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巴が先に伊勢入りしていてくれたお陰で、また、一益や岡本家の義政の助力もあり、伊勢の国主・北畠の介入は抑えることには成功した
鈴鹿峠を張ることも
そのお陰で、こうして斎藤を追い駆けることができた
なのに
「奥方様ァ ッ!」
一発の玉が、全てを無に帰した
京都・妙覚寺
静かな部屋の布団の中で、帰蝶は横たえていた
廊下では人の足音が聞こえる
雀の声も聞こえる
気を失っていたのか、それとも眠っていたのか、自分でもわからない
今が朝なのか昼なのかすら、わからない
夫の夢を見てたような、別の男の夢を見ていたような
それも、わからなかった
「 誰か・・・居る・・・」
小さな声で、呟くように聞く
しばらくすると、廊下側の襖から龍之介の声がした
「はい、おります」
「龍之介・・・」
「はい」
「 入って」
「はい」
物陰から飛んで来た鉄砲の玉は、帰蝶とは別の方向に飛んで行った
だが、その音に驚いた帰蝶と松風の呼吸が外れ、帰蝶は松風から落馬した
織田軍の走るのを急に止めることはできず、後から来た騎馬隊の馬に踏み付けられる寸前、秀隆が帰蝶を拾い上げた
稲葉隊を見失い、司令塔である帰蝶も気を失い、統制が取れなくなったままの状態で京に雪崩れ込んだと龍之介は説明した
「 そう・・・。とんだ失態ね・・・、斎藤を逃してしまうなんて・・・」
「そんな・・・。松風から落ちたんです。打撲だけで済んだのは、幸いです」
雪が衝撃を和らげてくれたのだろうか
そんな気がした
「ここは、どこ?」
「京の日蓮宗・妙覚寺の一室をお借りしております」
「妙覚寺・・・」
「奥方様の、弟君がおいでになられる寺です」
「弟・・・。そうか・・・」
やっと気付く
藤衛と文右衛門が世話になっている寺だ、と
「新五様がおられて、助かりました。なんせ京に知り合いなど、おりませんから」
「そうね・・・」
自分も、嘗ての利治同様、弟の藤衛も文右衛門も、余り馴染みがない相手だった
意識があったとしても、想い付いたかどうか自信がない
いつまでも布団に包まっている場合ではないと、帰蝶は上半身を起した
その瞬間、鋭い痛みが腰を走る
「 ッ」
「奥方様!」
慌てた龍之介が、帰蝶を支えようと布団に上がって受け止めた
「ご無理をなさらないで下さいッ。重い鎧を着けたまま落馬したんです。直ぐに起きれるような状態ではありません」
「龍之介・・・。斎藤は、どうなった」
「 」
「どうした」
応えない龍之介に、帰蝶は答えを強請った
「斎藤・・・は・・・、入洛」
「じゃあ、幕府相伴衆拝命の儀は」
「滞りなく、終わりました」
「斎藤軍は 」
帰蝶の問い掛けに、龍之介は応え難そうな顔をして返事した
「その日の内に、美濃に引き上げました」
「 」
返事を聞いた途端、帰蝶の肩がガックリと落ちた
「奥方様・・・」
「私は、何日間眠っていたの・・・?」
「丸、一日」
「何しにここまで来たの、私は・・ッ」
結局、何もできなかった自分を責める
龍之介には、帰蝶に掛けてやれる言葉がなかった
「でも、本当、兄上方も無事に脱出できて良かったです」
「運が良かったのか、父上が予め我らを城の外に出しておいてくださったお陰で」
「全く」
庭の片隅で利治は、実に三年振りで生き別れた二人の兄と面会していた
「世の倣いとは言え、兄妹間で争うのは、とても悲しいことです。兄上と姉上は、他の兄弟よりもずっと仲がおよろしかったのに、何故お二人が争わねばならなくなったのか・・・」
長兄の藤衛が、悲しげな目をして言った
利治はそれに応えられない
兄が姉の夫を殺したからだ、とは、とても・・・
帰蝶をここに運ぶのに、利治は兄達に全てを打ち明けた
亡くした夫の代わりに姉が戦に出ていることも
始めは驚いていた兄達だが、聞いている内に「姉上らしい」と、苦笑いしながらも理解してくれた
だが、それでも利治は言えなかった
斎藤討伐が、夫の復讐でもあることを
どうしてだろう
出家して、清められた身である兄達に、血腥い話を聞かせられなかったのか
それは、利治にもわからなかった
「それにしても、あんたらほんとに兄弟かい?全然似てないね」
と、側で話を聞いていた慶次郎が口を挟んだ
「ははは。新五郎は父の正妻様の息子、我らは側室生まれでございます故、恐らく気品と言うものが違うのでしょう」
「新五に気品なんてもんがあったのかい」
二人は上品で、利治は下品だとでも言いたげな顔をして笑う
「慶次郎!」
怒鳴る利治に、藤衛も文右衛門も笑った
「変わりましたね」
「え?」
自分に声を掛ける藤衛に、利治はキョトンとして聞き返した
「幼い頃から新五郎は、とても大人しくて、凡そ大声を出せるような気質ではなかった。いつも局処で大人しく、一人で遊んでいる少年だった。けれどこうして武士として、成り立つことを選んだのですね」
「 」
それが良いことなのかどうか、胸を張れない利治は黙り込んだ
「奥方様」
慶次郎の、帰蝶を見付けた声に利治は振り返り、藤衛、文右衛門も目をやった
「もう歩けるのかい?」
一人では歩けないことなど、松葉杖代わりになっている龍之介を見ればわかりそうなものだが、それでも帰蝶の負けず嫌いな性格に慶次郎は苦笑いして言った
「平気よ」
「姉上」
利治が駆け寄る
「ここに案内してくれたそうね。助かったわ」
「いいえ・・・。それより、お具合は」
「なんてことはない、これくらい」
龍之介に代わって自分が姉の脇に入り、支えた
「姉上様」
藤衛と文右衛門も側に寄った
「藤衛、文右衛門」
「はい」
「大きくなったわね」
「それは、姉上様も同じで」
互いに苦笑いする
「不浄な女の身で寺に分け入ったこと、謝す。ご住職に一言詫びたいのだが、ご在勤だろうか」
「いえ、ご住職様は只今、所用で大和の国においでになっておられます。副住職様の許可はいただいておりますので、どうか遠慮なさらず、ご養生くださいませ」
「構わないのか?」
「はい。ここは日蓮宗。真言宗に比べれば、確かに戒律は厳しいところでございますが、助けの手は誰にでも差し伸べるべきことでございます」
「助けの、手・・・か。誰かの助けを必要とするなど、私も弱くなったものだ」
「姉上」
自分への戒めか、それともただ単に皮肉っただけか
それ以上、自分を責めるなとでも言いたげに、利治は姉に声を掛け制止した
「 汗を流したい」
「はい、では準備して参ります。稲葉山城と寺の風呂は趣が違いますが、構いませんか?」
「汗を流せるのなら、樽でも桶でも構わない」
「そんなことしちまったら、周りの男共全員起立で、鼻から血ぃ噴いてぶっ倒れっちまうぜ」
慶次郎の言葉にまた、笑い声が流れた
寺の風呂は帰蝶が清洲で使っている風呂とは全く違い、簀の子のように組んだ板の下で火を焚き、蒸気で浮いた汗を拭う『蒸し風呂』である
湯を張った風呂と言うものに初めて入ったのは信長の許に嫁いでからだが、水の乏しい稲葉山ではそれも滅多になく、作法は違っても蒸し風呂そのものは稲葉山城以来の経験だった
実家の風呂は湯殿の隅に火を熾した炭火を置いて、汚れた汗を浮かばせそれを拭う
やり方は違っても、原理は同じだ
城でなら菊子が風呂の世話をしていたが、連れて来ていない以上自分でやるか、代わりに誰かに世話をさせるしか方法がない
『女』の帰蝶の風呂の世話を、いくら小姓衆筆頭とは言え『男』の龍之介がするわけにも行かず、弟である利治がそれをすることになった
だが、例え血の繋がった姉弟としても、女である帰蝶の全裸に緊張しない筈がない
女らしい曲線に、女らしい胸の膨らみ
自分とは全く違う躰に、利治は伏せ目勝ちになる
「気恥ずかしいのなら、背中だけで良い。私も実の弟に、女の部分を見せるつもりはない」
「はい・・・」
それでも、ちらっと見てしまった形良い姉の豊かな乳房に、一物が痛いほど熱(いき)り立つ
姉の躰に興奮してしまうなど、自分も男だったのだなと、心のどこかでしみじみしてしまった
「蒸し風呂だと、髪が洗えないのね。忘れていたわ」
「後で湯を用意させます」
「ありがとう」
少し伸びた髪を束ね、この時だけは竹串のような簪で落ちるのを止める
顔や腕はそれなりに日焼けしているが、背中は真白だった
腰掛に座るのにもつらそうに、ゆっくりとしゃがみ込む姉の腕を、しっかり掴んでやる
打ち付けた部分だろうか、腰の一帯が青黒く変色していた
動けるのだから骨折などの類は幸い起していないだろうが、それでも相当の痛みがあって当たり前なほどの変色だった
「兄上が、後で打撲の湿布薬を用意してくださるそうです。風呂上りに貼って差し上げますね」
「ふふっ・・・。お前に世話を掛けたら、当分偉そうな口は叩けなくなるわね」
「それはありがたいですね。姉上の小言は胸に堪えますから」
「生意気な」
そろそろと湯気で汗が浮かび、利治は手拭いで帰蝶の背中を撫でた
一頻り撫でると、湯を張った桶に浸し、絞り、また拭う
帰蝶も自分の前の躰を自分で拭った
女にしては背は高い方だろう
局処で暮らしていた頃も、姉より背の高い女は見なかった
男である家臣らに混じっても、余り違和感はないほど高い
それでも、姉は『女』なのだと感じた
細い背中が、そう言っていた
括れた腰が、帰蝶を女だと言っていた
それなりに筋肉も付いただろう、それでもまだ細いその腕が、「この人は女なのだ」と言っていた
女なのに、何故姉は戦う道を選んだのだろう、と、背中を撫でていた利治の目に、涙が浮かんだ
自分がもっとしっかりしていれば、姉の代わりに自分が戦って、姉はこんなにも短く髪を切る必要もなく、清洲の局処で帰命を育て、織田の惣領の生母として大事に守られ、馬から落ちることもなく、命の心配もせず暮らしていけたのに、と、そう想うと
「 ッ」
「 」
鼻を啜る利治に、帰蝶は手拭いを握っていた手を止め、振り返った
「新五」
「 」
「何故、お前が泣く」
「だって・・・」
姉上が、泣かないからです
帰蝶は弟を引き寄せ、その胸に抱き締めた
柔らかく温かい姉の乳房の、その布団に顔を埋められ、ほんの少しの息苦しさと、男の本能が暴れ出しそうなほどの興奮と、それから、乱暴でも、本当は誰よりも淋しがり屋で臆病な姉の心に触れたような気がして、利治は帰蝶の胸の谷間に顔を埋めたまま、帰蝶をぎゅっと抱き締めた
自分の腕が背中で交差できるほど、姉の躰は細かった
その細い躰に背負った荷物の重さを、初めて知ったような気がして、利治は腕に力を入れた
「姉上・・・」
乳房の間で呟く利治の、吐く息がくすぐったい
「姉上のことは、新五が守って差し上げます」
「お前が?」
「守って差し上げます。だから・・・」
甘えてくれて、良いですよ
「 」
利治の言いたい気持ちが、すとん、と、帰蝶の胸に落ちた
どうしてだろう
それを生意気だとは想えず、帰蝶は弟の頭を抱いたまま、微笑むことができた
風呂から出て、借りている寝室に戻る時も、利治が付き添った
敷き直された布団の上に二人で上がり、帰蝶は自分の手で小袖の上半身を脱ぎ、俯きで伏せた
まだ痛む腰に、利治が藤衛から手渡された湿布薬を塗る
そっと、そっと優しく塗り塗すと、その上に切り取った晒しを当てた
自分も慶次郎との乱取り稽古に馴れていなかった頃、筋肉痛の腕や脹脛に、さちがこうして湿布を貼ってくれたことを想い出す
今では随分前の話である
「痛くない、痛くない。もう、痛くないですよ」
「なんの呪(まじな)いだ?」
自分もさちを真似て言ってみたが、姉は苦笑いするだけだった
可愛くない姉の態度に少し不貞腐れる利治の前で、帰蝶は躰を起す
当然、何も羽織っていない躰にぷるんと乳房が大きく揺れ、利治は慌てて顔を逸らした
「本堂でなくても良い。どこか場所を貸してもらえるよう、藤衛に頼んで来てくれないか」
小袖に腕を通しながら、利治に言う
「 軍議・・・ですか」
「当然だ」
「 はい」
きっぱり返事する帰蝶に、利治は頭を擡げ、後のことを龍之介に頼んで部屋を出た
どうして姉はじっとできないのだろう、と悲しい想いが過る
あんなにも酷い怪我をしているのに、と
しばらく寝ていても、誰も文句など言わないのに、と・・・
朝廷から預かった書簡を胸に、利三は一鉄の部隊と共に美濃に戻っていた
在国衆にしては『幕府相伴衆』の肩書きは大きいだろう
これを最大限に生かし、尾張を手に入れる
義龍は戻った一鉄と利三にそう話した
「帰蝶の夫の上総介は兎も角、帰蝶はここで武家の躾を受けた娘だ。この肩書きがどれほど重いか、よおく知っている。そうそう歯向かえる相手ではないと、これで想い知っただろう」
「だと、こちらもやりやすいのですが」
一鉄が苦笑いで相槌を打つ
だが利三は言葉を話すことができなかった
「どうした?清四郎」
そんな利三に義龍が気に掛ける
「無事大役を果たしたのだ。もっと堂々としてはどうだ」
「殿 」
言おうか、どうしようか、悩んだ
帰蝶が戦に立っていることを
信長と並んで、斎藤に挑んでいることを
話せばこの兄は妹を想い、講和でも考えてはくれないだろうか
そんな甘いことを浮かばせる
「 いえ・・・、なんでもありません」
「 」
「さて、これからどうしますか。労いにと、殿からしばしの休息を頂いたのですから、のんびり羽でも広げますかな?」
城を出る際、共に歩く一鉄が声を掛けて来た
「そうしたいのは山々ですが、今まで感けてやれなかった罪滅ぼしに、子供達の相手でもしておきます」
「ははは、それがよろしかろう。お子らもきっと、喜びますぞ」
「では」
先に行こうとする利三に、後から一鉄が引き止めた
「斎藤殿」
「はい」
体の半分を振り向かせ、立ち止まる
「お手が空きましたら、で構いませんので、あんに手紙でも書いてやってくれませんか」
「あ、はい」
それくらいなら、と、軽い気持ちで返事する
「いえね・・・。あいつは中々素直じゃないところがありましてね、直接言うのは気が引けるのでしょう。ですが人の話だと、あれからずっと落ち着かない様子だそうで、寝ても冷めてもぼけーっとしているらしく」
「あん殿・・・が・・・?」
「母親が言いますに、斎藤殿に一目惚れしたのだそうで」
「 え?」
何のことだ、と、利三はポカンとした
「想像していたよりも男前だから、でしょうか?」
「男前・・・?私が、ですか・・・?」
それこそ心当たりがないと、利三は益々唖然とした顔をする
「いや、斎藤殿は同じ男が見ても、かなりの美形振りでございますぞ?」
「え・・・?」
その割には幼少の頃より、帰蝶にはぞんざいに扱われていたような気がする
「では、これで」
「 」
利三は黙って一鉄に頭を下げた
何を以って『男前』と言うのか、その基準は良くわからないが、自分の中での至上の存在と言えば、『帰蝶』だった
美濃一の美女と称される小見の方を母に持つのだから、帰蝶の美貌は幼い頃から特化している
が、生憎帰蝶は自分の生まれ持った、その『美貌』と言う名の武器を武器とは想わず、本物の武器を振り回して喜んでいたのだから、連れ添っていた利三もいつの間にか、そう言った浮付いた感情はなくなっていた
なのに、改めて言われるとどうしても意識してしまう
あの時、鈴鹿の山でほんの一瞬見掛けた帰蝶は、例えようがないほど美しかった
それは鎧を身に着け、馬に跨り、想像していた通り男に混じって無茶振りを発揮していたことへの安心感か
いいや、違う
帰蝶を戦の場に立たせるほど理解力のある『信長』への嫉妬が余りにも大き過ぎて、肝心なことを考える心のゆとりがなくなっていたのだ
何故、そこにいたのか、を
姫様は無事だっただろうか
馬から落ちた場面を目にして、利三は心の臓が止まりそうなほど、驚いた
その後、後から従う母衣を纏った男が擦違い様拾い上げた場面まで、目が離せなかった
その場に留まっては織田軍に捕縛されると、慌てて撤退したが、視界の隅に帰蝶が無事だったことは確認でき、安堵していた
だが、有り得ない場所で帰蝶を見付け、夫と共に戦場を駆け抜けているのだと想うだけで、怒りにも似た嫉妬の劣情が炎となり、利三の身を焦がす
それほどまでに帰蝶は信長を愛しているのか、と、想うだけで、自分が自分でなくなる瞬間を実感する
あなたは、他の男の妻なのに
何故、いつまでも私の心の中に居る
どれだけ私を狂わせれば、気が済む
どれだけ私を苦しめれば、気が済む
私のこの身が滅ぶまで、あなたは私の心の中心に居座り、私を苦しめ続けるのか
「お清」
風のように澄んだ声で名を呼ぶ
「早く、早く、こっち!こっち!」
手を振り、後を追う私を呼ぶ
「ほら!あそこ!」
指差す方向に目をやると、たわわに実った栗が毬の中から飛び出しそうな光景が見えた
「木を揺すれば落ちて来る!拾って、持って帰ろう!みんな、栗ご飯が大好きだから!」
だから
いつも誰かを喜ばせようと、山を歩いた
時には父のために
時には母のために
時には兄達のために
時には弟や妹達のために
時には、自分のために、帰蝶は走り回ってくれた
「お清」
姫様
「お清のお嫁さんになるには、どうしたら良いの?」
それは、この世に身分がなくなれば
叶わなくもないことです
だけどそれは、私達武家の存在を否定することにもなります
今の私には、あなたを守れるだけの力は
ない
だから、諦めた
「お帰りなさいませ。ご無事のご帰還、祝着至極にございます」
玄関で使用人の老婆が、妻の代わりに出迎える
「子供達は変わりないか」
「はい、頗るお元気で。それに」
ふと、女物の草履が踏み石の側に置かれていた
椿の物だろうか
「旦那様」
「これをさっさと片付けろ」
「いえ、それは」
使用人が何かを言おうとするのを、利三は立ち去りながら遮った
妙覚寺の一室を借りて、軍議を始める
「奥方様、お加減は良いんですか?無理をなさらなくとも・・・」
「大事無い。それよりも、私の失態により斎藤を取り逃がし、みなに迷惑を掛けて済まない」
「それこそ、大したことじゃありませんよ。おまけに京見学までできて、こっちは結構喜んでるんですよ」
と、秀隆が庇ってくれる
そうでも言わなければ、帰蝶のことだから過剰に自分を責めるだろうと想った
「奥方様がもう少しお休み下さったら、私達も京の隅々まで見て回れるんですが」
秀隆に倣って、長秀もそう言い出す
「五郎左、持って来た兵糧は何日分だ?」
「はい、ざっと見積もって三日分」
長秀は即答した
その答えに、帰蝶はどこか不安げな顔をする
「三日、か・・・」
「ですが、万が一のためを想って、塩もお持ちしました。こちらに厄介になっている間は、充分謝礼ができるだけの量です。いやぁ、おなつ様に小言を言われながらも、余分にお持ちして良かった」
「だな」
座に苦笑いが流れる
「そうか。取り敢えず、寺に迷惑を掛けることは免れたのだな」
「はい」
「では、明日朝一番にここを出立し、尾張に帰る」
「ですが奥方様、打ち付けた腰は大丈夫なのですか?先程も岩室殿が支えていなければ、充分に歩けるご様子ではありませんでしたが」
帰蝶を心配して貞勝が聞いた
「大丈夫だって言ってるでしょ?こんなところでのんびりしてる暇はないのよ?」
「ですが奥方様、今を無理して後が引いたら、それこそ大事に至ります。どうか、しばらくは躰を労わってください」
と、佐久間信盛が帰蝶を宥める
「だけど !」
食い下がる帰蝶に、秀隆が一喝した
「と言うか、寧ろ一人で歩けるようになるまで、じっとしててください!奥方様が怪我をなされたとおなつさんに知られたら、俺達全員の首が飛ぶんですっ!」
「これだけの面子を揃えておいて、奥方様に怪我をさせたとあっては、命の保証がありません!」
「その通りでございます」
「我らの命が惜しいとお感じになってくださるのでしたら、どうかご養生くださいませ!」
利治、慶次郎、小姓の龍之介以外の全員が、帰蝶に頭を下げる
この光景に三人はポカンとし、帰蝶は怒りに打ち震えた
「お前達、私となつと、どっちが怖いの!」
「おなつさんです!」
「 」
全員が一斉に声を揃えて返事するのだから、帰蝶の肩が右にガクンと崩れた
痛い腰を押して軍議をしようと想っていたのに、早々に追い返される
「ははははは。さすがの奥方様も、あれだけの人数を相手では、梃子摺りますね」
庭に出て、猪子兵助が帰蝶の相手をしていた
「笑い事じゃないわよ。力関係でなつに負けてるなんて、落ち込むわ・・・」
「そりゃぁ、亀の甲よか年の功と申しますし、この頃奥方様、おなつ様に口論でも勝てなくなって来てるではありませんか」
「それ、言わないでよ。結構気にしてるんだから。昔は口論でも誰にも負けない自信、あったんだけどなぁ・・・」
「それは、奥方様が大人になられて、様々な事をお考えになるようになったからではありませんか?」
「大人になるって、理屈っぽくなること?」
「それは人其々でしょうねぇ」
兵助の言うことも、なんだか理屈っぽく聞こえて不愉快な気分になる
「取り敢えず、河尻様方の計らいでしばらくはここに滞在しても良いと、寺側の許可も頂いたんです。本格的に体を休められたら如何ですか。あれ以来、若様をお産みになられる間を除いてこんにちまで殆ど、不眠不休なのですから」
「あら、夜はぐっすり眠ってるわよ」
「そうですか」
兵助はにこにことしながら聞き流した
本当は、今も夜に魘され充分眠れない日がなくもないのだから
「あん殿」
あの草履があんの物だと聞かされ、利三は慌てて居間に入った
部屋の外からも子供達の笑い声が聞こえていたが、まさかと想い開けてみれば、部屋の中であんがかな、甚九郎相手に鬼ごっこをしている
「あ・・・!お、お帰りなさいませ!」
「父様」
「おかえりなさいー」
甚九郎は兎も角、初対面の時はあんを突き飛ばすほど嫌っていたかなまでもが楽しげに笑っている光景に、利三は目を丸くした
「申し訳ありません。お留守の間に、勝手に上がり込んでしまって・・・」
「いえ、それは構わないのですが」
「斎藤様がご帰還なされたと伺ったもので、任務の方は如何だったのか気になりましてお邪魔したんですが、まだお城から戻られてないと聞きまして・・・」
「山を、態々?」
あんの実家は、確か揖保川を越えた先の、曾根の上加納村だと一鉄からは聞かされている
斎藤家の家臣ではないため、稲葉山の敷地に屋敷は構えていなかった
それにしても、随分遠くから来たものだと、ある意味呆れる
「ここくらいでしたら、平気です。頂上のお城は、ちょっと無理ですが」
「態々すみません」
「いいえ。斎藤様がいらっしゃらないと、かなちゃんも甚九郎君も淋しいんじゃないかと想って、遊び相手をさせていただきました。ちょっと、お部屋を汚してしまいましたか」
かなと甚九郎が目の前に居る時は、親しみを込めた呼び方をするが、親である利三だけの時はきちんと敬称を付ける
中々細かい気遣いのできる娘だと感心した
「いいえ、全然。色々お気遣い、ありがとうございます。かな、甚九郎、お礼を言いなさい」
「ありがとうございます」
「ありがとおございます」
二人揃って頭を下げる光景は、何とも言えず愛らしい
「膝の具合は、如何ですか?」
二人だけで庭に出る
何となくの行動だった
あるいは利三自身、あんを知りたいと想っているのかも知れない
「はい、すっかり良くなりました。それに、かな様が態々お薬を届けてくださって」
「え?」
「あ 」
しまった、と、あんは顔を顰めて肩を縮込ませた
「どう言うことですか、あん殿。かなは私の了解なしに、勝手に屋敷から出ることはしませんよ?」
「あ・・・、あの・・・」
「話して下さい」
「実は・・・、昨日、斎藤様が京に出立なされた後、かな様、うちの家に見舞いに来て下さったんです・・・」
「かなが?」
まさかと、利三の目が開く
「勿論、同伴の方もいらっしゃいましたが」
「そうですか」
「ずっと、私の怪我を気に掛けて下さったそうなんです」
「え?」
「でも、素直にお父上様である斎藤様に、うちに来たいとは言えなかったようで、斎藤様がお留守の時に」
「そう言うことでしたか」
「かな様がお薬を持って来て下さった時には、もうすっかり傷も塞がっていたなんて言えなくて・・・。それに、遠いところを態々見舞いに来てくださって、嬉しくて、お礼にとここまでお送りしたんですが・・・」
「と、言うことは?」
あんがいつここに来たのかがわかり、利三は冷やかすような責める目をした
「申し訳ございません!」
あんはガバッと頭を下げた
「実は昨日からお邪魔させていただいておりました!」
「かなか、甚九郎が帰るなと、駄々を捏ねましたか?」
「いえ・・・、それだけじゃないんですが・・・、ええと・・・」
頭を下げたまま、一生懸命言い訳を考えるあんの様子がおかしくて、利三はつい吹き出してしまった
「すみません・・・」
「いいえ」
どうしてだろう
自分が笑ったことに、利三は不思議な気分になった
笑ったなど、何年振りのことだろうか
最後に笑ったのは、いつだっただろうか
想い出せないほど昔だったような気がした
「あの・・・」
利三の笑い声が止まり、あんは恐る恐る頭を上げる
さっきまで笑っていた利三が、今は悲しそうな目をしていた
「斎藤様、どうかなさいましたか」
「 あなたの叔父上から、聞いております」
「え?」
「あん殿は、私の妻になりたいのですか?」
「 ッ」
単刀直入なことを聞かれ、あんは一気に顔を赤らめた
「どうして」
「あ・・・、あの・・・」
「私のどこが、あなたのお気に召したのでしょうか。稲葉殿が仰るとおり、顔、でしょうか」
「あの・・・」
「ですが、私は自分の容姿に自信を持ったことなどありません」
「私は ッ」
あんは、「違う」とでも言いたげな顔をする
だが、それを遮った
「稲葉殿がどれほど私を誉めてくださったとて、私はたった一人の女(ひと)ですら、振り向かせることができませんでした」
「斎藤様・・・」
「あなたが私の妻になったとしても、私はあなたを愛することができるかどうか、わかりません」
それは、「淋しい」と言う気持ちが、そう話させているのだろうか
あんの瞳が悲しみに染まった
「私は、自分の妻ですら愛せなかった」
「どうして、ですか」
呟くように聞く
そんなあんに、利三は素直に応えた
「愛した人の、妹だったからです」
「 」
利三の先妻が誰なのか、あんは知っていた
その人の姉と言うことは、土岐に嫁に行った娘か、姉小路に嫁に行った娘か
年を考えれば、織田に嫁に行った三女が一番近い
それは、帰蝶のことだと、あんは直ぐにわかった
「その人のことを、今も愛してらっしゃるんですね」
「 」
はい、とも、いいえ、とも、応えられない
この男を好いた女にとっては、つらい現実だろうに、それでもあんは真正面から言った
「斎藤様が、私の想ってた以上の殿方で、私、嬉しいです」
「え?」
「だって、そんなにも一途に誰かを愛せる人なんて、どこにも居ませんもの」
「 」
言われてみれば、確かにそうだなと、変な気分だが自分でも納得できた
それと同時に、今もまだ心に留める女が居ることを許容できるあんの、懐の深さにも驚かされた
「私、待ちます」
「あん殿・・・」
「斎藤様の心が、私で一杯になるまで、私、待ちます。だから・・・」
あん、なら
「側に、置いて下さい・・・・・」
椿よりも、ほんの少し、愛せるような気がした
「 はい」
「帰還が遅くなること、おなつさんに知らせなきゃなぁ・・・」
「ですが、どう言い訳しますか?」
「奥方様のこと書いちゃったら、おなつさんのことだから」
「尾張から飛んで来ますよ?」
「身の終わりだ」
「上手い」
「上手くないっ」
廊下で秀隆と貞勝、長秀の三人で今後のことを話し合う
「怪我のことを隠して奥方様を引き合いに出しても、結局ばれた時の反動が大き過ぎて、怖くて使えないしな」
「それに、柴田殿にもお知らせしなくては」
「遅くなることをか?」
「予定は組んでおりませんでしたが、かと言ってのんびりして帰るとも言っておりません。せめて今は京に留まることをお伝えせねば、柴田殿のことです」
「『何やってんだー!』、て」
「槍振り回して追い駆けられますな・・・」
長秀の言葉に言った本人も含め、三人は顔を青くして俯いた
「住職様には、姉上が滞在していること、お伝えしました。ですので、どうか心置きなく伸び伸びお過ごしください」
部屋に藤衛が訪問し、それを伝えてくれる
「私が女であることも、伝えたの?」
「あ、いえ。その部分は省略させていただきました」
「仏に仕える身で、方便を使ったの?」
苦笑いする藤衛に、帰蝶は意地悪を言う雰囲気で言った
「まぁ・・・、その・・・。罰が当りますかね?」
「ううん。当るとしたら、私よ、安心して」
「姉上・・・」
「お前に嘘を吐かせたのは、私だもの」
そんなこと
一言だって強要してはいないのに、それでも姉は自分を責める
姉らしいと想った
「 姉上は、こちらでは織田上総介様として、過ごしていただきます。そのおつもりで、振舞って下さいませ」
「それくらい、朝飯前よ。いつものことですもの」
「姉上・・・・・」
『女の幸せ』を手放す代わりに、姉は何を得ようとしているのだろう
藤衛はその部分だけは、利治に聞いても理解できなかった
父を失い、夫を失い、本来ならば実家に帰り、その後誰かの許に再稼し、そこで女の幸せを得、平凡でも恙無く暮らしていけただろうに、それでも、姉は何を望み、何を願い、夫の身代わりとして生きることを決意したのだろう
藤衛には、わからなかった
「姉上」
藤衛は懐に手を差し入れ、手紙を取り出した
「父上から、届いた手紙です」
「父様から?」
その一言に、帰蝶の目が見開いた
「いつ届いたの?」
「私が、文右衛門と共に逃げ延び、こちらに保護された後を追うように、届きました。私と文右衛門は父上が鶴山に陣を敷かれる直前に、鷺山から脱出しました。父上が、妙覚寺に行けと仰るので、その通りにしたのですが、まさかその後戦が起きるなど考えてもおりませんでした」
「父様は、なんと?」
「 」
藤衛は黙って手紙を帰蝶に差し出した
帰蝶は受け取った手紙を広げる
態々この手紙を送った意味は、美濃の国、大桑の地にて、織田上総介に譲状を渡してある事を理解して欲しいからである
お前は京の妙覚寺にて穢れを落し、一族のために祈るよう
一人が出家すれば、一族みなの魂が救われると言う
堕(お)つ魂を拾い上げ、一つ一つ、弔って欲しい
父の、最期の我侭と、どうか聞き届けて欲しい
この手紙を書き、涙が零れて仕方がない
今までのこと、さっきまでのこと、全てが夢のようだ
しかし、この世の苦難から解放されるのかと想うと、仏恩を得られると言うのも悪くはない
明日の戦いで私は死ぬかも知れない
だが、その後、私の魂は何処に向うのだろうか
この私の、終の住処はあるのだろうか
「 」
帰蝶の脳裏に、なつの謡う『敦盛』が流れる
「 男はみな、終の住処を探し求め、現世を旅するのだろうか」
「姉上・・・」
「想えばこの世は、常の住み家にあらず」
草葉に置く白露
水に宿る月よりなお妖し
「父様の字・・・」
「最後は、揺れております。恐らく、本当に涙しながら書かれたのでしょう。父上の晩年を考えると、凡そ人としての心が残っていたのかと、驚かされました。いいえ、父は鬼でも蛇でもない。私は知っています。だけど 」
藤衛が涙で喉を詰まらせた
「人には、父様の姿は、鬼か蛇に見えたのだろう」
自分にも、想い当たることがある
「姉上・・・・・・・・・・」
「鬼や蛇にならねば、成せぬこともある。父様には、それを理解してくれる良き伴侶がいなかった。私は 」
父よりは、恵まれているのかも知れないと、帰蝶は想った
なつ、秀隆、貞勝、資房、長秀、可成、弥三郎、一益、信盛、利家、そして、勝家
鬼と呼ばれても仕方がない所業を犯しながらも、それでも、付き従ってくれる
父は死ぬことで、身を以って教えてくれたのかも知れない
大義には『憎まれ役』も必要であることを
「父様の想い、大切にせねばなるまいな」
「 はい・・・」
美濃に戻って数日後、一鉄が利三の屋敷を訪れた
あんと利三の結納を交わすためである
「まさかこんなとんとん拍子に決まるとは、想っておりませんでした」
嬉しそうな笑顔の一鉄に、利三も微笑んだ
あんは本格的に嫁入り修行に入り、結納は縁談を進めた叔父の一鉄が名代として全てを取り仕切った
家を乗っ取られたとは言え、伝統のある斎藤家の嫁になるのだからと、あんは一鉄の娘に准じた扱いを受けることとなり、名目上は一鉄の娘として斎藤家に嫁ぐことで合意した
利三の父も、それに納得する
稲葉と言う後ろ盾を得れば、大名斎藤家で騒動が起きても充分に戦えると、そう考えた
今は打算の上の婚姻かも知れない
だけど、いつかは
あんを愛せたら良いと、願っていた
腰の傷みも癒え、尾張に帰れる算段が漸く付く
明日を帰国に控え、今夜が最後の世話となるべく、利治は姉の背中を擦っていた
それにしても、と想う
女は綺麗好きなのだな、と
さちも、毎日汗を流すほど働いているのに、次の日になれば爽やかな香りを纏わせている
今では女達全員に風呂の用意をさせているため、最近になって大浴場なるものができたとこの出発の前、慶次郎からは聞かされていた
「毎日覗き放題」
「お前、もう直ぐ結婚するんだろ?」
慶次郎の悪趣味には呆れさせられるが、姉の美しい裸体を見ていると、慶次郎の行為が男にとっては当たり前で、一心不乱に槍を振っている自分が異常なのではないのかとも想えるようになってしまった
かと言って、自分まで一緒に女の入浴を覗けば、この姉に斬り殺される可能性が途方もなく大きいが
なんだろう、弟の手付きがいつもより随分と丁寧なことに、帰蝶は訝しげに想った
並べば弟も随分背が高くなって来ている
少ない知行でさちは知恵を絞って、充分栄養の摂れる食事でも提供してくれているのだろうか
そう考えれば、弟にもそろそろ妻を娶らせねばならないか、とも浮かぶ
斎藤帰蝶の実弟と言う立場は、何かと厳しい制約が付いて回っているのは知っている
清らかな生活を強いられていると言うことも
弟もそろそろ十五が近いか
だとしたら、健全な男が一度も女の肌に触れていないのは、体に悪いものなのだろうな、と
「新五」
「はい」
「お前、心に留めた女は居るの?」
「え?何ですか、行き成り」
「尾張に帰れば、慶次郎も妻を娶る。お前もそろそろ、女を知る年頃だ」
「そうかも知れませんが、そんな相手、今のところいません」
「誰か家臣の娘でも。吉兵衛の娘はどうだ?」
「誰ですか、それ」
「本丸で働いている」
「そうですか」
「 」
関心がなさそうな返事をすると言うことは、女そのものに興味がないのだろうかと、寧ろ心配になって来る
夫も女を知る時期は遅かった方だが、女よりも夢中になれる遊びを知っていたからこそ遅くとも精神的に影響はなかったが、遊べる身分ではない弟には同じことをしろとは言えるわけがなかった
男も、出すべき物は出しておかないと、体にも悪いし、精神状態も保てない
まさか、同じ男相手に出しているのではなかろうな、と、俄に不安になってしまう
利治には子を作ってもらわねば、斎藤の跡取りとしての務めが果たせない
そうなれば、女の素晴らしさをこの身を以って教えねば成らんかと、帰蝶は肚を括った
「新五」
「はい?」
帰蝶は行き成り弟の手を掴み、背後から引き寄せ、自分の両の乳房をむんずと掴ませる
この行為に利治は
「ひぎゃぁぁぁぁ ッ!」
と、けたたましい悲鳴を上げて後退った
帰蝶は少し笑いながら振り返る
そのたわわな乳房が邪魔で、姉を直視できない
「どうした、新五」
「どうしたのはこちらの言う言葉です!姉上、何を血迷われましたか!私はあなたの弟です!」
「そんなことはわかってる」
「だったら、そっそっそっ、その乳房を握らせるとは、どう言った了見ですかッ!」
「お前が女に興味があるかないか、確かめただけだ」
「他の確かめ方を選んでください!よりにもよってご自分の乳房で確かめさせるなど、非常識にも程があります!」
そう言ってはみたものの、今も両手にくっきりと残る姉の乳房の柔らかさ、大きさ、感触がしがみ付いて離れない
今夜は眠れるだろうかと、別の心配もした
「どうせ試すのなら、他の女になさってください!」
「だけど、安心した」
「はぁ?」
「私の乳房をほんの少し、握り返したな」
「 」
無意識に揉んでしまったのだろうかと、利治は激しく落ち込む
「良かった。お前が女に対し、嫌悪感を持っていないことがわかって」
「 」
だが、実の姉にこんなことをされたら、持ってなかった嫌悪感を持ってしまうのでは?と、利治は疑問に想う
帰蝶は背中を向け直して言った
「いつでも良い。誰でも良い。お前が心に決めた女が現れたら、知らせて欲しい」
「え・・・?」
「せめて、祝ってやりたい」
「 ありがとうございます」
利治の脳裏にぼんやりと浮かんだ少女が、自分に微笑み掛けてくれた
「お前に教えてやれることは何もないが、女の愛し方は教えてやれる」
「姉上・・・」
気の所為だろうか
姉の声が少し、淋しがっていた
「自分を慈しむように、女を愛してやれ。女を怖がるな。愛すべき存在だと想い、撫でてやれ。震えている時は、微笑んでやれ。女はそれだけで、怖いと言う想いを忘れられる。安心できる」
「 」
織田信長が、そう言う人だったのだろうか
自分を愛するように姉を愛し、自分を慈しむように姉を慈しみ、震える姉を撫で、微笑んでいたのだろう、と、想えた
自分に向けた姉の背中が、こう言っている
「夫は自分を愛してくれた」、と
そうやって、愛してくれた、と
姉の世話を終え、先に表に出た利治に、待ち構えていた龍之介が呟く
「奥方様の乳房を揉んだのですか?」
「 」
敵意満々な迫力のあるその眼差しが怖くて、利治は何も言い返せなかった
結局寺から一歩も外に出ないまま、帰蝶は尾張に戻った
結局なつに落馬したことがばれてしまい、勿論帰蝶も並んで全員表座敷でなつの説教を受けた
初めての遠征に疲れた躰が日常に戻る頃、帰命の二度目の誕生日がやって来た
春、慶次郎とその妻になる初の祝言が無事済み、夫の四回忌法要を秘密裏に行い、利治も十五になり、朝の空気が昨日よりもほんの少し暖かいのを感じられるそんな日
美濃では、利三とあんの祝言が行なわれた
利三の屋敷で祝言は行なわれ、花嫁衣裳に身を包んだあんが利三の隣に並んだ
椿を娶った時は、それが帰蝶であったなら、と願った
どれだけ願っても、『妻』が帰蝶に変わることなどありはしない
それでも
あんの穏やかな微笑みを見詰めながら、それでもまた、性懲りもなく願ってしまう自分がそこに居た
私の恋心は「こうだ」と表現はできないのだから、あの伊吹山の蓬のように燃える想いを、あなたはご存じないだろう
その昔、愛しい想い人を胸に歌った歌人の歌が、ふと頭を過る
乱暴でじゃじゃ馬で向こう見ずで、凡そ女らしい行儀作法一つ覚えようとしなかったあの人は、意外にも教養が深く、和歌をこよなく愛していた
そんな帰蝶が一度だけ、照れた顔をしてこの歌を口にしていた
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
想いに応えなかった自分に、それでも気付いて欲しいと願っていたのか
それは、帰蝶に聞いてみないとわからない
わからない、けれど、これだけはわかった
あんを愛することはできるかも知れない
それ以上に、帰蝶を忘れられないと言う確信
嫁に行ったあの日の、木曽大橋で別れた少女の面影は、新たに記憶が塗り替えられ、あの横顔が浮かぶ
あんの横顔に、帰蝶の横顔が被る
そのあんがこちらを向く
利三は無意識に、微笑めた
愛しいあの人に向って
鈴鹿峠を張ることも
そのお陰で、こうして斎藤を追い駆けることができた
なのに
「奥方様ァ
一発の玉が、全てを無に帰した
静かな部屋の布団の中で、帰蝶は横たえていた
廊下では人の足音が聞こえる
雀の声も聞こえる
気を失っていたのか、それとも眠っていたのか、自分でもわからない
今が朝なのか昼なのかすら、わからない
夫の夢を見てたような、別の男の夢を見ていたような
それも、わからなかった
「
小さな声で、呟くように聞く
しばらくすると、廊下側の襖から龍之介の声がした
「はい、おります」
「龍之介・・・」
「はい」
「
「はい」
物陰から飛んで来た鉄砲の玉は、帰蝶とは別の方向に飛んで行った
だが、その音に驚いた帰蝶と松風の呼吸が外れ、帰蝶は松風から落馬した
織田軍の走るのを急に止めることはできず、後から来た騎馬隊の馬に踏み付けられる寸前、秀隆が帰蝶を拾い上げた
稲葉隊を見失い、司令塔である帰蝶も気を失い、統制が取れなくなったままの状態で京に雪崩れ込んだと龍之介は説明した
「
「そんな・・・。松風から落ちたんです。打撲だけで済んだのは、幸いです」
雪が衝撃を和らげてくれたのだろうか
そんな気がした
「ここは、どこ?」
「京の日蓮宗・妙覚寺の一室をお借りしております」
「妙覚寺・・・」
「奥方様の、弟君がおいでになられる寺です」
「弟・・・。そうか・・・」
やっと気付く
藤衛と文右衛門が世話になっている寺だ、と
「新五様がおられて、助かりました。なんせ京に知り合いなど、おりませんから」
「そうね・・・」
自分も、嘗ての利治同様、弟の藤衛も文右衛門も、余り馴染みがない相手だった
意識があったとしても、想い付いたかどうか自信がない
いつまでも布団に包まっている場合ではないと、帰蝶は上半身を起した
その瞬間、鋭い痛みが腰を走る
「
「奥方様!」
慌てた龍之介が、帰蝶を支えようと布団に上がって受け止めた
「ご無理をなさらないで下さいッ。重い鎧を着けたまま落馬したんです。直ぐに起きれるような状態ではありません」
「龍之介・・・。斎藤は、どうなった」
「
「どうした」
応えない龍之介に、帰蝶は答えを強請った
「斎藤・・・は・・・、入洛」
「じゃあ、幕府相伴衆拝命の儀は」
「滞りなく、終わりました」
「斎藤軍は
帰蝶の問い掛けに、龍之介は応え難そうな顔をして返事した
「その日の内に、美濃に引き上げました」
「
返事を聞いた途端、帰蝶の肩がガックリと落ちた
「奥方様・・・」
「私は、何日間眠っていたの・・・?」
「丸、一日」
「何しにここまで来たの、私は・・ッ」
結局、何もできなかった自分を責める
龍之介には、帰蝶に掛けてやれる言葉がなかった
「でも、本当、兄上方も無事に脱出できて良かったです」
「運が良かったのか、父上が予め我らを城の外に出しておいてくださったお陰で」
「全く」
庭の片隅で利治は、実に三年振りで生き別れた二人の兄と面会していた
「世の倣いとは言え、兄妹間で争うのは、とても悲しいことです。兄上と姉上は、他の兄弟よりもずっと仲がおよろしかったのに、何故お二人が争わねばならなくなったのか・・・」
長兄の藤衛が、悲しげな目をして言った
利治はそれに応えられない
兄が姉の夫を殺したからだ、とは、とても・・・
帰蝶をここに運ぶのに、利治は兄達に全てを打ち明けた
亡くした夫の代わりに姉が戦に出ていることも
始めは驚いていた兄達だが、聞いている内に「姉上らしい」と、苦笑いしながらも理解してくれた
だが、それでも利治は言えなかった
斎藤討伐が、夫の復讐でもあることを
どうしてだろう
出家して、清められた身である兄達に、血腥い話を聞かせられなかったのか
それは、利治にもわからなかった
「それにしても、あんたらほんとに兄弟かい?全然似てないね」
と、側で話を聞いていた慶次郎が口を挟んだ
「ははは。新五郎は父の正妻様の息子、我らは側室生まれでございます故、恐らく気品と言うものが違うのでしょう」
「新五に気品なんてもんがあったのかい」
二人は上品で、利治は下品だとでも言いたげな顔をして笑う
「慶次郎!」
怒鳴る利治に、藤衛も文右衛門も笑った
「変わりましたね」
「え?」
自分に声を掛ける藤衛に、利治はキョトンとして聞き返した
「幼い頃から新五郎は、とても大人しくて、凡そ大声を出せるような気質ではなかった。いつも局処で大人しく、一人で遊んでいる少年だった。けれどこうして武士として、成り立つことを選んだのですね」
「
それが良いことなのかどうか、胸を張れない利治は黙り込んだ
「奥方様」
慶次郎の、帰蝶を見付けた声に利治は振り返り、藤衛、文右衛門も目をやった
「もう歩けるのかい?」
一人では歩けないことなど、松葉杖代わりになっている龍之介を見ればわかりそうなものだが、それでも帰蝶の負けず嫌いな性格に慶次郎は苦笑いして言った
「平気よ」
「姉上」
利治が駆け寄る
「ここに案内してくれたそうね。助かったわ」
「いいえ・・・。それより、お具合は」
「なんてことはない、これくらい」
龍之介に代わって自分が姉の脇に入り、支えた
「姉上様」
藤衛と文右衛門も側に寄った
「藤衛、文右衛門」
「はい」
「大きくなったわね」
「それは、姉上様も同じで」
互いに苦笑いする
「不浄な女の身で寺に分け入ったこと、謝す。ご住職に一言詫びたいのだが、ご在勤だろうか」
「いえ、ご住職様は只今、所用で大和の国においでになっておられます。副住職様の許可はいただいておりますので、どうか遠慮なさらず、ご養生くださいませ」
「構わないのか?」
「はい。ここは日蓮宗。真言宗に比べれば、確かに戒律は厳しいところでございますが、助けの手は誰にでも差し伸べるべきことでございます」
「助けの、手・・・か。誰かの助けを必要とするなど、私も弱くなったものだ」
「姉上」
自分への戒めか、それともただ単に皮肉っただけか
それ以上、自分を責めるなとでも言いたげに、利治は姉に声を掛け制止した
「
「はい、では準備して参ります。稲葉山城と寺の風呂は趣が違いますが、構いませんか?」
「汗を流せるのなら、樽でも桶でも構わない」
「そんなことしちまったら、周りの男共全員起立で、鼻から血ぃ噴いてぶっ倒れっちまうぜ」
慶次郎の言葉にまた、笑い声が流れた
寺の風呂は帰蝶が清洲で使っている風呂とは全く違い、簀の子のように組んだ板の下で火を焚き、蒸気で浮いた汗を拭う『蒸し風呂』である
湯を張った風呂と言うものに初めて入ったのは信長の許に嫁いでからだが、水の乏しい稲葉山ではそれも滅多になく、作法は違っても蒸し風呂そのものは稲葉山城以来の経験だった
実家の風呂は湯殿の隅に火を熾した炭火を置いて、汚れた汗を浮かばせそれを拭う
やり方は違っても、原理は同じだ
城でなら菊子が風呂の世話をしていたが、連れて来ていない以上自分でやるか、代わりに誰かに世話をさせるしか方法がない
『女』の帰蝶の風呂の世話を、いくら小姓衆筆頭とは言え『男』の龍之介がするわけにも行かず、弟である利治がそれをすることになった
だが、例え血の繋がった姉弟としても、女である帰蝶の全裸に緊張しない筈がない
女らしい曲線に、女らしい胸の膨らみ
自分とは全く違う躰に、利治は伏せ目勝ちになる
「気恥ずかしいのなら、背中だけで良い。私も実の弟に、女の部分を見せるつもりはない」
「はい・・・」
それでも、ちらっと見てしまった形良い姉の豊かな乳房に、一物が痛いほど熱(いき)り立つ
姉の躰に興奮してしまうなど、自分も男だったのだなと、心のどこかでしみじみしてしまった
「蒸し風呂だと、髪が洗えないのね。忘れていたわ」
「後で湯を用意させます」
「ありがとう」
少し伸びた髪を束ね、この時だけは竹串のような簪で落ちるのを止める
顔や腕はそれなりに日焼けしているが、背中は真白だった
腰掛に座るのにもつらそうに、ゆっくりとしゃがみ込む姉の腕を、しっかり掴んでやる
打ち付けた部分だろうか、腰の一帯が青黒く変色していた
動けるのだから骨折などの類は幸い起していないだろうが、それでも相当の痛みがあって当たり前なほどの変色だった
「兄上が、後で打撲の湿布薬を用意してくださるそうです。風呂上りに貼って差し上げますね」
「ふふっ・・・。お前に世話を掛けたら、当分偉そうな口は叩けなくなるわね」
「それはありがたいですね。姉上の小言は胸に堪えますから」
「生意気な」
そろそろと湯気で汗が浮かび、利治は手拭いで帰蝶の背中を撫でた
一頻り撫でると、湯を張った桶に浸し、絞り、また拭う
帰蝶も自分の前の躰を自分で拭った
女にしては背は高い方だろう
局処で暮らしていた頃も、姉より背の高い女は見なかった
男である家臣らに混じっても、余り違和感はないほど高い
それでも、姉は『女』なのだと感じた
細い背中が、そう言っていた
括れた腰が、帰蝶を女だと言っていた
それなりに筋肉も付いただろう、それでもまだ細いその腕が、「この人は女なのだ」と言っていた
女なのに、何故姉は戦う道を選んだのだろう、と、背中を撫でていた利治の目に、涙が浮かんだ
自分がもっとしっかりしていれば、姉の代わりに自分が戦って、姉はこんなにも短く髪を切る必要もなく、清洲の局処で帰命を育て、織田の惣領の生母として大事に守られ、馬から落ちることもなく、命の心配もせず暮らしていけたのに、と、そう想うと
「
「
鼻を啜る利治に、帰蝶は手拭いを握っていた手を止め、振り返った
「新五」
「
「何故、お前が泣く」
「だって・・・」
帰蝶は弟を引き寄せ、その胸に抱き締めた
柔らかく温かい姉の乳房の、その布団に顔を埋められ、ほんの少しの息苦しさと、男の本能が暴れ出しそうなほどの興奮と、それから、乱暴でも、本当は誰よりも淋しがり屋で臆病な姉の心に触れたような気がして、利治は帰蝶の胸の谷間に顔を埋めたまま、帰蝶をぎゅっと抱き締めた
自分の腕が背中で交差できるほど、姉の躰は細かった
その細い躰に背負った荷物の重さを、初めて知ったような気がして、利治は腕に力を入れた
「姉上・・・」
乳房の間で呟く利治の、吐く息がくすぐったい
「姉上のことは、新五が守って差し上げます」
「お前が?」
「守って差し上げます。だから・・・」
「
利治の言いたい気持ちが、すとん、と、帰蝶の胸に落ちた
どうしてだろう
それを生意気だとは想えず、帰蝶は弟の頭を抱いたまま、微笑むことができた
風呂から出て、借りている寝室に戻る時も、利治が付き添った
敷き直された布団の上に二人で上がり、帰蝶は自分の手で小袖の上半身を脱ぎ、俯きで伏せた
まだ痛む腰に、利治が藤衛から手渡された湿布薬を塗る
そっと、そっと優しく塗り塗すと、その上に切り取った晒しを当てた
自分も慶次郎との乱取り稽古に馴れていなかった頃、筋肉痛の腕や脹脛に、さちがこうして湿布を貼ってくれたことを想い出す
今では随分前の話である
「痛くない、痛くない。もう、痛くないですよ」
「なんの呪(まじな)いだ?」
自分もさちを真似て言ってみたが、姉は苦笑いするだけだった
可愛くない姉の態度に少し不貞腐れる利治の前で、帰蝶は躰を起す
当然、何も羽織っていない躰にぷるんと乳房が大きく揺れ、利治は慌てて顔を逸らした
「本堂でなくても良い。どこか場所を貸してもらえるよう、藤衛に頼んで来てくれないか」
小袖に腕を通しながら、利治に言う
「
「当然だ」
「
きっぱり返事する帰蝶に、利治は頭を擡げ、後のことを龍之介に頼んで部屋を出た
どうして姉はじっとできないのだろう、と悲しい想いが過る
あんなにも酷い怪我をしているのに、と
しばらく寝ていても、誰も文句など言わないのに、と・・・
朝廷から預かった書簡を胸に、利三は一鉄の部隊と共に美濃に戻っていた
在国衆にしては『幕府相伴衆』の肩書きは大きいだろう
これを最大限に生かし、尾張を手に入れる
義龍は戻った一鉄と利三にそう話した
「帰蝶の夫の上総介は兎も角、帰蝶はここで武家の躾を受けた娘だ。この肩書きがどれほど重いか、よおく知っている。そうそう歯向かえる相手ではないと、これで想い知っただろう」
「だと、こちらもやりやすいのですが」
一鉄が苦笑いで相槌を打つ
だが利三は言葉を話すことができなかった
「どうした?清四郎」
そんな利三に義龍が気に掛ける
「無事大役を果たしたのだ。もっと堂々としてはどうだ」
「殿
言おうか、どうしようか、悩んだ
帰蝶が戦に立っていることを
信長と並んで、斎藤に挑んでいることを
話せばこの兄は妹を想い、講和でも考えてはくれないだろうか
そんな甘いことを浮かばせる
「
「
「さて、これからどうしますか。労いにと、殿からしばしの休息を頂いたのですから、のんびり羽でも広げますかな?」
城を出る際、共に歩く一鉄が声を掛けて来た
「そうしたいのは山々ですが、今まで感けてやれなかった罪滅ぼしに、子供達の相手でもしておきます」
「ははは、それがよろしかろう。お子らもきっと、喜びますぞ」
「では」
先に行こうとする利三に、後から一鉄が引き止めた
「斎藤殿」
「はい」
体の半分を振り向かせ、立ち止まる
「お手が空きましたら、で構いませんので、あんに手紙でも書いてやってくれませんか」
「あ、はい」
それくらいなら、と、軽い気持ちで返事する
「いえね・・・。あいつは中々素直じゃないところがありましてね、直接言うのは気が引けるのでしょう。ですが人の話だと、あれからずっと落ち着かない様子だそうで、寝ても冷めてもぼけーっとしているらしく」
「あん殿・・・が・・・?」
「母親が言いますに、斎藤殿に一目惚れしたのだそうで」
「
何のことだ、と、利三はポカンとした
「想像していたよりも男前だから、でしょうか?」
「男前・・・?私が、ですか・・・?」
それこそ心当たりがないと、利三は益々唖然とした顔をする
「いや、斎藤殿は同じ男が見ても、かなりの美形振りでございますぞ?」
「え・・・?」
その割には幼少の頃より、帰蝶にはぞんざいに扱われていたような気がする
「では、これで」
「
利三は黙って一鉄に頭を下げた
何を以って『男前』と言うのか、その基準は良くわからないが、自分の中での至上の存在と言えば、『帰蝶』だった
美濃一の美女と称される小見の方を母に持つのだから、帰蝶の美貌は幼い頃から特化している
が、生憎帰蝶は自分の生まれ持った、その『美貌』と言う名の武器を武器とは想わず、本物の武器を振り回して喜んでいたのだから、連れ添っていた利三もいつの間にか、そう言った浮付いた感情はなくなっていた
なのに、改めて言われるとどうしても意識してしまう
あの時、鈴鹿の山でほんの一瞬見掛けた帰蝶は、例えようがないほど美しかった
それは鎧を身に着け、馬に跨り、想像していた通り男に混じって無茶振りを発揮していたことへの安心感か
いいや、違う
帰蝶を戦の場に立たせるほど理解力のある『信長』への嫉妬が余りにも大き過ぎて、肝心なことを考える心のゆとりがなくなっていたのだ
何故、そこにいたのか、を
姫様は無事だっただろうか
馬から落ちた場面を目にして、利三は心の臓が止まりそうなほど、驚いた
その後、後から従う母衣を纏った男が擦違い様拾い上げた場面まで、目が離せなかった
その場に留まっては織田軍に捕縛されると、慌てて撤退したが、視界の隅に帰蝶が無事だったことは確認でき、安堵していた
だが、有り得ない場所で帰蝶を見付け、夫と共に戦場を駆け抜けているのだと想うだけで、怒りにも似た嫉妬の劣情が炎となり、利三の身を焦がす
それほどまでに帰蝶は信長を愛しているのか、と、想うだけで、自分が自分でなくなる瞬間を実感する
あなたは、他の男の妻なのに
何故、いつまでも私の心の中に居る
どれだけ私を狂わせれば、気が済む
どれだけ私を苦しめれば、気が済む
私のこの身が滅ぶまで、あなたは私の心の中心に居座り、私を苦しめ続けるのか
「お清」
風のように澄んだ声で名を呼ぶ
「早く、早く、こっち!こっち!」
手を振り、後を追う私を呼ぶ
「ほら!あそこ!」
指差す方向に目をやると、たわわに実った栗が毬の中から飛び出しそうな光景が見えた
「木を揺すれば落ちて来る!拾って、持って帰ろう!みんな、栗ご飯が大好きだから!」
だから
いつも誰かを喜ばせようと、山を歩いた
時には父のために
時には母のために
時には兄達のために
時には弟や妹達のために
時には、自分のために、帰蝶は走り回ってくれた
「お清」
姫様
「お清のお嫁さんになるには、どうしたら良いの?」
それは、この世に身分がなくなれば
叶わなくもないことです
だけどそれは、私達武家の存在を否定することにもなります
今の私には、あなたを守れるだけの力は
だから、諦めた
「お帰りなさいませ。ご無事のご帰還、祝着至極にございます」
玄関で使用人の老婆が、妻の代わりに出迎える
「子供達は変わりないか」
「はい、頗るお元気で。それに」
ふと、女物の草履が踏み石の側に置かれていた
椿の物だろうか
「旦那様」
「これをさっさと片付けろ」
「いえ、それは」
使用人が何かを言おうとするのを、利三は立ち去りながら遮った
妙覚寺の一室を借りて、軍議を始める
「奥方様、お加減は良いんですか?無理をなさらなくとも・・・」
「大事無い。それよりも、私の失態により斎藤を取り逃がし、みなに迷惑を掛けて済まない」
「それこそ、大したことじゃありませんよ。おまけに京見学までできて、こっちは結構喜んでるんですよ」
と、秀隆が庇ってくれる
そうでも言わなければ、帰蝶のことだから過剰に自分を責めるだろうと想った
「奥方様がもう少しお休み下さったら、私達も京の隅々まで見て回れるんですが」
秀隆に倣って、長秀もそう言い出す
「五郎左、持って来た兵糧は何日分だ?」
「はい、ざっと見積もって三日分」
長秀は即答した
その答えに、帰蝶はどこか不安げな顔をする
「三日、か・・・」
「ですが、万が一のためを想って、塩もお持ちしました。こちらに厄介になっている間は、充分謝礼ができるだけの量です。いやぁ、おなつ様に小言を言われながらも、余分にお持ちして良かった」
「だな」
座に苦笑いが流れる
「そうか。取り敢えず、寺に迷惑を掛けることは免れたのだな」
「はい」
「では、明日朝一番にここを出立し、尾張に帰る」
「ですが奥方様、打ち付けた腰は大丈夫なのですか?先程も岩室殿が支えていなければ、充分に歩けるご様子ではありませんでしたが」
帰蝶を心配して貞勝が聞いた
「大丈夫だって言ってるでしょ?こんなところでのんびりしてる暇はないのよ?」
「ですが奥方様、今を無理して後が引いたら、それこそ大事に至ります。どうか、しばらくは躰を労わってください」
と、佐久間信盛が帰蝶を宥める
「だけど
食い下がる帰蝶に、秀隆が一喝した
「と言うか、寧ろ一人で歩けるようになるまで、じっとしててください!奥方様が怪我をなされたとおなつさんに知られたら、俺達全員の首が飛ぶんですっ!」
「これだけの面子を揃えておいて、奥方様に怪我をさせたとあっては、命の保証がありません!」
「その通りでございます」
「我らの命が惜しいとお感じになってくださるのでしたら、どうかご養生くださいませ!」
利治、慶次郎、小姓の龍之介以外の全員が、帰蝶に頭を下げる
この光景に三人はポカンとし、帰蝶は怒りに打ち震えた
「お前達、私となつと、どっちが怖いの!」
「おなつさんです!」
「
全員が一斉に声を揃えて返事するのだから、帰蝶の肩が右にガクンと崩れた
痛い腰を押して軍議をしようと想っていたのに、早々に追い返される
「ははははは。さすがの奥方様も、あれだけの人数を相手では、梃子摺りますね」
庭に出て、猪子兵助が帰蝶の相手をしていた
「笑い事じゃないわよ。力関係でなつに負けてるなんて、落ち込むわ・・・」
「そりゃぁ、亀の甲よか年の功と申しますし、この頃奥方様、おなつ様に口論でも勝てなくなって来てるではありませんか」
「それ、言わないでよ。結構気にしてるんだから。昔は口論でも誰にも負けない自信、あったんだけどなぁ・・・」
「それは、奥方様が大人になられて、様々な事をお考えになるようになったからではありませんか?」
「大人になるって、理屈っぽくなること?」
「それは人其々でしょうねぇ」
兵助の言うことも、なんだか理屈っぽく聞こえて不愉快な気分になる
「取り敢えず、河尻様方の計らいでしばらくはここに滞在しても良いと、寺側の許可も頂いたんです。本格的に体を休められたら如何ですか。あれ以来、若様をお産みになられる間を除いてこんにちまで殆ど、不眠不休なのですから」
「あら、夜はぐっすり眠ってるわよ」
「そうですか」
兵助はにこにことしながら聞き流した
本当は、今も夜に魘され充分眠れない日がなくもないのだから
「あん殿」
あの草履があんの物だと聞かされ、利三は慌てて居間に入った
部屋の外からも子供達の笑い声が聞こえていたが、まさかと想い開けてみれば、部屋の中であんがかな、甚九郎相手に鬼ごっこをしている
「あ・・・!お、お帰りなさいませ!」
「父様」
「おかえりなさいー」
甚九郎は兎も角、初対面の時はあんを突き飛ばすほど嫌っていたかなまでもが楽しげに笑っている光景に、利三は目を丸くした
「申し訳ありません。お留守の間に、勝手に上がり込んでしまって・・・」
「いえ、それは構わないのですが」
「斎藤様がご帰還なされたと伺ったもので、任務の方は如何だったのか気になりましてお邪魔したんですが、まだお城から戻られてないと聞きまして・・・」
「山を、態々?」
あんの実家は、確か揖保川を越えた先の、曾根の上加納村だと一鉄からは聞かされている
斎藤家の家臣ではないため、稲葉山の敷地に屋敷は構えていなかった
それにしても、随分遠くから来たものだと、ある意味呆れる
「ここくらいでしたら、平気です。頂上のお城は、ちょっと無理ですが」
「態々すみません」
「いいえ。斎藤様がいらっしゃらないと、かなちゃんも甚九郎君も淋しいんじゃないかと想って、遊び相手をさせていただきました。ちょっと、お部屋を汚してしまいましたか」
かなと甚九郎が目の前に居る時は、親しみを込めた呼び方をするが、親である利三だけの時はきちんと敬称を付ける
中々細かい気遣いのできる娘だと感心した
「いいえ、全然。色々お気遣い、ありがとうございます。かな、甚九郎、お礼を言いなさい」
「ありがとうございます」
「ありがとおございます」
二人揃って頭を下げる光景は、何とも言えず愛らしい
「膝の具合は、如何ですか?」
二人だけで庭に出る
何となくの行動だった
あるいは利三自身、あんを知りたいと想っているのかも知れない
「はい、すっかり良くなりました。それに、かな様が態々お薬を届けてくださって」
「え?」
「あ
しまった、と、あんは顔を顰めて肩を縮込ませた
「どう言うことですか、あん殿。かなは私の了解なしに、勝手に屋敷から出ることはしませんよ?」
「あ・・・、あの・・・」
「話して下さい」
「実は・・・、昨日、斎藤様が京に出立なされた後、かな様、うちの家に見舞いに来て下さったんです・・・」
「かなが?」
まさかと、利三の目が開く
「勿論、同伴の方もいらっしゃいましたが」
「そうですか」
「ずっと、私の怪我を気に掛けて下さったそうなんです」
「え?」
「でも、素直にお父上様である斎藤様に、うちに来たいとは言えなかったようで、斎藤様がお留守の時に」
「そう言うことでしたか」
「かな様がお薬を持って来て下さった時には、もうすっかり傷も塞がっていたなんて言えなくて・・・。それに、遠いところを態々見舞いに来てくださって、嬉しくて、お礼にとここまでお送りしたんですが・・・」
「と、言うことは?」
あんがいつここに来たのかがわかり、利三は冷やかすような責める目をした
「申し訳ございません!」
あんはガバッと頭を下げた
「実は昨日からお邪魔させていただいておりました!」
「かなか、甚九郎が帰るなと、駄々を捏ねましたか?」
「いえ・・・、それだけじゃないんですが・・・、ええと・・・」
頭を下げたまま、一生懸命言い訳を考えるあんの様子がおかしくて、利三はつい吹き出してしまった
「すみません・・・」
「いいえ」
どうしてだろう
自分が笑ったことに、利三は不思議な気分になった
笑ったなど、何年振りのことだろうか
最後に笑ったのは、いつだっただろうか
想い出せないほど昔だったような気がした
「あの・・・」
利三の笑い声が止まり、あんは恐る恐る頭を上げる
さっきまで笑っていた利三が、今は悲しそうな目をしていた
「斎藤様、どうかなさいましたか」
「
「え?」
「あん殿は、私の妻になりたいのですか?」
「
単刀直入なことを聞かれ、あんは一気に顔を赤らめた
「どうして」
「あ・・・、あの・・・」
「私のどこが、あなたのお気に召したのでしょうか。稲葉殿が仰るとおり、顔、でしょうか」
「あの・・・」
「ですが、私は自分の容姿に自信を持ったことなどありません」
「私は
あんは、「違う」とでも言いたげな顔をする
だが、それを遮った
「稲葉殿がどれほど私を誉めてくださったとて、私はたった一人の女(ひと)ですら、振り向かせることができませんでした」
「斎藤様・・・」
「あなたが私の妻になったとしても、私はあなたを愛することができるかどうか、わかりません」
それは、「淋しい」と言う気持ちが、そう話させているのだろうか
あんの瞳が悲しみに染まった
「私は、自分の妻ですら愛せなかった」
「どうして、ですか」
呟くように聞く
そんなあんに、利三は素直に応えた
「愛した人の、妹だったからです」
「
利三の先妻が誰なのか、あんは知っていた
その人の姉と言うことは、土岐に嫁に行った娘か、姉小路に嫁に行った娘か
年を考えれば、織田に嫁に行った三女が一番近い
それは、帰蝶のことだと、あんは直ぐにわかった
「その人のことを、今も愛してらっしゃるんですね」
「
はい、とも、いいえ、とも、応えられない
この男を好いた女にとっては、つらい現実だろうに、それでもあんは真正面から言った
「斎藤様が、私の想ってた以上の殿方で、私、嬉しいです」
「え?」
「だって、そんなにも一途に誰かを愛せる人なんて、どこにも居ませんもの」
「
言われてみれば、確かにそうだなと、変な気分だが自分でも納得できた
それと同時に、今もまだ心に留める女が居ることを許容できるあんの、懐の深さにも驚かされた
「私、待ちます」
「あん殿・・・」
「斎藤様の心が、私で一杯になるまで、私、待ちます。だから・・・」
あん、なら
「側に、置いて下さい・・・・・」
椿よりも、ほんの少し、愛せるような気がした
「
「帰還が遅くなること、おなつさんに知らせなきゃなぁ・・・」
「ですが、どう言い訳しますか?」
「奥方様のこと書いちゃったら、おなつさんのことだから」
「尾張から飛んで来ますよ?」
「身の終わりだ」
「上手い」
「上手くないっ」
廊下で秀隆と貞勝、長秀の三人で今後のことを話し合う
「怪我のことを隠して奥方様を引き合いに出しても、結局ばれた時の反動が大き過ぎて、怖くて使えないしな」
「それに、柴田殿にもお知らせしなくては」
「遅くなることをか?」
「予定は組んでおりませんでしたが、かと言ってのんびりして帰るとも言っておりません。せめて今は京に留まることをお伝えせねば、柴田殿のことです」
「『何やってんだー!』、て」
「槍振り回して追い駆けられますな・・・」
長秀の言葉に言った本人も含め、三人は顔を青くして俯いた
「住職様には、姉上が滞在していること、お伝えしました。ですので、どうか心置きなく伸び伸びお過ごしください」
部屋に藤衛が訪問し、それを伝えてくれる
「私が女であることも、伝えたの?」
「あ、いえ。その部分は省略させていただきました」
「仏に仕える身で、方便を使ったの?」
苦笑いする藤衛に、帰蝶は意地悪を言う雰囲気で言った
「まぁ・・・、その・・・。罰が当りますかね?」
「ううん。当るとしたら、私よ、安心して」
「姉上・・・」
「お前に嘘を吐かせたのは、私だもの」
そんなこと
一言だって強要してはいないのに、それでも姉は自分を責める
姉らしいと想った
「
「それくらい、朝飯前よ。いつものことですもの」
「姉上・・・・・」
『女の幸せ』を手放す代わりに、姉は何を得ようとしているのだろう
藤衛はその部分だけは、利治に聞いても理解できなかった
父を失い、夫を失い、本来ならば実家に帰り、その後誰かの許に再稼し、そこで女の幸せを得、平凡でも恙無く暮らしていけただろうに、それでも、姉は何を望み、何を願い、夫の身代わりとして生きることを決意したのだろう
藤衛には、わからなかった
「姉上」
藤衛は懐に手を差し入れ、手紙を取り出した
「父上から、届いた手紙です」
「父様から?」
その一言に、帰蝶の目が見開いた
「いつ届いたの?」
「私が、文右衛門と共に逃げ延び、こちらに保護された後を追うように、届きました。私と文右衛門は父上が鶴山に陣を敷かれる直前に、鷺山から脱出しました。父上が、妙覚寺に行けと仰るので、その通りにしたのですが、まさかその後戦が起きるなど考えてもおりませんでした」
「父様は、なんと?」
「
藤衛は黙って手紙を帰蝶に差し出した
帰蝶は受け取った手紙を広げる
態々この手紙を送った意味は、美濃の国、大桑の地にて、織田上総介に譲状を渡してある事を理解して欲しいからである
お前は京の妙覚寺にて穢れを落し、一族のために祈るよう
一人が出家すれば、一族みなの魂が救われると言う
堕(お)つ魂を拾い上げ、一つ一つ、弔って欲しい
父の、最期の我侭と、どうか聞き届けて欲しい
この手紙を書き、涙が零れて仕方がない
今までのこと、さっきまでのこと、全てが夢のようだ
しかし、この世の苦難から解放されるのかと想うと、仏恩を得られると言うのも悪くはない
明日の戦いで私は死ぬかも知れない
だが、その後、私の魂は何処に向うのだろうか
この私の、終の住処はあるのだろうか
「
帰蝶の脳裏に、なつの謡う『敦盛』が流れる
「
「姉上・・・」
「想えばこの世は、常の住み家にあらず」
草葉に置く白露
水に宿る月よりなお妖し
「父様の字・・・」
「最後は、揺れております。恐らく、本当に涙しながら書かれたのでしょう。父上の晩年を考えると、凡そ人としての心が残っていたのかと、驚かされました。いいえ、父は鬼でも蛇でもない。私は知っています。だけど
藤衛が涙で喉を詰まらせた
「人には、父様の姿は、鬼か蛇に見えたのだろう」
自分にも、想い当たることがある
「姉上・・・・・・・・・・」
「鬼や蛇にならねば、成せぬこともある。父様には、それを理解してくれる良き伴侶がいなかった。私は
父よりは、恵まれているのかも知れないと、帰蝶は想った
なつ、秀隆、貞勝、資房、長秀、可成、弥三郎、一益、信盛、利家、そして、勝家
鬼と呼ばれても仕方がない所業を犯しながらも、それでも、付き従ってくれる
父は死ぬことで、身を以って教えてくれたのかも知れない
大義には『憎まれ役』も必要であることを
「父様の想い、大切にせねばなるまいな」
「
美濃に戻って数日後、一鉄が利三の屋敷を訪れた
あんと利三の結納を交わすためである
「まさかこんなとんとん拍子に決まるとは、想っておりませんでした」
嬉しそうな笑顔の一鉄に、利三も微笑んだ
あんは本格的に嫁入り修行に入り、結納は縁談を進めた叔父の一鉄が名代として全てを取り仕切った
家を乗っ取られたとは言え、伝統のある斎藤家の嫁になるのだからと、あんは一鉄の娘に准じた扱いを受けることとなり、名目上は一鉄の娘として斎藤家に嫁ぐことで合意した
利三の父も、それに納得する
稲葉と言う後ろ盾を得れば、大名斎藤家で騒動が起きても充分に戦えると、そう考えた
今は打算の上の婚姻かも知れない
だけど、いつかは
あんを愛せたら良いと、願っていた
腰の傷みも癒え、尾張に帰れる算段が漸く付く
明日を帰国に控え、今夜が最後の世話となるべく、利治は姉の背中を擦っていた
それにしても、と想う
女は綺麗好きなのだな、と
さちも、毎日汗を流すほど働いているのに、次の日になれば爽やかな香りを纏わせている
今では女達全員に風呂の用意をさせているため、最近になって大浴場なるものができたとこの出発の前、慶次郎からは聞かされていた
「毎日覗き放題」
「お前、もう直ぐ結婚するんだろ?」
慶次郎の悪趣味には呆れさせられるが、姉の美しい裸体を見ていると、慶次郎の行為が男にとっては当たり前で、一心不乱に槍を振っている自分が異常なのではないのかとも想えるようになってしまった
かと言って、自分まで一緒に女の入浴を覗けば、この姉に斬り殺される可能性が途方もなく大きいが
なんだろう、弟の手付きがいつもより随分と丁寧なことに、帰蝶は訝しげに想った
並べば弟も随分背が高くなって来ている
少ない知行でさちは知恵を絞って、充分栄養の摂れる食事でも提供してくれているのだろうか
そう考えれば、弟にもそろそろ妻を娶らせねばならないか、とも浮かぶ
斎藤帰蝶の実弟と言う立場は、何かと厳しい制約が付いて回っているのは知っている
清らかな生活を強いられていると言うことも
弟もそろそろ十五が近いか
だとしたら、健全な男が一度も女の肌に触れていないのは、体に悪いものなのだろうな、と
「新五」
「はい」
「お前、心に留めた女は居るの?」
「え?何ですか、行き成り」
「尾張に帰れば、慶次郎も妻を娶る。お前もそろそろ、女を知る年頃だ」
「そうかも知れませんが、そんな相手、今のところいません」
「誰か家臣の娘でも。吉兵衛の娘はどうだ?」
「誰ですか、それ」
「本丸で働いている」
「そうですか」
「
関心がなさそうな返事をすると言うことは、女そのものに興味がないのだろうかと、寧ろ心配になって来る
夫も女を知る時期は遅かった方だが、女よりも夢中になれる遊びを知っていたからこそ遅くとも精神的に影響はなかったが、遊べる身分ではない弟には同じことをしろとは言えるわけがなかった
男も、出すべき物は出しておかないと、体にも悪いし、精神状態も保てない
まさか、同じ男相手に出しているのではなかろうな、と、俄に不安になってしまう
利治には子を作ってもらわねば、斎藤の跡取りとしての務めが果たせない
そうなれば、女の素晴らしさをこの身を以って教えねば成らんかと、帰蝶は肚を括った
「新五」
「はい?」
帰蝶は行き成り弟の手を掴み、背後から引き寄せ、自分の両の乳房をむんずと掴ませる
この行為に利治は
「ひぎゃぁぁぁぁ
と、けたたましい悲鳴を上げて後退った
帰蝶は少し笑いながら振り返る
そのたわわな乳房が邪魔で、姉を直視できない
「どうした、新五」
「どうしたのはこちらの言う言葉です!姉上、何を血迷われましたか!私はあなたの弟です!」
「そんなことはわかってる」
「だったら、そっそっそっ、その乳房を握らせるとは、どう言った了見ですかッ!」
「お前が女に興味があるかないか、確かめただけだ」
「他の確かめ方を選んでください!よりにもよってご自分の乳房で確かめさせるなど、非常識にも程があります!」
そう言ってはみたものの、今も両手にくっきりと残る姉の乳房の柔らかさ、大きさ、感触がしがみ付いて離れない
今夜は眠れるだろうかと、別の心配もした
「どうせ試すのなら、他の女になさってください!」
「だけど、安心した」
「はぁ?」
「私の乳房をほんの少し、握り返したな」
「
無意識に揉んでしまったのだろうかと、利治は激しく落ち込む
「良かった。お前が女に対し、嫌悪感を持っていないことがわかって」
「
だが、実の姉にこんなことをされたら、持ってなかった嫌悪感を持ってしまうのでは?と、利治は疑問に想う
帰蝶は背中を向け直して言った
「いつでも良い。誰でも良い。お前が心に決めた女が現れたら、知らせて欲しい」
「え・・・?」
「せめて、祝ってやりたい」
「
利治の脳裏にぼんやりと浮かんだ少女が、自分に微笑み掛けてくれた
「お前に教えてやれることは何もないが、女の愛し方は教えてやれる」
「姉上・・・」
気の所為だろうか
姉の声が少し、淋しがっていた
「自分を慈しむように、女を愛してやれ。女を怖がるな。愛すべき存在だと想い、撫でてやれ。震えている時は、微笑んでやれ。女はそれだけで、怖いと言う想いを忘れられる。安心できる」
「
織田信長が、そう言う人だったのだろうか
自分を愛するように姉を愛し、自分を慈しむように姉を慈しみ、震える姉を撫で、微笑んでいたのだろう、と、想えた
自分に向けた姉の背中が、こう言っている
「夫は自分を愛してくれた」、と
そうやって、愛してくれた、と
姉の世話を終え、先に表に出た利治に、待ち構えていた龍之介が呟く
「奥方様の乳房を揉んだのですか?」
「
敵意満々な迫力のあるその眼差しが怖くて、利治は何も言い返せなかった
結局寺から一歩も外に出ないまま、帰蝶は尾張に戻った
結局なつに落馬したことがばれてしまい、勿論帰蝶も並んで全員表座敷でなつの説教を受けた
初めての遠征に疲れた躰が日常に戻る頃、帰命の二度目の誕生日がやって来た
春、慶次郎とその妻になる初の祝言が無事済み、夫の四回忌法要を秘密裏に行い、利治も十五になり、朝の空気が昨日よりもほんの少し暖かいのを感じられるそんな日
美濃では、利三とあんの祝言が行なわれた
利三の屋敷で祝言は行なわれ、花嫁衣裳に身を包んだあんが利三の隣に並んだ
椿を娶った時は、それが帰蝶であったなら、と願った
どれだけ願っても、『妻』が帰蝶に変わることなどありはしない
それでも
あんの穏やかな微笑みを見詰めながら、それでもまた、性懲りもなく願ってしまう自分がそこに居た
私の恋心は「こうだ」と表現はできないのだから、あの伊吹山の蓬のように燃える想いを、あなたはご存じないだろう
その昔、愛しい想い人を胸に歌った歌人の歌が、ふと頭を過る
乱暴でじゃじゃ馬で向こう見ずで、凡そ女らしい行儀作法一つ覚えようとしなかったあの人は、意外にも教養が深く、和歌をこよなく愛していた
そんな帰蝶が一度だけ、照れた顔をしてこの歌を口にしていた
かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
想いに応えなかった自分に、それでも気付いて欲しいと願っていたのか
それは、帰蝶に聞いてみないとわからない
わからない、けれど、これだけはわかった
あんを愛することはできるかも知れない
それ以上に、帰蝶を忘れられないと言う確信
嫁に行ったあの日の、木曽大橋で別れた少女の面影は、新たに記憶が塗り替えられ、あの横顔が浮かぶ
あんの横顔に、帰蝶の横顔が被る
そのあんがこちらを向く
利三は無意識に、微笑めた
愛しいあの人に向って
PR
濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます
先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い
文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます
了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
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更新のお知らせ
(02/20)
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(11/04)
(06/24)
(03/25)
◇◇プチお知らせ◇◇
1/22 『信長ノをんな』壱~参 / 公開
現在更新中の創作物(INDEX)
信長 ~群青色の約束~
こんな感じのこと書いてます
カウント(0)は現在非公開中です
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
家庭用ゲーム専用ブログです
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『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
勝手にPR
濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
岐阜の地酒 日本泉公式サイト
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本醸造 濃姫
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吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
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