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「私は、大殿との約束があります。あなた様をお守りする立場ではあっても、勘十郎様が一人前になられるまでは末森から離れられません」
「構わないわ。あなたほどの男を側に置けないのは心許ないけど、お義父上様との約束も大事。私なら大丈夫。みんなが着いててくれるから」
「再びあなた様と刃交えるのは遠慮願いますが、それ以外のことでしたら何なりと申し付けくださいませ。いつでも何処へでも馳せ参じます」
「ありがとう、権六」
「 は・・・!」
『柴田』ではなく、『権六』と呼ばれたことがこそばゆい
勝家は髭面の向うで薄っすらと頬を赤らめた
「今しばらくはあなたの言うとおり、末森に居てもらいます。ただし、あちらの内情を無理にこちらに伝える必要はないわ」
「奥方様・・・!」
帰蝶の発言に、なつは目を剥いた
「なんてことを仰るんですか!こんな機会を自ら捨てるなど、愚の骨頂!取り消してくださいませ」
「いいえ、私は引かないわよ?なつ」
「奥方様」
勝家は二人の遣り取りを目を見開いて聞いていた
「末森の情報を私に売れば、権六は私にも末森にも一生、負い目を感じる。そう言う男だと見たの。違う?権六」
「 」
勝家は何も言えず、苦笑いに首を振った
「だとしても、権六がこちらに着いてくれれば、若の死因だって特定されます。末森を沈黙させる、絶好の機会じゃないですか」
「そんなの、他からでも取って来れるでしょ?手っ取り早いからって権六にそれを押し付けて、吉法師様が喜ぶとでも想ってるの?自惚れないで」
「奥・・・・・・」
「なつ。あなたは確かに吉法師様の第二の母かも知れない。でもね、あなたの判断が全て正しいと言い切る自信はあるの?吉法師様に傾倒しているあなたの判断は、決して間違ってないのかしら、どうかしら?」
「 それは・・・」
「吉法師様の仇討ちは、私がします。私が私の方法を以って行ないます。だから」
帰蝶はじっくりとなつを見て、言った
「あなたは、綺麗なままで居て欲しいの。私に加担しないで欲しいの」
「奥方様・・・・・・・」
帰蝶の言いたいこと、それは、なつにはわかった
信長を殺した末森は、決して許さないと宣言した帰蝶の、それ以前より心に誓っていたのだろう
それを
だから、自分には中立の立場のままで居て欲しかったのだと、なつは後から知った
「奥方様」
恐れながらと言った感じで、勝家が口を挟む
「あの日。岩倉が清洲に押し寄せた日。私はとある方より命令を受け、岩倉軍を清洲近くの小田井まで誘導しました」
「権六・・・」
「 ッ」
「『とある方』は、どうか奥方様でお探しくださいませ。これ以上のことは、私の口からは申せません。ですが、これだけは信じていただけますでしょうか」
「 何?」
「私は、岩倉軍は清洲の応援に来たのだと、聞かされました」
「ええ?」
なつの目が驚きでいっぱいに広がり、帰蝶は予想外の話に沈黙した
「岩倉織田当主織田三郎信安様は、殿の幼馴染みのような存在でもありました。ですので、大殿が亡くなられた後で縁が切れたとは言え、そこまで深刻なほど仲違いをしているとは想っておりませんでした。この権六、一生の不覚でございます」
「 そう」
帰蝶の視線が畳に落ちる
「奥方様・・・」
「大丈夫よ。私は、大丈夫」
「 」
帰蝶はいつも、それを口にする
まるで自分を鼓舞するかのように
尚更、なつは帰蝶が心配で堪らなかった
春、帰命が生まれて一ヶ月が過ぎた頃、恒興が帰蝶の許へやって来た
やって来た、と言っても、毎日顔を合わせている仲ではあるが、改めて用事があると言うのは久し振りのことだった
「お忙しいのに、お手間取らせて申し訳ございません」
「良いのよ。そんなことより、どうしたの?千郷とは上手くやってるの?」
「はい、お陰様で。小煩い姑が居ないものですから、のんびりと。まぁ、姑より煩いお絹さんが着いてますので、結果、煩いことには変わりないんですけどね」
「まぁ。この子ったら、言うようになったものね」
帰蝶の側に控えるなつは目を三角しに、小姓の龍之介は苦笑いを押し殺していた
「なつに対してそんな嫌味が言えるってことは、円満だって言う証拠ね。それで?どうしたの?」
「はい、今朝なんですが、妻の実家から手紙が届きまして」
「実家?荒尾から?」
「そうです。手紙は、なんとか殿のお力を借りれないか、と言うものでして」
「吉法師様の力?」
「どう言うこと?勝三郎」
「実は、荒尾家は伊勢湾を挟んだ向こう側、伊勢の豪族と懇意にしているのですが、その豪族が昔からの因縁と申しましょうか、北畠家と長く争っておりまして。しかし、その当主も年を取って最近、北畠との争いも落陽が見え始め」
「要するに、その豪族が北畠に攻められて危ないってこと?」
「そう、その通りなんです。奥方様、よくおわかりに」
「お前の説明がまどろっこしいだけよ」
「そう言いましても母上、私とて寝耳に水な話ですから、どう順を追って説明すれば良いのやら、全く見当が付かず」
「それで、荒尾はどんな力を借りたいと言って来てるの?」
「それがですね、その家から側室をもらわないか?と言う内容でして」
「 」
帰蝶もなつも、唖然とする
確かに恒興がまどろっこしい説明を余儀なくされる理由が伺えた
「 側室って、誰がもらうの」
気の抜けた声で、なつは呟いた
「それより、助けを求めてるその伊勢の豪族って、何処の家なの?場合によっては考えるわ」
「奥方様!またそんな、安請け合いを」
「坂家です」
「坂?」
その名前に、帰蝶は記憶を辿り寄せる
「坂・・・って土岐の末裔じゃない!」
「え、そうなんですか?」
なつと恒興、全く同じ顔で同じ口調で聞き返す
それがおかし過ぎて、龍之介は背中を向けてくっくっくと笑った
「土岐は今でこそ衰退して大名家でもなくなってしまったけど、今から四百年以上昔は、この辺り一帯を治めていた大大名だったのよ?」
「それは存じてますが」
「美濃の土岐郷を発祥に、美濃、尾張、伊勢の三国を手中に収めていたけれど、将軍家の謀略によりその力を分散され、伊勢では北畠家に追い遣られ、現在に至る、って感じかしら。どんなに優れた人間を輩出したとて、それも長く続く物じゃない。西の平氏、東の北条みたいなものね」
「北条って、相模のですか?」
「あれは別系統よ。今の北条は『後北条』と呼ばれているでしょう?それ以前の北条家のことよ。遠江の北条」
「ああ・・・」
「父に追放された土岐頼芸が尾張へ、伊勢へと転々としているのは、その昔の一族を頼ってのことね。それで、その坂家が吉法師様に側室を差す出す代わりに、味方に着いてくれと言って来てるの?」
「概ね、そのような内容です」
「無理です!側室なんて。誰がもらうんですか。断りなさい、勝三郎」
「はぁ・・・」
「待って、なつ」
「奥方様」
「伊勢の豪族、しかも土岐の末裔よ?ご馳走が向うからやって来るのに、追い返すことがある?」
「どう言うことですか」
「太平記では碌なことを書かれていないけど、土岐三傑の一人、土岐頼遠の時代、美濃、尾張、伊勢を礎にその力は京の都にまで及んだと聞くわ。上手く行けば私達も、それに肖れるかも知れないわね」
「肖る?」
「頼遠の足跡を辿れば、必ず京に辿り着く。彼の生まれ、彼の実績、彼と懇意のあった夢窓疎石、それを線で結べば京へと続く。天下統一には、頼遠の残した群像が役に立つかも」
「天下統一・・・ですか」
この奥方様はまた、途方もないことを言い出す、と、恒興はポカンとする
「しかし、奥方様?その土岐頼遠様ですが、結局は処刑されたのでしょう?」
「そうよ。将軍家は頼遠の力を恐れて、謀叛と言うでっち上げの事件を作り、彼を処刑したの」
「でっち上げ?」
「私はその頼遠様は天皇に弓を引いて、斬首の刑に処せられたと聞きましたが」
教わったことと違うことに、恒興は目を丸くした
「ああ、それ嘘よ」
「嘘・・・?」
あっさりとした口調で応える帰蝶に、恒興だけではなくなつもぽかんとする
「私を誰だと想ってるの?これでも一応は明智の血も引いてるのよ?まぁ、ご先祖様を持ち上げるのが当たり前だから、多少は大袈裟なことになってるかも知れないけど、明智で伝わる話では、自分達の地位を頼遠に奪われるのではないかと恐れた足利が、目の上の瘤になりつつあった土岐家の力を衰えさせるため、ありもしない罪を着せ、頼遠の言い分も聞かずに捕え、処刑したの」
「そんなことが罷り通るんですか・・・!?」
「罷り通るから、今があるんでしょう?それを一々気の毒だと感じていられるほど、うちだって大層な家柄じゃないわ。増してや、もう何百年も昔の話よ?そんなの至るところに落ちてるわ。源氏の義仲、義経だって結局は、覇権争いの犠牲者よ?だからって、死んだ者に同情して生き返る?精々花を手向けて線香の一本でも上げてあげれば良いじゃない」
「奥方様・・・・・・・」
「 悔やんで生き返るくらいなら、今頃ここに座ってるのは私じゃなくて、吉法師様だわ」
「 」
帰蝶の言葉に、なつも恒興も、何も言えなくなってしまった
その通りだと想ったから・・・・・・・・
「勝三郎」
「 はい」
「荒尾に返事して。その件、謹んでお受けすると」
「え?」
「奥方様!あなた、ご自分で何仰ってるのか、わかってるんですか?小姓をもらうわけじゃないんですよ?側室ですよ?」
「わかってるわよ、なつ」
「だったら、どうしてそんな」
「相手が、『土岐家末裔』だからよ」
「でも」
「何れ美濃に帰る時、側に土岐家の末裔が居れば、美濃の民は我らを拒んだりはしない。美濃の民にとって土岐は今も、英雄の一族なのだから」
「しかし・・・・・・・」
「あの、奥方様・・・。不躾なことを申しますが、側室をもらうということは、その、同衾も考えねば・・・」
「考えるわよ。後から」
恐る恐る告げる恒興に、帰蝶はきっぱり応える
「後からですかっ?」
「今はその坂家と繋がりを持つことが先決。同褥や同衾、同閨なんて後から考えれば良いのっ」
「はぁ、そう言うもんですか」
「そう言うもんじゃないでしょ、勝三郎ッ。どうして奥方様をお止しないのッ」
「そんな命知らずなこと、私にはとてもできません!妻だってまだ幼いんです!千郷を残して死ねますかッ!」
そう言う問題か?と、龍之介は聞きながら心に浮かばせた
その春四月、帰蝶の強制執行により伊勢坂家から、側室をもらうことに決まった
「 で、俺達が殿の身代わりに・・・?」
集められたのは秀隆、恒興、弥三郎、利家の四人
「だって、私は女だもの。無理でしょ?それに吉兵衛や又助じゃ年が離れ過ぎてるし、平三郎は今生駒の内偵に忙しいし、久助や松助もちょっと無理だし、岩竜丸や龍之介じゃ幼過ぎるし、吉法師様と年齢が近いって言えば、あなた達しか居ないんだもの」
「ちょっと待ってください、奥方様。俺、松助よりいっこ上ですよ?」
「ごめん。河尻って基本若作りから、うっかり集めちゃった」
「そんな笑顔で言われても、全然嬉しくないんですけどね」
「みんなであみだで決めてよ」
「あみだ?!」
「だから奥方様、何で俺、頭数入ったままなんですか!」
喧しい会議だな、と、龍之介は心の中で想った
「 やっぱり、私・・・?」
あみだで、坂家の姫君の相手は一応決まった
が、出迎えにはやはり、帰蝶自身が行なわなくてはならない
「当たり前でしょう?縦しんばその場だけ身代わりを立てたとして、その後どうするんですか。永遠にずっと、一々身代わりの者と入れ替わるんですか?そんな手間の掛かる細工をしなくても、同衾の時だけ部屋を暗くしておけばいいんでしょう?それに、子供ができれば後は放ったらかしでもいいでしょうけど、軍議は永続的に続くんですよ?そんなことをしていたら、いつかはばれます。自分で自分の首を絞める趣味がおありなら、お止めしませんけど」
「 最近なつ、言い方に棘が出て来たわね・・・」
「年を取ったとでも言いたいんですか?」
「いいえ、とんでもない」
どっちが主人でどっちが側近かわかんないな、と、龍之介は心の中で呟いた
四月、荒尾家の仲介により、伊勢坂家から一人の少女が側室として織田家に入った
出迎えは信長に成り済ました帰蝶が行なう
「 まぁ・・・、立派な若武者・・・。どこから見ても、凛々しいですよ、奥方様」
信長に扮した帰蝶の、変装の仕上がり具合を見たお能が、ぼうっとした顔で言う
背が高いのが幸いしたか、『若干なよっとした男』程度には見れなくもない
「あんまり嬉しくない、その言葉・・・」
元々の信長がやや優面だったのが幸いしてか、女の帰蝶が男装してもそれなりには見える
頭の天辺の月代も、ここのところ戦はなく、家臣の中でも伸ばしっぱなしの者も居れば、常に商人らと逢わなくてはならない貞勝は身嗜みの一環として、恒興は愛妻の手前不恰好では居たくないと言う想いから綺麗に剃り上げているが、それ以外は殆どが伸ばし放題の状態である
この頃の月代の手入れには剃刀が用いられるが、その剃刀が高級品だった
毎日使えばそれなりに消耗する
戦がない間は秀隆らのように、自然に生えるまま後ろで結ぶのが主流だ
最も、慶次郎に至っては伸ばし放題と言う以前に、なんの手入れもしていないのだが
問題は、『信長正妻の帰蝶』をどうするかだったが、信長が側室をもらうことに腹を立て、別居中だという設定にした
それを考えたのは、当然帰蝶自身である
帰蝶の非常識さは今に始まったことではないので、誰も驚かない
一同「承知しました」で結論が出たのだから
「坂巴です。未熟な不束者ですが、末永く可愛がってくださいませ」
年の頃は十五か十六、程々に良い年齢だった
「織田上総介信長である。粗相がなければ、何をしてくれても構わない。自分の家のように寛いでくれ」
態と声を低くして、まるで棒読みな帰蝶に全員が笑いを噛み殺す
そんな家臣らを、帰蝶は涙目で睨んだ
「奥方様にも一目お逢いして、ご挨拶願いたいのですが、どちらにいらっしゃいますでしょうか」
「 」
これには誰もが黙り込む
信長正妻帰蝶は既に別居していると伝えてあるため、まさか突っ込んで来るとは想ってなかったのだ
「あ・・・、あの・・・、えっと・・・」
さすがの帰蝶も言葉に詰まる
「家内円満は偏に、奥方様に気に入っていただけるかどうかに懸かっております。私のような若輩者が側室では何かと心配や不安もあるでしょうが、どうか受け入れていただけるよう、私を知ってもらいたいのです」
「 」
一生懸命な巴の姿に、帰蝶は目を見開いた
実家を守りたいと言う、一途な想いに溢れているからだ
政略で側室に入ると言うのに、それでも巴は自分の置かれた立場よりも、家を心配している様子が伺えた
それなのに、と、昔の自分を想い返す
政略で織田に入ることに絶望し、木曽川の大橋で泣いていた
恥しい・・・と、想った
「 室・・・には、何れ逢えるだろう。それを楽しみに待て」
「はい、承知いたしました。心待ちにしております」
屈託のない巴の笑顔に、帰蝶は胸を締め付けられた
将来、美濃に帰るためと、受け入れた側室に教えを請うたような気分にさせられた
「胸が痛いですか?無邪気な巴様を騙すのが」
「 」
本丸の私室に戻り、なつにそう言われた
帰蝶は応えられない
「ご自分でお決めになったことです。今更なかったことにとは、行きませんよ。わかっていて、受け入れたのでしょう?」
「そうよ」
「なら、そんなつらそうなお顔など、なさらないでください。見ているこっちまでつらくなります」
「 」
巴も何人かの侍女を連れ清洲に入った
その中には乳母もおり、千郷の時のように心細い想いをしなくて済んだのが幸いだった
なつが主に本丸で一日を過ごしていることもあり、局処も今ではあやが仕切っている
と言っても、生まれ付きのんびりとしているあやなので、結局はお能や菊子ら侍女がその補佐に入っているため、連帯感は本丸以上であった
最も、菊子は帰蝶の身の周りの世話で、なつと共に本丸勤めになったが、今日は巴の受け入れのため一時お能の補佐に戻っている
「わたくし、巴姫様の乳母を務めておりました、お勝と申します」
「局処局長の、お能と申します」
「局処局長補佐、菊子と申します」
「尾張の作法に不慣れなものですから、手際の悪いところもあるでしょうが、どうかご指導いただきますよう、よろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ」
豪族に身を窶したとは言え、さすがは南北朝時代から続く名家だと想い知らされる
その躾は侍女達にも充分行き渡っていた
他家から嫁げば、局処で多少のいざこざは発生するものを、今回は全くそれが見られない
なんせ帰蝶が嫁に入った当初は、お絹ら尾張衆と、お能ら美濃衆の間に少しは諍いと言うものがあったのだから
些細なことなので滅多に表には出なかったが
そんな尾張衆と美濃衆の諍いもなんのその、帰蝶が毎日信長と共にあっちへ出掛けたりこっちへ出掛けたりしていたのだから、侍女達も争うのが馬鹿馬鹿しくなって、いつの間にやら和気藹々とした関係になっていた
そんなことがあったなど、当の帰蝶ですら気付いていないほど
「ところで、こちらで最近、めでたくご嫡男様がお生まれになられたとお伺いしましたが」
そら来た、と、お能と菊子は顔を見合わせた
どなた様がご生母様で?と聞かれたら、互いに擦り付け合う気満々の顔である
「その若子様はどちらに?」
「 」
質問の趣旨が違い、ほっとする菊子の隣でお能が透かさず
「本丸にいらっしゃいます」
と、バカ正直に応える
「え?本丸にですか?通常でしたら、この局処でお育てあそばすのが倣いでは?」
「お能様ッ」
菊子はつい、小声でお能を怒鳴った
「だ、だって・・・」
「どうしてまた、本丸で」
「そ・・・、それは・・・」
「と、殿が馬鹿可愛がりなさっておいでで、いっときたりとて離れたくないと・・・」
「では、本丸にいらっしゃる間、どなたがご面倒を?」
苦しい言い訳に、益々窮地に落ちる
「えええええ、ええと・・・」
「お勝、不躾よ。本丸でお育てしても、良いじゃない。それに、殿のお側には乳母でもあった池田なつ様がいらっしゃいました。きっと、池田様が若子様の乳母もやっておられるのではありませんか?」
と、巴の助け舟が入る
「そっ、そうなんです。実はおなつ様が乳母をやっておられまして、それで、本丸にいらっしゃる間は、おなつ様がお育ていただいて」
「でも、確か若子様のご生母様は、乳母でしたか、侍女でしたか、そのように伺っておりますが、では、池田様がお産みに?」
「 」
それがいくら勘違いとは言え、そもそも生んだ帰蝶から口止めされているため、上手いいいわけも想い浮かばない
二人でそっと後ろを向き、小声で話す
「お菊ちゃん・・・。私、今、物凄く死にたい気分・・・」
「私もです・・・」
「もう良いでしょ、お勝。詮索も、その辺になさい。見苦しいですよ」
と、巴の忠告が入る
「申し訳ございません。お能様、菊子様、ご無礼申し上げました」
「いいえ・・・。ですが、ここで暮らせば自然と、全てのことがおわかりになられるかと想います。どうか構えず、寛いでくださいませ」
「ありがとうございます」
二人揃って、お能に頭を下げる
側室の巴の部屋は、帰蝶の部屋から離れた場所に宛がわれた
正室の部屋が日の出の昇る東向きなら、気に入られた側室は日当たりの良い南側
それから西、北は主に侍女達の部屋となっている
信長には側室が居なかったので、巴は南側でも一番良い部屋を与えられた
「わぁ、広い・・・」
「立派なお部屋ですね。奥方様が不在なのに、良いんでしょうか」
巴もお勝も、それ以外の伊勢からの侍女達も目を丸くして部屋を見渡した
「このお部屋は、奥方様が選んでくださったのですよ」
「え?奥方様は別居中では?」
「 」
お能はお勝の勘の鋭さがつくづく嫌になった
「もう良いじゃない、お勝。余り煩く言うと、伊勢に返すわよ?」
「申し訳ございません、姫様」
「それで、私はいつ上総介様の許へお伺いすればよろしいのでしょうか」
「ええと、そうですね、しばらくは長旅の疲れを癒していただいて」
「私は元気ですよ。まだ若いですもの」
「 」
嫌な小娘だな、と、三十路に突入直前のお能は心の中で呟いた
「疲れました・・・」
お能に後を任せ、本丸に戻った菊子は信長の寝室で眠っている帰命の布団の側で、バタンと倒れ込んだ
「だ、大丈夫?菊子」
「もう、伊勢の方々は何て言いましょうか、野生の勘が鋭いと申しましょうか、根掘り葉掘りあれやこれやと聞いて来て、もう、菊子もお能様もクタクタです」
「ご・・・、ごめん・・・」
「ほら、言わんこっちゃないでしょう?誤魔化し続けるにしても、何れ破綻しますよ?」
「そんなこと言ったって、もう遅いでしょ?それより、その坂巴を手懐けて、こちらの味方に引き込む方が先決じゃない。そっちの方考えましょ?」
逃げたな
と、なつは心の中で想った
その坂巴から同衾の嘆願が届く
「今時の若い娘は積極的ね」
感心する帰蝶に、自分もまだまだ小娘の分際で、と、当然ながらなつは心の中で想うだけにした
「で、準備は整ってるんですか?」
「万端よ。いつでもいらっしゃい」
と、どんと構える帰蝶だが
この日の夜、局処で『信長』と巴の初夜が行なわれた
「 ほんと、良いのかな・・・」
あみだくじで『当り』を引いてしまった弥三郎が、真新しい小袖を羽織って巴の寝室に入る
物陰では
「がんばれ、弥三郎」
「どうかご無事で、弥三郎様」
と、帰蝶と龍之介の、見守る姿があった
巴の寝室の両脇を固めるのは、秀隆と貞勝
通常は龍之介ら小姓がその警護を勤めるのだが、入るのが弥三郎なので事情を知らない他の者には任せられない
そのため、急遽黒母衣衆筆頭の秀隆と、局処事務局長の貞勝が警護の任に当たることになった
「ね、ねぇ、河尻様。やっぱり代わって 」
「さっさと入れ」
「 」
野太い声の笑顔で脅され、弥三郎は引き攣った笑顔で襖を開けた
「上総介信長様、ご入室です」
貞勝が巴に声を掛ける
「どうぞ」
中から巴の返事がして、秀隆に脹脛を叩かれながら弥三郎が入った
「よし、よし。これで後は無事合体するのを祈って」
「奥方様、下品です」
透かさず龍之介の突っ込みが入る
「じゃぁ、どう表現すればいいのよ」
「接続、あるいは接合」
「 あんまり変わんないと想うけど」
余り声を掛けるな、と、帰蝶からは釘を刺されている
部屋の中はいつもより暗くしてあった
足元に置かれた行灯の光を頼りに、巴の待つ床へと足を運ぶ
その足音に巴が身動きをした
「 何分初めてなものですから、手間取ることもあるでしょうが、よろしくお願いします・・・」
「あ・・・、ああ」
健気に声を掛けて来る巴に、弥三郎は冷や汗を掻きながら掛け布団を捲った
娘の瑞希が生まれる前の浮気なら小馴れたものだが、今回ばかりは相手が相手なだけに緊張も半端ではない
しかも、妻の菊子には内緒の大事業だ
掛かる精神的圧力も生半可な物ではなかった
生暖かくなっている布団の中に入り、そっと巴の肩を抱く
こうなったらさっさと済まして、さっさと帰るぞ
そう心に誓う弥三郎であった
「 参る」
極力小さな声で囁き、巴に圧し掛かった
巴は自分の上に重なる弥三郎の背中に腕を回し、夜を迎え入れる
先ずは口付けから、と、顔を近付けた弥三郎に、巴はハッとした
「誰ですか!」
「 え?」
聞き返す前に、巴は重なる弥三郎を撥ね退け、布団から脱する
「出合え!曲者じゃ!」
「 ッ!」
その声に、襖の両脇に居た秀隆、貞勝も咄嗟に腰を上げ、物陰に隠れていた帰蝶、龍之介も飛び出した
「何?!どうしたの?!」
「さ、さあ・・・」
おどおどする秀隆と貞勝の間を襖がぶち抜かれ、そこから弥三郎が転がり飛んで来た
「や・・・!」
弥三郎、と、想わず声を掛けそうになるのを、帰蝶は口を押えて止めた
「お勝!お勝!」
部屋の中から薙刀を掴んで出て来る巴に、全員がギョッとする
「こ、これは、巴様・・・」
「いっ、如何なさって・・・」
「どうもこうも、あ 。上総介様!」
「しまった!」
慌てて隠れようとする帰蝶の小袖の袖を掴んで、巴は引き止めた
「何故このような細工をなさるのですか!」
「え・・・、えーっと・・・」
これを一般に、『万事休す』と言う
局処の帰蝶の私室に、一堂が介する
本丸から慌てて駆け付けたなつ、局処局長のお能、巴の侍女のお勝
現場に居た秀隆と、貞勝、当事者である弥三郎と、何故か、外回りから帰って来た利家も巻き込まれていた
十五の小娘の前に全員が正座で座らされている姿は、滑稽以外の何物でもない
「何で俺まで・・・?」
「喧しい。こうなりゃ一蓮托生だ」
「どう見ても俺、道連れでしょ。見回り報告に来ただけなのに」
ぶつぶつ文句を言う利家の前で、帰蝶は恐る恐る巴に聞く
「 どうして、私ではないとわかった・・・?」
できる限り男になりきろうと、帰蝶なりに必死だった
と言うのも、寝る前の出来事なだけに、帰蝶は信長の寝間着こそ纏っているものの、髪は降ろしたままなのだから、どこから見ても『女』である
だが巴は、それを意に介する様子もない
「匂いが違いました」
「匂い?」
「今日、初めて上総介様にお逢いした時の匂いと、さっきの、弥三郎様ですか?匂いが違っていました」
「 私、そんなに匂う・・・?」
泣きそうな顔をして、帰蝶は隣に居るなつに聞いた
なつはわからず、首を傾げる
「そう言えばお・・・殿って、匂いますよね」
「そんなに臭い?!」
利家の言葉に、帰蝶は泣くのを通り越して死にたくなる
「臭いってんじゃなくて、なんて言うんだろ、香みたいな匂いって言うんですか?」
「そんなの付けて・・・焚いてないぞ」
今更男言葉を使っても後の祭りだとは想いつつも、無駄な足掻きで使わずにはいられない心境の帰蝶であった
「そうですよ。お・・・殿にそんな高尚な趣味、あるわけないじゃないですか」
「なつ、その言い方はその言い方でつらい・・・」
一応なつも補佐するつもりなのだろうが、帰蝶の傷口を抉って塩を塗り込むだけの結果しか得られないのが悲しい
「香かなって、私も最初は想いました。でも、今まで嗅いだどの香とも違います。ほんのり甘くて、でも爽やかで、優しい香りです。だから殿方にしては珍しい匂いだなって、想ってたんです」
「巴・・・」
「そう言えば随分前、勘十郎様にも言われましたね」
「ああ・・・」
嫌なことを想い出させるな、と、帰蝶は軽くなつを睨む
睨まれたなつは全く動じていないが
「でも、この間逢った権六には、何も言われなかった」
「ああ、それ、権六さん、若い頃蓄膿患いましてね、それ以来鼻はあまり利かなかったような」
と、貞勝が説明する
「え・・・?蓄膿・・・?」
だから気付かれなかったのかと、帰蝶の肩が落ちる
「どうして私を騙したんですか?わけを話してください。でなければ、事を大袈裟にして織田家を引っ掻き回しますよ?」
「 」
それは脅しではなく、本気なのだと感じた
どんなまやかしも、この娘には効かない、と
「わかった・・・。全てを話す」
「お、殿・・・!」
止めようとするなつらに、帰蝶は苦笑いして首を振った
「巴は、実家の安否が掛かってるの。必死なのよ。そんな人間に、誤魔化しなんて最初から無理だったのね。私の負けだわ」
「 奥方・・・様・・・」
「奥方様?」
「あ・・・ッ」
慌てて口を噤むも、最早手遅れだった
「巴、聞いて」
「 」
巴は真剣な顔をして、帰蝶を見詰めた
「私よ。あなたが逢いたがっていた、相手」
「あなた様・・・が・・・?」
「私が、信長正妻、斎藤帰蝶です」
「え?」
「まさか・・・!」
巴はキョトンとし、お勝は目を丸めた
「 そんなことが・・・」
帰蝶は巴とお勝に全てを打ち明けた
「では・・・、上総介・・・、いえ、奥方様は上総介様が亡くなられてからずっと、その身代わりに・・・?」
「そうしなければ、尾張は混乱していた。吉法師様の夢も、潰えていた。そうさせたくなかった。吉法師様を奪われ、吉法師様の遺した夢まで奪われたくなかった。だから、美濃に戻った時の、民の支持を得るため、土岐の末裔であるあなたを迎え入れた。ごめんなさい。私のしたことは打算の上に、あなたを傷付ける結果になってしまったわ。どんなに償っても、許してもらえるとは想ってない。少し待ってくれるのなら、叔父上に相談して、他の織田に嫁ぎ直せるよう取り計らってもらって、あなたの実家も織田とは同盟関係であれるようにします」
「私は・・・・・・・・・。確かに、実家を救いたい、北畠の猛攻に耐えるしかない実家を救いたい、その一心で上総介様の許に参りました。ですが・・・!」
巴は帰蝶をきっと睨んで言った
「父は、私にこう言いました。何より、側室は正室に対する召使も同然、そのご正室様に可愛がってもらえるよう、最善の努力は尽くせ、と」
「巴・・・・・・」
「父が織田家の側室に私を送ったのは、その織田家惣領様の奥方様が、明智の血を引く姫君だからです。明智は土岐の傍流の中でも、一番土岐に近い存在。その血筋であられる奥方様に近付くこと、それが私達の狙いでした。騙した、と言うのなら、私達も同罪です。 申し訳ございませんでした・・・」
「 」
巴、そしてお勝も同時に頭を下げる
「だから、奥方様にお逢いしたいと熱心に仰ってたのですね」
呟くように、なつが言う
「はい」
頭を下げたまま、巴が応える
「奥方様・・・、いえ、上総介様」
「 何・・・?」
「お手を、頂いていいでしょうか・・・」
「 」
恐る恐る聞く巴に、帰蝶はゆっくり頷いた
それを見て、おずおずと帰蝶の前に膝進みで前に出る
それから、そっと帰蝶の両手を包み込むように掴んだ
掴んだ帰蝶の手を額に当て、目蓋を閉じて巴は言う
「 遠い縁(えにし)に結ばれた、土岐の散りし血脈、それを一つ一つ寄せ集めて、再び、土岐の帝国を・・・。見果てぬ夢ではございますが、我ら坂家にも夢はございます。長きに渡って北畠に虐げられながらも伊勢に留まったのも、その屈辱に耐えて来たのも、全ては小さく砕かれた土岐の血を、再び集結させるため。上総介様。あなた様の正体、決して他言いたしませぬ。ですからどうか、どうか、巴をお側に置いてくださいませ!漸く巡り会えたこの縁を、断ち切ってしまわないで下さいませ!どうか、どうか・・・、坂をお救いくださいませ」
真摯な巴の訴え
退けることなどできない
帰蝶はゆっくりと頷き、応えた
「案ずるな。坂は私が守ってみせる」
「 上総介様・・・ッ」
感極まって、巴は帰蝶にしがみ付いて泣き出した
それを無礼とは想えず、帰蝶は巴を抱き返してやった
「 奥方様・・・、やっぱり、優しい香りがいたします・・・」
「そう?」
「とても良い香りです・・・。安心できる香りです・・・」
「 」
取り敢えず臭くはないのだな、と、帰蝶はほっとして巴を抱き続けてやった
「この通り、私はお前を抱けない躰です。だけど、お前にも子を作ってもらわねばなりません」
翌日、帰蝶は巴を表座敷に呼び出した
「織田の血を引いていなくても?」
「大事なのは、『織田の名を継ぐ』ことよ。お前の目に適った者が居れば、誰であろうと問いません。賢く、強い子を作りなさい。それが条件」
「はい」
「伊勢は、久助が出身だったわね」
「そうですね、滝川様が伊勢出身ですね」
側に居る龍之介が応える
「それじゃぁ、鉄砲隊が落ち着いたら、伊勢に出向いてもらいましょうか。忙しいわね、久助も」
「見事に扱き使っておられますからね、奥方様が」
「 煩い」
「 」
顔を赤くする帰蝶を、なつはポカンとして眺めた
その帰蝶に突っ込んだのが、自分ではなく龍之介だからだ
口達者な帰蝶にぐうの音も出させない龍之介に、驚かされた
「 不思議です」
局処に戻った巴は、その中庭に出て、縁側に居る帰蝶に話し掛けた
「え?」
「伊勢を出る前は、物凄くドキドキしたんです。奥方様って、どんな方だろうって。お優しい方かな、お怖い方かな、って。でも虐められても、絶対奥方様に取り入らなきゃって。でも」
「ん?」
自分に振り返る巴に、帰蝶は首を傾げて聞き返した
「お強い方だってわかって、巴は凄く嬉しかったです」
「強い?私が?」
「だって、ご自分の人生を犠牲にしてでも、ご主人様の夢を守ろうとなさってるんですもの。人はそこまで強くなれるものでしょうか?特に、女は」
「どうかしら。私も、嫁いだ頃は普通の女だった。些細なことで泣いたり、怒ったり。でも、吉法師様と共に過ごした日々が、私を変えたのかも知れない。泣いてばかりじゃ、どうしようもないって」
「上総介様も、泣かれたことがあるんですか?」
「そうよ。故郷を離れ、友と別れ・・・」
一瞬、夫を殺した利三が浮かび、どうしようもない殺意が芽を出す
「どうかなさいましたか?」
様子がおかしくなった帰蝶に、巴は心配して声を掛けた
「 いいえ、なんでもないわ」
まるで気を取り直すかのように、また、微笑む
「故郷を想って泣いた私よりも、泣かずに立ち向かった巴の方が、ずっと強い。自信を持ちなさい」
「上総介様・・・」
誉められて、だが相手が麗人の帰蝶だからか、巴はぽっと頬を染める
「巴。これからもよろしくね」
「はい、上総介様。こちらこそ、よろしくお願いします」
「尾張を制し、伊勢、それから美濃を落とします」
「伊勢と、美濃・・・を・・・」
「巴」
「 はい・・・!」
口調の変わった帰蝶に着いて行けず、巴は慌てて背筋を伸ばした
「伊勢の国人衆、あなたに任せました。見事、取り纏めて御覧なさい」
できるだろうか
自分に
できるはずがない
だけど、断れば実家はなくなる
そんな気がした
何より、帰蝶のその目が拒絶することを許さなかった
「 はい」
巴は気を引き締める想いで、自分自身に言い聞かせるように返事した
実家を守るためにも、この方と共に伊勢を落とすのだ、と、心に誓って
「構わないわ。あなたほどの男を側に置けないのは心許ないけど、お義父上様との約束も大事。私なら大丈夫。みんなが着いててくれるから」
「再びあなた様と刃交えるのは遠慮願いますが、それ以外のことでしたら何なりと申し付けくださいませ。いつでも何処へでも馳せ参じます」
「ありがとう、権六」
「
『柴田』ではなく、『権六』と呼ばれたことがこそばゆい
勝家は髭面の向うで薄っすらと頬を赤らめた
「今しばらくはあなたの言うとおり、末森に居てもらいます。ただし、あちらの内情を無理にこちらに伝える必要はないわ」
「奥方様・・・!」
帰蝶の発言に、なつは目を剥いた
「なんてことを仰るんですか!こんな機会を自ら捨てるなど、愚の骨頂!取り消してくださいませ」
「いいえ、私は引かないわよ?なつ」
「奥方様」
勝家は二人の遣り取りを目を見開いて聞いていた
「末森の情報を私に売れば、権六は私にも末森にも一生、負い目を感じる。そう言う男だと見たの。違う?権六」
「
勝家は何も言えず、苦笑いに首を振った
「だとしても、権六がこちらに着いてくれれば、若の死因だって特定されます。末森を沈黙させる、絶好の機会じゃないですか」
「そんなの、他からでも取って来れるでしょ?手っ取り早いからって権六にそれを押し付けて、吉法師様が喜ぶとでも想ってるの?自惚れないで」
「奥・・・・・・」
「なつ。あなたは確かに吉法師様の第二の母かも知れない。でもね、あなたの判断が全て正しいと言い切る自信はあるの?吉法師様に傾倒しているあなたの判断は、決して間違ってないのかしら、どうかしら?」
「
「吉法師様の仇討ちは、私がします。私が私の方法を以って行ないます。だから」
帰蝶はじっくりとなつを見て、言った
「あなたは、綺麗なままで居て欲しいの。私に加担しないで欲しいの」
「奥方様・・・・・・・」
帰蝶の言いたいこと、それは、なつにはわかった
信長を殺した末森は、決して許さないと宣言した帰蝶の、それ以前より心に誓っていたのだろう
それを
だから、自分には中立の立場のままで居て欲しかったのだと、なつは後から知った
「奥方様」
恐れながらと言った感じで、勝家が口を挟む
「あの日。岩倉が清洲に押し寄せた日。私はとある方より命令を受け、岩倉軍を清洲近くの小田井まで誘導しました」
「権六・・・」
「
「『とある方』は、どうか奥方様でお探しくださいませ。これ以上のことは、私の口からは申せません。ですが、これだけは信じていただけますでしょうか」
「
「私は、岩倉軍は清洲の応援に来たのだと、聞かされました」
「ええ?」
なつの目が驚きでいっぱいに広がり、帰蝶は予想外の話に沈黙した
「岩倉織田当主織田三郎信安様は、殿の幼馴染みのような存在でもありました。ですので、大殿が亡くなられた後で縁が切れたとは言え、そこまで深刻なほど仲違いをしているとは想っておりませんでした。この権六、一生の不覚でございます」
「
帰蝶の視線が畳に落ちる
「奥方様・・・」
「大丈夫よ。私は、大丈夫」
「
帰蝶はいつも、それを口にする
まるで自分を鼓舞するかのように
尚更、なつは帰蝶が心配で堪らなかった
春、帰命が生まれて一ヶ月が過ぎた頃、恒興が帰蝶の許へやって来た
やって来た、と言っても、毎日顔を合わせている仲ではあるが、改めて用事があると言うのは久し振りのことだった
「お忙しいのに、お手間取らせて申し訳ございません」
「良いのよ。そんなことより、どうしたの?千郷とは上手くやってるの?」
「はい、お陰様で。小煩い姑が居ないものですから、のんびりと。まぁ、姑より煩いお絹さんが着いてますので、結果、煩いことには変わりないんですけどね」
「まぁ。この子ったら、言うようになったものね」
帰蝶の側に控えるなつは目を三角しに、小姓の龍之介は苦笑いを押し殺していた
「なつに対してそんな嫌味が言えるってことは、円満だって言う証拠ね。それで?どうしたの?」
「はい、今朝なんですが、妻の実家から手紙が届きまして」
「実家?荒尾から?」
「そうです。手紙は、なんとか殿のお力を借りれないか、と言うものでして」
「吉法師様の力?」
「どう言うこと?勝三郎」
「実は、荒尾家は伊勢湾を挟んだ向こう側、伊勢の豪族と懇意にしているのですが、その豪族が昔からの因縁と申しましょうか、北畠家と長く争っておりまして。しかし、その当主も年を取って最近、北畠との争いも落陽が見え始め」
「要するに、その豪族が北畠に攻められて危ないってこと?」
「そう、その通りなんです。奥方様、よくおわかりに」
「お前の説明がまどろっこしいだけよ」
「そう言いましても母上、私とて寝耳に水な話ですから、どう順を追って説明すれば良いのやら、全く見当が付かず」
「それで、荒尾はどんな力を借りたいと言って来てるの?」
「それがですね、その家から側室をもらわないか?と言う内容でして」
「
帰蝶もなつも、唖然とする
確かに恒興がまどろっこしい説明を余儀なくされる理由が伺えた
「
気の抜けた声で、なつは呟いた
「それより、助けを求めてるその伊勢の豪族って、何処の家なの?場合によっては考えるわ」
「奥方様!またそんな、安請け合いを」
「坂家です」
「坂?」
その名前に、帰蝶は記憶を辿り寄せる
「坂・・・って土岐の末裔じゃない!」
「え、そうなんですか?」
なつと恒興、全く同じ顔で同じ口調で聞き返す
それがおかし過ぎて、龍之介は背中を向けてくっくっくと笑った
「土岐は今でこそ衰退して大名家でもなくなってしまったけど、今から四百年以上昔は、この辺り一帯を治めていた大大名だったのよ?」
「それは存じてますが」
「美濃の土岐郷を発祥に、美濃、尾張、伊勢の三国を手中に収めていたけれど、将軍家の謀略によりその力を分散され、伊勢では北畠家に追い遣られ、現在に至る、って感じかしら。どんなに優れた人間を輩出したとて、それも長く続く物じゃない。西の平氏、東の北条みたいなものね」
「北条って、相模のですか?」
「あれは別系統よ。今の北条は『後北条』と呼ばれているでしょう?それ以前の北条家のことよ。遠江の北条」
「ああ・・・」
「父に追放された土岐頼芸が尾張へ、伊勢へと転々としているのは、その昔の一族を頼ってのことね。それで、その坂家が吉法師様に側室を差す出す代わりに、味方に着いてくれと言って来てるの?」
「概ね、そのような内容です」
「無理です!側室なんて。誰がもらうんですか。断りなさい、勝三郎」
「はぁ・・・」
「待って、なつ」
「奥方様」
「伊勢の豪族、しかも土岐の末裔よ?ご馳走が向うからやって来るのに、追い返すことがある?」
「どう言うことですか」
「太平記では碌なことを書かれていないけど、土岐三傑の一人、土岐頼遠の時代、美濃、尾張、伊勢を礎にその力は京の都にまで及んだと聞くわ。上手く行けば私達も、それに肖れるかも知れないわね」
「肖る?」
「頼遠の足跡を辿れば、必ず京に辿り着く。彼の生まれ、彼の実績、彼と懇意のあった夢窓疎石、それを線で結べば京へと続く。天下統一には、頼遠の残した群像が役に立つかも」
「天下統一・・・ですか」
この奥方様はまた、途方もないことを言い出す、と、恒興はポカンとする
「しかし、奥方様?その土岐頼遠様ですが、結局は処刑されたのでしょう?」
「そうよ。将軍家は頼遠の力を恐れて、謀叛と言うでっち上げの事件を作り、彼を処刑したの」
「でっち上げ?」
「私はその頼遠様は天皇に弓を引いて、斬首の刑に処せられたと聞きましたが」
教わったことと違うことに、恒興は目を丸くした
「ああ、それ嘘よ」
「嘘・・・?」
あっさりとした口調で応える帰蝶に、恒興だけではなくなつもぽかんとする
「私を誰だと想ってるの?これでも一応は明智の血も引いてるのよ?まぁ、ご先祖様を持ち上げるのが当たり前だから、多少は大袈裟なことになってるかも知れないけど、明智で伝わる話では、自分達の地位を頼遠に奪われるのではないかと恐れた足利が、目の上の瘤になりつつあった土岐家の力を衰えさせるため、ありもしない罪を着せ、頼遠の言い分も聞かずに捕え、処刑したの」
「そんなことが罷り通るんですか・・・!?」
「罷り通るから、今があるんでしょう?それを一々気の毒だと感じていられるほど、うちだって大層な家柄じゃないわ。増してや、もう何百年も昔の話よ?そんなの至るところに落ちてるわ。源氏の義仲、義経だって結局は、覇権争いの犠牲者よ?だからって、死んだ者に同情して生き返る?精々花を手向けて線香の一本でも上げてあげれば良いじゃない」
「奥方様・・・・・・・」
「
「
帰蝶の言葉に、なつも恒興も、何も言えなくなってしまった
その通りだと想ったから・・・・・・・・
「勝三郎」
「
「荒尾に返事して。その件、謹んでお受けすると」
「え?」
「奥方様!あなた、ご自分で何仰ってるのか、わかってるんですか?小姓をもらうわけじゃないんですよ?側室ですよ?」
「わかってるわよ、なつ」
「だったら、どうしてそんな」
「相手が、『土岐家末裔』だからよ」
「でも」
「何れ美濃に帰る時、側に土岐家の末裔が居れば、美濃の民は我らを拒んだりはしない。美濃の民にとって土岐は今も、英雄の一族なのだから」
「しかし・・・・・・・」
「あの、奥方様・・・。不躾なことを申しますが、側室をもらうということは、その、同衾も考えねば・・・」
「考えるわよ。後から」
恐る恐る告げる恒興に、帰蝶はきっぱり応える
「後からですかっ?」
「今はその坂家と繋がりを持つことが先決。同褥や同衾、同閨なんて後から考えれば良いのっ」
「はぁ、そう言うもんですか」
「そう言うもんじゃないでしょ、勝三郎ッ。どうして奥方様をお止しないのッ」
「そんな命知らずなこと、私にはとてもできません!妻だってまだ幼いんです!千郷を残して死ねますかッ!」
その春四月、帰蝶の強制執行により伊勢坂家から、側室をもらうことに決まった
「
集められたのは秀隆、恒興、弥三郎、利家の四人
「だって、私は女だもの。無理でしょ?それに吉兵衛や又助じゃ年が離れ過ぎてるし、平三郎は今生駒の内偵に忙しいし、久助や松助もちょっと無理だし、岩竜丸や龍之介じゃ幼過ぎるし、吉法師様と年齢が近いって言えば、あなた達しか居ないんだもの」
「ちょっと待ってください、奥方様。俺、松助よりいっこ上ですよ?」
「ごめん。河尻って基本若作りから、うっかり集めちゃった」
「そんな笑顔で言われても、全然嬉しくないんですけどね」
「みんなであみだで決めてよ」
「あみだ?!」
「だから奥方様、何で俺、頭数入ったままなんですか!」
「
あみだで、坂家の姫君の相手は一応決まった
が、出迎えにはやはり、帰蝶自身が行なわなくてはならない
「当たり前でしょう?縦しんばその場だけ身代わりを立てたとして、その後どうするんですか。永遠にずっと、一々身代わりの者と入れ替わるんですか?そんな手間の掛かる細工をしなくても、同衾の時だけ部屋を暗くしておけばいいんでしょう?それに、子供ができれば後は放ったらかしでもいいでしょうけど、軍議は永続的に続くんですよ?そんなことをしていたら、いつかはばれます。自分で自分の首を絞める趣味がおありなら、お止めしませんけど」
「
「年を取ったとでも言いたいんですか?」
「いいえ、とんでもない」
四月、荒尾家の仲介により、伊勢坂家から一人の少女が側室として織田家に入った
出迎えは信長に成り済ました帰蝶が行なう
「
信長に扮した帰蝶の、変装の仕上がり具合を見たお能が、ぼうっとした顔で言う
背が高いのが幸いしたか、『若干なよっとした男』程度には見れなくもない
「あんまり嬉しくない、その言葉・・・」
元々の信長がやや優面だったのが幸いしてか、女の帰蝶が男装してもそれなりには見える
頭の天辺の月代も、ここのところ戦はなく、家臣の中でも伸ばしっぱなしの者も居れば、常に商人らと逢わなくてはならない貞勝は身嗜みの一環として、恒興は愛妻の手前不恰好では居たくないと言う想いから綺麗に剃り上げているが、それ以外は殆どが伸ばし放題の状態である
この頃の月代の手入れには剃刀が用いられるが、その剃刀が高級品だった
毎日使えばそれなりに消耗する
戦がない間は秀隆らのように、自然に生えるまま後ろで結ぶのが主流だ
最も、慶次郎に至っては伸ばし放題と言う以前に、なんの手入れもしていないのだが
問題は、『信長正妻の帰蝶』をどうするかだったが、信長が側室をもらうことに腹を立て、別居中だという設定にした
それを考えたのは、当然帰蝶自身である
帰蝶の非常識さは今に始まったことではないので、誰も驚かない
一同「承知しました」で結論が出たのだから
「坂巴です。未熟な不束者ですが、末永く可愛がってくださいませ」
年の頃は十五か十六、程々に良い年齢だった
「織田上総介信長である。粗相がなければ、何をしてくれても構わない。自分の家のように寛いでくれ」
態と声を低くして、まるで棒読みな帰蝶に全員が笑いを噛み殺す
そんな家臣らを、帰蝶は涙目で睨んだ
「奥方様にも一目お逢いして、ご挨拶願いたいのですが、どちらにいらっしゃいますでしょうか」
「
これには誰もが黙り込む
信長正妻帰蝶は既に別居していると伝えてあるため、まさか突っ込んで来るとは想ってなかったのだ
「あ・・・、あの・・・、えっと・・・」
さすがの帰蝶も言葉に詰まる
「家内円満は偏に、奥方様に気に入っていただけるかどうかに懸かっております。私のような若輩者が側室では何かと心配や不安もあるでしょうが、どうか受け入れていただけるよう、私を知ってもらいたいのです」
「
一生懸命な巴の姿に、帰蝶は目を見開いた
実家を守りたいと言う、一途な想いに溢れているからだ
政略で側室に入ると言うのに、それでも巴は自分の置かれた立場よりも、家を心配している様子が伺えた
それなのに、と、昔の自分を想い返す
政略で織田に入ることに絶望し、木曽川の大橋で泣いていた
恥しい・・・と、想った
「
「はい、承知いたしました。心待ちにしております」
屈託のない巴の笑顔に、帰蝶は胸を締め付けられた
将来、美濃に帰るためと、受け入れた側室に教えを請うたような気分にさせられた
「胸が痛いですか?無邪気な巴様を騙すのが」
「
本丸の私室に戻り、なつにそう言われた
帰蝶は応えられない
「ご自分でお決めになったことです。今更なかったことにとは、行きませんよ。わかっていて、受け入れたのでしょう?」
「そうよ」
「なら、そんなつらそうなお顔など、なさらないでください。見ているこっちまでつらくなります」
「
巴も何人かの侍女を連れ清洲に入った
その中には乳母もおり、千郷の時のように心細い想いをしなくて済んだのが幸いだった
なつが主に本丸で一日を過ごしていることもあり、局処も今ではあやが仕切っている
と言っても、生まれ付きのんびりとしているあやなので、結局はお能や菊子ら侍女がその補佐に入っているため、連帯感は本丸以上であった
最も、菊子は帰蝶の身の周りの世話で、なつと共に本丸勤めになったが、今日は巴の受け入れのため一時お能の補佐に戻っている
「わたくし、巴姫様の乳母を務めておりました、お勝と申します」
「局処局長の、お能と申します」
「局処局長補佐、菊子と申します」
「尾張の作法に不慣れなものですから、手際の悪いところもあるでしょうが、どうかご指導いただきますよう、よろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ」
豪族に身を窶したとは言え、さすがは南北朝時代から続く名家だと想い知らされる
その躾は侍女達にも充分行き渡っていた
他家から嫁げば、局処で多少のいざこざは発生するものを、今回は全くそれが見られない
なんせ帰蝶が嫁に入った当初は、お絹ら尾張衆と、お能ら美濃衆の間に少しは諍いと言うものがあったのだから
些細なことなので滅多に表には出なかったが
そんな尾張衆と美濃衆の諍いもなんのその、帰蝶が毎日信長と共にあっちへ出掛けたりこっちへ出掛けたりしていたのだから、侍女達も争うのが馬鹿馬鹿しくなって、いつの間にやら和気藹々とした関係になっていた
そんなことがあったなど、当の帰蝶ですら気付いていないほど
「ところで、こちらで最近、めでたくご嫡男様がお生まれになられたとお伺いしましたが」
そら来た、と、お能と菊子は顔を見合わせた
どなた様がご生母様で?と聞かれたら、互いに擦り付け合う気満々の顔である
「その若子様はどちらに?」
「
質問の趣旨が違い、ほっとする菊子の隣でお能が透かさず
「本丸にいらっしゃいます」
と、バカ正直に応える
「え?本丸にですか?通常でしたら、この局処でお育てあそばすのが倣いでは?」
「お能様ッ」
菊子はつい、小声でお能を怒鳴った
「だ、だって・・・」
「どうしてまた、本丸で」
「そ・・・、それは・・・」
「と、殿が馬鹿可愛がりなさっておいでで、いっときたりとて離れたくないと・・・」
「では、本丸にいらっしゃる間、どなたがご面倒を?」
苦しい言い訳に、益々窮地に落ちる
「えええええ、ええと・・・」
「お勝、不躾よ。本丸でお育てしても、良いじゃない。それに、殿のお側には乳母でもあった池田なつ様がいらっしゃいました。きっと、池田様が若子様の乳母もやっておられるのではありませんか?」
と、巴の助け舟が入る
「そっ、そうなんです。実はおなつ様が乳母をやっておられまして、それで、本丸にいらっしゃる間は、おなつ様がお育ていただいて」
「でも、確か若子様のご生母様は、乳母でしたか、侍女でしたか、そのように伺っておりますが、では、池田様がお産みに?」
「
それがいくら勘違いとは言え、そもそも生んだ帰蝶から口止めされているため、上手いいいわけも想い浮かばない
二人でそっと後ろを向き、小声で話す
「お菊ちゃん・・・。私、今、物凄く死にたい気分・・・」
「私もです・・・」
「もう良いでしょ、お勝。詮索も、その辺になさい。見苦しいですよ」
と、巴の忠告が入る
「申し訳ございません。お能様、菊子様、ご無礼申し上げました」
「いいえ・・・。ですが、ここで暮らせば自然と、全てのことがおわかりになられるかと想います。どうか構えず、寛いでくださいませ」
「ありがとうございます」
二人揃って、お能に頭を下げる
側室の巴の部屋は、帰蝶の部屋から離れた場所に宛がわれた
正室の部屋が日の出の昇る東向きなら、気に入られた側室は日当たりの良い南側
それから西、北は主に侍女達の部屋となっている
信長には側室が居なかったので、巴は南側でも一番良い部屋を与えられた
「わぁ、広い・・・」
「立派なお部屋ですね。奥方様が不在なのに、良いんでしょうか」
巴もお勝も、それ以外の伊勢からの侍女達も目を丸くして部屋を見渡した
「このお部屋は、奥方様が選んでくださったのですよ」
「え?奥方様は別居中では?」
「
お能はお勝の勘の鋭さがつくづく嫌になった
「もう良いじゃない、お勝。余り煩く言うと、伊勢に返すわよ?」
「申し訳ございません、姫様」
「それで、私はいつ上総介様の許へお伺いすればよろしいのでしょうか」
「ええと、そうですね、しばらくは長旅の疲れを癒していただいて」
「私は元気ですよ。まだ若いですもの」
「
嫌な小娘だな、と、三十路に突入直前のお能は心の中で呟いた
「疲れました・・・」
お能に後を任せ、本丸に戻った菊子は信長の寝室で眠っている帰命の布団の側で、バタンと倒れ込んだ
「だ、大丈夫?菊子」
「もう、伊勢の方々は何て言いましょうか、野生の勘が鋭いと申しましょうか、根掘り葉掘りあれやこれやと聞いて来て、もう、菊子もお能様もクタクタです」
「ご・・・、ごめん・・・」
「ほら、言わんこっちゃないでしょう?誤魔化し続けるにしても、何れ破綻しますよ?」
「そんなこと言ったって、もう遅いでしょ?それより、その坂巴を手懐けて、こちらの味方に引き込む方が先決じゃない。そっちの方考えましょ?」
と、なつは心の中で想った
その坂巴から同衾の嘆願が届く
「今時の若い娘は積極的ね」
感心する帰蝶に、自分もまだまだ小娘の分際で、と、当然ながらなつは心の中で想うだけにした
「で、準備は整ってるんですか?」
「万端よ。いつでもいらっしゃい」
と、どんと構える帰蝶だが
この日の夜、局処で『信長』と巴の初夜が行なわれた
「
あみだくじで『当り』を引いてしまった弥三郎が、真新しい小袖を羽織って巴の寝室に入る
物陰では
「がんばれ、弥三郎」
「どうかご無事で、弥三郎様」
と、帰蝶と龍之介の、見守る姿があった
巴の寝室の両脇を固めるのは、秀隆と貞勝
通常は龍之介ら小姓がその警護を勤めるのだが、入るのが弥三郎なので事情を知らない他の者には任せられない
そのため、急遽黒母衣衆筆頭の秀隆と、局処事務局長の貞勝が警護の任に当たることになった
「ね、ねぇ、河尻様。やっぱり代わって
「さっさと入れ」
「
野太い声の笑顔で脅され、弥三郎は引き攣った笑顔で襖を開けた
「上総介信長様、ご入室です」
貞勝が巴に声を掛ける
「どうぞ」
中から巴の返事がして、秀隆に脹脛を叩かれながら弥三郎が入った
「よし、よし。これで後は無事合体するのを祈って」
「奥方様、下品です」
透かさず龍之介の突っ込みが入る
「じゃぁ、どう表現すればいいのよ」
「接続、あるいは接合」
「
余り声を掛けるな、と、帰蝶からは釘を刺されている
部屋の中はいつもより暗くしてあった
足元に置かれた行灯の光を頼りに、巴の待つ床へと足を運ぶ
その足音に巴が身動きをした
「
「あ・・・、ああ」
健気に声を掛けて来る巴に、弥三郎は冷や汗を掻きながら掛け布団を捲った
娘の瑞希が生まれる前の浮気なら小馴れたものだが、今回ばかりは相手が相手なだけに緊張も半端ではない
しかも、妻の菊子には内緒の大事業だ
掛かる精神的圧力も生半可な物ではなかった
生暖かくなっている布団の中に入り、そっと巴の肩を抱く
そう心に誓う弥三郎であった
「
極力小さな声で囁き、巴に圧し掛かった
巴は自分の上に重なる弥三郎の背中に腕を回し、夜を迎え入れる
先ずは口付けから、と、顔を近付けた弥三郎に、巴はハッとした
「誰ですか!」
「
聞き返す前に、巴は重なる弥三郎を撥ね退け、布団から脱する
「出合え!曲者じゃ!」
「
その声に、襖の両脇に居た秀隆、貞勝も咄嗟に腰を上げ、物陰に隠れていた帰蝶、龍之介も飛び出した
「何?!どうしたの?!」
「さ、さあ・・・」
おどおどする秀隆と貞勝の間を襖がぶち抜かれ、そこから弥三郎が転がり飛んで来た
「や・・・!」
弥三郎、と、想わず声を掛けそうになるのを、帰蝶は口を押えて止めた
「お勝!お勝!」
部屋の中から薙刀を掴んで出て来る巴に、全員がギョッとする
「こ、これは、巴様・・・」
「いっ、如何なさって・・・」
「どうもこうも、あ
「しまった!」
慌てて隠れようとする帰蝶の小袖の袖を掴んで、巴は引き止めた
「何故このような細工をなさるのですか!」
「え・・・、えーっと・・・」
これを一般に、『万事休す』と言う
局処の帰蝶の私室に、一堂が介する
本丸から慌てて駆け付けたなつ、局処局長のお能、巴の侍女のお勝
現場に居た秀隆と、貞勝、当事者である弥三郎と、何故か、外回りから帰って来た利家も巻き込まれていた
十五の小娘の前に全員が正座で座らされている姿は、滑稽以外の何物でもない
「何で俺まで・・・?」
「喧しい。こうなりゃ一蓮托生だ」
「どう見ても俺、道連れでしょ。見回り報告に来ただけなのに」
ぶつぶつ文句を言う利家の前で、帰蝶は恐る恐る巴に聞く
「
できる限り男になりきろうと、帰蝶なりに必死だった
と言うのも、寝る前の出来事なだけに、帰蝶は信長の寝間着こそ纏っているものの、髪は降ろしたままなのだから、どこから見ても『女』である
だが巴は、それを意に介する様子もない
「匂いが違いました」
「匂い?」
「今日、初めて上総介様にお逢いした時の匂いと、さっきの、弥三郎様ですか?匂いが違っていました」
「
泣きそうな顔をして、帰蝶は隣に居るなつに聞いた
なつはわからず、首を傾げる
「そう言えばお・・・殿って、匂いますよね」
「そんなに臭い?!」
利家の言葉に、帰蝶は泣くのを通り越して死にたくなる
「臭いってんじゃなくて、なんて言うんだろ、香みたいな匂いって言うんですか?」
「そんなの付けて・・・焚いてないぞ」
今更男言葉を使っても後の祭りだとは想いつつも、無駄な足掻きで使わずにはいられない心境の帰蝶であった
「そうですよ。お・・・殿にそんな高尚な趣味、あるわけないじゃないですか」
「なつ、その言い方はその言い方でつらい・・・」
一応なつも補佐するつもりなのだろうが、帰蝶の傷口を抉って塩を塗り込むだけの結果しか得られないのが悲しい
「香かなって、私も最初は想いました。でも、今まで嗅いだどの香とも違います。ほんのり甘くて、でも爽やかで、優しい香りです。だから殿方にしては珍しい匂いだなって、想ってたんです」
「巴・・・」
「そう言えば随分前、勘十郎様にも言われましたね」
「ああ・・・」
嫌なことを想い出させるな、と、帰蝶は軽くなつを睨む
睨まれたなつは全く動じていないが
「でも、この間逢った権六には、何も言われなかった」
「ああ、それ、権六さん、若い頃蓄膿患いましてね、それ以来鼻はあまり利かなかったような」
と、貞勝が説明する
「え・・・?蓄膿・・・?」
だから気付かれなかったのかと、帰蝶の肩が落ちる
「どうして私を騙したんですか?わけを話してください。でなければ、事を大袈裟にして織田家を引っ掻き回しますよ?」
「
それは脅しではなく、本気なのだと感じた
どんなまやかしも、この娘には効かない、と
「わかった・・・。全てを話す」
「お、殿・・・!」
止めようとするなつらに、帰蝶は苦笑いして首を振った
「巴は、実家の安否が掛かってるの。必死なのよ。そんな人間に、誤魔化しなんて最初から無理だったのね。私の負けだわ」
「
「奥方様?」
「あ・・・ッ」
慌てて口を噤むも、最早手遅れだった
「巴、聞いて」
「
巴は真剣な顔をして、帰蝶を見詰めた
「私よ。あなたが逢いたがっていた、相手」
「あなた様・・・が・・・?」
「私が、信長正妻、斎藤帰蝶です」
「え?」
「まさか・・・!」
巴はキョトンとし、お勝は目を丸めた
「
帰蝶は巴とお勝に全てを打ち明けた
「では・・・、上総介・・・、いえ、奥方様は上総介様が亡くなられてからずっと、その身代わりに・・・?」
「そうしなければ、尾張は混乱していた。吉法師様の夢も、潰えていた。そうさせたくなかった。吉法師様を奪われ、吉法師様の遺した夢まで奪われたくなかった。だから、美濃に戻った時の、民の支持を得るため、土岐の末裔であるあなたを迎え入れた。ごめんなさい。私のしたことは打算の上に、あなたを傷付ける結果になってしまったわ。どんなに償っても、許してもらえるとは想ってない。少し待ってくれるのなら、叔父上に相談して、他の織田に嫁ぎ直せるよう取り計らってもらって、あなたの実家も織田とは同盟関係であれるようにします」
「私は・・・・・・・・・。確かに、実家を救いたい、北畠の猛攻に耐えるしかない実家を救いたい、その一心で上総介様の許に参りました。ですが・・・!」
巴は帰蝶をきっと睨んで言った
「父は、私にこう言いました。何より、側室は正室に対する召使も同然、そのご正室様に可愛がってもらえるよう、最善の努力は尽くせ、と」
「巴・・・・・・」
「父が織田家の側室に私を送ったのは、その織田家惣領様の奥方様が、明智の血を引く姫君だからです。明智は土岐の傍流の中でも、一番土岐に近い存在。その血筋であられる奥方様に近付くこと、それが私達の狙いでした。騙した、と言うのなら、私達も同罪です。
「
巴、そしてお勝も同時に頭を下げる
「だから、奥方様にお逢いしたいと熱心に仰ってたのですね」
呟くように、なつが言う
「はい」
頭を下げたまま、巴が応える
「奥方様・・・、いえ、上総介様」
「
「お手を、頂いていいでしょうか・・・」
「
恐る恐る聞く巴に、帰蝶はゆっくり頷いた
それを見て、おずおずと帰蝶の前に膝進みで前に出る
それから、そっと帰蝶の両手を包み込むように掴んだ
掴んだ帰蝶の手を額に当て、目蓋を閉じて巴は言う
「
真摯な巴の訴え
退けることなどできない
帰蝶はゆっくりと頷き、応えた
「案ずるな。坂は私が守ってみせる」
「
感極まって、巴は帰蝶にしがみ付いて泣き出した
それを無礼とは想えず、帰蝶は巴を抱き返してやった
「
「そう?」
「とても良い香りです・・・。安心できる香りです・・・」
「
取り敢えず臭くはないのだな、と、帰蝶はほっとして巴を抱き続けてやった
「この通り、私はお前を抱けない躰です。だけど、お前にも子を作ってもらわねばなりません」
翌日、帰蝶は巴を表座敷に呼び出した
「織田の血を引いていなくても?」
「大事なのは、『織田の名を継ぐ』ことよ。お前の目に適った者が居れば、誰であろうと問いません。賢く、強い子を作りなさい。それが条件」
「はい」
「伊勢は、久助が出身だったわね」
「そうですね、滝川様が伊勢出身ですね」
側に居る龍之介が応える
「それじゃぁ、鉄砲隊が落ち着いたら、伊勢に出向いてもらいましょうか。忙しいわね、久助も」
「見事に扱き使っておられますからね、奥方様が」
「
「
顔を赤くする帰蝶を、なつはポカンとして眺めた
その帰蝶に突っ込んだのが、自分ではなく龍之介だからだ
口達者な帰蝶にぐうの音も出させない龍之介に、驚かされた
「
局処に戻った巴は、その中庭に出て、縁側に居る帰蝶に話し掛けた
「え?」
「伊勢を出る前は、物凄くドキドキしたんです。奥方様って、どんな方だろうって。お優しい方かな、お怖い方かな、って。でも虐められても、絶対奥方様に取り入らなきゃって。でも」
「ん?」
自分に振り返る巴に、帰蝶は首を傾げて聞き返した
「お強い方だってわかって、巴は凄く嬉しかったです」
「強い?私が?」
「だって、ご自分の人生を犠牲にしてでも、ご主人様の夢を守ろうとなさってるんですもの。人はそこまで強くなれるものでしょうか?特に、女は」
「どうかしら。私も、嫁いだ頃は普通の女だった。些細なことで泣いたり、怒ったり。でも、吉法師様と共に過ごした日々が、私を変えたのかも知れない。泣いてばかりじゃ、どうしようもないって」
「上総介様も、泣かれたことがあるんですか?」
「そうよ。故郷を離れ、友と別れ・・・」
一瞬、夫を殺した利三が浮かび、どうしようもない殺意が芽を出す
「どうかなさいましたか?」
様子がおかしくなった帰蝶に、巴は心配して声を掛けた
「
まるで気を取り直すかのように、また、微笑む
「故郷を想って泣いた私よりも、泣かずに立ち向かった巴の方が、ずっと強い。自信を持ちなさい」
「上総介様・・・」
誉められて、だが相手が麗人の帰蝶だからか、巴はぽっと頬を染める
「巴。これからもよろしくね」
「はい、上総介様。こちらこそ、よろしくお願いします」
「尾張を制し、伊勢、それから美濃を落とします」
「伊勢と、美濃・・・を・・・」
「巴」
「
口調の変わった帰蝶に着いて行けず、巴は慌てて背筋を伸ばした
「伊勢の国人衆、あなたに任せました。見事、取り纏めて御覧なさい」
できるだろうか
自分に
できるはずがない
だけど、断れば実家はなくなる
そんな気がした
何より、帰蝶のその目が拒絶することを許さなかった
「
巴は気を引き締める想いで、自分自身に言い聞かせるように返事した
実家を守るためにも、この方と共に伊勢を落とすのだ、と、心に誓って
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1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
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千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
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