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嫁入りの朝、泣きたくても泣けなかった
利三との別れがつらくて、床から離れることができなかった
朝など来なければ良いのにと、何度も祈った
それが虚しいことぐらいわかっていて、それでも祈らずにはいられなかった
斎藤の輿から織田の輿に乗り換え、利三がどんどんと離れて行く
生まれてから今日までの十二年間、自分の側には必ず利三が居た
斎藤の次男坊であるため身分は気楽なもので、『人質』同然に稲葉山城に召し上げられた
重要な位置に席を置く家臣は、嫡男を除き多くは『謀叛を起さぬ忠誠の証』として、子女を主君に預ける
有能な人間はそのまま召抱えられ、無能だったら実家に帰された
利三は幼いながらにもその才覚を表し、道三はやがて斎藤の息が吹き返さないようにと帰蝶の学友として、今日まで手元に置いた
帰蝶の前では優柔不断ではっきりせず、いつも尻に敷かれる利三だが、『武将の部分』は誰よりも優れている
帰蝶も、それを知っていた
知っていて、敢えて利三を抑え付けていた
それが、『主』と『家臣』の本来あるべき姿だからだ
自分が主家の娘である以上、利三は決してこちら側に踏み込んでは来ない
身分を弁え、いつも距離を置かれていた
だから
利三を甚振ることで、誰が主人なのかを教え込ませた
心のどこかには、あったのかも知れない
「私以外の誰にも、仕えるな」と言う、独占欲が
だが、自分は女だ
利三を傅かせることはできても、自由にすることはできない
だから、尚更、恋心だけが募って行った
帰蝶を乗せた織田家の輿が、ゆっくりと出発する
揺れる輿の中で帰蝶は切れ長の目蓋を閉じ、必死で利三の気配を探った
もう、逢えない
利三自身が織田家に仕えない限り、もう二度と逢えない
死んで別れるよりも、生きて別れる方がつらかった
「う・・・ッ、 」
暗い輿の中で、帰蝶は静かに泣いた
父の圧力が正しく機能したか、清洲を通り過ぎる際にも織田の一門は静かだった
平手はその静けさを寧ろ、不気味に感じる
自分の後ろを来る輿の中の、今はその予兆すら見せない人物の存在に、いつしか畏怖を感じるだろう
『蝮』と呼ばれる男が、特に目を掛けている愛娘だ
ただの少女ではないことくらい、簡単に想像できる
「姫様、そろそろ見えて参ります」
平手は輿の外から声を掛けた
「はい」
中から小さく、帰蝶の返事が聞こえる
「斎藤帰蝶様、ご到着ー」
門前で声が上がり、扉が軋む音を立てて開かれた
山の頂に城を構えていた実家とは違い、織田家の城の多くは平地に建てられている
今日から帰蝶の暮らす那古野城も、平地の城であった
「どうぞ、こちらへ」
輿から降りた帰蝶は、那古野城手前の寺に寄り、そこで着替えた花嫁衣裳の姿だった
無骨な鎧姿の武者達が整然と居並び、帰蝶を出迎える
男達は今日来る花嫁が『蝮の道三の娘』と言うことで、どんな姫君なのだろうと興味本位で待っていたが、実際目にした少女の余りにも普通で、余りも愛らしい姿に魂が抜かれたような顔をしていた
「これが蝮の娘か」
誰もがそう言いたげそうにしているため、お能は想わず吹き出してしまった
「お能、不躾だぞ」
「申し訳ございません、姫様」
帰蝶が小さな声で咎める
「じっくりと見せてやろうではないか。蝮の娘の面を」
「姫様。言葉が下品ですよ」
「 」
今度は自分が咎め返されて、帰蝶はぶすっと黙り込む
このまま表座敷に入り、花婿との対面の予定である
平手に案内され、城の廊下を渡り表座敷に入ったが、家臣らは並んで座って待っている、だが、肝心の上座には誰も居なかった
「 若・・・は」
「それが・・・」
帰蝶の花婿は、どこにも居なかった
「若ぁぁぁぁ~・・・ッ!」
花婿が不在と言う不祥事よりも、平手の顔が焼いた鉄のように真っ赤になる様の方が面白い
帰蝶は一人上座に座り、座敷を出たり入ったりする平手の様子を伺った
ぼんやりと浮かぶ
きっとお清も、あんな風に私にやきもきしていたのだろうな・・・と
兄弟よりも近く、親よりも遠い
帰蝶にとって利三は、そんな存在だった
結局、花婿となる若君は祝言の席には現れず、帰蝶は新しい住まいとなる局処に戻った
「全く。馬鹿にするのも程があります。姫様を放って、どこかに行ってしまうだなんて」
帰蝶に与えられた正室の部屋は、最近になって改装されたのか、畳も新しく襖の全てが張り替えられていた
柱の木材もまだ香ばしい香りを放っている
「そう怒ってやるな、お能」
「しかし、姫様」
「祝言に現れなかったのは遺憾なことだが、この部屋を見る限り、花婿とやらは私を歓待する意志はあるようだ」
「姫様・・・」
「家具も最近の流行のものだな。うちではまだ古い、朱塗りの文机だった」
言われてみれば、確かに文机は漆黒の真新しい物が置かれてある
「女に学問は要らぬと言う世であるに、それでも父は私に文机を与えてくださった。婿殿も、どこか父に似た感性の持ち主かも知れんぞ」
「殿のような・・・?」
ただでさえ道三の非常識さは有名であるのに、花婿も非常識な人間なのだろうかと、お能は聊か不安になった
「お能、見ろ」
「はい?」
ぼんやりと考え事をしているお能に、帰蝶は声を掛けた
「箪笥だ」
「まぁ、本当」
部屋の片隅に、桐の箪笥が置かれている
「箪笥など、母上の部屋にしかなかったぞ」
「そうですね」
「私は、ここの主婦になったのだな」
「はい」
衣装などは竹の籠に詰め込むのが主流だったこの時代、縦置きの箪笥は珍しい物だった
高価でもあるので、その家の主婦しか持つことを許されていない
もしかしたら花婿は、自分が来るのを心待ちにしてくれていたのかも知れない
そんな気持ちにさせられた
局処からは織田の侍女達が挨拶にやって来る
「女中頭の各務絹でございます」
最初に頭を下げたのは、年の頃は五十を超えているだろうか、少し気難しい顔立ちの女だった
「各務?もしや、美濃出身か?」
「はい。祖父の代に、尾張に移りました」
「そうか、まさか同郷の者が居るとは想って居なかった。よろしく頼む、お絹」
「はい。しかし、奥方様」
「 ?」
「男言葉は、どうにかできませんか?」
「 すまぬ・・・。癖でな」
「ここでは、そのようにご自分を虚栄する必要などございません。どうぞ、女らしく振舞ってくださいませ」
「・・・心掛ける」
「それで恥を掻くのは、織田なのですから」
「 」
痛い一言に、帰蝶が沈黙した
それから挨拶は続き、台所頭、庭頭と、次々と訪問にやって来る
まだ表座敷で那古野家臣団の挨拶を受けている方が、一度に済ませられて合理的だった
挨拶が終わったかと膝を崩せばまた、直ぐに次の訪問者がやって来るのだから、気の緩む暇もない
「あぁ、くたびれた・・・」
帰蝶は想わず、お能の膝枕に崩れ落ちる
「姫様、しっかりなさってください」
「もう、挨拶は終わりか・・・?いつまで続く」
「安心なさってください、先ほどの一団で終わりでございます」
「疲れたぞ!」
嫌気が差したように顔を歪め、駄々っ子のように躰を転がす
「それが花嫁として、避けて通れぬ最初の道です。小見の方様など、それを僅か五歳の時になさったのですよ?」
「でも、母上は全く覚えてないと仰ってたぞ」
「そりゃ、五歳ですから・・・」
「明日は、織田一門の挨拶か・・・」
今日は那古野家臣団だけの挨拶と、花嫁の顔見せを兼ねていた
明日は織田一門への挨拶と顔見せを行なうための祝言が開かれる
その次の日は、織田家に仕える尾張の豪族や国人衆の挨拶と顔見せの祝言
帰蝶でなくともうんざりする
「少し寝る」
「では、枕を」
そう言って、お能が動こうとするよりも早く、帰蝶は寝息を立てた
「しょうのない姫様」
お能は苦笑いし、膝をそのまま帰蝶に貸してやった
帰蝶なりに今日は緊張したのだろう
馴染んだ美濃から離れ、何人かの侍女を連れてとは言え、一人で嫁に来たのも同然だ
増してや、まだ子供の年齢
母親も恋しかろう
少しくらいの行儀の悪さは見逃してやりたかった
それからどのくらい経ったのか、お能にはよくわからない
帰蝶の寝息が本格的なものになった頃、局処の中庭から、男の大きな声がした
「くそッ、手間取った」
「 ?」
「部屋は何処だ!」
声の感じからして、まだ若い
その声がどんどんと近付いて来る
一種、恐怖を感じた
「おぅ、ここか!」
それから間もなく、バンッ!と勢い良く障子が開け放たれた
その音に驚いた帰蝶が飛び起きる
「何だ!敵襲か?!」
「姫様・・・」
「お清!刀を持てッ!」
「姫様ッ」
「ん?」
自分の腕を掴むお能にキョトンとし、それから、お能が指を差す方向に目を向けた
「お前が斎藤の姫君か」
「 」
不躾と言うか、ただ単純に傾寄者(かぶきもの)な少年がそこに居た
「あなた・・・」
髪は乱雑な茶筅結い
目立つ赤や黄色の細紐を髪に絡ませている
少し痩せた感の体付きで、顔立ちも女っぽい
だから、態と乱暴に振舞っているのだろうかと想った
小袖は袖がなく肩が剥き出しになっており、袴もなく、裾を腰紐に引っ掛けた、随分と乱暴な姿である
おまけに、割れた裾から下帯がちらつき、そこから大事な物が零れ落ちている様子も覗える
「祝言、終わってしまったのだな」
そう言うと、少年は藁で引っ掛けた魚を引き摺って、そのまま庭から帰蝶の部屋に上がり込んだ
「何者ですか!ここを奥方様の部屋と知っての狼藉ですか!」
「待て、お能」
「はは、そりゃすまんかった」
笑いながら謝る少年に、胆の太さを見たような気がする
「あなた様は?」
怒り狂うお能を抑え、帰蝶は訊ねた
「紹介が遅れたな。俺は勝幡織田が嫡男、織田三郎上総介信長だ。不躾を許せ」
「えぇ?!」
驚くのはお能一人
帰蝶は何となくわかっていたかのように、特に慌てる風でもなく膝を正した
「こちらこそ、無様な姿を曝しておりました。わたくしが斎藤道三が三女、斎藤帰蝶でございます」
「そうか。よろしく頼む、帰蝶」
「はい。それから」
「なんだ?」
「食み出てます」
「あ・・・」
信長は帰蝶の指差す睾丸を、慌てて下帯に仕舞い込み、お能の顔が真っ赤に染まった
生憎帰蝶は、既に利三の大事な部分を丸ごと見てしまった経験があるので、これくらいのことでは動じない
「あの・・・」
そんなお能が、こっそり声を掛ける
「こちらは、私が子供の頃より仕えてくれている侍女、お能にございます」
「お能殿か。よろしく頼む」
「あ・・・、いえ・・・。さきほどはご無礼を。平にご容赦くださいませ」
「構わん。主を守るのなら、あれくらい気が強くなくては務まらんだろ」
「恐れ入ります・・・」
「祝言では、如何なさいましたか?お姿が見えませんでしたが」
「ああ、そうだ」
信長は手にしていた魚を帰蝶の前に置いた
「随分大きな魚」
「伊勢湾で採って来た」
「伊勢湾?海ですか?」
「ああ。・・・そうか、お前は内陸育ちだったな」
「はい」
「海は見たことないか?」
「まだありません」
「だったら今度、連れてってやる」
「海にですか?」
「ああ、でかいぞ。驚いて目ん玉ひん剥くなよ?」
豪快に笑う信長にお能は苦々しい顔をするが、帰蝶は興味津々な顔をした
「はい、承知しました」
「俺は釣りは苦手だから、中々釣れなくてな、今まで掛かった」
「今まで?」
信長の後ろから見える空は、薄っすらと暗みが掛かっている
ふと、釣りが趣味だと言った利三を、想い出してしまった
いつも自分の側に居たのに、利三が釣りを得意とするなど全く気付かなかった
男の世の中は広い物なのだなと、今になって感じる
「こいつを釣るのに、随分掛かってしまったな」
と、鮮やかな赤の混じる大きな魚を叩く
「これは、何ですか?」
「鯛だ」
「鯛・・・」
「初めて見るか?」
「切り身なら、何度か」
「切り身じゃしょうがない。物の本質を知るには、本来の姿を見なきゃ意味がない」
「物の、本質・・・」
「お前にも、いつか見せてやる。俺達が生きてるこの世が、どれだけ広いかってことを」
「 」
瞳をキラキラと輝かせ、壮大な夢を語るような信長に、帰蝶は強く惹かれた
信長の釣って来た鯛は、早速この日の夕餉に出て来た
送れ馳せながらの対面にと、膳を共にする
「俺はお前の父親のことは、噂でしか知らない」
「はい」
「二年前だったか、苦労して奪取した大垣城を、たった半年で取り返されて、あの時は悔しかったなぁ」
「三郎様も、美濃にお越しになってたのですか?」
「いや。俺は別の場所に居た」
「そうですか」
「それと」
「はい」
「俺のことは、『吉法師』と呼べ」
「吉法師?それは三郎様の童名ではございませんか?そんな無礼なこと、できません」
いかな帰蝶とて、夫であろうが無礼なものは無礼と教え込まれている分、本名や幼名で呼べる相手は限定されており、信長の申し出を慌てて拒否した
そんな帰蝶に、満面の笑みを浮かべて応える
「構わん。俺もお前のことを、字ではなく名で呼びたい。だから、お相子だ」
「お相子、ですか。それなら」
そう言って微笑む帰蝶に、信長も満足げな顔をする
「蝮の娘だと聞いていたから、どんなのだろうと想像していたんだ」
「ちゃんと手足はございましょう?」
「ああ」
腕を見せるように両手を広げる帰蝶に、想わず吹き出す
「ちゃんと手足があって、舌も二枚じゃない。お前は綺麗だな」
「 」
誉められて、素直に顔を赤くする
「それに、肌も白い。俺なんか、どうだ。こんなに焼けて」
「健康的な色で、いいじゃないですか」
こんがりとした肌の腕を捲り、見せる信長に帰蝶も誉める
「じっとしてられない性格でな、ついあっちこっち出歩いてしまう。だけどそのお陰で、色んな見聞が広がる。お前、馬は乗れるか?」
「いえ」
「そうか。女とて、馬ぐらいは乗りこなさなきゃ、これからはやってけない時代になるぞ?」
「そうなんですか?」
「だが、安心しろ。俺が教えてやる」
「はい、頼りにしております」
女の自分に馬に乗れとは、どんな非常識さだと、大抵は想う
だが、帰蝶は『普通の女』ではないため、寧ろ誰にも遠慮なく馬に乗れるというのが嬉しくて仕方ない
「小牧の馬場にも連れてってやろう。あそこには色んな種類の馬が並ぶぞ」
「馬ですか」
「美濃はどうだ。隣が信濃だから、やはり信州馬が良く入るか?」
「木曽馬のことですか?そうですね。でも、たまに輸入された明の馬も入ります」
「なんと、大陸の馬だと?それは珍しい」
信長は目を丸くして驚いた
「ですが、長い船旅の末に運ばれて来ますので、寿命が極端に短くて、実用性に乏しいものですから、道楽道具でしかありません」
「そうか。だけど斎藤は他国との争いは避けてるから、遠出なんか滅多にないんだろ?」
「そうですね。私も行動範囲はそれほど広くありません」
妙なことに、会話が弾む
それは初夜の床入りまで続いた
さっきまではなんともなかったが、いざ布団を前にすると、互いに緊張する
「あ、あの・・・」
「実はな・・・」
二人同時に声を出し、そちらからどうぞと譲り合う
「お前から話せ」
「いえ、殿からどうぞ・・・」
「そうか・・・、なら」
もじもじとしながら、信長は告白した
「実は、な」
「はい」
「俺は、まだ女の経験がない」
「 」
目をぱちくりする帰蝶に、信長は顎を指先でぽりぽりと掻く
「お前に恥を掻かせてしまうが・・・」
「いいえ・・・」
この気持ちを、なんと表現すればいいのか、帰蝶にはわからなかった
ただ、三つ年上の、利三と同じ年の夫が可愛く感じた
「私は、まだ月の物が来ておりません」
「え・・・?」
「だから」
夫が恥を忍んで白状したのだ
自分も恥だの何だと言っている場合ではないと想った
「躰もまだ、女ではありません・・・」
「そうか」
「吉法師様を満足させられることを、知りません」
「うん・・・」
少し唸り、それから明るい顔をして言う
「別に良いんじゃないか?」
「え?」
「俺もお前も、初物同士ってことだ。縁起が良いじゃないか」
「初物・・・ですか」
あっさりとした言い方に拍子抜けするというか、肩透かしを食らうというか、それからおかしくて仕方なかった
「だが、今夜はお前の破瓜を割らねば儀式が終わらん。そう言う仕来りだからな」
「はい・・・」
初夜に通じなかったら、相性が悪いと言うことで実家に帰されるのが慣わしだった
「俺はお前が気に入った。だから、できることなら帰したくない」
「吉法師様・・・」
「だけど、今夜お前の股を割らねばならん。しかし、無理強いはしたくない」
「では、どうすれば・・・」
「そうだな」
しばらく考えてから信長は、鼻の穴を片方の親指で押え、ふん!ふん!と鼻を鳴らした
「吉法師様・・・?」
さすがにこれは唖然とする
「何なさって・・・?」
時々鼻汁が吹き飛ぶが、それでも信長はそれをやめない
「吉法師様、程々になさらないと・・・。さ、桜紙・・・」
帰蝶は急いで文机の上に置いてある桜紙を取りに立ち上がった
その直後
「ふんっ!」
一際信長の声が大きくなり、嫌な予感がして帰蝶は恐る恐る振り返った
案の定か、あるいは予想外か、信長の鼻から鼻血が零れている
「き、吉法師様・・・!」
帰蝶は慌てて桜紙を掴み、信長の鼻に当てた
「大丈夫ですか?!」
「案ずるな。俺は昔から鼻が弱くてな、少し力を入れて鼻をかめば直ぐに血が出る」
「だったら、どうしてあんなに強く鼻を吹くのですか・・・」
信長が鼻先を桜紙で押えている間に、帰蝶はその鼻の目頭付近の骨を抓むように押えた
信長の寝具用の小袖の膝が、血で染まっている
「こうすれば、布団に血が付いて、お前の破瓜も割れたと誰もが想うだろ?」
「 」
「初夜を無事に過ごせば、誰も文句を言わない」
「吉法師様・・・」
自分が嫌な想いをせぬよう、信長なりに気を遣ってくれたのだとわかると、嬉しくて仕方ない
「それに、お前と懇ろになるよりも、今は色んな話をしたい。それより、何故鼻頭を抓む?」
「こうしていると、鼻血が止まりやすいんですよ?」
「そうなのか。いつもは桜紙を突っ込んで、止まるのを待ってた」
そんな信長に微笑み、帰蝶は指先を離した
恐る恐る桜紙を離すと、確かに鼻血は止まっている
「おぉぉ、凄いな、帰蝶。良くこんなことを知っているもんだ」
「『血』は、人の活力で、生きる源です。だから、大事にせねばならないと、止血の方法は大抵学んでおります」
「そうか、それは心強いな」
妙なことで感心され、やはり面白いやら嬉しいやら、この夜信長は帰蝶を抱くことなく、二人でごろんと転がって、いつまでも語り合った
翌日、この日は末森から信長の父、信長の兄弟達が帰蝶に挨拶しにやって来る
「と、殿・・・。遠路遥々ようこそお越しくださいました・・・」
出迎えに出た平手の顔が、何だが青褪めている
「うむ。それより、吉法師と花嫁殿は揃っておるか?」
「はい、ええと、それが・・・」
「どうした」
話しにくそうな顔をする平手に、父・信秀は訝しげに睨み付けた
「良いんですか?祝言に出席しなくて」
「構わんだろ。どうせ正月の年頭挨拶には、顔を出さなきゃならんのだから」
信長が手綱を持つ馬に、二人で乗り込み、祝言を抜け出す
「そんなことより、帰蝶」
「はい」
「もっとしっかり俺に捕まってろ。俺の手綱は乱暴で有名だからな、振り落とされても拾ってやらんぞ」
「はいッ!」
言われて、帰蝶はぎゅっと信長の腰にしがみ付いた
空気が頬を切る
こんなにも早い風を感じるのは、初めてだった
「吉法師様!吉法師様!」
信長の後ろで、帰蝶が叫ぶ
「何だ、帰蝶!怖くなったか?!」
「もっと早く走れますか?!」
「 」
帰蝶の言葉に一瞬目を丸くして、それから、信長は大笑いした
「言ってくれるな、女房殿!驚いて腰、抜かすなよ?!」
信長は手綱を馬に当て、加速させた
風が目に当たり、目蓋を細めないと痛さで涙が出そうになる
帰蝶は流れる風景を眺めながら、舞い上がる髪を片手で押えた
夫との相性は、良い方なのだろう
今のところ不満な要素はない
型に嵌った考え方の持ち主でもなく、自由な発想のできる人間だった
古風な利三とは違い常に新しいことに挑戦したいと話し、帰蝶の興味をそそる
「俺はな、今のこの国は何か間違ってると想う」
「間違ってる?」
「上手く言えなけど、人が人を支配して良いわけないんだ」
「人が人を支配・・・」
「でも、そんなこと言っちまったら、親父にどやされるしな、何より俺達武家を否定することになる」
「 」
それは以前、自分も利三に似たようなことを言われた覚えがあり、帰蝶の目が見開かれる
「でも俺は、この国に自由な風を起したい」
「自由な風?」
「例えば、お前の国の『楽市』だ」
「楽市・・・」
「この尾張じゃまだ、商売は承認制になってる。誰もが自由に物の売買ができない。それって、堅っ苦しいって想わないか?」
「確かに」
「決められた物だけを、決められた者だけが売れる。生産してる家はただ作るだけで、買ってくれる客の声が聞けねぇ。それじゃ、作る意欲ってもんがどんどん失われると想うんだよな」
「吉法師様・・・」
夫の話は、それまで誰からも聞かされたことのないことばかりであった
下々の者が考えればいいものまで、考えている
帰蝶には不思議で仕方なかった
「向上心ってのはさ、他人から見ればちっぽけでささやかなとこから生まれるもんなんだよ。それを上手く活かさなきゃ、この国はいつまで経っても小さいままだ」
「小さいんですか?」
「大きいとは想えねぇなぁ」
「そうなんですか・・・」
帰蝶の世界は稲葉山の城と、稲葉山、それに、時々訪れる明智城だけであった
それ以外の世界を、帰蝶は知らない
生まれてから今まで、こうして嫁に入るまでは外の世界を見たことがなかった
馬の上から流れる景色に、帰蝶は自分もまた、小さい箱庭で生きていた人間なのだと痛感した
じっとしているのが苦手だと言っていた夫の話は、帰蝶にこの世界の広さを教えてくれた
それは今まで味わったことのない未知のものばかりで、どんどんと引き込まれる
「あー。このまま行ったら、着いちまうか」
「何処にですか?」
「もうちょっとしてからって想ってたけど、まぁ、良いや。ついでだ」
「吉法師様?」
「お前に、世の果てを見せてやる」
「 」
その一言は、にわかに帰蝶を怯えさせた
やがて馬は那古野織田の領域を超え、民家もまばらな場所に出て来た
「吉法師様、どこに向かってるんですか?」
「良いから、黙ってなって。見て損はしないと想うぜ?」
「そうなんですか?」
「もうちょっとだ」
「はい」
しつこく聞いても、夫はきっと真実を言わないだろうと、想えた
だから帰蝶は、何も聞かず黙って馬に揺られた
それから間もなく、嗅いだことのない匂いが鼻腔を刺激する
正直、いい香りだとは想えない
生臭く、不快な匂いである
「吉法師様」
「なんだ?」
「なんだか、臭いです」
「ははは!でもな、これが当たり前の匂いだ」
「当たり前の匂い?なんの匂いなんですか?」
「もうちょっとだ」
「はい」
素直に、信長が全てを話すまで待つ
そして
「着いたぞ」
信長が漸く、馬を止めた
「どこですか?ここは」
先に馬から降りた信長に質問した
見たことのない木が等間隔で植わっている
随分と不恰好な形の木だなと、想った
根元は太いが、途中で曲がって横に捩れている物が殆どで、真っ直ぐ伸びている物がない
「吉法師様」
信長の手で馬から降りながら聞く
「何だ?」
「あの木は、腐ってるんですか?」
「へ?」
帰蝶の質問に、信長はキョトンとする
「松は元々あんなのだぞ?」
「松ですか?」
信長の返事に、帰蝶は酷く驚いた
「ああ」
「でも、うちの庭に生えてた松は、もっと真っ直ぐです。とても同じ物とは想えません」
「浜辺の松は大抵、あんなもんだ」
「浜辺?」
「ほれ」
「はい?」
信長が指差す方向に、帰蝶は顔を向けた
「 」
辺り一面を覆い尽くす、青い色
日の光が反射して、金細工のようにギラギラと光っていた
「これ・・・は・・・?」
見渡す限り青一色で、果ては緩やかな曲線を描いている
「海だ」
「海・・・・・・・・。これが、海・・・・・・・・」
帰蝶の目が大きく見開かれた
波打ち際に、寄せては返す波がうねる
その壮大さ
長良川など小さい物だったのだと、想い知らされた
「吉法師様」
「なんだ?」
「海って、丸いんですか?」
「丸い?どこがだ?」
「ずーっとずーっと向う。水平線です」
「んー?」
言われて目を細め、果てを見るが、自分には丸く感じられない
「真っ直ぐだぞ?」
「でも、緩やかな曲線で、中央が盛り上がっているように見えます」
「だったら水が零れちまうだろ?」
と、信長は、突拍子もない帰蝶の言葉に笑った
「そうですね・・・」
夫は海のあるこの国で生まれ育ち、自分は川しかない内陸で生まれ育った
夫が違うと言うのなら自分の見間違いだろうと、想うことにした
「これが、伊勢湾ですか?」
「そうだ。向うに見えるのが、伊勢の国だ」
「伊勢の国・・・」
「織田の国じゃないけど、いつかお前も行けるようにしてやる」
「戦ですか?」
「できれば、そんなの必要がない時代にしたいな」
「戦のない時代・・・」
この頃の武家にとっては、途方もない夢物語だろう
それを当たり前のように話す夫が、なんだか器の大きい男か、あるいは単なるほら吹きかのどちらかに想えて仕方ない
「来るでしょうか」
「そうだな。それにはまず、戦が無駄なもんだってのが当たり前の世にしなきゃなんねえな」
「戦が、無駄・・・」
「上下身分さえなくなっちまえば、人は自由になれる」
「 」
お清と手を繋げるのなら、私は平民になったって良い
帰蝶の目が、大きく見開いた
それは自分が夢見て、だが、打ち消された言葉だった
夫はそれを当たり前のように口にする
信じられない想いだった
「これも、親父には言えねぇ話だけどな」
苦笑いする信長に、帰蝶も応える
「でも、それが現実になったら良いですね」
「ああ。それには、お前の『内助の功』が必要だ」
「吉法師様・・・」
「俺を支えてくれるか?」
自分は、政略の道具で嫁に入った
斎藤と同盟を組むために、夫の父が和議を申し出た
だから、自分は『道具』として、織田に居れば良いだけだと想っていた
その覚悟を、夫は見事に打ち砕く
面白い男だと、想った
「はい」
この人となら
そんな気にさせられた
「吉法師様」
「何だ?」
「この、海の色はなんて言うんですか?」
「ん?」
「藍より、蒼いこの色の名前は、なんて言うんでしょうか」
海を初めて見る帰蝶には、知らない色であった
「ああ」
夫は、妻の言葉の意味を、直ぐに理解してくれた
「群青色だ」
「群青色・・・」
「青の群がる色と書いて、群青と言う」
「群青色・・・。これが・・・」
名前は知れど、身は知らなかった
昨日夫が言った言葉が想い返される
物事の本質を知るには、本来の姿を見ろ、と
頭では色の名を知っても、実際にこうして目にして見ないと、群青色など理解できない
夫は早速、自分に知識を与えてくれた
「吉法師様、触っても良いですか?」
「ああ。でも、この時期の波は高いからな、気を付けろ?」
「はい!」
許しが出て、駆け出す帰蝶のその様子に、信長は不安になって慌てて後を追い駆けた
「帰蝶!波に浚われちまうぞ!」
生まれて初めて海を見れば、その水の多さに大抵の者は腰が引ける
なのに妻は、怯えるどころか寧ろ自分から飛び込んで行く
恐怖心がないのだろうか
それとも、蛮勇なのか
「危ない!」
波に足元を持って行かれそうになった帰蝶を、信長は咄嗟に引き寄せた
「あははははは!」
「はしゃぎ過ぎだ」
自分の腕の中で大笑いする帰蝶に、信長は顔を顰めた
「吉法師様!」
「何だ?」
「これが、自然なんですね?!」
「ああ、そうだ」
「人は、自然の前では無力ですね!」
「ああ、そうだ。だから下手に支配しようなんて考えない方が良い。いつか、しっぺ返しが来るぞ」
「はい、吉法師様!」
この人と居たら、私の世界はきっと広がる
あるがままを受け入れることのできるこの人は、私をも受け入れた
だから、きっと
この人とは、良い夫婦になれるような気がする
信長の腕に抱かれ、波に足を撫でられながら帰蝶は心の中で、初恋の男に別れを告げた
さよなら、お清・・・・・・・・・・
利三との別れがつらくて、床から離れることができなかった
朝など来なければ良いのにと、何度も祈った
それが虚しいことぐらいわかっていて、それでも祈らずにはいられなかった
斎藤の輿から織田の輿に乗り換え、利三がどんどんと離れて行く
生まれてから今日までの十二年間、自分の側には必ず利三が居た
斎藤の次男坊であるため身分は気楽なもので、『人質』同然に稲葉山城に召し上げられた
重要な位置に席を置く家臣は、嫡男を除き多くは『謀叛を起さぬ忠誠の証』として、子女を主君に預ける
有能な人間はそのまま召抱えられ、無能だったら実家に帰された
利三は幼いながらにもその才覚を表し、道三はやがて斎藤の息が吹き返さないようにと帰蝶の学友として、今日まで手元に置いた
帰蝶の前では優柔不断ではっきりせず、いつも尻に敷かれる利三だが、『武将の部分』は誰よりも優れている
帰蝶も、それを知っていた
知っていて、敢えて利三を抑え付けていた
それが、『主』と『家臣』の本来あるべき姿だからだ
自分が主家の娘である以上、利三は決してこちら側に踏み込んでは来ない
身分を弁え、いつも距離を置かれていた
だから
利三を甚振ることで、誰が主人なのかを教え込ませた
心のどこかには、あったのかも知れない
「私以外の誰にも、仕えるな」と言う、独占欲が
だが、自分は女だ
利三を傅かせることはできても、自由にすることはできない
だから、尚更、恋心だけが募って行った
帰蝶を乗せた織田家の輿が、ゆっくりと出発する
揺れる輿の中で帰蝶は切れ長の目蓋を閉じ、必死で利三の気配を探った
もう、逢えない
利三自身が織田家に仕えない限り、もう二度と逢えない
死んで別れるよりも、生きて別れる方がつらかった
「う・・・ッ、
暗い輿の中で、帰蝶は静かに泣いた
父の圧力が正しく機能したか、清洲を通り過ぎる際にも織田の一門は静かだった
平手はその静けさを寧ろ、不気味に感じる
自分の後ろを来る輿の中の、今はその予兆すら見せない人物の存在に、いつしか畏怖を感じるだろう
『蝮』と呼ばれる男が、特に目を掛けている愛娘だ
ただの少女ではないことくらい、簡単に想像できる
「姫様、そろそろ見えて参ります」
平手は輿の外から声を掛けた
「はい」
中から小さく、帰蝶の返事が聞こえる
「斎藤帰蝶様、ご到着ー」
門前で声が上がり、扉が軋む音を立てて開かれた
山の頂に城を構えていた実家とは違い、織田家の城の多くは平地に建てられている
今日から帰蝶の暮らす那古野城も、平地の城であった
「どうぞ、こちらへ」
輿から降りた帰蝶は、那古野城手前の寺に寄り、そこで着替えた花嫁衣裳の姿だった
無骨な鎧姿の武者達が整然と居並び、帰蝶を出迎える
男達は今日来る花嫁が『蝮の道三の娘』と言うことで、どんな姫君なのだろうと興味本位で待っていたが、実際目にした少女の余りにも普通で、余りも愛らしい姿に魂が抜かれたような顔をしていた
「これが蝮の娘か」
誰もがそう言いたげそうにしているため、お能は想わず吹き出してしまった
「お能、不躾だぞ」
「申し訳ございません、姫様」
帰蝶が小さな声で咎める
「じっくりと見せてやろうではないか。蝮の娘の面を」
「姫様。言葉が下品ですよ」
「
今度は自分が咎め返されて、帰蝶はぶすっと黙り込む
このまま表座敷に入り、花婿との対面の予定である
平手に案内され、城の廊下を渡り表座敷に入ったが、家臣らは並んで座って待っている、だが、肝心の上座には誰も居なかった
「
「それが・・・」
帰蝶の花婿は、どこにも居なかった
「若ぁぁぁぁ~・・・ッ!」
花婿が不在と言う不祥事よりも、平手の顔が焼いた鉄のように真っ赤になる様の方が面白い
帰蝶は一人上座に座り、座敷を出たり入ったりする平手の様子を伺った
ぼんやりと浮かぶ
きっとお清も、あんな風に私にやきもきしていたのだろうな・・・と
兄弟よりも近く、親よりも遠い
帰蝶にとって利三は、そんな存在だった
結局、花婿となる若君は祝言の席には現れず、帰蝶は新しい住まいとなる局処に戻った
「全く。馬鹿にするのも程があります。姫様を放って、どこかに行ってしまうだなんて」
帰蝶に与えられた正室の部屋は、最近になって改装されたのか、畳も新しく襖の全てが張り替えられていた
柱の木材もまだ香ばしい香りを放っている
「そう怒ってやるな、お能」
「しかし、姫様」
「祝言に現れなかったのは遺憾なことだが、この部屋を見る限り、花婿とやらは私を歓待する意志はあるようだ」
「姫様・・・」
「家具も最近の流行のものだな。うちではまだ古い、朱塗りの文机だった」
言われてみれば、確かに文机は漆黒の真新しい物が置かれてある
「女に学問は要らぬと言う世であるに、それでも父は私に文机を与えてくださった。婿殿も、どこか父に似た感性の持ち主かも知れんぞ」
「殿のような・・・?」
ただでさえ道三の非常識さは有名であるのに、花婿も非常識な人間なのだろうかと、お能は聊か不安になった
「お能、見ろ」
「はい?」
ぼんやりと考え事をしているお能に、帰蝶は声を掛けた
「箪笥だ」
「まぁ、本当」
部屋の片隅に、桐の箪笥が置かれている
「箪笥など、母上の部屋にしかなかったぞ」
「そうですね」
「私は、ここの主婦になったのだな」
「はい」
衣装などは竹の籠に詰め込むのが主流だったこの時代、縦置きの箪笥は珍しい物だった
高価でもあるので、その家の主婦しか持つことを許されていない
もしかしたら花婿は、自分が来るのを心待ちにしてくれていたのかも知れない
そんな気持ちにさせられた
局処からは織田の侍女達が挨拶にやって来る
「女中頭の各務絹でございます」
最初に頭を下げたのは、年の頃は五十を超えているだろうか、少し気難しい顔立ちの女だった
「各務?もしや、美濃出身か?」
「はい。祖父の代に、尾張に移りました」
「そうか、まさか同郷の者が居るとは想って居なかった。よろしく頼む、お絹」
「はい。しかし、奥方様」
「
「男言葉は、どうにかできませんか?」
「
「ここでは、そのようにご自分を虚栄する必要などございません。どうぞ、女らしく振舞ってくださいませ」
「・・・心掛ける」
「それで恥を掻くのは、織田なのですから」
「
痛い一言に、帰蝶が沈黙した
それから挨拶は続き、台所頭、庭頭と、次々と訪問にやって来る
まだ表座敷で那古野家臣団の挨拶を受けている方が、一度に済ませられて合理的だった
挨拶が終わったかと膝を崩せばまた、直ぐに次の訪問者がやって来るのだから、気の緩む暇もない
「あぁ、くたびれた・・・」
帰蝶は想わず、お能の膝枕に崩れ落ちる
「姫様、しっかりなさってください」
「もう、挨拶は終わりか・・・?いつまで続く」
「安心なさってください、先ほどの一団で終わりでございます」
「疲れたぞ!」
嫌気が差したように顔を歪め、駄々っ子のように躰を転がす
「それが花嫁として、避けて通れぬ最初の道です。小見の方様など、それを僅か五歳の時になさったのですよ?」
「でも、母上は全く覚えてないと仰ってたぞ」
「そりゃ、五歳ですから・・・」
「明日は、織田一門の挨拶か・・・」
今日は那古野家臣団だけの挨拶と、花嫁の顔見せを兼ねていた
明日は織田一門への挨拶と顔見せを行なうための祝言が開かれる
その次の日は、織田家に仕える尾張の豪族や国人衆の挨拶と顔見せの祝言
帰蝶でなくともうんざりする
「少し寝る」
「では、枕を」
そう言って、お能が動こうとするよりも早く、帰蝶は寝息を立てた
「しょうのない姫様」
お能は苦笑いし、膝をそのまま帰蝶に貸してやった
帰蝶なりに今日は緊張したのだろう
馴染んだ美濃から離れ、何人かの侍女を連れてとは言え、一人で嫁に来たのも同然だ
増してや、まだ子供の年齢
母親も恋しかろう
少しくらいの行儀の悪さは見逃してやりたかった
それからどのくらい経ったのか、お能にはよくわからない
帰蝶の寝息が本格的なものになった頃、局処の中庭から、男の大きな声がした
「くそッ、手間取った」
「
「部屋は何処だ!」
声の感じからして、まだ若い
その声がどんどんと近付いて来る
一種、恐怖を感じた
「おぅ、ここか!」
それから間もなく、バンッ!と勢い良く障子が開け放たれた
その音に驚いた帰蝶が飛び起きる
「何だ!敵襲か?!」
「姫様・・・」
「お清!刀を持てッ!」
「姫様ッ」
「ん?」
自分の腕を掴むお能にキョトンとし、それから、お能が指を差す方向に目を向けた
「お前が斎藤の姫君か」
「
不躾と言うか、ただ単純に傾寄者(かぶきもの)な少年がそこに居た
「あなた・・・」
髪は乱雑な茶筅結い
目立つ赤や黄色の細紐を髪に絡ませている
少し痩せた感の体付きで、顔立ちも女っぽい
だから、態と乱暴に振舞っているのだろうかと想った
小袖は袖がなく肩が剥き出しになっており、袴もなく、裾を腰紐に引っ掛けた、随分と乱暴な姿である
おまけに、割れた裾から下帯がちらつき、そこから大事な物が零れ落ちている様子も覗える
「祝言、終わってしまったのだな」
そう言うと、少年は藁で引っ掛けた魚を引き摺って、そのまま庭から帰蝶の部屋に上がり込んだ
「何者ですか!ここを奥方様の部屋と知っての狼藉ですか!」
「待て、お能」
「はは、そりゃすまんかった」
笑いながら謝る少年に、胆の太さを見たような気がする
「あなた様は?」
怒り狂うお能を抑え、帰蝶は訊ねた
「紹介が遅れたな。俺は勝幡織田が嫡男、織田三郎上総介信長だ。不躾を許せ」
「えぇ?!」
驚くのはお能一人
帰蝶は何となくわかっていたかのように、特に慌てる風でもなく膝を正した
「こちらこそ、無様な姿を曝しておりました。わたくしが斎藤道三が三女、斎藤帰蝶でございます」
「そうか。よろしく頼む、帰蝶」
「はい。それから」
「なんだ?」
「食み出てます」
「あ・・・」
信長は帰蝶の指差す睾丸を、慌てて下帯に仕舞い込み、お能の顔が真っ赤に染まった
生憎帰蝶は、既に利三の大事な部分を丸ごと見てしまった経験があるので、これくらいのことでは動じない
「あの・・・」
そんなお能が、こっそり声を掛ける
「こちらは、私が子供の頃より仕えてくれている侍女、お能にございます」
「お能殿か。よろしく頼む」
「あ・・・、いえ・・・。さきほどはご無礼を。平にご容赦くださいませ」
「構わん。主を守るのなら、あれくらい気が強くなくては務まらんだろ」
「恐れ入ります・・・」
「祝言では、如何なさいましたか?お姿が見えませんでしたが」
「ああ、そうだ」
信長は手にしていた魚を帰蝶の前に置いた
「随分大きな魚」
「伊勢湾で採って来た」
「伊勢湾?海ですか?」
「ああ。・・・そうか、お前は内陸育ちだったな」
「はい」
「海は見たことないか?」
「まだありません」
「だったら今度、連れてってやる」
「海にですか?」
「ああ、でかいぞ。驚いて目ん玉ひん剥くなよ?」
豪快に笑う信長にお能は苦々しい顔をするが、帰蝶は興味津々な顔をした
「はい、承知しました」
「俺は釣りは苦手だから、中々釣れなくてな、今まで掛かった」
「今まで?」
信長の後ろから見える空は、薄っすらと暗みが掛かっている
ふと、釣りが趣味だと言った利三を、想い出してしまった
いつも自分の側に居たのに、利三が釣りを得意とするなど全く気付かなかった
男の世の中は広い物なのだなと、今になって感じる
「こいつを釣るのに、随分掛かってしまったな」
と、鮮やかな赤の混じる大きな魚を叩く
「これは、何ですか?」
「鯛だ」
「鯛・・・」
「初めて見るか?」
「切り身なら、何度か」
「切り身じゃしょうがない。物の本質を知るには、本来の姿を見なきゃ意味がない」
「物の、本質・・・」
「お前にも、いつか見せてやる。俺達が生きてるこの世が、どれだけ広いかってことを」
「
瞳をキラキラと輝かせ、壮大な夢を語るような信長に、帰蝶は強く惹かれた
信長の釣って来た鯛は、早速この日の夕餉に出て来た
送れ馳せながらの対面にと、膳を共にする
「俺はお前の父親のことは、噂でしか知らない」
「はい」
「二年前だったか、苦労して奪取した大垣城を、たった半年で取り返されて、あの時は悔しかったなぁ」
「三郎様も、美濃にお越しになってたのですか?」
「いや。俺は別の場所に居た」
「そうですか」
「それと」
「はい」
「俺のことは、『吉法師』と呼べ」
「吉法師?それは三郎様の童名ではございませんか?そんな無礼なこと、できません」
いかな帰蝶とて、夫であろうが無礼なものは無礼と教え込まれている分、本名や幼名で呼べる相手は限定されており、信長の申し出を慌てて拒否した
そんな帰蝶に、満面の笑みを浮かべて応える
「構わん。俺もお前のことを、字ではなく名で呼びたい。だから、お相子だ」
「お相子、ですか。それなら」
そう言って微笑む帰蝶に、信長も満足げな顔をする
「蝮の娘だと聞いていたから、どんなのだろうと想像していたんだ」
「ちゃんと手足はございましょう?」
「ああ」
腕を見せるように両手を広げる帰蝶に、想わず吹き出す
「ちゃんと手足があって、舌も二枚じゃない。お前は綺麗だな」
「
誉められて、素直に顔を赤くする
「それに、肌も白い。俺なんか、どうだ。こんなに焼けて」
「健康的な色で、いいじゃないですか」
こんがりとした肌の腕を捲り、見せる信長に帰蝶も誉める
「じっとしてられない性格でな、ついあっちこっち出歩いてしまう。だけどそのお陰で、色んな見聞が広がる。お前、馬は乗れるか?」
「いえ」
「そうか。女とて、馬ぐらいは乗りこなさなきゃ、これからはやってけない時代になるぞ?」
「そうなんですか?」
「だが、安心しろ。俺が教えてやる」
「はい、頼りにしております」
女の自分に馬に乗れとは、どんな非常識さだと、大抵は想う
だが、帰蝶は『普通の女』ではないため、寧ろ誰にも遠慮なく馬に乗れるというのが嬉しくて仕方ない
「小牧の馬場にも連れてってやろう。あそこには色んな種類の馬が並ぶぞ」
「馬ですか」
「美濃はどうだ。隣が信濃だから、やはり信州馬が良く入るか?」
「木曽馬のことですか?そうですね。でも、たまに輸入された明の馬も入ります」
「なんと、大陸の馬だと?それは珍しい」
信長は目を丸くして驚いた
「ですが、長い船旅の末に運ばれて来ますので、寿命が極端に短くて、実用性に乏しいものですから、道楽道具でしかありません」
「そうか。だけど斎藤は他国との争いは避けてるから、遠出なんか滅多にないんだろ?」
「そうですね。私も行動範囲はそれほど広くありません」
妙なことに、会話が弾む
それは初夜の床入りまで続いた
さっきまではなんともなかったが、いざ布団を前にすると、互いに緊張する
「あ、あの・・・」
「実はな・・・」
二人同時に声を出し、そちらからどうぞと譲り合う
「お前から話せ」
「いえ、殿からどうぞ・・・」
「そうか・・・、なら」
もじもじとしながら、信長は告白した
「実は、な」
「はい」
「俺は、まだ女の経験がない」
「
目をぱちくりする帰蝶に、信長は顎を指先でぽりぽりと掻く
「お前に恥を掻かせてしまうが・・・」
「いいえ・・・」
この気持ちを、なんと表現すればいいのか、帰蝶にはわからなかった
ただ、三つ年上の、利三と同じ年の夫が可愛く感じた
「私は、まだ月の物が来ておりません」
「え・・・?」
「だから」
夫が恥を忍んで白状したのだ
自分も恥だの何だと言っている場合ではないと想った
「躰もまだ、女ではありません・・・」
「そうか」
「吉法師様を満足させられることを、知りません」
「うん・・・」
少し唸り、それから明るい顔をして言う
「別に良いんじゃないか?」
「え?」
「俺もお前も、初物同士ってことだ。縁起が良いじゃないか」
「初物・・・ですか」
あっさりとした言い方に拍子抜けするというか、肩透かしを食らうというか、それからおかしくて仕方なかった
「だが、今夜はお前の破瓜を割らねば儀式が終わらん。そう言う仕来りだからな」
「はい・・・」
初夜に通じなかったら、相性が悪いと言うことで実家に帰されるのが慣わしだった
「俺はお前が気に入った。だから、できることなら帰したくない」
「吉法師様・・・」
「だけど、今夜お前の股を割らねばならん。しかし、無理強いはしたくない」
「では、どうすれば・・・」
「そうだな」
しばらく考えてから信長は、鼻の穴を片方の親指で押え、ふん!ふん!と鼻を鳴らした
「吉法師様・・・?」
さすがにこれは唖然とする
「何なさって・・・?」
時々鼻汁が吹き飛ぶが、それでも信長はそれをやめない
「吉法師様、程々になさらないと・・・。さ、桜紙・・・」
帰蝶は急いで文机の上に置いてある桜紙を取りに立ち上がった
その直後
「ふんっ!」
一際信長の声が大きくなり、嫌な予感がして帰蝶は恐る恐る振り返った
案の定か、あるいは予想外か、信長の鼻から鼻血が零れている
「き、吉法師様・・・!」
帰蝶は慌てて桜紙を掴み、信長の鼻に当てた
「大丈夫ですか?!」
「案ずるな。俺は昔から鼻が弱くてな、少し力を入れて鼻をかめば直ぐに血が出る」
「だったら、どうしてあんなに強く鼻を吹くのですか・・・」
信長が鼻先を桜紙で押えている間に、帰蝶はその鼻の目頭付近の骨を抓むように押えた
信長の寝具用の小袖の膝が、血で染まっている
「こうすれば、布団に血が付いて、お前の破瓜も割れたと誰もが想うだろ?」
「
「初夜を無事に過ごせば、誰も文句を言わない」
「吉法師様・・・」
自分が嫌な想いをせぬよう、信長なりに気を遣ってくれたのだとわかると、嬉しくて仕方ない
「それに、お前と懇ろになるよりも、今は色んな話をしたい。それより、何故鼻頭を抓む?」
「こうしていると、鼻血が止まりやすいんですよ?」
「そうなのか。いつもは桜紙を突っ込んで、止まるのを待ってた」
そんな信長に微笑み、帰蝶は指先を離した
恐る恐る桜紙を離すと、確かに鼻血は止まっている
「おぉぉ、凄いな、帰蝶。良くこんなことを知っているもんだ」
「『血』は、人の活力で、生きる源です。だから、大事にせねばならないと、止血の方法は大抵学んでおります」
「そうか、それは心強いな」
妙なことで感心され、やはり面白いやら嬉しいやら、この夜信長は帰蝶を抱くことなく、二人でごろんと転がって、いつまでも語り合った
翌日、この日は末森から信長の父、信長の兄弟達が帰蝶に挨拶しにやって来る
「と、殿・・・。遠路遥々ようこそお越しくださいました・・・」
出迎えに出た平手の顔が、何だが青褪めている
「うむ。それより、吉法師と花嫁殿は揃っておるか?」
「はい、ええと、それが・・・」
「どうした」
話しにくそうな顔をする平手に、父・信秀は訝しげに睨み付けた
「良いんですか?祝言に出席しなくて」
「構わんだろ。どうせ正月の年頭挨拶には、顔を出さなきゃならんのだから」
信長が手綱を持つ馬に、二人で乗り込み、祝言を抜け出す
「そんなことより、帰蝶」
「はい」
「もっとしっかり俺に捕まってろ。俺の手綱は乱暴で有名だからな、振り落とされても拾ってやらんぞ」
「はいッ!」
言われて、帰蝶はぎゅっと信長の腰にしがみ付いた
空気が頬を切る
こんなにも早い風を感じるのは、初めてだった
「吉法師様!吉法師様!」
信長の後ろで、帰蝶が叫ぶ
「何だ、帰蝶!怖くなったか?!」
「もっと早く走れますか?!」
「
帰蝶の言葉に一瞬目を丸くして、それから、信長は大笑いした
「言ってくれるな、女房殿!驚いて腰、抜かすなよ?!」
信長は手綱を馬に当て、加速させた
風が目に当たり、目蓋を細めないと痛さで涙が出そうになる
帰蝶は流れる風景を眺めながら、舞い上がる髪を片手で押えた
夫との相性は、良い方なのだろう
今のところ不満な要素はない
型に嵌った考え方の持ち主でもなく、自由な発想のできる人間だった
古風な利三とは違い常に新しいことに挑戦したいと話し、帰蝶の興味をそそる
「俺はな、今のこの国は何か間違ってると想う」
「間違ってる?」
「上手く言えなけど、人が人を支配して良いわけないんだ」
「人が人を支配・・・」
「でも、そんなこと言っちまったら、親父にどやされるしな、何より俺達武家を否定することになる」
「
それは以前、自分も利三に似たようなことを言われた覚えがあり、帰蝶の目が見開かれる
「でも俺は、この国に自由な風を起したい」
「自由な風?」
「例えば、お前の国の『楽市』だ」
「楽市・・・」
「この尾張じゃまだ、商売は承認制になってる。誰もが自由に物の売買ができない。それって、堅っ苦しいって想わないか?」
「確かに」
「決められた物だけを、決められた者だけが売れる。生産してる家はただ作るだけで、買ってくれる客の声が聞けねぇ。それじゃ、作る意欲ってもんがどんどん失われると想うんだよな」
「吉法師様・・・」
夫の話は、それまで誰からも聞かされたことのないことばかりであった
下々の者が考えればいいものまで、考えている
帰蝶には不思議で仕方なかった
「向上心ってのはさ、他人から見ればちっぽけでささやかなとこから生まれるもんなんだよ。それを上手く活かさなきゃ、この国はいつまで経っても小さいままだ」
「小さいんですか?」
「大きいとは想えねぇなぁ」
「そうなんですか・・・」
帰蝶の世界は稲葉山の城と、稲葉山、それに、時々訪れる明智城だけであった
それ以外の世界を、帰蝶は知らない
生まれてから今まで、こうして嫁に入るまでは外の世界を見たことがなかった
馬の上から流れる景色に、帰蝶は自分もまた、小さい箱庭で生きていた人間なのだと痛感した
じっとしているのが苦手だと言っていた夫の話は、帰蝶にこの世界の広さを教えてくれた
それは今まで味わったことのない未知のものばかりで、どんどんと引き込まれる
「あー。このまま行ったら、着いちまうか」
「何処にですか?」
「もうちょっとしてからって想ってたけど、まぁ、良いや。ついでだ」
「吉法師様?」
「お前に、世の果てを見せてやる」
「
その一言は、にわかに帰蝶を怯えさせた
やがて馬は那古野織田の領域を超え、民家もまばらな場所に出て来た
「吉法師様、どこに向かってるんですか?」
「良いから、黙ってなって。見て損はしないと想うぜ?」
「そうなんですか?」
「もうちょっとだ」
「はい」
しつこく聞いても、夫はきっと真実を言わないだろうと、想えた
だから帰蝶は、何も聞かず黙って馬に揺られた
それから間もなく、嗅いだことのない匂いが鼻腔を刺激する
正直、いい香りだとは想えない
生臭く、不快な匂いである
「吉法師様」
「なんだ?」
「なんだか、臭いです」
「ははは!でもな、これが当たり前の匂いだ」
「当たり前の匂い?なんの匂いなんですか?」
「もうちょっとだ」
「はい」
素直に、信長が全てを話すまで待つ
そして
「着いたぞ」
信長が漸く、馬を止めた
「どこですか?ここは」
先に馬から降りた信長に質問した
見たことのない木が等間隔で植わっている
随分と不恰好な形の木だなと、想った
根元は太いが、途中で曲がって横に捩れている物が殆どで、真っ直ぐ伸びている物がない
「吉法師様」
信長の手で馬から降りながら聞く
「何だ?」
「あの木は、腐ってるんですか?」
「へ?」
帰蝶の質問に、信長はキョトンとする
「松は元々あんなのだぞ?」
「松ですか?」
信長の返事に、帰蝶は酷く驚いた
「ああ」
「でも、うちの庭に生えてた松は、もっと真っ直ぐです。とても同じ物とは想えません」
「浜辺の松は大抵、あんなもんだ」
「浜辺?」
「ほれ」
「はい?」
信長が指差す方向に、帰蝶は顔を向けた
「
辺り一面を覆い尽くす、青い色
日の光が反射して、金細工のようにギラギラと光っていた
「これ・・・は・・・?」
見渡す限り青一色で、果ては緩やかな曲線を描いている
「海だ」
「海・・・・・・・・。これが、海・・・・・・・・」
帰蝶の目が大きく見開かれた
波打ち際に、寄せては返す波がうねる
その壮大さ
長良川など小さい物だったのだと、想い知らされた
「吉法師様」
「なんだ?」
「海って、丸いんですか?」
「丸い?どこがだ?」
「ずーっとずーっと向う。水平線です」
「んー?」
言われて目を細め、果てを見るが、自分には丸く感じられない
「真っ直ぐだぞ?」
「でも、緩やかな曲線で、中央が盛り上がっているように見えます」
「だったら水が零れちまうだろ?」
と、信長は、突拍子もない帰蝶の言葉に笑った
「そうですね・・・」
夫は海のあるこの国で生まれ育ち、自分は川しかない内陸で生まれ育った
夫が違うと言うのなら自分の見間違いだろうと、想うことにした
「これが、伊勢湾ですか?」
「そうだ。向うに見えるのが、伊勢の国だ」
「伊勢の国・・・」
「織田の国じゃないけど、いつかお前も行けるようにしてやる」
「戦ですか?」
「できれば、そんなの必要がない時代にしたいな」
「戦のない時代・・・」
この頃の武家にとっては、途方もない夢物語だろう
それを当たり前のように話す夫が、なんだか器の大きい男か、あるいは単なるほら吹きかのどちらかに想えて仕方ない
「来るでしょうか」
「そうだな。それにはまず、戦が無駄なもんだってのが当たり前の世にしなきゃなんねえな」
「戦が、無駄・・・」
「上下身分さえなくなっちまえば、人は自由になれる」
「
帰蝶の目が、大きく見開いた
それは自分が夢見て、だが、打ち消された言葉だった
夫はそれを当たり前のように口にする
信じられない想いだった
「これも、親父には言えねぇ話だけどな」
苦笑いする信長に、帰蝶も応える
「でも、それが現実になったら良いですね」
「ああ。それには、お前の『内助の功』が必要だ」
「吉法師様・・・」
「俺を支えてくれるか?」
自分は、政略の道具で嫁に入った
斎藤と同盟を組むために、夫の父が和議を申し出た
だから、自分は『道具』として、織田に居れば良いだけだと想っていた
その覚悟を、夫は見事に打ち砕く
面白い男だと、想った
「はい」
この人となら
そんな気にさせられた
「吉法師様」
「何だ?」
「この、海の色はなんて言うんですか?」
「ん?」
「藍より、蒼いこの色の名前は、なんて言うんでしょうか」
海を初めて見る帰蝶には、知らない色であった
「ああ」
夫は、妻の言葉の意味を、直ぐに理解してくれた
「群青色だ」
「群青色・・・」
「青の群がる色と書いて、群青と言う」
「群青色・・・。これが・・・」
名前は知れど、身は知らなかった
昨日夫が言った言葉が想い返される
物事の本質を知るには、本来の姿を見ろ、と
頭では色の名を知っても、実際にこうして目にして見ないと、群青色など理解できない
夫は早速、自分に知識を与えてくれた
「吉法師様、触っても良いですか?」
「ああ。でも、この時期の波は高いからな、気を付けろ?」
「はい!」
許しが出て、駆け出す帰蝶のその様子に、信長は不安になって慌てて後を追い駆けた
「帰蝶!波に浚われちまうぞ!」
生まれて初めて海を見れば、その水の多さに大抵の者は腰が引ける
なのに妻は、怯えるどころか寧ろ自分から飛び込んで行く
恐怖心がないのだろうか
それとも、蛮勇なのか
「危ない!」
波に足元を持って行かれそうになった帰蝶を、信長は咄嗟に引き寄せた
「あははははは!」
「はしゃぎ過ぎだ」
自分の腕の中で大笑いする帰蝶に、信長は顔を顰めた
「吉法師様!」
「何だ?」
「これが、自然なんですね?!」
「ああ、そうだ」
「人は、自然の前では無力ですね!」
「ああ、そうだ。だから下手に支配しようなんて考えない方が良い。いつか、しっぺ返しが来るぞ」
「はい、吉法師様!」
この人と居たら、私の世界はきっと広がる
あるがままを受け入れることのできるこの人は、私をも受け入れた
だから、きっと
この人とは、良い夫婦になれるような気がする
信長の腕に抱かれ、波に足を撫でられながら帰蝶は心の中で、初恋の男に別れを告げた
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濃姫(帰蝶)好きの方へ
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文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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更新のお知らせ
(02/20)
(10/16)
(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
勝手にPR
濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
岐阜の地酒 日本泉公式サイト
(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト
濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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あまり役には立ちませんが念のため
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