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駿府の大大名・今川義元の嫡男氏真が、予てより同盟を結んでいた相模の大大名・後北条の氏康の娘、滝姫を娶った
随分派手な嫁入りだったとは、尾張の信長の耳にも入る
「今川と後北条の結びが強くなったか」
口惜しそうに呟く信長に、帰蝶が返す
「これでは今川に攻め込まれても、織田も押し返す力が不十分でしょうね」
信長以上に悔しい想いを秘めているのか、言葉の後に帰蝶は親指の爪を噛んだ
頭の中ではどうすれば良いのか、何が必要なのかを必死で考える
家の中がゴタゴタしている斎藤に、その援軍を頼めるような状態ではないことを、恵那の父からの報告で知っていた
最近、頻繁に美濃三人衆と義龍が接触していると、その手紙にはあった
何も講ぜられず離れた尾張から事の次第を見守るしかない自分には、益々歯痒い
信長と別れ、表座敷から局処に戻ろうと帰蝶は、庭の片隅を横切った
いつもなら側に監視役のようななつが着いているので、「横着をするな」と長い廊下を無駄に歩かされるが、今日はそのなつが不在である
信長の弟信勝に第一子となる娘が生まれたことを寿ぐため、帰蝶の代わりに末森に出向いていた
序に信勝の周辺の匂いを嗅ぎ取るための訪問でもある
帰蝶が出向けば母親である土田御前市弥が勘繰るかも知れないと、敢えてなつ自身から申し出た
なつにとって帰蝶は自分と同じ『織田の嫁』だが、土田御前にとっては『邪魔な吉法師の嫁』でもあるのだから、万が一のことが起きないとも限らない
それを心配し、なつは帰蝶に留守番を命じた
帰蝶となつは『主従関係』ではない
帰蝶がなつに命令を出すのと等しく、なつも帰蝶に命令を出せるのだから、「黙って留守番してろ!」と怒鳴れば『しゅん』となるしかなかった
そしてなつが末森に出向いた後で信長と表座敷に籠ってあれやこれやと話し合いをしていたが、中々結果が出て来ない
「こうなると、なつが何か情報を掴んで帰って来ることを祈るしかないですね」
そう言って別れて来たのだが、やはり心配なものは心配だ
少しでも心の晴れることはないかと庭の辺りをきょろきょろしていると、片隅にある的場から弓を撃つ音が聞こえて来た
夫かと想ったが、さっき別れたばかりの信長が先回りできるはずがない
誰だろうと局処とは多少位置のずれるその方向へ向い、歩いた
既に三本の矢が刺さり、その隙間を縫うように新たに一本の矢が命中する
この光景に帰蝶は想わず声を掛けた
「お見事」
「 奥方様」
小袖の片肌を脱いで弓を構えていたのは、信秀の代から織田に仕えている太田又助資房であった
「いつから、そちらに?」
年はもう既に壮年の代である
「今し方。音に釣られて覗きに来てしまいました」
又助は帰蝶とそう何度も顔を合わせたこともない
今年の初めに村木砦を攻略した際、信長の使いで帰蝶の許に馳せ参じた時以来の顔合わせであった
「見苦しいものを晒してしまいました」
と、片袖を脱いだ小袖に腕を通し、肌を隠す
「見苦しいだなんて、とんでもない。汗を浮かせた殿方の肌ほど、美しいものはありませんよ」
「 」
うら若く美しい人妻にそう言われると、男なら誰でも照れてしまう
年齢など関係ない
又助も顔を少し赤くして世辞の礼にと会釈した
「太田は弓が得意なのですってね」
「殿ですか?」
「弓の指南は太田から教わったと伺ってます」
「そうですか。未熟な師範で、殿には充分な指導もできず。しかし殿は我流で覚えられるほどの腕前ですので、一応の役目は果たせたと嬉しく感じております」
「そうなのよね、吉法師様の弓って我流だから覚えにくくて」
「ははは、教え方も我流なのでしょうか」
「そうみたい」
滅多に顔は合わせないが、太田はこの少女のような、少年のような、どこか野生の獣のような雰囲気もある奥方が、少しだけ気に入っていた
高貴な生まれであるのに、全く鼻に掛けた様子がない
まるで野に放たれた野草のように、自由に伸び伸びとその肢体を伸ばす奔放さは、見ていて清々しいほどだった
末森の女達とは全く性質が異なる
だから、見る度に色んな変化を目にできて、それが楽しい
「私も太田に弓を習おうかしら」
「奥方様がですか?」
帰蝶の申し出に、又助は目を丸くして驚いた
男勝りなのは知っているが、よもやそこまでとは想っていなかったため尚更である
「籠城戦なんかには、有効でしょ?」
「確かにそうですが、いや、私なんかの指南で大丈夫でしょうか」
「大丈夫でしょ」
カラカラと笑う奥方に、又助はどう反応して良いのかわからなかった
そろそろ梅雨時と言うこの季節、近場ではあっても那古野から末森までの移動は鬱陶しい
湿った空気が肌に纏わり付き、なんだか下手な愛撫でもされているかのようで、不愉快な気分になる
信長からの祝いの品と、帰蝶からの祝いの品の目録を信勝に手渡し、祝辞を述べた
「これで織田も益々安泰と言うものです」
「しかし、生まれたのは娘ですから」
立派に男の役割を果たしたからか、信勝の表情には自信と言うものが漲っていた
「おなごは一度産道を開けば、後はぽんぽんと子を産むものなんですよ。次はおのごでしょう。みな、若様には期待しております」
過分な期待は寄せないが
そう、心の中で付け足した
そう言うなつ自身、子は二人しか産めなかった
織田の跡取りとなり得る男児は産めなかった身である
若い信勝に嫉妬した
「時に、義姉上様は如何でしょうか」
父が亡くなる以前、一度だけ目にした兄嫁を気遣う
そんな優しさは織田の中でも特筆すべき部分だろうか
「奥方様も恙無く」
「子が流れてしまったのは、残念で仕方ありません」
それに関して土田御前が酷く帰蝶を罵っていることを、なつは知っていた
自分の息子がその原因だったなどと知りもせず
母の讒言に、信勝も心を痛め居ているのだろう
「大丈夫ですよ。奥方様はまだお若いですから、尾張の情勢が落ち着けば、ポンポン産んでくださるでしょう」
「尾張の情勢・・・」
斎藤と絡んで兄・信長を追い込む作戦に噛んでいるのは、なつも知っている
ただ、信勝が『知られている』ことに気付いていないだけだ
「最近、斯波家に対して大和守家の素行も問題ですし、押し黙った伊勢守家も気鬱の種。那古野は平穏とも言えませんし、奥方様も中々気の休まる暇がなくて」
確かに、それが理由でここのところ帰蝶も信長も、しっぽり床で濡れると言うことがなくなった
信長は戦、帰蝶は情報収集
肌を合わせている暇があれば軍議の一つでも開いてと言う、おかしな夫婦になってしまっていたのだから、子作りなど後回しにされていた
そう言えば
信勝と話しながら、なつは心の中で浮かべる
「森殿の奥方様が懐妊なさったのだっけ」
恵那が尾張に来たのが一月の末、今は梅雨前の六月
できないこともない
「あの二人の情熱の半分でも、奥方様方に分けてくだされば良いのに・・・」
なつとて、帰蝶の懐妊を待ち望んでいる一人である
生まれたら是非とも乳母に任命してもらいたいものだ
信長の乳母と言っても襁褓の世話をした時期は短く、精々半年余りのことだった
後は息子の恒興と同等に面倒を見て来たのだから、『乳母』と言う自覚も余りなかった
今度は乳飲み子時代からじっくりと時間を掛けて育ててみたい
なんせ『美濃の鷹』の子なのだから
なつの心の中にはまだ、信秀の言葉が生きていた
「美濃の鷹をよろしく頼む」と言って死んで行った信秀の、今際の顔が蘇る
殿・・・・・・・
「ところで、義姉上様の心からの贈り物に何かお返しがしたいのですが、義姉上様とは付き合いがないもので、どのような物がお好みかご存知でしょうか」
「そうですね」
ここは素直に応えるべきか、それとも適当に取り繕えば良いのか
まさか近江国友の鉄砲をよこせとは、口が裂けても言えない
「奥方様もここのところお忙しいようですので、一度お顔をお見せになられるくらいのことで良いのではないでしょうか」
「義姉上様に、お逢いすれば良いのですか?」
少しだけ、胸が高鳴った
そんな信勝の顔色を、なつは見逃さない
「多分、恐らく」
尾張の虎をも魅了した娘なのだから
この、虎の子も何れは
そんな考えが浮かぶ
「奥方様は名門の生まれでありながら贅沢を嫌い、近隣からの贈答品やら賄賂なども余り好まれない様子ですので」
「なんと、断りをお入れに?」
「殿に直接渡すのも憚られると、遠回しに奥方様に届けられるのですが、余りにも高価なものはその場で突き返してしまわれます。そんな方ですから、見てくれだけの高価な物より、心からのお礼の言葉だけで満足されるお人です。若様も一度、じっくりお逢いなさってみては如何ですか?」
「うん・・・」
考えあぐねているのか
直ぐに返答ができるような様子ではなかった
「女性でありながら、全く気取ったところがございません。一緒に居て、とても気持ちが楽になれるお方です。ですから殿が気に入られたのでしょうが」
なつにとって『殿』は、未だ信秀だけである
しかし、勝幡織田の当主である信長に対し『若』と言う言葉を使えば、それは信長が周囲から舐められていると宣伝するようなものであり、賢いなつがそれを考慮しないはずがない
せめて信勝の前だけは信長を『殿』と呼ばなくてはと、普段口にしない言葉を使う
お陰で口が痒くて仕方なかった
「兄上は、憚られるでしょうか・・・」
「どうでしょう。殿はそんな器の小さいお方ではございません。別に二人きりの密会と言うわけではないのですから」
「密会・・・」
子を作っておきながら、まだまだ初心(おぼこ)いのか信勝は、見る見る顔を赤く染めて行った
冗談で言ったつもりが、相手が悪かったのか信勝は真に受ける
これが信長だったら下品にも「足腰立てなくしてやる」とでも返って来るのだが、それを期待していただけに真面目な信勝に呆れれば良いのか感心すれば良いのか、すっかり那古野で毒漬けになっているなつには、さっぱりわからない
「 これは・・・」
そんな信勝の表情に、なつは心の中で妙案を閃いた
ただし、帰蝶がそれを承諾するかどうかが問題だが
「嫌です!」
案の定な返事が返って来る
「別に合体しろとは言ってないんですから」
あからさまなななつの表現に、今度は信長が叫ぶ
「冗談じゃない!女房を盾にできるか!」
「ですからお二人とも、落ち着いて聞いて下さい」
那古野に戻ったなつは、土田御前の監視の厳しい末森では充分な情報収集はできなかったと報告する
それと同時に、こんな発案を提示したのだ
『色仕掛け』
帰蝶が最も苦手とする分野である
だからこそ、実行した時の効果は絶大であろう
「奥方様の収集した情報を総合すれば、斎藤と織田の絡み合い」
「お前が言うといやらしく聞こえるのは何故だろう」
「若の気の回し過ぎです」
なつとて色事から遠ざかって早四年
帰蝶の補佐になってから毎日が忙しくて、『女』を想い出す暇もないと言うのに、この若君はいらぬことを言い出すと、憎々しく睨み付けた
「それに乗じて大方様のご実家の土田家まで乗り出す始末。大和守が伊勢守と手を組んで、斯波家をどうにかしようと言う風潮もあるのですから、その一つである末森を陥落させねばなりませんでしょ?」
「歓楽?やっぱり帰蝶を人身御供にする気か!」
「どの『かんらく』ですか!」
うっかりなつは感情に任せ、信長の額をペシン!とブッ叩いてしまった
後悔はしていないが
「でも、なつ、私には無理だわ・・・」
「勘十郎様を説得し、今は若の味方で居てもらうのです。時々色目でも使えば結構です」
「それができないから困ってるんでしょ」
「そうだな、帰蝶は色気がないからな」
「悪かったですね」
「男好きする躰なんだけどな」
ピシンッ!
今度は帰蝶が信長の頬を打つ
お陰で信長の顔は真っ赤になった
どうにかこうにか帰蝶を説得し、信勝を招き入れる準備ができるまでに進んだ
「周囲をぐるりと囲まれたままでは、万が一今川が攻め込んだ時に誰と誰が味方になってくれるのか、それがわからないあやふやな状態の勝幡織田に勝つ術がございますか?」
今川家と後北条家の婚姻により、東の脅威が増大したことを心配していた帰蝶には、なつのこの言葉は威力があった
仕方なく、不承不承に頷くしかない
この日の信長はさすがに落ち着きがなくなる
大事な恋女房に大変な仕事をさせるのだから
「大丈夫ですよ。お二方が妙な気分にならないよう、十分配慮しますから」
「妙な気分て何だ、妙な気分て」
なつに押し出され、信長は表座敷に引っ張り込まれる
一方の帰蝶は、信勝を迎え入れるために普段したことのない化粧を施す
化粧をしているのは女中頭のお絹であった
「奥方様の肌は、餅肌と言うのでしょうか。木目細かくてすべすべしておいでですね」
首筋に白粉を塗られ、体がモゾモゾする
「なんだか皮一枚被せられたような気分・・・。暑い」
「辛抱なさってください。どこの武家の奥方様だってみんな、こうなさっておいでなんですよ?お嫁に入られたら眉を落とす決まりもあるのに、殿が放っておかれるから未だ生娘のような」
「 」
確かに、言われてみればそうだなと、想い返す
実家に居る母も、眉を落として白粉を塗っているし、那古野に入った当初のなつも落飾し、眉を落として白粉を塗ってやって来た
そんな古い仕来りを嫌う信長なので、なつも今ではまるで町娘のように眉も伸ばしっぱなしだが
しかし、当時のこの風習が色濃いとは言え、眉を落とさなくても、いや、寧ろ落としていないからこそ『自然志向』と言うのだろうか、帰蝶には誰にも真似できない美しさが映えている
自然のままが一番美しいことを、信長は良く知っているのだ
眉を落とさせないのも、その一つだった
勿論、公家趣味を嫌って、と言うのもあるが
元々体毛が薄いからか、白粉を塗ると薄い眉が益々薄くなる
剃っているわけではないのでその上に眉墨で描くわけにも行かず、不本意ながら元々生えている帰蝶の眉の上にほっそりと線を引いた
それから、口唇に紅を差す
紅を差したのは信長との祝言以来だった
口唇にも皮が一枚張り付いたような、もぞもぞとした感覚になる
生まれて初めて本格的な化粧を施した帰蝶に、それをしていたお絹自身が狼狽するほど驚く
「まぁ・・・、なんと美しい・・・」
まるで平安朝時代の貴族の姫君が錦絵から飛び出したような、そんな気分になった
「これが奥方様だなんて、信じられません」
「 」
随分とまぁ酷い言い草だと、帰蝶は心の中で舌を出す
そこへなつが急ぎ足で部屋に入って来る
「奥方様、勘十郎様がお見えになられました」
「同伴は?」
「佐久間殿と柴田殿です」
「なら、二人を表座敷に」
「はい」
「もっと引き連れて来るのかと想っていたけれど」
「それだけ柴田殿をご信頼なさっておいでなのです。なんせ新興とも言える織田の中で一番の宿老ですから」
柴田権六勝家自身、帰蝶は良く知らない
佐久間右衛門尉信盛は、嫁いだ頃にはまだ那古野にいたのである程度は知っている
「佐久間は今も末森の内情を知らせてくれるので、こちら側の人間としても、柴田はどう出るのかわからないわね。増してや 」
今も、信長の母に仄かな想いを寄せているのだろうか
男の情は深いようで浅く、浅いようで深い
帰蝶にはその判断が付きかねた
「ならば、私が共に」
「なつが?」
それだと自分が信勝と二人きりになってしまう
少し狼狽えるような顔をして、なつを見る
「大丈夫です。廊下には私達が付いておりますから」
と、お絹が申し出てくれるが、万が一信勝が自分を押し倒したら、それを遮る手を出すことは禁じられていた
精々信長を呼んで来ることしか許されないのだから、帰蝶の不安は否めない
「それにしても奥方様、随分と化けたものですね」
見事な化粧栄えをする帰蝶に、なつは今更ながら驚く
「ほっといて!」
帰蝶は顔を赤くして叫んだ
「お待ちしておりました」
覚悟を決めた後の帰蝶は、いつも強かった
ただ、覚悟が決まるまでに時間が掛かる
「お久しゅうございます、義姉上様。父の葬儀以来ですか」
仄かに香るのは兄嫁からか
部屋には香を焚いた形跡はなかった
「そうですね。本当にご無沙汰しておりました」
「お忙しいのに、お暇を下さってありがとうございます」
威風堂々と振舞って見せるのは、四年振りに見た兄嫁の美しさに見惚れてはならないと気を引き締めたからか
「祝いの品、随分と気に入ってくださったようで」
「ええ。美濃の反物は色鮮やかで、まるで京風仕上げのようだと家内も喜んでおりました」
「私に仕える侍女に、実家が反物屋を営んでいる者がおりましたもので、無理を言って卸してもらいましたの」
初めて逢った時の兄嫁は、確か化粧の一つもしていなかったように想う
二人が帰った後、母が「紅も差さずに城に上がるとは、躾のできていない嫁だ」と、散々嫌味を言っていたのを覚えている
その兄嫁の、綺麗に施した白粉の肌に外から差し込む日の光が反射して、キラキラと輝いていた
眩しいほどに
「気に入っていただけで、嬉しいです」
「 」
元々薄いのか、紅を差したところでその部分が分厚くなるわけでもなく、だが綺麗な線を辿るその肉から目が離せない
「奥方様のご様子は、如何ですか」
「 はい、産褥後も順調良く回復しておりまして、そろそろ床離れできるとのことで」
少し遅れて返事するのは、その口唇に目を奪われていたから・・・
妻の口唇は女性らしく、ぷっくりと柔らかな曲線を辿っている
しかし兄嫁の口唇は薄く、筆に描いたような柔らかな湾曲を描いていた
「それは良かったです。私は結局、子が産めませんでしたから、勘十郎様からお子を頂こうかと考えております」
「わ・・・、私の子を・・・?」
「そうなると、当然頂くのはご長男になりますが」
「しかし、義姉上様もまだお若いのですから・・・」
「ええ、今は、まだ。ですが人は何れ年を取ります。女の旬は短いですもの。その間に子が望めなかった場合のことですから、今すぐと言う話ではありません」
贈答品の礼を言いに来て、まさか跡取りの話にまで発展するとは、さすがの信勝も考えていなかった
「ですから、勘十郎様もどうか励んでくださいましな」
「は・・・」
帰蝶は自分なりにがんばって色目を使ってみた
が、信勝の反応が悪いと言うことは、色目にはならなかったのだろう
心の中で「残念」と悔しがる
「しかし、それなら兄上もご側室でも儲けられればよろしいものを、何を遠慮してらっしゃるのか」
信勝の言葉が、「まるで女房を恐れて側室をもらえないで居る」とでも言いたそうで、それはそれで帰蝶にとっても不本意であった
「殿も、多忙中の身。側室と言っても、どこの家からもらうべきか吟味なさっておいでなのかと、私は考えておりました」
それは遠回しに自分を庇う言葉であった
夫のために実家を捨てる覚悟は決まっても、言い掛かりで責められる謂れはない
信勝に対し、自分が邪魔しているわけではないことを必死に訴えたかった
そんな帰蝶の気持ちを知ってか知らずか、信勝は無責任な言葉を口にする
「まさかとは想いますが、兄上、種無しなんてことはありませんよね」
「 」
謂れのないことで責められるのは我慢ならないが、もっと謂れのない無根拠なことを言われ、黙っていられるほど帰蝶は大人しくない
「一度は懐妊したこの身、全ての責任はこの帰蝶にございます」
「義姉上様・・・」
「吉法師様は男として無能ではございません。ええ、それ以上に、私への気遣いも決して忘れるお方ではございません。勘十郎様、どうか下手な詮索はお止めになってください」
「いえ、別にそんなつもりでは・・・。言い過ぎましたら、謝罪します。とうかご容赦くださいませ」
信勝とて、帰蝶が一度は妊娠したことを知っている
その後の経過は知らなくとも、あれから随分時は経っているに未だ二人に子ができないと言うことは、帰蝶が石女になったか信長が能無しになったかのどちらかしか想い浮かばなかった
「早く早くとせっつかれれば、出るものも出ません。勘十郎様とて、身に覚えのないことではございませんでしょう?」
「え・・・?」
「吉法師様も私も、今はただ先代様から受け継いだこの織田を、どう盛り立てていけば良いのかと、そればかり案じております。ですから、どうしてもおざなりになってしまうのです。もしも勘十郎様が夫の味方になってくだされば、こんなにも心強いことはないのですが」
と、帰蝶は少し上目遣いで信勝を見た
決して色目を使ったわけではない
切れ長の目蓋を少し細め、まるで獲物を捕食するかのように、そんな鋭い眼差しを差し向けた
その途端、信勝の背筋に震える物が走った
『鷹の目』
帰蝶の眼差しに、それが見れた
「勘十郎様のお心積もりは、如何でしょうか」
「 」
見詰められ、頭の天辺から痺れる感覚が全身を駆け巡る
「如何かと言われても、私は次男・・・。常に兄上の味方で居るつもりですが・・・」
事実そうではないから、こうして苦手な分野にまで手を伸ばさなくてはならなくなったのだと、帰蝶は心の中で舌打ちする
「若・・・。いえ、殿も随分と大人になられましたな」
表座敷では信長が勝家と信盛の接待を請け負う
側になつが居ることが少しは安心材料になるのか
その分、妻の身の上が不安で仕方ないが
「大人とは、誉め言葉かまだまだ半人前と言う表れか」
薄笑いしながら応える
「素直に受け取っていただいて結構」
目の前に並んだ酒や、その肴を其々突付く
信長は盃を傾けながら、勝家と信盛を互いに見回した
勝家の目の前で信盛と目配せでもしようものなら、何を企んでいるかと問い質されそうな雰囲気だった
「勘十郎もさっさとここに来れば良いのにな。そうしたら、こんな美味い酒が飲めるのに」
今よりずっと若い頃から酒は嗜んでいる
何を飲んでも自分を見失わない自信もあった
なのに、弟が気懸かりで、心底酒が美味いとも想えなかった
信長へ織田の将来を託せる光明を見れない勝家は、言葉に絡めて信長を盗み見る
見た目は幼年期と変わらない
だが、その眼差しくらいは少し変わったか
おどけた振りをしながらも、瞳の正気は失せたようには感じられない
他愛ない会話を繰り返しながらも、言葉の端々から末森の様子を伺おうと言う気配が隠し切れない
恐らくは、自分達が信長に対し謀叛の気があることを既に知っているのだろう
傅役の平手が自害した時も、それほど取り乱した様子もなかったと言う
誰が敵か味方かわからぬ混沌の中、容易に自分達を受け入れた理由はなんだろうと、勝家はずっと心の中で探りを入れた
「義姉上様はご心配性です。私が兄上に謀叛でも起すとお想いですか」
しれっとした顔で訊いて来る信勝に、帰蝶は駆け引きの場へと引き摺り込まれた
「まさか」
挑発に乗ってはいけないと警戒しながらも、敢えて相手の懐に飛び込まねば聞き出せないこともある
信勝の本意は、何だろう
ただ母に言われるまま動いているのか、それとも、本人の中にこそ野心があるのか
それを見極めなければ、使える駒か弊害なのか判断できない
「勘十郎様は戦働きもずば抜けておいでとお聞きします。今年の初めの村木砦攻略にも、随分ご活躍されたと」
まだ『家臣』ではない信勝は、独自の判断で動ける
数年前の勝幡織田支城の奪回戦にも、清洲の坂井謀叛の際にも、幼いながら最前線に立ち武功を上げていた
だからこそ、織田の家臣らは信長よりも信勝を擁立したがっている
だが、それが正しいことなのか誤りなのか、帰蝶にはなんとも言えなかった
自分は織田家当主の妻なのだから、夫である信長を支えてこその存在
それを否定することだけは、死んでもできない
「いえ。あれは権六ががんばってくれたお陰です。私は殆ど何もしておりません」
「ですが、あなたの采配で動いてらっしゃるのですから、勘十郎様の手柄も同然です」
「そんな」
素直に照れる信勝は、やはり年相応の青年である
最も、年齢的には自分よりも年上だが
その勝家がこちらに来ないから、夫がどれだけ困っているかもぶちまけたかった
この、信勝の母が引き止めていることくらい、簡単に想像できる
勝家をこちらに引き込めないのであれば、主人である信勝ごと引き込むしかない
なつが言いたかったのは、これだった
「今後も、織田のため、そして夫のため、尽力してくださいますでしょうか」
本心から出た言葉に演技は必要ない
帰蝶は真摯な瞳を差し向けて、信勝に懇願した
その愁いを帯びた潤む瞳
さっきまで勝気な口調だった帰蝶の勢いが削げる
それがふとした『落とし穴』になった
「 」
自分をじっと見詰める兄嫁の視線を返す
しばらく黙った後、信勝は少し腰を浮かせ、部屋から見える中庭に目を向け変えた
「ここの庭は、初めて見ます」
「え?」
急に話を摩り替えられ、帰蝶はらしくもなく狼狽えた
「那古野城には幼い頃ほんのいっとき過ごしていただけですから、記憶にないんですよ」
「そうでしたか」
「物心付く頃には末森に移ってましたから」
信勝が自立する頃、信秀はこの那古野を信長に譲り、末森に新しく城を建てて移った話をしているのか
「まさか色取り取りな花が咲いているとは、想いもしませんでした」
「はい・・・」
自分がここに嫁いだ時も、そんなに花は咲いていなかった
四季折々の花が咲き乱れるようになったのは、なつが那古野に入ってからだ
帰蝶自身、それほど花を愛でる趣味もなかった
それでも妻を気遣いそれなりに花は咲かせていたが、まだどこか殺風景な光景が続いていた
「美しい庭ですね」
「末森にはまだまだ及びませんが」
「少し歩いても構いませんでしょうか」
「あ、はい。では、草履をお持ちしますね」
信勝の草履も、帰蝶の草履も、局処の玄関に揃えて置いてある
「お絹、勘十郎様の草履をお願い」
「承知しました」
部屋の外からお絹の声がする
それから何人かの足音がして、徐々に遠ざかった
「時に義姉上様」
「はい、何でしょう」
「最近、ご実家の方は如何ですか?」
「え・・・?」
どうして急にそんなことを聞くのだろう
計られたか、帰蝶は目を見張り、その表情を読んで信勝が少しにやりと笑ったような気がした
「 どうしてですか・・・」
「いえ、お嫁に来られてから一度も、ご実家と連絡を取ってないのではないかと想いまして」
「どうして・・・」
夫ですら聞こうとしないことを、何故信勝が聞いて来るのか
「さきほど、村木砦のお話をされましたでしょう?その時、確か義姉上様のご実家から援軍が来られていたはずなのに、那古野は少しもはしゃいだ様子がなかったと」
「どうして・・・」
予想外の結果だった
まさか向うから自分を絡め取る触手を伸ばして来るとは、想ってもみなかった
「妻が子を産んだ時、妻の実家からも随分とたくさんの品物が送って来られまして、その使いも来たのですが、妻のはしゃぎようは異常でしたから。久し振りに実家の人間と触れ合って、随分宴会も華やかになりましたし。しかし、今年の美濃からの援軍に、義姉上様は冷静だったと」
「 」
誰がここの様子を知らせたのか
それも、この信勝に話したのだろうか
誰が
守就か
それとも、他の誰かか
可成ではないだろう
あれからずっと、自分の側に居てくれている
裏切るはずがない
なら、誰が・・・・・・・・
「故郷の香りは、匂えましたでしょうか」
「 あの・・・」
「美濃を離れて何年になりますか」
「ご・・・、五年です」
「その五年間、一度もご実家とは遣り取りを?」
「忙しかったものですから・・・」
「そうでしたか。私がもっと気の回る性格でしたら、義姉上様にも楽をさせてあげられましたものを」
「 」
さっきまでの爽やかな雰囲気は、何処に行ったのか
まるで纏わり着くような視線で自分をじろじろと眺める信勝の目線に、一枚ずつ小袖を脱がされているような気分になった
「ほら、私もやっと父親になりましたし、しかも娘を儲けました。ですから、大事な娘を嫁に出す父親の心境と言うのでしょうか、そんなものも擬似的に感じるようになりましてね」
身振り、手振りを交えて話す
空気を切る信勝の指先が、心の中で自分の帯を解く
そんな錯覚に苛まれた
裸にされる
それは性的な意味ではなく、『信長の守り刀を無防備にさせる』と言うことだろうか
守りを失った城は、簡単に落ちる
自分が落ちれば、夫を守る術が失われる
まだあどけなさを残しながらも、目の前に居る男はとんだ策士だと感じ取った
嵌ってはいけない・・・・・・・
「ですから、手紙くらいは如何ですか」
「そ・・・、そうですね・・・」
「もし兄上が嫌がっているのでしたら、私からも口添えさせていただきますが?」
「いえ・・・、お気遣いなく・・・」
信勝と目を合わせていられなくなった帰蝶は、つい、目線を畳に落とした
その直後
「どうなさいました?」
「え・・・?」
顔を上げると、さっきまで少し離れた正面に居たはずの信勝が、自分の目前に迫っていた
「震えてらっしゃる」
「 ッ」
香りを辿ったら、この兄嫁に辿り着いた
自然のものか、信勝は考えながら帰蝶を見詰める
色事の駆け引きは、苦手だった
幼い頃から男の子のように育った帰蝶には、女らしく振舞うのがどうしても浮付いて見えて嫌悪していた
そんな『なよなよ』したところがなかったからこそ、信長は帰蝶を気に入る理由の一つにもしていたのだが、それは信勝には通用しなかった
初めこそ興味津々な顔付きだったのが、いつの間にか策士の顔になっている
帰蝶の『鷹の目』が封じられた瞬間だった
「どうなさいました?」
お絹が広げて行った襖の向こうには、まだ何人かの侍女が残っているはずだった
だが、向うから部屋の中を見れる範囲の侍女達が全員立ってしまっており、残っている侍女達が部屋の中を伺うことのできない位置に居る
誰か、気付いて・・・!
顔は正面を向いているのに、信勝の声は耳元で囁いているかのような、そんな小ささだ
二人の会話をどこまで聞いてくれているか、帰蝶にもわからない
「何に怯えてらっしゃいますか」
「別に、怯えてなど・・・」
目を反らそうとする帰蝶の、小さな顎先を信勝の指が捉える
そして、無理矢理自分に向けさせられた
「お可哀想に。こんなに震えて」
「震えてなど・・・」
真っ直ぐ、自分を射抜く目をする
その瞳で、私を殺す気か
夫とは違う、正統な美男子と言ったところだろうか
荒削りな信長に馴れてしまっている帰蝶には、信勝のような美青年は苦手だった
嫌でも自分を女にしてしまう
気取らせる
なつに、「勘十郎様はまだ初心い」と感じさせたのは、演技だった
ここに招き入れさせるための
だとしたら、何が何でもこの信勝を手の内に納めさせるか・・・
あるいは、殺してしまわない限り、夫は安寧を迎えられないだろう
この人が敵になったら、吉法師様は絶対に勝てない・・・・・・・・・・・
いつも差し向ける目を、帰蝶は自ら閉じた
通じないと感じたから
この男には『鷹の目』は通じないと感じたから
夫や舅のような、魂の荒くれた武人には通じるだろう
だが、信勝は武士ではあっても『武人』ではない
荒ぶる魂を持たぬ者には、この目は通じない
閉じられた帰蝶の目蓋は細い線を長く描く
切れ長の印象的な目が閉じられ、待っていたとばかりに信勝は己の口唇を兄嫁の口唇に重ねる
裸にされた城が堕ちた
随分派手な嫁入りだったとは、尾張の信長の耳にも入る
「今川と後北条の結びが強くなったか」
口惜しそうに呟く信長に、帰蝶が返す
「これでは今川に攻め込まれても、織田も押し返す力が不十分でしょうね」
信長以上に悔しい想いを秘めているのか、言葉の後に帰蝶は親指の爪を噛んだ
頭の中ではどうすれば良いのか、何が必要なのかを必死で考える
家の中がゴタゴタしている斎藤に、その援軍を頼めるような状態ではないことを、恵那の父からの報告で知っていた
最近、頻繁に美濃三人衆と義龍が接触していると、その手紙にはあった
何も講ぜられず離れた尾張から事の次第を見守るしかない自分には、益々歯痒い
信長と別れ、表座敷から局処に戻ろうと帰蝶は、庭の片隅を横切った
いつもなら側に監視役のようななつが着いているので、「横着をするな」と長い廊下を無駄に歩かされるが、今日はそのなつが不在である
信長の弟信勝に第一子となる娘が生まれたことを寿ぐため、帰蝶の代わりに末森に出向いていた
序に信勝の周辺の匂いを嗅ぎ取るための訪問でもある
帰蝶が出向けば母親である土田御前市弥が勘繰るかも知れないと、敢えてなつ自身から申し出た
なつにとって帰蝶は自分と同じ『織田の嫁』だが、土田御前にとっては『邪魔な吉法師の嫁』でもあるのだから、万が一のことが起きないとも限らない
それを心配し、なつは帰蝶に留守番を命じた
帰蝶となつは『主従関係』ではない
帰蝶がなつに命令を出すのと等しく、なつも帰蝶に命令を出せるのだから、「黙って留守番してろ!」と怒鳴れば『しゅん』となるしかなかった
そしてなつが末森に出向いた後で信長と表座敷に籠ってあれやこれやと話し合いをしていたが、中々結果が出て来ない
「こうなると、なつが何か情報を掴んで帰って来ることを祈るしかないですね」
そう言って別れて来たのだが、やはり心配なものは心配だ
少しでも心の晴れることはないかと庭の辺りをきょろきょろしていると、片隅にある的場から弓を撃つ音が聞こえて来た
夫かと想ったが、さっき別れたばかりの信長が先回りできるはずがない
誰だろうと局処とは多少位置のずれるその方向へ向い、歩いた
既に三本の矢が刺さり、その隙間を縫うように新たに一本の矢が命中する
この光景に帰蝶は想わず声を掛けた
「お見事」
「
小袖の片肌を脱いで弓を構えていたのは、信秀の代から織田に仕えている太田又助資房であった
「いつから、そちらに?」
年はもう既に壮年の代である
「今し方。音に釣られて覗きに来てしまいました」
又助は帰蝶とそう何度も顔を合わせたこともない
今年の初めに村木砦を攻略した際、信長の使いで帰蝶の許に馳せ参じた時以来の顔合わせであった
「見苦しいものを晒してしまいました」
と、片袖を脱いだ小袖に腕を通し、肌を隠す
「見苦しいだなんて、とんでもない。汗を浮かせた殿方の肌ほど、美しいものはありませんよ」
「
うら若く美しい人妻にそう言われると、男なら誰でも照れてしまう
年齢など関係ない
又助も顔を少し赤くして世辞の礼にと会釈した
「太田は弓が得意なのですってね」
「殿ですか?」
「弓の指南は太田から教わったと伺ってます」
「そうですか。未熟な師範で、殿には充分な指導もできず。しかし殿は我流で覚えられるほどの腕前ですので、一応の役目は果たせたと嬉しく感じております」
「そうなのよね、吉法師様の弓って我流だから覚えにくくて」
「ははは、教え方も我流なのでしょうか」
「そうみたい」
滅多に顔は合わせないが、太田はこの少女のような、少年のような、どこか野生の獣のような雰囲気もある奥方が、少しだけ気に入っていた
高貴な生まれであるのに、全く鼻に掛けた様子がない
まるで野に放たれた野草のように、自由に伸び伸びとその肢体を伸ばす奔放さは、見ていて清々しいほどだった
末森の女達とは全く性質が異なる
だから、見る度に色んな変化を目にできて、それが楽しい
「私も太田に弓を習おうかしら」
「奥方様がですか?」
帰蝶の申し出に、又助は目を丸くして驚いた
男勝りなのは知っているが、よもやそこまでとは想っていなかったため尚更である
「籠城戦なんかには、有効でしょ?」
「確かにそうですが、いや、私なんかの指南で大丈夫でしょうか」
「大丈夫でしょ」
カラカラと笑う奥方に、又助はどう反応して良いのかわからなかった
そろそろ梅雨時と言うこの季節、近場ではあっても那古野から末森までの移動は鬱陶しい
湿った空気が肌に纏わり付き、なんだか下手な愛撫でもされているかのようで、不愉快な気分になる
信長からの祝いの品と、帰蝶からの祝いの品の目録を信勝に手渡し、祝辞を述べた
「これで織田も益々安泰と言うものです」
「しかし、生まれたのは娘ですから」
立派に男の役割を果たしたからか、信勝の表情には自信と言うものが漲っていた
「おなごは一度産道を開けば、後はぽんぽんと子を産むものなんですよ。次はおのごでしょう。みな、若様には期待しております」
過分な期待は寄せないが
そう、心の中で付け足した
そう言うなつ自身、子は二人しか産めなかった
織田の跡取りとなり得る男児は産めなかった身である
若い信勝に嫉妬した
「時に、義姉上様は如何でしょうか」
父が亡くなる以前、一度だけ目にした兄嫁を気遣う
そんな優しさは織田の中でも特筆すべき部分だろうか
「奥方様も恙無く」
「子が流れてしまったのは、残念で仕方ありません」
それに関して土田御前が酷く帰蝶を罵っていることを、なつは知っていた
自分の息子がその原因だったなどと知りもせず
母の讒言に、信勝も心を痛め居ているのだろう
「大丈夫ですよ。奥方様はまだお若いですから、尾張の情勢が落ち着けば、ポンポン産んでくださるでしょう」
「尾張の情勢・・・」
斎藤と絡んで兄・信長を追い込む作戦に噛んでいるのは、なつも知っている
ただ、信勝が『知られている』ことに気付いていないだけだ
「最近、斯波家に対して大和守家の素行も問題ですし、押し黙った伊勢守家も気鬱の種。那古野は平穏とも言えませんし、奥方様も中々気の休まる暇がなくて」
確かに、それが理由でここのところ帰蝶も信長も、しっぽり床で濡れると言うことがなくなった
信長は戦、帰蝶は情報収集
肌を合わせている暇があれば軍議の一つでも開いてと言う、おかしな夫婦になってしまっていたのだから、子作りなど後回しにされていた
そう言えば
信勝と話しながら、なつは心の中で浮かべる
「森殿の奥方様が懐妊なさったのだっけ」
恵那が尾張に来たのが一月の末、今は梅雨前の六月
できないこともない
「あの二人の情熱の半分でも、奥方様方に分けてくだされば良いのに・・・」
なつとて、帰蝶の懐妊を待ち望んでいる一人である
生まれたら是非とも乳母に任命してもらいたいものだ
信長の乳母と言っても襁褓の世話をした時期は短く、精々半年余りのことだった
後は息子の恒興と同等に面倒を見て来たのだから、『乳母』と言う自覚も余りなかった
今度は乳飲み子時代からじっくりと時間を掛けて育ててみたい
なんせ『美濃の鷹』の子なのだから
なつの心の中にはまだ、信秀の言葉が生きていた
「美濃の鷹をよろしく頼む」と言って死んで行った信秀の、今際の顔が蘇る
「ところで、義姉上様の心からの贈り物に何かお返しがしたいのですが、義姉上様とは付き合いがないもので、どのような物がお好みかご存知でしょうか」
「そうですね」
ここは素直に応えるべきか、それとも適当に取り繕えば良いのか
まさか近江国友の鉄砲をよこせとは、口が裂けても言えない
「奥方様もここのところお忙しいようですので、一度お顔をお見せになられるくらいのことで良いのではないでしょうか」
「義姉上様に、お逢いすれば良いのですか?」
少しだけ、胸が高鳴った
そんな信勝の顔色を、なつは見逃さない
「多分、恐らく」
尾張の虎をも魅了した娘なのだから
この、虎の子も何れは
そんな考えが浮かぶ
「奥方様は名門の生まれでありながら贅沢を嫌い、近隣からの贈答品やら賄賂なども余り好まれない様子ですので」
「なんと、断りをお入れに?」
「殿に直接渡すのも憚られると、遠回しに奥方様に届けられるのですが、余りにも高価なものはその場で突き返してしまわれます。そんな方ですから、見てくれだけの高価な物より、心からのお礼の言葉だけで満足されるお人です。若様も一度、じっくりお逢いなさってみては如何ですか?」
「うん・・・」
考えあぐねているのか
直ぐに返答ができるような様子ではなかった
「女性でありながら、全く気取ったところがございません。一緒に居て、とても気持ちが楽になれるお方です。ですから殿が気に入られたのでしょうが」
なつにとって『殿』は、未だ信秀だけである
しかし、勝幡織田の当主である信長に対し『若』と言う言葉を使えば、それは信長が周囲から舐められていると宣伝するようなものであり、賢いなつがそれを考慮しないはずがない
せめて信勝の前だけは信長を『殿』と呼ばなくてはと、普段口にしない言葉を使う
お陰で口が痒くて仕方なかった
「兄上は、憚られるでしょうか・・・」
「どうでしょう。殿はそんな器の小さいお方ではございません。別に二人きりの密会と言うわけではないのですから」
「密会・・・」
子を作っておきながら、まだまだ初心(おぼこ)いのか信勝は、見る見る顔を赤く染めて行った
冗談で言ったつもりが、相手が悪かったのか信勝は真に受ける
これが信長だったら下品にも「足腰立てなくしてやる」とでも返って来るのだが、それを期待していただけに真面目な信勝に呆れれば良いのか感心すれば良いのか、すっかり那古野で毒漬けになっているなつには、さっぱりわからない
「
そんな信勝の表情に、なつは心の中で妙案を閃いた
ただし、帰蝶がそれを承諾するかどうかが問題だが
「嫌です!」
案の定な返事が返って来る
「別に合体しろとは言ってないんですから」
あからさまなななつの表現に、今度は信長が叫ぶ
「冗談じゃない!女房を盾にできるか!」
「ですからお二人とも、落ち着いて聞いて下さい」
那古野に戻ったなつは、土田御前の監視の厳しい末森では充分な情報収集はできなかったと報告する
それと同時に、こんな発案を提示したのだ
『色仕掛け』
帰蝶が最も苦手とする分野である
だからこそ、実行した時の効果は絶大であろう
「奥方様の収集した情報を総合すれば、斎藤と織田の絡み合い」
「お前が言うといやらしく聞こえるのは何故だろう」
「若の気の回し過ぎです」
なつとて色事から遠ざかって早四年
帰蝶の補佐になってから毎日が忙しくて、『女』を想い出す暇もないと言うのに、この若君はいらぬことを言い出すと、憎々しく睨み付けた
「それに乗じて大方様のご実家の土田家まで乗り出す始末。大和守が伊勢守と手を組んで、斯波家をどうにかしようと言う風潮もあるのですから、その一つである末森を陥落させねばなりませんでしょ?」
「歓楽?やっぱり帰蝶を人身御供にする気か!」
「どの『かんらく』ですか!」
うっかりなつは感情に任せ、信長の額をペシン!とブッ叩いてしまった
後悔はしていないが
「でも、なつ、私には無理だわ・・・」
「勘十郎様を説得し、今は若の味方で居てもらうのです。時々色目でも使えば結構です」
「それができないから困ってるんでしょ」
「そうだな、帰蝶は色気がないからな」
「悪かったですね」
「男好きする躰なんだけどな」
ピシンッ!
今度は帰蝶が信長の頬を打つ
お陰で信長の顔は真っ赤になった
どうにかこうにか帰蝶を説得し、信勝を招き入れる準備ができるまでに進んだ
「周囲をぐるりと囲まれたままでは、万が一今川が攻め込んだ時に誰と誰が味方になってくれるのか、それがわからないあやふやな状態の勝幡織田に勝つ術がございますか?」
今川家と後北条家の婚姻により、東の脅威が増大したことを心配していた帰蝶には、なつのこの言葉は威力があった
仕方なく、不承不承に頷くしかない
この日の信長はさすがに落ち着きがなくなる
大事な恋女房に大変な仕事をさせるのだから
「大丈夫ですよ。お二方が妙な気分にならないよう、十分配慮しますから」
「妙な気分て何だ、妙な気分て」
なつに押し出され、信長は表座敷に引っ張り込まれる
一方の帰蝶は、信勝を迎え入れるために普段したことのない化粧を施す
化粧をしているのは女中頭のお絹であった
「奥方様の肌は、餅肌と言うのでしょうか。木目細かくてすべすべしておいでですね」
首筋に白粉を塗られ、体がモゾモゾする
「なんだか皮一枚被せられたような気分・・・。暑い」
「辛抱なさってください。どこの武家の奥方様だってみんな、こうなさっておいでなんですよ?お嫁に入られたら眉を落とす決まりもあるのに、殿が放っておかれるから未だ生娘のような」
「
確かに、言われてみればそうだなと、想い返す
実家に居る母も、眉を落として白粉を塗っているし、那古野に入った当初のなつも落飾し、眉を落として白粉を塗ってやって来た
そんな古い仕来りを嫌う信長なので、なつも今ではまるで町娘のように眉も伸ばしっぱなしだが
しかし、当時のこの風習が色濃いとは言え、眉を落とさなくても、いや、寧ろ落としていないからこそ『自然志向』と言うのだろうか、帰蝶には誰にも真似できない美しさが映えている
自然のままが一番美しいことを、信長は良く知っているのだ
眉を落とさせないのも、その一つだった
勿論、公家趣味を嫌って、と言うのもあるが
元々体毛が薄いからか、白粉を塗ると薄い眉が益々薄くなる
剃っているわけではないのでその上に眉墨で描くわけにも行かず、不本意ながら元々生えている帰蝶の眉の上にほっそりと線を引いた
それから、口唇に紅を差す
紅を差したのは信長との祝言以来だった
口唇にも皮が一枚張り付いたような、もぞもぞとした感覚になる
生まれて初めて本格的な化粧を施した帰蝶に、それをしていたお絹自身が狼狽するほど驚く
「まぁ・・・、なんと美しい・・・」
まるで平安朝時代の貴族の姫君が錦絵から飛び出したような、そんな気分になった
「これが奥方様だなんて、信じられません」
「
随分とまぁ酷い言い草だと、帰蝶は心の中で舌を出す
そこへなつが急ぎ足で部屋に入って来る
「奥方様、勘十郎様がお見えになられました」
「同伴は?」
「佐久間殿と柴田殿です」
「なら、二人を表座敷に」
「はい」
「もっと引き連れて来るのかと想っていたけれど」
「それだけ柴田殿をご信頼なさっておいでなのです。なんせ新興とも言える織田の中で一番の宿老ですから」
柴田権六勝家自身、帰蝶は良く知らない
佐久間右衛門尉信盛は、嫁いだ頃にはまだ那古野にいたのである程度は知っている
「佐久間は今も末森の内情を知らせてくれるので、こちら側の人間としても、柴田はどう出るのかわからないわね。増してや
今も、信長の母に仄かな想いを寄せているのだろうか
男の情は深いようで浅く、浅いようで深い
帰蝶にはその判断が付きかねた
「ならば、私が共に」
「なつが?」
それだと自分が信勝と二人きりになってしまう
少し狼狽えるような顔をして、なつを見る
「大丈夫です。廊下には私達が付いておりますから」
と、お絹が申し出てくれるが、万が一信勝が自分を押し倒したら、それを遮る手を出すことは禁じられていた
精々信長を呼んで来ることしか許されないのだから、帰蝶の不安は否めない
「それにしても奥方様、随分と化けたものですね」
見事な化粧栄えをする帰蝶に、なつは今更ながら驚く
「ほっといて!」
帰蝶は顔を赤くして叫んだ
「お待ちしておりました」
覚悟を決めた後の帰蝶は、いつも強かった
ただ、覚悟が決まるまでに時間が掛かる
「お久しゅうございます、義姉上様。父の葬儀以来ですか」
仄かに香るのは兄嫁からか
部屋には香を焚いた形跡はなかった
「そうですね。本当にご無沙汰しておりました」
「お忙しいのに、お暇を下さってありがとうございます」
威風堂々と振舞って見せるのは、四年振りに見た兄嫁の美しさに見惚れてはならないと気を引き締めたからか
「祝いの品、随分と気に入ってくださったようで」
「ええ。美濃の反物は色鮮やかで、まるで京風仕上げのようだと家内も喜んでおりました」
「私に仕える侍女に、実家が反物屋を営んでいる者がおりましたもので、無理を言って卸してもらいましたの」
初めて逢った時の兄嫁は、確か化粧の一つもしていなかったように想う
二人が帰った後、母が「紅も差さずに城に上がるとは、躾のできていない嫁だ」と、散々嫌味を言っていたのを覚えている
その兄嫁の、綺麗に施した白粉の肌に外から差し込む日の光が反射して、キラキラと輝いていた
眩しいほどに
「気に入っていただけで、嬉しいです」
「
元々薄いのか、紅を差したところでその部分が分厚くなるわけでもなく、だが綺麗な線を辿るその肉から目が離せない
「奥方様のご様子は、如何ですか」
「
少し遅れて返事するのは、その口唇に目を奪われていたから・・・
妻の口唇は女性らしく、ぷっくりと柔らかな曲線を辿っている
しかし兄嫁の口唇は薄く、筆に描いたような柔らかな湾曲を描いていた
「それは良かったです。私は結局、子が産めませんでしたから、勘十郎様からお子を頂こうかと考えております」
「わ・・・、私の子を・・・?」
「そうなると、当然頂くのはご長男になりますが」
「しかし、義姉上様もまだお若いのですから・・・」
「ええ、今は、まだ。ですが人は何れ年を取ります。女の旬は短いですもの。その間に子が望めなかった場合のことですから、今すぐと言う話ではありません」
贈答品の礼を言いに来て、まさか跡取りの話にまで発展するとは、さすがの信勝も考えていなかった
「ですから、勘十郎様もどうか励んでくださいましな」
「は・・・」
帰蝶は自分なりにがんばって色目を使ってみた
が、信勝の反応が悪いと言うことは、色目にはならなかったのだろう
心の中で「残念」と悔しがる
「しかし、それなら兄上もご側室でも儲けられればよろしいものを、何を遠慮してらっしゃるのか」
信勝の言葉が、「まるで女房を恐れて側室をもらえないで居る」とでも言いたそうで、それはそれで帰蝶にとっても不本意であった
「殿も、多忙中の身。側室と言っても、どこの家からもらうべきか吟味なさっておいでなのかと、私は考えておりました」
それは遠回しに自分を庇う言葉であった
夫のために実家を捨てる覚悟は決まっても、言い掛かりで責められる謂れはない
信勝に対し、自分が邪魔しているわけではないことを必死に訴えたかった
そんな帰蝶の気持ちを知ってか知らずか、信勝は無責任な言葉を口にする
「まさかとは想いますが、兄上、種無しなんてことはありませんよね」
「
謂れのないことで責められるのは我慢ならないが、もっと謂れのない無根拠なことを言われ、黙っていられるほど帰蝶は大人しくない
「一度は懐妊したこの身、全ての責任はこの帰蝶にございます」
「義姉上様・・・」
「吉法師様は男として無能ではございません。ええ、それ以上に、私への気遣いも決して忘れるお方ではございません。勘十郎様、どうか下手な詮索はお止めになってください」
「いえ、別にそんなつもりでは・・・。言い過ぎましたら、謝罪します。とうかご容赦くださいませ」
信勝とて、帰蝶が一度は妊娠したことを知っている
その後の経過は知らなくとも、あれから随分時は経っているに未だ二人に子ができないと言うことは、帰蝶が石女になったか信長が能無しになったかのどちらかしか想い浮かばなかった
「早く早くとせっつかれれば、出るものも出ません。勘十郎様とて、身に覚えのないことではございませんでしょう?」
「え・・・?」
「吉法師様も私も、今はただ先代様から受け継いだこの織田を、どう盛り立てていけば良いのかと、そればかり案じております。ですから、どうしてもおざなりになってしまうのです。もしも勘十郎様が夫の味方になってくだされば、こんなにも心強いことはないのですが」
と、帰蝶は少し上目遣いで信勝を見た
決して色目を使ったわけではない
切れ長の目蓋を少し細め、まるで獲物を捕食するかのように、そんな鋭い眼差しを差し向けた
その途端、信勝の背筋に震える物が走った
『鷹の目』
帰蝶の眼差しに、それが見れた
「勘十郎様のお心積もりは、如何でしょうか」
「
見詰められ、頭の天辺から痺れる感覚が全身を駆け巡る
「如何かと言われても、私は次男・・・。常に兄上の味方で居るつもりですが・・・」
事実そうではないから、こうして苦手な分野にまで手を伸ばさなくてはならなくなったのだと、帰蝶は心の中で舌打ちする
「若・・・。いえ、殿も随分と大人になられましたな」
表座敷では信長が勝家と信盛の接待を請け負う
側になつが居ることが少しは安心材料になるのか
その分、妻の身の上が不安で仕方ないが
「大人とは、誉め言葉かまだまだ半人前と言う表れか」
薄笑いしながら応える
「素直に受け取っていただいて結構」
目の前に並んだ酒や、その肴を其々突付く
信長は盃を傾けながら、勝家と信盛を互いに見回した
勝家の目の前で信盛と目配せでもしようものなら、何を企んでいるかと問い質されそうな雰囲気だった
「勘十郎もさっさとここに来れば良いのにな。そうしたら、こんな美味い酒が飲めるのに」
今よりずっと若い頃から酒は嗜んでいる
何を飲んでも自分を見失わない自信もあった
なのに、弟が気懸かりで、心底酒が美味いとも想えなかった
信長へ織田の将来を託せる光明を見れない勝家は、言葉に絡めて信長を盗み見る
見た目は幼年期と変わらない
だが、その眼差しくらいは少し変わったか
おどけた振りをしながらも、瞳の正気は失せたようには感じられない
他愛ない会話を繰り返しながらも、言葉の端々から末森の様子を伺おうと言う気配が隠し切れない
恐らくは、自分達が信長に対し謀叛の気があることを既に知っているのだろう
傅役の平手が自害した時も、それほど取り乱した様子もなかったと言う
誰が敵か味方かわからぬ混沌の中、容易に自分達を受け入れた理由はなんだろうと、勝家はずっと心の中で探りを入れた
「義姉上様はご心配性です。私が兄上に謀叛でも起すとお想いですか」
しれっとした顔で訊いて来る信勝に、帰蝶は駆け引きの場へと引き摺り込まれた
「まさか」
挑発に乗ってはいけないと警戒しながらも、敢えて相手の懐に飛び込まねば聞き出せないこともある
信勝の本意は、何だろう
ただ母に言われるまま動いているのか、それとも、本人の中にこそ野心があるのか
それを見極めなければ、使える駒か弊害なのか判断できない
「勘十郎様は戦働きもずば抜けておいでとお聞きします。今年の初めの村木砦攻略にも、随分ご活躍されたと」
まだ『家臣』ではない信勝は、独自の判断で動ける
数年前の勝幡織田支城の奪回戦にも、清洲の坂井謀叛の際にも、幼いながら最前線に立ち武功を上げていた
だからこそ、織田の家臣らは信長よりも信勝を擁立したがっている
だが、それが正しいことなのか誤りなのか、帰蝶にはなんとも言えなかった
自分は織田家当主の妻なのだから、夫である信長を支えてこその存在
それを否定することだけは、死んでもできない
「いえ。あれは権六ががんばってくれたお陰です。私は殆ど何もしておりません」
「ですが、あなたの采配で動いてらっしゃるのですから、勘十郎様の手柄も同然です」
「そんな」
素直に照れる信勝は、やはり年相応の青年である
最も、年齢的には自分よりも年上だが
その勝家がこちらに来ないから、夫がどれだけ困っているかもぶちまけたかった
この、信勝の母が引き止めていることくらい、簡単に想像できる
勝家をこちらに引き込めないのであれば、主人である信勝ごと引き込むしかない
なつが言いたかったのは、これだった
「今後も、織田のため、そして夫のため、尽力してくださいますでしょうか」
本心から出た言葉に演技は必要ない
帰蝶は真摯な瞳を差し向けて、信勝に懇願した
その愁いを帯びた潤む瞳
さっきまで勝気な口調だった帰蝶の勢いが削げる
それがふとした『落とし穴』になった
「
自分をじっと見詰める兄嫁の視線を返す
しばらく黙った後、信勝は少し腰を浮かせ、部屋から見える中庭に目を向け変えた
「ここの庭は、初めて見ます」
「え?」
急に話を摩り替えられ、帰蝶はらしくもなく狼狽えた
「那古野城には幼い頃ほんのいっとき過ごしていただけですから、記憶にないんですよ」
「そうでしたか」
「物心付く頃には末森に移ってましたから」
信勝が自立する頃、信秀はこの那古野を信長に譲り、末森に新しく城を建てて移った話をしているのか
「まさか色取り取りな花が咲いているとは、想いもしませんでした」
「はい・・・」
自分がここに嫁いだ時も、そんなに花は咲いていなかった
四季折々の花が咲き乱れるようになったのは、なつが那古野に入ってからだ
帰蝶自身、それほど花を愛でる趣味もなかった
それでも妻を気遣いそれなりに花は咲かせていたが、まだどこか殺風景な光景が続いていた
「美しい庭ですね」
「末森にはまだまだ及びませんが」
「少し歩いても構いませんでしょうか」
「あ、はい。では、草履をお持ちしますね」
信勝の草履も、帰蝶の草履も、局処の玄関に揃えて置いてある
「お絹、勘十郎様の草履をお願い」
「承知しました」
部屋の外からお絹の声がする
それから何人かの足音がして、徐々に遠ざかった
「時に義姉上様」
「はい、何でしょう」
「最近、ご実家の方は如何ですか?」
「え・・・?」
どうして急にそんなことを聞くのだろう
計られたか、帰蝶は目を見張り、その表情を読んで信勝が少しにやりと笑ったような気がした
「
「いえ、お嫁に来られてから一度も、ご実家と連絡を取ってないのではないかと想いまして」
「どうして・・・」
夫ですら聞こうとしないことを、何故信勝が聞いて来るのか
「さきほど、村木砦のお話をされましたでしょう?その時、確か義姉上様のご実家から援軍が来られていたはずなのに、那古野は少しもはしゃいだ様子がなかったと」
「どうして・・・」
予想外の結果だった
まさか向うから自分を絡め取る触手を伸ばして来るとは、想ってもみなかった
「妻が子を産んだ時、妻の実家からも随分とたくさんの品物が送って来られまして、その使いも来たのですが、妻のはしゃぎようは異常でしたから。久し振りに実家の人間と触れ合って、随分宴会も華やかになりましたし。しかし、今年の美濃からの援軍に、義姉上様は冷静だったと」
「
誰がここの様子を知らせたのか
それも、この信勝に話したのだろうか
誰が
守就か
それとも、他の誰かか
可成ではないだろう
あれからずっと、自分の側に居てくれている
裏切るはずがない
なら、誰が・・・・・・・・
「故郷の香りは、匂えましたでしょうか」
「
「美濃を離れて何年になりますか」
「ご・・・、五年です」
「その五年間、一度もご実家とは遣り取りを?」
「忙しかったものですから・・・」
「そうでしたか。私がもっと気の回る性格でしたら、義姉上様にも楽をさせてあげられましたものを」
「
さっきまでの爽やかな雰囲気は、何処に行ったのか
まるで纏わり着くような視線で自分をじろじろと眺める信勝の目線に、一枚ずつ小袖を脱がされているような気分になった
「ほら、私もやっと父親になりましたし、しかも娘を儲けました。ですから、大事な娘を嫁に出す父親の心境と言うのでしょうか、そんなものも擬似的に感じるようになりましてね」
身振り、手振りを交えて話す
空気を切る信勝の指先が、心の中で自分の帯を解く
そんな錯覚に苛まれた
それは性的な意味ではなく、『信長の守り刀を無防備にさせる』と言うことだろうか
守りを失った城は、簡単に落ちる
自分が落ちれば、夫を守る術が失われる
まだあどけなさを残しながらも、目の前に居る男はとんだ策士だと感じ取った
嵌ってはいけない・・・・・・・
「ですから、手紙くらいは如何ですか」
「そ・・・、そうですね・・・」
「もし兄上が嫌がっているのでしたら、私からも口添えさせていただきますが?」
「いえ・・・、お気遣いなく・・・」
信勝と目を合わせていられなくなった帰蝶は、つい、目線を畳に落とした
その直後
「どうなさいました?」
「え・・・?」
顔を上げると、さっきまで少し離れた正面に居たはずの信勝が、自分の目前に迫っていた
「震えてらっしゃる」
「
香りを辿ったら、この兄嫁に辿り着いた
自然のものか、信勝は考えながら帰蝶を見詰める
色事の駆け引きは、苦手だった
幼い頃から男の子のように育った帰蝶には、女らしく振舞うのがどうしても浮付いて見えて嫌悪していた
そんな『なよなよ』したところがなかったからこそ、信長は帰蝶を気に入る理由の一つにもしていたのだが、それは信勝には通用しなかった
初めこそ興味津々な顔付きだったのが、いつの間にか策士の顔になっている
帰蝶の『鷹の目』が封じられた瞬間だった
「どうなさいました?」
お絹が広げて行った襖の向こうには、まだ何人かの侍女が残っているはずだった
だが、向うから部屋の中を見れる範囲の侍女達が全員立ってしまっており、残っている侍女達が部屋の中を伺うことのできない位置に居る
顔は正面を向いているのに、信勝の声は耳元で囁いているかのような、そんな小ささだ
二人の会話をどこまで聞いてくれているか、帰蝶にもわからない
「何に怯えてらっしゃいますか」
「別に、怯えてなど・・・」
目を反らそうとする帰蝶の、小さな顎先を信勝の指が捉える
そして、無理矢理自分に向けさせられた
「お可哀想に。こんなに震えて」
「震えてなど・・・」
真っ直ぐ、自分を射抜く目をする
夫とは違う、正統な美男子と言ったところだろうか
荒削りな信長に馴れてしまっている帰蝶には、信勝のような美青年は苦手だった
嫌でも自分を女にしてしまう
気取らせる
なつに、「勘十郎様はまだ初心い」と感じさせたのは、演技だった
ここに招き入れさせるための
だとしたら、何が何でもこの信勝を手の内に納めさせるか・・・
あるいは、殺してしまわない限り、夫は安寧を迎えられないだろう
この人が敵になったら、吉法師様は絶対に勝てない・・・・・・・・・・・
いつも差し向ける目を、帰蝶は自ら閉じた
通じないと感じたから
この男には『鷹の目』は通じないと感じたから
夫や舅のような、魂の荒くれた武人には通じるだろう
だが、信勝は武士ではあっても『武人』ではない
荒ぶる魂を持たぬ者には、この目は通じない
閉じられた帰蝶の目蓋は細い線を長く描く
切れ長の印象的な目が閉じられ、待っていたとばかりに信勝は己の口唇を兄嫁の口唇に重ねる
裸にされた城が堕ちた
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千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

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夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
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お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
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清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
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一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
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清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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