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道三からあらぬ疑いを掛けられたと言うのに、今日も帰蝶は自由気侭に清四郎を連れ回す
父・斎藤伊豆守利賢には
「相手は一国の姫君。それなりの接し方をしろ」
と注意されても、
「お清、早く!」
と呼ばれては、帰蝶の許に馳せ参じるしかなく、『身分』と『立場』の間で清四郎は翻弄された
この年、義兄・義龍に待望の嫡男が生まれた
同時に帰蝶は、道三に呼ばれる
「 え・・・?」
父の言っていることが理解できず、帰蝶はしばし呆然とした
「お前もそれなりの礼儀を身に付ける時が来たのだ。これよりしばらく、明智の家で世話になれ。そこで嫁入りの何たるかを学んで来い」
「 」
承服しかねる顔をし、それでも、震える首を縦に振るしかなかった
いかな帰蝶とて、親の命令に背くことはできない
そう言う時代だった
春先に織田の偵察部隊を見掛けてそれ以来、帰蝶の読みどおり織田との戦闘は起きなかったが、織田と同盟を組んでいた朝倉孝景が病没し、道三は一気に反撃に出た
信秀に奪われていた大垣城の奪回戦には、清四郎も初陣として参加した
後ろ盾でもあった朝倉氏の撤退により、織田は美濃に孤立し、尾張に引き返した後のこと
道三に、信秀から書状が届いた
いつもなら、散歩に飽きたら直ぐに帰ると言い出す帰蝶が、今日に限っていつまでも歩き続ける
「姫様?どこまで行くんですか?そろそろ日が落ちます。帰りませんか?」
戦に出るようになっても、『清四郎』から『利三』に名が変わっても、相変わらず帰蝶のお守をさせられていた
「姫様」
夕暮れが迫る
織田が美濃から撤退したと言っても、安全は保証されていない
「また、叱られますよ?」
「お清が?」
いつも帰蝶の我侭に付き合って、道三から怒鳴られているのは、確かに利三だった
「別に私は良いんですけどね、私は」
少し嫌味っぽく
それで帰蝶が笑って振り返るかと想ったが、相変わらず背中を向けたまま山を歩く
「姫様」
利三は慌てて追い駆け、その後ろに付いた
「帰りましょう」
「もう少し」
「帰りましょうったら」
「帰らないッ!」
粘り付くような利三の口調に、帰蝶は声を張り上げる
「姫様・・・」
帰蝶の豹変振りに、大抵は馴れている利三もさすがに目を剥く
「 どうか、なされたんですか・・・?」
「 」
立ち止まり、俯く帰蝶の背中が見えた
「姫様?」
その肩に、そっと手を差し伸べた瞬間
「明日から、明智の城に行くの・・・」
「え・・・・・・・・・?」
触れる寸前で、利三の手が止まった
裳着の儀式はとっくの昔に済ませている
いつでも嫁入りができる状態だった
それでも、土岐家との争いに織田が横槍を入れ、帰蝶の縁談は一向に持ち上がらなかった
それが急に、明智の家に行くことになったと聞かされ、利三も動転する
さっきまで安堵していた気持ちが、粉々に砕け散った
このまま
帰蝶が誰の許にも嫁がず
ずっと、このまま、ふたりで居られたら
それも夢ではないかも知れない
ありもしない
だが、あり得るかも知れない
そんな想いが、砕け散った
「あ・・・」
声が掠れて、上手く出て来ない
「明智の家に、嫁に行かれるのですか・・・?」
帰蝶の母は、明智から嫁に来ている
それの入れ替わりで、生まれた娘を嫁ぎ先からもらうことも、この頃では当たり前の風習だった
特に道三は、明智家との関係も良好だ
お気に入りでもある光秀に、自分の娘を嫁がせたがっていたのは斎藤家の人間なら誰もが知るところで、だが、肝心の年頃の娘が道三側に居なかったのと、光秀は十代の頃に既に最初の結婚をしていたため、叶わなかった
その妻と死別してから数年が経っていたが、やはり帰蝶はまだ嫁に行ける年齢ではなかったことと、同じ東美濃同士と言うこともあり、遠山一族と婚姻関係にあった方が今後のためにもなると話し合いで決まり、妻木の娘を後嫁としてもらうことになる
「明智に・・・」
十一の帰蝶が嫁に行くには、丁度良い年齢だった
「 花嫁修業」
ぽつりと呟き応える帰蝶に、利三は一瞬ほっとする
「修行・・・ですか」
それは将来のためなのだろうと、高を括った
だが、一縷の望みのようなそんな想いも、見事砕かれる
「織田に」
それを、『落胆』と呼べば良いのか、『絶望』と呼べば良いのか、利三にはわからなかった
ただ
「織田に、嫁ぐことになったの・・・」
「 え?」
一瞬にして、目の前が暗くなる
それだけは、わかった
「織田・・・に・・・?」
昨日まで争っていた相手の許に嫁ぐと言う
それを政略結婚と呼ぶ以外に、手段はあるだろうか
いや
どの家も、政略結婚で成り立っている
何かを得るには、何かを差し出さなくてはならない
つまりは、等価交換
帰蝶にはそれだけの価値がある
愛娘を嫁に出す代わりに道三は、信秀の力量と尾張を手に入れようとしていた
利三にも簡単に割り出せる
「いつ・・・ですか」
それを聞いて、どうしようと言うのか
利三自身、わからない
無意識に出た言葉だった
「来年。春」
「春・・・・・・・・・・」
春になったら、帰蝶は嫁に行き
春になったら、帰蝶と別れることになり
もう二度と、逢えないかも知れない
「そう・・・ですか」
声の震えが止まらなかった
「良かったですね・・・。姫様にも、縁談の話があって・・・」
「どう言う意味だ」
「だって、ほら・・・」
「私みたいな色気のない跳ねっ返りを、嫁にもらってくれる男など居ないと言いたいのか?」
「だって、ねぇ・・・」
「莫迦にするな」
離れていた帰蝶が、ぐっと自分の近くに寄る
そして、真っ直ぐ自分を見詰めた
「口付けの仕方だって、知ってる」
それから
「 ッ」
利三に、自分の口唇を重ねる
私はてっきり、お清の許に嫁ぐのだとばかり、想っていた
帰蝶の行動に、利三は目を丸くして成り行きを見守った
柔らかく暖かい感触が伝わる
しばらくしてから帰蝶の口唇が離れ、再びその愛らしい顔が視界に入った
「あ・・・、あの・・・」
言葉が見付からない
「これが、お前との最後の散歩と言うわけだ」
「 」
「だから、心行くまでお前と歩きたい」
「そう・・・でしたか・・・」
「それとも、このまま野合でも洒落込むか?」
「えっ?!」
『野合』とは、一般的には内縁関係の夫婦のことを指すが、正しくは『結婚前の男女が性的関係を持つ』ことであり、決して『屋外での性交渉』のことではない
帰蝶の大胆な発言に、利三の心臓は破裂寸前にまで高鳴る
「冗談だ」
「姫様・・・」
期待させておいて、その直後にガッカリさせるのは帰蝶の十八番であった
それも馴れたものではあっても、この場合には相応しくない
気落ちする利三に、何を想ったか帰蝶はその腰に腕を回し抱き付いて来た
「姫様」
また何かの冗談かと、突き放そうとする
その利三に、帰蝶は胸の中で呟いた
「今から私が言うことは、ただの戯言だ。聞き流せ」
「姫様・・・?」
キョトンとする利三に、帰蝶は告げた
「お前と、夫婦になりたかった・・・・・・・」
「 ッ」
利三は、丸くした目を更に丸くする
応えられない
私もです・・・とは
「躰を繋げてしまえば、私が処女ではないことを知られてしまう。それだと、斎藤の風紀が悪いと織田に付け込まれる。お前を最初の男にはできないけれど、初めて口付けた男にはなれる」
「姫様・・・」
こんな時でも、後先考えずに発言できる帰蝶の大胆さには恐れ入った
「お戯れを・・・」
苦笑いするしかできない
「嘘だと想ってるのか?」
「私なんかじゃ・・・」
煮え切らない利三に、帰蝶は詠う
「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
気付いて
「 姫様・・・」
「 」
じっと、利三の顔を見詰める
それでも利三は、応えてくれなかった
この歌の意味を知らないほど、無教養ではないはずなのに
「お清・・・」
「私は、無理です」
小さな、小さな答え
それ以上言えば帰蝶を傷付け、黙っていれば自分が傷付く
「それでも」
気丈な帰蝶の瞳が濡れた
「しただろう?」
「さっきのは、姫様の方から 」
「鵜飼小屋で」
「え・・・」
心臓が止まるかと想った
「私に口付けただろう?」
「知って・・・・・・・・・・」
「あのまま、抱いてくれたら良かったのに・・・」
「姫様・・・・・」
「それとも、まだ月経も来ていない、女でもない私を抱くのは、躊躇われたか?」
「そうじゃ・・・ッ」
喉が詰まって仕方ない
「そうじゃありません・・・。あなたは大事な人だから・・・。斎藤の姫君だから・・・。私なんかが・・・」
「どうしてそう想う」
「身分が違います・・・ッ」
息が止まりそうな感覚になり、言葉を発するのも苦しい
「どうして」
「私は、斎藤に仕える身です・・・。姫様は、雲の上の人で・・・」
「どうして」
漸く気付く
帰蝶の瞳が潤んでいることを
「 それが、『身分』と言うものです」
「 」
ほろりと、帰蝶の目尻から涙が零れた
「そんなもの、なくなってしまえば良いのに・・・」
「そうしたら、武家の意味がなくなります」
「お清・・・」
「私達の存在意義も、なくなります」
「なくなっても良い」
「姫様」
「それで、お清と手を繋げるのなら、私は平民になったって良い」
「姫様・・・ッ」
「姫様などと呼ぶなッ!」
「仕方ないでしょう?!あなたは姫君なのだからッ!」
怒鳴る帰蝶に、利三も応戦する
「生まれたくて生まれたんじゃないッ!」
「生まれてなければ、こうして顔を合わせることもなかったんですよッ?!」
「それでも、どこかで逢えたかも知れないッ!」
「逢えなかったかも知れないッ!」
「でもこうして、一緒に居れる・・・」
「姫様・・・」
急に勢いの削げた帰蝶に、利三も漸く怒鳴るのをやめた
愛してる
私もです
そう言い合えない間だからこそ、互いを想う気持ちは誰よりも強い
「一緒に居たいと願うことも、許されないのか・・・?」
「あなたが女で、私が男でなければ」
それも、可能だったかも知れない
「そうか・・・」
力なく項垂れ、それから、顔を利三に向け、その口唇を差し出した
「 」
帰蝶の手が、再び利三の腰を掴む
ゆっくりと風に乗るように、二人の口唇が重なった
背の高さは、若干利三の方が高いくらいだろうか
抱き付けば帰蝶の顔は利三の肩口に届く
それは帰蝶の背が高いのか、利三の背が低いのかは比べようがない
少し顔を離し、帰蝶が囁いた
「背中」
「え?」
「抱いて」
「ええ?」
「私一人がこうしていたら、まるで莫迦みたいだ」
「そんな・・・」
少し躊躇いながら、帰蝶の背中に手を回す
暖かい温もりが全身に広がる
ほっとした顔をして、帰蝶は自分から利三に口付けた
利三も手に力を付け、強く帰蝶を抱く
触れ合う口唇から互いの体温が伝わり、心がとろけた
やがて、繋いだ口唇の間で、二人の舌が縺れ合う
言葉にならない今生の別れを惜しむかのように
どうせなら、お清の手で女になりたかった・・・・・・・・
翌日、帰蝶は明智城に向けて出発した
織田への花嫁修業なのだから、連れて行く者も少人数だった
何故かその中に、自分も居る
利三はポカンとして、帰蝶を乗せた籠に付き添う
昨日のあの別れの口付けは、なんだったんだ
そんな気がして仕方がなかった
「間違ってはおらんぞ」
「はぁ?」
「『稲葉山での最後の散歩』だ」
「そうとも言えますね」
口の減らない帰蝶には、ただ感心させられる
「姫様。あちらに着きましたら、先ずは大方様にご挨拶ですよ?」
「わかってます」
隣で侍女のお能が帰蝶に忠言する
『大方様』とは、城の中で最高位に付く女性のことで、明智城では光秀の叔父・明智光安の妻を差す
光安妻・しきも、元は利三と同じ斎藤の一族の出である
帰蝶が明智で虐めに遭わないよう、しきの縁者である利三が付き添いに選ばれた
その昔、源氏の一族が美濃の土岐郷に移り住み、土岐家が生まれた
しかし、時が流れると共に斎藤家に侵蝕され衰退して行った
その土岐家を救ったのが帰蝶の祖父、そして道三の親子二代だったが、まさか自分達が飲み込まれるとは想像していなかったのだろう
土岐家を衰退に追い込んだ斎藤家が、長井を食らった親子に飲まれ、斎藤を飲んだ道三に今度は土岐家も追い遣られていた
常人には到底できそうにもないことを、平気でやってのける
だからこそ道三には人を惹き付ける力があるし、逆に畏怖の対象でもあり得た
そんな道三の娘として生を受けた帰蝶にもまた、人を惹き付けて止まない魅力がある
自分もそれにやられたのかも知れない
利三はそんな気がした
「西の姫、よく来た」
明智城城主・明智光安は、若いながらに外交手腕の優れた人物で、幼い妹、那々姫を道三の妻に送ることを提案した人物である
早くに父を亡くした光秀の後見であり、父親代わりもやっていた
その叔父は時々自分をそう、『西の姫』と呼ぶ
長山城から見て稲葉山城は西にあるから、そう呼ぶのだろうかと帰蝶は単純に想っていた
「叔父様、ご厄介になります」
まるで愛しい者でも見詰めるかのような、優しい笑顔で帰蝶を包み込む
「堅い挨拶は抜きだ。早く上がれ。妻木の方が、首を長くして待っておるぞ」
「でも、先ずは叔母様にご挨拶をしてからでないと・・・」
そうお能から言われているため、素直に叔父の言葉が受けられない
「ははは、気にするな。お前が妻木の方を慕っているのは室も知っている。気兼ねなく、生まれた十兵衛の娘の顔でも見てやってくれ」
「はい」
「おお、清四郎」
「ご無沙汰しております」
「お前には、しきが待ちくたびれておる」
「また、お説教でしょうか・・・」
しきは系譜上、利三の叔母に当たる
顔を合わせば縁談の話やら、斎藤家の男としての生き方、武士としてのあり方などを、懇々と説く
「どうだろうな」
光安は笑いながら応える
気の重い顔付きで、利三は屋敷に入った
その二人を、いや、帰蝶の背中をじっと見送る
それは並々ならぬ想いを秘めていた
久し振りの熙子、その娘との対面、局処主人のしきへの挨拶、それから、光秀との雑談
明智城に来ても、帰蝶のやることは同じだった
「先ずは、琴の演奏から」
指先に爪を嵌められ、弾いたこともない琴を弾かされる
当然、弦が読めず出鱈目に弾く
「おやめ、帰蝶」
「はい、叔母様」
「お前、琴を弾いたことはないのかい?」
「弓を引いたことならあります」
「帰蝶!」
光安は母の兄に当たり、その妻のしきも帰蝶にとっては外縁の叔母になる
「次は、生け花です。帰蝶、生けてご覧なさい」
「はい、叔母様」
花など鉢に植えたこともない帰蝶に、生け花の何たるかなどわかるはずがない
出鱈目に剣山に差し込んでいき、まるで爆発した裏山のような様相になった
「おやめ、帰蝶」
「はい、叔母様」
「帰蝶、花を生けたことはないのかい?」
「摘んだことなら、多々あります」
「那々様は、何を教えていたのやら・・・」
「自由奔放が、斎藤家の家風ですから」
「帰蝶!」
いけしゃあしゃあと応える帰蝶に、しきの雷が落ちた
琴も駄目、華道も駄目
茶の湯で薄茶を点てさせれば、掴んだ茶器が砕け散る
詩吟をやらせれば、いつの間にやら猿田楽になる
仕舞いには
「八卦よい」
と、利三相手に相撲の稽古にまで発展し、しきを激怒させた
「帰蝶ーッ!」
「逃げるぞ、お清!」
「え?!」
巻き込まれ、利三は帰蝶に手を引かれ明智城を脱出した
帰蝶の出て行った後の部屋は、乱闘騒ぎでもあったのかと疑いたくなるほどひっちゃかめっちゃかに、襖は外れ、障子は穴だらけになっている
何故か壁に薙刀が突き刺さっている光景に、光秀は頭から汗を浮かばせ呆然と佇む
「何があったんですか・・・」
「帰蝶は、粗野過ぎます。女としての修行をたった数ヶ月で行なえとは、無謀と言うより、無理です」
義姉の嘆きに、光秀は苦笑いする
「彼女は、間違って女に生まれてしまったのです。本来なら、男として生を受けていたかも知れない。あの言動を見ていれば、武士なら一度は想いますよ」
「なんて?」
聞き返すしきに、光秀は目を向け応えた
「『惜しい』・・・と」
「 」
「姫様!待ってください!」
所変われど、品、変わらず
可児に居ても、利三は帰蝶を追い駆ける生活を送っていた
毎日城から脱走し、毎日しきに怒鳴られ、毎日逃げ回る
光秀夫妻が帰蝶を庇ってくれるお陰で、井ノ口の父にまでは届かないが、女としての修行の積めないまま、無駄に月日だけが経つ
叔父の光安も表立っては何も言わないが、陰で自分を庇うため、妻のしきに取り成してくれていることも知っていた
「あははははは。今日の叔母上は、一段と激しかったな」
大笑いする帰蝶に、利三は呆れ返る
「当たり前でしょう?琴を真っ二つに割る女なんて、そうそう居ませんよ?」
しきの指導に苛々した帰蝶は、刀を持ち出し琴を真っ二つに割った
それで、逃げて来たのだ
「琴が弾けたから、何だと言うのだ。それで飯が食えるのか?金が入るのか?私は大道芸人を目指してるわけではないぞ?」
「それでも、琴、茶道、華道は、女が最低限身に着けなくてはならない作法です。織田に行って、恥を掻くのは姫様だけでなく、斎藤も道連れになるんですよ?」
「そんな面倒なもの、毎日するわけでもなかろう?急場凌ぎで習ったからと言って、所詮付け焼刃でしかない。精々、織田の舅姑夫に嫌われないよう、可愛い女を演じればいいだけのことだ」
「姫様・・・」
「私の花嫁修業は、天下三不如意の一つだな」
「え?」
「どうにもならないってことだ」
「 」
光秀の言うとおり、帰蝶は間違えて生まれて来たのかも知れない
確かに成長するにつれ女らしくはなっているが、それはあくまで外見上の話であって、中身は荒ぶる魂を必死で押え付けているようにも見える
男に生まれていたら、誰よりも先頭に立って戦場を駆け抜けているのではないか
そんな気がして仕方なかった
ふざけたことをするかと想えば、急に難しい話をする
花や茶を嗜むよりも、弓や刀を振り回す方を好む
細い躰に似合わず力も使い方が上手く、格上の男を相手にしても簡単に投げ飛ばす
間違いなく、帰蝶は本来男に生まれて来るべき存在だったのだろう
そう想うのも仕方がなかった
今日は今日とて中庭で、光秀相手に木刀を振り回す
袴姿の帰蝶も、中々様になっていた
「姫様、姫様、お願いですからやめて下さい・・・」
帰蝶にもしものことがあればまた、その災難が自分に及ぶ
利三は青い顔をして止めた
「邪魔だ、お清」
そう言って、光秀に向けていた木刀の先を利三に向ける
「ひぃ・・・っ」
「行きますッ!」
その木刀を肩に担いだまま、帰蝶は光秀に突進した
「姫様ぁぁぁーッ」
見ていられず、想わず顔を手で覆う利三
帰蝶が振り下ろした木刀は、光秀の持つ木刀に簡単にいなされる
「あっ」
よろけた帰蝶の背中に、光秀の木刀の先が『ちょん』と当った
「もう・・・ッ」
悔しそうに地面を踏み付ける
「姫様。刀は『押す』ものではありません。『引く』ものです」
「わかってます。でも、押さなきゃ引けないでしょ?」
「それは『理屈』と言うものであって、『理論』ではありません」
「そんな小難しいことを考えながら、刀が振れますか」
「そうするのが、武士と言うものです。それができないから、姫様は刀を持つ必要がないんじゃないですか?」
「そんなの、やってみなきゃわかんないでしょ?」
「だったら、先ずは清四郎殿を相手に、一勝なさいませ」
「えぇ?!」
ほら、やっぱりとばっちりが飛んで来る
そう言いたげに利三は目を剥く
無理矢理光秀に木刀を持たされ、無理矢理帰蝶と向かい合わせに立たされる
「お清、尋常に勝負ッ」
「あ、あの、姫様・・・」
「とぉぉーッ!」
気合の入った顔をして、木刀を振り翳して突進して来る帰蝶に、心底逃げたくなった
適当にやられれば帰蝶も満足してやめてくれるだろう
そう想っていたが、無意識に落ちて来る木刀を受け止めてしまった
「あ・・・」
自分のやったことなのに、自分が一番信じられない顔をする
「まぐれだッ!」
「えぇっ?!」
帰蝶は透かさず木刀を振った
それを辛うじて受け止めながら、利三の足が後退る
帰蝶と利三の間で生まれる木のぶつかり合う音を、光秀は腕を組んでじっと見ていた
「清四郎殿、本気を出しなさいッ!」
「で、でも・・・」
光秀の叱咤を素直に受けるわけには行かない
誰よりも側に居た
誰よりも長く、帰蝶の側に居た
その気性は、いやと言うほど熟知している
悲しいほど負けず嫌いなところも、苦しいほどひたむきなところも、切ないほど一途なところも知っている
「ひ、姫様・・・ッ」
帰蝶の剣筋を受け止めながらも、やがて帰蝶の木刀が利三の木刀を絡め取り、空高く舞い上がった
「もらったッ!」
「 ッ」
自分の顔面目掛けて、帰蝶の振った木刀が飛び込んで来る
利三は咄嗟に身を屈め、地面を抉るように屈み込み、それから、突き出すように帰蝶の懐で躰を伸ばし、握った拳が帰蝶の鳩尾に入った
「 ッ」
「あ・・・・・・・・・」
想わず本気になってしまった
利三の拳をまともに急所に食らい、帰蝶は間髪なく気を失う
「お見事」
「 」
崩れる帰蝶を腕で受けながら、今にも泣きたそうな顔を光秀に向ける
「白州を借ります・・・」
「いや、腹は切らなくて良いから・・・」
そんな光景を、物陰から光安がじっと見守っていた
飛び出したくても、じっと我慢している
そう言う顔に見える辺り、心境はまるで父親のようだ
実際自分の娘よりも年下なのだから、父親としてもおかしくない年齢差だろう
光秀が帰蝶を抱きかかえて運ぶのを、黙って見送った
「まぁ、まぁ、まぁ・・・。帰蝶!」
帰蝶の変わり果てた姿にしきは気が遠くなり、熙子が慌てて床を敷く
「姫様は、ご自分が女であることをきちんと理解して、しかしどこかで否定している」
お能の淹れた茶を啜りながら、光秀は利三と二人で縁側に腰掛けた
「否定・・・?」
「言うなれば、姫様は荒馬と同じです」
「荒馬・・・ですか」
言いえて妙だと、利三は納得した
「誰かが正しく御せば、姫様も正しい道を歩ける。私は、そなたが適任者だと想っていたのですが」
「わっ、私ですかッ?!」
利三は慌てて首と手を振る
「私はいつも、姫様にはいいようにあしらわれていて、とてもそんな重要な役目など負えません」
「力尽くで言うことを聞かせるだけが、御する方法ではありませんよ?そなたは自分を『あしらわれている』と表現しますが、私から見ればとても上手く姫様を『いなして』おられる」
「いなす・・・」
「姫様の荒ぶる感情を、上手に受け流しておいでです。そなた達が夫婦になれば、斎藤家の将来も明るいでしょうに。織田に嫁ぐとは、全くもって残念な話です」
「本当に」
「は?」
ポツリと応える利三に、光秀は想わず聞き返す
「いえ、なんでもありません」
慌てて否定し、夏の空を見上げた
雲は近く
だが、手の届く場所にはない
まるで自分と帰蝶との距離のように想えた
あれから帰蝶も利三を敬遠するかと想われたが
「行くぞ、お清」
全く遺恨にも感じていないのか、いつもと変わらない生活を送る
「はい、姫様」
今日も利三を引き連れて、明智の山の散歩に出掛けた
山々をせせらぎ、蝉時雨の音も近い
山はどこも同じなのに、井ノ口と可児は全く違う様相を見せた
物心が付く前には側に利三が居て、帰蝶が居て、それを『幼馴染み』と呼び、何の疑問もなく共に過ごし、共に遊び、共に育った
利三が戦に出るようになって、帰蝶の嫁入り先が決まって、其々距離を置いてもおかしくない、それでも、今日も共に山を歩く
「お前を連れて行けたら良いのに」
小さく呟く帰蝶に、利三も小さく応える
「嫌ですよ」
即座に断る利三に、帰蝶は少し目を吊り上げさせる
「どうせ姫様達夫婦喧嘩の、仲裁とかに使われるのが関の山です。命がいくつあっても足りません」
「失敬だな」
「 」
本意など、話せない
聞けない
言い出せない
交わす言葉が途切れたまま、二人はただ山を歩き続けた
父・斎藤伊豆守利賢には
「相手は一国の姫君。それなりの接し方をしろ」
と注意されても、
「お清、早く!」
と呼ばれては、帰蝶の許に馳せ参じるしかなく、『身分』と『立場』の間で清四郎は翻弄された
この年、義兄・義龍に待望の嫡男が生まれた
同時に帰蝶は、道三に呼ばれる
「
父の言っていることが理解できず、帰蝶はしばし呆然とした
「お前もそれなりの礼儀を身に付ける時が来たのだ。これよりしばらく、明智の家で世話になれ。そこで嫁入りの何たるかを学んで来い」
「
承服しかねる顔をし、それでも、震える首を縦に振るしかなかった
いかな帰蝶とて、親の命令に背くことはできない
そう言う時代だった
春先に織田の偵察部隊を見掛けてそれ以来、帰蝶の読みどおり織田との戦闘は起きなかったが、織田と同盟を組んでいた朝倉孝景が病没し、道三は一気に反撃に出た
信秀に奪われていた大垣城の奪回戦には、清四郎も初陣として参加した
後ろ盾でもあった朝倉氏の撤退により、織田は美濃に孤立し、尾張に引き返した後のこと
道三に、信秀から書状が届いた
いつもなら、散歩に飽きたら直ぐに帰ると言い出す帰蝶が、今日に限っていつまでも歩き続ける
「姫様?どこまで行くんですか?そろそろ日が落ちます。帰りませんか?」
戦に出るようになっても、『清四郎』から『利三』に名が変わっても、相変わらず帰蝶のお守をさせられていた
「姫様」
夕暮れが迫る
織田が美濃から撤退したと言っても、安全は保証されていない
「また、叱られますよ?」
「お清が?」
いつも帰蝶の我侭に付き合って、道三から怒鳴られているのは、確かに利三だった
「別に私は良いんですけどね、私は」
少し嫌味っぽく
それで帰蝶が笑って振り返るかと想ったが、相変わらず背中を向けたまま山を歩く
「姫様」
利三は慌てて追い駆け、その後ろに付いた
「帰りましょう」
「もう少し」
「帰りましょうったら」
「帰らないッ!」
粘り付くような利三の口調に、帰蝶は声を張り上げる
「姫様・・・」
帰蝶の豹変振りに、大抵は馴れている利三もさすがに目を剥く
「
「
立ち止まり、俯く帰蝶の背中が見えた
「姫様?」
その肩に、そっと手を差し伸べた瞬間
「明日から、明智の城に行くの・・・」
「え・・・・・・・・・?」
触れる寸前で、利三の手が止まった
裳着の儀式はとっくの昔に済ませている
いつでも嫁入りができる状態だった
それでも、土岐家との争いに織田が横槍を入れ、帰蝶の縁談は一向に持ち上がらなかった
それが急に、明智の家に行くことになったと聞かされ、利三も動転する
さっきまで安堵していた気持ちが、粉々に砕け散った
このまま
帰蝶が誰の許にも嫁がず
ずっと、このまま、ふたりで居られたら
それも夢ではないかも知れない
ありもしない
だが、あり得るかも知れない
そんな想いが、砕け散った
「あ・・・」
声が掠れて、上手く出て来ない
「明智の家に、嫁に行かれるのですか・・・?」
帰蝶の母は、明智から嫁に来ている
それの入れ替わりで、生まれた娘を嫁ぎ先からもらうことも、この頃では当たり前の風習だった
特に道三は、明智家との関係も良好だ
お気に入りでもある光秀に、自分の娘を嫁がせたがっていたのは斎藤家の人間なら誰もが知るところで、だが、肝心の年頃の娘が道三側に居なかったのと、光秀は十代の頃に既に最初の結婚をしていたため、叶わなかった
その妻と死別してから数年が経っていたが、やはり帰蝶はまだ嫁に行ける年齢ではなかったことと、同じ東美濃同士と言うこともあり、遠山一族と婚姻関係にあった方が今後のためにもなると話し合いで決まり、妻木の娘を後嫁としてもらうことになる
「明智に・・・」
十一の帰蝶が嫁に行くには、丁度良い年齢だった
「
ぽつりと呟き応える帰蝶に、利三は一瞬ほっとする
「修行・・・ですか」
それは将来のためなのだろうと、高を括った
だが、一縷の望みのようなそんな想いも、見事砕かれる
「織田に」
それを、『落胆』と呼べば良いのか、『絶望』と呼べば良いのか、利三にはわからなかった
ただ
「織田に、嫁ぐことになったの・・・」
「
一瞬にして、目の前が暗くなる
それだけは、わかった
「織田・・・に・・・?」
昨日まで争っていた相手の許に嫁ぐと言う
それを政略結婚と呼ぶ以外に、手段はあるだろうか
いや
どの家も、政略結婚で成り立っている
何かを得るには、何かを差し出さなくてはならない
つまりは、等価交換
帰蝶にはそれだけの価値がある
愛娘を嫁に出す代わりに道三は、信秀の力量と尾張を手に入れようとしていた
利三にも簡単に割り出せる
「いつ・・・ですか」
それを聞いて、どうしようと言うのか
利三自身、わからない
無意識に出た言葉だった
「来年。春」
「春・・・・・・・・・・」
春になったら、帰蝶は嫁に行き
春になったら、帰蝶と別れることになり
もう二度と、逢えないかも知れない
「そう・・・ですか」
声の震えが止まらなかった
「良かったですね・・・。姫様にも、縁談の話があって・・・」
「どう言う意味だ」
「だって、ほら・・・」
「私みたいな色気のない跳ねっ返りを、嫁にもらってくれる男など居ないと言いたいのか?」
「だって、ねぇ・・・」
「莫迦にするな」
離れていた帰蝶が、ぐっと自分の近くに寄る
そして、真っ直ぐ自分を見詰めた
「口付けの仕方だって、知ってる」
それから
「
利三に、自分の口唇を重ねる
帰蝶の行動に、利三は目を丸くして成り行きを見守った
柔らかく暖かい感触が伝わる
しばらくしてから帰蝶の口唇が離れ、再びその愛らしい顔が視界に入った
「あ・・・、あの・・・」
言葉が見付からない
「これが、お前との最後の散歩と言うわけだ」
「
「だから、心行くまでお前と歩きたい」
「そう・・・でしたか・・・」
「それとも、このまま野合でも洒落込むか?」
「えっ?!」
『野合』とは、一般的には内縁関係の夫婦のことを指すが、正しくは『結婚前の男女が性的関係を持つ』ことであり、決して『屋外での性交渉』のことではない
帰蝶の大胆な発言に、利三の心臓は破裂寸前にまで高鳴る
「冗談だ」
「姫様・・・」
期待させておいて、その直後にガッカリさせるのは帰蝶の十八番であった
それも馴れたものではあっても、この場合には相応しくない
気落ちする利三に、何を想ったか帰蝶はその腰に腕を回し抱き付いて来た
「姫様」
また何かの冗談かと、突き放そうとする
その利三に、帰蝶は胸の中で呟いた
「今から私が言うことは、ただの戯言だ。聞き流せ」
「姫様・・・?」
キョトンとする利三に、帰蝶は告げた
「お前と、夫婦になりたかった・・・・・・・」
「
利三は、丸くした目を更に丸くする
応えられない
私もです・・・とは
「躰を繋げてしまえば、私が処女ではないことを知られてしまう。それだと、斎藤の風紀が悪いと織田に付け込まれる。お前を最初の男にはできないけれど、初めて口付けた男にはなれる」
「姫様・・・」
こんな時でも、後先考えずに発言できる帰蝶の大胆さには恐れ入った
「お戯れを・・・」
苦笑いするしかできない
「嘘だと想ってるのか?」
「私なんかじゃ・・・」
煮え切らない利三に、帰蝶は詠う
「かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」
「
「
じっと、利三の顔を見詰める
それでも利三は、応えてくれなかった
この歌の意味を知らないほど、無教養ではないはずなのに
「お清・・・」
「私は、無理です」
小さな、小さな答え
それ以上言えば帰蝶を傷付け、黙っていれば自分が傷付く
「それでも」
気丈な帰蝶の瞳が濡れた
「しただろう?」
「さっきのは、姫様の方から
「鵜飼小屋で」
「え・・・」
心臓が止まるかと想った
「私に口付けただろう?」
「知って・・・・・・・・・・」
「あのまま、抱いてくれたら良かったのに・・・」
「姫様・・・・・」
「それとも、まだ月経も来ていない、女でもない私を抱くのは、躊躇われたか?」
「そうじゃ・・・ッ」
喉が詰まって仕方ない
「そうじゃありません・・・。あなたは大事な人だから・・・。斎藤の姫君だから・・・。私なんかが・・・」
「どうしてそう想う」
「身分が違います・・・ッ」
息が止まりそうな感覚になり、言葉を発するのも苦しい
「どうして」
「私は、斎藤に仕える身です・・・。姫様は、雲の上の人で・・・」
「どうして」
漸く気付く
帰蝶の瞳が潤んでいることを
「
「
ほろりと、帰蝶の目尻から涙が零れた
「そんなもの、なくなってしまえば良いのに・・・」
「そうしたら、武家の意味がなくなります」
「お清・・・」
「私達の存在意義も、なくなります」
「なくなっても良い」
「姫様」
「それで、お清と手を繋げるのなら、私は平民になったって良い」
「姫様・・・ッ」
「姫様などと呼ぶなッ!」
「仕方ないでしょう?!あなたは姫君なのだからッ!」
怒鳴る帰蝶に、利三も応戦する
「生まれたくて生まれたんじゃないッ!」
「生まれてなければ、こうして顔を合わせることもなかったんですよッ?!」
「それでも、どこかで逢えたかも知れないッ!」
「逢えなかったかも知れないッ!」
「でもこうして、一緒に居れる・・・」
「姫様・・・」
急に勢いの削げた帰蝶に、利三も漸く怒鳴るのをやめた
愛してる
私もです
そう言い合えない間だからこそ、互いを想う気持ちは誰よりも強い
「一緒に居たいと願うことも、許されないのか・・・?」
「あなたが女で、私が男でなければ」
それも、可能だったかも知れない
「そうか・・・」
力なく項垂れ、それから、顔を利三に向け、その口唇を差し出した
「
帰蝶の手が、再び利三の腰を掴む
ゆっくりと風に乗るように、二人の口唇が重なった
背の高さは、若干利三の方が高いくらいだろうか
抱き付けば帰蝶の顔は利三の肩口に届く
それは帰蝶の背が高いのか、利三の背が低いのかは比べようがない
少し顔を離し、帰蝶が囁いた
「背中」
「え?」
「抱いて」
「ええ?」
「私一人がこうしていたら、まるで莫迦みたいだ」
「そんな・・・」
少し躊躇いながら、帰蝶の背中に手を回す
暖かい温もりが全身に広がる
ほっとした顔をして、帰蝶は自分から利三に口付けた
利三も手に力を付け、強く帰蝶を抱く
触れ合う口唇から互いの体温が伝わり、心がとろけた
やがて、繋いだ口唇の間で、二人の舌が縺れ合う
言葉にならない今生の別れを惜しむかのように
翌日、帰蝶は明智城に向けて出発した
織田への花嫁修業なのだから、連れて行く者も少人数だった
何故かその中に、自分も居る
利三はポカンとして、帰蝶を乗せた籠に付き添う
そんな気がして仕方がなかった
「間違ってはおらんぞ」
「はぁ?」
「『稲葉山での最後の散歩』だ」
「そうとも言えますね」
口の減らない帰蝶には、ただ感心させられる
「姫様。あちらに着きましたら、先ずは大方様にご挨拶ですよ?」
「わかってます」
隣で侍女のお能が帰蝶に忠言する
『大方様』とは、城の中で最高位に付く女性のことで、明智城では光秀の叔父・明智光安の妻を差す
光安妻・しきも、元は利三と同じ斎藤の一族の出である
帰蝶が明智で虐めに遭わないよう、しきの縁者である利三が付き添いに選ばれた
その昔、源氏の一族が美濃の土岐郷に移り住み、土岐家が生まれた
しかし、時が流れると共に斎藤家に侵蝕され衰退して行った
その土岐家を救ったのが帰蝶の祖父、そして道三の親子二代だったが、まさか自分達が飲み込まれるとは想像していなかったのだろう
土岐家を衰退に追い込んだ斎藤家が、長井を食らった親子に飲まれ、斎藤を飲んだ道三に今度は土岐家も追い遣られていた
常人には到底できそうにもないことを、平気でやってのける
だからこそ道三には人を惹き付ける力があるし、逆に畏怖の対象でもあり得た
そんな道三の娘として生を受けた帰蝶にもまた、人を惹き付けて止まない魅力がある
自分もそれにやられたのかも知れない
利三はそんな気がした
「西の姫、よく来た」
明智城城主・明智光安は、若いながらに外交手腕の優れた人物で、幼い妹、那々姫を道三の妻に送ることを提案した人物である
早くに父を亡くした光秀の後見であり、父親代わりもやっていた
その叔父は時々自分をそう、『西の姫』と呼ぶ
長山城から見て稲葉山城は西にあるから、そう呼ぶのだろうかと帰蝶は単純に想っていた
「叔父様、ご厄介になります」
まるで愛しい者でも見詰めるかのような、優しい笑顔で帰蝶を包み込む
「堅い挨拶は抜きだ。早く上がれ。妻木の方が、首を長くして待っておるぞ」
「でも、先ずは叔母様にご挨拶をしてからでないと・・・」
そうお能から言われているため、素直に叔父の言葉が受けられない
「ははは、気にするな。お前が妻木の方を慕っているのは室も知っている。気兼ねなく、生まれた十兵衛の娘の顔でも見てやってくれ」
「はい」
「おお、清四郎」
「ご無沙汰しております」
「お前には、しきが待ちくたびれておる」
「また、お説教でしょうか・・・」
しきは系譜上、利三の叔母に当たる
顔を合わせば縁談の話やら、斎藤家の男としての生き方、武士としてのあり方などを、懇々と説く
「どうだろうな」
光安は笑いながら応える
気の重い顔付きで、利三は屋敷に入った
その二人を、いや、帰蝶の背中をじっと見送る
それは並々ならぬ想いを秘めていた
久し振りの熙子、その娘との対面、局処主人のしきへの挨拶、それから、光秀との雑談
明智城に来ても、帰蝶のやることは同じだった
「先ずは、琴の演奏から」
指先に爪を嵌められ、弾いたこともない琴を弾かされる
当然、弦が読めず出鱈目に弾く
「おやめ、帰蝶」
「はい、叔母様」
「お前、琴を弾いたことはないのかい?」
「弓を引いたことならあります」
「帰蝶!」
光安は母の兄に当たり、その妻のしきも帰蝶にとっては外縁の叔母になる
「次は、生け花です。帰蝶、生けてご覧なさい」
「はい、叔母様」
花など鉢に植えたこともない帰蝶に、生け花の何たるかなどわかるはずがない
出鱈目に剣山に差し込んでいき、まるで爆発した裏山のような様相になった
「おやめ、帰蝶」
「はい、叔母様」
「帰蝶、花を生けたことはないのかい?」
「摘んだことなら、多々あります」
「那々様は、何を教えていたのやら・・・」
「自由奔放が、斎藤家の家風ですから」
「帰蝶!」
いけしゃあしゃあと応える帰蝶に、しきの雷が落ちた
琴も駄目、華道も駄目
茶の湯で薄茶を点てさせれば、掴んだ茶器が砕け散る
詩吟をやらせれば、いつの間にやら猿田楽になる
仕舞いには
「八卦よい」
と、利三相手に相撲の稽古にまで発展し、しきを激怒させた
「帰蝶ーッ!」
「逃げるぞ、お清!」
「え?!」
巻き込まれ、利三は帰蝶に手を引かれ明智城を脱出した
帰蝶の出て行った後の部屋は、乱闘騒ぎでもあったのかと疑いたくなるほどひっちゃかめっちゃかに、襖は外れ、障子は穴だらけになっている
何故か壁に薙刀が突き刺さっている光景に、光秀は頭から汗を浮かばせ呆然と佇む
「何があったんですか・・・」
「帰蝶は、粗野過ぎます。女としての修行をたった数ヶ月で行なえとは、無謀と言うより、無理です」
義姉の嘆きに、光秀は苦笑いする
「彼女は、間違って女に生まれてしまったのです。本来なら、男として生を受けていたかも知れない。あの言動を見ていれば、武士なら一度は想いますよ」
「なんて?」
聞き返すしきに、光秀は目を向け応えた
「『惜しい』・・・と」
「
「姫様!待ってください!」
所変われど、品、変わらず
可児に居ても、利三は帰蝶を追い駆ける生活を送っていた
毎日城から脱走し、毎日しきに怒鳴られ、毎日逃げ回る
光秀夫妻が帰蝶を庇ってくれるお陰で、井ノ口の父にまでは届かないが、女としての修行の積めないまま、無駄に月日だけが経つ
叔父の光安も表立っては何も言わないが、陰で自分を庇うため、妻のしきに取り成してくれていることも知っていた
「あははははは。今日の叔母上は、一段と激しかったな」
大笑いする帰蝶に、利三は呆れ返る
「当たり前でしょう?琴を真っ二つに割る女なんて、そうそう居ませんよ?」
しきの指導に苛々した帰蝶は、刀を持ち出し琴を真っ二つに割った
それで、逃げて来たのだ
「琴が弾けたから、何だと言うのだ。それで飯が食えるのか?金が入るのか?私は大道芸人を目指してるわけではないぞ?」
「それでも、琴、茶道、華道は、女が最低限身に着けなくてはならない作法です。織田に行って、恥を掻くのは姫様だけでなく、斎藤も道連れになるんですよ?」
「そんな面倒なもの、毎日するわけでもなかろう?急場凌ぎで習ったからと言って、所詮付け焼刃でしかない。精々、織田の舅姑夫に嫌われないよう、可愛い女を演じればいいだけのことだ」
「姫様・・・」
「私の花嫁修業は、天下三不如意の一つだな」
「え?」
「どうにもならないってことだ」
「
光秀の言うとおり、帰蝶は間違えて生まれて来たのかも知れない
確かに成長するにつれ女らしくはなっているが、それはあくまで外見上の話であって、中身は荒ぶる魂を必死で押え付けているようにも見える
男に生まれていたら、誰よりも先頭に立って戦場を駆け抜けているのではないか
そんな気がして仕方なかった
ふざけたことをするかと想えば、急に難しい話をする
花や茶を嗜むよりも、弓や刀を振り回す方を好む
細い躰に似合わず力も使い方が上手く、格上の男を相手にしても簡単に投げ飛ばす
間違いなく、帰蝶は本来男に生まれて来るべき存在だったのだろう
そう想うのも仕方がなかった
今日は今日とて中庭で、光秀相手に木刀を振り回す
袴姿の帰蝶も、中々様になっていた
「姫様、姫様、お願いですからやめて下さい・・・」
帰蝶にもしものことがあればまた、その災難が自分に及ぶ
利三は青い顔をして止めた
「邪魔だ、お清」
そう言って、光秀に向けていた木刀の先を利三に向ける
「ひぃ・・・っ」
「行きますッ!」
その木刀を肩に担いだまま、帰蝶は光秀に突進した
「姫様ぁぁぁーッ」
見ていられず、想わず顔を手で覆う利三
帰蝶が振り下ろした木刀は、光秀の持つ木刀に簡単にいなされる
「あっ」
よろけた帰蝶の背中に、光秀の木刀の先が『ちょん』と当った
「もう・・・ッ」
悔しそうに地面を踏み付ける
「姫様。刀は『押す』ものではありません。『引く』ものです」
「わかってます。でも、押さなきゃ引けないでしょ?」
「それは『理屈』と言うものであって、『理論』ではありません」
「そんな小難しいことを考えながら、刀が振れますか」
「そうするのが、武士と言うものです。それができないから、姫様は刀を持つ必要がないんじゃないですか?」
「そんなの、やってみなきゃわかんないでしょ?」
「だったら、先ずは清四郎殿を相手に、一勝なさいませ」
「えぇ?!」
ほら、やっぱりとばっちりが飛んで来る
そう言いたげに利三は目を剥く
無理矢理光秀に木刀を持たされ、無理矢理帰蝶と向かい合わせに立たされる
「お清、尋常に勝負ッ」
「あ、あの、姫様・・・」
「とぉぉーッ!」
気合の入った顔をして、木刀を振り翳して突進して来る帰蝶に、心底逃げたくなった
適当にやられれば帰蝶も満足してやめてくれるだろう
そう想っていたが、無意識に落ちて来る木刀を受け止めてしまった
「あ・・・」
自分のやったことなのに、自分が一番信じられない顔をする
「まぐれだッ!」
「えぇっ?!」
帰蝶は透かさず木刀を振った
それを辛うじて受け止めながら、利三の足が後退る
帰蝶と利三の間で生まれる木のぶつかり合う音を、光秀は腕を組んでじっと見ていた
「清四郎殿、本気を出しなさいッ!」
「で、でも・・・」
光秀の叱咤を素直に受けるわけには行かない
誰よりも側に居た
誰よりも長く、帰蝶の側に居た
その気性は、いやと言うほど熟知している
悲しいほど負けず嫌いなところも、苦しいほどひたむきなところも、切ないほど一途なところも知っている
「ひ、姫様・・・ッ」
帰蝶の剣筋を受け止めながらも、やがて帰蝶の木刀が利三の木刀を絡め取り、空高く舞い上がった
「もらったッ!」
「
自分の顔面目掛けて、帰蝶の振った木刀が飛び込んで来る
利三は咄嗟に身を屈め、地面を抉るように屈み込み、それから、突き出すように帰蝶の懐で躰を伸ばし、握った拳が帰蝶の鳩尾に入った
「
「あ・・・・・・・・・」
想わず本気になってしまった
利三の拳をまともに急所に食らい、帰蝶は間髪なく気を失う
「お見事」
「
崩れる帰蝶を腕で受けながら、今にも泣きたそうな顔を光秀に向ける
「白州を借ります・・・」
「いや、腹は切らなくて良いから・・・」
そんな光景を、物陰から光安がじっと見守っていた
飛び出したくても、じっと我慢している
そう言う顔に見える辺り、心境はまるで父親のようだ
実際自分の娘よりも年下なのだから、父親としてもおかしくない年齢差だろう
光秀が帰蝶を抱きかかえて運ぶのを、黙って見送った
「まぁ、まぁ、まぁ・・・。帰蝶!」
帰蝶の変わり果てた姿にしきは気が遠くなり、熙子が慌てて床を敷く
「姫様は、ご自分が女であることをきちんと理解して、しかしどこかで否定している」
お能の淹れた茶を啜りながら、光秀は利三と二人で縁側に腰掛けた
「否定・・・?」
「言うなれば、姫様は荒馬と同じです」
「荒馬・・・ですか」
言いえて妙だと、利三は納得した
「誰かが正しく御せば、姫様も正しい道を歩ける。私は、そなたが適任者だと想っていたのですが」
「わっ、私ですかッ?!」
利三は慌てて首と手を振る
「私はいつも、姫様にはいいようにあしらわれていて、とてもそんな重要な役目など負えません」
「力尽くで言うことを聞かせるだけが、御する方法ではありませんよ?そなたは自分を『あしらわれている』と表現しますが、私から見ればとても上手く姫様を『いなして』おられる」
「いなす・・・」
「姫様の荒ぶる感情を、上手に受け流しておいでです。そなた達が夫婦になれば、斎藤家の将来も明るいでしょうに。織田に嫁ぐとは、全くもって残念な話です」
「本当に」
「は?」
ポツリと応える利三に、光秀は想わず聞き返す
「いえ、なんでもありません」
慌てて否定し、夏の空を見上げた
雲は近く
だが、手の届く場所にはない
まるで自分と帰蝶との距離のように想えた
あれから帰蝶も利三を敬遠するかと想われたが
「行くぞ、お清」
全く遺恨にも感じていないのか、いつもと変わらない生活を送る
「はい、姫様」
今日も利三を引き連れて、明智の山の散歩に出掛けた
山々をせせらぎ、蝉時雨の音も近い
山はどこも同じなのに、井ノ口と可児は全く違う様相を見せた
物心が付く前には側に利三が居て、帰蝶が居て、それを『幼馴染み』と呼び、何の疑問もなく共に過ごし、共に遊び、共に育った
利三が戦に出るようになって、帰蝶の嫁入り先が決まって、其々距離を置いてもおかしくない、それでも、今日も共に山を歩く
「お前を連れて行けたら良いのに」
小さく呟く帰蝶に、利三も小さく応える
「嫌ですよ」
即座に断る利三に、帰蝶は少し目を吊り上げさせる
「どうせ姫様達夫婦喧嘩の、仲裁とかに使われるのが関の山です。命がいくつあっても足りません」
「失敬だな」
「
本意など、話せない
聞けない
言い出せない
交わす言葉が途切れたまま、二人はただ山を歩き続けた
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濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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更新のお知らせ
(02/20)
(10/16)
(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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『トモダチコレクション』
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

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夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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