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四つの季節の中で、信長と帰蝶は春が好きだった
身の裂ける冷たい風に耐え、待ちわびた柔らかな日差しは凍えた躰を優しく包み、暖め、心を解してくれる
土筆や薇が芽を出し、奉納相撲があり、帰蝶が信長の許に嫁いだ季節でもあり、花が咲き乱れる春、帰命の臍の緒が取れた
その春が過ぎ、夏がやって来た
夏は海の幸が最も美味しく感じる季節でもあり、二人でよく伊勢湾にまで出向き、漁師の仕事を手伝っては獲れたての魚をもらって帰った
蝶が目覚めの時を迎え、空を目まぐるしく飛び交う季節が終わりの時を迎える
秋が近付く
信長と帰蝶、二人が愛した季節が一つ、過ぎて行く
「権六」
末森城の本丸廊下、信勝が勝家を呼び止めた
側には同腹としての末妹、市が居る
「何でしょう、若」
「市が退屈なんだそうだ。相手をしてやってくれないか」
「構いませんが、若はどちらかにお出掛けでも?」
「いいや。いつまでも妹の面倒ばかり見ていられないからな、少しは自由になりたい」
「ははは、若は市姫様の面倒をよく見ておられますからね、たまにはお一人でのんびりされるのも良い骨休めになりましょう。権六でよろしければ、市姫様、お預かりいたします」
「すまないな、権六」
「いいえ、お安い御用でございます」
信勝は市の手を離し、勝家の方へ背中を押した
市は不安そうな顔をして兄に振り返りながら、無理矢理勝家のところへ歩かされる
「兄様・・・」
「じゃあ、権六、頼んだ」
信勝は市に気遣いも見せず、さっさとその場を立ち去る
「はっ」
勝家は市の手を取り、頭を下げた
「 権・・・」
残された市は、不安げな顔を元には戻せず呟く
「また、戦が起きるの?」
「は?」
「兄様は、今度は誰と戦うの?また、吉法師兄様と戦うの?」
「お市様・・・」
「姫様、そのようなことを言っては」
側に残った侍女が、慌てて市を止めようとした
市は知らない
長兄・信長はもう、この世の人ではないことを
信勝も
母の市弥ですら、知らない
信長が死んだことを
「権、勘十郎兄様を止めることはできないの?」
「それは 」
「市、知ってるの。兄様は、吉法師兄様のお嫁さんを手に入れようとしてるんだって。それで、吉法師兄様を蹴落として、尾張を手に入れて、それから、美濃を攻めるんだって」
「え?」
勝家は目を見開いた
ポカンとする勝家を押すように、侍女が叫ぶ
「姫様!そのようなおいたを、仰ってはなりません!」
「だって、母様と兄様がそう話し合ってたの、市、聞いたんだものっ」
「お市様、この権にその話、詳しくお聞かせ下さいませ!」
勝家は市の両肩を掴んで迫った
信勝が帰蝶を狙っていることは、帰命が生まれた後に謁見した際、その帰りになつからそっと聞かされていた
これに関しては特に驚くことでもないが、帰蝶を手に入れ尾張だけではなく美濃にまで手を延ばすと言う話は聞いたことがない
「勘十郎兄様は、吉法師兄様を殺して、吉法師兄様のお嫁さんを自分のお嫁さんにして、尾張を手に入れるって。それで、岩倉と同盟を組んで、美濃を攻めるって。美濃を攻めても、美濃のお姫様の帰蝶様が奥さんだったら、美濃の誰も逆らわないって、勘十郎兄様、そう言ってたの」
「 」
それが本当だとしたら、あの、長良川での斎藤家の争いに便乗し岩倉と組んで結果、信長を死に至らしめた真の目的は、その妻・帰蝶を手に入れるためではないのか
勝家はそう考え、直接信勝に問い質そうと市を部下に任せ、信勝を探した
「若はどちらにおいでですか」
信勝の小姓を捕まえ、居場所を聞く
「若でしたら、只今表座敷にて軍議中でございますが?柴田様はご出席なされないので?」
「 ッ」
唯一、清洲で『信長に謁見した』と言う事実が、勝家を嘗ての佐久間信盛と同様、蚊帳の外に置かれるようになっていた
信勝は自分をも警戒し始めている
そう直感した
「軍議はいつ終わる」
それは誰もわからないことだと知りながらも、聞かずにはいられない心境だった
「さぁ・・・」
予想通りの返事に、業を煮やした勝家は足早に立ち去る
これを早く奥方様にお知らせせねば
だが、何をどう説明すれば良いのか、勝家にはわからない
大事になる前に信勝を説得し、『二度目の謀叛』を事前に止めなくてはならないと、それが胸を過る
兵力にあれだけの差がありながら、自分達を押し返した清洲の実力は嫌と言うほど想い知らされている
もしも再び反旗を翻せば、今度は家臣の首一つで済むはずがない
次は間違いなく元凶である信勝の首が落とされる
そう、想った
「ああ、空が高い・・・」
ほんのり涼しくなった風に暖かな日差しが混じり、局処の縁側で信長の小袖姿の帰蝶は腕を支えに後ろへ背中を傾け、空を見上げた
「そろそろ稲刈りの季節かしら」
「そうですね。早い物ですね、もうそんな時季になりますか」
側にはなつが帰命を抱いて座っていた
縁側の向う、部屋には龍之介が鎮座している
そこへ、側室の巴が駆けて来る
「上総介様、桔梗が咲いてました!」
「桔梗?」
「ほら」
まだ幼さの残る手に、一輪の桔梗が揺れていた
「まぁ、本当。桔梗は庭には植えてなかったのに」
「どこからか種が風に乗って飛んで来たんでしょうか」
「桔梗の種って細かいのよ?直ぐに土に根付いて、遠くまでは飛ばないわ。誰かの荷物にくっついて来たんじゃないかしら」
帰蝶は笑いながら言った
「 懐かしいな」
「え?」
巴から桔梗を受け取りながら、帰蝶は呟いた
「稲葉山の裏山にね、桔梗の群生畑があったのよ。私が小さい頃の織田との争いで燃えてなくなってしまったけど、風で飛ばされたのか、それとも兵の草鞋にくっついたのか、あちこちにぽつんぽつんと咲いててね、秋になればそれを見付けながら山を歩くのが好きだった。あっちに咲いてる、こっちに咲いてるって。それで城に帰るのが遅くなって、父上によく叱られたわ。私の帰りが遅くなる度に、三左は山狩りをさせられて、明智の従兄妹も私の捜索に駆り出されて」
「まぁ、そんなことが。奥方様のじゃじゃ馬ぶりは幼い頃から培われて来たものなのですね。そりゃ、どれだけ注意しても治らないはずですわ」
「うわ、藪蛇」
「あはははは」
帰蝶となつの遣り取りに、巴は大笑いした
そこへあやがやって来た
「奥方様、おなつ様、滝川殿がお戻りになられましたよ。なにやら急を要する用件があるとか」
が、生憎のんびりとしたあやが言うものだから、どうにも緊急性が感じられない
だが、それを余りある有能さが物語る
「本丸に戻った方が良い?それともここで待った方が良い?」
「若様もご一緒なので、本丸にお戻りになるのを待たれるより、出向いた方が早いですよと申しましたので、ここにいらっしゃいます」
と、あやは襖を大きく開けた
そこに一益が立っている
「あ、居た」
「はい、居ます」
「 間の抜けた会話だ」
龍之介は誰にも聞こえることなく、ぽつりと呟いた
以前より目を付けていた末森領の黒井川村でも、稲刈り作業が始まっていた
例年より実りが良く、村中総動員しても間に合わない
急いで刈り取ってしまわなくては、米が実り過ぎて売り物にならないからだ
そんなあせくせと動き回る村人を見て気の毒に感じたのか、見回りに来ていた一益は部下と共にそれの手伝いを申し出た
「わしらでよければ、手伝うが」
「そんな、滝川様、もったいない。お武家様に野良仕事などさせたら、罰が当たります」
「そう気にするな。特に用事もないのにちょくちょくわしらが現れていては、末森の見張りも何れは気付かれるだろう。その穴埋めだ」
と、一益は羽織を脱ぎ捨て、袴も脱いだ
小袖の裾を帯に引っ掛け、下帯だけになる
その一益に倣って、部下達も同じような恰好になった
「どこから刈れば良いかな?」
「あ・・・、では、隣の一反からお願いします」
「承知した」
不慣れな作業とは言え、確かにちょくちょく末森以外の侍が村に出入りしていれば何れは人の口に昇るだろうと、罪滅ぼしのための手伝いなので一益は一生懸命稲を刈る
部下の中には農家出身者も多数居るので、それに習いながら稲刈りを進めた
「お陰様で、予定通り刈り取ることができました。皆様、本当にありがとうございます。助かりました」
「いやいや。こちらこそ美味い握り飯を馳走になった。礼を言う」
「いえいえ、とんでもありません。それにしても、滝川様は何故、私達をこんなにも懇意になさってくださるのでしょうか。やはり、末森のお侍さんの件を証言させるために?」
その村の土豪である村長が聞く
「最初はそれもあったがな、今はどうだろう。ふ~む、そんな気も少し薄くなったかな。もう半年以上、この村に通い、馴染みの顔ができたからだろうか」
そこへ、村の子供達が駆け寄って来る
「滝川様!」
「鬼やんま、捕まえました!」
「おお、大したもんだな。鬼やんまは早くて捕まえにくいぞ?よく捕まえたものだ」
と、一益は見せびらかされる鬼やんまを見て破顔した
そんな一益らを村人達は其々の顔を見合わせて、小声で相談をし始めた
その村人の行動など気付かず、一益らは子供達と談笑を楽しむ
「滝川様、俺も侍になれますか?」
ふと、子供の内の一人が一益に聞いた
「侍になりたいのか?」
「うん!俺もおととやおかかや、みんなを守ってやりたい!」
「その志があれば、誰でも侍になれるぞ」
「本当に?やったー!俺、将来滝川様みたいな、かっこいい侍になれるかな?」
「わし、かっこいいか?」
「滝川様、川でよく溺れるぞ?」
部下の一人が冷やかす
「こら!余計なことを言うな!」
「あはははは!泳ぎなら、おいらが教えてやるよ、滝川様」
鬼やんまを捕まえていない、他の子供が言う
「そうか、お前が教えてくれるのか。そりゃ頼もしい師匠ができたな」
和やかな笑い声が起きる中、代表した村長が一益におずおずと進み出た
「 滝川様・・・」
「どうした、長殿」
「あの・・・。あの件ですが、わしらで良ければ、その・・・、お引き受けします・・・」
「え?」
「本当に?!」
末森が、正しくは勝家が岩倉を清洲に引き込んだその現場に居合わせたことを、証言してくれると言う
帰蝶もなつも、身を乗り出して一益に聞き返した
「あ、これ、お土産です」
と、そんな二人の前に麻袋を差し出す
「収穫したばかりの米です。長が奥方様にどうぞ、と」
「あ、ありがとう。 て、そうじゃなくて」
「 笑うとこですよね、ここ。笑うとこですよね?」
龍之介は恐る恐るなつに聞いた
「後で井戸端で笑いなさい」
「はい」
素直に引き下がる龍之介
「ただ、こちらに味方するとなれば、それ相応の仕打ちが末森から科されるはずです。村人全員、守れますか」
「守り切ってみせる」
きっぱりと即答する帰蝶に、一益は満足げな顔をした
「権六は、岩倉は清洲の援軍で、正しくは末森の要請で清洲の援軍に入ったと言ったわ。だけど実情はそうじゃなかった。これに関しては権六は無実ね」
表座敷で一益を筆頭に、秀隆、資房、可成の三人が集められた
他はまだ多忙に付き、戦軍議でもない会議には集められない
「それで、勘十郎様を呼び出して、詰問するんですか?」
秀隆が聞く
「そうしたいけど、何を理由でここに呼び出すか、よ。今まで散々、吉法師様への謁見を断って来たのよ?こっちの都合で急に呼び出したら、それこそ何を今更って警戒されるのがオチだわ」
「では、どうなさいますか。柴田殿に協力してもらいますか」
「それは駄目。できない」
「何故ですか」
「権六を巻き込んだら、それこそ一生の負い目を負わせてしまう。それじゃぁ今後、使いにくい存在になるのよ。そんなの林だけで充分だわ」
「 」
確かに、と、全員が黙り込む
「それでは閑話休題になってしまいます。奥方様、何をどうなさりたいのか、それだけも我々に話していただけませんか」
と、可成が帰蝶に食い下がる
「 今は、話せない・・・」
「奥方様!また、お一人で背負い込むおつもりですか!」
「これは私が一人で解決したいことなの!あなた達を巻き込むわけにはいかないの!お願い・・・。察して、三左・・・」
「奥方様・・・・・・・・・・」
帰蝶は何を考え、何を企み、何を実行しようとしているのか
誰も想像できない
だが、一人で事を成すつもりだと言うことだけは、わかった
一度目の謀叛に失敗した
頼りにしていた勝家は、どうやら兄『信長』と密かに逢うことに成功した様子である
兄と繋がったのではないかと疑うのは、仕方のないことだった
謀叛の先導者でもあった林新五郎秀貞は、一年前の戦で実弟を『信長』に殺され、今では尻込みの方が色濃くなっている
かと言って、謀叛を起こしてしまった以上、以前のようになんでもない顔をして『傅役』に戻るというのも無理な話であるが故に、清洲にも末森にも付けず、那古野で憂さを募らせている状態だった
そんな中で強行に二度目の謀叛を打ち立てるのは、自分でも勝ち目はないだろうと想わずには居られない
だが、何もせず手を拱いている余裕もなかった
兄に子ができたと言うことは、何れその子が成長すれば織田は本格的に兄の手に委ねられることになる
自分は何のために生まれて来たのか、その存在意義を知りたかった
兄は自分を必要としてくれているのか、否か
兄嫁・帰蝶の登場から、兄・信長とは随分疎遠になってしまっていた
いや
それは幼い頃から続いていたのかも知れない
兄も自分も、ただそれに気付かなかっただけで、本当はもっと昔から反発し合っていたのかも知れない
「兄上ー!」
「 法師、危ない!転ぶぞ!」
幼い頃の記憶が時々頭を掠め、それを打ち消すかのように想い浮かべる兄嫁
その横顔
涼しげな顔を崩そうとしない、兄の伴侶
それを奪えば、兄は立ち上がる足を失う
どうしてだろう、そう想えるのは
もしも自分がそうだったなら、きっと
それしか、考えられなかった
いつからだろう
心から渇望する物の存在が遠いと想える様になったのは
「若」
苛々した気持ちを抱えながら廊下を歩く信勝を、勝家が呼び止める
ゆっくりと振り返る信勝に、勝家は言った
「大事なお話がございます」
「 奇遇だな。私もだ」
「 」
「清洲の殿に対し、再び謀叛の旗立ては、真にございますか」
「誰に聞いた。市、か?」
「若。肝心なのは誰に聞いたかではなく、何をしようとしているのかでございます。清洲の殿に対する謀叛、考え直してくださいませ」
「謀叛?」
勝家の言葉に、信勝は涼しげな笑顔を浮かばせた
「誰が謀叛を起こすと言ったんだ?」
「若」
「これは、『逆賊退治』だ」
「若・・・!」
「兄上は美濃の遠山、伊勢の坂と同盟を組んだ。これは何を意味するかわかるか?権六」
「それは・・・・・・・・」
「西尾張は完全に兄の手に落ちた。それまで北畠に押され気味だった坂が、織田との同盟を機会に盛り返して来ているそうだな。増してや、荒尾までが加担していると言う。兄上は何れ、近畿にも手を伸ばすだろう。そして、尾張を斜めに走り恵那の遠山家とも手を組んだ。兄上は何れ、義姉上様の実家、斎藤にもその手を伸ばす。斎藤家は嘗て同盟を組んでいた相手ではないか。その相手にいつかは戦を仕掛けるおつもりだろう。その争いに織田を巻き込むつもりかも知れんな。舅の仇討ちと称して」
「若・・・・・・・・」
「兄上は、岩倉、犬山を放っておくと想うか?何れ血族でもある岩倉、犬山も落とすだろう。わかるか、権六。その先に末森があることを」
「 」
「私には末森を守らねばならん責務がある。何れは併呑されてしまうだろう末森を守るのが、いけないことだろうか」
「何故、殿が末森を飲み込むとお考えになられるのですか。 ご兄弟ではありませんか・・・」
「兄弟だからこそ、わかるんだよ。兄上の考えが」
「若・・・」
あなたが戦を仕掛けようとなさっている相手は、その義姉上様でございますぞ
そう言いたい言葉を、勝家は飲み込んだ
「 勝てますか」
「どうだろうな。兄上には一度退かされているからな、今度は慎重に行かねばならんだろう」
「若、どうか今一度お考え直しを。清洲の殿と和解してくださいますよう、お願い致します」
「兄上に頭を下げろと?この私に?」
「そうではございません。何もしなければ、何もされない。清洲の殿は、自分から仕掛けるつもりは全く考えておられません」
「それは、兄上から直接聞いたのか?」
「若・・・・・・・・ッ」
「兄上はどのようなご様子だった。逢ったのだろう?兄上に。私に内緒で」
「 」
「権六」
黙り込む勝家に、尚も話し掛ける
「良いことを教えてやろう。なんの接点もない我ら兄弟が、唯一同じ思想を持っていることを」
「 なんでございましょうか・・・」
「『やられる前にやれ』。皮肉だが、これだけは兄上も私も全く同意見だ」
「 」
勝家の目が見開かれる
どうあっても清洲への謀叛をやめるつもりはないと、信勝の目が語っていた
何とかして、奥方様から勘十郎様を説得いただかなくては・・・!
勝家はその一心で、再び帰蝶への謁見を申し出た
「そう」
「あの・・・・・・・・」
自分が想っていたより、帰蝶の感情が薄い
いや
無表情だった
ついこの間まで、あの、感情豊かに笑っていた帰蝶とは同一人物には想えないほどに、その容姿(かお)は涼やかだった
「態々ありがとう。それを伝えに来てくれたのね」
「いえ・・・。あの・・・、若への処遇は・・・」
「それは」
「若も若年が故の早計、お慈悲を頂ければこの権六、奥方様にお逢いできた甲斐があったと言うものでございます。どうか、若のお考えを改めさせていただけますよう、お取り計らいくださいませ」
勝家は深々と頭を下げた
「権六は、義理堅い男なのね。安心したわ」
「奥方様、それでは 」
帰蝶の言葉に、頭を上げる
「権六。償いって、どうすれば相手の気が済むか、知ってる?」
「それは・・・・・・・・」
「殺した人を生き返らせない限り、憎しみも悲しみも、決して消えることはないのよ」
「 」
背筋に冷たい物が走った
余りにも、帰蝶の微笑みが美し過ぎるからだ
この場には相応しくないほどに、帰蝶の微笑みは美しかった
それが寧ろ恐ろしいと感じさせられるくらいに
「帰命に逢って行く?もうすっかり寝返りもできるようになったのよ?みんなのお陰で、すくすく育ってるわ。本当、将来が楽しみ。あの子が大きくなっている頃の世の中がどう変化しているのか、私もね、とても楽しみなの。それが私の、唯一の救いになってる」
「奥方様・・・・・・・・・」
「勘十郎様の件、私に任せて。悪いようにはしない。私だってね、勘十郎様の才を買ってるのよ?まだ幼い少年の頃から、あなたを見事に使いこなしてるんですもの。詰まらないことで失いたくないわ」
「それでは」
「莫迦な考えは改めさせるよう、私からも説得してみます。だからあなたも、それに協力してね、お願い」
「 はっ!この柴田権六勝家、微力ながらも奥方様の期待に添えるよう、最善を尽くしたい所存にございます!」
「ありがとう。それじゃぁ、勘十郎様を清洲に来ていただけるよう、取り計らってくれる?」
「なんなりと」
「でも、普通に来てちょうだいって言っても、賢い勘十郎様のことだから、何か変に勘繰って、事態が余計ややこしいことになるのも困るわ」
「では、どのように取り計らえばよろしいでしょうか」
「そうね。勘十郎様のお優しさを、少し利用させてもらおうかしら」
「利用?」
その言葉がやけに毒々しく感じる勝家であった
「吉法師様の名前を出しても、素直に応じてくれるとは想えないから、私が病に倒れたことにしてくれない?」
「奥方様が病に?」
「女特有の気鬱だと言えば、きっと理解されると想うわ。勘十郎様は鋭いお方だから、余計な説明なんて必要ないでしょう」
「承知しました。ではその旨、若にお伝えしたします」
「お願いね」
「はっ!」
再び平伏する勝家に、帰蝶はそっと微笑んだ
それは優しい微笑みなのか、それとも、何かを企んだものなのか、誰にもわからない
「さぁてと、外回り行って来るか」
利家と入れ替わるように、秀隆が馬に乗り込む
「最近は伊勢の方も静かになったな」
「坂家が織田と同盟を組んだってのが効いてるみたいですね」
部下の一人佐々市丸成政が応える
成政の先祖は近江の出身
それも、なつの実家があった場所に程近い
六角との争いに破れ、美濃、尾張に流れた氏族は多い
伊勢の北畠、近江の六角は何れも南北朝時代から連綿と続く名家の一つで、だからこそ、何れは土岐と同じ運命を背負う一族でもあった
『平家物語』は時代などに左右されない、唯一のこの世の証である
その繰り返しの中で、人は生きている
これを理解できる者は極僅か
理解してこそ生き残り、理解できぬがこそ淘汰される
理解した成政の先祖は近江を離れ、尾張に入り生き長らえた
その結果が、現在の姿である
成政の前時代ではすっかり尾張に土着した一族ではあるが、その性根にはまだ強い『近江魂』が根付いている
現に成政の兄・政次は稲生の戦いにて、信長に牙を剥き信勝に味方した人物だ
その成政を左に置き、清洲城を出ようとした秀隆をなつが呼び止めた
「与兵衛!」
「おなつ様?何ですか、態々見送りですか?」
「そんな暇あるもんですか」
「そうですね」
「あなたにお願いしたいことがあるの」
「何ですか?」
騎乗のままでは無礼だと、秀隆は一旦馬から降りた
「え?勘十郎様が清洲に?」
秀隆の側には成政が控えている
武家では年が離れていようとも、他人の男女が二人きりになることは憚られていた
「明日、こちらに来る手筈になってます」
「いつの間に」
「先日、末森から権六が来て、奥方様と勘十郎様との会談の約束を取り付けられました」
「なんで奥方様となんですか?」
成政が素直な質問をする
秀隆からの信任厚い成政も、『信長』の正体を知る数少ない人間の一人であった
「普通なら、亡くなられた殿との会談を申し出るはずでしょう?」
「権六は、若が亡くなられたことを知っているわ。だから、若ではなく奥方様にって言って来たのよ」
「そうでしたか。ですが、何を仰いに来られたんでしょうか」
「私はたまたま局処に用事があったので、席を外していたから詳しいことはわからないけれど、龍之介の話では勘十郎様に謀叛の色が濃い、と」
「またですか?」
秀隆の呆れた声が響く
「しっ!」
「 すみません」
なつに窘められ、しゅんと落ち込む
「それで、その説得に奥方様が当ることになったんですが、騙し討ちの招待だそうです」
「騙し討ちの招待とは?」
「普通に呼んでも勘十郎様は警戒してお越しにならないだろうから、奥方様が病に倒れたと偽って、呼び寄せるそうです」
「そうですか・・・。しかし、何故龍之介はそれをおなつ様に?」
「龍之介も自分でよくわからないのだそうよ。だけど、嫌な予感がすると、私に相談して来たの」
「なるほど。龍之介も一日中奥方様付きなので、日頃の行動や言葉の中に、何か引っ掛かる物があったのかも知れませんね。それで、おなつ様は私にどうしろと?」
「当日の勘十郎様の警護を、あなた達黒母衣衆にお願いしたいの」
「それは構いませんが、勘十郎様だって小姓衆の一個部隊くらいは連れて来るでしょう?」
「だけど、謁見するのは奥方様よ?勘十郎様は奥方様に、何をしでかすかわからないお方です。数年前の、奥方様と勘十郎様の会談だって、無事に済んだわけではないのよ」
「 」
あの現場はなつも秀隆も居なかった
詳細が漏れたわけではないが、何かあったことくらいは帰って来た帰蝶を見ればわかる
「又助は早くから若寄りの人間だったと、幼かった勘十郎様だってご存知です。財産分与として那古野へ嬉々と行ってしまったことに、土田御前様だって不快感ぐらいは持っておられるでしょう」
「ああ・・・。又助さん、素直って言うか、感情が表に出やすいと言うか・・・」
「松助はその勘十郎様を見限った人間です。護衛としても側には居てほしくないでしょう」
「そうですね」
「となると、後は末森に長く居たあなたしか、適任者は居ないのよ」
「なんか、貧乏くじ引かされた気分ですよ、おなつ様」
「これも任務です。黙って引き受けなさい」
「選択の余地無しですか?」
「あると想ってる方がどうかしてます」
「 そうですね」
人生を諦めたかのような秀隆に、成政は掛ける言葉が見付からなかった
「勘十郎、正気ですか?清洲に行くと言うのは」
部屋に母がやって来た
相手が母親なら人払いもすんなりと行く
小姓らを遠ざけ、信勝は母と向かい合った
「別に兄上に逢いに行くわけではありません」
「確かに、美濃の方が病に伏せているとは聞きましたが、母はそれでも不安です」
「ですが、相手は義姉上ですよ?放ってはおけないでしょう?」
「そうですけどね」
「権六が言うには、この春頃から気鬱に悩まされていると言います。恐らく伊勢の坂から来た側室に、兄上を取られたようなお気持ちになっておられるのではないでしょうか。そんな義姉上様をお慰めするのも、義弟の私の役目だと想っております。円満だと想っておりましたが、女が一人増えただけで床に伏せる程なのですから、余程お悪いのでしょう。なんとか気を鎮めていただけるよう、最善の努力はいたします」
「それも大事ですが、お前も大事なのですよ?どうか気を付けて」
「護衛に権六を連れて行けないのは聊か不安ですが、この一年、兄上からもなんの咎も出ておりません。母上も余りお気を煩わせず、養生なさってください」
「 勘十郎・・・」
立派に育った次男の姿に、市弥は薄っすらと涙を浮かべた
「お前は本当に、良い子、優しい子。どうしてお前のような優れた人間が、長男に生まれて来なかったのかしら・・・」
「母上、それは禁句ですよ」
「 」
そっと窘める信勝に、市弥は苦笑いを浮かべる
十月が終わる頃、帰蝶は一つ、年を重ねた
二十歳の大人になった
それまでの自分と、これからの自分の違いはまだわからない
わからないけれど、いつまでも同じ自分で居られないことを知っていた
月が十一に変わる
清洲に信勝がやって来た
「お待ちしておりました、勘十郎様」
「与兵衛か。随分良い面構えになったな。稲生では林が随分世話になったそうで」
「いえ・・・」
根の素直な信長と違い、信勝は頭が良い分腹芸が効く
迂闊な態度に出たら即座に読まれるだろうと秀隆は、改めて用心した
「義姉上様のご容態は、どんなものだ」
局処に案内される背中で聞く
「元々明快な方でしたが、ここのところ沈みがちで」
「伊勢からもらった側室に、兄上の寵愛でも移ったか?」
「 どうでしょう」
感情の籠らぬ声しか出せない
やがて局処の入り口の廊下に差し掛かる
そこに貞勝が待ち受けていた
「ここからは村井殿がご案内なさいます」
「勘十郎様、ご無沙汰しております」
「ああ、そなたは」
信勝の微笑む目が、その言葉の続き、『養徳院の狗』と言っていた
「本日は奥方様のお見舞い、真にありがとうございます。奥方様も勘十郎様のご到着を心待ちになさっておいでです」
「おや、嫌がられるかと想っていたぞ。私はなんせ興円寺で、あのような騒動を起してしまったのだからな」
「いいえ」
その現場にはこの貞勝も居合わせていた
信勝が帰蝶に何をしようとしていたのかも、知っている
秀隆と違い年の功で貞勝は、自分の気持ちを押し殺した
「それでは、お部屋にご案内します」
「ああ、頼む。那古野の義姉上様のお部屋は一度お伺いしたことがあるが、清洲に移ってからは初めてだ」
そこで何が起きたのかまでは知らなくとも、貞勝はなつから信勝の邪まな想いを聞いている人間の一人だ
帰蝶が何を考え、何をしようとしているのかは貞勝にも見当が付かないが、今はただ、帰蝶の無事を祈るしかない
「奥方様、末森城より勘十郎様がお見えになられました」
帰蝶の部屋に到着し、信勝の訪問を知らせた
部屋に帰蝶が居る時は、待たずして直ぐに返事が来る
だが今日に限ってその返事が来ない
「奥方様?」
おかしいと感じ、貞勝は再度声を掛けた
するとしばらくして、返事の代わりに部屋の襖が開けられる
出て来たのは帰蝶ではなく、お能であった
「 お能様?」
「ああ、村井殿」
「末森より勘十郎様がご到着なさいました。奥方様はご在室でいらっしゃいますか?」
「あ、どうぞ」
お能はぎこちない表情をしながら、襖を大きく開く
当然だが、そこは居間にもなっているので、帰蝶の布団は何処にも敷かれていない
この部屋の隣が寝室なので、そちらに居るのだろうと貞勝は想った
「それでは、我らは廊下にてお待ちしております」
と、信勝の連れた小姓衆が廊下に並んで座る
「どうぞ」
貞勝に促され、信勝が部屋に入った
その後を秀隆ら黒母衣衆が続く
「女性の寝室ですので、ご入室なされますのは勘十郎様お一人でお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
恐る恐るな口調でお能が聞く
「こちらは構いません」
と、信勝が応えた
「では、河尻様、村井殿はこちらでお待ちくださいませ。勘十郎様、どうぞ奥へ」
ここからはお能が案内役を務める
信勝はお能に着いて、帰蝶の寝室に入った
それを見届け、秀隆が深く息を吐く
「ふぅー!なーんか、いやーな空気が流れたなぁーって感じて、冷や冷やしました」
「実は私もです」
苦笑いして、貞勝が応える
「でも、奥方様と二人きりにしちゃって良いんですかね」
「大丈夫でしょう。中にはお能様がいらっしゃいますし、恐らくお菊様もご同席なさいますでしょうし、ね」
「ああ、だから今日はおなつさんが若の面倒を?」
「殿のお世話以来だと、朝から張り切っておられました。なんせ後から生まれた稲様は、早々に乳母を付けられ、事実上取り上げられたような状態でしたので」
「 そうでしたね」
秀隆も信秀が死ぬまでは、ずっとその側に居た人間の一人である
当然、なつが稲を生んだ日のことも知っていた
甘い想い出ではなかったことも
帰蝶の寝室に通された信勝だったが、そこには帰蝶は居なかった
「義姉上はどちらですか」
「奥方様は、離れでお休みになられてます。勘十郎様が来られたら、そちらに案内するよう申し付けられておりますので、お庭からどうぞ。ご案内いたします」
ただお能は帰蝶から、そう命じられていただけである
「離れに?喧騒から逃れたのでしょうか。それとも、新しく来られた側室様に遠慮なさっておいでなのでしょうか」
信勝の質問がよくわからないお能は、軽く首を傾げて返事はしなかった
帰蝶の寝室から縁側に出る
秀隆も貞勝も、それに気付かなかった
予め用意されていた男物の草履の存在を訝しげに想いながらも、信勝は促されるまま中庭に出た
「こちらです」
先を歩くお能に着いて、初め縁側沿いに、それから庭の中央辺りまで出て東側に進む
局処を過ぎると庭の片隅に離れがあった
距離的にはそう離れた場所ではないが、城主奥方が居る場所にしては少し欝蒼としたところだった
「ここに義姉上が?」
「奥方様がお待ちです」
と、お能はその玄関先である入り口で立ち止まった
「私一人で入って構わないのですか?」
「奥方様からそう命じられておりますので、私はここで控えております」
「 そうですか」
以前は自分を拒絶していた帰蝶が、何故急に受け入れるような行動に出るのか、何となくわかるような気がした
伊勢の坂家から側室をもらい、それから帰蝶の様態が悪いと聞く
恐らくは『悋気』による気鬱だろう
それを晴らすのは、『他の男に目を向ける』くらいしかなかったのだろうと、ただ単純にそう想った
それならそれでこちらとしても好都合である
玄関に入り、お能を背中に信勝は草履を脱いだ
「真っ直ぐ行かれた先の、奥のお部屋に」
「わかりました。案内、ご苦労様でした」
自分に頭を下げるお能を背中に置き、信勝は薄っすらと暗い廊下を進んだ
離れにしては建物自体は立派であるが、廊下そのものは短い
少し走れば直ぐ表に出れるような長さの廊下を、奥に歩く
すると、目的の部屋の襖が現れた
ここか、と、立ち止まる
「義姉上様、おいでですか?勘十郎です」
しばらくして、中から返事が来た
「どうぞ」
聞き慣れた、帰蝶の声だった
「入ります」
自らの手でその襖を開ける
部屋の広さとしては、局処の帰蝶の私室とは比べ物にはならないだろう
然程広いとも言えない部屋の中央に一式の布団が敷かれ、そこに白の小袖を着た帰蝶が伏せていた
「義姉上様・・・!」
驚いた信勝は、慌てて駆け寄った
「勘十郎様・・・」
「様態が悪いとは聞いておりましたが、まさかここまでとは想わず、のんびり構えておりました。ご気分は如何ですか」
「あなたの顔を見れて、少し落ち着きました。ありがとう・・・」
「義姉上様・・・」
「ごめんなさいね、お忙しいのに、見舞いの催促なんてしてしまって」
声に覇気がない
それほど気鬱は帰蝶を蝕んでいるのか
信勝はそう想った
「いいえ。こちらこそ、直ぐにお見舞い申し上げれば良かったと、今、後悔しているところです」
「ふふっ・・・。無様って笑う?」
「何がですか」
「こんなところで一人寝ている私を」
「いいえ。こんなところにあなたを一人で寝かせている兄上に、激しい怒りを覚えるだけです」
「勘十郎様・・・・・・・・」
帰蝶は縋るように、布団の中から手を差し出す
信勝は何も言わずその手を受け取った
「 もう、疲れちゃった・・・」
情けない微笑みを浮かべる帰蝶に、信勝の胸の奥で『想い』がゴトリと動く
「義姉上・・・。私のところに、来ませんか」
「え・・・?」
「いえ、養生をするだけです。末森はここより少し田舎ですが、だからこそ人も少なく空気も綺麗です。騒がしいこともなにもありません。何より・・・・・・・私がお側に着いてて差し上げます」
「でもそれじゃ、あなたの奥方様に悪いわ・・・。それに、ご側室様だって、居るのでしょう・・・?そんな方々を押し退けて、あなたの側に居るなんて、できない」
「構うもんですか。義理とは言え、私達は姉弟(きょうだい)ではありませんか。自分の姉より大事な者など、おりません」
「勘十郎様・・・・・・・・」
「ひととき、兄上をお忘れになられたらどうですか?そうすれば、義姉上様を蝕む気鬱もたちどころに消えてしまうでしょう」
「吉法師様を、忘れる・・・・・・・・・?」
忘れられたら、どんなに楽か
忘れられないから、今も苦しんでいるのに
忘れたくないから、帰蝶はもがき苦しむ想いをしながらも、生きることを選んだ
信勝の手に預けた指先が、ピクリと動いた
「義姉上様」
「 」
帰蝶は、自ら誘うように手を引く
帰蝶の手を握ったままの信勝の体が、自然と帰蝶の方に傾いた
「どうすれば、忘れられますか・・・」
「こうすれば」
信勝はそっと、帰蝶の顔に覆い被さるように腰を屈め、口付けた
その間は短く、直ぐに離れる
意外なことに帰蝶は、以前見せていた嫌悪感を見せない顔をしていた
「これって、『不義』ってやつですか?」
そっと微笑む帰蝶に、信勝も静かに応える
「『不義』だからこそ、癒せぬ傷も癒してくれるのです」
「 癒せぬ傷・・・・・・・」
「私が義姉上様の傷を、癒して差し上げます」
「 」
信勝が何をどうするのか、どうやるのか、帰蝶はわかっていた
わかっていて、それを受け入れた
こうするしかないと
知りえぬ事実を掴む、唯一の方法だと想ったから
「あ・・・・・・・ッ」
二人で同じ布団に入る
その間で、帰蝶に覆い被さった信勝の躰が蠢いた
まだ互いの着物は脱いでいない
肌蹴た掛け布団が徐々にずれ、敷布団の結界から零れた
信勝は帰蝶の首筋に愛撫の口付けを擦り付けながら、その細い躰に手を這わせる
やがてその『男の手』は帰蝶の、『女の乳房』を掴んだ
以前から大きいとは感じていたが、その乳房がずっと大きくなっているような、そんな錯覚がする
あの時は全身で拒絶していた帰蝶が、今は全身で自分を受け入れている
不倫も辞さないほど、それほどまでに心の病は帰蝶を蝕んでいるのか
夫のためにあんなにも熱くなっていた兄嫁が、今は自分の手に悦んでいるその表情に、信勝は満足した
帰蝶の乳房を揉みながら、口付ける
その信勝の背中に、帰蝶は腕を回した
まるで鋭い針でも刺されるかのように、酷く顔を歪めながら
ごめんなさい、吉法師様
信勝の手が、帰蝶の寝間着用の小袖の胸元を軽く掴む
簡単に脱げるような着方をするのが寝間着の本来の役目でもあるため、帰蝶の胸元はいともあっさりと肌蹴た
そこから見たこともないような大きさの乳房が現れる
帰蝶の周囲に居る侍女は、その大半が豊かな乳房をしていた
最も、なつやお能のように、とっくの昔に成長期を過ぎた女は変わらないが、菊子のように幼年期から帰蝶に仕えていた女の殆どは、この当時では珍しいほど豊満な胸をしている
肉食と菜食の均衡が摂れていない末森では、考えられないことであった
だが、確かに帰蝶の乳房の大きさは知っているが、あれから何年かは経っているからだろうか、それとも他に理由があるのか、帰蝶の乳房の大きさは『魅力的』を通り越して、『異常』としか想えないほどだった
女の乳房がこれほど大きく、しかも固くしこっているには、理由(わけ)がある
授乳、だった
「 義姉上様」
小さく囁くように、信勝は帰蝶に聞いた
「つかぬことをお伺いしますが」
「 なんですか・・・」
「最近、出産なされた、なんてことは、ありませんよね?」
「 」
一瞬、帰蝶の眉が寄る
だが、それを誤魔化すかのように、帰蝶は続けた
「それは、『石女かも知れない』と、何れ言われるであろう私への、当て付けでしょうか」
「いえ、そうではありません。ただ、義姉上様の胸が、以前より大きく、そして、その香りも若干変わっております」
「どのように?」
「まるで、『母上のような香り』ですよ」
「 そう、ですか」
それ以上喋らさぬように、か、帰蝶の手が信勝の頭を押え、自ら口付ける
その口の中に舌を差し込んで
驚きながらも信勝は帰蝶の舌を受け入れ、自分の口の中で絡ませ合った
「ん・・・」
繋がった口唇の間で、帰蝶の喘ぎ声が零れる
信勝は口付けながら帰蝶の小袖を肩まで脱がせた
ここまでして嫌がらないと言うことは、その気が充分ある証拠だろう
「義姉上」
既に鋭い尖りを見せるその乳首を口に含みながら、信勝は囁いた
「私はずっと昔から、あなたとこうしたかったのですよ」
「 そう・・・」
私もね、ずっと前からこうしたかった
でも、できなかった
今は
あなたから真意を聞くためなら、できる
なんだってしてやる
それが吉法師様を裏切ることになり、いつかその罰が下ろうとも、私はやってやる
あなたの、本当の狙いを聞くためなら、なんだって・・・・・・・
「勘十郎様・・・。あなたも、脱いで・・・」
喘ぎながら帰蝶は催促した
「ですが、もし最中に誰かが入って来たら?」
「人払いは、お能にさせています。あなたが表に出るまでは、なんぴとたりとも中には通すな、と」
「そうですか。ですが小袖を脱いでしまうと、情事が知られてしまいます。女は些細な違いもあっさりと見抜いてしまうものですから」
「そう・・・ですか」
こんな場面でも自分を見失わない
それは立派だと素直に想う
信勝はまだ、自分を抱くつもりはないのだろう
その真似事をして、こちらの本心を探り入れるつもりだろうと直感した
自分が拒むか、受け入れるか
拒めば後戻りのできる内に離れ、受け入れればその先に進む
慎重な性格なのだな、と
だが、それにしてはすんなりと、この部屋に入った矛盾も感じられる
信勝の手が下の膨らみから持ち上げるように、乳房を揉む
それはまるで何かを確かめるかのような手付きだった
「勘十郎様・・・、痛いです・・・」
「ああ、すみません」
何を確かめようとしているのか
この乳房から『母乳』が出るかどうか、確かめようとしているのか
匂いに関して信勝の鼻は鋭いことを、帰蝶は知っていた
事前に帰命にはたっぷりと乳を与えその上で風呂に入り、『乳』の匂いを落として来た
部屋に入る前には信勝同様、匂いに鋭い巴にきちんと確認させてから
そのお陰か、信勝がどれだけ乳房を揉もうとも、母乳は一滴たりとも出て来ない
「勘十郎様・・・。その気がないのなら、おいたはこの辺で終わらせてください・・・。遂げられぬままでは、寧ろつらいです・・・」
信勝の下で、帰蝶は搾り出すような声を放った
「すみません。ですが私は過去、あなたに拒絶された身です。あなたがどこまで私を受け入れるつもりなのか、わからない私はただ怖い」
「勘十郎様・・・」
「受け入れてくれると及び、その途端にやはりと拒絶されてしまうのではないかと、それが恐ろしいのです」
「そう・・・ですね・・・。私はあなたを一度拒んだ。でも、今は」
「私を受け入れると?」
「それ以上に」
一度それを口にして、信長に叱られたことがある
その場の勢いだけで言葉にするなと
だが今は、選んでいる場合ではなかった
帰蝶は自分の気持ちを殺した
そして、それを口にした
「 私を、抱いてください」
「 」
あなたは、知らない
女は愛する人のためなら、鬼にも蛇にもなれることを
この手を血で汚すこともできる
吉法師様のためなら
帰命を守るためなら
この躰など、汚れてしまっても、構わない・・・・・・・・・・・・・・・・・・
身の裂ける冷たい風に耐え、待ちわびた柔らかな日差しは凍えた躰を優しく包み、暖め、心を解してくれる
土筆や薇が芽を出し、奉納相撲があり、帰蝶が信長の許に嫁いだ季節でもあり、花が咲き乱れる春、帰命の臍の緒が取れた
その春が過ぎ、夏がやって来た
夏は海の幸が最も美味しく感じる季節でもあり、二人でよく伊勢湾にまで出向き、漁師の仕事を手伝っては獲れたての魚をもらって帰った
蝶が目覚めの時を迎え、空を目まぐるしく飛び交う季節が終わりの時を迎える
秋が近付く
信長と帰蝶、二人が愛した季節が一つ、過ぎて行く
「権六」
末森城の本丸廊下、信勝が勝家を呼び止めた
側には同腹としての末妹、市が居る
「何でしょう、若」
「市が退屈なんだそうだ。相手をしてやってくれないか」
「構いませんが、若はどちらかにお出掛けでも?」
「いいや。いつまでも妹の面倒ばかり見ていられないからな、少しは自由になりたい」
「ははは、若は市姫様の面倒をよく見ておられますからね、たまにはお一人でのんびりされるのも良い骨休めになりましょう。権六でよろしければ、市姫様、お預かりいたします」
「すまないな、権六」
「いいえ、お安い御用でございます」
信勝は市の手を離し、勝家の方へ背中を押した
市は不安そうな顔をして兄に振り返りながら、無理矢理勝家のところへ歩かされる
「兄様・・・」
「じゃあ、権六、頼んだ」
信勝は市に気遣いも見せず、さっさとその場を立ち去る
「はっ」
勝家は市の手を取り、頭を下げた
「
残された市は、不安げな顔を元には戻せず呟く
「また、戦が起きるの?」
「は?」
「兄様は、今度は誰と戦うの?また、吉法師兄様と戦うの?」
「お市様・・・」
「姫様、そのようなことを言っては」
側に残った侍女が、慌てて市を止めようとした
市は知らない
長兄・信長はもう、この世の人ではないことを
信勝も
母の市弥ですら、知らない
信長が死んだことを
「権、勘十郎兄様を止めることはできないの?」
「それは
「市、知ってるの。兄様は、吉法師兄様のお嫁さんを手に入れようとしてるんだって。それで、吉法師兄様を蹴落として、尾張を手に入れて、それから、美濃を攻めるんだって」
「え?」
勝家は目を見開いた
ポカンとする勝家を押すように、侍女が叫ぶ
「姫様!そのようなおいたを、仰ってはなりません!」
「だって、母様と兄様がそう話し合ってたの、市、聞いたんだものっ」
「お市様、この権にその話、詳しくお聞かせ下さいませ!」
勝家は市の両肩を掴んで迫った
信勝が帰蝶を狙っていることは、帰命が生まれた後に謁見した際、その帰りになつからそっと聞かされていた
これに関しては特に驚くことでもないが、帰蝶を手に入れ尾張だけではなく美濃にまで手を延ばすと言う話は聞いたことがない
「勘十郎兄様は、吉法師兄様を殺して、吉法師兄様のお嫁さんを自分のお嫁さんにして、尾張を手に入れるって。それで、岩倉と同盟を組んで、美濃を攻めるって。美濃を攻めても、美濃のお姫様の帰蝶様が奥さんだったら、美濃の誰も逆らわないって、勘十郎兄様、そう言ってたの」
「
それが本当だとしたら、あの、長良川での斎藤家の争いに便乗し岩倉と組んで結果、信長を死に至らしめた真の目的は、その妻・帰蝶を手に入れるためではないのか
勝家はそう考え、直接信勝に問い質そうと市を部下に任せ、信勝を探した
「若はどちらにおいでですか」
信勝の小姓を捕まえ、居場所を聞く
「若でしたら、只今表座敷にて軍議中でございますが?柴田様はご出席なされないので?」
「
唯一、清洲で『信長に謁見した』と言う事実が、勝家を嘗ての佐久間信盛と同様、蚊帳の外に置かれるようになっていた
信勝は自分をも警戒し始めている
そう直感した
「軍議はいつ終わる」
それは誰もわからないことだと知りながらも、聞かずにはいられない心境だった
「さぁ・・・」
予想通りの返事に、業を煮やした勝家は足早に立ち去る
これを早く奥方様にお知らせせねば
だが、何をどう説明すれば良いのか、勝家にはわからない
大事になる前に信勝を説得し、『二度目の謀叛』を事前に止めなくてはならないと、それが胸を過る
兵力にあれだけの差がありながら、自分達を押し返した清洲の実力は嫌と言うほど想い知らされている
もしも再び反旗を翻せば、今度は家臣の首一つで済むはずがない
次は間違いなく元凶である信勝の首が落とされる
そう、想った
「ああ、空が高い・・・」
ほんのり涼しくなった風に暖かな日差しが混じり、局処の縁側で信長の小袖姿の帰蝶は腕を支えに後ろへ背中を傾け、空を見上げた
「そろそろ稲刈りの季節かしら」
「そうですね。早い物ですね、もうそんな時季になりますか」
側にはなつが帰命を抱いて座っていた
縁側の向う、部屋には龍之介が鎮座している
そこへ、側室の巴が駆けて来る
「上総介様、桔梗が咲いてました!」
「桔梗?」
「ほら」
まだ幼さの残る手に、一輪の桔梗が揺れていた
「まぁ、本当。桔梗は庭には植えてなかったのに」
「どこからか種が風に乗って飛んで来たんでしょうか」
「桔梗の種って細かいのよ?直ぐに土に根付いて、遠くまでは飛ばないわ。誰かの荷物にくっついて来たんじゃないかしら」
帰蝶は笑いながら言った
「
「え?」
巴から桔梗を受け取りながら、帰蝶は呟いた
「稲葉山の裏山にね、桔梗の群生畑があったのよ。私が小さい頃の織田との争いで燃えてなくなってしまったけど、風で飛ばされたのか、それとも兵の草鞋にくっついたのか、あちこちにぽつんぽつんと咲いててね、秋になればそれを見付けながら山を歩くのが好きだった。あっちに咲いてる、こっちに咲いてるって。それで城に帰るのが遅くなって、父上によく叱られたわ。私の帰りが遅くなる度に、三左は山狩りをさせられて、明智の従兄妹も私の捜索に駆り出されて」
「まぁ、そんなことが。奥方様のじゃじゃ馬ぶりは幼い頃から培われて来たものなのですね。そりゃ、どれだけ注意しても治らないはずですわ」
「うわ、藪蛇」
「あはははは」
帰蝶となつの遣り取りに、巴は大笑いした
そこへあやがやって来た
「奥方様、おなつ様、滝川殿がお戻りになられましたよ。なにやら急を要する用件があるとか」
が、生憎のんびりとしたあやが言うものだから、どうにも緊急性が感じられない
だが、それを余りある有能さが物語る
「本丸に戻った方が良い?それともここで待った方が良い?」
「若様もご一緒なので、本丸にお戻りになるのを待たれるより、出向いた方が早いですよと申しましたので、ここにいらっしゃいます」
と、あやは襖を大きく開けた
そこに一益が立っている
「あ、居た」
「はい、居ます」
「
龍之介は誰にも聞こえることなく、ぽつりと呟いた
以前より目を付けていた末森領の黒井川村でも、稲刈り作業が始まっていた
例年より実りが良く、村中総動員しても間に合わない
急いで刈り取ってしまわなくては、米が実り過ぎて売り物にならないからだ
そんなあせくせと動き回る村人を見て気の毒に感じたのか、見回りに来ていた一益は部下と共にそれの手伝いを申し出た
「わしらでよければ、手伝うが」
「そんな、滝川様、もったいない。お武家様に野良仕事などさせたら、罰が当たります」
「そう気にするな。特に用事もないのにちょくちょくわしらが現れていては、末森の見張りも何れは気付かれるだろう。その穴埋めだ」
と、一益は羽織を脱ぎ捨て、袴も脱いだ
小袖の裾を帯に引っ掛け、下帯だけになる
その一益に倣って、部下達も同じような恰好になった
「どこから刈れば良いかな?」
「あ・・・、では、隣の一反からお願いします」
「承知した」
不慣れな作業とは言え、確かにちょくちょく末森以外の侍が村に出入りしていれば何れは人の口に昇るだろうと、罪滅ぼしのための手伝いなので一益は一生懸命稲を刈る
部下の中には農家出身者も多数居るので、それに習いながら稲刈りを進めた
「お陰様で、予定通り刈り取ることができました。皆様、本当にありがとうございます。助かりました」
「いやいや。こちらこそ美味い握り飯を馳走になった。礼を言う」
「いえいえ、とんでもありません。それにしても、滝川様は何故、私達をこんなにも懇意になさってくださるのでしょうか。やはり、末森のお侍さんの件を証言させるために?」
その村の土豪である村長が聞く
「最初はそれもあったがな、今はどうだろう。ふ~む、そんな気も少し薄くなったかな。もう半年以上、この村に通い、馴染みの顔ができたからだろうか」
そこへ、村の子供達が駆け寄って来る
「滝川様!」
「鬼やんま、捕まえました!」
「おお、大したもんだな。鬼やんまは早くて捕まえにくいぞ?よく捕まえたものだ」
と、一益は見せびらかされる鬼やんまを見て破顔した
そんな一益らを村人達は其々の顔を見合わせて、小声で相談をし始めた
その村人の行動など気付かず、一益らは子供達と談笑を楽しむ
「滝川様、俺も侍になれますか?」
ふと、子供の内の一人が一益に聞いた
「侍になりたいのか?」
「うん!俺もおととやおかかや、みんなを守ってやりたい!」
「その志があれば、誰でも侍になれるぞ」
「本当に?やったー!俺、将来滝川様みたいな、かっこいい侍になれるかな?」
「わし、かっこいいか?」
「滝川様、川でよく溺れるぞ?」
部下の一人が冷やかす
「こら!余計なことを言うな!」
「あはははは!泳ぎなら、おいらが教えてやるよ、滝川様」
鬼やんまを捕まえていない、他の子供が言う
「そうか、お前が教えてくれるのか。そりゃ頼もしい師匠ができたな」
和やかな笑い声が起きる中、代表した村長が一益におずおずと進み出た
「
「どうした、長殿」
「あの・・・。あの件ですが、わしらで良ければ、その・・・、お引き受けします・・・」
「え?」
「本当に?!」
末森が、正しくは勝家が岩倉を清洲に引き込んだその現場に居合わせたことを、証言してくれると言う
帰蝶もなつも、身を乗り出して一益に聞き返した
「あ、これ、お土産です」
と、そんな二人の前に麻袋を差し出す
「収穫したばかりの米です。長が奥方様にどうぞ、と」
「あ、ありがとう。
「
龍之介は恐る恐るなつに聞いた
「後で井戸端で笑いなさい」
「はい」
素直に引き下がる龍之介
「ただ、こちらに味方するとなれば、それ相応の仕打ちが末森から科されるはずです。村人全員、守れますか」
「守り切ってみせる」
きっぱりと即答する帰蝶に、一益は満足げな顔をした
「権六は、岩倉は清洲の援軍で、正しくは末森の要請で清洲の援軍に入ったと言ったわ。だけど実情はそうじゃなかった。これに関しては権六は無実ね」
表座敷で一益を筆頭に、秀隆、資房、可成の三人が集められた
他はまだ多忙に付き、戦軍議でもない会議には集められない
「それで、勘十郎様を呼び出して、詰問するんですか?」
秀隆が聞く
「そうしたいけど、何を理由でここに呼び出すか、よ。今まで散々、吉法師様への謁見を断って来たのよ?こっちの都合で急に呼び出したら、それこそ何を今更って警戒されるのがオチだわ」
「では、どうなさいますか。柴田殿に協力してもらいますか」
「それは駄目。できない」
「何故ですか」
「権六を巻き込んだら、それこそ一生の負い目を負わせてしまう。それじゃぁ今後、使いにくい存在になるのよ。そんなの林だけで充分だわ」
「
確かに、と、全員が黙り込む
「それでは閑話休題になってしまいます。奥方様、何をどうなさりたいのか、それだけも我々に話していただけませんか」
と、可成が帰蝶に食い下がる
「
「奥方様!また、お一人で背負い込むおつもりですか!」
「これは私が一人で解決したいことなの!あなた達を巻き込むわけにはいかないの!お願い・・・。察して、三左・・・」
「奥方様・・・・・・・・・・」
帰蝶は何を考え、何を企み、何を実行しようとしているのか
誰も想像できない
だが、一人で事を成すつもりだと言うことだけは、わかった
一度目の謀叛に失敗した
頼りにしていた勝家は、どうやら兄『信長』と密かに逢うことに成功した様子である
兄と繋がったのではないかと疑うのは、仕方のないことだった
謀叛の先導者でもあった林新五郎秀貞は、一年前の戦で実弟を『信長』に殺され、今では尻込みの方が色濃くなっている
かと言って、謀叛を起こしてしまった以上、以前のようになんでもない顔をして『傅役』に戻るというのも無理な話であるが故に、清洲にも末森にも付けず、那古野で憂さを募らせている状態だった
そんな中で強行に二度目の謀叛を打ち立てるのは、自分でも勝ち目はないだろうと想わずには居られない
だが、何もせず手を拱いている余裕もなかった
兄に子ができたと言うことは、何れその子が成長すれば織田は本格的に兄の手に委ねられることになる
自分は何のために生まれて来たのか、その存在意義を知りたかった
兄は自分を必要としてくれているのか、否か
兄嫁・帰蝶の登場から、兄・信長とは随分疎遠になってしまっていた
いや
それは幼い頃から続いていたのかも知れない
兄も自分も、ただそれに気付かなかっただけで、本当はもっと昔から反発し合っていたのかも知れない
「兄上ー!」
「
幼い頃の記憶が時々頭を掠め、それを打ち消すかのように想い浮かべる兄嫁
その横顔
涼しげな顔を崩そうとしない、兄の伴侶
それを奪えば、兄は立ち上がる足を失う
どうしてだろう、そう想えるのは
もしも自分がそうだったなら、きっと
それしか、考えられなかった
いつからだろう
心から渇望する物の存在が遠いと想える様になったのは
「若」
苛々した気持ちを抱えながら廊下を歩く信勝を、勝家が呼び止める
ゆっくりと振り返る信勝に、勝家は言った
「大事なお話がございます」
「
「
「清洲の殿に対し、再び謀叛の旗立ては、真にございますか」
「誰に聞いた。市、か?」
「若。肝心なのは誰に聞いたかではなく、何をしようとしているのかでございます。清洲の殿に対する謀叛、考え直してくださいませ」
「謀叛?」
勝家の言葉に、信勝は涼しげな笑顔を浮かばせた
「誰が謀叛を起こすと言ったんだ?」
「若」
「これは、『逆賊退治』だ」
「若・・・!」
「兄上は美濃の遠山、伊勢の坂と同盟を組んだ。これは何を意味するかわかるか?権六」
「それは・・・・・・・・」
「西尾張は完全に兄の手に落ちた。それまで北畠に押され気味だった坂が、織田との同盟を機会に盛り返して来ているそうだな。増してや、荒尾までが加担していると言う。兄上は何れ、近畿にも手を伸ばすだろう。そして、尾張を斜めに走り恵那の遠山家とも手を組んだ。兄上は何れ、義姉上様の実家、斎藤にもその手を伸ばす。斎藤家は嘗て同盟を組んでいた相手ではないか。その相手にいつかは戦を仕掛けるおつもりだろう。その争いに織田を巻き込むつもりかも知れんな。舅の仇討ちと称して」
「若・・・・・・・・」
「兄上は、岩倉、犬山を放っておくと想うか?何れ血族でもある岩倉、犬山も落とすだろう。わかるか、権六。その先に末森があることを」
「
「私には末森を守らねばならん責務がある。何れは併呑されてしまうだろう末森を守るのが、いけないことだろうか」
「何故、殿が末森を飲み込むとお考えになられるのですか。
「兄弟だからこそ、わかるんだよ。兄上の考えが」
「若・・・」
あなたが戦を仕掛けようとなさっている相手は、その義姉上様でございますぞ
そう言いたい言葉を、勝家は飲み込んだ
「
「どうだろうな。兄上には一度退かされているからな、今度は慎重に行かねばならんだろう」
「若、どうか今一度お考え直しを。清洲の殿と和解してくださいますよう、お願い致します」
「兄上に頭を下げろと?この私に?」
「そうではございません。何もしなければ、何もされない。清洲の殿は、自分から仕掛けるつもりは全く考えておられません」
「それは、兄上から直接聞いたのか?」
「若・・・・・・・・ッ」
「兄上はどのようなご様子だった。逢ったのだろう?兄上に。私に内緒で」
「
「権六」
黙り込む勝家に、尚も話し掛ける
「良いことを教えてやろう。なんの接点もない我ら兄弟が、唯一同じ思想を持っていることを」
「
「『やられる前にやれ』。皮肉だが、これだけは兄上も私も全く同意見だ」
「
勝家の目が見開かれる
どうあっても清洲への謀叛をやめるつもりはないと、信勝の目が語っていた
勝家はその一心で、再び帰蝶への謁見を申し出た
「そう」
「あの・・・・・・・・」
自分が想っていたより、帰蝶の感情が薄い
いや
無表情だった
ついこの間まで、あの、感情豊かに笑っていた帰蝶とは同一人物には想えないほどに、その容姿(かお)は涼やかだった
「態々ありがとう。それを伝えに来てくれたのね」
「いえ・・・。あの・・・、若への処遇は・・・」
「それは」
「若も若年が故の早計、お慈悲を頂ければこの権六、奥方様にお逢いできた甲斐があったと言うものでございます。どうか、若のお考えを改めさせていただけますよう、お取り計らいくださいませ」
勝家は深々と頭を下げた
「権六は、義理堅い男なのね。安心したわ」
「奥方様、それでは
帰蝶の言葉に、頭を上げる
「権六。償いって、どうすれば相手の気が済むか、知ってる?」
「それは・・・・・・・・」
「殺した人を生き返らせない限り、憎しみも悲しみも、決して消えることはないのよ」
「
背筋に冷たい物が走った
余りにも、帰蝶の微笑みが美し過ぎるからだ
この場には相応しくないほどに、帰蝶の微笑みは美しかった
それが寧ろ恐ろしいと感じさせられるくらいに
「帰命に逢って行く?もうすっかり寝返りもできるようになったのよ?みんなのお陰で、すくすく育ってるわ。本当、将来が楽しみ。あの子が大きくなっている頃の世の中がどう変化しているのか、私もね、とても楽しみなの。それが私の、唯一の救いになってる」
「奥方様・・・・・・・・・」
「勘十郎様の件、私に任せて。悪いようにはしない。私だってね、勘十郎様の才を買ってるのよ?まだ幼い少年の頃から、あなたを見事に使いこなしてるんですもの。詰まらないことで失いたくないわ」
「それでは」
「莫迦な考えは改めさせるよう、私からも説得してみます。だからあなたも、それに協力してね、お願い」
「
「ありがとう。それじゃぁ、勘十郎様を清洲に来ていただけるよう、取り計らってくれる?」
「なんなりと」
「でも、普通に来てちょうだいって言っても、賢い勘十郎様のことだから、何か変に勘繰って、事態が余計ややこしいことになるのも困るわ」
「では、どのように取り計らえばよろしいでしょうか」
「そうね。勘十郎様のお優しさを、少し利用させてもらおうかしら」
「利用?」
その言葉がやけに毒々しく感じる勝家であった
「吉法師様の名前を出しても、素直に応じてくれるとは想えないから、私が病に倒れたことにしてくれない?」
「奥方様が病に?」
「女特有の気鬱だと言えば、きっと理解されると想うわ。勘十郎様は鋭いお方だから、余計な説明なんて必要ないでしょう」
「承知しました。ではその旨、若にお伝えしたします」
「お願いね」
「はっ!」
再び平伏する勝家に、帰蝶はそっと微笑んだ
それは優しい微笑みなのか、それとも、何かを企んだものなのか、誰にもわからない
「さぁてと、外回り行って来るか」
利家と入れ替わるように、秀隆が馬に乗り込む
「最近は伊勢の方も静かになったな」
「坂家が織田と同盟を組んだってのが効いてるみたいですね」
部下の一人佐々市丸成政が応える
成政の先祖は近江の出身
それも、なつの実家があった場所に程近い
六角との争いに破れ、美濃、尾張に流れた氏族は多い
伊勢の北畠、近江の六角は何れも南北朝時代から連綿と続く名家の一つで、だからこそ、何れは土岐と同じ運命を背負う一族でもあった
『平家物語』は時代などに左右されない、唯一のこの世の証である
その繰り返しの中で、人は生きている
これを理解できる者は極僅か
理解してこそ生き残り、理解できぬがこそ淘汰される
理解した成政の先祖は近江を離れ、尾張に入り生き長らえた
その結果が、現在の姿である
成政の前時代ではすっかり尾張に土着した一族ではあるが、その性根にはまだ強い『近江魂』が根付いている
現に成政の兄・政次は稲生の戦いにて、信長に牙を剥き信勝に味方した人物だ
その成政を左に置き、清洲城を出ようとした秀隆をなつが呼び止めた
「与兵衛!」
「おなつ様?何ですか、態々見送りですか?」
「そんな暇あるもんですか」
「そうですね」
「あなたにお願いしたいことがあるの」
「何ですか?」
騎乗のままでは無礼だと、秀隆は一旦馬から降りた
「え?勘十郎様が清洲に?」
秀隆の側には成政が控えている
武家では年が離れていようとも、他人の男女が二人きりになることは憚られていた
「明日、こちらに来る手筈になってます」
「いつの間に」
「先日、末森から権六が来て、奥方様と勘十郎様との会談の約束を取り付けられました」
「なんで奥方様となんですか?」
成政が素直な質問をする
秀隆からの信任厚い成政も、『信長』の正体を知る数少ない人間の一人であった
「普通なら、亡くなられた殿との会談を申し出るはずでしょう?」
「権六は、若が亡くなられたことを知っているわ。だから、若ではなく奥方様にって言って来たのよ」
「そうでしたか。ですが、何を仰いに来られたんでしょうか」
「私はたまたま局処に用事があったので、席を外していたから詳しいことはわからないけれど、龍之介の話では勘十郎様に謀叛の色が濃い、と」
「またですか?」
秀隆の呆れた声が響く
「しっ!」
「
なつに窘められ、しゅんと落ち込む
「それで、その説得に奥方様が当ることになったんですが、騙し討ちの招待だそうです」
「騙し討ちの招待とは?」
「普通に呼んでも勘十郎様は警戒してお越しにならないだろうから、奥方様が病に倒れたと偽って、呼び寄せるそうです」
「そうですか・・・。しかし、何故龍之介はそれをおなつ様に?」
「龍之介も自分でよくわからないのだそうよ。だけど、嫌な予感がすると、私に相談して来たの」
「なるほど。龍之介も一日中奥方様付きなので、日頃の行動や言葉の中に、何か引っ掛かる物があったのかも知れませんね。それで、おなつ様は私にどうしろと?」
「当日の勘十郎様の警護を、あなた達黒母衣衆にお願いしたいの」
「それは構いませんが、勘十郎様だって小姓衆の一個部隊くらいは連れて来るでしょう?」
「だけど、謁見するのは奥方様よ?勘十郎様は奥方様に、何をしでかすかわからないお方です。数年前の、奥方様と勘十郎様の会談だって、無事に済んだわけではないのよ」
「
あの現場はなつも秀隆も居なかった
詳細が漏れたわけではないが、何かあったことくらいは帰って来た帰蝶を見ればわかる
「又助は早くから若寄りの人間だったと、幼かった勘十郎様だってご存知です。財産分与として那古野へ嬉々と行ってしまったことに、土田御前様だって不快感ぐらいは持っておられるでしょう」
「ああ・・・。又助さん、素直って言うか、感情が表に出やすいと言うか・・・」
「松助はその勘十郎様を見限った人間です。護衛としても側には居てほしくないでしょう」
「そうですね」
「となると、後は末森に長く居たあなたしか、適任者は居ないのよ」
「なんか、貧乏くじ引かされた気分ですよ、おなつ様」
「これも任務です。黙って引き受けなさい」
「選択の余地無しですか?」
「あると想ってる方がどうかしてます」
「
人生を諦めたかのような秀隆に、成政は掛ける言葉が見付からなかった
「勘十郎、正気ですか?清洲に行くと言うのは」
部屋に母がやって来た
相手が母親なら人払いもすんなりと行く
小姓らを遠ざけ、信勝は母と向かい合った
「別に兄上に逢いに行くわけではありません」
「確かに、美濃の方が病に伏せているとは聞きましたが、母はそれでも不安です」
「ですが、相手は義姉上ですよ?放ってはおけないでしょう?」
「そうですけどね」
「権六が言うには、この春頃から気鬱に悩まされていると言います。恐らく伊勢の坂から来た側室に、兄上を取られたようなお気持ちになっておられるのではないでしょうか。そんな義姉上様をお慰めするのも、義弟の私の役目だと想っております。円満だと想っておりましたが、女が一人増えただけで床に伏せる程なのですから、余程お悪いのでしょう。なんとか気を鎮めていただけるよう、最善の努力はいたします」
「それも大事ですが、お前も大事なのですよ?どうか気を付けて」
「護衛に権六を連れて行けないのは聊か不安ですが、この一年、兄上からもなんの咎も出ておりません。母上も余りお気を煩わせず、養生なさってください」
「
立派に育った次男の姿に、市弥は薄っすらと涙を浮かべた
「お前は本当に、良い子、優しい子。どうしてお前のような優れた人間が、長男に生まれて来なかったのかしら・・・」
「母上、それは禁句ですよ」
「
そっと窘める信勝に、市弥は苦笑いを浮かべる
十月が終わる頃、帰蝶は一つ、年を重ねた
二十歳の大人になった
それまでの自分と、これからの自分の違いはまだわからない
わからないけれど、いつまでも同じ自分で居られないことを知っていた
月が十一に変わる
清洲に信勝がやって来た
「お待ちしておりました、勘十郎様」
「与兵衛か。随分良い面構えになったな。稲生では林が随分世話になったそうで」
「いえ・・・」
根の素直な信長と違い、信勝は頭が良い分腹芸が効く
迂闊な態度に出たら即座に読まれるだろうと秀隆は、改めて用心した
「義姉上様のご容態は、どんなものだ」
局処に案内される背中で聞く
「元々明快な方でしたが、ここのところ沈みがちで」
「伊勢からもらった側室に、兄上の寵愛でも移ったか?」
「
感情の籠らぬ声しか出せない
やがて局処の入り口の廊下に差し掛かる
そこに貞勝が待ち受けていた
「ここからは村井殿がご案内なさいます」
「勘十郎様、ご無沙汰しております」
「ああ、そなたは」
信勝の微笑む目が、その言葉の続き、『養徳院の狗』と言っていた
「本日は奥方様のお見舞い、真にありがとうございます。奥方様も勘十郎様のご到着を心待ちになさっておいでです」
「おや、嫌がられるかと想っていたぞ。私はなんせ興円寺で、あのような騒動を起してしまったのだからな」
「いいえ」
その現場にはこの貞勝も居合わせていた
信勝が帰蝶に何をしようとしていたのかも、知っている
秀隆と違い年の功で貞勝は、自分の気持ちを押し殺した
「それでは、お部屋にご案内します」
「ああ、頼む。那古野の義姉上様のお部屋は一度お伺いしたことがあるが、清洲に移ってからは初めてだ」
そこで何が起きたのかまでは知らなくとも、貞勝はなつから信勝の邪まな想いを聞いている人間の一人だ
帰蝶が何を考え、何をしようとしているのかは貞勝にも見当が付かないが、今はただ、帰蝶の無事を祈るしかない
「奥方様、末森城より勘十郎様がお見えになられました」
帰蝶の部屋に到着し、信勝の訪問を知らせた
部屋に帰蝶が居る時は、待たずして直ぐに返事が来る
だが今日に限ってその返事が来ない
「奥方様?」
おかしいと感じ、貞勝は再度声を掛けた
するとしばらくして、返事の代わりに部屋の襖が開けられる
出て来たのは帰蝶ではなく、お能であった
「
「ああ、村井殿」
「末森より勘十郎様がご到着なさいました。奥方様はご在室でいらっしゃいますか?」
「あ、どうぞ」
お能はぎこちない表情をしながら、襖を大きく開く
当然だが、そこは居間にもなっているので、帰蝶の布団は何処にも敷かれていない
この部屋の隣が寝室なので、そちらに居るのだろうと貞勝は想った
「それでは、我らは廊下にてお待ちしております」
と、信勝の連れた小姓衆が廊下に並んで座る
「どうぞ」
貞勝に促され、信勝が部屋に入った
その後を秀隆ら黒母衣衆が続く
「女性の寝室ですので、ご入室なされますのは勘十郎様お一人でお願いしたいのですが、よろしいでしょうか」
恐る恐るな口調でお能が聞く
「こちらは構いません」
と、信勝が応えた
「では、河尻様、村井殿はこちらでお待ちくださいませ。勘十郎様、どうぞ奥へ」
ここからはお能が案内役を務める
信勝はお能に着いて、帰蝶の寝室に入った
それを見届け、秀隆が深く息を吐く
「ふぅー!なーんか、いやーな空気が流れたなぁーって感じて、冷や冷やしました」
「実は私もです」
苦笑いして、貞勝が応える
「でも、奥方様と二人きりにしちゃって良いんですかね」
「大丈夫でしょう。中にはお能様がいらっしゃいますし、恐らくお菊様もご同席なさいますでしょうし、ね」
「ああ、だから今日はおなつさんが若の面倒を?」
「殿のお世話以来だと、朝から張り切っておられました。なんせ後から生まれた稲様は、早々に乳母を付けられ、事実上取り上げられたような状態でしたので」
「
秀隆も信秀が死ぬまでは、ずっとその側に居た人間の一人である
当然、なつが稲を生んだ日のことも知っていた
甘い想い出ではなかったことも
帰蝶の寝室に通された信勝だったが、そこには帰蝶は居なかった
「義姉上はどちらですか」
「奥方様は、離れでお休みになられてます。勘十郎様が来られたら、そちらに案内するよう申し付けられておりますので、お庭からどうぞ。ご案内いたします」
ただお能は帰蝶から、そう命じられていただけである
「離れに?喧騒から逃れたのでしょうか。それとも、新しく来られた側室様に遠慮なさっておいでなのでしょうか」
信勝の質問がよくわからないお能は、軽く首を傾げて返事はしなかった
帰蝶の寝室から縁側に出る
秀隆も貞勝も、それに気付かなかった
予め用意されていた男物の草履の存在を訝しげに想いながらも、信勝は促されるまま中庭に出た
「こちらです」
先を歩くお能に着いて、初め縁側沿いに、それから庭の中央辺りまで出て東側に進む
局処を過ぎると庭の片隅に離れがあった
距離的にはそう離れた場所ではないが、城主奥方が居る場所にしては少し欝蒼としたところだった
「ここに義姉上が?」
「奥方様がお待ちです」
と、お能はその玄関先である入り口で立ち止まった
「私一人で入って構わないのですか?」
「奥方様からそう命じられておりますので、私はここで控えております」
「
以前は自分を拒絶していた帰蝶が、何故急に受け入れるような行動に出るのか、何となくわかるような気がした
伊勢の坂家から側室をもらい、それから帰蝶の様態が悪いと聞く
恐らくは『悋気』による気鬱だろう
それを晴らすのは、『他の男に目を向ける』くらいしかなかったのだろうと、ただ単純にそう想った
それならそれでこちらとしても好都合である
玄関に入り、お能を背中に信勝は草履を脱いだ
「真っ直ぐ行かれた先の、奥のお部屋に」
「わかりました。案内、ご苦労様でした」
自分に頭を下げるお能を背中に置き、信勝は薄っすらと暗い廊下を進んだ
離れにしては建物自体は立派であるが、廊下そのものは短い
少し走れば直ぐ表に出れるような長さの廊下を、奥に歩く
すると、目的の部屋の襖が現れた
ここか、と、立ち止まる
「義姉上様、おいでですか?勘十郎です」
しばらくして、中から返事が来た
「どうぞ」
聞き慣れた、帰蝶の声だった
「入ります」
自らの手でその襖を開ける
部屋の広さとしては、局処の帰蝶の私室とは比べ物にはならないだろう
然程広いとも言えない部屋の中央に一式の布団が敷かれ、そこに白の小袖を着た帰蝶が伏せていた
「義姉上様・・・!」
驚いた信勝は、慌てて駆け寄った
「勘十郎様・・・」
「様態が悪いとは聞いておりましたが、まさかここまでとは想わず、のんびり構えておりました。ご気分は如何ですか」
「あなたの顔を見れて、少し落ち着きました。ありがとう・・・」
「義姉上様・・・」
「ごめんなさいね、お忙しいのに、見舞いの催促なんてしてしまって」
声に覇気がない
それほど気鬱は帰蝶を蝕んでいるのか
信勝はそう想った
「いいえ。こちらこそ、直ぐにお見舞い申し上げれば良かったと、今、後悔しているところです」
「ふふっ・・・。無様って笑う?」
「何がですか」
「こんなところで一人寝ている私を」
「いいえ。こんなところにあなたを一人で寝かせている兄上に、激しい怒りを覚えるだけです」
「勘十郎様・・・・・・・・」
帰蝶は縋るように、布団の中から手を差し出す
信勝は何も言わずその手を受け取った
「
情けない微笑みを浮かべる帰蝶に、信勝の胸の奥で『想い』がゴトリと動く
「義姉上・・・。私のところに、来ませんか」
「え・・・?」
「いえ、養生をするだけです。末森はここより少し田舎ですが、だからこそ人も少なく空気も綺麗です。騒がしいこともなにもありません。何より・・・・・・・私がお側に着いてて差し上げます」
「でもそれじゃ、あなたの奥方様に悪いわ・・・。それに、ご側室様だって、居るのでしょう・・・?そんな方々を押し退けて、あなたの側に居るなんて、できない」
「構うもんですか。義理とは言え、私達は姉弟(きょうだい)ではありませんか。自分の姉より大事な者など、おりません」
「勘十郎様・・・・・・・・」
「ひととき、兄上をお忘れになられたらどうですか?そうすれば、義姉上様を蝕む気鬱もたちどころに消えてしまうでしょう」
「吉法師様を、忘れる・・・・・・・・・?」
忘れられたら、どんなに楽か
忘れられないから、今も苦しんでいるのに
忘れたくないから、帰蝶はもがき苦しむ想いをしながらも、生きることを選んだ
信勝の手に預けた指先が、ピクリと動いた
「義姉上様」
「
帰蝶は、自ら誘うように手を引く
帰蝶の手を握ったままの信勝の体が、自然と帰蝶の方に傾いた
「どうすれば、忘れられますか・・・」
「こうすれば」
信勝はそっと、帰蝶の顔に覆い被さるように腰を屈め、口付けた
その間は短く、直ぐに離れる
意外なことに帰蝶は、以前見せていた嫌悪感を見せない顔をしていた
「これって、『不義』ってやつですか?」
そっと微笑む帰蝶に、信勝も静かに応える
「『不義』だからこそ、癒せぬ傷も癒してくれるのです」
「
「私が義姉上様の傷を、癒して差し上げます」
「
信勝が何をどうするのか、どうやるのか、帰蝶はわかっていた
わかっていて、それを受け入れた
こうするしかないと
知りえぬ事実を掴む、唯一の方法だと想ったから
「あ・・・・・・・ッ」
二人で同じ布団に入る
その間で、帰蝶に覆い被さった信勝の躰が蠢いた
まだ互いの着物は脱いでいない
肌蹴た掛け布団が徐々にずれ、敷布団の結界から零れた
信勝は帰蝶の首筋に愛撫の口付けを擦り付けながら、その細い躰に手を這わせる
やがてその『男の手』は帰蝶の、『女の乳房』を掴んだ
以前から大きいとは感じていたが、その乳房がずっと大きくなっているような、そんな錯覚がする
あの時は全身で拒絶していた帰蝶が、今は全身で自分を受け入れている
不倫も辞さないほど、それほどまでに心の病は帰蝶を蝕んでいるのか
夫のためにあんなにも熱くなっていた兄嫁が、今は自分の手に悦んでいるその表情に、信勝は満足した
帰蝶の乳房を揉みながら、口付ける
その信勝の背中に、帰蝶は腕を回した
まるで鋭い針でも刺されるかのように、酷く顔を歪めながら
信勝の手が、帰蝶の寝間着用の小袖の胸元を軽く掴む
簡単に脱げるような着方をするのが寝間着の本来の役目でもあるため、帰蝶の胸元はいともあっさりと肌蹴た
そこから見たこともないような大きさの乳房が現れる
帰蝶の周囲に居る侍女は、その大半が豊かな乳房をしていた
最も、なつやお能のように、とっくの昔に成長期を過ぎた女は変わらないが、菊子のように幼年期から帰蝶に仕えていた女の殆どは、この当時では珍しいほど豊満な胸をしている
肉食と菜食の均衡が摂れていない末森では、考えられないことであった
だが、確かに帰蝶の乳房の大きさは知っているが、あれから何年かは経っているからだろうか、それとも他に理由があるのか、帰蝶の乳房の大きさは『魅力的』を通り越して、『異常』としか想えないほどだった
女の乳房がこれほど大きく、しかも固くしこっているには、理由(わけ)がある
「
小さく囁くように、信勝は帰蝶に聞いた
「つかぬことをお伺いしますが」
「
「最近、出産なされた、なんてことは、ありませんよね?」
「
一瞬、帰蝶の眉が寄る
だが、それを誤魔化すかのように、帰蝶は続けた
「それは、『石女かも知れない』と、何れ言われるであろう私への、当て付けでしょうか」
「いえ、そうではありません。ただ、義姉上様の胸が、以前より大きく、そして、その香りも若干変わっております」
「どのように?」
「まるで、『母上のような香り』ですよ」
「
それ以上喋らさぬように、か、帰蝶の手が信勝の頭を押え、自ら口付ける
その口の中に舌を差し込んで
驚きながらも信勝は帰蝶の舌を受け入れ、自分の口の中で絡ませ合った
「ん・・・」
繋がった口唇の間で、帰蝶の喘ぎ声が零れる
信勝は口付けながら帰蝶の小袖を肩まで脱がせた
ここまでして嫌がらないと言うことは、その気が充分ある証拠だろう
「義姉上」
既に鋭い尖りを見せるその乳首を口に含みながら、信勝は囁いた
「私はずっと昔から、あなたとこうしたかったのですよ」
「
私もね、ずっと前からこうしたかった
でも、できなかった
今は
あなたから真意を聞くためなら、できる
なんだってしてやる
それが吉法師様を裏切ることになり、いつかその罰が下ろうとも、私はやってやる
あなたの、本当の狙いを聞くためなら、なんだって・・・・・・・
「勘十郎様・・・。あなたも、脱いで・・・」
喘ぎながら帰蝶は催促した
「ですが、もし最中に誰かが入って来たら?」
「人払いは、お能にさせています。あなたが表に出るまでは、なんぴとたりとも中には通すな、と」
「そうですか。ですが小袖を脱いでしまうと、情事が知られてしまいます。女は些細な違いもあっさりと見抜いてしまうものですから」
「そう・・・ですか」
こんな場面でも自分を見失わない
それは立派だと素直に想う
信勝はまだ、自分を抱くつもりはないのだろう
その真似事をして、こちらの本心を探り入れるつもりだろうと直感した
自分が拒むか、受け入れるか
拒めば後戻りのできる内に離れ、受け入れればその先に進む
慎重な性格なのだな、と
だが、それにしてはすんなりと、この部屋に入った矛盾も感じられる
信勝の手が下の膨らみから持ち上げるように、乳房を揉む
それはまるで何かを確かめるかのような手付きだった
「勘十郎様・・・、痛いです・・・」
「ああ、すみません」
何を確かめようとしているのか
この乳房から『母乳』が出るかどうか、確かめようとしているのか
匂いに関して信勝の鼻は鋭いことを、帰蝶は知っていた
事前に帰命にはたっぷりと乳を与えその上で風呂に入り、『乳』の匂いを落として来た
部屋に入る前には信勝同様、匂いに鋭い巴にきちんと確認させてから
そのお陰か、信勝がどれだけ乳房を揉もうとも、母乳は一滴たりとも出て来ない
「勘十郎様・・・。その気がないのなら、おいたはこの辺で終わらせてください・・・。遂げられぬままでは、寧ろつらいです・・・」
信勝の下で、帰蝶は搾り出すような声を放った
「すみません。ですが私は過去、あなたに拒絶された身です。あなたがどこまで私を受け入れるつもりなのか、わからない私はただ怖い」
「勘十郎様・・・」
「受け入れてくれると及び、その途端にやはりと拒絶されてしまうのではないかと、それが恐ろしいのです」
「そう・・・ですね・・・。私はあなたを一度拒んだ。でも、今は」
「私を受け入れると?」
「それ以上に」
一度それを口にして、信長に叱られたことがある
その場の勢いだけで言葉にするなと
だが今は、選んでいる場合ではなかった
帰蝶は自分の気持ちを殺した
そして、それを口にした
「
「
あなたは、知らない
女は愛する人のためなら、鬼にも蛇にもなれることを
この手を血で汚すこともできる
吉法師様のためなら
帰命を守るためなら
この躰など、汚れてしまっても、構わない・・・・・・・・・・・・・・・・・・
PR
濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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更新のお知らせ
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(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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『トモダチコレクション』
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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