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カテゴリーと被ってしまった・・・
お風呂に入りながら、ふと思い浮んだ
濃姫は史料がないから好き勝手にされている
勿論、わたしも濃姫を好き勝手にしている一人なので、偉そうなことは言えないが
検証してみました
自分なりの考えなので当然事実とは程遠いだろうし、それが真実だとは言いません
ただの『可能性』です
早世説
濃姫が早世したのなら、何故その記録がないのか
早世は病気で亡くなると言うことです
別に織田の不名誉になるわけでもありません
想像力の乏しい小説家などは、彼女が道三のスパイなので信長が殺したことにしています
では、何故それが記録として残っていないのか
『弟(信勝)殺し』もきっちり残してる信長が、何故妻殺しを残さないのか
道三のスパイだったのなら、大義名分で『成敗した』と堂々と書けるはずです
でも書いていない
つまり、信長は濃姫を殺していないし、早世もしていないと言うことです
離縁説
道三と義龍が対立し、濃姫の父親である道三が敗死すると、利用価値のなくなった濃姫を追い出したと、ドラマ仕立てにした番組があります
利用価値がないのでしょうか?
道三の遺言には、「信長に美濃の一国を譲る」と書かれています
勿論、信長本人に渡った遺言状は残っていない(あるいは誰かが意図的に隠している)ので想像ですが、そこには「帰蝶の婿・信長」と書かれているのではないでしょうか
だとしたら、信長は濃姫を追い出した=美濃の分与を放棄したということになります
するわけないと思うんですよね
信長が義龍を攻めたのは、譲られるべき国を渡さなかったからであり、正統な譲渡であるのを無視し続けたからだと想います
ですので、濃姫を追い出して生駒の後家に入れ揚げてと言うのは正直、信雄筋の勝手な妄想、武功夜話の大罪だと想います
本名が正しく伝わらない
美濃国諸旧記には本名として『帰蝶』の名が伝わっていますが、それを疑問視する声もあります
しかし、これは江戸時代に編纂されたもので、由緒ある物だと想います
まぁ、所々ご都合で書き直してる部分もあるでしょうが、少なくとも武功夜話のように昭和になってから書き足したり捏造したりと言うのはないと想いますので、濃姫の本名も『帰蝶』で間違いないと想います
想う程度の話ですが、生駒の後家の本名よりは信憑性があるでしょう
あれ(生駒)は本名がいくつもありますから、正しい名前は伝わってないと言い切れます
結局生駒って
信長の母の実家に乗っ取られてますから
世間体を気にしてそうは書かれてませんが、跡取りが居ながら土田の人間が跡取りになってますから、乗っ取られてることに間違いはない
ですので、生駒家の系譜には信雄の母親のことは殆ど残ってません
苦し紛れに一正が生駒の後家が先夫との間に生まれた子だと言ってますが、一正は親正(土田)の息子ですから、生駒の血は入ってません
結局世間で言われてる『信長最愛の女性』って
どっちも信長が死ぬまで、あるいは女性の方が死ぬまで長年放置されてるんですよね
他の側室達は『信長本妻』と共に安土城に居たのに、お鍋の方は別のお城だったか屋敷だったかに住んでたんですよね
信長から「長いことほったらかしてごめんね」の手紙が残ってるそうですから、まぁ、ぶっちゃけ世間の言う「冷遇されていた濃姫」以上に冷遇されてたんですよね
細かく調べたら、織田家の公式記録には生駒氏、小倉氏のどちらも、信長の子を産んだ記録の数は『一人』でした
過去、「お鍋の方が一番多く信長の子を産んだ」と書いてしまったのですが、あれは誤りで、信長の側室になる前に「多くの子供を産んでいた」が正解でした
今も生駒氏は大嫌いです
史実、淫乱だったそうで、政治のことにも口を挟む厚かましい女性だったそうです
それを嫌って、実家に帰されたのでしょう
実家に帰されたのが自分の母親なのに、信雄でしょうか、濃姫を実家に帰したことにしてしまったんですね
自分が正統な信長の後継者らたんと誇示するために
愚かな男です
信忠と信雄は腹違いだと想います
二人の肖像画を見ていると、全く違いますから
信孝(三男)は信長に似た面影があります
信長の肖像画はいくつも(其々顔は違うが)あるますが、その中でも似ているところがありますので
しかし、信忠と信雄は母親が同じだと前野家が主張していますが、見比べたら全然の別人です
男の兄弟は母親と父親が一致していたら、兄弟同士物凄く似るもんなんですよ
それは現代でも通じます
でも、信忠と信雄の肖像画は、とてもじゃないけど母親が同じとは想えませんし、生前の信忠側の史料にも、生駒家との繋がりを感じさせるものは何一つありません
それに、信忠の家臣の中で一人として生駒家の関係者が居ないからです
寧ろ信忠には斎藤家旧家臣が多く付けられてます
信忠には特に濃姫と関係の深い人物ばかりが与力として付けられています
濃姫の実弟・利治がその一人です
ここでも濃姫が早世した、あるいは離縁されたのが事実無根であることが証明されます
そこに濃姫は居ないのに、何故弟の新五郎利治が信長を頼って美濃から逃げて来たのか
その付き添いには道三の側近、堀田道空が居たようです
そこに濃姫が居ない限り、彼らは信長を頼ったりはできないのです
話は戻して、信忠は公家顔の上品そうな顔をしています
京都の総見寺で保管されている肖像画も、滋賀県の安土にある考古資料館で保管されている肖像画も、信長の子とは想えないほど、信忠は上品な顔立ちをしています
それは嫡男である三法師の肖像画にも言えるのですが、どちらも色白の『公家顔』です
これはWikiにも書かれていないのですが、あの道三、濃姫の父親が、綺麗に整った『公家顔』をしていたのだそうです
岐阜県にある考古資料館で、そう言った伝承が残されているようです
そもそも道三は京都の生まれだとも言われています
その父親である(最終的な名前は)長井新左衛門尉が京都の妙覚寺の僧侶(若かったので、身分は低かったらし)で、決して裕福ではなかったけれど、元々その父親の出身がどこなのかわからないのですから、『貧乏な庶民の出』とも言い切れないのです
妙覚寺は現在も由緒正しいお寺ですので、庶民が簡単に仏門に入れるだろうか
あるいは天皇家のご落胤、あるいはどこかの武家のご落胤だった可能性もあるわけです
道三も若い頃は美童で有名だったそうですし、晩年も綺麗な顔立ちをしていたそうです
肖像画は『しゃくれ』だけど(苦笑
ですので、信忠の生母の可能性に濃姫が外れたと言うのも、決して信憑性があるわけではなく、また、「濃姫に息子が居なかったので信忠を養子にした」と書いてあるのも似非歴史家が口を揃えて「信憑性が低い」としている美濃国諸旧記に書かれてあるのですから、自分達の吐いた唾を信じるのなら、「濃姫に子供が居なかったとは言い切れない」と言う結論に達します
引き換え、信雄の下品な顔
庶民顔です
その子孫であるスケーターの織田選手の顔を見ていたら、あの上品(そう描いたんだろうけど)の信長の子孫とは想えません
どちらかと言うとサル顔
織田家はその多くが「狐顔」ですので、なんだか「生駒の後家と秀吉が密通してできた子じゃないか」と、まぁ、名誉毀損で訴えられても仕方ないようなことしか浮かびません
そっくりなんですもん
現在まで残されている秀吉の肖像画の一枚に
何処に保管されているものだったかは忘れましたが、滋賀県長浜歴史博物館兼長浜城にもクイズのパネルとして公開されてます
早世説、離縁説、このどちらも否定できるのは、このような経緯があるからです
早世したならその場で斎藤家とは縁が切れたことになる
道三の敗北でその子供が信長を頼ることもないはず
また、離縁されたのなら、その後公家の日記に出て来る信長本妻は誰のことでしょうか
美濃を落として喜んで、その礼に信長の家臣に鮑を振舞った信長本妻は誰のことでしょうか
信長公記には、『斎藤道三の娘を娶った』としか、女性に関する記述はありません(お市さんは妹なので除外
継室が居たのなら、それも残るはずです
残っていないのは、生涯信長の妻が斎藤道三の娘、つまり、帰蝶姫しか居なかったからです
濃姫は最後まで信長の妻だったからこそ、弟が頼って来たのだし、公家の日記にも「嫁の実家で」と言う逸話が残っているのだし、「正妻に息子が居なかったので信忠を養子にして美濃の後継者にした(美濃国諸旧記より)」のだし、稲葉山城を奪還したからこそ、お礼に高級鮑を振舞ったのだし、最後まで信長の妻だったからこそ、江戸の時代の人々は彼女を親しんで『濃姫』と呼んでたんじゃないのか
高貴な家の生まれたからこそ、彼女は人妻でありながら『姫』と呼ばれていたのだろう?
結婚して、それでも『姫様』と呼ばれていた女性なんて、そうそう居ません
結婚したら呼び方が変わってしまうものなのです
それはきっと、信長自身が帰蝶姫のことを「濃姫」と呼んで親しんでいたのではないかな?と、想いました
全く、最後まで「想う」「想う」ばかりですみません
お金と暇があったら濃姫の研究でもしたいです(涙
生憎そのどちらもないので、誰か代わりにやってくれ・・・
アナログからデジタルに移行する記念すべき2011年のNHK大河の主人公は、お江の方に決定しました
これはネット友達が教えてくれた最新情報です
教えてもらわなきゃ、ずっとわかんないままだったかも・・・
彼女も心無い人間(ぶっちゃけ春日局)によって「悪女」「愚妻」の烙印を長く押され続けて来ました
ですが漸く、その汚名が返上できるのですね
彼女のファンではありませんが、同じ不遇を長く受け続けている濃姫を心から愛しているわたしにとっては、嬉しい知らせです
原作はどうか、諸田玲子さんの『美女いくさ』でありますように
この作家さんは細かい時代設定や、昔の仕来りをきちんと検証して小説を書かれるので、わたしも大好きです
特に不遇を受け続ける女性にスポットを当てて、その汚名を雪ぐのに貢献されている数少ない作家さんだと想います
寧ろ濃姫に対し屈辱的なことを平気で書いてのけた中島と言う女性作家の本ではないことをただただ祈ります
そうそう
勝長(五男坊丸、後の信房)も母親も生駒氏だってしてるサイトがありました
強引だなぁ・・・
しかも名前、『武田勝長』って・・・
坊は生涯、そんな名前名乗ってませんよ(汗
どこまでも蔓延る生駒後家マンセーの輩を一刻も早くこの世から排除したい
てゆうか消去したい?(笑
追伸
信長公記には生駒の後家が側室だったことすら書かれていません
信雄生母生駒氏としかなくて、側室だったってのは想像のもののようです
でも間違ってたらすみません
生駒の後家が側室だった(あるいは大胆にも継室って書きやがった)と言う記録は、信雄側の筋でしか残されてなかったような記憶が・・・
曖昧ですが
ああ、早くわたしの記憶から生駒の後家が消えてくれたら良いのに
消しゴムがあったら真っ先に消したい
それくらい大嫌い
名前見るだけでも虫唾が走る
お風呂に入りながら、ふと思い浮んだ
濃姫は史料がないから好き勝手にされている
勿論、わたしも濃姫を好き勝手にしている一人なので、偉そうなことは言えないが
検証してみました
自分なりの考えなので当然事実とは程遠いだろうし、それが真実だとは言いません
ただの『可能性』です
早世説
濃姫が早世したのなら、何故その記録がないのか
早世は病気で亡くなると言うことです
別に織田の不名誉になるわけでもありません
想像力の乏しい小説家などは、彼女が道三のスパイなので信長が殺したことにしています
では、何故それが記録として残っていないのか
『弟(信勝)殺し』もきっちり残してる信長が、何故妻殺しを残さないのか
道三のスパイだったのなら、大義名分で『成敗した』と堂々と書けるはずです
でも書いていない
つまり、信長は濃姫を殺していないし、早世もしていないと言うことです
離縁説
道三と義龍が対立し、濃姫の父親である道三が敗死すると、利用価値のなくなった濃姫を追い出したと、ドラマ仕立てにした番組があります
利用価値がないのでしょうか?
道三の遺言には、「信長に美濃の一国を譲る」と書かれています
勿論、信長本人に渡った遺言状は残っていない(あるいは誰かが意図的に隠している)ので想像ですが、そこには「帰蝶の婿・信長」と書かれているのではないでしょうか
だとしたら、信長は濃姫を追い出した=美濃の分与を放棄したということになります
するわけないと思うんですよね
信長が義龍を攻めたのは、譲られるべき国を渡さなかったからであり、正統な譲渡であるのを無視し続けたからだと想います
ですので、濃姫を追い出して生駒の後家に入れ揚げてと言うのは正直、信雄筋の勝手な妄想、武功夜話の大罪だと想います
本名が正しく伝わらない
美濃国諸旧記には本名として『帰蝶』の名が伝わっていますが、それを疑問視する声もあります
しかし、これは江戸時代に編纂されたもので、由緒ある物だと想います
まぁ、所々ご都合で書き直してる部分もあるでしょうが、少なくとも武功夜話のように昭和になってから書き足したり捏造したりと言うのはないと想いますので、濃姫の本名も『帰蝶』で間違いないと想います
想う程度の話ですが、生駒の後家の本名よりは信憑性があるでしょう
あれ(生駒)は本名がいくつもありますから、正しい名前は伝わってないと言い切れます
結局生駒って
信長の母の実家に乗っ取られてますから
世間体を気にしてそうは書かれてませんが、跡取りが居ながら土田の人間が跡取りになってますから、乗っ取られてることに間違いはない
ですので、生駒家の系譜には信雄の母親のことは殆ど残ってません
苦し紛れに一正が生駒の後家が先夫との間に生まれた子だと言ってますが、一正は親正(土田)の息子ですから、生駒の血は入ってません
結局世間で言われてる『信長最愛の女性』って
どっちも信長が死ぬまで、あるいは女性の方が死ぬまで長年放置されてるんですよね
他の側室達は『信長本妻』と共に安土城に居たのに、お鍋の方は別のお城だったか屋敷だったかに住んでたんですよね
信長から「長いことほったらかしてごめんね」の手紙が残ってるそうですから、まぁ、ぶっちゃけ世間の言う「冷遇されていた濃姫」以上に冷遇されてたんですよね
細かく調べたら、織田家の公式記録には生駒氏、小倉氏のどちらも、信長の子を産んだ記録の数は『一人』でした
過去、「お鍋の方が一番多く信長の子を産んだ」と書いてしまったのですが、あれは誤りで、信長の側室になる前に「多くの子供を産んでいた」が正解でした
今も生駒氏は大嫌いです
史実、淫乱だったそうで、政治のことにも口を挟む厚かましい女性だったそうです
それを嫌って、実家に帰されたのでしょう
実家に帰されたのが自分の母親なのに、信雄でしょうか、濃姫を実家に帰したことにしてしまったんですね
自分が正統な信長の後継者らたんと誇示するために
愚かな男です
信忠と信雄は腹違いだと想います
二人の肖像画を見ていると、全く違いますから
信孝(三男)は信長に似た面影があります
信長の肖像画はいくつも(其々顔は違うが)あるますが、その中でも似ているところがありますので
しかし、信忠と信雄は母親が同じだと前野家が主張していますが、見比べたら全然の別人です
男の兄弟は母親と父親が一致していたら、兄弟同士物凄く似るもんなんですよ
それは現代でも通じます
でも、信忠と信雄の肖像画は、とてもじゃないけど母親が同じとは想えませんし、生前の信忠側の史料にも、生駒家との繋がりを感じさせるものは何一つありません
それに、信忠の家臣の中で一人として生駒家の関係者が居ないからです
寧ろ信忠には斎藤家旧家臣が多く付けられてます
信忠には特に濃姫と関係の深い人物ばかりが与力として付けられています
濃姫の実弟・利治がその一人です
ここでも濃姫が早世した、あるいは離縁されたのが事実無根であることが証明されます
そこに濃姫は居ないのに、何故弟の新五郎利治が信長を頼って美濃から逃げて来たのか
その付き添いには道三の側近、堀田道空が居たようです
そこに濃姫が居ない限り、彼らは信長を頼ったりはできないのです
話は戻して、信忠は公家顔の上品そうな顔をしています
京都の総見寺で保管されている肖像画も、滋賀県の安土にある考古資料館で保管されている肖像画も、信長の子とは想えないほど、信忠は上品な顔立ちをしています
それは嫡男である三法師の肖像画にも言えるのですが、どちらも色白の『公家顔』です
これはWikiにも書かれていないのですが、あの道三、濃姫の父親が、綺麗に整った『公家顔』をしていたのだそうです
岐阜県にある考古資料館で、そう言った伝承が残されているようです
そもそも道三は京都の生まれだとも言われています
その父親である(最終的な名前は)長井新左衛門尉が京都の妙覚寺の僧侶(若かったので、身分は低かったらし)で、決して裕福ではなかったけれど、元々その父親の出身がどこなのかわからないのですから、『貧乏な庶民の出』とも言い切れないのです
妙覚寺は現在も由緒正しいお寺ですので、庶民が簡単に仏門に入れるだろうか
あるいは天皇家のご落胤、あるいはどこかの武家のご落胤だった可能性もあるわけです
道三も若い頃は美童で有名だったそうですし、晩年も綺麗な顔立ちをしていたそうです
肖像画は『しゃくれ』だけど(苦笑
ですので、信忠の生母の可能性に濃姫が外れたと言うのも、決して信憑性があるわけではなく、また、「濃姫に息子が居なかったので信忠を養子にした」と書いてあるのも似非歴史家が口を揃えて「信憑性が低い」としている美濃国諸旧記に書かれてあるのですから、自分達の吐いた唾を信じるのなら、「濃姫に子供が居なかったとは言い切れない」と言う結論に達します
引き換え、信雄の下品な顔
庶民顔です
その子孫であるスケーターの織田選手の顔を見ていたら、あの上品(そう描いたんだろうけど)の信長の子孫とは想えません
どちらかと言うとサル顔
織田家はその多くが「狐顔」ですので、なんだか「生駒の後家と秀吉が密通してできた子じゃないか」と、まぁ、名誉毀損で訴えられても仕方ないようなことしか浮かびません
そっくりなんですもん
現在まで残されている秀吉の肖像画の一枚に
何処に保管されているものだったかは忘れましたが、滋賀県長浜歴史博物館兼長浜城にもクイズのパネルとして公開されてます
早世説、離縁説、このどちらも否定できるのは、このような経緯があるからです
早世したならその場で斎藤家とは縁が切れたことになる
道三の敗北でその子供が信長を頼ることもないはず
また、離縁されたのなら、その後公家の日記に出て来る信長本妻は誰のことでしょうか
美濃を落として喜んで、その礼に信長の家臣に鮑を振舞った信長本妻は誰のことでしょうか
信長公記には、『斎藤道三の娘を娶った』としか、女性に関する記述はありません(お市さんは妹なので除外
継室が居たのなら、それも残るはずです
残っていないのは、生涯信長の妻が斎藤道三の娘、つまり、帰蝶姫しか居なかったからです
濃姫は最後まで信長の妻だったからこそ、弟が頼って来たのだし、公家の日記にも「嫁の実家で」と言う逸話が残っているのだし、「正妻に息子が居なかったので信忠を養子にして美濃の後継者にした(美濃国諸旧記より)」のだし、稲葉山城を奪還したからこそ、お礼に高級鮑を振舞ったのだし、最後まで信長の妻だったからこそ、江戸の時代の人々は彼女を親しんで『濃姫』と呼んでたんじゃないのか
高貴な家の生まれたからこそ、彼女は人妻でありながら『姫』と呼ばれていたのだろう?
結婚して、それでも『姫様』と呼ばれていた女性なんて、そうそう居ません
結婚したら呼び方が変わってしまうものなのです
それはきっと、信長自身が帰蝶姫のことを「濃姫」と呼んで親しんでいたのではないかな?と、想いました
全く、最後まで「想う」「想う」ばかりですみません
お金と暇があったら濃姫の研究でもしたいです(涙
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アナログからデジタルに移行する記念すべき2011年のNHK大河の主人公は、お江の方に決定しました
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彼女も心無い人間(ぶっちゃけ春日局)によって「悪女」「愚妻」の烙印を長く押され続けて来ました
ですが漸く、その汚名が返上できるのですね
彼女のファンではありませんが、同じ不遇を長く受け続けている濃姫を心から愛しているわたしにとっては、嬉しい知らせです
原作はどうか、諸田玲子さんの『美女いくさ』でありますように
この作家さんは細かい時代設定や、昔の仕来りをきちんと検証して小説を書かれるので、わたしも大好きです
特に不遇を受け続ける女性にスポットを当てて、その汚名を雪ぐのに貢献されている数少ない作家さんだと想います
寧ろ濃姫に対し屈辱的なことを平気で書いてのけた中島と言う女性作家の本ではないことをただただ祈ります
そうそう
勝長(五男坊丸、後の信房)も母親も生駒氏だってしてるサイトがありました
強引だなぁ・・・
しかも名前、『武田勝長』って・・・
坊は生涯、そんな名前名乗ってませんよ(汗
どこまでも蔓延る生駒後家マンセーの輩を一刻も早くこの世から排除したい
てゆうか消去したい?(笑
追伸
信長公記には生駒の後家が側室だったことすら書かれていません
信雄生母生駒氏としかなくて、側室だったってのは想像のもののようです
でも間違ってたらすみません
生駒の後家が側室だった(あるいは大胆にも継室って書きやがった)と言う記録は、信雄側の筋でしか残されてなかったような記憶が・・・
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ああ、早くわたしの記憶から生駒の後家が消えてくれたら良いのに
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この記事にコメントする
濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
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更新のお知らせ
(02/20)
(10/16)
(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
家庭用ゲーム専用ブログです
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『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
岐阜の地酒 日本泉公式サイト
(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
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濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
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