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ちらちらと、日差しも強くなって来る季節
もう直ぐ夏がやって来る
海辺に程近い那古野の城の縁側で、吉法師は日差しの先を辿り、日の光りに目が痒くなり、手の甲でゴシゴシと擦り付けた
それから、生え変わりに差し掛かった右の上の犬歯のぐらぐら感に、歯痒い想いをする
ふと一陣の風が庭を走った
この時季独特の、粘つくようなべったりとした潮の香りと、仄かに黴臭い匂いに、鼻先もくすぐったくなる
ああ、梅雨がやって来るのだな、と、感じた
この日の夕餉、好物であるいかの塩辛を大胆にも大量に頬張ってしまい、口の中で『ガリッ』と言う嫌な感触に、噛んでいたいかを吐き出す
やや紫に染まるいかの肉に紛れて、抜け掛けていた犬歯が出て来た
一歩、大人に近付いたと想えた
だけど、抜けた歯を見せられる『誰か』も居なかった
みんな、新しい城に引っ越してしまった
父も
母も
弟も
乳母も
幼馴染みも
みんな、ここから出て行ってしまった
残ったのは口煩い爺と、陰気臭い若い男と、それから、直ぐに頭から角を生やす侍女
誰かに見せびらかす心境には、なれなかった
ぽつりぽつりと、小さな滴が空から落ちて来る
雨だった
じめじめした纏わり付く空気に、心が落ち込みやすくなる
気分を変えたくて、この日吉法師は遠出をした
今は海を見る気にはなれなくて、何となくだが木曽川を目指した
清洲を抜け、一宮に到着する
清洲を越えたのだから、これを知られれば父や母から相当の咎が出るだろう
それでも、ただ今は馬に乗って、何も考えず自由なままで居たかった
頬に当る雨に気付き、馬を止めたのは羽島の辺りだった
馬から降りて、木曽川の様子を眺める
「今年は氾濫とか起きなければ良いのだがな」
流れる川に雨が落ち、波紋があちらこちら至るところに広がっている
魚の流れも少ない
まさか、と、不安が過った
「帰った方が賢明だな」
そう小さく呟くと、馬の手綱を掴む
その時ふと、対岸に、幼い少女とそれに付き添う少年の姿が見えた
「ん?」
この辺りは川幅が最も狭い場所であるためか、その顔は確認できなくとも年齢などの様子ぐらいは伺える
「こんなとこで、何を。川狩りかな」
吉法師は、その一組に手を当て、大声で呼び掛けた
「おおーい!もう直ぐ川の水嵩が増すぞ!早く家に帰れー!おーい!」
その声に気付いた少女が顔を上げる
「おおーい!」
何を言っているのかはわからないが、手を振り自分を呼んでいるようにも見えた
「おい、お清」
「はい」
「向こうのあの童(わっぱ)は、何をしている」
そう聞かれ、少年も声のする方を見やった
「さあ?」
「もう直ぐ川が氾濫するかも知れないと言うのに、暢気に川遊びか?しかも、この私に手招きをしているではないか」
「姫様と遊びたいのですかね?」
「だったら、向うから来るのが筋だろう?」
少女は手にしていた子供用の弓を徐に持ち上げ、構えた
「無礼なヤツだな。射殺してやる」
「姫様ッ!」
驚いた少年が、慌てて背後から羽交い絞めして止める
そんな会話も知らず、引き摺られるように去ってゆく少女の姿に、吉法師はほっと胸を撫で下ろした
さやさやと、木の葉が落ちる秋の頃、吉法師は元服し『信長』を名乗った
同時に、美濃から嫁をもらう段取りにも入る
だが、待てど暮らせど美濃から来るはずの嫁は、来なかった
しんしんと、桜の花弁が舞い散る頃、信長に初陣の話が持ち上がった
これに勝利すれば美濃から家族を呼べると、信長はただ単純にそう想っていた
今川方に味方した村を襲撃すると、信長の当初の作戦はこれであった
ところが、中を割ってみればそうではない
「村を焼き討ち?」
信長の提案に、平手政秀はキョトンとした
「そうじゃ。予め予告して、それから村に火を点ける」
「点けて、どうなさいますので?」
「今川が驚いて、逃げて行くじゃろ?」
「ええ?」
莫迦な発言と行動の目立つ若様だが、ここまで莫迦だとは想わなかった
だが、主君である以上は一応従わなければならない
村へ脅迫を掛け村民を追い出した後、信長の命令通り村に火を放つ
ところが、信長の言葉がそのまま現実になるかのように、今川の軍勢が驚いて吉良を離れて行く
「 」
まさかと、政秀は呆然として状況を見詰めた
「ほらな、わしの言った通りじゃろ」
全ての乳歯が生え変わり、小さな口の中に大きな大人の歯が無理矢理並ぶ間抜けな顔で信長がにっと笑うのを、政秀はやはり無言で見詰めていた
計り知れない器の持ち主だ、と
今は昔、そんな想い出話のできる相手もなく、知ることもなく、帰蝶は墨俣に到着した
「殿!」
赤母衣の筆頭である青年が駆け寄る
「どうした。シゲは」
「黒母衣筆頭は、十九条からの応援要請に出ました!」
「斎藤が動いたのか」
「その通りでございます」
「わかった」
松風から一度も降りぬまま、帰蝶は反転した
「兵助!出撃だ!」
「承知ッ!」
赤母衣の一人が、透かさず帰蝶に兜を手渡した
「赤母衣は清洲から蜂須賀を呼べ!必要なら、お能を連れて来ても良いと伝えろ!」
お能を餌に、正勝を動かすつもりである
兜の緒を締めながら、帰蝶は命令した
「誰か随行しろ!道すがら、状況を聞くッ!」
「はッ!」
長井道利の拠る十四条から、斎藤の軍勢が出張って来た
勝家、可成の迎撃部隊がそれに応戦する
数では圧倒的に斎藤が勝る状況、それでも一歩も引こうとしない可成に押されたか、感化されたか、勝家も踏ん張りを見せた
「森殿!」
後方から指示を出す可成の許へ駆け寄る
「どうなさいました、柴田殿。殿が到着されましたか?」
「いや、その報せはまだない。そうではなくて、不躾かも知れませんが、指揮を森殿にお願いできないかと」
「え?」
最前線の陣頭指揮は勝家が直接、帰蝶から命令されていた
それを可成に譲ると言うのだから、首を傾げるのも理解できる
「どう言うことで?」
「織田一族同士の争いなら、わしでもある程度は指揮が執れる。しかし、頭脳戦を専らとする斎藤が相手では分が悪い。真っ直ぐ突っ込んで罠でもあれば、全滅は免れない。その点、森殿はわしと違って冷静だ。そこを買っているのだが」
「柴田殿」
「すまぬが、森殿が現場を指揮してくださらんか」
「私でよいので?」
「斎藤を知り尽くした森殿しか、適任者はおりません」
「知り尽くすほど熟知はしておりませんが、お役に立てるのであれば尽力も惜しみません」
「ありがたい」
可成の返事に、勝家は髭だらけの強面な顔をニカッと歪ませた
「では、入れ替わりを行ないます。わしの直属の部隊が先頭に出るのと同時に、森殿の部隊は奥へ下がってくださるか」
「承知した」
浮野の争いでは反発し合った二人だったが、墨俣攻略前の関わりが壊れ掛けた関係を解決させていた
勝家と可成の部隊が入れ替わり、可成の指示で勝家が動く
頭を動かすよりも、体を動かしている方が性に合う
総大将自ら指名された指揮ではあったが、何事も臨機応変に対応する主の気性をよく知る勝家は、このことで帰蝶からお咎めを受けるとは到底考えてはいなかった
「左より右上に進み、進路を確保」
可成の指示が素早く伝わり、将棋の駒のように意のままに動く勝家らを眺める
「ほぼ、直感で動いている感は否めないが、さすがは歴戦の猛者。動きが良い」
感心しながら次の指示を出す
「左右より挟んで敵の退路を分断、混乱を起させる」
別方向では恒興と、帰蝶からの伝令を受けている成政が合流した
「池田隊の全指揮権は、佐治に委ねている。私は後方支援に専念するので、そのつもりで頼む」
「承知。では、我らはこれより十四条に向け 」
見慣れない顔が佐治の側に居ることに気付き、成政は訝しげに見詰めた
「あ、ああ、この人は蜂須賀様の部下で、藤吉さんと仰ります」
「蜂須賀殿?」
「どうも!」
藤吉は人好きのしそうな、飛び切り愛想の良い笑顔で応えた
「どうして蜂須賀殿の部下が、こんなところへ?」
「手柄を取りに来ました」
素直に応える藤吉に、成政は苦笑いする
「なれば、取るのは手柄のみ、不名誉までは取らぬよう心掛けよ」
「ははーっ」
大袈裟に頭を下げる藤吉の姿に、佐治は苦笑いし、成政はその調子の良さに軽く溜息を吐く
「権さんと三左殿が先行しています。斎藤は主力部隊である長井が出張っているので、意地でも後退はしないでしょう」
「攻め易くなりますね」
「意地と意地のぶつかり合いなら、軍配は我らが殿に降りるだろうが」
「くくく」
この場に相応しくないほど、恒興は顔を歪ませて笑った
先行する勝家、可成らの部隊が長井と争っている十九条を目指す
前線を入れ替わったことも報告されるが、特に癇癪を起すこともない
勝家の睨んだ通りだ
それよりも、斎藤がそこまで迫っていたことも知らず、暢気に清洲に戻っていた自分を詰りたかった
挙句の果てには、なつに八つ当たりまでしてしまった
恥しい、大人気ない行為だったと後悔する
「長井、斎藤の加勢を受け現在八千弱の勢力。織田は 」
隣で赤母衣が報告する
「承知してる。久助の部隊をもう少し引き留めておけば良かったと後悔しても、今更なんだと言われるのが落ち。だったら、今の兵力で長井に対抗する」
「勝機は」
「 」
叔父上が引き上げてくれれば、後はやりやすい
そう心に浮かぶのを、帰蝶は言葉にしなかった
「今は長井の勢力を削らせる。三左が居るんだ、問題はないだろう。後は権を上手く使えれば」
「使えますかね、森殿に」
隣で兵助が口を挟む
「どうだろうな。以前、一度諍いを起こしたことがあるとは聞いているが、権は兎も角三左は大人だ。昔の些細なことなど根には持たん。そんな小さな男だったら」
夕庵が遣したりするものか
「今はただ急げ。清洲から休みなしだからと言い訳は、負けた時に聞く」
「承知」
伝令に兵助の馬が離れるのを、帰蝶はただ黙って見ていた
側に居てくれるから・・・
美濃の稲葉山城で見慣れた顔がそこにあるから、耐えられるのだろうと、帰蝶は感じた
誰が好き好んで、自分の生まれた国に戦を仕掛けるか
発った頃は夫の仇を取りたいと、ただその一心だったかも知れない
だが、墨俣に入り美濃の状況を聞く内に、一刻も早く美濃を取り戻したいという気持ちが濃厚になって行った
自分が嫁いだあの頃と今とでは、美濃は余りにも変わってしまっていた
『人』と『人』の心が離れ過ぎている
美濃を愛する人間が減りつつある
それは、美濃を愛している帰蝶には、到底耐えられるものではなかった
斎藤からの離反、織田への関与、これが上手く行っているのは、人の心が美濃から離れている証拠である
自分にとっては有益かも知れないが、『美濃の姫君』であった帰蝶には、つらく悲しい現実でもあった
早く美濃を取り戻したい
それが今の帰蝶の願いだった
やや飛騨寄りの越前にある、とある草庵
小さな建物は入る人間の数を制限し、しかし建物自体は厳かな中にも気品を兼ね備え、相応の貴人が暮らしているのだろうと、周辺の住民は想像していた
その草庵の応接間に二人の武人と一人の尼が対峙している
一人はまだ若い青年
一人は若干中年期に差し掛かった頃合
尼はそれより更に年を取っていた
「 やっと、ここに辿り着いたのね。十兵衛」
明智光安の妻・しきは瞳を潤ませながら、義理の甥である光秀を見詰めた
「せめて、生きていることだけは先にお知らせするべきでした。申し訳ございません」
世話になっていた恩人に対し、長く音信不通であったことを深く詫びる
「仕方がないわ。私なりに色んな情報を集めました。私が城を出た後、長井に落とされたことも、存じてます」
「叔父上は・・・」
あの時の悔しさ、悲しみが蘇り、光秀の喉が詰まる
「私達の身代わりに・・・」
光秀の言葉に、側に居た三宅弥平次が嗚咽を漏らした
「この時代では、当然のことです。あなたは明智家の跡継ぎなのですから、何よりも大事なのはあの人が一番よく知ってました。当たり前のことをしただけ、あなたはそれを負い目に感じることなどありません」
「大方様・・・」
「今はもう、その名は既に息絶えた。私を『大方』と呼ぶのは、およしなさい」
「はい・・・」
「弥平次」
「はい・・・」
鼻を啜りながら、弥平次は返事した
「よく、十兵衛を守り抜きました。さすが名門・三宅家の嫡男。お前は充分、役目を果たしたわ。もう、心の重荷を下ろしなさい」
「大方・・・、臨秋院様・・・」
「お前達、よく来ました」
「 」
しきの労いの言葉に、二人は畳に額を付けて土下座した
「熙子・・・は?」
「熙子は・・・」
しきの問い掛けに、光秀は苦笑いをする
「今、臥せっております」
「まあ・・・!どうかしたの?」
「いえ、大したことではありません」
「ご懐妊なさっておいでなのです」
弥平次の答えに光秀は顔を赤く染め、しきは驚きに目を丸くさせる
「非常時に、何を・・・と、お叱りを受けますでしょうが」
「いいえ。寧ろこんな時だからこそ、夫婦睦まじいのは豊かなことです。恥じることではありません」
「義叔母(おば)上様・・・」
「そう、熙子が懐妊を・・・」
しきは嬉しそうに頬を緩めた
「美濃を脱して、東海、近畿を放浪しました。西は丹波まで、東は遠江まで。さすがに駿府には足を踏み入れることはできませんでしたが」
「当たり前です。帰蝶の夫が今川を落としてから、武田の動きが怪しくなっています。もしもそんな時に踏み込めば、落ち武者狩りに遭うのは避けられません。そのような危ないことは、もうよしてちょうだい」
「すみません・・・。ですが、様々な国を巡り、様々なことを学びました。国の特色も。その中で、この越前は豊かだ。そして、その軍事力も知りました。道三様が越前を真似ようとなさっていたことも、理解しました」
「道三様の?」
光秀の言葉は、政治に関与していないしきには到底理解できるものでもなかった
「ですが、そのお陰で熙子の体調が崩れ、追い討ちを掛けるかのように妊娠。妻には本当に、申し訳ないことをしたとしたと想っております」
「なら、熙子だけでもうちで預かりましょうか」
「え?」
想ってもみないしきの提言に、光秀は目を見開いた
「こんな小さな庵だけれども、それでも慕ってくれる民は居るのですよ。ささやかな供物も持って来てくれます。根無し草のような生活をしているお前と共に暮らすよりも、妊娠中の躰には余程良いでしょう」
「義叔母上様・・・」
「お前達はその間に、職を探しなさい。仕官したいのであれば、私が口添えをしましょう」
「仕官?」
「私の親戚が、越前・朝倉に仕えております。その伝手を頼って、私も越前に来たのだけれど、最近京で不穏な動きがあるとか」
「 讃岐の・・・」
「ええ」
「心憂いても、今の私にはどうすることもできないと、ただ歯痒い想いをするだけです」
「どうにかできるとしたら、お前は何がしたいの?」
「え?」
突然の義叔母の質問に、光秀は一瞬目を見開いた
「今お前に何かができるとしたら、何がしたいの?」
「それは・・・」
言葉が出て来ず口篭る
「笑わないから、言ってごらんなさい。ここは長山ではないのよ。与太話だとしても、笑っていられるわ」
「義叔母上様・・・」
微笑むしきに、光秀も弥平次も引き攣りながらも笑えた
「そう・・・ですね。私に何かができるとしたら、傾き掛けた将軍家を、再興したいです」
「将軍家を?どうして?」
光秀の言葉に、しきは聞き返す
「将軍家が安泰であれば、武家も戦をする必要がなくなります。今、こうして戦乱が起きているのは、将軍家が不安定だからです。将軍家さえ安定していれば、各国の大名家に睨みが効く。睨みが効けばその下の武家も大人しくなる。不要な争いで泣く人も出なくなる・・・」
「十兵衛・・・」
「甘ったれた考えと、どうか笑ってください」
「いいえ、笑わないわ。お前らしい考えだと想います」
「義叔母上様」
「明智の再興ではなく、先に将軍家だなどと、お前でなければ考え付かないでしょうね」
「 」
認めてもらえた嬉しさと、見透かされた恥しさが入り乱れ、光秀は苦笑いした
「強いものが弱いものを食らう当たり前の時代。だからこそ、力奪われた明智が再興するには、強力な後ろ盾が必要です」
「それを将軍家に?」
「はい。 今は伝手もなくただ放浪する身ではありますが、いつか必ず将軍家に取り入り、明智の家を興したい。取り戻したい」
「十兵衛・・・」
「そう、考えております」
「そうですか。お前にその考えがあるのなら、縁者に頼んでお前を朝倉家に取り入ってもらいましょう」
「朝倉家に?」
「以前は斎藤と争い、お前にも私にも昔は敵(かたき)の家だったかも知れません。だけどね、もう『昔』の話なのよ、十兵衛」
「 」
言葉では応えられず、光秀は黙って頷いた
「 私は・・・」
心の中に抱えた想いを、そっとしきに話す
「私は、放浪の間、ずっと考えておりました」
「何を?」
「私に、何ができるのかと」
「十兵衛」
「放浪の最中、帰蝶姫の嫁がれた織田が、駿府の今川を倒したと聞きました。俄には信じられませんでした」
「ええ、私もです。あの小さき家の何処に、大家を倒す力があるのかと、とても不思議でした」
「弱きものは強きものの餌になるしかない。そんな時代の終わりを、感じました」
「餌・・・?」
「弱きものが虐げられ続ける時代は、終わりに近付きつつあるのです」
「そんなことが」
「私も、織田を見習いたいとは想いました。できることなら、とも考えたのですが」
「そう、それよ。十兵衛、何故お前は帰蝶を頼らなかったの?」
「え・・・?」
「道三様に付いた者の殆どは、尾張に流れてゆきました。そして、織田に着きました。道三様の末子である新五郎殿も、今、織田で働いていると聞き及びます。お前なら、向うも大歓迎の筈。何故、尾張には行かなかったの?」
「 」
少し困ったような顔をして、それから、ゆっくりと告げる
「 行かなかったのでは、ありません。『行けなかった』のです」
「え?」
今度はしきが驚いたような顔をした
「美濃を脱し、一頃落ち着こうと近江に入りました。そこから近畿を目指し歩き、その先で織田と今川の争いを聞き、真相を確かめようと伊勢から美濃に戻りました」
「美濃に?」
「それから、三河、遠江、木曽、信濃と巡り、ここ、越前に辿り着きました」
「では、尾張には」
「はい。一歩も足を踏み入れてはおりません」
「何故」
「 叔父上の・・・」
最後に残した言葉
それが引っ掛かり、怖くて尾張には入れなかった
「教えてください、義叔母上様」
「どうしたの?十兵衛」
急に険しい顔付きになる光秀に、しきは首を傾ける
「私が明智の城を脱する前、叔父上は私にこう言いました。尾張の姫様に援軍をと進言する私に、叔父上は姫様に甘えるな、と。業を背負う姫様には、私は重荷にしかならないと」
「重荷?」
「姫様の背負う業とは、なんなのでしょうか。それに、叔父上は私と姫様は従兄妹ではないとも仰られました」
「え?」
光秀の言葉に、しきは驚き目を見開いた
「義叔母上様、何かご存知ではありませんか」
「十兵衛・・・」
「私は、明智光綱の息子ではないのですか?」
「 」
真摯な光秀の、自分を見詰める眼差しに、しきは折れた
今を誤魔化しても、聡明な十兵衛なら、いつか真実に辿り着く、と・・・・・・・
「義叔母上様、教えてください・・・。私は、何者なのですか・・・」
気丈な光秀の声が、涙に震える
その光秀を慰めるかのように、しきは諭すような口調で言った
「お前は、確かに先代様の子息ではありません」
「 ッ」
「え・・・・・・・・・・」
驚きに光秀は絶句し、弥平次も言葉を失くす
「だけど、明智の子に間違いはありません」
「義叔母・・・上・・・。では、私は・・・」
「お前は、今は亡き明智光安様のお子」
「叔父上・・・の・・・?」
「私が後添えで入る頃には、お前は既に生まれ、人の顔を認識できる年でした。ですから、お前を生んだ人については、私は何も知らされていない。これでも私も女の端くれ、同じ場所にお前を生んだ人が居れば気付きます。だけど、そんな気配もなかったと言うことは、お前を生んだご生母様は、既に他界されておられたのでしょう。旦那様が、一度だけ私に言いました。すまない、しき、と」
「 」
「黙って十兵衛を育ててくれ、と。だから」
「 だから叔父上・・・いえ・・・、明智光安は間違いなく、私の父親だと。そして『父』は、私を明智家の跡取りにしたかった」
「そうです」
他人の家のことと、弥平次は口を出さず黙って聞いている
「旦那様のご兄弟は、あの頃はまだご健在の方が大勢いらっしゃいました。確かに年長者は旦那様でしたが、それでも明智の跡取りにあなたを指名できたのは、明智家の中でも相応の権力があったからです」
「はい・・・」
決して、明智家嫡男の息子だからと言う理由だけではなかったのだと、初めて知る
明智の家の采配は、明智光継亡き後全て光安が行なっていた
「光綱様が亡くなられ、続くように先代光継様も亡くなられ、明智は後を継ぐ人間が必要でした」
「光綱様に嫡男は・・・」
「おられませんでした。だから、お前に白羽の矢が立ったのです」
「 」
当然のことだろう
自分の記憶の中にある明智家当主明智光継は既に老体を極め、表立ったことは全て光安に任されて動いていた
光秀も、そんな光安を見て育ったのだから、明智のことは光安に任せれば良いという風潮は承知していた筈だった
「旦那様の先妻様が亡くなられたのは、私が入る六年前。ですから、先妻様があなたの生母ではないことは確かです。かと言って、城の中の侍女の誰かだとしても、いつかは人の口に昇ります。だけど、それもなかった。当時の私には、それを知る術はなかった。ただなんとなく、旦那様が父親であることだけは、私にも感じました。だから、お前は間違いなく明智の人間です。十兵衛、お願い、これ以上詮索しないで・・・」
「義叔母上・・・様・・・」
「私にも、わからないの・・・。わからないのよ・・・」
「 」
さめざめと泣く義理の叔母を
いや、育ての母を、光秀はこれ以上責められなくなった
だとしても、それでも光安の言葉には合点が行かない
自分が光安の息子だとしても、それでも帰蝶とは従兄妹同士に相違はないのだ
なのに何故、帰蝶とは従兄妹ではないと言ったのか
それがわからない
わからないが、恐らくしきにもわからないことだろう
答えを知らぬ者を問い詰めたところで詮無きことだと言うことを、光秀は知った
光安は凡そ戦事とは無縁の性格をしていたが、外交手腕は特筆すべきものがあった
土岐家との争いに明け暮れる道三の勢力は東美濃にも迫り、光安は土岐の傍流でありながら道三の軍門に下ることを父の光綱に提言し、幼い妹の那々を差し出した
その甲斐あって、明智家は斎藤の安堵を得た
道三の後ろ盾により、崩壊寸前であった明智家を持ち直させたのだ
手段は人から陰口を囁かれるようなものであったとしても、道三と義龍が別つあの日まで、光秀は平穏無事な日々を過ごせていた
それも、光安のお陰だった
斎藤の傘の下に入ることで、明智は外周の脅威から守られて来た
その基礎を築いた光安を、悪くは言いたくなかった
実の父親であったことを知ったからではない
自分を攻撃していた者と迎合するのはどれだけ心折れることか、放浪していた光秀には痛いほどわかる
わかるからこそ、争っていた朝倉に下ることを提言するしきの言葉を否定できなかった
尚更
「 義叔母上様」
「はい」
「私は」
帰蝶の大きさを、想い知らされる
「年だけ、姫様に勝ってしまいました」
「まあ」
謙虚なことを言い出す光秀に、しきは苦笑いする
「帰蝶を相手に張り合おうだなんて、お前の性格では無理よ」
「そうですね」
以前より少し離れてしまった従兄妹に想いを馳せながら、庵の天井にやや目を向け、呟くように口にする
「だけど、いつかは姫様と、武勇を競いたい。ずっと、そう想ってました」
「十兵衛」
「一国の姫君に対して、なんて無礼なことをと仰いますか」
「そうですね、少し前なら。だけど今は」
「今は?」
「女ながら帰蝶は、腕を試すには良い相手。と、言っておきましょうか。本人には言えませんけどね」
「そうですね。姫様だったら嬉々として、刀か槍を持ち出すでしょう」
「そして、こう言うわ」
「『尋常に、勝負』!」
しきと光秀の間を縫って、弥平次が叫ぶ
「 」
光秀としきに間があって、それから二人揃って大笑いした
帰蝶が墨俣にあった長井の砦を落として、丁度十日後
墨俣から清洲、清洲から墨俣、そして今は十九条を目指して奔(はし)る
殆ど休みなしでの疾走だった
後ろから着く兵助は、あの細い躰のどこにこれだけの精力があるのかと見詰め、不思議で仕方ない
『何か』が突き動かしているのだろうか
清洲に戻った帰蝶は、せめて一目でも帰命の顔を見るかと想っていたが、用事を済ませると一瞥も呉れずそのまま城を出た様子である
今は愛息よりも美濃を落す方が先決なのか
「 」
どうしても、溜息が零れる
今のあなた様にとっては、愛した人が残した一粒種よりも、故郷を取り返す方が大事なのか、と・・・
幼い姫君を道三の側で眺めていた兵助には、可成のように帰蝶を一人の武人として見るのは容易なことではなかった
『道三の残した遺産』は、美濃だけではないことを、兵助は道空から聞かされている
帰蝶そのものも、『道三の残した遺産』の一つであることを
知ってか知らずか、だがそれを直感と呼ぶのなら、帰蝶を欲した織田信勝は正しかった
帰蝶を手の内に納めれば、自ずと美濃が着いて来る
道三の遺産である帰蝶がそれを拒んだからこそ、信勝は死んだ
簡単な話だった
無理をさせ続ければ、帰蝶はいつか美濃を落す
だが、兵助は無理をさせたくなかった
あの、男を真似て必死になって背伸びをしていた無邪気な姫君の、あのひたむきな容姿(かお)を見ていた兵助には
その兵助の視界に、赤の母衣を背負った青年が対向して来る
「殿!」
「どうした」
「現在、森隊を指揮として柴田隊、十四条に入りましたッ!」
「そうかッ」
帰蝶の顔に明るい光が差す
「大垣から池田隊はッ?!」
「現在稲葉山城を目指して北上しております!」
「佐久間隊の動向は!」
「殿の指示通り、加納を目指しておりますッ!」
「犬山織田の派遣隊を先頭に、そのまま押し進めろッ!」
「承知ッ!」
「殿ッ!」
秀隆と共に勝家の応援に出ていた成政の馬廻り衆が合流した
「ご無事で!」
「当たり前だ。私を誰だと想っているか。そんなことよりも、権が十四条に入った」
「はい、承知しております。赤母衣衆と共に、殿の出迎えに参りました」
「暢気なことを」
「勝三郎殿が、血気逸って殿が松風を潰すのではないかと、それが心配で殿を監視するようにと言付かっております」
「たわけッ!松風を潰すだと?!」
強ち否定もできず、帰蝶は顔を赤らめて成政を怒鳴り付ける
「清洲から一休なく走る松風を、これ以上、これ以上・・・」
「まだ走らせるおつもりだったのでしょう?」
「 もうちょっとだけだ・・・」
嘘を吐け
そう言いたげに、松風が走りながら尻を一度浮かせる
「だから、もうちょっとだけだと言っただろう?!松風!帰ったら上等の飼い葉を呉れてやる。もうちょっと頑張れ!」
無茶苦茶だなぁ、と、成政は心の中で呟いた
松風でなければとうの昔に潰れていてもおかしくはないだろう
とすると、それに乗っている帰蝶にもそろそろ限界がやって来る
今は気力で走っているが、帰蝶は体力の少ない『女』だ
自分達のように無理の利く体ではない
成政も兵助も、帰蝶に『無理』をさせる前には決めなくてはならないと、同時に想った
帰蝶ら織田本隊が十九条を抜け、勝家ら戦闘部隊が十四条の半分を過ぎた頃、稲葉山城から斎藤軍本隊が出撃した
成政、兵助が想うよりも一歩及ばずの状態だった
率いる稲葉一鉄良通の進撃に、斎藤と争い慣れていない勝家は押され、一鉄とは争い慣れている可成の指揮を乱した
「大垣より丸毛家進軍ッ!」
想いも寄らぬ人物の、突然の寝返りである
いや
丸毛長照はそもそも市橋長利と共に、表立っての織田への帰属は行なっていない
しかし、影に回れば佐治への協力は惜しまないと約束していた間柄だった
その丸毛長照が斎藤に着いた
この報告は十四条の勝家らと合流しようとしていた帰蝶の耳には届かず、同じく勝家達との合流を計っていた池田隊副長の佐治の許にも届けられなかった
完全に裏を掻かれた形となった織田軍は、丸毛軍によって態勢を崩され、進退極まる状態にまで陥る
帰蝶の言葉を想い出す
深追いはするな、と一言を
「 柴田軍、撤収を掛けろッ!」
無理に隊列を戻そうとして深手を負えば、それこそ帰蝶からどんな咎を受けるかわからない
可成は勝家の部隊に損害が出る前に、撤退を掛けた
背中を向けるのも危険な行為である
しかし、このまま対峙し続けるにしてもそれ以上の危険が及ぶ場合もある
可成の指示は、一か八かの賭けであった
「それは本当なの?」
一方の清洲
本丸から資房が訪れ、それを報告する
受けた市弥は蒼い顔をし、なつも言葉を詰まらせた
「津川が、織田から造反・・・?」
「はい」
「確かに?」
なつが念押しする
「書状が先程、津川家より送られて来ました」
「津川家から・・・」
だとしたら、それは本当のことなのだろう
側で随伴していた貞勝は、ともすれば倒れそうになっている市弥の肩を支えた
「なつ・・・」
「そう、ですね。これは織田にとって一大事ですね」
「上総介には・・・」
「殿には、戻ってからご報告差し上げた方が良いでしょう。今お知らせすれば、斎藤攻めが鈍ってしまうかも知れません」
「怒らないかしら・・・」
「お怒りになられるでしょう。ですので、それは私が引き受けます」
「それじゃあ、なつが・・・ッ」
自分を心配してくれる市弥に、なつはそっと微笑んだ
「大丈夫です、大方様。殿との怒鳴り合いには、年季があるんですよ。ちょっとやそっとじゃ負けたりしません」
「だけど・・・。津川はどうして、急に織田に叛旗を翻したりしたの?」
「それは簡単です」
「でも、なつ、津川は織田に恩義がある筈よ?それを反故にしてまで」
「津川は『若』に対しては恩義がある。だけど、『殿』に対しては恩義などございません。徒や疎かも吝かではないのです」
「 ッ」
そうだった、と、市弥は想い出す
「津川が恩恵を受けたのは織田上総介信長。斎藤帰蝶に対してではありません」
「だから・・・」
「それよりも太田殿、此度の津川家造反による、他の旧斯波家臣達の動きは」
「はい。津川家に伴い、いくつかの家も着いております」
「そう・・・」
想像したことが現実であったことに、多少の落胆はある
帰蝶はそれをどう受けるのだろうか
「蜂須賀殿・・・は?」
蜂須賀家までもが造反に加わってしまえば、織田は弱体化を強いられる
なつは恐る恐る聞いた
「蜂須賀殿は、殿より伝達が入り、現在美濃の加納砦に出向いておられます」
「そう・・・」
それを聞いて、ほっとする
「しかし・・・」
言い難そうに、資房は続けた
「どうしてか、お能殿をお連れになられまして・・・」
「え?」
なつも市弥もキョトンとした
「どうしてお能を?」
「じゃあ、徳子は今、誰が見ているの?」
「殿が、必要ならお能殿を連れて行っても良いので、加納に出向くようにと直接命令があったそうで、そうお能殿に話されているのを又聞きしました。それと、徳姫様は菊子殿が」
「帰命の両方を見てるということ?」
「はい」
「 若様一人でも大変なのに」
お能以外の人間に対しては『聞かん坊』な徳子の面倒を、と、市弥もなつも、菊子に同情した
「それにしても、上総介はどうしてそんな要求を・・・」
市弥がぽつりと疑問を呟いた
「それは大方様、蜂須賀殿が」
「どうかしたの?」
なつがこっそりと教える
こっそりと言っても、周囲には丸聞こえだが
「お能に惚れていて」
「え?」
市弥の目が剥く
「それ、本当に?」
「はい。ですから殿は恐らく、お能を『餌』にすれば、蜂須賀殿も断りはしないと・・・。そう言うことではありませんか?」
と、目で資房に訊ねる
「ええ、まあ・・・。結果、蜂須賀殿はお能殿を連れて、ウキウキした様子で加納に向われたそうで・・・」
「蜂須賀の浮かれた表情を見るのも忍びないけど、お能もよく承諾したわね」
「それが、後でお能殿に伺いましたら、加納から実家のある長森までそう遠くもないと言うことで、加納で外交するにも丁度良いと。ただ、長引くようでしたら・・・」
言い出しづらそうにしている資房の顔に、なつはこくんと頷く
「止むを得ません。徳姫様は、私が加納にお連れしましょう」
「申し訳ございません。本丸、徳姫様の泣き声で充満しておりまして」
「明日にでも連れて行けとっ?」
驚くなつに、資房は慌てて手と首を振った
織田本隊が十四条に差し掛かった時のことである
大垣方面からの丸毛軍と稲葉山城から出撃した斎藤軍に挟まれはしたが、数では劣るものの勝家の剛勇と可成の知略でなんとか凌いでいた
大垣から池田隊が合流し、丸毛の部隊はそちらに任せることができた
そのお陰でなんとか織田の先鋒隊は盛り返すことに成功した
ところが、後は帰蝶の到着を待つばかり、と言うところで、遂に十四条城から長井の大軍が押し寄せ、踏ん張りきれない状態になってしまった
長井の増援に『本流』斎藤が着いている
それが、織田を退かせる原因であった
「もう直ぐだ、もう少しだぞ、松風」
走り続けさせている松風に声を掛ける
その帰蝶の目の前に、『必死の形相』をした勝家が迫った
目は大きく剥き、血走り、口は髭で殆ど見えないが、おちょぼに尖らせ、ただそれだけで『怖い』
「 」
勝家の余りの形相に肝を潰した帰蝶は、想わず
「織田軍、撤収ッ!」
自ら先頭を切って真後ろに踵を返す
後は雪崩れるかのように十四条を出た
「一体どう言うわけだ!」
先鋒の撤退に巻き込まれた帰蝶は、とある場所に引き篭もる
そこで勝家、可成を並べて怒鳴り散らしていた
「私の到着まで、踏ん張れんかったのかッ?!」
「面目次第もござ」
「貴様の面目など、犬にでもくれてやれッ!」
「そ、そんな・・・」
本流・斎藤と共に、稲葉も出て来たことが敗因だった
おまけに『深追いするな』と自身が言っていたものだから、咄嗟の撤退は責められるようなものでもなかった
あのまま留まっていれば、兵力の半分は喪失していただろう
だが、加納砦に斎藤が向うことはなかったとも聞く
信盛の部隊が加わったことで加納方面の兵力が斎藤に勝り、争いは回避された
これは帰蝶の作戦勝ちでもあった
「兎に角」
寄せた場所を取り囲む斎藤・長井軍を、どうにかしなくてはならない
稲葉山の手前、井ノ口まで落とすつもりで一宮から信盛を呼んでいるので、これ以上の増援は見込めない
増してや、味方だと信じていた丸毛に寝首を掻かれ、落ち込んでいる佐治を前に酷なことも言いたくなかった
「 損失の少ない内にここに来れる根回しをしていたシゲには、特別に褒美をくれてやろう」
「え?」
何をくれるのだろうと、俄に頬を緩める秀隆に、帰蝶は無表情で命令する
「斎藤の将の首をやる。好きなだけ取って来い」
「一万相手に無茶言わないで下さいッ!」
借りた本堂に、その人が現れる
「相変わらずの無茶振りのようですな」
「 ご住職」
声を聞くだけで、帰蝶は片膝を突いて平伏した
その姿に秀隆らの方が驚かされる
「 が」
頭を見事に丸めて、輝きさえ放っている坊主は、手にしていた杓で帰蝶の頭を軽く叩く
これにも周囲は目を剥いて驚いた
「そなたの父君は、それを望んでそなたを育てたのか」
優しい声に、厳しい目を向け、帰蝶を睨む
「望むも望まぬも、これが私の選んだ道でございます。ご住職」
「ふう・・・」
住職は軽く溜息を吐いて、天井を眺めた
「夕庵殿の、導きか。それとも、そなたの運命(さだめ)か」
住職の言葉に、帰蝶は応えなかった
帰蝶が逃げ込んだ場所は、十九条と十四条の間にある『美江寺観音』
父・道三が保護し、手厚く安堵していた寺である
そもそもは東美濃にあった寺だったが、道三が稲葉山の砦を城に建て替えるのと同時に今の本巣・十六条に移転させ、城の鎮守として治めた
帰蝶はその伝手を頼って、万が一の時の逃げ込む先として確保していたのである
『織田信長』ではなく、敢えて『斎藤帰蝶』の名で申し出るよう秀隆に命令したのには、そう言ったわけがあった
「ご亭主殿の補佐として、戦場を駆けるのは、そなたの勝手だ。だがな」
帰蝶は、『信長は生きているもの』として話を通すよう、言っておいた
住職も、信長は別の場所に居るものと信じている
「ここは斎藤との争いの、最前線ではないのか」
住職は知らない
「何故、亭主を守ってそなたが戦う」
信長など、この世には居ないことを
「『守りたい』からでございます」
「女は大人しく、城で待てんのか」
「恐れながら、そう言う育てられ方は受けておりません」
「道三殿は、確かに破天荒なご気質のお方だった。その薫陶を受けていたそなたのことも、備に聞いている。見聞のためにと武井夕庵殿に連れられ、時折ここを訪れるそなたの育ち方を見て、普通の女子(おなご)の生活など無理であろうことも、重々承知していた」
「ならば、それ以上の説教は無駄にございます、ご住職」
「しかし、言わねばならぬこともある。増してや、父御殿を亡くされたそなたに、誰が説教を付けれようか」
「我が帰巣にて、喉をうずうずさせている者がおります故、ご心配には及びません」
「帰蝶姫」
「 」
これ以上何も言わせまいと、帰蝶は深々と頭を下げた
その雰囲気に押され、住職も口篭る
「ご住職様」
そこへ、見習いの小坊主がととと、と駆け寄って耳打ちする
「斎藤が?」
小坊主に顔を向ける住職の表情に、斎藤が織田の引渡しを申し出たのだろうと想像できた
「ご住職」
「案ずるな。助けを求めて参った者を追い出すことなど、しはしない」
「ご面倒、お掛けします」
「申し訳ないと想うのなら、初めから頼るな」
住職は笑いながらそう言い、本堂を出た
「殿・・・」
ここには帰蝶を知る人間しか同席していなかったのが幸いした
「昔の話だ。詮索するな」
話し掛ける秀隆を、目線だけで制止する
「ですが・・・」
自分を育てた人、夕庵を相手にどこまで戦えるのか
どこまで張り合えるのか
どこまで通じるのか、何もわからない
こちらの動きは全て向こうに見透かされているのではないのかと、そう言いたいのを押えるので精一杯だった
そんな秀隆に、帰蝶は寺との由縁を話す気にはなれなかった
どちらにしても、『父』を利用したのだ
誉められることではない
「さて、住職が斎藤相手にどう出るか。見ものだな」
「あっさり引き渡されてしまったら、如何なさいますか」
「案ずるな。少なくとも私は無事で居られる」
「殿・・・」
勝家も可成も、それ以外の全員の頭から汗が浮かぶ
そりゃそうでしょうよ、と、全ての心の一言までもが一致して
美江寺観音の住職が対峙しているのは、長井総大将の道利と、稲葉良通、そして利三の三人
「この中に立て籠もる織田総大将の引渡しを願い乞う」
憮然として告げる道利に、住職は平然とした顔で応えた
「お断り申します」
「何?」
「中におられる方は、正規の申し込みあって当院に入られたお方。押し掛けたわけではない者を、追い出したり、増してや敵対している者に与えるのは仏の道に反する行為」
「貴様、美濃を敵に回すつもりか」
「仏にとって敵とは、弱き己の心であり、人に害成す悪意でもあります。それ以外を敵と呼ぶこともまた、仏の道に背く行為」
「禅問答は要らぬ!織田の総大将を渡せばよいだけだッ!」
煮え切らない住職に、道利は怒鳴りを上げた
その光景を他所に、利三は懐かしい想いで寺と、その門前に立っている、あの頃より年を取った懐かしい顔を眺めていた
住職もまた、道利を前にしながら脇に居る利三に、懐かしい邂逅の眼差しを向ける
夕庵に連れられここを訪れる帰蝶の側には、必ずあの少年が付き添っていた
まるで影のように、日向のように、当たり前のように側に居た
その少年も、もうこんなに大きく、一人前の武将に成長したのだな、と、懐かしくも淋しい想いをいだく
中に居る『帰蝶姫』の変わり果てた姿にも、月日の流れがそれを納得させた
人は変わるものなのだ、と言うことを
「何度も申し上げておりますが、当方としましては、この辺りを戦火に包ませるような愚かなことはできる限り避けたいと願っております。この寺は稲葉山城を守るために移設された寺。古は土岐家がその増築に携わった由緒ある寺でもございます。もしもこの寺に火矢を投げ込みたいと仰るのでしたら、どうぞご存分になさってくださいませ」
「ならば望み通りにするまで。首を洗って待っておれ!」
「隼人佐様、なりませんッ!」
これを聞いた利三は、慌てて道利を止めに入った
「こちらは天台宗の一徒、その後ろには『比叡山』が着いておりますッ!もしも天台宗の寺に大事が起きれば、全国の一門が黙ってはおりませんッ!」
増してや、この美江寺は空海の師が開基したとも伝えられている
その寺を相手に争うことは、愚かなことであった
頭に血が昇ったとは言え、冷静に考えれば誰にでもわかりそうなことである
その判断を誤る道利ですら、『比叡山』の一言を聞いて尻込みした
殺気立つ道利と、それを抑える利三、挟まれた一鉄良通は小難しそうに顔を歪ませていた
そんな中で住職は、静かに古い詩を詠う
「朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(ひび)春衣を典し、毎日、江頭(こうとう)に酔(え)ひを尽くして帰る。酒債は尋常、行く処に有り。人生七十、古来稀なり。花を穿つ蛺(きょう)蝶は深深(しんしん)として見え、水に点ずる蜻蜓は款款として飛ぶ。伝語す。風光、共に流転して、暫時、相(あい)賞して、相違ふこと莫(なか)れ」
「 ッ」
その詩は
「今は争う仲でありましょうが、ここは全てを受け入れる場所。どうか、刀はお収め下さいませ。この中におられる蛺(きょう)蝶も、きっと、今だけはそれを望んでおられることでしょう」
その詩は、帰蝶の名の由来、そのもの
利三は目を見開いて住職を見詰めた
まさか
ここに
あの中に
何事もなかったかのように戻って来た住職の表情に、斎藤が引き下がったことを俄に知る
「そなたの幼友達に感謝されるとよろしかろう」
「幼友達・・・」
まさか、と、帰蝶も想う
「勇み逸る長井の将を宥め、今は引き下がってくれました。しかし、寺から出ればまた、争いの種が生まれる。それを覚悟で行きなされるか」
「 当然である」
進まねば成らぬ道なればこそ
美江寺に織田を追い込み、その後の丸毛は大人しかった
斎藤に仁を尽くすわけでもなく、長井に義を通すわけでもなく、静かに大塚城へと帰って行く
落ち込む佐治を恒興と藤吉の二人掛りで慰める傍ら、帰蝶はここから無事脱するための準備をしていた
「想いの外、早くに頼らざるを得なくなったな」
「殿?如何なさいますので?」
「小牧より三十郎を呼べ。争いは避けたいが、清洲に戻らねば如何ともし難い」
即日、小牧山の砦から信良と可近が駆け付ける
金森の軍勢二千を引き連れて
深夜・未明
松明の陽炎が揺れる寺の参道に、織田軍が犇き合う
「斎藤の動向は」
「好機を伺っている様子」
「是非に及ばず。さて、墨俣に来る予定だった蜂須賀が、何故かこちらではなく加納に詰めたと聞く。どう言うわけか知らぬが、それはそれで都合がよい」
「殿」
「三次方向、一斉に仕掛ける。それに乗じて私は清洲に戻る」
「承知」
「犬山には」
可成が訊ねた
「既に報せは走らせてある。こちらが気に病む必要もない」
昼間の戦闘で犬山城主の舎弟が討ち死にを果たした
弟の死に、信清がどう出るか、正直こちらの方が恐怖する
斎藤との挟み撃ちに遭わぬ内に帰還せねばならない
それは、今しかなかった
待つ人の居るあの場所に帰れるのなら、何度でも自身を囮にしよう
それで守りたいものが守れるのなら、何度でも死線を潜ろう
大人しく静かに待つだけの人生など、送る必要はないと父が教えてくれた
誰かが変えてくれるのを、じっと待っていろと夫は教えはしなかった
守りたいのなら、変えたいのなら、じっとできないのなら、自らの足で進んで前を向けと、父も夫もそう、教えてくれた
「織田軍、出発ッ!」
帰蝶自らの掛け声に、寺の門が大きく解き放たれ、中央から織田本隊が雪崩れるように駆け出した
それを確認した長井の軍勢が『待ってました』とばかりに襲い掛かる
「走れ!走れッ!脇目も振らず走りまくれッ!」
秀隆率いる黒母衣衆が外周をぐるりと取り囲み、帰蝶本隊を守る
先頭を走る松風には、さすがに追い付けないが
その松風に目を奪われ、長井の騎馬隊が一点に集中して帰蝶を追う
「来い、来い。追えるものなら、追ってみろ」
松風の手綱を口に咥え、帰蝶は腰から種子島式を抜き取り、ほぼ真後ろを着ける長井軍の先頭に向って発射した
ズシンと、鉄鋼の厚い種子島式独特の発砲音が轟く
命中したか、先頭を走っていた馬が崩れ、数十頭がそれに巻き込まれた
引き離された帰蝶を追って、尚も目標が織田総大将に絞られている
故に、気付くのが遅れた
「織田軍、増援部隊出現ッ!」
西の方向と東の方向
帰蝶を追う長井の軍勢が、織田の別働隊に挟まれた
更に、予め計画していたように、帰蝶の後を追う織田軍の進む方向が変わった
墨俣に戻るものと想っていた織田の軍勢が、全く別の方向に走る
「どこへ行く気だッ!」
それに釣られて長井軍が分散された
分散された長井軍を待ち受けていた、加納からの増援部隊・蜂須賀隊が叩き臥せるように襲い掛かった
後退するにも、そこには東美濃・金森家の軍勢が
更には、東から荒尾家の旗印までもがはためいていた
「いつの間に・・・ッ」
「総大将が帰還すれば、墨俣、加納を取った俺達の勝ちだッ!絶対守ってみせろよッ?!勿論、殿のことだぞッ?!」
勝家の部隊の中から、利家が声を張り上げる
「あのバカ者めが、相変わらず殿の御前だと勇みよる」
苦々しくも頼りのあるところを見せる利家に、勝家は苦笑いを浮べて見守っていた
稲葉山は目前だというのに、またもや追い返されてしまった
だが今回は、何故だか悔しいと言う気持ちは生まれなかった
ただ
「 」
目の前に広がる『撫子』の旗印に、心が揺れる
お清
お前は私にとって仇ではあるが、お前は私の味方か
それとも、『敵』か ?
迷わず真っ直ぐ向って来る『帰蝶』に、利三は動かずじっとしていた
「斎藤殿ッ!」
側に居た一鉄良通が声を上げる
「迎え撃ちなされッ!」
「 」
それでも、『お清』は動かなかった
「斎藤殿ッ!」
「 」
自分の頭上を、一頭の牡馬が跳び抜ける
それでも、『お清』は動かなかった
姫様
ゆっくりと振り返り、帰蝶の去りゆく背中を見送る
「今は、相容(あいまみ)える時ではない」
そう、ですよね
正面から来る長井と、待ち受けていた斎藤がぶつかり、行く手を遮る
帰蝶を追えぬまま混乱だけが騒然と広がった
花を穿つ蛺(きょう)蝶
激しくも観想的な羽で飛び去り、残り香だけを漂わせる
帰蝶の去った後をまるで追うように、一羽の揚羽蝶が舞い上がった
それを眺めながら、利三は面影を辿って帰蝶の幻影を抱き締めた
いつか、あなたに寄り添う花になりたいと、願いながら
もう直ぐ夏がやって来る
海辺に程近い那古野の城の縁側で、吉法師は日差しの先を辿り、日の光りに目が痒くなり、手の甲でゴシゴシと擦り付けた
それから、生え変わりに差し掛かった右の上の犬歯のぐらぐら感に、歯痒い想いをする
ふと一陣の風が庭を走った
この時季独特の、粘つくようなべったりとした潮の香りと、仄かに黴臭い匂いに、鼻先もくすぐったくなる
ああ、梅雨がやって来るのだな、と、感じた
この日の夕餉、好物であるいかの塩辛を大胆にも大量に頬張ってしまい、口の中で『ガリッ』と言う嫌な感触に、噛んでいたいかを吐き出す
やや紫に染まるいかの肉に紛れて、抜け掛けていた犬歯が出て来た
一歩、大人に近付いたと想えた
だけど、抜けた歯を見せられる『誰か』も居なかった
みんな、新しい城に引っ越してしまった
父も
母も
弟も
乳母も
幼馴染みも
みんな、ここから出て行ってしまった
残ったのは口煩い爺と、陰気臭い若い男と、それから、直ぐに頭から角を生やす侍女
誰かに見せびらかす心境には、なれなかった
ぽつりぽつりと、小さな滴が空から落ちて来る
雨だった
じめじめした纏わり付く空気に、心が落ち込みやすくなる
気分を変えたくて、この日吉法師は遠出をした
今は海を見る気にはなれなくて、何となくだが木曽川を目指した
清洲を抜け、一宮に到着する
清洲を越えたのだから、これを知られれば父や母から相当の咎が出るだろう
それでも、ただ今は馬に乗って、何も考えず自由なままで居たかった
頬に当る雨に気付き、馬を止めたのは羽島の辺りだった
馬から降りて、木曽川の様子を眺める
「今年は氾濫とか起きなければ良いのだがな」
流れる川に雨が落ち、波紋があちらこちら至るところに広がっている
魚の流れも少ない
まさか、と、不安が過った
「帰った方が賢明だな」
そう小さく呟くと、馬の手綱を掴む
その時ふと、対岸に、幼い少女とそれに付き添う少年の姿が見えた
「ん?」
この辺りは川幅が最も狭い場所であるためか、その顔は確認できなくとも年齢などの様子ぐらいは伺える
「こんなとこで、何を。川狩りかな」
吉法師は、その一組に手を当て、大声で呼び掛けた
「おおーい!もう直ぐ川の水嵩が増すぞ!早く家に帰れー!おーい!」
その声に気付いた少女が顔を上げる
「おおーい!」
何を言っているのかはわからないが、手を振り自分を呼んでいるようにも見えた
「おい、お清」
「はい」
「向こうのあの童(わっぱ)は、何をしている」
そう聞かれ、少年も声のする方を見やった
「さあ?」
「もう直ぐ川が氾濫するかも知れないと言うのに、暢気に川遊びか?しかも、この私に手招きをしているではないか」
「姫様と遊びたいのですかね?」
「だったら、向うから来るのが筋だろう?」
少女は手にしていた子供用の弓を徐に持ち上げ、構えた
「無礼なヤツだな。射殺してやる」
「姫様ッ!」
驚いた少年が、慌てて背後から羽交い絞めして止める
そんな会話も知らず、引き摺られるように去ってゆく少女の姿に、吉法師はほっと胸を撫で下ろした
さやさやと、木の葉が落ちる秋の頃、吉法師は元服し『信長』を名乗った
同時に、美濃から嫁をもらう段取りにも入る
だが、待てど暮らせど美濃から来るはずの嫁は、来なかった
しんしんと、桜の花弁が舞い散る頃、信長に初陣の話が持ち上がった
これに勝利すれば美濃から家族を呼べると、信長はただ単純にそう想っていた
今川方に味方した村を襲撃すると、信長の当初の作戦はこれであった
ところが、中を割ってみればそうではない
「村を焼き討ち?」
信長の提案に、平手政秀はキョトンとした
「そうじゃ。予め予告して、それから村に火を点ける」
「点けて、どうなさいますので?」
「今川が驚いて、逃げて行くじゃろ?」
「ええ?」
莫迦な発言と行動の目立つ若様だが、ここまで莫迦だとは想わなかった
だが、主君である以上は一応従わなければならない
村へ脅迫を掛け村民を追い出した後、信長の命令通り村に火を放つ
ところが、信長の言葉がそのまま現実になるかのように、今川の軍勢が驚いて吉良を離れて行く
「
まさかと、政秀は呆然として状況を見詰めた
「ほらな、わしの言った通りじゃろ」
全ての乳歯が生え変わり、小さな口の中に大きな大人の歯が無理矢理並ぶ間抜けな顔で信長がにっと笑うのを、政秀はやはり無言で見詰めていた
計り知れない器の持ち主だ、と
今は昔、そんな想い出話のできる相手もなく、知ることもなく、帰蝶は墨俣に到着した
「殿!」
赤母衣の筆頭である青年が駆け寄る
「どうした。シゲは」
「黒母衣筆頭は、十九条からの応援要請に出ました!」
「斎藤が動いたのか」
「その通りでございます」
「わかった」
松風から一度も降りぬまま、帰蝶は反転した
「兵助!出撃だ!」
「承知ッ!」
赤母衣の一人が、透かさず帰蝶に兜を手渡した
「赤母衣は清洲から蜂須賀を呼べ!必要なら、お能を連れて来ても良いと伝えろ!」
お能を餌に、正勝を動かすつもりである
兜の緒を締めながら、帰蝶は命令した
「誰か随行しろ!道すがら、状況を聞くッ!」
「はッ!」
長井道利の拠る十四条から、斎藤の軍勢が出張って来た
勝家、可成の迎撃部隊がそれに応戦する
数では圧倒的に斎藤が勝る状況、それでも一歩も引こうとしない可成に押されたか、感化されたか、勝家も踏ん張りを見せた
「森殿!」
後方から指示を出す可成の許へ駆け寄る
「どうなさいました、柴田殿。殿が到着されましたか?」
「いや、その報せはまだない。そうではなくて、不躾かも知れませんが、指揮を森殿にお願いできないかと」
「え?」
最前線の陣頭指揮は勝家が直接、帰蝶から命令されていた
それを可成に譲ると言うのだから、首を傾げるのも理解できる
「どう言うことで?」
「織田一族同士の争いなら、わしでもある程度は指揮が執れる。しかし、頭脳戦を専らとする斎藤が相手では分が悪い。真っ直ぐ突っ込んで罠でもあれば、全滅は免れない。その点、森殿はわしと違って冷静だ。そこを買っているのだが」
「柴田殿」
「すまぬが、森殿が現場を指揮してくださらんか」
「私でよいので?」
「斎藤を知り尽くした森殿しか、適任者はおりません」
「知り尽くすほど熟知はしておりませんが、お役に立てるのであれば尽力も惜しみません」
「ありがたい」
可成の返事に、勝家は髭だらけの強面な顔をニカッと歪ませた
「では、入れ替わりを行ないます。わしの直属の部隊が先頭に出るのと同時に、森殿の部隊は奥へ下がってくださるか」
「承知した」
浮野の争いでは反発し合った二人だったが、墨俣攻略前の関わりが壊れ掛けた関係を解決させていた
勝家と可成の部隊が入れ替わり、可成の指示で勝家が動く
頭を動かすよりも、体を動かしている方が性に合う
総大将自ら指名された指揮ではあったが、何事も臨機応変に対応する主の気性をよく知る勝家は、このことで帰蝶からお咎めを受けるとは到底考えてはいなかった
「左より右上に進み、進路を確保」
可成の指示が素早く伝わり、将棋の駒のように意のままに動く勝家らを眺める
「ほぼ、直感で動いている感は否めないが、さすがは歴戦の猛者。動きが良い」
感心しながら次の指示を出す
「左右より挟んで敵の退路を分断、混乱を起させる」
別方向では恒興と、帰蝶からの伝令を受けている成政が合流した
「池田隊の全指揮権は、佐治に委ねている。私は後方支援に専念するので、そのつもりで頼む」
「承知。では、我らはこれより十四条に向け
見慣れない顔が佐治の側に居ることに気付き、成政は訝しげに見詰めた
「あ、ああ、この人は蜂須賀様の部下で、藤吉さんと仰ります」
「蜂須賀殿?」
「どうも!」
藤吉は人好きのしそうな、飛び切り愛想の良い笑顔で応えた
「どうして蜂須賀殿の部下が、こんなところへ?」
「手柄を取りに来ました」
素直に応える藤吉に、成政は苦笑いする
「なれば、取るのは手柄のみ、不名誉までは取らぬよう心掛けよ」
「ははーっ」
大袈裟に頭を下げる藤吉の姿に、佐治は苦笑いし、成政はその調子の良さに軽く溜息を吐く
「権さんと三左殿が先行しています。斎藤は主力部隊である長井が出張っているので、意地でも後退はしないでしょう」
「攻め易くなりますね」
「意地と意地のぶつかり合いなら、軍配は我らが殿に降りるだろうが」
「くくく」
この場に相応しくないほど、恒興は顔を歪ませて笑った
先行する勝家、可成らの部隊が長井と争っている十九条を目指す
前線を入れ替わったことも報告されるが、特に癇癪を起すこともない
勝家の睨んだ通りだ
それよりも、斎藤がそこまで迫っていたことも知らず、暢気に清洲に戻っていた自分を詰りたかった
挙句の果てには、なつに八つ当たりまでしてしまった
恥しい、大人気ない行為だったと後悔する
「長井、斎藤の加勢を受け現在八千弱の勢力。織田は
隣で赤母衣が報告する
「承知してる。久助の部隊をもう少し引き留めておけば良かったと後悔しても、今更なんだと言われるのが落ち。だったら、今の兵力で長井に対抗する」
「勝機は」
「
叔父上が引き上げてくれれば、後はやりやすい
そう心に浮かぶのを、帰蝶は言葉にしなかった
「今は長井の勢力を削らせる。三左が居るんだ、問題はないだろう。後は権を上手く使えれば」
「使えますかね、森殿に」
隣で兵助が口を挟む
「どうだろうな。以前、一度諍いを起こしたことがあるとは聞いているが、権は兎も角三左は大人だ。昔の些細なことなど根には持たん。そんな小さな男だったら」
「今はただ急げ。清洲から休みなしだからと言い訳は、負けた時に聞く」
「承知」
伝令に兵助の馬が離れるのを、帰蝶はただ黙って見ていた
側に居てくれるから・・・
美濃の稲葉山城で見慣れた顔がそこにあるから、耐えられるのだろうと、帰蝶は感じた
誰が好き好んで、自分の生まれた国に戦を仕掛けるか
発った頃は夫の仇を取りたいと、ただその一心だったかも知れない
だが、墨俣に入り美濃の状況を聞く内に、一刻も早く美濃を取り戻したいという気持ちが濃厚になって行った
自分が嫁いだあの頃と今とでは、美濃は余りにも変わってしまっていた
『人』と『人』の心が離れ過ぎている
美濃を愛する人間が減りつつある
それは、美濃を愛している帰蝶には、到底耐えられるものではなかった
斎藤からの離反、織田への関与、これが上手く行っているのは、人の心が美濃から離れている証拠である
自分にとっては有益かも知れないが、『美濃の姫君』であった帰蝶には、つらく悲しい現実でもあった
早く美濃を取り戻したい
それが今の帰蝶の願いだった
やや飛騨寄りの越前にある、とある草庵
小さな建物は入る人間の数を制限し、しかし建物自体は厳かな中にも気品を兼ね備え、相応の貴人が暮らしているのだろうと、周辺の住民は想像していた
その草庵の応接間に二人の武人と一人の尼が対峙している
一人はまだ若い青年
一人は若干中年期に差し掛かった頃合
尼はそれより更に年を取っていた
「
明智光安の妻・しきは瞳を潤ませながら、義理の甥である光秀を見詰めた
「せめて、生きていることだけは先にお知らせするべきでした。申し訳ございません」
世話になっていた恩人に対し、長く音信不通であったことを深く詫びる
「仕方がないわ。私なりに色んな情報を集めました。私が城を出た後、長井に落とされたことも、存じてます」
「叔父上は・・・」
あの時の悔しさ、悲しみが蘇り、光秀の喉が詰まる
「私達の身代わりに・・・」
光秀の言葉に、側に居た三宅弥平次が嗚咽を漏らした
「この時代では、当然のことです。あなたは明智家の跡継ぎなのですから、何よりも大事なのはあの人が一番よく知ってました。当たり前のことをしただけ、あなたはそれを負い目に感じることなどありません」
「大方様・・・」
「今はもう、その名は既に息絶えた。私を『大方』と呼ぶのは、およしなさい」
「はい・・・」
「弥平次」
「はい・・・」
鼻を啜りながら、弥平次は返事した
「よく、十兵衛を守り抜きました。さすが名門・三宅家の嫡男。お前は充分、役目を果たしたわ。もう、心の重荷を下ろしなさい」
「大方・・・、臨秋院様・・・」
「お前達、よく来ました」
「
しきの労いの言葉に、二人は畳に額を付けて土下座した
「熙子・・・は?」
「熙子は・・・」
しきの問い掛けに、光秀は苦笑いをする
「今、臥せっております」
「まあ・・・!どうかしたの?」
「いえ、大したことではありません」
「ご懐妊なさっておいでなのです」
弥平次の答えに光秀は顔を赤く染め、しきは驚きに目を丸くさせる
「非常時に、何を・・・と、お叱りを受けますでしょうが」
「いいえ。寧ろこんな時だからこそ、夫婦睦まじいのは豊かなことです。恥じることではありません」
「義叔母(おば)上様・・・」
「そう、熙子が懐妊を・・・」
しきは嬉しそうに頬を緩めた
「美濃を脱して、東海、近畿を放浪しました。西は丹波まで、東は遠江まで。さすがに駿府には足を踏み入れることはできませんでしたが」
「当たり前です。帰蝶の夫が今川を落としてから、武田の動きが怪しくなっています。もしもそんな時に踏み込めば、落ち武者狩りに遭うのは避けられません。そのような危ないことは、もうよしてちょうだい」
「すみません・・・。ですが、様々な国を巡り、様々なことを学びました。国の特色も。その中で、この越前は豊かだ。そして、その軍事力も知りました。道三様が越前を真似ようとなさっていたことも、理解しました」
「道三様の?」
光秀の言葉は、政治に関与していないしきには到底理解できるものでもなかった
「ですが、そのお陰で熙子の体調が崩れ、追い討ちを掛けるかのように妊娠。妻には本当に、申し訳ないことをしたとしたと想っております」
「なら、熙子だけでもうちで預かりましょうか」
「え?」
想ってもみないしきの提言に、光秀は目を見開いた
「こんな小さな庵だけれども、それでも慕ってくれる民は居るのですよ。ささやかな供物も持って来てくれます。根無し草のような生活をしているお前と共に暮らすよりも、妊娠中の躰には余程良いでしょう」
「義叔母上様・・・」
「お前達はその間に、職を探しなさい。仕官したいのであれば、私が口添えをしましょう」
「仕官?」
「私の親戚が、越前・朝倉に仕えております。その伝手を頼って、私も越前に来たのだけれど、最近京で不穏な動きがあるとか」
「
「ええ」
「心憂いても、今の私にはどうすることもできないと、ただ歯痒い想いをするだけです」
「どうにかできるとしたら、お前は何がしたいの?」
「え?」
突然の義叔母の質問に、光秀は一瞬目を見開いた
「今お前に何かができるとしたら、何がしたいの?」
「それは・・・」
言葉が出て来ず口篭る
「笑わないから、言ってごらんなさい。ここは長山ではないのよ。与太話だとしても、笑っていられるわ」
「義叔母上様・・・」
微笑むしきに、光秀も弥平次も引き攣りながらも笑えた
「そう・・・ですね。私に何かができるとしたら、傾き掛けた将軍家を、再興したいです」
「将軍家を?どうして?」
光秀の言葉に、しきは聞き返す
「将軍家が安泰であれば、武家も戦をする必要がなくなります。今、こうして戦乱が起きているのは、将軍家が不安定だからです。将軍家さえ安定していれば、各国の大名家に睨みが効く。睨みが効けばその下の武家も大人しくなる。不要な争いで泣く人も出なくなる・・・」
「十兵衛・・・」
「甘ったれた考えと、どうか笑ってください」
「いいえ、笑わないわ。お前らしい考えだと想います」
「義叔母上様」
「明智の再興ではなく、先に将軍家だなどと、お前でなければ考え付かないでしょうね」
「
認めてもらえた嬉しさと、見透かされた恥しさが入り乱れ、光秀は苦笑いした
「強いものが弱いものを食らう当たり前の時代。だからこそ、力奪われた明智が再興するには、強力な後ろ盾が必要です」
「それを将軍家に?」
「はい。
「十兵衛・・・」
「そう、考えております」
「そうですか。お前にその考えがあるのなら、縁者に頼んでお前を朝倉家に取り入ってもらいましょう」
「朝倉家に?」
「以前は斎藤と争い、お前にも私にも昔は敵(かたき)の家だったかも知れません。だけどね、もう『昔』の話なのよ、十兵衛」
「
言葉では応えられず、光秀は黙って頷いた
「
心の中に抱えた想いを、そっとしきに話す
「私は、放浪の間、ずっと考えておりました」
「何を?」
「私に、何ができるのかと」
「十兵衛」
「放浪の最中、帰蝶姫の嫁がれた織田が、駿府の今川を倒したと聞きました。俄には信じられませんでした」
「ええ、私もです。あの小さき家の何処に、大家を倒す力があるのかと、とても不思議でした」
「弱きものは強きものの餌になるしかない。そんな時代の終わりを、感じました」
「餌・・・?」
「弱きものが虐げられ続ける時代は、終わりに近付きつつあるのです」
「そんなことが」
「私も、織田を見習いたいとは想いました。できることなら、とも考えたのですが」
「そう、それよ。十兵衛、何故お前は帰蝶を頼らなかったの?」
「え・・・?」
「道三様に付いた者の殆どは、尾張に流れてゆきました。そして、織田に着きました。道三様の末子である新五郎殿も、今、織田で働いていると聞き及びます。お前なら、向うも大歓迎の筈。何故、尾張には行かなかったの?」
「
少し困ったような顔をして、それから、ゆっくりと告げる
「
「え?」
今度はしきが驚いたような顔をした
「美濃を脱し、一頃落ち着こうと近江に入りました。そこから近畿を目指し歩き、その先で織田と今川の争いを聞き、真相を確かめようと伊勢から美濃に戻りました」
「美濃に?」
「それから、三河、遠江、木曽、信濃と巡り、ここ、越前に辿り着きました」
「では、尾張には」
「はい。一歩も足を踏み入れてはおりません」
「何故」
「
最後に残した言葉
それが引っ掛かり、怖くて尾張には入れなかった
「教えてください、義叔母上様」
「どうしたの?十兵衛」
急に険しい顔付きになる光秀に、しきは首を傾ける
「私が明智の城を脱する前、叔父上は私にこう言いました。尾張の姫様に援軍をと進言する私に、叔父上は姫様に甘えるな、と。業を背負う姫様には、私は重荷にしかならないと」
「重荷?」
「姫様の背負う業とは、なんなのでしょうか。それに、叔父上は私と姫様は従兄妹ではないとも仰られました」
「え?」
光秀の言葉に、しきは驚き目を見開いた
「義叔母上様、何かご存知ではありませんか」
「十兵衛・・・」
「私は、明智光綱の息子ではないのですか?」
「
真摯な光秀の、自分を見詰める眼差しに、しきは折れた
今を誤魔化しても、聡明な十兵衛なら、いつか真実に辿り着く、と・・・・・・・
「義叔母上様、教えてください・・・。私は、何者なのですか・・・」
気丈な光秀の声が、涙に震える
その光秀を慰めるかのように、しきは諭すような口調で言った
「お前は、確かに先代様の子息ではありません」
「
「え・・・・・・・・・・」
驚きに光秀は絶句し、弥平次も言葉を失くす
「だけど、明智の子に間違いはありません」
「義叔母・・・上・・・。では、私は・・・」
「お前は、今は亡き明智光安様のお子」
「叔父上・・・の・・・?」
「私が後添えで入る頃には、お前は既に生まれ、人の顔を認識できる年でした。ですから、お前を生んだ人については、私は何も知らされていない。これでも私も女の端くれ、同じ場所にお前を生んだ人が居れば気付きます。だけど、そんな気配もなかったと言うことは、お前を生んだご生母様は、既に他界されておられたのでしょう。旦那様が、一度だけ私に言いました。すまない、しき、と」
「
「黙って十兵衛を育ててくれ、と。だから」
「
「そうです」
他人の家のことと、弥平次は口を出さず黙って聞いている
「旦那様のご兄弟は、あの頃はまだご健在の方が大勢いらっしゃいました。確かに年長者は旦那様でしたが、それでも明智の跡取りにあなたを指名できたのは、明智家の中でも相応の権力があったからです」
「はい・・・」
決して、明智家嫡男の息子だからと言う理由だけではなかったのだと、初めて知る
明智の家の采配は、明智光継亡き後全て光安が行なっていた
「光綱様が亡くなられ、続くように先代光継様も亡くなられ、明智は後を継ぐ人間が必要でした」
「光綱様に嫡男は・・・」
「おられませんでした。だから、お前に白羽の矢が立ったのです」
「
当然のことだろう
自分の記憶の中にある明智家当主明智光継は既に老体を極め、表立ったことは全て光安に任されて動いていた
光秀も、そんな光安を見て育ったのだから、明智のことは光安に任せれば良いという風潮は承知していた筈だった
「旦那様の先妻様が亡くなられたのは、私が入る六年前。ですから、先妻様があなたの生母ではないことは確かです。かと言って、城の中の侍女の誰かだとしても、いつかは人の口に昇ります。だけど、それもなかった。当時の私には、それを知る術はなかった。ただなんとなく、旦那様が父親であることだけは、私にも感じました。だから、お前は間違いなく明智の人間です。十兵衛、お願い、これ以上詮索しないで・・・」
「義叔母上・・・様・・・」
「私にも、わからないの・・・。わからないのよ・・・」
「
さめざめと泣く義理の叔母を
いや、育ての母を、光秀はこれ以上責められなくなった
だとしても、それでも光安の言葉には合点が行かない
自分が光安の息子だとしても、それでも帰蝶とは従兄妹同士に相違はないのだ
なのに何故、帰蝶とは従兄妹ではないと言ったのか
それがわからない
わからないが、恐らくしきにもわからないことだろう
答えを知らぬ者を問い詰めたところで詮無きことだと言うことを、光秀は知った
光安は凡そ戦事とは無縁の性格をしていたが、外交手腕は特筆すべきものがあった
土岐家との争いに明け暮れる道三の勢力は東美濃にも迫り、光安は土岐の傍流でありながら道三の軍門に下ることを父の光綱に提言し、幼い妹の那々を差し出した
その甲斐あって、明智家は斎藤の安堵を得た
道三の後ろ盾により、崩壊寸前であった明智家を持ち直させたのだ
手段は人から陰口を囁かれるようなものであったとしても、道三と義龍が別つあの日まで、光秀は平穏無事な日々を過ごせていた
それも、光安のお陰だった
斎藤の傘の下に入ることで、明智は外周の脅威から守られて来た
その基礎を築いた光安を、悪くは言いたくなかった
実の父親であったことを知ったからではない
自分を攻撃していた者と迎合するのはどれだけ心折れることか、放浪していた光秀には痛いほどわかる
わかるからこそ、争っていた朝倉に下ることを提言するしきの言葉を否定できなかった
尚更
「
「はい」
「私は」
帰蝶の大きさを、想い知らされる
「年だけ、姫様に勝ってしまいました」
「まあ」
謙虚なことを言い出す光秀に、しきは苦笑いする
「帰蝶を相手に張り合おうだなんて、お前の性格では無理よ」
「そうですね」
以前より少し離れてしまった従兄妹に想いを馳せながら、庵の天井にやや目を向け、呟くように口にする
「だけど、いつかは姫様と、武勇を競いたい。ずっと、そう想ってました」
「十兵衛」
「一国の姫君に対して、なんて無礼なことをと仰いますか」
「そうですね、少し前なら。だけど今は」
「今は?」
「女ながら帰蝶は、腕を試すには良い相手。と、言っておきましょうか。本人には言えませんけどね」
「そうですね。姫様だったら嬉々として、刀か槍を持ち出すでしょう」
「そして、こう言うわ」
「『尋常に、勝負』!」
しきと光秀の間を縫って、弥平次が叫ぶ
「
光秀としきに間があって、それから二人揃って大笑いした
帰蝶が墨俣にあった長井の砦を落として、丁度十日後
墨俣から清洲、清洲から墨俣、そして今は十九条を目指して奔(はし)る
殆ど休みなしでの疾走だった
後ろから着く兵助は、あの細い躰のどこにこれだけの精力があるのかと見詰め、不思議で仕方ない
『何か』が突き動かしているのだろうか
清洲に戻った帰蝶は、せめて一目でも帰命の顔を見るかと想っていたが、用事を済ませると一瞥も呉れずそのまま城を出た様子である
今は愛息よりも美濃を落す方が先決なのか
「
どうしても、溜息が零れる
今のあなた様にとっては、愛した人が残した一粒種よりも、故郷を取り返す方が大事なのか、と・・・
幼い姫君を道三の側で眺めていた兵助には、可成のように帰蝶を一人の武人として見るのは容易なことではなかった
『道三の残した遺産』は、美濃だけではないことを、兵助は道空から聞かされている
帰蝶そのものも、『道三の残した遺産』の一つであることを
知ってか知らずか、だがそれを直感と呼ぶのなら、帰蝶を欲した織田信勝は正しかった
帰蝶を手の内に納めれば、自ずと美濃が着いて来る
道三の遺産である帰蝶がそれを拒んだからこそ、信勝は死んだ
簡単な話だった
無理をさせ続ければ、帰蝶はいつか美濃を落す
だが、兵助は無理をさせたくなかった
あの、男を真似て必死になって背伸びをしていた無邪気な姫君の、あのひたむきな容姿(かお)を見ていた兵助には
その兵助の視界に、赤の母衣を背負った青年が対向して来る
「殿!」
「どうした」
「現在、森隊を指揮として柴田隊、十四条に入りましたッ!」
「そうかッ」
帰蝶の顔に明るい光が差す
「大垣から池田隊はッ?!」
「現在稲葉山城を目指して北上しております!」
「佐久間隊の動向は!」
「殿の指示通り、加納を目指しておりますッ!」
「犬山織田の派遣隊を先頭に、そのまま押し進めろッ!」
「承知ッ!」
「殿ッ!」
秀隆と共に勝家の応援に出ていた成政の馬廻り衆が合流した
「ご無事で!」
「当たり前だ。私を誰だと想っているか。そんなことよりも、権が十四条に入った」
「はい、承知しております。赤母衣衆と共に、殿の出迎えに参りました」
「暢気なことを」
「勝三郎殿が、血気逸って殿が松風を潰すのではないかと、それが心配で殿を監視するようにと言付かっております」
「たわけッ!松風を潰すだと?!」
強ち否定もできず、帰蝶は顔を赤らめて成政を怒鳴り付ける
「清洲から一休なく走る松風を、これ以上、これ以上・・・」
「まだ走らせるおつもりだったのでしょう?」
「
嘘を吐け
そう言いたげに、松風が走りながら尻を一度浮かせる
「だから、もうちょっとだけだと言っただろう?!松風!帰ったら上等の飼い葉を呉れてやる。もうちょっと頑張れ!」
無茶苦茶だなぁ、と、成政は心の中で呟いた
松風でなければとうの昔に潰れていてもおかしくはないだろう
とすると、それに乗っている帰蝶にもそろそろ限界がやって来る
今は気力で走っているが、帰蝶は体力の少ない『女』だ
自分達のように無理の利く体ではない
成政も兵助も、帰蝶に『無理』をさせる前には決めなくてはならないと、同時に想った
帰蝶ら織田本隊が十九条を抜け、勝家ら戦闘部隊が十四条の半分を過ぎた頃、稲葉山城から斎藤軍本隊が出撃した
成政、兵助が想うよりも一歩及ばずの状態だった
率いる稲葉一鉄良通の進撃に、斎藤と争い慣れていない勝家は押され、一鉄とは争い慣れている可成の指揮を乱した
「大垣より丸毛家進軍ッ!」
想いも寄らぬ人物の、突然の寝返りである
いや
丸毛長照はそもそも市橋長利と共に、表立っての織田への帰属は行なっていない
しかし、影に回れば佐治への協力は惜しまないと約束していた間柄だった
その丸毛長照が斎藤に着いた
この報告は十四条の勝家らと合流しようとしていた帰蝶の耳には届かず、同じく勝家達との合流を計っていた池田隊副長の佐治の許にも届けられなかった
完全に裏を掻かれた形となった織田軍は、丸毛軍によって態勢を崩され、進退極まる状態にまで陥る
帰蝶の言葉を想い出す
深追いはするな、と一言を
「
無理に隊列を戻そうとして深手を負えば、それこそ帰蝶からどんな咎を受けるかわからない
可成は勝家の部隊に損害が出る前に、撤退を掛けた
背中を向けるのも危険な行為である
しかし、このまま対峙し続けるにしてもそれ以上の危険が及ぶ場合もある
可成の指示は、一か八かの賭けであった
「それは本当なの?」
一方の清洲
本丸から資房が訪れ、それを報告する
受けた市弥は蒼い顔をし、なつも言葉を詰まらせた
「津川が、織田から造反・・・?」
「はい」
「確かに?」
なつが念押しする
「書状が先程、津川家より送られて来ました」
「津川家から・・・」
だとしたら、それは本当のことなのだろう
側で随伴していた貞勝は、ともすれば倒れそうになっている市弥の肩を支えた
「なつ・・・」
「そう、ですね。これは織田にとって一大事ですね」
「上総介には・・・」
「殿には、戻ってからご報告差し上げた方が良いでしょう。今お知らせすれば、斎藤攻めが鈍ってしまうかも知れません」
「怒らないかしら・・・」
「お怒りになられるでしょう。ですので、それは私が引き受けます」
「それじゃあ、なつが・・・ッ」
自分を心配してくれる市弥に、なつはそっと微笑んだ
「大丈夫です、大方様。殿との怒鳴り合いには、年季があるんですよ。ちょっとやそっとじゃ負けたりしません」
「だけど・・・。津川はどうして、急に織田に叛旗を翻したりしたの?」
「それは簡単です」
「でも、なつ、津川は織田に恩義がある筈よ?それを反故にしてまで」
「津川は『若』に対しては恩義がある。だけど、『殿』に対しては恩義などございません。徒や疎かも吝かではないのです」
「
そうだった、と、市弥は想い出す
「津川が恩恵を受けたのは織田上総介信長。斎藤帰蝶に対してではありません」
「だから・・・」
「それよりも太田殿、此度の津川家造反による、他の旧斯波家臣達の動きは」
「はい。津川家に伴い、いくつかの家も着いております」
「そう・・・」
想像したことが現実であったことに、多少の落胆はある
帰蝶はそれをどう受けるのだろうか
「蜂須賀殿・・・は?」
蜂須賀家までもが造反に加わってしまえば、織田は弱体化を強いられる
なつは恐る恐る聞いた
「蜂須賀殿は、殿より伝達が入り、現在美濃の加納砦に出向いておられます」
「そう・・・」
それを聞いて、ほっとする
「しかし・・・」
言い難そうに、資房は続けた
「どうしてか、お能殿をお連れになられまして・・・」
「え?」
なつも市弥もキョトンとした
「どうしてお能を?」
「じゃあ、徳子は今、誰が見ているの?」
「殿が、必要ならお能殿を連れて行っても良いので、加納に出向くようにと直接命令があったそうで、そうお能殿に話されているのを又聞きしました。それと、徳姫様は菊子殿が」
「帰命の両方を見てるということ?」
「はい」
「
お能以外の人間に対しては『聞かん坊』な徳子の面倒を、と、市弥もなつも、菊子に同情した
「それにしても、上総介はどうしてそんな要求を・・・」
市弥がぽつりと疑問を呟いた
「それは大方様、蜂須賀殿が」
「どうかしたの?」
なつがこっそりと教える
こっそりと言っても、周囲には丸聞こえだが
「お能に惚れていて」
「え?」
市弥の目が剥く
「それ、本当に?」
「はい。ですから殿は恐らく、お能を『餌』にすれば、蜂須賀殿も断りはしないと・・・。そう言うことではありませんか?」
と、目で資房に訊ねる
「ええ、まあ・・・。結果、蜂須賀殿はお能殿を連れて、ウキウキした様子で加納に向われたそうで・・・」
「蜂須賀の浮かれた表情を見るのも忍びないけど、お能もよく承諾したわね」
「それが、後でお能殿に伺いましたら、加納から実家のある長森までそう遠くもないと言うことで、加納で外交するにも丁度良いと。ただ、長引くようでしたら・・・」
言い出しづらそうにしている資房の顔に、なつはこくんと頷く
「止むを得ません。徳姫様は、私が加納にお連れしましょう」
「申し訳ございません。本丸、徳姫様の泣き声で充満しておりまして」
「明日にでも連れて行けとっ?」
驚くなつに、資房は慌てて手と首を振った
織田本隊が十四条に差し掛かった時のことである
大垣方面からの丸毛軍と稲葉山城から出撃した斎藤軍に挟まれはしたが、数では劣るものの勝家の剛勇と可成の知略でなんとか凌いでいた
大垣から池田隊が合流し、丸毛の部隊はそちらに任せることができた
そのお陰でなんとか織田の先鋒隊は盛り返すことに成功した
ところが、後は帰蝶の到着を待つばかり、と言うところで、遂に十四条城から長井の大軍が押し寄せ、踏ん張りきれない状態になってしまった
長井の増援に『本流』斎藤が着いている
それが、織田を退かせる原因であった
「もう直ぐだ、もう少しだぞ、松風」
走り続けさせている松風に声を掛ける
その帰蝶の目の前に、『必死の形相』をした勝家が迫った
目は大きく剥き、血走り、口は髭で殆ど見えないが、おちょぼに尖らせ、ただそれだけで『怖い』
「
勝家の余りの形相に肝を潰した帰蝶は、想わず
「織田軍、撤収ッ!」
自ら先頭を切って真後ろに踵を返す
後は雪崩れるかのように十四条を出た
「一体どう言うわけだ!」
先鋒の撤退に巻き込まれた帰蝶は、とある場所に引き篭もる
そこで勝家、可成を並べて怒鳴り散らしていた
「私の到着まで、踏ん張れんかったのかッ?!」
「面目次第もござ」
「貴様の面目など、犬にでもくれてやれッ!」
「そ、そんな・・・」
本流・斎藤と共に、稲葉も出て来たことが敗因だった
おまけに『深追いするな』と自身が言っていたものだから、咄嗟の撤退は責められるようなものでもなかった
あのまま留まっていれば、兵力の半分は喪失していただろう
だが、加納砦に斎藤が向うことはなかったとも聞く
信盛の部隊が加わったことで加納方面の兵力が斎藤に勝り、争いは回避された
これは帰蝶の作戦勝ちでもあった
「兎に角」
寄せた場所を取り囲む斎藤・長井軍を、どうにかしなくてはならない
稲葉山の手前、井ノ口まで落とすつもりで一宮から信盛を呼んでいるので、これ以上の増援は見込めない
増してや、味方だと信じていた丸毛に寝首を掻かれ、落ち込んでいる佐治を前に酷なことも言いたくなかった
「
「え?」
何をくれるのだろうと、俄に頬を緩める秀隆に、帰蝶は無表情で命令する
「斎藤の将の首をやる。好きなだけ取って来い」
「一万相手に無茶言わないで下さいッ!」
借りた本堂に、その人が現れる
「相変わらずの無茶振りのようですな」
「
声を聞くだけで、帰蝶は片膝を突いて平伏した
その姿に秀隆らの方が驚かされる
「
頭を見事に丸めて、輝きさえ放っている坊主は、手にしていた杓で帰蝶の頭を軽く叩く
これにも周囲は目を剥いて驚いた
「そなたの父君は、それを望んでそなたを育てたのか」
優しい声に、厳しい目を向け、帰蝶を睨む
「望むも望まぬも、これが私の選んだ道でございます。ご住職」
「ふう・・・」
住職は軽く溜息を吐いて、天井を眺めた
「夕庵殿の、導きか。それとも、そなたの運命(さだめ)か」
住職の言葉に、帰蝶は応えなかった
帰蝶が逃げ込んだ場所は、十九条と十四条の間にある『美江寺観音』
父・道三が保護し、手厚く安堵していた寺である
そもそもは東美濃にあった寺だったが、道三が稲葉山の砦を城に建て替えるのと同時に今の本巣・十六条に移転させ、城の鎮守として治めた
帰蝶はその伝手を頼って、万が一の時の逃げ込む先として確保していたのである
『織田信長』ではなく、敢えて『斎藤帰蝶』の名で申し出るよう秀隆に命令したのには、そう言ったわけがあった
「ご亭主殿の補佐として、戦場を駆けるのは、そなたの勝手だ。だがな」
帰蝶は、『信長は生きているもの』として話を通すよう、言っておいた
住職も、信長は別の場所に居るものと信じている
「ここは斎藤との争いの、最前線ではないのか」
住職は知らない
「何故、亭主を守ってそなたが戦う」
信長など、この世には居ないことを
「『守りたい』からでございます」
「女は大人しく、城で待てんのか」
「恐れながら、そう言う育てられ方は受けておりません」
「道三殿は、確かに破天荒なご気質のお方だった。その薫陶を受けていたそなたのことも、備に聞いている。見聞のためにと武井夕庵殿に連れられ、時折ここを訪れるそなたの育ち方を見て、普通の女子(おなご)の生活など無理であろうことも、重々承知していた」
「ならば、それ以上の説教は無駄にございます、ご住職」
「しかし、言わねばならぬこともある。増してや、父御殿を亡くされたそなたに、誰が説教を付けれようか」
「我が帰巣にて、喉をうずうずさせている者がおります故、ご心配には及びません」
「帰蝶姫」
「
これ以上何も言わせまいと、帰蝶は深々と頭を下げた
その雰囲気に押され、住職も口篭る
「ご住職様」
そこへ、見習いの小坊主がととと、と駆け寄って耳打ちする
「斎藤が?」
小坊主に顔を向ける住職の表情に、斎藤が織田の引渡しを申し出たのだろうと想像できた
「ご住職」
「案ずるな。助けを求めて参った者を追い出すことなど、しはしない」
「ご面倒、お掛けします」
「申し訳ないと想うのなら、初めから頼るな」
住職は笑いながらそう言い、本堂を出た
「殿・・・」
ここには帰蝶を知る人間しか同席していなかったのが幸いした
「昔の話だ。詮索するな」
話し掛ける秀隆を、目線だけで制止する
「ですが・・・」
自分を育てた人、夕庵を相手にどこまで戦えるのか
どこまで張り合えるのか
どこまで通じるのか、何もわからない
こちらの動きは全て向こうに見透かされているのではないのかと、そう言いたいのを押えるので精一杯だった
そんな秀隆に、帰蝶は寺との由縁を話す気にはなれなかった
どちらにしても、『父』を利用したのだ
誉められることではない
「さて、住職が斎藤相手にどう出るか。見ものだな」
「あっさり引き渡されてしまったら、如何なさいますか」
「案ずるな。少なくとも私は無事で居られる」
「殿・・・」
勝家も可成も、それ以外の全員の頭から汗が浮かぶ
そりゃそうでしょうよ、と、全ての心の一言までもが一致して
美江寺観音の住職が対峙しているのは、長井総大将の道利と、稲葉良通、そして利三の三人
「この中に立て籠もる織田総大将の引渡しを願い乞う」
憮然として告げる道利に、住職は平然とした顔で応えた
「お断り申します」
「何?」
「中におられる方は、正規の申し込みあって当院に入られたお方。押し掛けたわけではない者を、追い出したり、増してや敵対している者に与えるのは仏の道に反する行為」
「貴様、美濃を敵に回すつもりか」
「仏にとって敵とは、弱き己の心であり、人に害成す悪意でもあります。それ以外を敵と呼ぶこともまた、仏の道に背く行為」
「禅問答は要らぬ!織田の総大将を渡せばよいだけだッ!」
煮え切らない住職に、道利は怒鳴りを上げた
その光景を他所に、利三は懐かしい想いで寺と、その門前に立っている、あの頃より年を取った懐かしい顔を眺めていた
住職もまた、道利を前にしながら脇に居る利三に、懐かしい邂逅の眼差しを向ける
夕庵に連れられここを訪れる帰蝶の側には、必ずあの少年が付き添っていた
まるで影のように、日向のように、当たり前のように側に居た
その少年も、もうこんなに大きく、一人前の武将に成長したのだな、と、懐かしくも淋しい想いをいだく
中に居る『帰蝶姫』の変わり果てた姿にも、月日の流れがそれを納得させた
人は変わるものなのだ、と言うことを
「何度も申し上げておりますが、当方としましては、この辺りを戦火に包ませるような愚かなことはできる限り避けたいと願っております。この寺は稲葉山城を守るために移設された寺。古は土岐家がその増築に携わった由緒ある寺でもございます。もしもこの寺に火矢を投げ込みたいと仰るのでしたら、どうぞご存分になさってくださいませ」
「ならば望み通りにするまで。首を洗って待っておれ!」
「隼人佐様、なりませんッ!」
これを聞いた利三は、慌てて道利を止めに入った
「こちらは天台宗の一徒、その後ろには『比叡山』が着いておりますッ!もしも天台宗の寺に大事が起きれば、全国の一門が黙ってはおりませんッ!」
増してや、この美江寺は空海の師が開基したとも伝えられている
その寺を相手に争うことは、愚かなことであった
頭に血が昇ったとは言え、冷静に考えれば誰にでもわかりそうなことである
その判断を誤る道利ですら、『比叡山』の一言を聞いて尻込みした
殺気立つ道利と、それを抑える利三、挟まれた一鉄良通は小難しそうに顔を歪ませていた
そんな中で住職は、静かに古い詩を詠う
「朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(ひび)春衣を典し、毎日、江頭(こうとう)に酔(え)ひを尽くして帰る。酒債は尋常、行く処に有り。人生七十、古来稀なり。花を穿つ蛺(きょう)蝶は深深(しんしん)として見え、水に点ずる蜻蜓は款款として飛ぶ。伝語す。風光、共に流転して、暫時、相(あい)賞して、相違ふこと莫(なか)れ」
「
その詩は
「今は争う仲でありましょうが、ここは全てを受け入れる場所。どうか、刀はお収め下さいませ。この中におられる蛺(きょう)蝶も、きっと、今だけはそれを望んでおられることでしょう」
その詩は、帰蝶の名の由来、そのもの
利三は目を見開いて住職を見詰めた
まさか
ここに
あの中に
何事もなかったかのように戻って来た住職の表情に、斎藤が引き下がったことを俄に知る
「そなたの幼友達に感謝されるとよろしかろう」
「幼友達・・・」
まさか、と、帰蝶も想う
「勇み逸る長井の将を宥め、今は引き下がってくれました。しかし、寺から出ればまた、争いの種が生まれる。それを覚悟で行きなされるか」
「
進まねば成らぬ道なればこそ
美江寺に織田を追い込み、その後の丸毛は大人しかった
斎藤に仁を尽くすわけでもなく、長井に義を通すわけでもなく、静かに大塚城へと帰って行く
落ち込む佐治を恒興と藤吉の二人掛りで慰める傍ら、帰蝶はここから無事脱するための準備をしていた
「想いの外、早くに頼らざるを得なくなったな」
「殿?如何なさいますので?」
「小牧より三十郎を呼べ。争いは避けたいが、清洲に戻らねば如何ともし難い」
即日、小牧山の砦から信良と可近が駆け付ける
金森の軍勢二千を引き連れて
松明の陽炎が揺れる寺の参道に、織田軍が犇き合う
「斎藤の動向は」
「好機を伺っている様子」
「是非に及ばず。さて、墨俣に来る予定だった蜂須賀が、何故かこちらではなく加納に詰めたと聞く。どう言うわけか知らぬが、それはそれで都合がよい」
「殿」
「三次方向、一斉に仕掛ける。それに乗じて私は清洲に戻る」
「承知」
「犬山には」
可成が訊ねた
「既に報せは走らせてある。こちらが気に病む必要もない」
昼間の戦闘で犬山城主の舎弟が討ち死にを果たした
弟の死に、信清がどう出るか、正直こちらの方が恐怖する
斎藤との挟み撃ちに遭わぬ内に帰還せねばならない
それは、今しかなかった
待つ人の居るあの場所に帰れるのなら、何度でも自身を囮にしよう
それで守りたいものが守れるのなら、何度でも死線を潜ろう
大人しく静かに待つだけの人生など、送る必要はないと父が教えてくれた
誰かが変えてくれるのを、じっと待っていろと夫は教えはしなかった
守りたいのなら、変えたいのなら、じっとできないのなら、自らの足で進んで前を向けと、父も夫もそう、教えてくれた
「織田軍、出発ッ!」
帰蝶自らの掛け声に、寺の門が大きく解き放たれ、中央から織田本隊が雪崩れるように駆け出した
それを確認した長井の軍勢が『待ってました』とばかりに襲い掛かる
「走れ!走れッ!脇目も振らず走りまくれッ!」
秀隆率いる黒母衣衆が外周をぐるりと取り囲み、帰蝶本隊を守る
先頭を走る松風には、さすがに追い付けないが
その松風に目を奪われ、長井の騎馬隊が一点に集中して帰蝶を追う
「来い、来い。追えるものなら、追ってみろ」
松風の手綱を口に咥え、帰蝶は腰から種子島式を抜き取り、ほぼ真後ろを着ける長井軍の先頭に向って発射した
ズシンと、鉄鋼の厚い種子島式独特の発砲音が轟く
命中したか、先頭を走っていた馬が崩れ、数十頭がそれに巻き込まれた
引き離された帰蝶を追って、尚も目標が織田総大将に絞られている
故に、気付くのが遅れた
「織田軍、増援部隊出現ッ!」
西の方向と東の方向
帰蝶を追う長井の軍勢が、織田の別働隊に挟まれた
更に、予め計画していたように、帰蝶の後を追う織田軍の進む方向が変わった
墨俣に戻るものと想っていた織田の軍勢が、全く別の方向に走る
「どこへ行く気だッ!」
それに釣られて長井軍が分散された
分散された長井軍を待ち受けていた、加納からの増援部隊・蜂須賀隊が叩き臥せるように襲い掛かった
後退するにも、そこには東美濃・金森家の軍勢が
更には、東から荒尾家の旗印までもがはためいていた
「いつの間に・・・ッ」
「総大将が帰還すれば、墨俣、加納を取った俺達の勝ちだッ!絶対守ってみせろよッ?!勿論、殿のことだぞッ?!」
勝家の部隊の中から、利家が声を張り上げる
「あのバカ者めが、相変わらず殿の御前だと勇みよる」
苦々しくも頼りのあるところを見せる利家に、勝家は苦笑いを浮べて見守っていた
稲葉山は目前だというのに、またもや追い返されてしまった
だが今回は、何故だか悔しいと言う気持ちは生まれなかった
ただ
「
目の前に広がる『撫子』の旗印に、心が揺れる
お前は私にとって仇ではあるが、お前は私の味方か
それとも、『敵』か
迷わず真っ直ぐ向って来る『帰蝶』に、利三は動かずじっとしていた
「斎藤殿ッ!」
側に居た一鉄良通が声を上げる
「迎え撃ちなされッ!」
「
それでも、『お清』は動かなかった
「斎藤殿ッ!」
「
自分の頭上を、一頭の牡馬が跳び抜ける
それでも、『お清』は動かなかった
ゆっくりと振り返り、帰蝶の去りゆく背中を見送る
「今は、相容(あいまみ)える時ではない」
そう、ですよね
正面から来る長井と、待ち受けていた斎藤がぶつかり、行く手を遮る
帰蝶を追えぬまま混乱だけが騒然と広がった
花を穿つ蛺(きょう)蝶
激しくも観想的な羽で飛び去り、残り香だけを漂わせる
帰蝶の去った後をまるで追うように、一羽の揚羽蝶が舞い上がった
それを眺めながら、利三は面影を辿って帰蝶の幻影を抱き締めた
いつか、あなたに寄り添う花になりたいと、願いながら
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更新のお知らせ
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1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
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管理人の独り言も混じっております
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ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
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夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
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何よりボトルがどれも美しい
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一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
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清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
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