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自分で小説を作るとなると、やはり想像ばかりではなく史実に基づいた事柄も取り入れなくてはなりません
わたしはあんまり信長を知らないので、一々史料サイトや本を開かなくてはならないのだけど、最近は一般に販売されてる本よりも2ちゃんねるの「日本史板」とか「戦国板」とかの方がより詳しいことが書かれてたりするので、昨日はずっとそれを読んでました
勿論、個人的見解もあるので、それはそれで参考の一つとして読み進めますが、史料に基づいたものではない限り「ああ、そう言う見方もできるのか」という風に受け取っています
何より、本当の歴史好きの人は、濃姫を悪く書かないですね
それが一番驚きました
濃姫を知りたいと思ったら、その周辺の人まで調べないと気が済まない性質のわたしは、道三のことまで調べてみたり、時間がいくらあっても足りません
去年は石田三成にはまって、とことん調べまくって結果、「清廉潔白な人間だけど、やっぱり不器用だから周囲に誤解されて、本人は「別にぃ~」なエリカ様体質だもんで誤解されたまま放置で現在に至る人間評」と結論が出ました
大河の主役向きの人間ではないですね・・・(汗
見知らぬ人にも「徹底的に調べないと気が済まない性質(たち)でしょう?」とずばり言い当てられてしまうわかりやすいわたしが、これまで得た情報などを纏めた結果、やはり濃姫は信長の最期の時まで『正妻』として側にいたのではないだろうかと言うところに行き当たりました
勿論、これが正しい、正解、と言うものがないのが歴史なので、わたしの極個人的な意見です
濃姫が道三の死後、政治的な理由で離縁され実家に帰されたと日テレの武功夜話オンリーの捏造番組ではやってましたが、それだと辻褄に歪みが発生します
武功夜話では「道三の死によって、織田は斎藤と同盟を組む理由がなくなった」と書かれているそうですが、そもそも斎藤と同盟を組みたがっていたのは織田であり、それを手配したのは平手政秀(信長のお守)のはずです
信長公記にも、それが残っているはずです
平手の切腹事件により、道三が不安になって信長に会見を申し出たようなのですが、この時、道三は信長の将来を期待し、より一層両家の絆の深さを願うため、道三は「帰蝶の婿」に美濃の一部を譲渡する約束をしています
そしてそれはそのまま、道三の遺言になり、その遺言状も信長公記にも残っているそうです
ただ、道三の遺言の件は信長公記にしか書かれてなくて、信憑性を疑われていますが、信長公記そのものの信頼性の高さは今でも一級史料とされているので、他人が知らないだけの話しでしょうし、遺言とかははっきり言って『その家だけの問題』なので、他に漏れることも少ないのではないだろうか
そもそも『帰蝶の婿』と書かれてあるので、信長が濃姫を手放した時点で『財産放棄』になります
斎藤三代目の龍興を追い出した時の『義父の仇』という大義名分は、存在しなくなります
濃姫の詳細がないことに付け込んだ『武功夜話』の捏造が、「濃姫早世説」や「濃姫離縁説」が出たのではないでしょうか
早世したのなら、それは織田がどうかしたわけではないので、信長公記にも堂々と書けることだし、もし謀反の気があり成敗されたとしても、それも織田にとってはこれこそ『大義名分』になるはずですし、それを口実に美濃を攻める事だってできたわけです
それが一切ないと言うことは、道三の死後も濃姫は信長の側に居て、変わらず『正妻』でいたことにはならないでしょうか
道三との会見から道三が死ぬまでの間、両家は本当に友好だったようで、お互い行き来していたらしい痕跡も見付けました
道三が長良川に追い詰められた戦では、信長が自ら出馬していたそうです
同盟や後ろ盾とかの政治関係ではなく、「妻の父親」と言う信長の人間的な感情が働いたのではないだろうか
だけど、後世の信長像がそれを許さなかった
今の人間が、信長と濃姫の夫婦仲の良さを殺してしまったような気がします
信長が美濃(正確には稲葉山城)を落としたのは、二人が結婚して18年目のことです
それまで信長は美濃にはほとんど手を出していません
義龍時代、両家の間には特筆するほど戦は起きてなくて、道三の死後も『濃姫』の存在が両家の同盟関係を保っていたのではないでしょうか
義龍が病死しても、それでも信長は斎藤には手出しをした形跡はなく、義龍の息子・龍興が尾張に攻め込んで来て「お前、いい加減にしろよー?!」とぶちぎれた信長が再び稲葉山を攻撃するけれど、やっぱり追い返されてるんですよね
信長が稲葉山を落としたのは、竹中半兵衛による『謀反』(それほど深い意味はなかったそうだが)による稲葉山城強奪事件の後です
半兵衛が秀吉に加担したために、難攻不落の稲葉山を戦下手の信長が無血開城で手に入れた、つまりは『棚から牡丹餅』だったのです
早い話が、思わぬことで欲しかった城が手に入った
そんな感じです
道三が美濃を掌握したと言っても、美濃そのものは大きくて、また、国人衆も力も大きくて、信長でさえ手に余った状態
武力で押さえ込むのが困難だとしたら、ここでもやはり「道三の娘」の存在が大事となります
濃姫が存在しなければ、国人衆の反対に遭い、信長は精々稲葉山しか手に入らないだろうし、手に入っても追い出されてた可能性はないでしょうか
義龍の時代は、信長の尾張より美濃の方が国内安定度が上だったそうです
となると、義龍の政治手腕はかなり優れていたのでしょうね
結局信長は、義龍には勝てなかったのだから(逆に、義龍も信長に勝てなかったということになるけど)小競り合いはあっただろうけど表面上、両家の間には不安定ながらも同盟が成立してたのではないでしょうか
これは検証の必要があるのですが、信長VS義龍の争いは道三が討ち取られた長良川の戦いの後半戦、大浦合戦と、同じ年に起きた信勝謀反の時に結託したらしい睨み合い(これが『稲生の戦い』かどうかまでは書かれてませんでした。信長信者の書くことは、取りとめがないです)、森辺合戦の3つ4つくらいだそうです
「永禄4年4月13日、森辺の戦いで斎藤龍興軍、織田信長軍に勝利」と書いてあるサイトもあるんですが、天下統一期年譜にはそんなの載ってないし・・・
ただ、信長が弟信勝と小競り合いしてた頃には義龍は道三の後継者として正式に認められてはいるようです
だとしたら、迂闊には手を出せない状態ですね
1553年の道三・信長の会見の後、二人は間に安藤守就(美濃三人衆の一人)を挟んでこまめに行き来していたようです
この時「お義父さん、清洲落とします」とか相談してたんじゃないでしょうか
で、道三も「おぅ、やれやれ、安藤守就貸してやるぞ」とか言ってそうな気配あり
そして、清洲を落としたのは信長ではなく織田信光
信長は織田信光から清洲城を譲渡されただけ
ああ、ここでも信長の『棚から牡丹餅』伝説が・・・(笑
そんなこんなで、歴史に明確な答えはないけれど、調べれば調べるほど意外な人物性と言うものが出て来て、信長は本来は気の良いにーちゃんだったんじゃなかろうかと思うようになって来た
そんな人が、奥さん追い出すかね?
無頓着さが故に『武功夜話』なんて三文小説が史実として幅を利かせてしまったのだけど
これこそ、歴史の皮肉です
ああ、それと!
濃姫の最初の不名誉な話し
信長の庶子・信正ですが、信長の子供ではないそうです!
わたしも、どうもおかしいと思ってました
信長の子供にしてはその叔父の直政はさほど出世してないし、信正生母も詳細は残ってないし(この時点で信長の側室だったかどうかもあやふやらしいです)
ただ、信正自身は信長に気に入られていて、可愛がられてはいたそうです
それが所以して、信長の隠し子と言う伝説が生まれたのでしょうか
実際は信長ではなく織田の縁者の誰かの子供ではないかと言うことらしいです
2ちゃんねるの有識者の話では「信長の子供どころか、織田弾正忠家とは別系統の可能性が高い」そうです
私的見解なので、それが事実かどうかはわかりませんが
それと、やはり信雄生母と信長が特別な関係と言うのもなさそうです
全てはフィクションでした
信雄生母の実家は、信雄誕生でそれなりの地位は手に入れたけど、実際信長が重用したのは信雄生母の実家ではなく、親戚の方の生駒でした
これが武功~の「生駒後家最愛女性説」が誕生したのでしょうね
とにかく、『生駒後家』と言う女性そのものが存在しないので、一日でも早く「武功~は歴史小説であって史料ではない」という認識を、一人でも多くの、それこそ歴史には興味のない人にも持って欲しいです
結論として、『武功~』は生駒家の存在のでかさを世間に知らしめようとしたけど実際存在がでかいのは生駒の親戚(高松城のお殿様は信長生母の甥で、土田家の嫡男。生駒後家の弟では有りません。地元民に確認済み)
で、濃姫を追い出してしまったがために濃姫擁護派のわたしにとことん嫌われると(笑
とにかく、信長信者の井沢元彦はうざい
武功夜話信者の小和田教授も死にさらせ
そんな感じです
わたしはあんまり信長を知らないので、一々史料サイトや本を開かなくてはならないのだけど、最近は一般に販売されてる本よりも2ちゃんねるの「日本史板」とか「戦国板」とかの方がより詳しいことが書かれてたりするので、昨日はずっとそれを読んでました
勿論、個人的見解もあるので、それはそれで参考の一つとして読み進めますが、史料に基づいたものではない限り「ああ、そう言う見方もできるのか」という風に受け取っています
何より、本当の歴史好きの人は、濃姫を悪く書かないですね
それが一番驚きました
濃姫を知りたいと思ったら、その周辺の人まで調べないと気が済まない性質のわたしは、道三のことまで調べてみたり、時間がいくらあっても足りません
去年は石田三成にはまって、とことん調べまくって結果、「清廉潔白な人間だけど、やっぱり不器用だから周囲に誤解されて、本人は「別にぃ~」なエリカ様体質だもんで誤解されたまま放置で現在に至る人間評」と結論が出ました
大河の主役向きの人間ではないですね・・・(汗
見知らぬ人にも「徹底的に調べないと気が済まない性質(たち)でしょう?」とずばり言い当てられてしまうわかりやすいわたしが、これまで得た情報などを纏めた結果、やはり濃姫は信長の最期の時まで『正妻』として側にいたのではないだろうかと言うところに行き当たりました
勿論、これが正しい、正解、と言うものがないのが歴史なので、わたしの極個人的な意見です
濃姫が道三の死後、政治的な理由で離縁され実家に帰されたと日テレの武功夜話オンリーの捏造番組ではやってましたが、それだと辻褄に歪みが発生します
武功夜話では「道三の死によって、織田は斎藤と同盟を組む理由がなくなった」と書かれているそうですが、そもそも斎藤と同盟を組みたがっていたのは織田であり、それを手配したのは平手政秀(信長のお守)のはずです
信長公記にも、それが残っているはずです
平手の切腹事件により、道三が不安になって信長に会見を申し出たようなのですが、この時、道三は信長の将来を期待し、より一層両家の絆の深さを願うため、道三は「帰蝶の婿」に美濃の一部を譲渡する約束をしています
そしてそれはそのまま、道三の遺言になり、その遺言状も信長公記にも残っているそうです
ただ、道三の遺言の件は信長公記にしか書かれてなくて、信憑性を疑われていますが、信長公記そのものの信頼性の高さは今でも一級史料とされているので、他人が知らないだけの話しでしょうし、遺言とかははっきり言って『その家だけの問題』なので、他に漏れることも少ないのではないだろうか
そもそも『帰蝶の婿』と書かれてあるので、信長が濃姫を手放した時点で『財産放棄』になります
斎藤三代目の龍興を追い出した時の『義父の仇』という大義名分は、存在しなくなります
濃姫の詳細がないことに付け込んだ『武功夜話』の捏造が、「濃姫早世説」や「濃姫離縁説」が出たのではないでしょうか
早世したのなら、それは織田がどうかしたわけではないので、信長公記にも堂々と書けることだし、もし謀反の気があり成敗されたとしても、それも織田にとってはこれこそ『大義名分』になるはずですし、それを口実に美濃を攻める事だってできたわけです
それが一切ないと言うことは、道三の死後も濃姫は信長の側に居て、変わらず『正妻』でいたことにはならないでしょうか
道三との会見から道三が死ぬまでの間、両家は本当に友好だったようで、お互い行き来していたらしい痕跡も見付けました
道三が長良川に追い詰められた戦では、信長が自ら出馬していたそうです
同盟や後ろ盾とかの政治関係ではなく、「妻の父親」と言う信長の人間的な感情が働いたのではないだろうか
だけど、後世の信長像がそれを許さなかった
今の人間が、信長と濃姫の夫婦仲の良さを殺してしまったような気がします
信長が美濃(正確には稲葉山城)を落としたのは、二人が結婚して18年目のことです
それまで信長は美濃にはほとんど手を出していません
義龍時代、両家の間には特筆するほど戦は起きてなくて、道三の死後も『濃姫』の存在が両家の同盟関係を保っていたのではないでしょうか
義龍が病死しても、それでも信長は斎藤には手出しをした形跡はなく、義龍の息子・龍興が尾張に攻め込んで来て「お前、いい加減にしろよー?!」とぶちぎれた信長が再び稲葉山を攻撃するけれど、やっぱり追い返されてるんですよね
信長が稲葉山を落としたのは、竹中半兵衛による『謀反』(それほど深い意味はなかったそうだが)による稲葉山城強奪事件の後です
半兵衛が秀吉に加担したために、難攻不落の稲葉山を戦下手の信長が無血開城で手に入れた、つまりは『棚から牡丹餅』だったのです
早い話が、思わぬことで欲しかった城が手に入った
そんな感じです
道三が美濃を掌握したと言っても、美濃そのものは大きくて、また、国人衆も力も大きくて、信長でさえ手に余った状態
武力で押さえ込むのが困難だとしたら、ここでもやはり「道三の娘」の存在が大事となります
濃姫が存在しなければ、国人衆の反対に遭い、信長は精々稲葉山しか手に入らないだろうし、手に入っても追い出されてた可能性はないでしょうか
義龍の時代は、信長の尾張より美濃の方が国内安定度が上だったそうです
となると、義龍の政治手腕はかなり優れていたのでしょうね
結局信長は、義龍には勝てなかったのだから(逆に、義龍も信長に勝てなかったということになるけど)小競り合いはあっただろうけど表面上、両家の間には不安定ながらも同盟が成立してたのではないでしょうか
これは検証の必要があるのですが、信長VS義龍の争いは道三が討ち取られた長良川の戦いの後半戦、大浦合戦と、同じ年に起きた信勝謀反の時に結託したらしい睨み合い(これが『稲生の戦い』かどうかまでは書かれてませんでした。信長信者の書くことは、取りとめがないです)、森辺合戦の3つ4つくらいだそうです
「永禄4年4月13日、森辺の戦いで斎藤龍興軍、織田信長軍に勝利」と書いてあるサイトもあるんですが、天下統一期年譜にはそんなの載ってないし・・・
ただ、信長が弟信勝と小競り合いしてた頃には義龍は道三の後継者として正式に認められてはいるようです
だとしたら、迂闊には手を出せない状態ですね
1553年の道三・信長の会見の後、二人は間に安藤守就(美濃三人衆の一人)を挟んでこまめに行き来していたようです
この時「お義父さん、清洲落とします」とか相談してたんじゃないでしょうか
で、道三も「おぅ、やれやれ、安藤守就貸してやるぞ」とか言ってそうな気配あり
そして、清洲を落としたのは信長ではなく織田信光
信長は織田信光から清洲城を譲渡されただけ
ああ、ここでも信長の『棚から牡丹餅』伝説が・・・(笑
そんなこんなで、歴史に明確な答えはないけれど、調べれば調べるほど意外な人物性と言うものが出て来て、信長は本来は気の良いにーちゃんだったんじゃなかろうかと思うようになって来た
そんな人が、奥さん追い出すかね?
無頓着さが故に『武功夜話』なんて三文小説が史実として幅を利かせてしまったのだけど
これこそ、歴史の皮肉です
ああ、それと!
濃姫の最初の不名誉な話し
信長の庶子・信正ですが、信長の子供ではないそうです!
わたしも、どうもおかしいと思ってました
信長の子供にしてはその叔父の直政はさほど出世してないし、信正生母も詳細は残ってないし(この時点で信長の側室だったかどうかもあやふやらしいです)
ただ、信正自身は信長に気に入られていて、可愛がられてはいたそうです
それが所以して、信長の隠し子と言う伝説が生まれたのでしょうか
実際は信長ではなく織田の縁者の誰かの子供ではないかと言うことらしいです
2ちゃんねるの有識者の話では「信長の子供どころか、織田弾正忠家とは別系統の可能性が高い」そうです
私的見解なので、それが事実かどうかはわかりませんが
それと、やはり信雄生母と信長が特別な関係と言うのもなさそうです
全てはフィクションでした
信雄生母の実家は、信雄誕生でそれなりの地位は手に入れたけど、実際信長が重用したのは信雄生母の実家ではなく、親戚の方の生駒でした
これが武功~の「生駒後家最愛女性説」が誕生したのでしょうね
とにかく、『生駒後家』と言う女性そのものが存在しないので、一日でも早く「武功~は歴史小説であって史料ではない」という認識を、一人でも多くの、それこそ歴史には興味のない人にも持って欲しいです
結論として、『武功~』は生駒家の存在のでかさを世間に知らしめようとしたけど実際存在がでかいのは生駒の親戚(高松城のお殿様は信長生母の甥で、土田家の嫡男。生駒後家の弟では有りません。地元民に確認済み)
で、濃姫を追い出してしまったがために濃姫擁護派のわたしにとことん嫌われると(笑
とにかく、信長信者の井沢元彦はうざい
武功夜話信者の小和田教授も死にさらせ
そんな感じです
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濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
更新のお知らせ
(02/20)
(10/16)
(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
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麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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