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昨年は親族に死亡者も出ず、年末の大晦日の祓えも簡素に済ませられた
正月の準備に忙しい局処や、本丸台所の事情など露知らず、帰蝶自身も多忙に身を摺り切る想いで過ごした甲斐あってか、今年の正月は平穏に過ぎるだろうと感じた
年末前には伊予を犬山に嫁がせ、見送る
伊予は幼少の砌に生母と死に別れ、以降、市弥の手で育てられて来た
特筆すべき美貌の持ち主ではない代わりに、兼ね備えた教養は織田でも随一と言われている
間者としてはこれ以上の人材はないと、自信が持てるほどに
が、その間者である伊予の身に何かあっては一大事と、帰蝶は大勢の侍女を供に就けさせた
お陰で年末の大忙しの時に人手が足りなくなったのだから、それこそ幼い市までもが城中を駆け回る慌しさに陥ってしまう
本丸の執務室に、書類を持った佐治がやって来た
「奥方様、おなつ様から緊急の出費が発生しましたので、倉を開ける許可と、出金の署名を頂きたいと、書類をお預かりして参りました」
そう言いながら、側に居る龍之介に書類を手渡す
帰蝶は龍之介から書類を受け取り、目も通さず筆を執る
なつが発給したものなのだから、間違いはないだろうと言う信頼あってのことだ
これをなつに返せば表座敷に集まる家臣らの、年頭挨拶を受け、後は宴会で好き勝手にさせておけば帰蝶の仕事は終わる
「佐治」
「はい」
「今年は、お前も独立する?」
「え?」
筆を下ろしながら、帰蝶は言った
「自宅を建てた者が何人か居て、長屋が空くの」
「ですが・・・」
「独立の暁には、お前にも知行を発給するわ」
「え?」
帰蝶の言葉に、佐治は目を見開いた
「本格的に、部隊配属よ」
「あ・・・、あの・・・」
「行き成り三左や弥三郎の部隊に、とは行かないけど、勝三郎の部隊ならそこそこに前線にも立つから、不満はないでしょう?」
「お・・・、奥方様・・・」
「どう?独立の意志はある?ない?」
「あ・・・・・・・」
喜びに、身が震えた
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる佐治の初々しさに、帰蝶も頬が緩んだ
そんな、いい雰囲気で居る時に、秀隆が駆け込んで来た
「奥方様!」
「どうしたの、騒々しい」
「さっ、斎藤が・・・ッ」
「斎藤がどうしたの。こんな正月早々、また攻め込んで来たの?」
冗談めかしに言う帰蝶の言葉に、龍之介も、今正に喜びに満ち溢れている佐治も顔を合わせて笑った
だが、次の瞬間、それはほんの束の間の戯れであったことに気付かされる
「美濃斎藤家当主、斎藤新九郎様が、幕府相伴衆に任命されと・・・・・・・ッ!」
「え?」
筆を執っていた手を止め、帰蝶は秀隆に顔を向けた

混乱していた美濃を、短期間で平定させたその手腕を、幕府が買った
その結果が義龍への『相伴衆』任命であった
役職が付けば、手を出すことも難しくなる
自分もそれなりの肩書きを得ねば、どれだけ大義名分があろうとも成立しなくなるのだ
年始の挨拶の筈が、新年早々の軍議に変わる
帰蝶には息を休ませる暇すら得られなかった

「夕庵が早く決断せよと言っていた忠告を聞かなかった、私への罰かしら」
悔いるように呟く
「ですが、岩倉・犬山を鎮めることで年内は精一杯でした。それ以上の無理は、清洲にも影響はしていたでしょう。性急に事を進めれば、その返りの風も強い。犬山への警戒と合わせても、伊予様のお輿入れを優先された奥方様の判断が間違っていたなどとは、到底想えません」
勝家がきっぱりと断言する
その心強い言葉に励まされた
「だとしても、朝廷への使者の入洛を阻止せねば、斎藤は益々遠い存在になってしまいます。奥方様、如何なされるおつもりですか」
心配する可成が訊ねる
「黙って見てるつもりはないわ。河尻、斎藤の朝廷への使者は、いつ出発するの?」
「そこまで詳しい情報は入っておりませんが、春までには向われるかと」
「どうして春まで?」
「雪解け水です」
「雪解け水・・・」
「京に向かうには、斎藤は近江を渡ると想定されます」
「そうね・・・。義姉は近江浅井の出。交渉するには易い相手だわ」
『義姉』は、斎藤義龍正室の、『近江の方』のことだ
「ですが、その間にはいくつもの川に挟まれております。愛知川、野洲川、瀬田川。どれも川幅の広い大河。特に野洲川は長良川の比ではございません。春が来る前に通過せねば、琵琶湖に注がれる山の雪解け水が押し寄せます」
「山・・・・・・・・」
「近江は四方をぐるりと山に囲まれた、特殊な土地。北に三国ヶ岳、東に伊吹山、西に鈴鹿山脈、比叡山、比良山。特に、斎藤が美濃から近江に入るとなれば、御在所山が控えております。山に残る雪を避けるとするならば、関ヶ原を抜け、定石通り中山道を通るか。しかも斎藤は、浅井だけではなく六角とも婚姻関係にあります。楽々と京に渡れる状況にあるのですから、彼らの通る道の選択肢は限りなく広い。その一つ一つに張り込むことは、無理でしょう」
                

無力は、罪だ
いつもそう感じる
夫なら、こんな時、どうしただろう
感情的に突っ切るか、それとも、少し冷静になって傍観しているか
夫ならきっと、感情的に突っ走り、斎藤の尻を追い駆けただろう
まるで遊びの延長のように
自分が夫と違うのは、野性的な勘が働かないことと、自分が斎藤だったらどの道を通るかと、計算が先立ってしまう嫌な癖だった

「私が兄上だったなら」
帰蝶は、ぽつり、ぽつりと呟いた
「湖北までは、浅井を、湖南からは、六角を利用する」
「取り次ぐということですか?」
                
そうなのか、と、自分でもわからず、頷きもせず、聞き返す長秀の顔を見た
「浅井は六角の隷属だ。動ける範囲も限られて来る。だから兄上は、六角との婚姻を推し進めたのだ」
私だったなら、大人しく従属する振りをして、反撃の機会を伺う
そうとわかっていながら、手を組む必要があるだろうか
                
自分の、心に浮かんだ言葉が、閃きを産んだ
「六角が、浅井と提携するはずがない」
「え?」
帰蝶の小さな呟きは、誰にも聞こえなかった
          斎藤の通る道」
「はい」
「一宮を翳め、大垣に出るつもりだ・・・!」
「何故わかるのですか」
秀隆が目を丸めて聞く
「琵琶湖に雪解け水が注がれると言ったな」
「はい」
「ならば、琵琶湖の側を通る必要はない。湖の水位が上がれば、水難事故にも繋がりかねん。ならば水場を避け、陸地を突き進むはず。そうなれば、浅井の領地と隣り合わせである関ヶ原を通る利便性もなくなる。やつらは、我ら織田を挑発しながら大垣を通過し、鈴鹿山脈を抜けるはずだ」
「では、待ち伏せするなら、鈴鹿山脈?しかし、鈴鹿は厳しいですよ?」
「それでも、斎藤はそこを通る」
「何故ですか」
秀隆の質問に、帰蝶はきっぱりと応えた
「通るのが厳しければ、それは即ち『守り』になる。向うもこちらも迂闊に手が出せないとなれば、油断も生まれる」
「なるほど。そこを突くのですね?」
「鈴鹿は伊勢の国。          巴を呼べ!」

正月早々、少しはのんびりできんのかと、なつは呆れた顔で帰蝶を眺めた
「わたくしが、ですか?」
命じられた巴は、聊か緊張した顔で聞き返す
「近江となんの由来もない織田が、近江を通るのは困難だ。だが、近江を併走し伊勢からなら、鈴鹿山脈に入れる。それには、お前の実家、坂家の協力なしには実現できん」
「それで、私は何を?」
帰蝶の側室として付いた時、心して掛かれとは言われていた
今も実家のため、伊勢のため働く心積もりではいた
だが、帰蝶の内外への対応が優先され、巴はこんにちまで清洲の局処で側室としての勤めに日々追われていた
その自分の出番が遂にやって来たのだと、気持ちを引き締める
「お前の実家は、伊勢の豪族、木造家と懇意にあると聞く」
「はい。先祖代々から、木造家には何かと援助してもらっておりまして、北畠の猛攻を凌いでいられるのも、木造家のお陰でございます」
畳の上に指先を揃え、軽く頭を下げる
「お前に伊勢遠征を頼む。拝命の謝礼として朝廷に献上するであろう斎藤の、派遣使節の入洛を阻止するため、我らは鈴鹿で待ち伏せを図る。鈴鹿は山賊も出没すると聞くので、坂家の援護を願いたい」
「承知しました。周辺豪族にも、協力を要請致します」
頭を上げた巴の表情は、例えようもないほどきりりと頼もしいものだった
「頼む。久助を補佐に付けるから、安心するといい」
「滝川殿ですか?ならば心安く居られます。滝川殿は、元々は木造家の家臣。私よりもずっと、木造家とは深い縁で結ばれておられますから」
「お前の航路は、勝三郎の妻、千郷殿の実家に一任している。伊勢湾に出没する海賊対策のために、乗り込む船は商業船ではなく軍艦になるかと想うが、それでも道中気を付けて欲しい」
「はい」

「朝廷への献上派遣使節など、放っておけばよろしいのに」
また、無茶をすると、なつは不機嫌この上ない
「そうは行かないわ。斎藤の敷居がどんどん高くなるのを、黙って見てられない」
「だとしても、美濃の井ノ口は、斎藤道三様から若に譲渡された財産ではありませんか。その正当だってあります。それを斎藤に叩き付けて、追い出せばいいじゃありませんか」
「できないから、こうして争ってるんでしょ?」
「ですけど」
「力尽くで捥ぎ取った地位を、簡単に手放す莫迦が何処に居るの?」
「ならば、せめて鈴鹿の待ち伏せは他の者に」
「万が一鈴鹿で見逃したとあれば、直ぐに後を追って京に入洛しないといけない。その対応に手間取っていたら、斎藤を見逃すことになるわ。それだけは絶対に避けないと駄目」
「奥方様・・・・・・・・」
どうして斎藤の派遣の入洛阻止を、帰蝶自らが出馬しなくてはならないのかと、なつは疑問を持つ

「それはやはり、奥方様の咄嗟の判断力が凄まじいと言うか、どうすればいい結果が出せるか瞬時に判断される常人離れした能力と言うか」
勝家を捕まえて、なんとか帰蝶の出馬を諦めてもらおうと考えていたのに、その勝家が容認するようなことを言うものだから、なつはガックリ肩を落とす

伊勢に出立した巴を見送り、局処で一休みと足を運んだ帰蝶は、庭先で荷駄車を引く佐治に、あれやこれやと手渡しているなつを見た
「これは新五様に」
大きな麻袋だ
間違いなく米だろう
「この壷も新五様に」
「はい」
佐治は受け取り、それを荷駄車に積んでいる
「これも、新五様に」
「はい」
小さな包みは恐らく、干し魚だろうか
「これも」
「はい」
米、味噌、干し魚だけではなく、醤油や味醂、酢と言った様々な瓶や壷まで渡している
「これは紀州の梅干」
「はい」
「こっちは焼き味噌」
「はい」
「なつ!」
堪らず、帰蝶は大声を出した
「何してるの?」
「ご覧の通り、佐治が武家長屋に越しますので、その餞別を」
「て、さっきから聞いていたら、新五の名前しか出てないけど?」
「いけませんか?新五様は育ち盛りなんです。奥方様が発給なされる知行だけでは、十分な食事は摂れません」
「だって、それは新五の働きが」
「去年の山名での戦だって、新五様はたくさんの武功をお挙げになられたのに、奥方様ったらそれでも軍律違反をしたからって容赦なく減俸なされて、どれだけ新五様がひもじい想いをなされておられたかご存知なんですかっ?」
帰蝶の言い分を遮って、なつは一気に捲くし立てる
「その分詰所でお腹一杯昼餉を食べてたと聞くけど・・・?」
頭から汗を浮かばせ、帰蝶は脱力した声で告げた
「で、これはあなたに」
と、ちんまりとした包みを手渡す
受け取った佐治が「ありがとうございます」と、深々と頭を下げる姿には、帰蝶も呆れ果てた
「殆ど新五のものばかりじゃない・・・」
「私が、自分の給料で買った物です。どなたに差し上げようが、私の勝手です」
「ってね、なつ。いくらなんでもこれはやり過ぎよ。新五への風当たりだってきつくなるわ」
「奥方様のご実弟だから、甘やかされていると?」
「わかってるじゃない」
「その新五様も、最近は黒母衣衆のみなと上手くやっていると聞き及びます。今更強くなる風など、吹いておりませんわ」
「どうしてなつはそう、口が立つの?」
「亀の甲より年の功とでも仰りたいんですか?」
「まだ言ってません」
「あはは・・・」
なつと帰蝶の『女の戦い』を間近で見ている龍之介は、苦笑いするしかできなかった

「新五様が戦場にお立ちになられるまで、おなつ様が母親代わりのような役割を果たしておられたと聞いております。ですから母心が表に出て、心配で仕方がないだけでございますよ」
ぷりぷり怒っている帰蝶を、後から着いて来る龍之介が宥める
「違うわ。あれは私への当て付けよ」
「え?」
「鈴鹿に出ると言ったのを引かなかったから、嫌味でやってるだけよ。なつは巣立ちした子には、遠慮なんてしないもの」
「そうなんですか・・・」
現に、自分から巣立ちした恒興には、戦のごとに「死んで武勲を上げて来い」と言っているくらいだ
心配はしても、あれほどあからさまな行動を取ることなど、普段のなつを考慮しても連想しにくい
「奥方様とおなつ様の関係は、時には親子のように睦まじく、時には友のように親しく、時には好敵手のような激しさで、どのように表現すればよろしいのか、とても複雑ですね・・・」
「わかんないんだったら口出ししないで」
「申し訳ございません」
龍之介は身を小さくして謝った

局処に居る貞勝と鈴鹿遠征に必要な軍資金の試算合わせをし、その序でに局処で遊んでいる帰命の様子を伺う
最も、帰蝶にとって肝心なのが帰命の様子を見ることで、貞勝との試算打ち合わせが『序で』なのだが
まだ岩倉、犬山が残っている以上、今までのように総力戦と言うわけにもいかず、今回連れて行く手勢も厳選しなくてはならない
その話し合いにまた、とんぼ返りで本丸に戻る
この日帰蝶は、何度も局処と本丸を往復した
その何度目かの往復が終わった頃、本丸の居間に慶次郎がやって来た
「奥方様」
「どうしたの?久助から手紙は届いてないわよ?」
「いや、叔父貴からの手紙とかはどうでも良いんだけど」
「恩人に対しての言葉にしては、随分ぞんざいね。どうしたの?何かあった?」
「いや・・・。ちょっと今、良いかな?」
「良いわよ。小休止だから。でも表座敷に行かなきゃなんないけどね」
ここのところのことなのか、いつもは明るい慶次郎が時折物思いに耽ることが何度かあった
帰蝶とて暇人ではないので一々観察などしたこともないが、人伝にはそれとなく入って来る
「で、何?鈴鹿遠征のこと?それとも相談事?」
「いやね、報告しとかなきゃなんないかなぁ~って」
「だから何。私も暇じゃないのよ。恋の相談なら、なつか菊子にでもして」
「え         
帰蝶の何気ない言葉に、慶次郎の顔が一気に赤く染まる
「え?何?ほんとに恋の相談だったの?」
                
真っ赤にした顔を俯け、正座で座る慶次郎は自分の膝の上にきつく握った拳を押し付けた
「相手、誰。ねえねえ、誰なのよ。局処の娘?それとも本丸の娘?」
侍女は局処だけに居るものではない
本丸にもそれなりの侍女は配置されている
が、信長の名代である帰蝶の馴染みと言えば、やはり自分に近しい存在だけであり、全ての侍女を把握しているわけではなかった
心当たりのある侍女は、その殆どが亭主持ちである
「ねえったらぁ~」
粘り付くような口調で強請る帰蝶に、龍之介の頭からは特に大きな汗が流れた
「いや、恋とかそう言うんじゃなくて、なんて言えば良いのか・・・」
「取り敢えず簡潔に話してくれたらそれで良いわよ。表座敷に行かなきゃなんないし、河尻と権が待ってるし」
「あ、じゃぁそれが終わってからで」
「面倒だから、表座敷で聞きましょうか?」
「いえ、今話します」
大勢の前で話をさせられても、と、慶次郎は決心した
「あっ、あのっ、俺、この度所帯を持つことになりまして・・・ッ!」
一大決心をして告白したのだが
「なんだ、そのこと。おめでとう」
                 あれ・・・?」
あっさりし過ぎる帰蝶の返事に、慶次郎は想い切り肩透かしを食らう
「犬千代から聞いてるわよ。相手は犬千代の姪ですってね。前田五郎左衛門の娘だっけ?」
「何で犬が・・・?え・・・?いつ来たんだ。いつ話したんだ。いつ聞いたんだ」
「煩いわね、逆に」
「ええ?犬のヤツ、ここに居るのかい?」
と、慶次郎は辺りをキョロキョロした
「居ないわよ」
今はね、と、心の中で付け加える

「良かったじゃない。お前みたいな風来坊にも、嫁の来手があって」
「はぁ・・・」
良かったのか悪かったのか、慶次郎は複雑な表情をする
「系譜上は従兄妹結婚になるけど、お前には前田の血は入ってないから、感覚的には幼馴染みと結婚するって感じなのかしら?」
「そう言えば良いのかねぇ。幼馴染みって言っても、正月の時くらいしか顔合わせたことないし」
「それはお前が家に居付かないからでしょ」
「でもまぁ、親父に比べたら五郎兵衛の叔父貴の方が気が合うて言うか、気安いかな」
「前田は傾奇者が多いから」
「そのお言葉、痛いよ奥方様・・・」
「気が合う人の娘なら、お前も少しは楽でしょ」
「まぁね、生活形態変えなくて済むし」
「少しは変えなさい」
さっきまでとは打って変わってカラカラ笑う慶次郎に、今度は帰蝶の頭から汗が浮かんだ
「そう、お前も決心が付いたのね。犬千代の話では、縁談は持ち上がったけど、いまいちお前が乗り気じゃなくて心配してる風な話し振りだったから、心配してたのよ」
          すんません」
苦笑いに、慶次郎は応えた
「で?祝言は挙げるの?もし予定があるんだったら、鈴鹿遠征隊から外すけど?」
「いや、それは行くよ」
「良いの?」
「構わないさ。祝言たってまだまだ先の話しだし」
「じゃぁ、遠慮なく組み込ませてもらうわね」
「おう」

慶次郎の養父である利久は前田家の長男になるが、正妻の子ではない
妻になる『初』の父親・五郎兵衛安勝は前田家の三男に当るが、これも正妻の子ではない
正妻生まれでの『長男』は利家であったため、正統な家督後継者は利家であるが、その利家が出奔中と言う事態なのだから、長男の嫡養子である慶次郎の縁談が急がれていた
帰蝶の庭先に舞い降りる図体の大きい雀・利家から雑談として聞かされたことのある帰蝶だったが、今は家臣の家のゴタゴタに首を突っ込んでいる暇ではないと、敢えて傍観していたけれど、弟の友達と言っても過言ではない存在になった慶次郎のことを気に掛けないはずがない
心のどこかではやはり、心配していた
慶次郎の養父・利久は信長に謀叛を起こした林新五郎秀貞の家臣であるが、帰蝶にとっては問題にするべき事柄ではなかった
だからこそ、こうして慶次郎を側に置いているのだから

「それにしても、もっと早く妻を娶っていればよかったのに。中々決まらないんだったら、誰か紹介しようかと想ってたのよ」
「あはは、俺は自由が好きだからねぇ、本音としてはもう少し独身で居たかったよ。前田慶次郎利益、二十二にして人生の春、終わる、ってね」
          え?二十二?」
「そうだよぉ?まぁ、夏が来たら、だけどね」
ここで帰蝶は初めて慶次郎の年齢を聞いた
「え・・・?私と同い年?」
「え?奥方様の生まれって、天文六年かい?」
自分と同じ年だと知り、互いに衝撃も大きい
「奇遇だねぇ、まさか奥方様とタメ年とは想わなかったよ」
「老けてるわね」
「大きなお世話だ」
二人の会話に、龍之介は声を殺して笑った

伊勢に戻っている巴から、手紙が届く
坂家家臣の岡本某が協力してくれたと書かれており、いつでも受け入れ準備ができていると知らせてくれたことに安堵する
手紙の印象では随分と知恵の回る人物で、帰蝶はそれ相応の年を重ねた知恵者かと想っていた

「遠征同行に黒母衣衆、馬廻り衆、佐久間松助、奉行に村井吉兵衛、荷駄に丹羽五郎左衛門。こんなとこかな」
「五郎左衛門を荷駄に、ですか。人選としては文句はありませんが」
「それでも少ないですね。ざっと見積もっても五百にも満たないですよ?」
勝家と秀隆が続けて言った
表座敷で、今回の遠征に連れて行く部隊の選出を行なう
呼ばれたのは勝家と秀隆、資房と道空の四人だけである
帰蝶の言葉は道空が控えていた
「人数は少ない方が良い」
質問する秀隆に帰蝶は応える
「戦をしに行くわけじゃないのよ。斎藤の部隊を足止めできれば良いの」
「では、私は」
と、勝家が口を挟む
「権はここで清洲を守ってて。私の留守中、万が一岩倉が動いたら、遠慮なく潰して」
「はっ」
勝家は苦笑いしながら応えた
「赤母衣衆は私が戻るまで指揮権を権に任せるわ」
「承知」
「又助は吉兵衛が留守の間の名代に。発給なんかは、なつかあや殿と相談しながら決めて」
「承知しました」
「道空は本丸の留守を頼むわね。今回は兵助を連れて行きたいから」
「はっ」
資房、道空が其々返事する
「新五は、慶次郎と共に兵助の部隊に組み込むわ」
「新五様もお連れに?」
「向うも多勢を引き連れて行くわけじゃないもの。でも、鈴鹿で引き止めるにしても、小競り合い程度のことは起きるかも知れないからね、実地訓練よ」
「はぁ・・・」
何度実地訓練をさせるのか、と、秀隆は内心苦笑いした
「では奥方様、今回の編成はこれで」
「ええ」
「森殿と弥三郎はお連れしないので?」
「三左と弥三郎はこれまで、色んな作戦を共同でやって来て、今じゃ息もぴったり合うほどになってるわ。連れて行けば、清洲の守りが不安になる。だからと言ってどちらか一方だけを連れて行っても、今までのように上手く機能するかどうか自信がない。だから、今回は清洲に残ってもらうことにしたの」
「それでここに居ないんですね」
「三左も弥三郎も、岩倉、犬山周辺の見回りよ。権」
「はい」
応えながら勝家を呼ぶ
「二人は単独行動できるだけの技能があり、機動力も抜群。但し、鉄砲玉的な気質のある弥三郎はどんどん先に進んでしまうけど、三左は考えながら行動する方だから、扱いには注意してね」
          承知しました」
浮野で可成と衝突した事を想い出し、勝家は苦笑いした

なつから山ほどの荷物を預かり、重い荷駄車を引いた佐治が武家長屋に到着する
「ふぅ~」
まだ春前だと言うのに全身汗だらけになり、額に浮かんだ雫を腕で拭う
「ここかぁ」
帰蝶に指定された部屋の前で車を止め、荷駄の引き手を離す
ガクンと荷駄が下がり、「きゃうっ」と、小さな声が聞こえたような気がした
                 ?」
後ろを振り返るも、人の気配はない
「空耳かな」
首を傾げ、宛がわれた部屋に運ぶ物と、利治宛の荷物を選別する
「ええと、こっちが新五様、こっちが新五様、これも新五様」
持った荷物の三分の二は利治の物だというのに、佐治は疑問すら感じず素直に仕分けを続ける
「これも新五様、これが私の、こっちは新五様の、と。あれ?」
積んでいた布団が丸く盛り上がり、妙な形に形成している
「荷崩れしたかな?」
と、手前の荷物を取り敢えず退かせ、布団を軽く持ち上げた瞬間
「ぷはっ!」
                 ッ!」
その下から、市が飛び上がった
「はぁ、苦しかった」
「おっ、おっ、おっ、お市様?!」
                
目を剥き死ぬほど驚く佐治に、市は悪びれた風でもなく、いつもの薄笑いを浮かべる
「どっ、どっ、どっ、どうして・・・!」
「布団に隠れて、佐治の引越し、母様が手伝っても良いって」
「文章になってませんよっ。どうやって紛れ込んだんですかっ!」
「おなつ様が佐治に山ほど荷物を持たせている間」
                
なるほど、隙だらけだと想い返す
「新五様のお部屋に持ってゆくの?市も手伝う」
「そっ、そんな!無礼なことできません・・・!」
荷駄から降りようとする市に、佐治はさり気なく手を差し出す
市は佐治の手を取り、荷駄から降りた
その直後、隣の部屋から小男が出て来る
「お?もしかして、新入りかい?」
人懐こそうな笑顔を浮かばせる男だった
声の感じではまだ若そうだが、顔付きは随分と老け込んでいる
「はい。お世話になります」
「まだ若いね」
「あ、はい、今年で十七になります」
「へぇぇ!雑兵なら良い年齢だね。でもどうした、戦で村でも焼け出されたか?」
「いえ、こちらに志願しまして」
「そうかい。まぁ雑兵は一人でも多い方が良い。俺は旧斯波家家臣・蜂須賀家の藤吉ってんだ、よろしくな」
「私は佐治と申します。こちらこそ、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる佐治に、藤吉と名乗った男は居心地の悪い顔をした
そこへ、佐治の側に居る市に気付く
「ん?そっちの彼女は、お前の恋人(まぶ)か?」
「え?!」
驚いた佐治は顔を上げ、手を振って否定する
「めっ、滅相もない!」
「市です」
が、市は構わず自己紹介した
「どうも、藤吉ってます、以後お見知り置きを」
「おっ、お市様!藤吉殿!」
当事者の自分を放ってしまう市と藤吉に、佐治はあたふたする
藤吉は、市が織田の娘だと言うことに気付かない様子だった

「ふふっ。佐治ったら慌て過ぎ」
荷駄にある利治への荷物を引く佐治に、市は隣に並んでクスクス笑っていた
荷物を運び込み、部屋の整理をしていると良い頃合になった
この時分だと利治はまだ帰宅していなくとも、部屋にさちが居るだろうと想う
「そりゃ慌てるでしょう?お市様は織田家のお嬢様なんですよ?私みたいな庶民の恋人に仕立て上げられて、普通は立腹するところですよ?」
「どうして?」
「普通に考えてもそうでしょう?身分が違います。そんな恐れ多いこと」
「でも母様は佐治のこと、いつも誉めてるわよ?」
「それとこれとは別問題です。本来でしたらこんな風に、並んで歩くのもお咎め物なんですよ?」
「そうなの?」
市には佐治の言っていることが理解できない
「そう言うもんなんです」
「そうなんだ・・・」
「そうなんです」
                
佐治の言葉に、市の頭が擡げた
「お市様?」
呼んでも応えない
何が市を落ち込ませたのだろうと、佐治は首を傾げる
まさか自分の突き放した言葉が落ち込ませたなど、考えにも及ばなかった
そんな市に、佐治は静かな声で詠った
「ひさかたの 光のどけき春の日に」
          静心なく・・・?」
「花の散るらむ」
「この間・・・、局処でやった・・・」
「はい、百人一首。それまで私は、百人一首なんて名前しか知りませんでしたけど、これだけは覚えました。優しい歌だな、と想って」
正月が過ぎても、局処は華やかだった
帰蝶がそうさせていた
鈴鹿遠征の準備で城中がピリピリするのを抑えるため、毎日何かの催しをさせていた
その内の一つが百人一首の宴だった
佐治も何日目かの百人一首会を覗いたことがあり、その時にこれを覚えたらしい
「どうして?花が散ることが優しいの?」
「いいえ。花は散ることが運命(さだめ)です。なのにその運命を嘆いてくれる人が居るなんて、花は幸せだと想いませんか?」
          わかんない・・・」
市は小さな声で応えた
「散る花を思い遣る、優しい歌だと想いました」
「そう・・・」

佐治は優しい男だと、市は想った
自分の欲からではなく、この世を正したいと侍に志願したこと、散る花を嘆く人を優しいと表現したこと、いつもかくれんぼで態と負けてくれるとこと
佐治はどこまでも優しい男なのだな、と、市は想った

そうしている内に、利治の部屋に着く
「新五様ー、は、居ないだろうけど、さちー?居るかー?」
と、表から声を掛ける
「さちー」
市も佐治に倣って声を掛けた
「さっちゃんなら、井戸に居るよ」
と、隣の部屋の主婦が表に出て教えてくれた
「あ、どうもありがとうございます」
「引越しかい?」
「はい。新入りの佐治と申します。今後ともよろしくお願いします」
「はい、よろしくね」
「市と申します。よろしくお願いします」
「お市ちゃん?よろしくね」
「おっ、お市様・・・!」
また、佐治が慌てふためく
そこへ水を張った桶を両手で抱えたさちが戻って来た
「あれ?佐治。          お・・・、お市様?!」
「さち!」
さちを見掛けると条件反射で飛び付く癖のある市は、何も考えずさちの胸に飛び込んだ
「ぐほっ!」
桶を腹に当てた状態で市が飛び付くものだから、さちはその腹に相当の衝撃を受ける
水はぶちまけられ、さちは市の下で目を回す
「さ・・・っ、さち・・・!」
佐治は四度目の『あたふた』を経験した

「そうですか、佐治の引越しの手伝いを」
利治の部屋で介護を受けながら、さちは市の話を聞いた
「新五様は直ぐ戻られるの?」
「いえ、まだ先ですよ。今日は佐治が荷物を運び込むからって、おなつ様に言われていつもより早く来ました」
「じゃあ、遊べる?」
目を爛々と輝かせる市に、さちは頭に汗を浮かばせて苦笑いする

月が変われば京へ入洛するため、その準備に追われていた
部隊を率いるのは一鉄と、利三
一鉄の部隊は『囮』として
利三の部隊は『信長暗殺』のため別々に行動する
「我らが出発する情報を、尾張に流せば良いのですな?」
一鉄と利三の打ち合わせが始まっていた
「姫様のことです。きっと先回りしたがるに決まっています」
「上手く行くでしょうか」
「心配には及びません」
「我らの行く道筋は、どうしますか。それも流しますか」
「いいえ。そこまであからさまにしてしまっては、逆に不審がられてしまいます。それでは元も子もない。敢えてその部分は隠して」
「しかし、我らが鈴鹿峠を越えることを知ってもらわねば、作戦は失敗するのでは?」
「いいえ。姫様なら、わかっておられます。斎藤が鈴鹿を越えることを」
「何故ですか」
一鉄は不思議そうな顔をして聞いた
「鈴鹿は険しい山で、進軍するにしても何か、事故でも起きかねない地域。こちらも命懸けで進まねば成らない場所ですぞ?そんなところで小競り合いでも起きたら」
「一番危険な道が、一番安全だとわかっておられるからです」
「え?」
「進むのに難い場所であれば、向こうもこちらも迂闊に手を出したりはできない。鈴鹿で戦など無謀だと、姫様ならわかっておられます。平坦な道を選んでも、追い着くか待ち伏せすればあっけない。だが、鈴鹿ならそれが無理だと理解される。我らがそこを通ることなど、読まれているでしょう」
「それを逆手に取るのですか?」
「はい」
「何故」
一鉄の素直な疑問を、利三は正面から応えた
「姫様は、『そう言うお方』だからです」
                
答えになっているような、帰蝶を良く知らぬ一鉄には、なんの解消にもなっていないような、そんなあやふやな気持ちになる
「時に         
話を逸らそうと、一鉄は別の話題を持ち出した
「亡くなられた奥方様の喪もまだ明け切らぬ内にこのような話をするのは不躾かも知れませんが」
          なんでしょう」
「斎藤殿も兄上様が他家の養子に入られて、事実上斎藤家の跡取りとなられました」
「はい」
「そこでですが、後添えをもらうという気にはなりませんか」
「え?」
一鉄の言葉に、利三はキョトンと目を丸くした
「いえ、お子もおられますし、誰か面倒を見てくれる者が居てはどうかと、お節介ながら想ったもので」
「稲葉殿・・・」
「子が家で留守番をしていると想えば、心落ち着かないものではございませんか?」
「ですが」
利三は言葉を詰まらせた
椿は一男一女を産んでいた
三番目の子の時に産褥死したのだが、椿が死んで半年余り、利三はまだその気にはなれなかった
「そのような相手もおりませんし」
「そのことですが」
「何か」
「いえ、この間、姪っ子が遊びに来ましてな」
「姪御殿?」
「兄の娘なんですが、新年の挨拶に家族でうちを訪れましてな」
「はい」
「その姪っ子がいたく斎藤殿に興味を持ちまして」
「え?」
「いえね、山名での織田との戦いの話が出ましたので、臆病風に吹かれた斎藤軍を一喝、奮い立たせたと話が盛り上がりまして」
一鉄は少し大袈裟に話してしまった事を告白するかのように、居心地悪そうな顔をして苦笑いし、頭を掻き毟る
「一度逢ってみたいとせがむものですから」
「そう・・・ですか」
「叔父の私が言うのもなんですが、気立ての良い娘です。後添えだとかそう言ったものは念頭に置かず、私の顔を立てるだけで構いませんので、一度逢ってもらえませんか」
「逢う・・・だけなら」
利三なら断らないと踏んでいたのか、一鉄は喜ぶと言うよりも、安堵した顔を見せる
「それを聞いてほっとしました。ありがとうございます」
                
深々と頭を下げる一鉄を、利三はぼんやりとした気持ちで眺めた
使用人は確かに屋敷には居て、子供らの面倒は見てくれている
だが、子供には『親』が必要だった
片親である自分が戦で留守をしている間、子供らの不安を和らげてくれる存在が必要だった
一鉄は『逢うだけ』と言っているが、その言葉の裏は『嫁にもらってくれ』と要求しているのだとわかっている
          それも、良いかと想った
稲葉は美濃でも有数の豪族である
元々は土岐の一門とも縁が深いのだから、美濃に腰を下ろす以上稲葉か、あるいは氏家と手を組んだ方が賢いだろう
増してや斎藤の跡取りであった兄が石谷家に行ってしまったのだから、斎藤を守る手も欲しかった
ここは稲葉と縁を組んだ方が得策か、とも想う
今も帰蝶を忘れられぬ身でありながら、打算だけは賢く働く自分を、利三は心のどこかで嘲笑った

あなたはもう、遠い世界の人だから                

「ただいまぁ~・・・と・・・。お?!」
狭い部屋の中に佐治、だけではなく、市まで居ることに、戻った利治は腰を抜かすほど驚いた
「お・・・、お市様?!」
「お帰りなさいませ、新五様」
と、行儀良く三つ指を突く市に、想わず利治も土間で土下座する
「ただいま戻りました」
「何してるの?新五さん・・・」
さちは二人の光景に頭から汗を浮かばせた

「これがおなつ様からお預かりした品の全てです」
と、佐治は荷車の上に詰まれた荷物を部屋に運んだ
「こんなにたくさん」
嬉しいことに変わりはないが、量の過度さに苦笑いを浮かべる
「わぁ!七味まであるわよ、新五さん!」
珍しい香辛料に、さちの目が輝く
「そうか。          よし、これを半分に分けよう、佐治」
「え?!ですが、これはおなつ様が新五様にと」
「だったら、もらった時点で私の物だろう?自分の物をどうしようが、私の勝手だ。だから、半分だ」
「新五様」
欲のない人だな、と、佐治はしみじみした
斎藤の御曹司とは聞いていたが、それを少しも感じさせない温厚な態度に感じ入る
「さち、器を持って来てくれないか」
「はーい」
利治の台所も、今ではすっかりさちの所有地でもあるため、馴れた手付きで器を物色する
「佐治ー。食器とかは揃ってる?」
その台所から声を掛ける
「あ、全然。明日買い揃えようかと想って」
「だったら良いお店知ってるから、教えてあげる」
「ありがとう」
「市も行く」
「駄目です」
「あはははは」
和やかな風は、利治の部屋を温かく包んでくれた

あれから何日か過ぎた頃、一鉄から姪を紹介された
「初めまして、稲葉あんと申します」
向かい合わせに座った少女は、利発そうな顔立ちで、叔父の一鉄とは対極に居るような温和そうな表情をしていた
愛らしいと言えば、愛らしいのだろうか
人の容貌については、利三は良く判断ができない性格だった
「初めまして。斎藤清四郎利三と申します」
あんは、少しはにかみながら小さく頷いた
「あの・・・。今日は、お子方はお連れ下さったのでしょうか・・・?」
「はい、連れて来るようにと申し付けられておりましたので、同行させましたが、一体何を?」
「いえ・・・。斎藤様のお子方を、拝見したかっただけです。どちらにいらっしゃいますか?」
場所は稲葉山麓の寺だった
山を降りたのは初めてのことで、二人の子供は庭先で遊んでいた
「かな、甚九郎」
と、利三が声を掛ける
「父様ー!」
長女のかなが走り寄って来た
長男の甚九郎はまだ三歳にも満たないため、姉のようには早く走れない
「二人とも、挨拶なさい。稲葉殿の姪御様で、あん殿だ」
「甚九郎、です」
甚九郎はたどたどしいながらも名乗り、ぴょこんと頭を下げた
「稲葉あんです、初めまして」
だが、娘のかなだけは、頑なに声を掛けない
「かな、ちゃん?初めまして、稲葉あんです」
                
下からあんを、きっと睨んでいる
「えと・・・」
「かな」
父に咎められても、かなは声を出さなかった
「かな!」
「良いんです、斎藤様。きっと、驚いてるんだと想います。女の子ですもの、もっと大事にしてあげてくださいませ」
「あん殿・・・」
「遊ぼうか」
「うん!」
何もわからない甚九郎は、素直に頷く
あんが『後妻』に入るのだと勘付いたかなは、返事をしなかった
「それじゃ、少し遊んでます」
と、あんは利三を放って甚九郎と、嫌がるかなの手を引いて庭の中心に歩き出した
                
参ったな、と、利三は軽く頭を掻きながら縁側に戻った
そこに一鉄が待ち受けている
「稲葉殿」
「ははは。中々芯の強そうな娘御ですな」
「いえ、我が強くて困ってます」
「年頃になれば、もっと困りますぞ」
          そう、ですね」
「あんは、どうでしょうか」
「え?」
「あ、いや、逢ったばかりで決める心もないでしょうが、第一印象はどうかと想いまして」
「ああ、そうですね・・・」
どう応えれば良いのか、利三にはわからなかった
「いえね、あんの母親は、私の妻の妹なもんですからね、三条西家繋がりと申しましょうか、私も他の甥や姪よりも近い存在だもんで、少し肩入れし過ぎているのかも知れません」
「そうですか、あん殿も三条西家の血縁者でしたか」
「こんな身形で公家と繋がっていると、冷やかしてくださって結構」
「いえ、そんな」
朗らかと笑う一鉄に、利三もほんのりと微笑めた
「いい娘さんですね」
離れた先で甚九郎の脚に合わせて追いかけっこをしてくれているあんを眺めながら、利三は言った
「気が良いのだけが、取り柄です」
「そんなことは」
「そして、分を弁えられる娘でもあります。姪ながら、自分の娘に欲しいくらいなんですよ」
「そうですか」
「もしも斎藤殿があんを気に入ってくれるのであれば、私の養女にして斎藤殿に」
「稲葉殿」
さり気なく腰を折る利三に、一鉄は頭を掻いた
「申し訳ない。また、先走りし過ぎました・・・」
「いいえ、お気持ちはわかります」
一鉄の親切心に、利三は微笑んだ
「兄上が他家に行き、織田との争いも表面化して来ている。本筋斎藤の跡取りは、私だけになりました。だから、心配してくださってるのですね。あん殿を娶れば、間には子ができる。できなくとも、甚九郎が居る。稲葉殿は、私の身に何かあっても、全力で甚九郎と斎藤、美濃を守るおつもりだ。違いますか」
                
一鉄は何かを言おうとして、だが、言葉が見付からず、こくりと頷いた
「尚更、鈴鹿遠征は成功させたい」
「私も、同じ気持ちです」
「稲葉殿」
どうしてだろう、ふいと優しい気持ちになれ、利三は再びあん達に視線を戻す
その矢先、かながしゃがみ込んでいるあんを、背中から突き飛ばす光景が瞳に映った
「きゃぁ!」
その声に一鉄が庭に目を落とす
「あん!」
一鉄が叫ぶより先に、利三が駆け出す

「かな!」
一部始終を見ていた利三は、悪さをしたかなに手を振り上げた
「お止めください!斎藤様!」
あんが慌ててかなを抱き寄せ、庇う
「しかし、今のはかなが!」
「違います!私が勝手に転んだだけです!かなちゃんは、悪くありません!」
「あん殿・・・」
「どうした、あん」
「叔父上様・・・。いえ、足を滑らせ、転んだだけです」
「あん殿、それは違うでしょう?かながあなたを突き飛ばしたから        
「私が違うと言っているのです!」
「あん殿・・・」
ふと、あんの膝の辺りから血が出ているのが見えた
「あん殿、血が!」
「え?あ・・・!」
「いかん、晒しか薬でももらって来よう」
と、一鉄が寺の境内に向った
「あらら、私ったら派手に転んだのねぇ。いたたたたた・・・」
あんは苦笑いしてかなを手放した
かなは漸く自分のしたことを悔い、泣きそうな顔をあんに向けた
「大丈夫よ、お姉ちゃんは大人だもの。こんなの、へっちゃら」
「あの・・・」
謝りたい
だけど、心が許してくれない
そんな風に、かなの顔が歪んだ
「かなちゃんは、お父さんのことが、大好きなんだよね」
                
あんの質問に、かなは素直に頷いた
「だからお姉ちゃんが、お父さんを取っちゃうって、想ったんだよね」
                
再び頷く
「お姉ちゃんも、お父さんのこと、好きになっちゃ駄目かな?」
「え・・・?」
かなは当然だが、利三も驚いた顔をした

「いたたたたたたたたたた!叔父上様!もそっと優しくしてくださいませ!ものすっごく沁みます!」
「ええい、子供じゃあるまい、少しぐらいは我慢せんか」
縁側で一鉄が薬草を搾った汁を、あんの怪我の場所に滴らす
さっきかなに強がっていた分、上げる悲鳴も半端な物ではなかった
利三は申し訳ない気持ちが半分、おかしくて笑いたくなる気持ちが半分、混ざり合う
「斎藤様」
          はい」
名を呼ばれ、利三は少し遅れて返事した
「かな様、いい子ですね」
「え?」
自分を突き飛ばしたのに?と、訝しげにあんを見る
「素直な娘さんですよ。戦で留守をすることが多いでしょうに、それでもお父さんのことが好きだって言えるのは、素敵なことですよ」
                
戦だけではない
義龍に咎められるまでは、家に寄り付きもしなかった
かなと幼い頃に触れ合った記憶もない
それでも、娘は自分のことを好いてくれているのか、と胸が抉られる
「私、かな様も甚九郎様も、気に入りました。だから、斎藤様」
そこに『余計者』の一鉄が居ると言うのに、あんは臆面もなく言い放った
「私を、妻にしてくださいませんか?」
「え?」
「あ、あん?」
利三も一鉄も驚きで、目を丸くさせる
「と言うか、あの子達の母親になりとうございます」
「あん殿・・・」
一鉄は嬉しそうに顔を綻ばせる
だが、利三は受け入れることはできなかった
「私は、戦しか能のない男です」
やんわりと、断りを入れる
「あなたを幸せにできるかどうか、わかりません」
そんな利三に、あんは正面から応えた
「構いません。私があなたを、幸せにして差し上げます」
                
利三の脳裏に、愛しい人の面影が蘇る

          私がお清を守ってやる

相手に何かをして欲しいと強請るよりも、相手に何かしてやりたいと言う想いが、いつも溢れていた帰蝶を想い出す

「あん殿・・・」
あんはもしかしたら、あの人に通じる部分を持っているのかも知れない
そんな気がした

永禄二年、二月
斎藤が稲葉山城を出たと言う情報が帰蝶の許に届けられた
「出発するぞ!」
予め準備だけはしており、秀隆らは先発として既に千郷の実家・荒尾家で待機していおり、必要な物も既に運び込まれている
帰蝶らは空手で知多に入った
そこで合流し、船で伊勢湾を渡る
渡った先では巴が待ち受けていた
「上総介様!」
「巴か。長きに渡っての遠征、大儀であった」
「いえ。こちらが、今回の作戦に協力してくれた、岡本家の」
「岡本七左衛門義政でございます」
想っていたよりも若い武将だったことに、帰蝶は少し驚く
巴の手紙から受けた印象では、中年かと想っていた
「七左衛門殿か。私は織田上総介信長。世話になる」
「お安い御用です。坂家を介して、伊勢の情勢安定に力を貸してくださるとか。でしたら岡本家も援助を惜しみません」
「忝い。挨拶も早々で申し訳ないが、先を急ぐ」
「承知しました。斎藤は陸続きで鈴鹿越えを敢行中とか。山は既に手配しております。直ぐに知らせが入るよう、手筈は整えてございます。鈴鹿の中腹に既に配下の者が待機しておりますので、ご案内申し上げます」
「頼む」
「上総介様・・・!」
自分に縋る巴の手を取る
「巴。万が一斎藤を逃した場合、私も後を追って京に入る」
「京に?」
「それまで、伊勢を頼む」
          承知しました」
帰蝶が戦っているのだ
自分も共に戦わなくてはいけない
帰蝶の表情に巴はそう、改めて決意した

義政の案内で、鈴鹿山脈に入る
初めは緩やかだった傾斜も徐々に厳しさが重なり、岡本家が先導して山を進んだ
おまけに、まだ残る雪で視界が狭められる
「この先に少し開けた場所があります。そこから獣道が広がっておりますので、斎藤も進むとしたらその道を選ぶと想われます」
「承知した。引き続き誘導、頼む」
「はっ!」

山の深さは慣れている
物心付いた時から、稲葉山の隅々まで走った想い出が蘇った
その片隅に、『お清』をどうしても想い出す
夫を殺した初恋の男を
                
帰蝶の目に、鋭さが増して行った
「出ました!」
先導していた義政の声に、帰蝶は我に返った
「ここか」
確かに義政の言う通り、僅かに開けた『広場』があり、そこからいくつもの獣道が広がっている
「この辺りで身を隠せる場所は」
「ありません」
あっさり応える義政に、帰蝶は特段落胆する風でもなく返事する
「そうか」
「奥っ・・・、いえ、殿・・・」
赤の他人である義政が間に居る以上、帰蝶をいつものように『奥方様』と呼ぶわけにはいかない
「ここでのんびり待つつもりですか」
「まさか。これほど獣道があるのなら、小分けして待機している方が確実だろう?」
秀隆の問い掛けに答えを出す
帰蝶は特に気構えるわけでもなく、自然と男言葉になっていた
「それに、必ずここを通る確証もない。『可能性』だけだ。なら、僅かな可能性を一つずつ掴み取る。ここを通らなくとも、後を追い、必ず入洛を阻止する」
          わかりました」
こんな狭い場所で戦などできるはずがない
帰蝶自身、ここで戦おうとは想っていないだろう
秀隆は大人しく引き下がった
「では、織田様、どのような指示を」
「先ずは三つに分ける。斎藤が入る道だけを開けておき、北、南、東」

「では、斎藤殿。また、後ほど」
                
一鉄の言葉に、利三は黙って頷いた
          ああ、そうだ、斎藤殿」
「はい」
行き掛けた一鉄が振り返る
「あん、は、如何でしたでしょうか・・・」
自信なさげな顔をして聞く一鉄に、利三も迷いながら応える
「そう・・・ですね。後添えには、相応しいお方かも知れません」
「では、あんを          !」
「前向きに検討したいと、想ってます」
「斎藤殿・・・!」
いつも厳しい顔付きの一鉄が、まるで子供のように破顔する
その光景が微笑ましかった
「家を守ってくれる存在があれば、安心して戦に出れますし」
「そうですとも。心置きなく戦えると言うものです」
「そうですね」
「では、また後ほど」
「はい。京で」
一鉄は利三に軽く頭を下げ、再び歩き出した
「稲葉隊、しゅっぱーつ!」

利三は一鉄のその背中を想い出しながら、鈴鹿峠を入った
入洛することは噂として流している
これに帰蝶が食い付かないわけがないと踏んでいた
全力で斎藤の京入りを妨害するだろう、と
斎藤が京に入れば、それは織田が斎藤の下になることを世間に広めるだけに終わる
織田がどれだけ盾突いても、斎藤には敵わないと想わせたくないがために
帰蝶の、切ないほどの『負けず嫌い』を利用するために
一鉄の部隊と途中で別れ先回りし、後発隊が通過するのを待つ
利三の狙いは、それを追い駆ける織田軍だった
近江は義龍が押えていた分、難なく通過できた
そのまま琵琶湖沿いに通れば問題はなかったが、近江は四方を山に囲まれた地域でもあるため、雪解けの時期を掴むのが難しい
美濃はまだ雪が残っているが、風が渦を巻いて吹く近江では、紀伊の方から温かい風が吹くとそれが混じり合い、いつ何処で雪解け水が溢れ出すかわからなかった
増してや利三達にとっても初めて通る土地である
慎重にならざるを得ず鈴鹿越えを決めたのだが、帰蝶がそれを感じ取ってくれるかどうかが問題だった
万が一京で先回りをされていたら、計画は台無しになる
祈る想いで挑発するように一宮を抜けたが、尾張は静かだった
やはり傍観を決め込むつもりか、と諦めかけていた時、吉報が舞い込んだ

「後発稲葉隊、織田軍と接触ッ!」
                 ッ」

来たか、と、利三の心は躍った
「しめた。囮に引っ掛かったかッ」
利三の号令が山に響き渡る
「このまま西に向かう!織田を挟撃せよッ!」

逢いたくて
ただ、逢いたくて
ただ、それだけで木曽川を越えた
だけど
逢えなくて
その温もりは益々遠くなり
逢いたい気持ちが溢れて止まらず、利三にはわからなくなっていた
          逢って、どうするのか、を・・・・・・・・・・

「逃がすな!」
先を駆け抜ける斎藤稲葉隊の後ろを、帰蝶は懸命に追い駆けた
見込み違いで斎藤は別の道を通ってしまい、慌てて方向を変えたが、馴れない山道に松風ですら鈴鹿越えは難かった
「追えッ!」
一鉄の部隊を追い駆ける織田軍の蹄の音が、深い山に木魂する
待ち構えていた利三は、準備していた鉄砲を構えた
「織田軍、通過します!」
見張りの声が聞こえる
利三以外の鉄砲隊も構えに入った
「織田軍、到来ッ!」
一鉄の部隊が通過する
後を追い縋る織田軍の姿が見えた
その姿を、利三の目が捉える

                

まさか・・・・・・・・・・・・
利三の目が見開いた
先頭を走る、一際大きな馬に乗った武将の、その横顔
織田信長だと信じていた人物
それが今、全くの別人である事を知った
いや

それは、信じたくない現実だった

あれから何年が経ったのだろうか
木曽大橋の上で別れてから、どれくらいの歳月が過ぎたのだろうか
それでも自分の目は、間違いなくその人を見付けた
愛しくて、逢いたくて、恋焦がれたその人を

「斎藤様!」
隣に居た別の鉄砲部隊の兵士の声に、利三の指がびくりと動き、そして、引き金を引いてしまった

愛するあの人に向って

                 姫様
PR
濃姫(帰蝶)好きの方へ
本日は当サイトにお越しいただき、ありがとうございます

先ずはこちらのページを一読していただけると嬉しいです→お願い

文章の誤字・脱字が時折混ざっております
見付け次第修正をしておりますが、それでもおかしな個所がありましたらお詫び申し上げます

了承なしのリンクは謹んでご辞退申し上げます
管理人の独り言も混じっております
[11/04 Haruhi]
[08/13 kitilyou]
[06/26 kitilyou命]
[03/02 kitilyou命]
[03/01 kitilyou命]
ゲームブログ
千極一夜

家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません

◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』

おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑

祝:お濃さま出演 But模擬専…     (戦国無双3)


おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない

岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です

今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい

清洲桜醸造株式会社公式サイト

濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます

清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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