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「いやーん」
薄い小袖の懐から男の手が突っ込まれ、木鷺屋の女は身悶えしながら体をくねくねと捻らせる
まだその場に柴田勝家が居るから乱交すら起きないが、少しでも油断すればあちらこちらで交合(まぐわ)う男女が出ても不思議ではない雰囲気だった
大柄な体に相応しく、利家は豪快に酒を飲み、女が運ぶ箸をぱくぱくと咥えている
女にしなだ掛かられ、資房は苦笑しながら押し返し、貞勝は憮然とした顔で手で追っ払う
酒に弱い恒興は、無理矢理飲まされ最早撃沈寸前であった
「これでは奥方様が守れない・・・」
「しかし、邪険にすれば柴田様からどのような咎が」
この接待が信勝の計らいだとすれば、無下にしては信勝に恥を掻かせたことになる
勝家が織田の深い場所にまで入り込んでいることは、誰もが知っていた
些細な讒言で追放されては、こちらとしても堪ったものじゃない
資房も古参の一人
貞勝よりは織田の体質を熟知していた
「今しばし、好機を待たれよ」
「しかし・・・」
歯痒い想いで、貞勝は帰蝶の居る部屋の襖に目をやった
薄い板一枚で隔たれただけだと言うのに、遠く感じる
「先ずは、一献。と、言いたいところですが、零れてますよ」
「え?・・・あ」
酒が注がれたままの盃を両手で持って、ずっと話し込んでいた所為で、膝の上に雫がいくつか落ちていた
言われるまでずっと気付かなかった
「冷めてしまったかな」
そう言うと、信勝は帰蝶の両手をそっと持ち上げ、中心の盃に顔を近付け、飲み干した
「あ・・・」
端麗な顔立ちはそのままに、盃に重ねた口唇が妙に色っぽい
「どうぞ」
改めて注がれた酒も、それなりに量が多い
もう少し気遣ってくれればとも想うが、もしかしたら信勝は自分を酔わせたいだけなのかも知れないと言う気にもなった
負けて堪るか
そんな想いが俄かに湧き上がる
「 いただきます」
「 」
盃に口唇を重ね、そっと傾ける
白い指先がやけに印象的だった
しばらくして、盃の酒を飲み干し、尚且つ平然としている帰蝶に信勝は、内心「ほう」と感嘆の声を上げた
「中々お強い」
「いいえ、一杯だけなら」
「では、二杯目は?」
「やめておきましょう。止まらなくなったら、醜態を晒すだけかも知れませんよ?」
「構わないでしょう?私達は姉弟(きょうだい)も同然なのですから」
「でも、姉弟ではありません」
一つ年上の義弟に、帰蝶は苦笑して応えた
「だから、私には心を開いてくださらないのですか?」
「では、あなたは私に腹を割ってくださいますか」
「 割っているつもりですが?」
信勝の声が低くなった
「そうですか。ではお聞かせいただきたいのですが」
斯波義統襲撃事件が起きた際、掴んだその情報を元に鎌を掛けてみる
「我が兄とあなたの間で、どのような密約が交わされているのですか」
「密約?」
「兄と手を結び、その見返りは何でしょう。尾張ですか?美濃の一国ですか?」
「何のことでしょう」
「吉法師様の暗殺。それを企てているのではないのですか」
「 」
漸く、信勝の顔色に変化が生じた
「俺を暗殺?」
斯波義銀を保護し、那古野の信長の許に連れて来た時親が、そう告げる
「私も先ほど知ったばかりです。もっと以前に知っていれば、お知らせできたのですが」
「大和守が俺を殺して、なんの利得がある。俺が死んでも、後には勘十郎が居る」
「 扱い難さ、でしょうか」
苦笑いしながら、時親は応えた
それだけではない
父・信秀とは全く異なる性質を持ちながら、信長も頭角を表し始めていた
織田信友は、それを恐れているのだ
親が親なのだから、息子もどう化けるかわからない未知数の可能性を秘めている
「確かに、優等生の勘十郎の方が扱いやすいだろうが」
かかか、と笑う信長に、帰蝶が叱咤する
「吉法師様、笑いごとではありません」
「しかしな、帰蝶。現に大和守の信長殺害計画は、岩龍丸逃亡で頓挫している。笑わずに居られるか」
「ですが」
「お屋形様は、その情報を持参して殿の許に逃げようと計られたのですが、それを事前に察知した大和守様に攻め込まれ自害なさったと言うのが、今回のあらましです」
「なるほど。大義名分がやって来るのを、俺は逃がしたと言うわけか。しかし、大和守討伐令は既に出された。これを覆す方法などない」
もしやと、鎌を掛けてみた
信勝は見事、それに嵌った
「吉法師様を殺して、あなたの手に何が転がり込むのですか。教えてください」
「 」
信勝の口唇が、ゆっくりと開く
だが、そこから言葉を発する気はないようで、何も言わない
「お願いします、教えてください。兄は何を企んでいるのですか」
どうして、そんなに必死になってるんだ?
ふと、心にそう浮かぶ
政略で結婚しただけじゃないか
夫が死ねば、自分は実家に帰るだけで、次にまた別の縁談が来るのを待つだけで
どうして、そんなに必死な顔をしてるんだ
美濃から尾張に戻るのに、船で木曽川を超える
土岐の旧領地で可成の舅と逢い、帰蝶が調べてくれと言っていた調査の結果報告書と共に、序に可児の土田家の周辺も調べてみた
土田は弥三郎の本家でもあるので、探ること自体はそう難しくもなかった
土田の家臣の筋になる土田の分家で子供が生まれたこととか、その嫁が尾張から嫁いで来た大店の娘だとか、どうでも良い話まで仕入れて船に乗り込む
「しかし、木曽大橋までぐるりと回るよりも、船で行き来した方が早いな」
歩き疲れた脚を伸ばしながら可成は弥三郎に言った
「川幅が半端じゃないからね。それに、この辺りの船も土田の商売にもなってるし」
「商売?」
「川渡しだよ。商業船とかなら話は違うけど、業者が尾張から美濃、あるいは美濃から尾張に入るのに、木曽大橋を遠回りするより船で渡った方が目的地も近いからね、大抵の商人はここらで船を使うよ。その船の元締めが可児だったら土田、長森だったらほら、お能さんとこの実家がそうだよ」
そんな二人が乗り込んだ船は、尾張から来た船で、帰る途中と乗せてくれたものだった
「お能殿の実家は確か、油屋では?私は斎藤に居た時から『油屋の娘』としか聞かされていなかったが?」
「油だけじゃないよ。薬を扱ってるから火薬もそうだし、馬に反物に簪、棺桶、日用品やら調度品まで取り揃えてる。うちも取引してたからね。馬を入れる時は山県まで運んでたから、長森まで船を拾う方が早いんだよ」
「確か弥三郎の実家は馬屋だったか」
「そう。全国各地で馬を集めて、美濃に入れる時は間にお能さんの実家を通すんだ。船もお能さんの実家の船だからさ、手続きが簡単なんだ。だから、かなりの大店だよ?下手な大名より財産あるんじゃないかな。つっても、俺もそれ知ったの、つい最近なんだけどね」
「お能殿は兄上の嫁御殿ではないのか?」
「うん。でもさ、俺の女房じゃないわけでしょ。ぶっちゃけ、兄貴の嫁さんの実家なんて興味なかったしさ」
笑いながら応える弥三郎に、可成は「なんと無欲な青年か」と想いながら、一緒になって笑った
「うちのカミさんの実家も、反物じゃぁ結構な大店だしね」
「しかし、国の経営は店の経営に似ているところもあるだろう。奥方様の金銭感覚がしっかりしているのは、そう言った家の娘との付き合いがあるからだろうな」
「兄貴夫婦が那古野城に入った時に、うちの女房と話しててさ、その時知ったんだ。ええ?!あの廻船問屋の娘さんだったのっ?!って」
「ははははは!」
「船は荷物だけ運ぶもんじゃないしね、時には戦に出る兵士も運ぶ」
「そう言えば」
二人の話を片耳で聞いていた船頭が、間に入り込んで来た
「今年の初め、随分大勢の兵隊さん達を運んだけど、美濃で戦でもあったのかい?」
「兵隊?」
「どこの兵士かわかるか?」
可成が聞く
「家紋とか幟とかはなかったから、どこの家かはわからないけどね、随分多かったよ。確か犬山のちょっと西辺りだったかな。細かくは覚えてないが」
「まさかとは想うが、その中に『安藤』様と呼ばれる方は居なかったかい?」
正しく『まさか』の想いで聞いてみたが、答えはやはり期待に沿えるものではなかった
「そこまでは記憶にないねぇ。でも、百人二百人じゃなかったよ。うちの五十人乗りの大船を何隻も注文したからね」
「その一団は、何処に向った?」
「さぁねぇ。でも、各務原から西に向ったのは知ってるよ」
「各務原から西」
「森さん、まさか・・・」
「まさかとは想うが、今年の初めと言うことは、安藤様かも知れない」
「 」
こんなところで守就の足跡を見付け出せるとは想っていなかっただけに、弥三郎は言葉が出なかった
「今年初めに間違いないんだな」
可成が確認するように聞く
「そうだね、二月に近い日だったかな」
「 間違いない、安藤様だ」
それ以外の日に、尾張から美濃に渡った兵士の大群は居ない
それが安藤の率いる部隊かまでは確たる証拠がないとしても、他に木曽川を渡った兵士の集団が居ないと言うのも証拠になる
「でも、なんで。帰るんだったら犬山より、そのまま清洲を北上して木曽大橋渡った方が稲葉山だって近いでしょ」
「だから、安藤様は那古野より東に用事があったってことだろう?」
「那古野より東って・・・」
「末森か、あるいは岩倉、もしかしたら犬山かも知れん。だが、寧ろそれで清洲とは繋がっていないと言うことも証明されたんだが」
「だったら、森さん・・・、奥方様が危ない・・・」
弥三郎の声が震えた
「奥方様、今、興円寺で勘十郎様と・・・」
「あの辺りは寺が点在していたな。物騒なことにはならんと想うが、念のためだ。我々も向おう」
弥三郎は頷いた
「船頭」
「はい、何でしょう」
「馬を借りたいのだが」
「だったら、船着場の東側に詰所がありますから、そこで申し込んでくだせえ」
「わかった」
目の前に迫る尾張の川岸を、まるで手繰り寄せるかのように可成は睨み付けた
間に合ってくれ、と、祈りながら
「 義姉上様は、どうしてそこまで兄上に加担されるのですか」
「加担・・・?」
ふと口に出た、信勝の言葉が理解できない
「そこまで庇う理由は、何ですか」
「庇うとかではなく、夫を守るのは妻の役目です」
「それだけですか?」
「嫁いだ以上は、嫁ぎ先の繁栄を願ってはいけないものでしょうか」
「あなたは、兄上の安寧だけを願っておられるようにお見受けします」
「当然のことです。夫を危険に晒す妻が、何処に居るのですか」
燐とした眼差し
至近距離に居ながら、自分の視線から決して目を背けない
隣では相変わらず騒がしい声が上がっている
それでも帰蝶は表情一つ崩さず、じっと信勝を見ていた
「あなたがそこまで兄上に入れ込んでいるのは、わかりましたが」
『入れ込んでいる』と、信勝にしては随分下世話な表現だと、帰蝶の顔が怪訝に曇る
「尾張の繁栄のためになるのでしょうか」
「先のことは、私にもわかりません。ですが吉法師様には夢があります」
「夢?いつも父上からはそれについて、随分叱られていたと聞きますが。そうでしょう?武家の長男に生まれた者が、武家の発展ではなく庶民の暮らしを先に考える。有り得ないでしょ」
「庶民の発展は、この国の発展にもなります」
「そのために、武家を犠牲にするというのが、兄上の夢ですか」
「途方もない夢だからこそ、誰も理解できず、ただ闇雲に『無理だ』と決め付ける。誰もやろうとしないだけで、やってみる価値はあると想います。勘十郎様は、夢を描いたことはないのですか?世の人がみな、笑顔で過ごせる世の中になることを、夢見てはいけないのですか?」
「 」
心なしか、兄嫁の瞳が潤んでいるように見えた
元々光を遮るよな造りになっている部屋だ
趣だけを考え建てた茶室は、昼間でもぼんやりと薄暗い
そんな中で潤んだ帰蝶の瞳だけが、やけに輝いている
「兄上の考えでは、武家が成り立ちません」
「武家や庶民の隔たりがあるからこそ、この世は上手く行かないのです。その壁を壊そうとして、何がいけないのでしょうか」
「では、あなたも武家は必要ないものだと仰りたいのですね?」
「そうは言ってません。武家はあくまで民を指導する立場で居れば良いと、吉法師様は仰ってるのです。私には素晴らしい考えだと想います。このような考えを持った人に、帰蝶は今まで逢ったこともありません。だから、その夢を少しでも叶えるためにも、私は助けになりたいのです」
夫を熱く語る妻
芽生える嫉妬
それは焔のように、激しく心を焼き付ける
「お願いします、勘十郎様。兄と手を切ってください、お願いしますッ」
「 」
美濃国の姫君が、豪族の倅である自分に土下座している
恥じらいもなく
矜持も脱ぎ捨てて
ただ一人の男のために、ただ頭を下げている
どうしてそこまでできるんだろう・・・
「義姉上様は、兄上のためなら何でもできますか」
「 」
畳に付いた顔を上げ、帰蝶は信勝を見上げた
「何でもできますか」
「 その覚悟はあります」
「兄上の夢の実現のために?」
「そうです」
「笑止。下らぬ夢でございますな」
揺るぎない意思を持つ帰蝶に、信勝は嘲た言葉を投げ掛けた
「あの方は、誰も成し得ない夢を持っておいでです。誰も想像できない夢を、追っておいでです。その夢を笑う資格など、誰にもありませんッ!」
「夢は寝てから見た方が楽しいでしょうに」
「吉法師様なら、きっと実現なさいます」
「他の武家が許すはずないでしょう?」
「そのための戦をしておいでです。吉法師様の助けになるのなら、私は何でもできます。何でもします。吉法師様の邪魔をする者は、帰蝶が許しませんッ!」
「義姉上様。何故、そこまで」
「吉法師様の夢に触れて、感動したからです。私は、あの方の助けになるのなら、それが本望です」
「自分を犠牲にしてでも?」
「厭いません」
「 」
どうして、そこまで
そんな言葉しか浮かばない
夫婦だからか
ただそれだけの理由で、自分を犠牲にしても構わないと言い切れるのか
信勝には、理解できなかった
「お願いします、勘十郎様。吉法師様と和解なさってください。そして、吉法師様の助けになってください。あなた様なら、私よりもずっと、吉法師様の助けになります。あなたの力が必要なのです。あなたの知恵が必要なのです。どうか、どうか・・・」
夫の夢のために・・・?
そう言いたげな目をして、信勝は帰蝶を見た
帰蝶もその疑問に応えるかのような、強い意思を持った眼差しで信勝を見詰め返す
「そんなに、兄上が大事ですか」
呟くような、小さな声で問う
「はい」
帰蝶は躊躇うことなく即座に応えた
あの人が、私に夢見ることを、教えてくれた・・・・・・・・・・・・
だから、信長の助けになりたい
その純粋な想いまで笑うことは、信勝にもできなかった
「なら 」
壊してしまいたかった
あの、『出来損ない』の兄が、自分よりも優れているなど、認めたくなかった
こんなにも熱い妻を持っているなど、認めたくなかった
自分の妻は、自分のために、ここまで必死になってくれるだろうか・・・
その自信はなかった
「義姉上様のその熱心な願い、応えなくもありませんよ」
「え・・・?」
帰蝶の目が喜びに輝く
「ですが、条件があります」
「条件・・・?」
その輝きを、信勝自身が塞いでしまう
「私の 女になりなさい」
「 」
信勝の要求に、帰蝶は言葉を失なった
『色仕掛け』を目論んだとは言え、そこまで深く踏み込むつもりはなかった
精々信勝を誑し込む程度で済むと、発案したなつ自身、そう高を括っていた
だが、なつは末森で信勝の成長を見ておきながら、信勝が強かな人間であることまでは見抜けていなかった
この誤算が、帰蝶を窮地に追い込む
「できませんか?先ほど、兄上のためなら自分を犠牲にするのも厭わないと仰いましたが、やはり偽りですか」
「それは・・・・・・・」
「自分を犠牲にして、夫のために尽くせるかどうか確かめるのは、無理だと言うことですね?」
「違・・・ッ」
「なら、なりなさい。私の言いなりに」
「 」
帰蝶の顔が、見る見る青くなって行った
「どうすれば・・・」
まさかこの身に起きようとは
「そうですね、先ずはその意志があるかどうか確かめたいのですが」
「どうやって・・・」
さっきまでの意気込みは何処に行ったのか、帰蝶の声から明らかに覇気が消え失せていた
「簡単でしょう?男と女のすることを、私にすれば良いだけのことです。例えばあなたが兄上とされることとか。一々説明しないと、わかりませんか?」
「 」
自分を小莫迦にするような目付きで見る信勝に、帰蝶はどう対応すれば良いのかさえわからない
「できますか?私に口付けを」
「 ッ」
帰蝶の目が大きく見開かれた
「私から触れては恐れ多い。ですから、義姉上様からなさってください」
「私から・・・?」
「私からしてしまえば、その場で手打ちになさるおつもりはありませんか?立派な理由ができると。言うなれば、大義名分ですね。私を亡き者にすれば、兄上の後顧はなくなる。よもや、暗殺を考えているのは、そちら側ではありませんよね?」
「まさか・・・」
「なら、問題ないでしょう?それとも、できませんか。夫のためと言いながら、その実美辞麗句だったなんてこと、ありませんよね?」
「そんなこと・・・」
「できるんですか?できないんですか?これでも私だって城を任されている身なんです。いつまでも油を売ってるわけには参りませんから、済ませられるものなら早く済ませていただきたい」
矢継ぎ早に帰蝶を攻め立てる
隣では時々、女の嬌声が聞こえた
柴田が居ながら、事が始まったのかと顔を顰める
その憂いに満ちた顔に、信勝は背筋を震わせる想いをした
「やるんですか?やらないんですか?なら、私は末森に帰りますが」
「ま・・・、待ってください・・・ッ」
悔しいが、信勝の方が駆け引きが上手いと感じさせられた
まだ肝心なことは聞いていない
今日を逃したら、次にいつ逢えるのかわからない
恐らくは警戒して、もう二度とこんな風に逢えることもないだろうと想うと、やらなくてはならないのかと決断を迫られる
ごめんなさい、吉法師様・・・・・・・・・
「 」
何か言おうとして、口唇が開く
だけど、言葉が出ない
喉に何かが詰まったかのように、何も話せない
膝を落としたまま、帰蝶は体を起こし、そっと、引き摺るように信勝に近付いた
その瞬間を待ち望む信勝の目は自信に笑い、口唇は舌舐め摺りでもしそうな雰囲気である
その思惑にまんまと嵌った自分を、想い切り詰りたい気分になった
支えが欲しくて、つい、信勝の肩に手を触れてしまう
「 」
想わずその手を引っ込める
それから、しばらく信勝を凝視し、そうしなければ許さないと言う目をする信勝の口唇に、そっと、自分の口唇を重ねた
これ以上のない屈辱が、両手を広げて待っていることも知らず
帰蝶を間近に感じつつ同時に、その香りが強くなった
やはり兄嫁がその躰から放っているのか
帰蝶の口付けを受けながら、信勝は想い浮かべた
とうとう、と言うか、遂に、と言うか
直ぐ側で利家が傾城屋の女と、事に及んでしまった
若さゆえか、盛り上がっている二人の間を割って入るのも無粋と、あるいは余りの恥しさに止める気力すら湧かない
それまでは歯止めとなっていた勝家が不意に席を外した途端、まるでそれが合図かのように、あちらこちらで男女が合体し始める
これも初めから仕組まれていたことなのだろう
「旦那様も、お楽しみなさいな」
女達を仕切っていたような感じの受ける年長者が、貞勝に抱き付く
「やめなされ!」
堅物な貞勝はその女を払い除ける
隣の資房に至っては、袴を脱がされそうになっているのを必死で抵抗していた
これではどちらが乱暴狼藉かわからない
「各々方、いい加減になさいませ!隣にどなたがいらっしゃるか、お忘れかッ?!」
だが虚しいことに誰一人として、貞勝の言葉に耳を傾けようとする者は居なかった
「おっ、お助けくだされ、村井殿・・・!」
とうとう袴を脱がされ、下半身下帯一丁にされた資房が、力の限り貞勝に救いの手を伸ばす
「太田殿ッ!」
戦場では落城の際、『乱取り』と言って落とした城の金品を物色、あるいは略奪行為が当たり前のように行われる
当然かのように、『女』もその略奪対象であった
逃げ惑うも根こそぎ捕まり、その場で数人掛かりで犯される女も少なくない
正にこの世の修羅場であった
だが、生憎貞勝は奉行職を専らとしていたため、そう言った凄惨な現場に立ち会った経験がない
この場のこの光景にも、素直に男女の交わりを楽しめるような、そんな歪な感情は持ち合わせていなかった
「太田殿を放しなさいッ!」
資房の下帯を外す女の両手を掴んで引き離そうとする貞勝を、更に信勝が連れて来た雑兵達が取り押さえる
「はっ、離しなさい!何をなさるかッ!」
これは、仕組まれた罠なのか
ならば、隣の部屋に居る奥方様の身は・・・
「 お・・・、奥方様ッ!」
必ず守ってね、と、なつに頼まれた
若の、大事な人だから、絶対に守ってね、と、出掛ける際、そう頼まれた
約束は、守れそうにもなかった
重ねた口唇の間から、差し出す舌がちらりと見える
それは信勝の舌だった
口唇は許しても、その先に踏み込むことを拒絶する帰蝶の歯を、舌先で舐める
それでも帰蝶は口を開かなかった
じれったくなったのか、信勝は一度自分から口唇を離した
帰蝶はそれで終わりだと想ったのか、ほっとした顔をする
「義姉上様」
「 はい」
「やはりご自分を捨てることはできませんか」
「え・・・?」
「何故、『男女がする』ことを、私にできないのでしょう」
「そんなことは・・・。ちゃんとやってます」
「そうは感じません。全てを開いてこそ、自分を捨てると言うことではありませんか。最後まで踏み込ませないまま、それで夫を守るためなら自分を犠牲にできるとは片腹痛い」
「では、どうしろと仰るのですか・・・ッ!」
感極まって、帰蝶は声を張り上げる
そんな帰蝶に相変わらず涼しげな顔で、信勝は応えた
「私に抱かれなさい」
「 え・・・?」
「簡単でしょう?日頃あなたが兄上となさっておいでのことを、私とするだけです。難しいことでしょうか」
「ですが・・・、隣には・・・ッ!」
「あちらもそう言う雰囲気になっているのではありませんか?ほら、聞こえませんか?女の心地よく善がった声が」
「 」
何かに応えようと口唇を動かす
だが、言葉が出て来ない
「あなたは言葉を勇ましく飾り立てるけれど、その実中身は空っぽだ。実際できそうにもないことを口にする、そう言うのをなんて言うかご存知ですか。偽善者と言うんですよ」
「 」
「偽善で兄上を助けられるんですか。その程度の覚悟しかないのですか。それでこの勘十郎と渡り合おうと?笑わせないで下さい」
「私は・・・・・・・ッ」
「滑稽ですね」
「 」
自分は結局、何もできないのか
何も聞けないまま、終わるのか・・・
そう想っただけで、目の前が滲んで来る
そんな帰蝶の顎に指を掛け、顔を上げさせた
「私から動くのを、じっと待ってるおつもりですか?無駄なことを」
「勘十郎様・・・」
「帰ります」
「 ッ」
帰らせてはいけない
まだ、何も聞き出していない
せめて夫に与することだけでも約束させなくては、ここに来た意味がない
「ま、待ってください・・・!」
「義姉上様?」
立ち上がり、部屋を出ようとする信勝の袖を、帰蝶は無意識に掴んだ
「 お願いします・・・。もう少しだけ、帰蝶と一緒に居てください・・・」
「それで、何が変わるというのですか」
「わかりません・・・。でも、あなたの望むことを・・・」
胸の奥に、暖かい温もりが生まれた
目蓋を閉じれば、そこに信長が居る
夫は、例えるならば炭火のような温もりを持った人だった
見た目は激しく燃える業火のようでも、その中心にある『心』に、炭火のような優しい温もりを持っている男だった
引き換えこの信勝は、見た目こそ温厚で優しそうに見える
人から言わせれば、信勝こそが炭火のような温もりを秘めていると想えるだろう
だが、こうして直に接し、その心根に触れた帰蝶には、激しく燃え盛るのはこの、信勝の方だと想った
人の骨まで燃やし尽くす、まるで紅蓮の炎のように燃え滾っている
『覚悟』が足りなかったばかりに、自分はこんなにも、おかしいほど狼狽えている
しっかりしろ、帰蝶!
そう、自分を叱咤した
気の強い女ほど、男の征服感を駆り立てるものはない
帰蝶の気の強さには定評があり、那古野で帰蝶と接触した女の誰もが「しっかり者」で「できた嫁」と評価していた
その「しっかり者」で「できた嫁」をこの手で穢せば、あの涼しげな顔を崩さない兄は、どんな風に怒り狂うのだろう
それも、見たかった
「では、仕切り直しですね」
そっと腰を下ろし、帰蝶にも跪くことを無言で命じる
それに従い、帰蝶は膝を落とした
「口付けから、始めますか」
「 はい」
まるで儀式か、あるいは作業か
凡そ人と人が持ち合う感情と言うものが、二人の間には見られない
「いつでもどうぞ」
「 はい」
声の死んでしまった帰蝶は、最早抗う術を失くした放浪者のように、大人しく目を伏せる
それから、さっきのように信勝の肩に手を沿え、口唇を重ねた
今度は口の全てを開放する
開いたその向うから、信勝の舌が侵入して来た
一瞬躰が震え、それでも逃げずにその舌を受け入れるしかない
まるで別の意思を持つ生き物かのように、信勝の舌が帰蝶の舌に絡み付き、巻き取るその動きに翻弄された
重なり、押し潰し合うその口唇の間で、卑猥な音も流れ始める
そうだ
相手を吉法師様だと想えば良いんだ
だったら、なんでもできる
いくらだってできる
何も怖くない
だけど・・・
いつもなら感じる温もりがない
「これは吉法師ではない」と、帰蝶の心に直接語り掛ける
違う
吉法師様じゃない
吉法師様じゃ・・・
帰蝶の口の中に信勝の唾液が押し流されて来た
飲んで堪るかと、必死で喉の寸前で止める
それも、量が増えれば増えるほど帰蝶の呼吸を遮り、まだ開放されない口唇の向うで更に苦しめるかのようにぬるりとした生暖かい液体が押し寄せる
呼吸(いき)ができない
その苦しさに、とうとう、帰蝶は信勝の唾液を飲むしか、開放される術がなくなった
「 」
この屈辱に、口唇を重ねたまま、舌を絡ませたまま、帰蝶は悔しさに眉間を寄せた
もしもその手に刀があれば、問答無用で斬り殺していただろう
しかし、その後で後悔するのはやはり自分だとも想えた
信勝が兄・義龍と繋がっていることを認めさせなければ、ここに来た意味がない
夫は変わらず、暗殺の危険に晒され続ける
自分がどうにかしなくては、と、誰に頼ろうと言う考えが全く浮かばない
我慢さえすれば良いのだと
それしか、考えられなかった
信勝の卑劣な行為は延々と続き、やがて搾り出すものがなくなったのか、漸く口を離した
二人の繋がっていた部分から、細い糸が引かれ、やがて切れて互いの口唇に垂れた印を残す
「次は、何をしてくださいますか」
「 」
応えぬ代わりに帰蝶は、信勝の両手をそっと掴む
その指先が震えていた
黙って帰蝶のすることを見守る信勝の手が、ふっくらと膨らんだ胸元に導かれる
そして、広げた信勝の手の中に、帰蝶の乳房が小袖の上から押え付けられた
「 細身かと想ってましたが、この部分だけは立派に成長されているようで」
「 ッ」
信勝の指先に力が入る
乳房を握られたのだ
「兄上には、毎晩愛されているのですか?」
「知りません・・・ッ」
「小袖の上からでも、充分形が伝わりますよ。片手では収まり切れない大きさですね。珍しい」
食糧事情の著しく偏ったこの時代、授乳中の母親を除き、『豊満な乳房』を持った女は滅多に居なかった
それこそ、精々『肥満気味』な女くらいだろうか
帰蝶のように、細身の躰に豊かな胸元と言うのが珍しい時代なのだ
信勝でなくとも驚いて当然だった
「脱いで、見せてくれませんか」
「え・・・?」
「あなたの、その乳房を。どれくらいの大きさか、実際に見てみたくなりました。構わないでしょう?どうせ何れは私達二人とも、脱いでしまうのだから」
「 」
まるで弱者を甚振るかのような眼差しをする
何処まで嬲れば気が済むのだろう
何をしてもこの男の気が晴れることは、決してないとさえ想えてしまう
「脱ぎなさい。早く」
「 」
ともすれば、震えで歯がガチガチと鳴ってしまいそうだった
踏ん張って堪えているが、何をきっかけに泣き出してしまうか、自分でもわからない
それでも信勝の目は『赦し』を出そうとはしなかった
自分を裸にして、気が済むまで嬲るのだろう
そして、兄に勝ったつもりで居たいのだろう
信勝から脱がせたわけではない
自分の意志で脱ぐのだから、信勝を責める口実にはならない
寧ろ、「兄嫁に誘われた」と白を切れる状況である
その冷ややかな目が、「早く全裸になれ」と言っていた
「その前に、お願いがございます・・・」
小さな声で言う
「何ですか」
「聞かせてください・・・。勘十郎様は、兄と結託なさっておいでですか・・・。それを確かめないことには、帰蝶はあなたの手で女を散らす覚悟が持てません・・・」
「 」
今度は信勝が黙り込む
じっと帰蝶を見詰め、どこまで話せば問題は起きないかを計算している顔に見えた
「そうですね。何も知らないまま、義弟に足を広げろというのは、私も心が痛みます」
「では・・・」
「兄上に代わって、私が尾張を統一して見せます。その上であなたを娶れば、あなたは尾張国主の妻となります。どうですか?斎藤の姫君様たるあなたが、豪族の女房で一生を終えるつもりならば強要はしませんが、国主の妻となればその地位も今と違って来ると想いますよ」
「それでは、あなたの奥方様は如何なさるおつもりですか・・・」
乳房を掴まれたまま、あるいは乳房を掴んだまま、会話は続く
「降嫁、と言う手段がこざいます」
「あなたのお子を産んでくださったのに?」
女を道具とも扱わない信勝の言葉に、帰蝶は嫌悪感を持つ
素直に眉が寄り合った
「子供など、いくらでも作れるでしょう?私達の父親は、晩年まで子作りに没頭し、記録に残っていない子供も含めれば、実に三十は超えます。祖父もそうでした。信じられますか?自分よりも二つも若い叔母が居るんですよ?私には」
「それは・・・」
信長の祖父・信定の死の直前に生まれた娘のことを言っているのだろうか
「織田はね、代々好色なんですよ。女に興味がないなんて、兄上くらいなもんじゃないですか?ああ、でも妻の躰はじっくりと愛している様子ですので、女嫌いと言うわけでもないですよね」
と、掌全体で味わうかのように、帰蝶の乳房を包み込む
「 ッ」
ほんの少しの痛みと、ほんの少しの快感が鬩ぎ合う
声を出して堪るかと帰蝶は、咄嗟に口唇を噛んだ
「父には娘ほどの年齢の側室も居ましたしね」
斯波の道具に送り込んだ岩室氏の娘のことだろう
「織田の強さはね、そこにあるんですよ。ですが、兄上には、それがない。後継者には相応しくないんです」
それは、未だ子供が居ないことを言っているのだろうか・・・
帰蝶の目に、悔しさの憂いが滲んだ
「あなたが強さを求めるのであれば、それに応じないこともありませんが」
「何を・・・」
まさか、自分の種を仕込むつもりか
そう言っている信勝の目を、帰蝶は凝視した
「その結果、あなたの望む答えが、そこにあると想いますよ」
「 」
信勝の手が帰蝶の手を捕らえ、自分でこの帯を解けと言わんばかりに腹に手を当てさせた
早く解け
早く裸になれ
心の鎧を躰ごと脱がせてやる
その目は、そう言っていた
助けて・・・・・・・・・・
『心』がそう呟いた
那古野に居る信長に届けば良いのに、と想った
ありもしないのに
だけど
「アアーッ!」
遠くで鴉の鳴き声が聞こえた
その刹那、茶室の縁側の障子が開け放たれた
黒い影が帰蝶の前に立ち塞がる
吉法師様・・・・・・・・・・・?
帰蝶には、そう見えた
それがまるで、信長の化身かのように
薄い小袖の懐から男の手が突っ込まれ、木鷺屋の女は身悶えしながら体をくねくねと捻らせる
まだその場に柴田勝家が居るから乱交すら起きないが、少しでも油断すればあちらこちらで交合(まぐわ)う男女が出ても不思議ではない雰囲気だった
大柄な体に相応しく、利家は豪快に酒を飲み、女が運ぶ箸をぱくぱくと咥えている
女にしなだ掛かられ、資房は苦笑しながら押し返し、貞勝は憮然とした顔で手で追っ払う
酒に弱い恒興は、無理矢理飲まされ最早撃沈寸前であった
「これでは奥方様が守れない・・・」
「しかし、邪険にすれば柴田様からどのような咎が」
この接待が信勝の計らいだとすれば、無下にしては信勝に恥を掻かせたことになる
勝家が織田の深い場所にまで入り込んでいることは、誰もが知っていた
些細な讒言で追放されては、こちらとしても堪ったものじゃない
資房も古参の一人
貞勝よりは織田の体質を熟知していた
「今しばし、好機を待たれよ」
「しかし・・・」
歯痒い想いで、貞勝は帰蝶の居る部屋の襖に目をやった
薄い板一枚で隔たれただけだと言うのに、遠く感じる
「先ずは、一献。と、言いたいところですが、零れてますよ」
「え?・・・あ」
酒が注がれたままの盃を両手で持って、ずっと話し込んでいた所為で、膝の上に雫がいくつか落ちていた
言われるまでずっと気付かなかった
「冷めてしまったかな」
そう言うと、信勝は帰蝶の両手をそっと持ち上げ、中心の盃に顔を近付け、飲み干した
「あ・・・」
端麗な顔立ちはそのままに、盃に重ねた口唇が妙に色っぽい
「どうぞ」
改めて注がれた酒も、それなりに量が多い
もう少し気遣ってくれればとも想うが、もしかしたら信勝は自分を酔わせたいだけなのかも知れないと言う気にもなった
負けて堪るか
そんな想いが俄かに湧き上がる
「
「
盃に口唇を重ね、そっと傾ける
白い指先がやけに印象的だった
しばらくして、盃の酒を飲み干し、尚且つ平然としている帰蝶に信勝は、内心「ほう」と感嘆の声を上げた
「中々お強い」
「いいえ、一杯だけなら」
「では、二杯目は?」
「やめておきましょう。止まらなくなったら、醜態を晒すだけかも知れませんよ?」
「構わないでしょう?私達は姉弟(きょうだい)も同然なのですから」
「でも、姉弟ではありません」
一つ年上の義弟に、帰蝶は苦笑して応えた
「だから、私には心を開いてくださらないのですか?」
「では、あなたは私に腹を割ってくださいますか」
「
信勝の声が低くなった
「そうですか。ではお聞かせいただきたいのですが」
斯波義統襲撃事件が起きた際、掴んだその情報を元に鎌を掛けてみる
「我が兄とあなたの間で、どのような密約が交わされているのですか」
「密約?」
「兄と手を結び、その見返りは何でしょう。尾張ですか?美濃の一国ですか?」
「何のことでしょう」
「吉法師様の暗殺。それを企てているのではないのですか」
「
漸く、信勝の顔色に変化が生じた
「俺を暗殺?」
斯波義銀を保護し、那古野の信長の許に連れて来た時親が、そう告げる
「私も先ほど知ったばかりです。もっと以前に知っていれば、お知らせできたのですが」
「大和守が俺を殺して、なんの利得がある。俺が死んでも、後には勘十郎が居る」
「
苦笑いしながら、時親は応えた
それだけではない
父・信秀とは全く異なる性質を持ちながら、信長も頭角を表し始めていた
織田信友は、それを恐れているのだ
親が親なのだから、息子もどう化けるかわからない未知数の可能性を秘めている
「確かに、優等生の勘十郎の方が扱いやすいだろうが」
かかか、と笑う信長に、帰蝶が叱咤する
「吉法師様、笑いごとではありません」
「しかしな、帰蝶。現に大和守の信長殺害計画は、岩龍丸逃亡で頓挫している。笑わずに居られるか」
「ですが」
「お屋形様は、その情報を持参して殿の許に逃げようと計られたのですが、それを事前に察知した大和守様に攻め込まれ自害なさったと言うのが、今回のあらましです」
「なるほど。大義名分がやって来るのを、俺は逃がしたと言うわけか。しかし、大和守討伐令は既に出された。これを覆す方法などない」
もしやと、鎌を掛けてみた
信勝は見事、それに嵌った
「吉法師様を殺して、あなたの手に何が転がり込むのですか。教えてください」
「
信勝の口唇が、ゆっくりと開く
だが、そこから言葉を発する気はないようで、何も言わない
「お願いします、教えてください。兄は何を企んでいるのですか」
ふと、心にそう浮かぶ
政略で結婚しただけじゃないか
夫が死ねば、自分は実家に帰るだけで、次にまた別の縁談が来るのを待つだけで
どうして、そんなに必死な顔をしてるんだ
美濃から尾張に戻るのに、船で木曽川を超える
土岐の旧領地で可成の舅と逢い、帰蝶が調べてくれと言っていた調査の結果報告書と共に、序に可児の土田家の周辺も調べてみた
土田は弥三郎の本家でもあるので、探ること自体はそう難しくもなかった
土田の家臣の筋になる土田の分家で子供が生まれたこととか、その嫁が尾張から嫁いで来た大店の娘だとか、どうでも良い話まで仕入れて船に乗り込む
「しかし、木曽大橋までぐるりと回るよりも、船で行き来した方が早いな」
歩き疲れた脚を伸ばしながら可成は弥三郎に言った
「川幅が半端じゃないからね。それに、この辺りの船も土田の商売にもなってるし」
「商売?」
「川渡しだよ。商業船とかなら話は違うけど、業者が尾張から美濃、あるいは美濃から尾張に入るのに、木曽大橋を遠回りするより船で渡った方が目的地も近いからね、大抵の商人はここらで船を使うよ。その船の元締めが可児だったら土田、長森だったらほら、お能さんとこの実家がそうだよ」
そんな二人が乗り込んだ船は、尾張から来た船で、帰る途中と乗せてくれたものだった
「お能殿の実家は確か、油屋では?私は斎藤に居た時から『油屋の娘』としか聞かされていなかったが?」
「油だけじゃないよ。薬を扱ってるから火薬もそうだし、馬に反物に簪、棺桶、日用品やら調度品まで取り揃えてる。うちも取引してたからね。馬を入れる時は山県まで運んでたから、長森まで船を拾う方が早いんだよ」
「確か弥三郎の実家は馬屋だったか」
「そう。全国各地で馬を集めて、美濃に入れる時は間にお能さんの実家を通すんだ。船もお能さんの実家の船だからさ、手続きが簡単なんだ。だから、かなりの大店だよ?下手な大名より財産あるんじゃないかな。つっても、俺もそれ知ったの、つい最近なんだけどね」
「お能殿は兄上の嫁御殿ではないのか?」
「うん。でもさ、俺の女房じゃないわけでしょ。ぶっちゃけ、兄貴の嫁さんの実家なんて興味なかったしさ」
笑いながら応える弥三郎に、可成は「なんと無欲な青年か」と想いながら、一緒になって笑った
「うちのカミさんの実家も、反物じゃぁ結構な大店だしね」
「しかし、国の経営は店の経営に似ているところもあるだろう。奥方様の金銭感覚がしっかりしているのは、そう言った家の娘との付き合いがあるからだろうな」
「兄貴夫婦が那古野城に入った時に、うちの女房と話しててさ、その時知ったんだ。ええ?!あの廻船問屋の娘さんだったのっ?!って」
「ははははは!」
「船は荷物だけ運ぶもんじゃないしね、時には戦に出る兵士も運ぶ」
「そう言えば」
二人の話を片耳で聞いていた船頭が、間に入り込んで来た
「今年の初め、随分大勢の兵隊さん達を運んだけど、美濃で戦でもあったのかい?」
「兵隊?」
「どこの兵士かわかるか?」
可成が聞く
「家紋とか幟とかはなかったから、どこの家かはわからないけどね、随分多かったよ。確か犬山のちょっと西辺りだったかな。細かくは覚えてないが」
「まさかとは想うが、その中に『安藤』様と呼ばれる方は居なかったかい?」
正しく『まさか』の想いで聞いてみたが、答えはやはり期待に沿えるものではなかった
「そこまでは記憶にないねぇ。でも、百人二百人じゃなかったよ。うちの五十人乗りの大船を何隻も注文したからね」
「その一団は、何処に向った?」
「さぁねぇ。でも、各務原から西に向ったのは知ってるよ」
「各務原から西」
「森さん、まさか・・・」
「まさかとは想うが、今年の初めと言うことは、安藤様かも知れない」
「
こんなところで守就の足跡を見付け出せるとは想っていなかっただけに、弥三郎は言葉が出なかった
「今年初めに間違いないんだな」
可成が確認するように聞く
「そうだね、二月に近い日だったかな」
「
それ以外の日に、尾張から美濃に渡った兵士の大群は居ない
それが安藤の率いる部隊かまでは確たる証拠がないとしても、他に木曽川を渡った兵士の集団が居ないと言うのも証拠になる
「でも、なんで。帰るんだったら犬山より、そのまま清洲を北上して木曽大橋渡った方が稲葉山だって近いでしょ」
「だから、安藤様は那古野より東に用事があったってことだろう?」
「那古野より東って・・・」
「末森か、あるいは岩倉、もしかしたら犬山かも知れん。だが、寧ろそれで清洲とは繋がっていないと言うことも証明されたんだが」
「だったら、森さん・・・、奥方様が危ない・・・」
弥三郎の声が震えた
「奥方様、今、興円寺で勘十郎様と・・・」
「あの辺りは寺が点在していたな。物騒なことにはならんと想うが、念のためだ。我々も向おう」
弥三郎は頷いた
「船頭」
「はい、何でしょう」
「馬を借りたいのだが」
「だったら、船着場の東側に詰所がありますから、そこで申し込んでくだせえ」
「わかった」
目の前に迫る尾張の川岸を、まるで手繰り寄せるかのように可成は睨み付けた
間に合ってくれ、と、祈りながら
「
「加担・・・?」
ふと口に出た、信勝の言葉が理解できない
「そこまで庇う理由は、何ですか」
「庇うとかではなく、夫を守るのは妻の役目です」
「それだけですか?」
「嫁いだ以上は、嫁ぎ先の繁栄を願ってはいけないものでしょうか」
「あなたは、兄上の安寧だけを願っておられるようにお見受けします」
「当然のことです。夫を危険に晒す妻が、何処に居るのですか」
燐とした眼差し
至近距離に居ながら、自分の視線から決して目を背けない
隣では相変わらず騒がしい声が上がっている
それでも帰蝶は表情一つ崩さず、じっと信勝を見ていた
「あなたがそこまで兄上に入れ込んでいるのは、わかりましたが」
『入れ込んでいる』と、信勝にしては随分下世話な表現だと、帰蝶の顔が怪訝に曇る
「尾張の繁栄のためになるのでしょうか」
「先のことは、私にもわかりません。ですが吉法師様には夢があります」
「夢?いつも父上からはそれについて、随分叱られていたと聞きますが。そうでしょう?武家の長男に生まれた者が、武家の発展ではなく庶民の暮らしを先に考える。有り得ないでしょ」
「庶民の発展は、この国の発展にもなります」
「そのために、武家を犠牲にするというのが、兄上の夢ですか」
「途方もない夢だからこそ、誰も理解できず、ただ闇雲に『無理だ』と決め付ける。誰もやろうとしないだけで、やってみる価値はあると想います。勘十郎様は、夢を描いたことはないのですか?世の人がみな、笑顔で過ごせる世の中になることを、夢見てはいけないのですか?」
「
心なしか、兄嫁の瞳が潤んでいるように見えた
元々光を遮るよな造りになっている部屋だ
趣だけを考え建てた茶室は、昼間でもぼんやりと薄暗い
そんな中で潤んだ帰蝶の瞳だけが、やけに輝いている
「兄上の考えでは、武家が成り立ちません」
「武家や庶民の隔たりがあるからこそ、この世は上手く行かないのです。その壁を壊そうとして、何がいけないのでしょうか」
「では、あなたも武家は必要ないものだと仰りたいのですね?」
「そうは言ってません。武家はあくまで民を指導する立場で居れば良いと、吉法師様は仰ってるのです。私には素晴らしい考えだと想います。このような考えを持った人に、帰蝶は今まで逢ったこともありません。だから、その夢を少しでも叶えるためにも、私は助けになりたいのです」
夫を熱く語る妻
芽生える嫉妬
それは焔のように、激しく心を焼き付ける
「お願いします、勘十郎様。兄と手を切ってください、お願いしますッ」
「
美濃国の姫君が、豪族の倅である自分に土下座している
恥じらいもなく
矜持も脱ぎ捨てて
ただ一人の男のために、ただ頭を下げている
どうしてそこまでできるんだろう・・・
「義姉上様は、兄上のためなら何でもできますか」
「
畳に付いた顔を上げ、帰蝶は信勝を見上げた
「何でもできますか」
「
「兄上の夢の実現のために?」
「そうです」
「笑止。下らぬ夢でございますな」
揺るぎない意思を持つ帰蝶に、信勝は嘲た言葉を投げ掛けた
「あの方は、誰も成し得ない夢を持っておいでです。誰も想像できない夢を、追っておいでです。その夢を笑う資格など、誰にもありませんッ!」
「夢は寝てから見た方が楽しいでしょうに」
「吉法師様なら、きっと実現なさいます」
「他の武家が許すはずないでしょう?」
「そのための戦をしておいでです。吉法師様の助けになるのなら、私は何でもできます。何でもします。吉法師様の邪魔をする者は、帰蝶が許しませんッ!」
「義姉上様。何故、そこまで」
「吉法師様の夢に触れて、感動したからです。私は、あの方の助けになるのなら、それが本望です」
「自分を犠牲にしてでも?」
「厭いません」
「
どうして、そこまで
そんな言葉しか浮かばない
夫婦だからか
ただそれだけの理由で、自分を犠牲にしても構わないと言い切れるのか
信勝には、理解できなかった
「お願いします、勘十郎様。吉法師様と和解なさってください。そして、吉法師様の助けになってください。あなた様なら、私よりもずっと、吉法師様の助けになります。あなたの力が必要なのです。あなたの知恵が必要なのです。どうか、どうか・・・」
夫の夢のために・・・?
そう言いたげな目をして、信勝は帰蝶を見た
帰蝶もその疑問に応えるかのような、強い意思を持った眼差しで信勝を見詰め返す
「そんなに、兄上が大事ですか」
呟くような、小さな声で問う
「はい」
帰蝶は躊躇うことなく即座に応えた
だから、信長の助けになりたい
その純粋な想いまで笑うことは、信勝にもできなかった
「なら
壊してしまいたかった
あの、『出来損ない』の兄が、自分よりも優れているなど、認めたくなかった
こんなにも熱い妻を持っているなど、認めたくなかった
自分の妻は、自分のために、ここまで必死になってくれるだろうか・・・
その自信はなかった
「義姉上様のその熱心な願い、応えなくもありませんよ」
「え・・・?」
帰蝶の目が喜びに輝く
「ですが、条件があります」
「条件・・・?」
その輝きを、信勝自身が塞いでしまう
「私の
「
信勝の要求に、帰蝶は言葉を失なった
『色仕掛け』を目論んだとは言え、そこまで深く踏み込むつもりはなかった
精々信勝を誑し込む程度で済むと、発案したなつ自身、そう高を括っていた
だが、なつは末森で信勝の成長を見ておきながら、信勝が強かな人間であることまでは見抜けていなかった
この誤算が、帰蝶を窮地に追い込む
「できませんか?先ほど、兄上のためなら自分を犠牲にするのも厭わないと仰いましたが、やはり偽りですか」
「それは・・・・・・・」
「自分を犠牲にして、夫のために尽くせるかどうか確かめるのは、無理だと言うことですね?」
「違・・・ッ」
「なら、なりなさい。私の言いなりに」
「
帰蝶の顔が、見る見る青くなって行った
「どうすれば・・・」
まさかこの身に起きようとは
「そうですね、先ずはその意志があるかどうか確かめたいのですが」
「どうやって・・・」
さっきまでの意気込みは何処に行ったのか、帰蝶の声から明らかに覇気が消え失せていた
「簡単でしょう?男と女のすることを、私にすれば良いだけのことです。例えばあなたが兄上とされることとか。一々説明しないと、わかりませんか?」
「
自分を小莫迦にするような目付きで見る信勝に、帰蝶はどう対応すれば良いのかさえわからない
「できますか?私に口付けを」
「
帰蝶の目が大きく見開かれた
「私から触れては恐れ多い。ですから、義姉上様からなさってください」
「私から・・・?」
「私からしてしまえば、その場で手打ちになさるおつもりはありませんか?立派な理由ができると。言うなれば、大義名分ですね。私を亡き者にすれば、兄上の後顧はなくなる。よもや、暗殺を考えているのは、そちら側ではありませんよね?」
「まさか・・・」
「なら、問題ないでしょう?それとも、できませんか。夫のためと言いながら、その実美辞麗句だったなんてこと、ありませんよね?」
「そんなこと・・・」
「できるんですか?できないんですか?これでも私だって城を任されている身なんです。いつまでも油を売ってるわけには参りませんから、済ませられるものなら早く済ませていただきたい」
矢継ぎ早に帰蝶を攻め立てる
隣では時々、女の嬌声が聞こえた
柴田が居ながら、事が始まったのかと顔を顰める
その憂いに満ちた顔に、信勝は背筋を震わせる想いをした
「やるんですか?やらないんですか?なら、私は末森に帰りますが」
「ま・・・、待ってください・・・ッ」
悔しいが、信勝の方が駆け引きが上手いと感じさせられた
まだ肝心なことは聞いていない
今日を逃したら、次にいつ逢えるのかわからない
恐らくは警戒して、もう二度とこんな風に逢えることもないだろうと想うと、やらなくてはならないのかと決断を迫られる
「
何か言おうとして、口唇が開く
だけど、言葉が出ない
喉に何かが詰まったかのように、何も話せない
膝を落としたまま、帰蝶は体を起こし、そっと、引き摺るように信勝に近付いた
その瞬間を待ち望む信勝の目は自信に笑い、口唇は舌舐め摺りでもしそうな雰囲気である
その思惑にまんまと嵌った自分を、想い切り詰りたい気分になった
支えが欲しくて、つい、信勝の肩に手を触れてしまう
「
想わずその手を引っ込める
それから、しばらく信勝を凝視し、そうしなければ許さないと言う目をする信勝の口唇に、そっと、自分の口唇を重ねた
これ以上のない屈辱が、両手を広げて待っていることも知らず
帰蝶を間近に感じつつ同時に、その香りが強くなった
やはり兄嫁がその躰から放っているのか
帰蝶の口付けを受けながら、信勝は想い浮かべた
とうとう、と言うか、遂に、と言うか
直ぐ側で利家が傾城屋の女と、事に及んでしまった
若さゆえか、盛り上がっている二人の間を割って入るのも無粋と、あるいは余りの恥しさに止める気力すら湧かない
それまでは歯止めとなっていた勝家が不意に席を外した途端、まるでそれが合図かのように、あちらこちらで男女が合体し始める
これも初めから仕組まれていたことなのだろう
「旦那様も、お楽しみなさいな」
女達を仕切っていたような感じの受ける年長者が、貞勝に抱き付く
「やめなされ!」
堅物な貞勝はその女を払い除ける
隣の資房に至っては、袴を脱がされそうになっているのを必死で抵抗していた
これではどちらが乱暴狼藉かわからない
「各々方、いい加減になさいませ!隣にどなたがいらっしゃるか、お忘れかッ?!」
だが虚しいことに誰一人として、貞勝の言葉に耳を傾けようとする者は居なかった
「おっ、お助けくだされ、村井殿・・・!」
とうとう袴を脱がされ、下半身下帯一丁にされた資房が、力の限り貞勝に救いの手を伸ばす
「太田殿ッ!」
戦場では落城の際、『乱取り』と言って落とした城の金品を物色、あるいは略奪行為が当たり前のように行われる
当然かのように、『女』もその略奪対象であった
逃げ惑うも根こそぎ捕まり、その場で数人掛かりで犯される女も少なくない
正にこの世の修羅場であった
だが、生憎貞勝は奉行職を専らとしていたため、そう言った凄惨な現場に立ち会った経験がない
この場のこの光景にも、素直に男女の交わりを楽しめるような、そんな歪な感情は持ち合わせていなかった
「太田殿を放しなさいッ!」
資房の下帯を外す女の両手を掴んで引き離そうとする貞勝を、更に信勝が連れて来た雑兵達が取り押さえる
「はっ、離しなさい!何をなさるかッ!」
これは、仕組まれた罠なのか
ならば、隣の部屋に居る奥方様の身は・・・
「
必ず守ってね、と、なつに頼まれた
若の、大事な人だから、絶対に守ってね、と、出掛ける際、そう頼まれた
約束は、守れそうにもなかった
重ねた口唇の間から、差し出す舌がちらりと見える
それは信勝の舌だった
口唇は許しても、その先に踏み込むことを拒絶する帰蝶の歯を、舌先で舐める
それでも帰蝶は口を開かなかった
じれったくなったのか、信勝は一度自分から口唇を離した
帰蝶はそれで終わりだと想ったのか、ほっとした顔をする
「義姉上様」
「
「やはりご自分を捨てることはできませんか」
「え・・・?」
「何故、『男女がする』ことを、私にできないのでしょう」
「そんなことは・・・。ちゃんとやってます」
「そうは感じません。全てを開いてこそ、自分を捨てると言うことではありませんか。最後まで踏み込ませないまま、それで夫を守るためなら自分を犠牲にできるとは片腹痛い」
「では、どうしろと仰るのですか・・・ッ!」
感極まって、帰蝶は声を張り上げる
そんな帰蝶に相変わらず涼しげな顔で、信勝は応えた
「私に抱かれなさい」
「
「簡単でしょう?日頃あなたが兄上となさっておいでのことを、私とするだけです。難しいことでしょうか」
「ですが・・・、隣には・・・ッ!」
「あちらもそう言う雰囲気になっているのではありませんか?ほら、聞こえませんか?女の心地よく善がった声が」
「
何かに応えようと口唇を動かす
だが、言葉が出て来ない
「あなたは言葉を勇ましく飾り立てるけれど、その実中身は空っぽだ。実際できそうにもないことを口にする、そう言うのをなんて言うかご存知ですか。偽善者と言うんですよ」
「
「偽善で兄上を助けられるんですか。その程度の覚悟しかないのですか。それでこの勘十郎と渡り合おうと?笑わせないで下さい」
「私は・・・・・・・ッ」
「滑稽ですね」
「
自分は結局、何もできないのか
何も聞けないまま、終わるのか・・・
そう想っただけで、目の前が滲んで来る
そんな帰蝶の顎に指を掛け、顔を上げさせた
「私から動くのを、じっと待ってるおつもりですか?無駄なことを」
「勘十郎様・・・」
「帰ります」
「
帰らせてはいけない
まだ、何も聞き出していない
せめて夫に与することだけでも約束させなくては、ここに来た意味がない
「ま、待ってください・・・!」
「義姉上様?」
立ち上がり、部屋を出ようとする信勝の袖を、帰蝶は無意識に掴んだ
「
「それで、何が変わるというのですか」
「わかりません・・・。でも、あなたの望むことを・・・」
胸の奥に、暖かい温もりが生まれた
目蓋を閉じれば、そこに信長が居る
夫は、例えるならば炭火のような温もりを持った人だった
見た目は激しく燃える業火のようでも、その中心にある『心』に、炭火のような優しい温もりを持っている男だった
引き換えこの信勝は、見た目こそ温厚で優しそうに見える
人から言わせれば、信勝こそが炭火のような温もりを秘めていると想えるだろう
だが、こうして直に接し、その心根に触れた帰蝶には、激しく燃え盛るのはこの、信勝の方だと想った
人の骨まで燃やし尽くす、まるで紅蓮の炎のように燃え滾っている
『覚悟』が足りなかったばかりに、自分はこんなにも、おかしいほど狼狽えている
そう、自分を叱咤した
気の強い女ほど、男の征服感を駆り立てるものはない
帰蝶の気の強さには定評があり、那古野で帰蝶と接触した女の誰もが「しっかり者」で「できた嫁」と評価していた
その「しっかり者」で「できた嫁」をこの手で穢せば、あの涼しげな顔を崩さない兄は、どんな風に怒り狂うのだろう
それも、見たかった
「では、仕切り直しですね」
そっと腰を下ろし、帰蝶にも跪くことを無言で命じる
それに従い、帰蝶は膝を落とした
「口付けから、始めますか」
「
まるで儀式か、あるいは作業か
凡そ人と人が持ち合う感情と言うものが、二人の間には見られない
「いつでもどうぞ」
「
声の死んでしまった帰蝶は、最早抗う術を失くした放浪者のように、大人しく目を伏せる
それから、さっきのように信勝の肩に手を沿え、口唇を重ねた
今度は口の全てを開放する
開いたその向うから、信勝の舌が侵入して来た
一瞬躰が震え、それでも逃げずにその舌を受け入れるしかない
まるで別の意思を持つ生き物かのように、信勝の舌が帰蝶の舌に絡み付き、巻き取るその動きに翻弄された
重なり、押し潰し合うその口唇の間で、卑猥な音も流れ始める
そうだ
相手を吉法師様だと想えば良いんだ
だったら、なんでもできる
いくらだってできる
何も怖くない
だけど・・・
いつもなら感じる温もりがない
「これは吉法師ではない」と、帰蝶の心に直接語り掛ける
違う
吉法師様じゃない
吉法師様じゃ・・・
帰蝶の口の中に信勝の唾液が押し流されて来た
飲んで堪るかと、必死で喉の寸前で止める
それも、量が増えれば増えるほど帰蝶の呼吸を遮り、まだ開放されない口唇の向うで更に苦しめるかのようにぬるりとした生暖かい液体が押し寄せる
呼吸(いき)ができない
その苦しさに、とうとう、帰蝶は信勝の唾液を飲むしか、開放される術がなくなった
「
この屈辱に、口唇を重ねたまま、舌を絡ませたまま、帰蝶は悔しさに眉間を寄せた
もしもその手に刀があれば、問答無用で斬り殺していただろう
しかし、その後で後悔するのはやはり自分だとも想えた
信勝が兄・義龍と繋がっていることを認めさせなければ、ここに来た意味がない
夫は変わらず、暗殺の危険に晒され続ける
自分がどうにかしなくては、と、誰に頼ろうと言う考えが全く浮かばない
我慢さえすれば良いのだと
それしか、考えられなかった
信勝の卑劣な行為は延々と続き、やがて搾り出すものがなくなったのか、漸く口を離した
二人の繋がっていた部分から、細い糸が引かれ、やがて切れて互いの口唇に垂れた印を残す
「次は、何をしてくださいますか」
「
応えぬ代わりに帰蝶は、信勝の両手をそっと掴む
その指先が震えていた
黙って帰蝶のすることを見守る信勝の手が、ふっくらと膨らんだ胸元に導かれる
そして、広げた信勝の手の中に、帰蝶の乳房が小袖の上から押え付けられた
「
「
信勝の指先に力が入る
乳房を握られたのだ
「兄上には、毎晩愛されているのですか?」
「知りません・・・ッ」
「小袖の上からでも、充分形が伝わりますよ。片手では収まり切れない大きさですね。珍しい」
食糧事情の著しく偏ったこの時代、授乳中の母親を除き、『豊満な乳房』を持った女は滅多に居なかった
それこそ、精々『肥満気味』な女くらいだろうか
帰蝶のように、細身の躰に豊かな胸元と言うのが珍しい時代なのだ
信勝でなくとも驚いて当然だった
「脱いで、見せてくれませんか」
「え・・・?」
「あなたの、その乳房を。どれくらいの大きさか、実際に見てみたくなりました。構わないでしょう?どうせ何れは私達二人とも、脱いでしまうのだから」
「
まるで弱者を甚振るかのような眼差しをする
何処まで嬲れば気が済むのだろう
何をしてもこの男の気が晴れることは、決してないとさえ想えてしまう
「脱ぎなさい。早く」
「
ともすれば、震えで歯がガチガチと鳴ってしまいそうだった
踏ん張って堪えているが、何をきっかけに泣き出してしまうか、自分でもわからない
それでも信勝の目は『赦し』を出そうとはしなかった
自分を裸にして、気が済むまで嬲るのだろう
そして、兄に勝ったつもりで居たいのだろう
信勝から脱がせたわけではない
自分の意志で脱ぐのだから、信勝を責める口実にはならない
寧ろ、「兄嫁に誘われた」と白を切れる状況である
その冷ややかな目が、「早く全裸になれ」と言っていた
「その前に、お願いがございます・・・」
小さな声で言う
「何ですか」
「聞かせてください・・・。勘十郎様は、兄と結託なさっておいでですか・・・。それを確かめないことには、帰蝶はあなたの手で女を散らす覚悟が持てません・・・」
「
今度は信勝が黙り込む
じっと帰蝶を見詰め、どこまで話せば問題は起きないかを計算している顔に見えた
「そうですね。何も知らないまま、義弟に足を広げろというのは、私も心が痛みます」
「では・・・」
「兄上に代わって、私が尾張を統一して見せます。その上であなたを娶れば、あなたは尾張国主の妻となります。どうですか?斎藤の姫君様たるあなたが、豪族の女房で一生を終えるつもりならば強要はしませんが、国主の妻となればその地位も今と違って来ると想いますよ」
「それでは、あなたの奥方様は如何なさるおつもりですか・・・」
乳房を掴まれたまま、あるいは乳房を掴んだまま、会話は続く
「降嫁、と言う手段がこざいます」
「あなたのお子を産んでくださったのに?」
女を道具とも扱わない信勝の言葉に、帰蝶は嫌悪感を持つ
素直に眉が寄り合った
「子供など、いくらでも作れるでしょう?私達の父親は、晩年まで子作りに没頭し、記録に残っていない子供も含めれば、実に三十は超えます。祖父もそうでした。信じられますか?自分よりも二つも若い叔母が居るんですよ?私には」
「それは・・・」
信長の祖父・信定の死の直前に生まれた娘のことを言っているのだろうか
「織田はね、代々好色なんですよ。女に興味がないなんて、兄上くらいなもんじゃないですか?ああ、でも妻の躰はじっくりと愛している様子ですので、女嫌いと言うわけでもないですよね」
と、掌全体で味わうかのように、帰蝶の乳房を包み込む
「
ほんの少しの痛みと、ほんの少しの快感が鬩ぎ合う
声を出して堪るかと帰蝶は、咄嗟に口唇を噛んだ
「父には娘ほどの年齢の側室も居ましたしね」
斯波の道具に送り込んだ岩室氏の娘のことだろう
「織田の強さはね、そこにあるんですよ。ですが、兄上には、それがない。後継者には相応しくないんです」
それは、未だ子供が居ないことを言っているのだろうか・・・
帰蝶の目に、悔しさの憂いが滲んだ
「あなたが強さを求めるのであれば、それに応じないこともありませんが」
「何を・・・」
まさか、自分の種を仕込むつもりか
そう言っている信勝の目を、帰蝶は凝視した
「その結果、あなたの望む答えが、そこにあると想いますよ」
「
信勝の手が帰蝶の手を捕らえ、自分でこの帯を解けと言わんばかりに腹に手を当てさせた
早く解け
早く裸になれ
心の鎧を躰ごと脱がせてやる
その目は、そう言っていた
『心』がそう呟いた
那古野に居る信長に届けば良いのに、と想った
ありもしないのに
だけど
「アアーッ!」
遠くで鴉の鳴き声が聞こえた
その刹那、茶室の縁側の障子が開け放たれた
黒い影が帰蝶の前に立ち塞がる
帰蝶には、そう見えた
それがまるで、信長の化身かのように
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千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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