んだ
「おめでとう。勝三郎さんも、いよいよ父親になるのか」
「あはははは、それはまだ先の話ですよ」
「照れるな、照れるな。こんな時代だ、一人でも多く子を作っておかないと」
「弥三郎さんのとこは」
「俺?俺んとこは、瑞希が         
苦笑いするしかなかった
瑞希が生まれた後、二人の間には第二子の兆しはなかった
このまま年を取って死ぬか、戦で死ぬか、どちらかしかないのだろうと覚悟もできている
それも良いかと想った
瑞希は娘だ
自分が死んでも、母の菊子を慰められるだけの存在にはなってくれる
男はいつか戦に出て、何れ死ぬ
瑞希が息子でなくて良かったと、この頃想うようになっていた
瑞希も、結婚して随分経ってから生まれている
自分の種が悪いのか、菊子の畑が悪いのかわからないが、それでも瑞希が生まれてくれた奇跡に感謝する
少なくとも、菊子を淋しがらせることはないから

風が静かに草花を薙ぐ
揺れる雑草に人の心は宿らない
どこからともなく潮の香りが混じり、雲を呼ぶ
          夜明けが来た

局処の私室にある、信長の仏壇の前に鎧姿の帰蝶が居た
正座し、信長の位牌と向かい合う
その後ろでは市弥が膝を落とし、帰蝶に天冠を被せていた
後頭部に当る部分の互い違いの金具をぐっと嵌め込み、カチンと硬い音がするまで捩じ込む
音がするとずれはないか確かめるため、天冠を左右に捻る
「お義母様、大丈夫です」
「はい」
帰蝶の確認の声を聞き、市弥は手を下ろした
「気を付けて。無事、帰って来て」
「はい」
義母の心からの言葉を胸に、帰蝶は立ち上がる
龍之介が手にしていた鉄砲、信長の形見、種子島式鉄砲を受け取り後ろの、腰と尻の間に胴を回して結んだ皮の引っ掛け具に嵌め込んだ
牛の革と鉄の留め具でできた、今までにない道具である
鉄砲の銃身の形に切り込んだ革を其々輪っかになった金具で結び、ばね式の金具が飛び出しを止める
引っ張る力には弱いが、押す力には強いため、多少乱暴な動きをしたところで鉄砲は落ちないよう設計されていた
その止め具に種子島式を差し込むと、ガチン!と鉄と鉄がぶつかり、擦れ合う音がして定めた形に収まった
「では、行って来ます」
「いってらっしゃい」
市弥は帰蝶を部屋から見送り、局処の女達も廊下に並んで帰蝶が通り過ぎるまで頭を下げた

「本隊、出発ッ!」
昔ながらの慣わしである出陣式を、女の帰蝶は軽視する
昆布や鮑を噛んで戦に勝てるのなら、歯がボロボロになるまで噛んでやる
そんなことに使う食材があるのなら、戦に勝った者全員の食事に振舞ってやりたい
戦に勝って祝勝会に出す料理に使いたい
『無駄』を好むのが男なら、『無駄』を好まないのが女である
帰蝶は『女』だった
出陣式を省き、鎧に身を包んで松風に乗り込む
松風の引き綱は佐治が握り、帰蝶は輪になっている方の手綱を掴んでいる
馬廻り衆筆頭の時親の掛け声に、最初に成政が率いる黒母衣衆が門を出た
その中に利治の姿もある
末席なので、順番は一番最後だった
その利治を、物陰からさちが見送る
さちの気配を感じ取った利治は、ほんの少しだけさちを見た
自分を心配しているのか、眉を寄せているさちに利治は軽く微笑んだ
心配するな
必ず帰って来ると、伝えたいかのように
黒母衣衆の後を、馬廻り衆が続く
その後を小姓衆に守られた帰蝶が続いた
「かか、さぁ~!」
帰命の声がする
顔を向ければなつが帰命を抱き、見送りの中に紛れていた
「帰命」
「かっかっさぁ~!」
この行列を、帰命はまだ理解できていないのだろう
他の馬よりも一際高く、よく見える松風に乗る母が、神輿に乗った稚児にでも見えるのか
無邪気な笑顔で自分に手を振る帰命に、帰蝶も微笑みながら手を振った

朝日が昇り、浮野の先発隊が岩倉織田との戦の火蓋を切る
「清洲軍、前進ッ!」
帰蝶の名代である勝家が鬨を上げた
その合図に陣太鼓が鳴り響き、法螺が吹かれ、清洲織田と岩倉織田が激突した
右翼には犬山織田が援軍として着いている
日頃領地争いをしている岩倉が相手では、犬山も闘志が燃やせるのか
清洲軍の予想以上の戦い振りを見せてくれた
犬山の参戦により、兵力は互角を保てた
稲生での絶望的な兵力差に比べたら、多少向こうが多くても『絶望』には程遠い
増してや今回は『鬼武者』勝家が着いているのだから、正に鬼に金棒であろうか
「押せ押せ押せ!」
勝家の野太い声が地面を揺らし、清洲軍を奮い立たせる
この男と互角に戦い、そして勝利した帰蝶が着いているのだ
絶対に勝てる
そんな自信が清洲軍の指揮官らの顔に表れていた
それを見て、配下の歩兵達も鼓舞されるかのように槍を敵に突き刺した
可成、弥三郎の斬り込み部隊が道を広げ、そこを清洲軍の軍勢が押し寄せる
岩倉軍は徐々に後退し始めた

清洲・犬山連合軍と岩倉軍の激突の知らせを受け、義龍も一鉄の部隊を発たせた
前回の失敗を生かし、今回は日頃長良川に停泊している軍船を木曽川に浮かべる
これなら岐阜屋の船も土田家の船も必要ない
到着先の尾張が着岸を拒めば、軍船から攻撃すれば良い
そう考えていた
一鉄とは別の船に、利三の姿があった
この戦が始まる前、産褥に伏せていた椿が他界した
妻の死は嘆くべきことだろう
だが、それでも利三は戦に発った
悲しいことに変わりはない
帰蝶が嫁いだ後、椿とは道三の命令で夫婦になった
夫婦でいた日々は決して短くはない
家庭を顧みない自分を支えてくれていた
帰らない自分の帰りを、健気に待ってくれていた
だけど利三は、妻の死に泣けなかった
泣く理由がなかった
やっと
漸く
『道三の呪縛』から解放されたのだから         

着岸先に定めた丹羽郷の村に降り立つ
今、犬山は浮野に居る
残っている留守居では、斎藤軍を引き止めることも、着岸拒否もできないだろう
それを狙って犬山に近い場所を選んだ
次々と船を降りる兵士の黒い波を見下ろしながら、利三も岸に降り立った
「清洲は今、がら空きの状態だ。勢いに乗り攻め込めば、民も驚いて道を開けるだろう。岩倉織田と同じ轍は踏むまいぞ。全軍、清洲に向け、出発!」
一鉄の号令と共に、居並んだ斎藤軍が村を出発する
その目前
小高い丘が動いた
いや

                
利三は、自分の目を疑い、そして擦った
丘が動いた
それは、人の波だった
人が動いた
それも相当数
これはなんだ
あれはなんだ
自分達は
背後は、木曽川
後退するには、船に乗り込むしか手段はない
その船への橋渡しも、人一人が通るのが精一杯の幅しかない

                 挟まれた

利三は直感的に、自分達の負けを予感した

丘の頂上を松風の蹄が踏み締める
見下ろす川には斎藤軍がありがたいことに一塊になっていた
「ふふっ」
帰蝶の口唇が笑みに歪む
「来ると想ってたよ」
背中に手を回し、種子島式を引き抜く
それを天高く突き上げると、号令一発、叫んだ
「斎藤を、一人たりとて帰すなッ!根切り(皆殺し)にしろッ!」
「おお                 ッ!」
帰蝶の背後で黒母衣衆、馬廻り衆、斯波衆、そして、帰蝶直属の特攻部隊が鬨を上げ、一気に丘を駆け降りた
その中に、利治の姿もあった
黒母衣衆であるため、末席でも馬に乗ることだけは許される
「行くぜ、新五ッ!」
側には慶次郎が着いててくれた
「おうッ!」
利治は誂えた真新しい槍を掲げ、馬を走らせ、真っ直ぐ、故郷である斎藤軍に突進した

己の存在意義
それを戦の中でしか見出せない、不器用な男ばかりの時代
利治もそんな、不器用な男の一人だった
生きて帰る
そう、さちと約束した
生きて帰って、今日もまた、さちの手料理が食べたい
勝つか、負けるか、よりも
食べれるか、食べられないか
それが大問題の利治だった

真っ直ぐ、真っ直ぐ、前方の斎藤軍だけを見詰める
父を殺した、自分の生まれ故郷に向って
利治の髪が流れた
風が雲を呼ぶ
雨を孕んだ雲を呼ぶ
風に流されて、頭上の雲が厚くなる

帰蝶の躰に、天運が舞い降りた
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今回は
半分近く出来上がっていたので、早く更新できました
今は想うことがあるような、ないような
なので、浮かんだら追記させていただきます
Haruhi 2009/10/11(Sun)20:27:11 編集
濃姫(帰蝶)好きの方へ
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祝:お濃さま出演 But模擬専…     (戦国無双3)


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よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

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