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天文二十二年
信長の父が死去して二年が過ぎた
「奥方様」
この頃になると、信長からも軍略の才を買われている帰蝶に、家臣から報告が入るようになった
「このこと、殿には」
「はい、報告済みです。それで、奥方様をお呼びするようにと」
帰蝶に謁見したのは、信長の小姓であり特に重用されている長谷川秀一
「わかりました。さぞや殿も心を煩わされているでしょう。今直ぐ参ります」
「お願いします」
局処から帰蝶が移動する際には、大勢の侍女が伴う
その行列は一種壮観でもあった
廊下を帰蝶に譲る家臣らの傅く姿に、帰蝶の織田家内の権力の大きさが伺えた
「あなた」
「うん・・・」
信長の執務室に入った帰蝶は、側に居る何人かの小姓の数を数えながら、正面に座った
今、秀一を入れて三人
そこに肝心の人物の姿はなく、それがどれだけ真実味を帯びているかがわかった
「本当なんですか。平手殿の舎弟が、あなたに対し謀叛の準備があるというのは」
「 佐久間から・・・」
「そうですか」
二年前、秀隆と入れ替わりに末森に行った信長の重臣である
讒言などの類ではないのだろう
「どうして。これを平手殿には、確かめましたか?」
「まだ」
「聞けない、の?」
「 」
黙って頷く
「わかりました。あなたが私を呼んだということは、私に吟味しろと言うことですね?」
「帰蝶・・・」
「平手殿は?」
「表座敷に居る」
「行って参ります」
「 」
縋るような、そんな情けない目をする夫は珍しかった
平手には、嫁いでから今日まで、耳の痛い想い出しかない
それでも赤の他人とは、少し違う
夫が赤ん坊の頃から側でその成長を見て来た一人
信長にとっては、親も同然だった
その平手の舎弟が勘十郎と手を組み、信長に謀叛を起こそうとしていた
平手が関与していないとしても、何も知らないわけではない
それに踏み込みことができない信長の代わりをやるとなれば、帰蝶以外居なかった
「奥方様・・・」
表座敷に入ると、平手の見張りとして秀隆が残っていた
「平手殿」
「 奥方様・・・」
平手自身、弟の謀叛は衝撃的なことだったのだろう
いつもと違って、憔悴した表情でいる
「舎弟殿が、殿に謀叛の兆しありと」
「 」
応えず、平手は項垂れた
「予兆は、あったのですね」
「 武家に置いて、全ての男児は品格を問われます」
ぼそり、ぼそりと喋るように、平手は話した
「若に、武家男子の品格や、いかに」
「若ではありません。織田を継いで二年。殿と呼べない理由はなんですか」
「 」
「見てくれですか?傾いた恰好をしているから?茶筅をやめないから?」
「せめて結いでも・・・」
「それは、言い訳ですね。私から見て、吉法師様のどこが勘十郎様に劣るのか、それがわかりません」
「奥方様は、若のつ 」
「妻だから、夫に味方して何が悪いというのですか」
「 」
明らかに贔屓目で見ていることも、帰蝶はきちんと肯定する
そうされては、批判する糸口を失う
「平手殿。覚えてますか?」
「 」
平手は無言のまま、帰蝶を見上げた
「あなたが、私の父に送った手紙。その中に、和歌が入ってましたね」
「 そう・・・ですね」
「先代様の手紙だけでは、父は私を織田にやることは承諾しませんでした。ですが、あなたが遣した和歌に、父は心が動かされたそうです」
「斎藤様が・・・」
「春差して たおやかなりな 誰彼(たそがれ)に 君想う心 月明けぬけり」
「奥方様・・・」
もう何年も昔に送った和歌を、帰蝶は一言一句間違えず覚えていてくれた
その想いが、平手の頬を濡らした
「春が来たけれど、君を想う心は穏やかな黄昏も、夜も、朝を迎えようとしないほど淋しがっている。素敵な口説き文句ですね。殿には絶対、同じ和歌など詠めないでしょう」
「いえ・・・」
「父はあなたが吉法師様の傅役だから、親代わりだから、だから、私を嫁がせる決心が付いたのですよ?あなたほどの男に守られた吉法師様だからこそ、父はあなたを信頼して、私を尾張にやりました。あなたは吉法師様だけじゃない、私や、美濃の父をも裏切ったのです。わかりますか?」
弟が謀叛を起こそうとしているのを知りながら、黙認していたのも罪である
「どうして、吉法師様にお話をなされなかったのですか。それで、行いが改まるとでも想ったのですか。一歩間違えれば、吉法師様は戦を起して死んでいたかも知れない。あなたはそれで、良かったのですか?」
「私は・・・・・・。若が立派にご成長あそばすことが、何よりの喜びで・・・。ですが、若は領主の自覚もまだ持てず、周辺の国人や豪族達から軽く見られております。それでは、大殿が余りにも報われない。大殿が不憫で仕方ございません」
「それは、あなたも謀叛に加担したと認めるのですね?」
「私は・・・・・・・」
我が子も同然の信長と、恩義ある信秀の名誉が傷付けられるのと、その間に挟まれていた
気付かないよう隠していたのは、親心と言うものなのか
信長にも帰蝶にも、平手の本意はわからなかった
平手は謹慎、平手の弟は逐電を命じられた
その二日後
「はぁ・・・・・・・・・」
深い溜息と、それから、変われない自分
謹慎を言い渡された二日後、平手は自害し果てた
弟の謀叛を止められなかったこと、信長の行いを改めさせられなかったこと
自分の無力さを嘆きながら、平手は腹を切った
「ちゃんと、向かい合ってれば良かったな・・・」
後悔しても始まらないが、ただ厳粛に受け止めるほどの器もなかった
「平手殿の切腹で、同僚の林殿が立腹なさっておいでとか。側に置いておくのは、危険ではございませんか?」
「わかってる。でもな・・・」
「吉法師様が信じたいという気持ちがあるのなら、帰蝶は何も申しません。今日も明日も、変わらずあなたのお側に居るだけです」
「帰蝶・・・」
そう言って微笑んでくれる帰蝶に、信長は頼りないながらも微笑み返すことができた
「傷心に浸っている暇はありませんよ」
「ああ。清洲を攻略しねーとな」
自分達の傀儡であるはずの斯波が、信長の援助を受け俄かに歯向かうようになって来た
それが気に入らない信友は、斯波に直接攻撃を仕掛けるようになった
全て、帰蝶の計略の通りである
平手の自害は正直、心に重く圧し掛かる事件ではあった
子供の頃から慣れ親しんだ人間が死ぬのに、平気で居られるわけがない
だからと言って落ち込んでいたりすれば、その隙を突いて清洲か、岩倉か、あるいは弟・勘十郎が攻めて来ないとも限らない
帰蝶の言うとおり、傷心に浸っている暇などなかった
平手が腹を切る数日前、京では将軍義輝が摂津・三好と和解した
これ以上京の町を戦火に巻き込むなと言う意思表示だろうが、昔のように「命令」一つで大名が『将軍職』の言い成りにはならない、つまり、『将軍』と『一般大名』の格差がなくなったという暗示である
これに気付かない馬鹿は居ない
「恐らく、多くの大名は京を静観するでしょうが、勢い余った三好はこのまま京に駐屯するかも知れませんね」
「そうなったら幕府とは一触触発だな」
「こちらに良い風が吹けばよいのですが」
「吹くのを待ってるだけじゃ、しょうがねえな」
「どうかしましたか?」
信長の顔の顰め方がいつもと違うことに気付き、聞いてみる
帰蝶の問い掛けに信長は素直に応えた
「鳴海城主の山口親子が、今川に通じてる」
「今川に?」
ここのところ静かだった今川の動きに、帰蝶も俄かに緊張する
「野放しにしてたら、尾張の一部が今川のもんになっちまう」
「 」
信長の一言に、帰蝶の目蓋が細まった
春が来る頃、将軍足利義輝と三好家が和睦を結んだと伝わった
その翌月、信長は今川に尾張干渉を許さない意思表示として、鳴海城主攻撃の挙兵を決行した
しかも、その出撃に帰蝶が加わる
「若!一体何をお考えですか!」
養徳院なつの怒声が、鎧に着替える帰蝶の居る部屋で響いた
女物の鎧など存在しないため、帰蝶は信長が子供の頃に誂えた古いものを装着している
身に付けるのも『胴丸』と『籠手』と『佩楯(はいだて)』だけで、非力な帰蝶に本格的な恰好をさせたらその重量だけで歩けなくなってしまう
胸に当てる位置も、『受け緒』と呼ばれる紐で長さを自在にできるので、帰蝶には丁度良い
それを調整しているのが信長なのだから、なつの怒声も最もだった
「奥方様を戦場に連れて行く?どこまで非常識なんですかッ!」
「そう怒鳴るな、なつ。帰蝶は参謀の才がある。俺はそれを確かめたいんだ」
「女に参謀など務まるわけがないでしょう?奥方様は、斎藤の姫君ですよ?どうしてそのような無茶なことを。もし奥方様に万が一のことがあれば、斎藤家にどう釈明なさるのですか」
「万が一が起きないよう、万全を尽くす。なんならお前も着いて来るか?」
「冗談じゃありませんよ。女が戦場に同行しては負け戦になると昔から、縁起が悪いものです。その禁忌を冒せと言うのですか」
「古い仕来りだな。くだらねぇ」
「若!」
「怒鳴らないで、なつ」
鎧を着け終わった帰蝶が、漸くなつを止める
「しかし、奥方様」
「同行したいと言い出したのは、私の方からなの。義父上様が亡くなられてから、久し振りの出馬ですしね、私も今川の出方をこの目で確かめたいから」
「どうして奥方様が」
「自分が何者なのかを、知りたいの」
「 」
帰蝶のその懇願の意味を、なつは理解できなかった
ただ真剣な目をして夫に同行すると言う帰蝶の決心は、絶対に曲げられないものなのだとわかった
「前代未聞ですよ。奥方が夫に同行して戦に出るなど」
「それは喜ばしいことね」
「奥方様」
「何事にも置いて、『初物』は縁起が良いですものね、吉法師様」
「そうだな」
相変わらず笑っている信長に、この奇妙な夫婦をなつはどこか違う世界の住人のような感覚で見る
世間の常識に捉われない、奇特な夫婦なのかも知れないと
帰蝶の出馬は当然、他の家臣らの度肝も抜いた
なつの言うように『女が戦に出ると負ける』と言う言い伝えは今も生きており、それを数百年も守り続けている
出陣前と出陣中は女を絶つ
だからこそ、その女の代わりになる『寵童』と言う存在があるのだが、信長はこれら古い『仕来り』を一蹴した
勿論、身の周りの世話をする小姓の存在はあるが、『性の相手』をさせることはしない
「帰蝶の護衛には、そうだな。前田犬千代を付けよう」
「前田犬千代?仕官したばかりの小姓さんですね」
「ああ。前田の当主の倅じゃないけどな、中々目を掛けられてるらしい。俺と同じ傾き者だが、お前なら扱いは慣れてるだろ?」
「そうですね」
帰蝶は苦笑いしながら応えた
「それによ、お前んとこの斎藤の庶流だぜ?前田は」
「まぁ、はやりそうでしたか」
平安中期の武人・藤原利仁の七男から斎藤が始まり、そこから東海を中心に斎藤氏が枝分かれして行く中で、犬千代の出た前田家が生まれる
正直、遠い先祖が一緒と言うのもあるが、帰蝶は半分は斎藤とは全く縁がない
精々母方の『明智』、つまり美濃の名門・土岐に対しての血脈を誇れるだけであるため、先祖と言われても帰蝶には無縁の縁者も良いところだった
それでも折角夫が付けてくれたのだから、断る理由もない
「心強い護衛をいただき、ありがとうございます」
「いや・・・」
どんなことでも喜んで感謝する
特に夫の信長に対してそう言った気持ちを常に持っているからか、信長も妻に対して『何か』してやることは『喜んでもらえる』『感謝してもらえる』と言う、感情的に嬉しいものだった
照れながら帰蝶を連れ、表座敷に入った
主君・信長の型破りな非常識さにはある程度馴れたつもりではいるが、はやり妻を同行すると言う行為に対して直前に不安を感じないわけにはいかないのだろう
「どうしても連れて行かれるので?」
こっそりと秀隆が聞いた
「決心は揺らがん」
「そんなご大層な決心は要らないんですがね」
「本陣から外には出さんから、安心しろ。帰蝶に万が一のことがあったら、なつの拳が飛んで来るからな」
「そりゃ命懸けで守らんといかんですな・・・」
秀隆は青い顔をして呟いた
その一方で、帰蝶は護衛役に任命された前田犬千代利家と面談する
「此度は戦の同行、お願いいたします」
「いえ、私で勤まるかどうかわかりませんが、精一杯お守りさせていただきます」
年は自分より一つほど年下らしい
だが、やはり男だからか、体付きは夫と同じくらいの体躯の持ち主だった
比べるなら巨漢気味な義兄・義龍が適正だろうか
「随分手足が大きいですね。頼もしいです」
「いやぁ、親父や叔父貴からは『無駄飯食らい』と渾名されるほどの大食らいですから、ちったぁ戦で痩せて来いと」
「っぷ・・・」
利家の口調が面白くて、帰蝶はこれから緊迫した戦に出ると言うのに吹き出した
そんな嫌な緊張感を、この利家は和らげてくれる
「それにしても、戦なんかに出て怖くないんですか?」
「戦に出たことがないからこそ、怖いか怖くないかわからないのですよ。でなければ、夫に付いて行くなんて非常識なこと、言い出さないでしょ?」
「確かに」
自分でも非常識だと自覚してるんだと、利家は笑い出す
面白い奥方様だなぁ
奇しくも、秀隆と同じ感想を持つことになった
「織田軍、出陣!」
信長隊馬廻り衆の掛け声に、織田軍が那古野の城を出発した
目指す鳴海城は伊勢湾にほど近い場所にある
何度か信長に連れられて海を訪れた帰蝶だが、その城も一度は見たことのある場所だった
その時、帰蝶は「そうか」と理解した
夫が度々城の外に出て『見聞のため』と付近を徘徊するのは、別に遊びが目的ではなく、周辺の城の様子や各家の情勢を知るためだったのだと
現に信長は鳴海城まで最短の距離で行ける道程を弾き出し、辿っている
何処の道が何処の道に繋がっているか、夫の頭にはきちんと情報として入っているのだと知った
帰蝶の、信長に対する敬愛の念が益々深まる
「この辺りは静かですね。まさかこれから近くで戦が起きるなんて想っていないのでしょうね」
松風に跨る帰蝶が、その後ろに控えた利家に話し掛けた
「ええ。でもまぁ、こんだけ軍隊が移動してるんですから、内緒にはできないでしょうけどね」
「そりゃそうですよ」
想わず帰蝶も笑う
天白川を超えた辺りで、先頭を走っていた信長の部隊が止まった
「どうかされました?」
夫の信長が、後方に居る自分の許へ駆けて来るのを、帰蝶はキョトンとして見ている
「いや」
「 ?」
「やっぱりお前、戻らんか?」
「嫌です。ここまで来たんですもの。引き返すなんて、散歩にもなりませんわ」
「でもなぁ、もし乱戦になったりしたら」
「なりませんよ」
「何でそう言えるんだよ」
「だって、あなたが付いてるんですもの。負けるわけないでしょう?」
「 」
どうも妻の煽てに弱い信長は、承服しかねる顔をしながらも戻って行く
その信長の背中を見ながら、利家が呟いた
「奥方様は殿の操縦が上手いですね」
「そりゃ夫婦ですもの」
「そう言うもんですか」
わかったような、わからないような、そんな顔をして利家も引き下がる
「鳴海城は、今川方の防衛として存在する城です。その城を、吉法師様が落とす(燃やす)とは想えない。精々、山口親子に脅しでも掛けて引き返すつもりでしょう。小競り合い程度で済ませておかなければ、山口とて後顧の憂いが残るだけ」
「後顧の憂い?」
「目の前は三河ですよ?織田が負けたとしても、山口が負けたとしても、三河の松平が居ます」
「ああ、去年までうちの人質だった」
「ご嫡男を今川に取られたとしても、戦線を延ばすのに城は一つでも多い方が良い。自分に寝返った山口が負けたら、しばらくは今川方で混乱が起き、織田が負ければ勘十郎様が出られるでしょう。今川にとって、どちらが負けても自分に返りの風が吹く。それを恐れている」
「そんなもんなですか?」
「うちの父が良くやっていたそうです」
「何を?」
「押しては引いて、引いては押して。それで先代様を煙に巻いていたのですから」
「そうなんですか」
まだ戦に対して感覚と言うものが養われていないのか、利家は帰蝶の話を真剣には聞いているが、何処まで理解できているのか定かではない顔をしている
それがおかしかった
「勝ち負けをはっきりさせてはいけない戦もあるんですね、吉法師様」
「 」
鳴海城を睨む信長の目は、帰蝶ですら見たことがないほど真剣で真摯なものだった
「弓隊と鉄砲隊を交互に攻撃させろ。城下は近い場所だけ避難、それ以外の住民には一応警戒だけさせておけ」
「はっ」
「さぁて、宣戦布告なしの戦に、山口が泡食ってくれると良いんだがな」
口の中で独り言を呟く
本陣に近所の寺を借り、そこで帰蝶と向かい合う
「いつもならそこらじゅうを放火して、相手に脅しを掛けて終わりなんだがな、今回はちょっとばかし勝手が利かねぇ」
「住宅が密集してますね。これでは小さな火でも、大きな被害になるのでは?」
「そう想ってな、手を拱いている」
「内通してくれそうな者はおりませんか」
「想い付きで出て来たからな、用意してなかった」
そもそも父・信秀の家臣だった山口左馬助教継が、信長の代になってから反発したのだから、これが信長にとっての最初の謀叛騒ぎであった
「斯波の方で精一杯だったなんて、言いませんよね?」
「心外だな。別に手を抜いたわけじゃないぞ?」
信長の反論に、帰蝶は本当に手を回していなかったのかと知る
斯波だけではなく岩倉織田、清洲織田にも内応する者を抱えてるのだから、これ以上差し出す手を増やせばこちらが引っ張られる
何より山口はそもそも家臣なのだから、内応者を選択している暇などないだろう
「とりあえず、しばらくは山口を大人しくさせておくだけにした方が良いな。長く那古野を空けておくわけにも行かん」
「やはりお散歩みたいなものですね」
「そう言ってくれるな」
苦笑する信長に、帰蝶はそっと手を添えた
「さて、どう出るか」
「こちらから出ますか?それとも、あちらから出て来てもらいますか?」
「何か策でもあるか?」
「私はあなたほど鳴海を理解しておりませんので、妙案と言うわけには参りませんが」
「構わん、言ってみろ」
催促する信長に、帰蝶は遠慮勝ちに話した
「先ほど道中で犬千代と話したのですが」
「うん」
「この鳴海が落ちれば、今川も慌てふためくでしょう」
「そうだな」
「目の前に三河が迫っているため、もしも織田の手から離れ山口の物になればこれ幸いにと松平が押し寄せる。そうなると今川は自分の許から松平が独立するきっかけを自ら与えてしまうことになる。逆に山口を追い出せたとしても、松平が擦り寄って来ないとも限らない。当然松平は自分を苦しめる今川よりも、若干の縁のある織田に付くと誰もが想像するでしょう」
「ああ、簡単な打算だ」
「こちらとしても、無駄な争いに兵力を失いたくない。もしも戦ともなって疲弊したところを末森に突かれては、弱り目に祟り目も良いところ」
「それを回避するには、どうすれば良い」
「山口に主を選ばせれば良いのです」
「また難しいことを言い出すな、お前は。それが困難だから、ここまで来てるんだろ?」
「吉法師様」
「なんだ」
顰めっ面をする信長に、帰蝶は正すような口調で言った
「城が栄える要因は、何でしょう」
「そりゃ、周辺が活気付いてるか付いてないかだ」
「その活気は、どこから生まれます?」
「そうだな、例えば商店とか近隣住民とか?」
「その商店、住民、つまり鳴海の民を奪ってしまえば、この鳴海はどうなりますか?」
「 」
一瞬、帰蝶の言葉に目を丸くして、それから軽く溜息を吐き、やがて大笑いする
「お前、机上の空論としても途方もないことを言い出すな」
「でも、不可能ではないはずです」
「だが、それには暇が掛かる。掛かり過ぎる。増してや、鳴海の民をどこに収容するんだ。尾張はそんなに土地は余ってないぞ?」
「土地とは限りません」
「限らない?」
「尾張には、美濃にはない物がある」
「美濃にはないもの」
自信たっぷりに微笑む帰蝶を見て、信長の表情が呆然と変わる
「まさか」
「そのまさかです」
「 」
大きな荷台が、列を連ねて鳴海を出て行く
その様子は当然、教継にも報告として入った
「何をしている!」
「それが・・・」
鳴海の民達がこの地を去ろうとしているのだと聞かされ、教継は慌てふためいた
勿論これは帰蝶の作戦で、実際の住民達は自分の家に籠ってじっとしている
「もう直ぐこの辺りで争いが起きるかも知れないから、家の中で大人しくしていろ」と触れ回り、決して表には出ないよう命令した
荷台は殆どが藁で、その上を筵を敷いて隠しただけで、実際は上げ底の張りぼてと同じだ
「ほれ、早く進め!次がつっかえてるんだ」
荷台を引いているのは織田軍の足軽達で、鎧を脱いで平民に成り済ましただけのこと
伊勢湾に向かう振りをして、途中の森で引き返し、こっそり村や町に戻る
そして何食わぬ顔をして再び、伊勢湾に向かって行列を作った
手間隙の掛かる作戦だが、どちらにも被害の出ない平和的な作戦でもある
それを住民らの引越しと勘違いした教継は、慌てて信長に対し詫びを入れたのだから、効果覿面だった
数刻戦の真似事をしただけで、信長はその日の内に那古野に帰還した
「奥方様!」
帰蝶の安否を心配していたなつは、血相を変えて門前まで駆け出して出迎える
「ご無事で何よりです」
「心配掛けました」
「鳴海の方は、如何でしたか?戦などには巻き込まれませんでしたか?」
「はい。殿が上手くいなしてくださいました」
「若が・・・」
自分の知っている信長は、大人の言うことなど聞こうともしないやんちゃ坊主で、勇ましさはあっても将の器ではないと想っても仕方がないほど『出来が悪い』
その信長の采配で、争いらしい争いは起きず、おまけに今回の騒動を起した山口親子に詫びを入れさせて閉幕したと言う
なつにはとても信じられない
が、後日、それがとんでもないことに帰蝶の案が採用され実行したら、上手く行ったと言うことで、これもなつには信じられない話だった
この夫婦は将来、とんでもなく化けるのではないか
そんな気がする
「何はともあれ、帰蝶の策に乗って正解だったな」
「今回はたまたまです。これが何度も続くとは想えませんので、やはり場数を踏まないことには」
「じゃぁ、次も参戦するか」
これにはなつも即座に怒鳴る
「若!奥方様はこれから、殿の子を成さねばならないという大役が待っているのですよ?!然う然う戦などに引っ張り回さないで下さいませ!」
「わかったわかった、冗談だ」
なつの怒鳴り声に信長は肩耳に指を突っ込むが、帰蝶もなつも、言ってることは確かにそうだがそれでもやはり、帰蝶の中で眠る『何者か』が気になった
もしも男に生まれていたら
それを連想せずにはいられなかった
もしも帰蝶が男に生まれていたら
自分にとって脅威となる存在だったかも知れない
そんなありもしないことを想わずには居られない春のことだった
この数日後、内緒にはしていたとは言え、やはりどこからか漏れたのか、帰蝶を戦場に連れて行ったことを道三に知られ、早速手紙が信長の許に届けられた
早急に逢いたい と
信長の父が死去して二年が過ぎた
「奥方様」
この頃になると、信長からも軍略の才を買われている帰蝶に、家臣から報告が入るようになった
「このこと、殿には」
「はい、報告済みです。それで、奥方様をお呼びするようにと」
帰蝶に謁見したのは、信長の小姓であり特に重用されている長谷川秀一
「わかりました。さぞや殿も心を煩わされているでしょう。今直ぐ参ります」
「お願いします」
局処から帰蝶が移動する際には、大勢の侍女が伴う
その行列は一種壮観でもあった
廊下を帰蝶に譲る家臣らの傅く姿に、帰蝶の織田家内の権力の大きさが伺えた
「あなた」
「うん・・・」
信長の執務室に入った帰蝶は、側に居る何人かの小姓の数を数えながら、正面に座った
今、秀一を入れて三人
そこに肝心の人物の姿はなく、それがどれだけ真実味を帯びているかがわかった
「本当なんですか。平手殿の舎弟が、あなたに対し謀叛の準備があるというのは」
「
「そうですか」
二年前、秀隆と入れ替わりに末森に行った信長の重臣である
讒言などの類ではないのだろう
「どうして。これを平手殿には、確かめましたか?」
「まだ」
「聞けない、の?」
「
黙って頷く
「わかりました。あなたが私を呼んだということは、私に吟味しろと言うことですね?」
「帰蝶・・・」
「平手殿は?」
「表座敷に居る」
「行って参ります」
「
縋るような、そんな情けない目をする夫は珍しかった
平手には、嫁いでから今日まで、耳の痛い想い出しかない
それでも赤の他人とは、少し違う
夫が赤ん坊の頃から側でその成長を見て来た一人
信長にとっては、親も同然だった
その平手の舎弟が勘十郎と手を組み、信長に謀叛を起こそうとしていた
平手が関与していないとしても、何も知らないわけではない
それに踏み込みことができない信長の代わりをやるとなれば、帰蝶以外居なかった
「奥方様・・・」
表座敷に入ると、平手の見張りとして秀隆が残っていた
「平手殿」
「
平手自身、弟の謀叛は衝撃的なことだったのだろう
いつもと違って、憔悴した表情でいる
「舎弟殿が、殿に謀叛の兆しありと」
「
応えず、平手は項垂れた
「予兆は、あったのですね」
「
ぼそり、ぼそりと喋るように、平手は話した
「若に、武家男子の品格や、いかに」
「若ではありません。織田を継いで二年。殿と呼べない理由はなんですか」
「
「見てくれですか?傾いた恰好をしているから?茶筅をやめないから?」
「せめて結いでも・・・」
「それは、言い訳ですね。私から見て、吉法師様のどこが勘十郎様に劣るのか、それがわかりません」
「奥方様は、若のつ
「妻だから、夫に味方して何が悪いというのですか」
「
明らかに贔屓目で見ていることも、帰蝶はきちんと肯定する
そうされては、批判する糸口を失う
「平手殿。覚えてますか?」
「
平手は無言のまま、帰蝶を見上げた
「あなたが、私の父に送った手紙。その中に、和歌が入ってましたね」
「
「先代様の手紙だけでは、父は私を織田にやることは承諾しませんでした。ですが、あなたが遣した和歌に、父は心が動かされたそうです」
「斎藤様が・・・」
「春差して たおやかなりな 誰彼(たそがれ)に 君想う心 月明けぬけり」
「奥方様・・・」
もう何年も昔に送った和歌を、帰蝶は一言一句間違えず覚えていてくれた
その想いが、平手の頬を濡らした
「春が来たけれど、君を想う心は穏やかな黄昏も、夜も、朝を迎えようとしないほど淋しがっている。素敵な口説き文句ですね。殿には絶対、同じ和歌など詠めないでしょう」
「いえ・・・」
「父はあなたが吉法師様の傅役だから、親代わりだから、だから、私を嫁がせる決心が付いたのですよ?あなたほどの男に守られた吉法師様だからこそ、父はあなたを信頼して、私を尾張にやりました。あなたは吉法師様だけじゃない、私や、美濃の父をも裏切ったのです。わかりますか?」
弟が謀叛を起こそうとしているのを知りながら、黙認していたのも罪である
「どうして、吉法師様にお話をなされなかったのですか。それで、行いが改まるとでも想ったのですか。一歩間違えれば、吉法師様は戦を起して死んでいたかも知れない。あなたはそれで、良かったのですか?」
「私は・・・・・・。若が立派にご成長あそばすことが、何よりの喜びで・・・。ですが、若は領主の自覚もまだ持てず、周辺の国人や豪族達から軽く見られております。それでは、大殿が余りにも報われない。大殿が不憫で仕方ございません」
「それは、あなたも謀叛に加担したと認めるのですね?」
「私は・・・・・・・」
我が子も同然の信長と、恩義ある信秀の名誉が傷付けられるのと、その間に挟まれていた
気付かないよう隠していたのは、親心と言うものなのか
信長にも帰蝶にも、平手の本意はわからなかった
平手は謹慎、平手の弟は逐電を命じられた
その二日後
「はぁ・・・・・・・・・」
深い溜息と、それから、変われない自分
謹慎を言い渡された二日後、平手は自害し果てた
弟の謀叛を止められなかったこと、信長の行いを改めさせられなかったこと
自分の無力さを嘆きながら、平手は腹を切った
「ちゃんと、向かい合ってれば良かったな・・・」
後悔しても始まらないが、ただ厳粛に受け止めるほどの器もなかった
「平手殿の切腹で、同僚の林殿が立腹なさっておいでとか。側に置いておくのは、危険ではございませんか?」
「わかってる。でもな・・・」
「吉法師様が信じたいという気持ちがあるのなら、帰蝶は何も申しません。今日も明日も、変わらずあなたのお側に居るだけです」
「帰蝶・・・」
そう言って微笑んでくれる帰蝶に、信長は頼りないながらも微笑み返すことができた
「傷心に浸っている暇はありませんよ」
「ああ。清洲を攻略しねーとな」
自分達の傀儡であるはずの斯波が、信長の援助を受け俄かに歯向かうようになって来た
それが気に入らない信友は、斯波に直接攻撃を仕掛けるようになった
全て、帰蝶の計略の通りである
平手の自害は正直、心に重く圧し掛かる事件ではあった
子供の頃から慣れ親しんだ人間が死ぬのに、平気で居られるわけがない
だからと言って落ち込んでいたりすれば、その隙を突いて清洲か、岩倉か、あるいは弟・勘十郎が攻めて来ないとも限らない
帰蝶の言うとおり、傷心に浸っている暇などなかった
平手が腹を切る数日前、京では将軍義輝が摂津・三好と和解した
これ以上京の町を戦火に巻き込むなと言う意思表示だろうが、昔のように「命令」一つで大名が『将軍職』の言い成りにはならない、つまり、『将軍』と『一般大名』の格差がなくなったという暗示である
これに気付かない馬鹿は居ない
「恐らく、多くの大名は京を静観するでしょうが、勢い余った三好はこのまま京に駐屯するかも知れませんね」
「そうなったら幕府とは一触触発だな」
「こちらに良い風が吹けばよいのですが」
「吹くのを待ってるだけじゃ、しょうがねえな」
「どうかしましたか?」
信長の顔の顰め方がいつもと違うことに気付き、聞いてみる
帰蝶の問い掛けに信長は素直に応えた
「鳴海城主の山口親子が、今川に通じてる」
「今川に?」
ここのところ静かだった今川の動きに、帰蝶も俄かに緊張する
「野放しにしてたら、尾張の一部が今川のもんになっちまう」
「
信長の一言に、帰蝶の目蓋が細まった
春が来る頃、将軍足利義輝と三好家が和睦を結んだと伝わった
その翌月、信長は今川に尾張干渉を許さない意思表示として、鳴海城主攻撃の挙兵を決行した
しかも、その出撃に帰蝶が加わる
「若!一体何をお考えですか!」
養徳院なつの怒声が、鎧に着替える帰蝶の居る部屋で響いた
女物の鎧など存在しないため、帰蝶は信長が子供の頃に誂えた古いものを装着している
身に付けるのも『胴丸』と『籠手』と『佩楯(はいだて)』だけで、非力な帰蝶に本格的な恰好をさせたらその重量だけで歩けなくなってしまう
胸に当てる位置も、『受け緒』と呼ばれる紐で長さを自在にできるので、帰蝶には丁度良い
それを調整しているのが信長なのだから、なつの怒声も最もだった
「奥方様を戦場に連れて行く?どこまで非常識なんですかッ!」
「そう怒鳴るな、なつ。帰蝶は参謀の才がある。俺はそれを確かめたいんだ」
「女に参謀など務まるわけがないでしょう?奥方様は、斎藤の姫君ですよ?どうしてそのような無茶なことを。もし奥方様に万が一のことがあれば、斎藤家にどう釈明なさるのですか」
「万が一が起きないよう、万全を尽くす。なんならお前も着いて来るか?」
「冗談じゃありませんよ。女が戦場に同行しては負け戦になると昔から、縁起が悪いものです。その禁忌を冒せと言うのですか」
「古い仕来りだな。くだらねぇ」
「若!」
「怒鳴らないで、なつ」
鎧を着け終わった帰蝶が、漸くなつを止める
「しかし、奥方様」
「同行したいと言い出したのは、私の方からなの。義父上様が亡くなられてから、久し振りの出馬ですしね、私も今川の出方をこの目で確かめたいから」
「どうして奥方様が」
「自分が何者なのかを、知りたいの」
「
帰蝶のその懇願の意味を、なつは理解できなかった
ただ真剣な目をして夫に同行すると言う帰蝶の決心は、絶対に曲げられないものなのだとわかった
「前代未聞ですよ。奥方が夫に同行して戦に出るなど」
「それは喜ばしいことね」
「奥方様」
「何事にも置いて、『初物』は縁起が良いですものね、吉法師様」
「そうだな」
相変わらず笑っている信長に、この奇妙な夫婦をなつはどこか違う世界の住人のような感覚で見る
世間の常識に捉われない、奇特な夫婦なのかも知れないと
帰蝶の出馬は当然、他の家臣らの度肝も抜いた
なつの言うように『女が戦に出ると負ける』と言う言い伝えは今も生きており、それを数百年も守り続けている
出陣前と出陣中は女を絶つ
だからこそ、その女の代わりになる『寵童』と言う存在があるのだが、信長はこれら古い『仕来り』を一蹴した
勿論、身の周りの世話をする小姓の存在はあるが、『性の相手』をさせることはしない
「帰蝶の護衛には、そうだな。前田犬千代を付けよう」
「前田犬千代?仕官したばかりの小姓さんですね」
「ああ。前田の当主の倅じゃないけどな、中々目を掛けられてるらしい。俺と同じ傾き者だが、お前なら扱いは慣れてるだろ?」
「そうですね」
帰蝶は苦笑いしながら応えた
「それによ、お前んとこの斎藤の庶流だぜ?前田は」
「まぁ、はやりそうでしたか」
平安中期の武人・藤原利仁の七男から斎藤が始まり、そこから東海を中心に斎藤氏が枝分かれして行く中で、犬千代の出た前田家が生まれる
正直、遠い先祖が一緒と言うのもあるが、帰蝶は半分は斎藤とは全く縁がない
精々母方の『明智』、つまり美濃の名門・土岐に対しての血脈を誇れるだけであるため、先祖と言われても帰蝶には無縁の縁者も良いところだった
それでも折角夫が付けてくれたのだから、断る理由もない
「心強い護衛をいただき、ありがとうございます」
「いや・・・」
どんなことでも喜んで感謝する
特に夫の信長に対してそう言った気持ちを常に持っているからか、信長も妻に対して『何か』してやることは『喜んでもらえる』『感謝してもらえる』と言う、感情的に嬉しいものだった
照れながら帰蝶を連れ、表座敷に入った
主君・信長の型破りな非常識さにはある程度馴れたつもりではいるが、はやり妻を同行すると言う行為に対して直前に不安を感じないわけにはいかないのだろう
「どうしても連れて行かれるので?」
こっそりと秀隆が聞いた
「決心は揺らがん」
「そんなご大層な決心は要らないんですがね」
「本陣から外には出さんから、安心しろ。帰蝶に万が一のことがあったら、なつの拳が飛んで来るからな」
「そりゃ命懸けで守らんといかんですな・・・」
秀隆は青い顔をして呟いた
その一方で、帰蝶は護衛役に任命された前田犬千代利家と面談する
「此度は戦の同行、お願いいたします」
「いえ、私で勤まるかどうかわかりませんが、精一杯お守りさせていただきます」
年は自分より一つほど年下らしい
だが、やはり男だからか、体付きは夫と同じくらいの体躯の持ち主だった
比べるなら巨漢気味な義兄・義龍が適正だろうか
「随分手足が大きいですね。頼もしいです」
「いやぁ、親父や叔父貴からは『無駄飯食らい』と渾名されるほどの大食らいですから、ちったぁ戦で痩せて来いと」
「っぷ・・・」
利家の口調が面白くて、帰蝶はこれから緊迫した戦に出ると言うのに吹き出した
そんな嫌な緊張感を、この利家は和らげてくれる
「それにしても、戦なんかに出て怖くないんですか?」
「戦に出たことがないからこそ、怖いか怖くないかわからないのですよ。でなければ、夫に付いて行くなんて非常識なこと、言い出さないでしょ?」
「確かに」
自分でも非常識だと自覚してるんだと、利家は笑い出す
奇しくも、秀隆と同じ感想を持つことになった
「織田軍、出陣!」
信長隊馬廻り衆の掛け声に、織田軍が那古野の城を出発した
目指す鳴海城は伊勢湾にほど近い場所にある
何度か信長に連れられて海を訪れた帰蝶だが、その城も一度は見たことのある場所だった
その時、帰蝶は「そうか」と理解した
夫が度々城の外に出て『見聞のため』と付近を徘徊するのは、別に遊びが目的ではなく、周辺の城の様子や各家の情勢を知るためだったのだと
現に信長は鳴海城まで最短の距離で行ける道程を弾き出し、辿っている
何処の道が何処の道に繋がっているか、夫の頭にはきちんと情報として入っているのだと知った
帰蝶の、信長に対する敬愛の念が益々深まる
「この辺りは静かですね。まさかこれから近くで戦が起きるなんて想っていないのでしょうね」
松風に跨る帰蝶が、その後ろに控えた利家に話し掛けた
「ええ。でもまぁ、こんだけ軍隊が移動してるんですから、内緒にはできないでしょうけどね」
「そりゃそうですよ」
想わず帰蝶も笑う
天白川を超えた辺りで、先頭を走っていた信長の部隊が止まった
「どうかされました?」
夫の信長が、後方に居る自分の許へ駆けて来るのを、帰蝶はキョトンとして見ている
「いや」
「
「やっぱりお前、戻らんか?」
「嫌です。ここまで来たんですもの。引き返すなんて、散歩にもなりませんわ」
「でもなぁ、もし乱戦になったりしたら」
「なりませんよ」
「何でそう言えるんだよ」
「だって、あなたが付いてるんですもの。負けるわけないでしょう?」
「
どうも妻の煽てに弱い信長は、承服しかねる顔をしながらも戻って行く
その信長の背中を見ながら、利家が呟いた
「奥方様は殿の操縦が上手いですね」
「そりゃ夫婦ですもの」
「そう言うもんですか」
わかったような、わからないような、そんな顔をして利家も引き下がる
「鳴海城は、今川方の防衛として存在する城です。その城を、吉法師様が落とす(燃やす)とは想えない。精々、山口親子に脅しでも掛けて引き返すつもりでしょう。小競り合い程度で済ませておかなければ、山口とて後顧の憂いが残るだけ」
「後顧の憂い?」
「目の前は三河ですよ?織田が負けたとしても、山口が負けたとしても、三河の松平が居ます」
「ああ、去年までうちの人質だった」
「ご嫡男を今川に取られたとしても、戦線を延ばすのに城は一つでも多い方が良い。自分に寝返った山口が負けたら、しばらくは今川方で混乱が起き、織田が負ければ勘十郎様が出られるでしょう。今川にとって、どちらが負けても自分に返りの風が吹く。それを恐れている」
「そんなもんなですか?」
「うちの父が良くやっていたそうです」
「何を?」
「押しては引いて、引いては押して。それで先代様を煙に巻いていたのですから」
「そうなんですか」
まだ戦に対して感覚と言うものが養われていないのか、利家は帰蝶の話を真剣には聞いているが、何処まで理解できているのか定かではない顔をしている
それがおかしかった
「勝ち負けをはっきりさせてはいけない戦もあるんですね、吉法師様」
「
鳴海城を睨む信長の目は、帰蝶ですら見たことがないほど真剣で真摯なものだった
「弓隊と鉄砲隊を交互に攻撃させろ。城下は近い場所だけ避難、それ以外の住民には一応警戒だけさせておけ」
「はっ」
「さぁて、宣戦布告なしの戦に、山口が泡食ってくれると良いんだがな」
口の中で独り言を呟く
本陣に近所の寺を借り、そこで帰蝶と向かい合う
「いつもならそこらじゅうを放火して、相手に脅しを掛けて終わりなんだがな、今回はちょっとばかし勝手が利かねぇ」
「住宅が密集してますね。これでは小さな火でも、大きな被害になるのでは?」
「そう想ってな、手を拱いている」
「内通してくれそうな者はおりませんか」
「想い付きで出て来たからな、用意してなかった」
そもそも父・信秀の家臣だった山口左馬助教継が、信長の代になってから反発したのだから、これが信長にとっての最初の謀叛騒ぎであった
「斯波の方で精一杯だったなんて、言いませんよね?」
「心外だな。別に手を抜いたわけじゃないぞ?」
信長の反論に、帰蝶は本当に手を回していなかったのかと知る
斯波だけではなく岩倉織田、清洲織田にも内応する者を抱えてるのだから、これ以上差し出す手を増やせばこちらが引っ張られる
何より山口はそもそも家臣なのだから、内応者を選択している暇などないだろう
「とりあえず、しばらくは山口を大人しくさせておくだけにした方が良いな。長く那古野を空けておくわけにも行かん」
「やはりお散歩みたいなものですね」
「そう言ってくれるな」
苦笑する信長に、帰蝶はそっと手を添えた
「さて、どう出るか」
「こちらから出ますか?それとも、あちらから出て来てもらいますか?」
「何か策でもあるか?」
「私はあなたほど鳴海を理解しておりませんので、妙案と言うわけには参りませんが」
「構わん、言ってみろ」
催促する信長に、帰蝶は遠慮勝ちに話した
「先ほど道中で犬千代と話したのですが」
「うん」
「この鳴海が落ちれば、今川も慌てふためくでしょう」
「そうだな」
「目の前に三河が迫っているため、もしも織田の手から離れ山口の物になればこれ幸いにと松平が押し寄せる。そうなると今川は自分の許から松平が独立するきっかけを自ら与えてしまうことになる。逆に山口を追い出せたとしても、松平が擦り寄って来ないとも限らない。当然松平は自分を苦しめる今川よりも、若干の縁のある織田に付くと誰もが想像するでしょう」
「ああ、簡単な打算だ」
「こちらとしても、無駄な争いに兵力を失いたくない。もしも戦ともなって疲弊したところを末森に突かれては、弱り目に祟り目も良いところ」
「それを回避するには、どうすれば良い」
「山口に主を選ばせれば良いのです」
「また難しいことを言い出すな、お前は。それが困難だから、ここまで来てるんだろ?」
「吉法師様」
「なんだ」
顰めっ面をする信長に、帰蝶は正すような口調で言った
「城が栄える要因は、何でしょう」
「そりゃ、周辺が活気付いてるか付いてないかだ」
「その活気は、どこから生まれます?」
「そうだな、例えば商店とか近隣住民とか?」
「その商店、住民、つまり鳴海の民を奪ってしまえば、この鳴海はどうなりますか?」
「
一瞬、帰蝶の言葉に目を丸くして、それから軽く溜息を吐き、やがて大笑いする
「お前、机上の空論としても途方もないことを言い出すな」
「でも、不可能ではないはずです」
「だが、それには暇が掛かる。掛かり過ぎる。増してや、鳴海の民をどこに収容するんだ。尾張はそんなに土地は余ってないぞ?」
「土地とは限りません」
「限らない?」
「尾張には、美濃にはない物がある」
「美濃にはないもの」
自信たっぷりに微笑む帰蝶を見て、信長の表情が呆然と変わる
「まさか」
「そのまさかです」
「
大きな荷台が、列を連ねて鳴海を出て行く
その様子は当然、教継にも報告として入った
「何をしている!」
「それが・・・」
鳴海の民達がこの地を去ろうとしているのだと聞かされ、教継は慌てふためいた
勿論これは帰蝶の作戦で、実際の住民達は自分の家に籠ってじっとしている
「もう直ぐこの辺りで争いが起きるかも知れないから、家の中で大人しくしていろ」と触れ回り、決して表には出ないよう命令した
荷台は殆どが藁で、その上を筵を敷いて隠しただけで、実際は上げ底の張りぼてと同じだ
「ほれ、早く進め!次がつっかえてるんだ」
荷台を引いているのは織田軍の足軽達で、鎧を脱いで平民に成り済ましただけのこと
伊勢湾に向かう振りをして、途中の森で引き返し、こっそり村や町に戻る
そして何食わぬ顔をして再び、伊勢湾に向かって行列を作った
手間隙の掛かる作戦だが、どちらにも被害の出ない平和的な作戦でもある
それを住民らの引越しと勘違いした教継は、慌てて信長に対し詫びを入れたのだから、効果覿面だった
数刻戦の真似事をしただけで、信長はその日の内に那古野に帰還した
「奥方様!」
帰蝶の安否を心配していたなつは、血相を変えて門前まで駆け出して出迎える
「ご無事で何よりです」
「心配掛けました」
「鳴海の方は、如何でしたか?戦などには巻き込まれませんでしたか?」
「はい。殿が上手くいなしてくださいました」
「若が・・・」
自分の知っている信長は、大人の言うことなど聞こうともしないやんちゃ坊主で、勇ましさはあっても将の器ではないと想っても仕方がないほど『出来が悪い』
その信長の采配で、争いらしい争いは起きず、おまけに今回の騒動を起した山口親子に詫びを入れさせて閉幕したと言う
なつにはとても信じられない
が、後日、それがとんでもないことに帰蝶の案が採用され実行したら、上手く行ったと言うことで、これもなつには信じられない話だった
この夫婦は将来、とんでもなく化けるのではないか
そんな気がする
「何はともあれ、帰蝶の策に乗って正解だったな」
「今回はたまたまです。これが何度も続くとは想えませんので、やはり場数を踏まないことには」
「じゃぁ、次も参戦するか」
これにはなつも即座に怒鳴る
「若!奥方様はこれから、殿の子を成さねばならないという大役が待っているのですよ?!然う然う戦などに引っ張り回さないで下さいませ!」
「わかったわかった、冗談だ」
なつの怒鳴り声に信長は肩耳に指を突っ込むが、帰蝶もなつも、言ってることは確かにそうだがそれでもやはり、帰蝶の中で眠る『何者か』が気になった
もしも男に生まれていたら
それを連想せずにはいられなかった
もしも帰蝶が男に生まれていたら
自分にとって脅威となる存在だったかも知れない
そんなありもしないことを想わずには居られない春のことだった
この数日後、内緒にはしていたとは言え、やはりどこからか漏れたのか、帰蝶を戦場に連れて行ったことを道三に知られ、早速手紙が信長の許に届けられた
早急に逢いたい
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濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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更新のお知らせ
(02/20)
(10/16)
(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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