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何日振りだろうか
こんなにも楽しい夕餉を送れたのは
「それじゃぁ、私は帰るね」
主君の弟だろうと、局処では一般人として扱えと言われていたからか、さちは利治に対しても佐治と同じような対応をしている
利治にとっては、寧ろその方が嬉しい
まるで友達のような感覚で居られるから
「一緒に食べないか?」
「でも」
「遅くなったら、城まで送るから」
「う~ん・・・」
作ったさちも、作りながら腹を空かせたタチだ
この誘いを断るには相当の勇気が要った
「じゃぁ、ちょっとだけ」
「並べよう」
「うん」
城から持ち寄った食材は、山菜・魚・海藻類
若布は味噌汁の中で気持ちよさげに漂い、鯵はこんがりといい色に焼けている
山菜もこの頃は貴重品である醤油の香ばしさに包まれ、塗した鰹節が湯気で踊っていた
「いただきます」
「いただきます」
食器も不十分だったが、ご近所から借り受けて何とか揃えた
並べて向い合わせで合掌する
「ふ~ん、そんなことがあったんだぁ」
「もう、みんな酷いんだ。人を扱き使うだけ使って、なのに散々罵倒して。まるで憂さ晴らしだよ」
相手がさちだからか、利治も気を許して愚痴を話した
「でもさ、鍛えられてるって想えば安いもんじゃない」
「こんな鍛えられ方、嫌だよ。どうせなら剣術で鍛えて欲しい」
「でも新五さん、剣術の腕は上がったの?」
「 」
正直に聞かれ、利治は苦笑いだけを浮かべて正直な顔をして無言で応える
「だったら、せめて精神的にも強くならなきゃ」
「さちまで、向うの肩を持つのか?」
「誰の味方をするわけじゃないけどさ、悔しかったら先輩達が文句言えないような仕事をすれば良いじゃない」
「簡単に言ってくれるな」
「簡単じゃない。廊下磨きをさせられてるんだったら、顔が映るくらいピッカピカに磨いてやれば良いのよ」
「冗談じゃない。さちは詰所の廊下を知らないから、そんなことが言えるんだ。あそこは大和守家が居た頃に城内でも戦闘があって、あちこち血糊の跡が残ってるんだ。もうこびり付いて取れないよ」
「それなら、いい物あげる」
「いい物?」
「明日、台所に来て。渡すから」
「わかったけど、なんだ?いい物って」
「明日のお楽しみ。さっ、食べよ食べよ」
「う、うん」
さちの父、土田平左衛門は元々武家の出身だったからか、子供達の生まれた年号をはっきりと把握していた
お陰でさちも、自分の生まれた年を覚えていられる
一般家庭にはまだ朝廷の定めた年号と言うものは浸透しておらず、「だいたい何歳」と言うあやふやな数え方しかできなかったが、さちは父のお陰か自分の年齢をきちんと知っていた
利治より一つ年下の十三である
友達としても、生涯の伴侶としても、いい釣り合いの取れる年齢だった
今はまだ互いが子供心の抜け切れない年頃なので、互いを異性としては見れていないのが現状だが
さちが居ることで利治の鬱積した気分も晴れ、最後には笑い合いながら食事を摂れることができた
すっかり遅くなり、約束どおり城まで送る
翌日、城に上がった利治は早速台所に行き、さちを呼んだ
さちは局処で働いているため、バタバタと走りながらやって来た
「ごめん、ごめん。奥方様のお部屋、お掃除してたから」
「掃除って、毎日やってるじゃないか」
「でも、それが私の仕事だから」
「 」
さちの輝かんばかりの笑顔に、利治は胸を抉られる想いをした
そうか
自分はなんて甘い考えをしていたのだ、と
ぼんやりとする利治に、さちは小さな土瓶を手渡した
「なんだ?これ」
「お酢よ」
「お酢?何に使うんだ?」
「廊下を磨く時に使うのよ」
「廊下?」
「これを桶の水にほんの少し垂らして、せっせと磨くの。それを何回も繰り返していたら、すっごくピカピカになるわよ?」
「本当か?」
「疑う前に、やってみる!ほら!さっさと詰所に行かないと、また怒鳴られるわよっ?」
さちは利治の背中を押して、詰所に行くことを促した
押されながら利治は、手にした小さなその土瓶を眺めた
使い掛けなのか、随分と軽い
最も、今は米の高騰が収まった頃とは言え、その影響はまだ抜け切れず、酢の原料である米もまだ高い物なので、真新しいものなど掃除には回せないだろう
それでも用意してくれていたさちに、利治は心から感謝した
きっと、嫌味ぐらいは言われたに違いないと、想像できたから
さちの言うとおり、桶にほんの少し垂らしてみる
だが、酢の匂いはきつく、また、利治もどれくらいの分量が丁度良いのかわからず、そのまま搾って廊下を磨き始めた
たちどころに廊下に酢の嫌な匂いが充満する
「新五!なんだこの匂いは!」
「すっ、すみません・・・!」
「さっさと掃除しろ!この、薄鈍がッ!」
と、自分を気に食わないと想っている母衣の先輩に、桶をガツンと蹴られる
そこから水が跳ね、利治の仕事が余計に増えた
だが利治は、ほんの少し口唇を結んだだけで、いつものように悲観に暮れることはしなかった
これが自分の仕事だから
さちにそう聞かされ、利治も気付いた
今はまだ大した仕事もできていない自分に与えられた仕事は、この詰所を隅々まで綺麗にすることだと想ったから
「お酢の量が多かったのかな」
そう呟きながら桶を抱え、井戸まで運んで水の半分を減らし、そして注ぎ足す
確かに酢の匂いはなくなったが、それじゃあ効き目がないんじゃないかとも不安になったが、わからなければまたさちに聞けば良いと想い、再び詰所に戻る
「お酢の量はね、桶八分目に対して掌の中心に零れない程度の量が丁度良いのよ」
この日もさちが夕飯を作りにやって来てくれた
「そうか。じゃぁ酢の匂いがきつかったのは、入れ過ぎたからかな」
「あはは、お酢臭かったでしょ?」
「うん、散々叱られたよ」
「加減しなきゃ」
「そうだね」
折角分けてもらった酢を無駄にしたと言うのに、さちはそのことについては全く触れない
弥三郎もそうだが、どうしてさちはそんなにも朗らかで居られるんだろうと、利治は不思議に想った
笑うと左の頬にだけ笑窪が出るのも、可愛いと想った
局処でもしょっちゅう顔を合わせたが、そう感じたことは一度もない
二人きりになったことがなかったからだろうか
次の日、利治はさちの助言どおり、きちんと分量を量ってから廊下を磨き始めた
昨日の今日だから、目立った効果は見られない
本当にこれで、こんな汚い廊下が綺麗になるんだろうかと疑問に想いながらせっせと磨いていると、背後から人の足音が聞こえた
また、意地悪な先輩達だろうか
利治はさっと立ち上がると、桶を庇うように腰を低くする
その利治に声が掛けられた
「廊下磨きか。精が出るな」
「 」
見上げると、秀隆が居た
「か、河尻様・・・!」
黒母衣衆の詰所とは言え、秀隆は常に外に居るので滅多なことではここには来ない
城に居ても、姉の側に居ることの方が多い秀隆の姿に驚いた
「お前が来てから、廊下も随分綺麗になった」
「ありがとうございます」
黒母衣衆の筆頭からそう言われると、嬉しさと恐縮さで深々と平伏する
その利治の前で、秀隆は裸足の足の裏を廊下に擦り付け、その滑らかさを確かめた
「が、まだ足りんな。ざらつき感が残ってる」
「申し訳ございません・・・!」
「腕だけの力じゃ、廊下は綺麗にはならん。手首、腰、背中、腿、全ての筋肉を使え」
「全ての筋肉・・・」
「槍を振る時と、同じ要領だ」
「槍・・・・・・・」
「お前はきっとこれから背が大きくなるだろう。手足を見ていたら、まだまだ伸びる可能性が大きい。なら、ちんたら刀を振っているよりも、槍を振った方がお前に合ってるだろうと、な」
「 姉上が、ですか?」
利治は恐る恐る聞いてみた
「ああ」
「 」
秀隆の短い返事に、利治は胸が熱くなった
ここに居る自分を見守ってくれているのだと感じたから
「今日から刀の稽古ではなく、槍の稽古を付けろ」
「槍の稽古ですか」
「俺が相手でも良いがな、それじゃお前を殺してしまう」
「 」
確かに、織田でも一番の槍使いである秀隆に稽古を付けられたら、無事では済まないだろうと簡単に想像でき、利治は身震いを起した
「三左も相当の使い手だからな、うっかりお前の首を刎ねてしまうかも知れん」
「はぁ・・・」
「てことで、慶次郎に稽古を付けてもらえ」
「その方が命の危険が大なんですが・・・」
刀使いだった慶次郎が槍に転向したのは二年前の、稲生での戦い以降だった
まだ未熟とは言われていても、天性の物もあったのか、今では秀隆、可成に次ぐ腕前にも成長している
おまけに背も高く、打ち合いには不向きな相手だった
帰る頃にはヘロヘロになって、重たい躰を引き摺るように家路に着く
「大丈夫?!新五さん!」
部屋の前まで辿り着いて、後はバタンと倒れた利治を、驚いたさちが慌てて戸口に出る
「新五さん!新五さん!」
「さち・・・」
「立てる?」
「何とか・・・」
だが膝が笑った状態で、起き上がっても立てない
「肩、貸してくれるかな」
「ええ、勿論」
さちはさっと利治の脇に入り、下から掬い上げるようにして利治を支えた
「大丈夫?」
「今日は慶次郎に稽古を付けてもらったんだ」
「うん、知ってる。ちらっと見た」
「そうか。 舐めてたけど、慶次郎の腕は凄い。河尻様もだけど、普段と全然違うんだ」
「私は女だからよくわかんないけど、男の人ってそうやって、切り替えを上手くできる人ほど、人当たりが良いような気がする。森様とか、池田様もそんな感じだもの」
「そうだな・・・。私はいつも同じ目線でしか行動しないから、だから上手く行かないのかも知れない」
「だったら、これから上手くやれば良いじゃない。でしょ?」
「 うん」
敷きっ放しにしている布団の上にごろんと転がりながら、利治は素直にさちの言葉に応えた
「それじゃ、私、今日は帰るね」
「送れなくて、すまない」
「ううん、良いの。まだ明るいし、大丈夫よ。今日は煮魚だから、お鍋に入れっぱなしにしてるわよ?動けるようになったら、自分でやってね。ご飯はお櫃に移してるから」
「うん、ありがとう」
「じゃ」
「さち」
戸口に立つさちに、利治は引き止めるような声を掛けた
「何・・・?」
利治の声が小さいからか、さちも囁くような声で応える
「おなつさんに、ありがとう、って」
「え?」
「お前をここに遣してくれてるのは、おなつさんだろ?」
「新五さん・・・・・・」
「最初は姉上かと想ってた。でも、違う。姉上は身内に情けを掛けるのに、こんなわかりやすいやり方はしない。素直じゃない人だから」
「 」
上手く応えられず、さちは苦笑いで誤魔化した
「見守ることはしても、私には絶対手出しはしない人だ。だから、おなつさんしか居ないって想った」
「そう・・・」
「おなつさんに伝えてくれ」
「何て?」
「 絶対、一人前の武士になるって。だから、安心してくれって」
「うん・・・、わかった。伝えておく」
「ありがとう・・・・・・・」
言いたいことだけ言えて満足したように、利治はその後何も言わぬまま眠りに落ちる
そんな利治を見届け、さちは静かに戸を閉じて新五の長屋を後にした
「いやぁ !」
絶叫に近い雄叫びを上げながら、慶次郎に突進する利治の姿があった
本物の槍を持って打ち合うわけには行かず、それに見立てた長い棒で稽古する
おまけに昨日の稽古で筋肉痛を起こし、躰のあちこちに激しい痛みが起きた
さっきから筋肉と言う筋肉が悲鳴を上げている
「おらぁッ、どうした新五!そんなへっぴり腰じゃ、荷駄隊すら襲撃できねーぜ?!」
「クソッ・・・!」
よろけた脚を立て直し、利治は再び慶次郎に突進して行く
その利治の棒先を右に避け、慶次郎は自分の棒切れで横腹を薙った
「グハッ・・・!」
筋肉痛で傷む脾臓に、直接激痛が走る
利治は脇腹を抱えて転がった
「おい、新五!こんなことで寝転がってちゃ、敵に首差し出すようなもんだぜッ?!お前はそれでも美濃武士かッ?!斎藤の子かッ?!」
「 言わせておけば・・・ッ」
罵倒され、悔しさに利治は立ち上がると、転がった棒切れを掴み直し、三度慶次郎に突進した
「それが莫迦の一つ覚えってんだよ!」
と、あっさり見切られ、背後から肺を目掛けて棒を突き立てられた
息が止まったような感覚に目の前が真っ白になり、利治は咳き込みながら膝を突いて蹲る
「なぁ、新五。お前、何のために武士になったんだ?武家に生まれたから、武士になるのか?だから、そんな鈍らな腕なのか?」
「煩い・・・ッ」
「お前さ、少しでもねーちゃんの役に立とうって気はねーのか?」
「わかってる・・・!黙れッ!」
「だったら、なんでそんな恐々な目をして俺に掛かって来るんだよ。お前のねーちゃんは、いつでも、どんな時でも、死んだ目なんかしなかったぜ?大好きな旦那さんが死んだ時ですら、いつも前を見てた。お前、本当に奥方様の弟か?」
「 ッ」
悔しくて、だけど実際その通りだから、利治は何も言い返せなかった
兄二人は京の寺、妙覚寺に逃げ込み、斎藤の追随から逃れた
自分は姉に保護され、斎藤から守られている
本来なら道三の子として処刑されていても、おかしくない身分だ
そうならなかったのは姉が自分を斎藤に引き渡さなかったからであり、自分が美濃から脱出できたのも道空のお陰だった
自分は色んなものに支えられて生きているのだと、どうしてだろうか、慶次郎に横っ腹を殴られて気が付いた
「お前、こんなとこで終わりたいのか?」
いつまでも蹲る利治に、慶次郎は静かな口調で問い掛けた
「これがお前の限界か?」
「 煩い・・・・・・・」
小さな声で歯向かう
「違う・・・。私はもっと、強い男になりたい・・・。姉上の助けになれるだけの男になりたい・・・。ちっぽけなままで終わりたくない・・・」
おなつさんに、何も返せないまま終わるのは、嫌だ
「だったら立てやッ!立って一度でも良いから、俺に傷の一つでも付けてみろやッ!」
「う・・・・・・・ああぁぁぁぁぁ ッ!」
その目に溢れるのは、不甲斐ない自分への悔し涙と、何もできない自分への怒り
言い返せない、情けない自分への叱咤
もう、自分は、斎藤の御曹司ではないのだと言う現実
「あいたたたたたたたたたた!」
全身、青痣だらけで転げるように自宅に戻った利治を、さちは用意していたのだろう、今日は何故か薬草の湿布まで持参して帰りを待っていてくれた
その利治の背中にペタンと、湿布を塗した布を貼る
「痛いって!さち!」
「男がこれくらいの怪我で、だらしない」
「だらしないって、何だ!人は痛みの前では平等だ!」
「ヘンな屁理屈。うちの弥三郎お兄ちゃんなんか小牧に居た頃、仕入れた馬に振り落とされて腕の骨折ったけど、気付くのに一日掛かったのよ?」
「 掛かり過ぎだろ、それ・・・」
父を失い、道空と兵助に守られながら、利治は尾張に入った
期待していた信長の支援は、信長の死によって断ち切られた
生きていたなら取って返して、美濃を攻められただろう
そして、幽閉されていると言う母をも救い出せただろう
だが、生き残った姉は、信長亡き後の織田家の舵取りだけで精一杯
その上、信長の実弟の謀叛にも遭い、空中分解の危機を迎えた
なのに姉は戦場に立ち、危機を脱した
更にはその手で夫の仇をも討ち取った
端から見れば頼もしい姉かも知れない
けれど、所詮女ではできることも限られている
利治は姉に、「美濃を取り返してくれ」とは言えなかった
絶望した利治に、姉から与えられた乳母は常に、慈愛で自分を包んでくれた
それが、なつだった
家族を失った自分に、持てる限りの愛情で接してくれた
なつと姉の遣り取りに、何度笑ったか知れない
自身、局処の管理で多忙であるにも関わらず、稽古の時はできる限り側で見守ってくれていた
本丸との往復で、だけど局処に戻った時はいの一番に自分の顔を見に来てくれた
そのなつの期待に応えられない自分が悔しかった
「私は、強くなれるのかな・・・」
つい、弱気な心が口から零れる
「願うだけじゃ、人は強くなれないよ。努力しなきゃ」
「わかってる。でも・・・」
「うちの弥三郎お兄ちゃんは、馬屋の倅が武士になったのよ?刀だって最初は上手く振れなくて、小牧の家に里帰りしても、庭先でいつも木刀振り回してた。お陰でお兄ちゃんの掌、豆だらけだよ。今も」
「 」
『馬屋の倅』にしては綺麗な顔立ちをしている弥三郎の掌など、自分は見たことがない
態々見るようなものでもないからだ
そんなことをしみじみしながら想い返していると、さちが腕に湿布を貼り終え、パチンと軽く叩く
「はい、終わり」
「あ・・・、ありがと・・・」
「もう、痛くないよ」
「 」
愛らしい笑顔と、まるで呪文のような言葉
「うん・・・・・・・・・・・」
本当に痛みが引いたかのように、利治は少し呆けた顔でさちを見詰めた
「いってててててててて!」
一方、清洲の局処の庭先の縁側で、右の脇腹に打撲を負った慶次郎の手当てを、なつがしていた
「おなつさん!もそっと優しく扱ってくんない?!」
「お黙りなさい。これだけ丈夫そうな体をしていて、女のように悲鳴を上げるとは嘆かわしい。お前、それでも付いてる物付いてるんですか?」
「だったら見るかい?」
「見せなくても結構。お前の粗末な物を見るために、私の目は二つ揃ってるんじゃありません」
「見もしないで、なんだよそれ」
二人の遣り取りに、周囲の侍女達はクスクス笑っていた
その中を、菊子ら数人の侍女を従え、帰命を抱いた帰蝶が現れる
「奥方様 」
一度会釈し、なつは帰蝶から帰命を受け取る
「慶次郎、新五の様子はどう?使い物になりそう?」
「そうだねぇ。今は返事はできないね。まだ海のものとも山のものとも判断できねぇ」
「あら、お前の目も曇ったのかしら。判断できないとは、上等な逃げ口上ね」
「そうは言ってもね、あいつ、気分に斑があるから突拍子もない動きを見せることもあるし、見掛け倒しで終わることもある。まだ始めたばかりで、どっちかなんて言えないよ」
「新五を庇ってるのね?」
「そうじゃないってさ、奥方様。本当にわかんねえんだよ、新五に関しては」
「 」
「奥方様」
何も言わない帰蝶に、なつが声を掛ける
「慶次郎のこの脇腹の打撲、誰の仕業だと想います?」
「女風呂でも覗いたの?」
「そんな無粋なこと、誰がするってんだい」
不名誉なことを言われ、慶次郎にしては珍しく顔を真っ赤にして怒る
「新五様ですよ」
「新五が?」
「この慶次郎から『一本』、取ったのだそうです」
「そう・・・」
「あの動きは、俺でも見切れなかった。奥方様にも見せたかったぜ?」
「良いわ。想像できるから」
「そうかい」
内心、『可愛くねぇな』と想いつつも、敢えてそれを口にはしない
「どっちにしても、稽古相手ご苦労様。本丸の食堂に夕餉を用意してるわよ。存分に食べてらっしゃい」
「うっは、待ってました夕餉ちゃん!そんじゃ、ま、食って来ま」
逃げる場所も道も、とっくの昔に失ったと漸く気付いた利治は、死に物狂いの形相で慶次郎に突進して行った
「また・・・!何べん言ってもお前はわかんねぇヤツだな!」
利治の棒を叩き落そうと軌道に乗せ振り上げた慶次郎の腕目掛けて、利治の手が横殴りに飛ぶ
その棒を慶次郎は読みどおり払うが、その直後、おかしなことに利治の体が横向きのまま倒れるように低くなった
「え?!」
一瞬、慶次郎の視界から利治の姿が消える
が、直感力の鋭い慶次郎は殺気の籠る棒先の気配を感じ取り、咄嗟に横っ腹を折って利治の攻撃を躱そうと動いたのだが、その慶次郎の無防備になった横っ腹に利治の棒先が突き刺さった
正しくは『掠る程度に当った』、なのだが、その時は痛みを感じなかったものが、後からじわじわと痛み出し、夕餉の頃にはすっかり青く腫れ上がっていた、と言うわけである
骨には異常はないらしく表皮だけの問題だったが、それでも慶次郎は利治の動きが読めなかったことに驚いた
どうやって動いたのか、慶次郎自身理解できなかったからだ
恐らく利治ですら、自分のやったことなのに再現しろと言われたら「無理だ」と応えるだろう
倒れ様に相手に棒を突き刺すにしても、何かの支えがなければ打撃は与えられない
なのに利治は、なんの支えもない空中でそれをやったのだから尚更だった
これは天性のものか、あるいは隠された才能か
どちらにしても稲生で奇跡的な勝利を収めた帰蝶の弟なのだから、利治にも何かしらの秘められた力があってもおかしくないと想えた
慶次郎が去った後、一瞬、嫌な空気が流れ始めた
それは帰蝶の背中からで、なつはそれを正面から受け止める
「なつ」
「はい」
帰命を菊子に預け、腰を下ろす帰蝶と向かい合う
「さちは、何処?」
「もう直ぐ戻ると想います」
「何処に行ったの?」
「私のお使いで、ちょっとお城の外まで」
「なつのお使いでここのところ毎日ちょっと、お城の外の新五の長屋?」
「はい」
なつは叱られるのを覚悟で、正直に応えた
「どうして、さちをやるの?」
「手が空いてる者で、米を焚けるのがさちだけだったからです」
「それで、新五の長屋にお使いにやったの?」
「はい」
「そう」
周囲も、二人のただならぬ空気に緊張する
「奥方様。これは、『甘やかし』でしょうか」
「そうね」
「ですが、『逃げ道』も必要だとは想いませんか」
「私は、想わないわ」
「奥方様」
「だけど、なつが必要だと想ったのなら、それで構わない」
「 え?」
怒鳴られるかと想いきや、帰蝶はそれとは真逆のことを言う
「私は新五の、『公人』としてのあり方は考え付けても、あの子の私生活までは気が回らない。私の足りないところは、なつが補ってくれるのでしょう?」
「え・・・・・・・・、ええ・・・・・・・・・」
肩を張った分だけ『肩透かし』が大きくて、正に『肩の力が抜ける』想いをした
息を吐きながら、なつの張っていた肩がガクンと落ちた
「さちをやってくれて、ありがとう」
「い、いえ・・・」
「でも、食材は不要。あの子には日当をやってるんだから、それで賄わせて」
「 はい」
そうだな、と想った
食べる物までこちらで用意しては、『甘やかし』以上の『過保護』になってしまう
「余計な真似を、申し訳ございません」
畳に手を付き平伏するなつに、帰蝶は苦笑いしながら言った
「でも、『おやつ』なら話は別よ」
「奥方様・・・」
「あの子、五平餅が好きなんですって。さっき兵助から聞いたの」
「五平餅ですか?」
「ええ」
なつの目が大きく丸く膨らんだ
「だったら私の・・・、あ、いえ、前の夫の親戚がまだ美濃に残ってますので、本場の五平餅を送ってもらいます」
声も弾んだ
「そこまで大袈裟にしなくて良いわよ。那古野の乾物屋にも置いてあるんだから」
「だったら買って来ます!」
立ち上がるなつの小袖の裾を、帰蝶は慌てて掴んで引き止める
「もう暗くなるわよ、やめなさいってば」
「あ・・・、そうですね・・・」
顔を赤くしてしゃがみ込むなつに、帰蝶はおかしくて笑い出す
菊子も侍女達も、釣られて笑ってしまった
なつも冷静になって、自分の行動が恥しくて、やっぱり声を上げて笑った
「 若・・・も、五平餅がお好きだったんです・・・」
遠慮がちにポツリと呟く
「ええ。那古野に居た頃、吉法師様に連れてってもらったわ。乾物屋。そこの五平餅はとても美味しかった。お味噌が違うのよね」
「そうなんですか?」
「私が実家で食べたのは、信州の味噌を使っていたけれど、ここもお味噌が名産の一つだから」
「ええ、尾張の味噌は濃い味の赤味噌です」
「それに少量の味醂を垂らして混ぜて、餅に塗るの」
「そうなんですか」
「ええ。乾物屋の店先で、店主がやってくれるのを二人で何度も眺めていたわ」
「公務を抜け出して、ですね?」
「それは言わないで」
今度は帰蝶が顔を赤くする
信長が死んで、まだ二年
忘れて平穏に暮らすにはまだ足りない年月ではあるが、それでも懐かしい想い出話ができるのは相手がなつだからだと想った
なつだからこそ弟はつらい想いをしながらも、痛む体を引き摺ってでも、長屋からここを毎日往復できるような子に育ったのだと
影ながら支えてくれるなつの存在に弟は支えられ、そして自分も支えられているのだと、今更のように想い返した
「 ありがとう、なつ」
「え?」
突然礼を言う帰蝶に、なつはキョトンと目を丸くする
そこへ市弥がやって来た
「あら、なんだか楽しそうね」
「え?」
今度は侍女ら全員が聞き返す
さっきまで一触即発寸前の状態だったことを告げてやろうかとさえ、想うまでだった
帰蝶から生駒屋の内偵に入れと言われた後、時親はどうやってそれを成し遂げれば良いのかわからなかった
自分はいつも城の中に居て、事務的な仕事だけをやって来た
勿論、武士である以上刀は腰に帯びていたが、自分が仕えていた任期中、斯波家は一度も戦をしていない
また、戦をする立場でもなかった
その斯波家が大和守家織田の謀叛に遭い離散した際も、義近は素直に自分の指示に従い信長の許へ逃げ込んだため、争いらしい争いにも巻き込まれなかったし、刀も振る必要がなかった
そんな、比較的安全な環境で暮らしていた時親に、内偵は初めての経験だ
最初は遠巻きに生駒屋を眺めていたが、土田家に嫁いでいたと言う女らしき人物は見当たらない
ここの長女だか次女なのだから店番などするわけがないだろうと、次に店の中に入ってみた
油も扱っているからか、周辺の豪族の使いらしき者達が何人か行き交っている
やはり店は男だけがおり、目的の人物を見付けることはできなかった
それでも「見付かりませんでした」と、仕事を放棄するわけにもいかない
時親は根気良く店に通い続け、顔馴染みになるまで努力を重ねた
その甲斐あってか、店が混雑時には家族の者が手伝いをすることがわかり、時親は近くの茶屋で暇を潰しながらその時を待った
店の手代とも馴染みになって何ヶ月が過ぎただろう
これと言って成果も上げられなかったが、だからと言って帰蝶からも苦情は来ない
手間が掛かるのは承知の上だったのか、それを理解してもらっていたのが幸いした
漸く、時親の待ち焦がれていた瞬間がやって来た
「いらっしゃいませ」
今日は油の仕入れ日なので、それを知っている常連が殺到していた
時親もそれに紛れて店に入ると、待望の人物がそこに居た
どうしてだろう
恋焦がれた女と巡り会ったような気になったのは
それほどまでに、ここまで漕ぎ付けるのに時間が掛かり過ぎていた
「お七ちゃん!油三合頼むよ!」
「はぁい!」
年は妻より若干上か、口唇の隣には年相応に薄っすらと豊齢線が浮き出ていた
妻にはまだない年輪の証だ
それが却って人当たりの柔らかさを連想させた
現に女はニコニコと笑顔を絶やさず、常に客と接している
「お七ちゃん!これくんないかい?!」
「はぁい、今包みます」
朗らかな笑顔を振り撒き店台から降りて草履を引っ掛け、小走りに掛ける姿を時親は見守っていた
その時親の視線に気付き、女がこちらに目を向ける
「 ッ」
差し向けられた微笑みに、時親は後ろめたさで目を逸らした
時親が生駒屋の内偵に入ったのは、帰命が生まれてしばらくしてからのことだった
それから何ヶ月も掛けて生駒屋の奉公人らと誼を通わせ、清洲では帰蝶を中心に織田家も纏まりを見せ始めた頃、いつものように生駒屋を視察に来ていた時親の目の前で、狼藉者が幅を利かせて小折の町を闊歩している光景が広がった
「おらぁ!何じろじろ見てんだよ!」
清洲なら織田の侍が逆にうろうろしているので、こう言った光景は滅多に見られないが、清洲から離れた場所になると珍しい光景でもなかった
時親もここに来て何度か目にしている
それでも今までは大した事件も起きず過ぎていたが、今日に限ってはそうは行かなかった
だから、こうなったのだろう
熟れた肌は時親を虜にする
町人らしい雑踏の匂いも立ち込め、それが長く上流階級の暮らしをして来た時親の、その子供時代の懐かしい風景をも見させた
恥ずかしげもなく男の裸の背中に腕を回し、淫猥に脚を絡ませ自分を誘う
もっともっと深い場所へと自分を引き摺り込む
初めて見た光景、初めて知った感触、初めて得た悦楽
女の舌が時親の敏感な場所を攻める
妻ですらやろうとしないことを、この女は何でもやってくれた
どんな恰好も好んでしてくれた
それが時親を狂わせた
「おぅ、ねーちゃん。じゃ、ねぇや、おばちゃんか」
破落戸の声に、時親ははっとした
絡まれているのは生駒屋の、あの女だ
「大した荷物、持ってんじゃねーか。女のクセに力持ちだな」
「ははははは!」
ここでなら普通、女は怯える
怯えて泣き出す
なのにお七は寧ろそんな破落戸共に食って掛かった
「だったら持ってくれるかいッ?!」
下級武士とは言え、それでも一応は武家に嫁いだことのある女だ
一般人では誰よりも血腥い世界を知っている
恐らく度胸では、帰蝶やなつと同等だろうかと想えた
それだけ、胆の据わった声をしていた
「こう見えてもあたしは子供抱えて、毎日汗水流しながら働いてんだ!お前ら無頼者と遊んでる暇なんざないんだよ。とっとと失せな!」
「ほぉ~、勇ましいばーさんじゃねーか」
『ねーちゃん』から『おばちゃん』、『おばちゃん』から『ばーさん』
女を卑下する言葉はいくらでも存在する
そんな言葉をぶつけられても、お七は一向に怯むことなく寧ろ立ち向かっていた
物陰に潜み、事の成り行きを見守ろうとしている時親がハラハラするほどに
「おい、ばーさん。女はな、男にへつらってこそ価値があるってもんなんだぜ?それを教えてやろうか」
「結構さ。お代が高く付きそうだからね」
「へぇ、言うじゃねぇか」
この騒動に、周囲の者は遠巻きに見ているだけ
そうだろう
厄介ごとに自分から首を突っ込みたがるなど、時親がこの世で知っているとするなら、なつしか居ない
どうなるのかと、手に力を入れて見守った
「だったらその荷物、お代としていただこうかねぇ?」
と、お七の手にあった大きな風呂敷を、破落戸の一人が抱え上げた
「あ!お返し!それはお客さんのところに持って行く、大事な商品なんだ!それを手に入れるのに、一ヶ月も待ってもらったんだよ!大事な物なんだよ!」
お七はそれを取り返そうと、果敢にも男にしがみ付いて風呂敷を取り返そうとした
「離しやがれ!」
他の男がお七の両肩を掴んで振り飛ばす
「あッ!」
お七は前倒れに倒れ、その腰を力いっぱい蹴り込まれた
「 ッ!」
余りの痛さに、そのまま倒れ込んで身動き一つ取れないでいるお七の姿に、時親は居た堪れず飛び出した
「何をしている!」
「何だ、おめぇ」
「その荷物を、この人に返しなさい」
「正義の味方気取りか?笑わせんなよ、芋侍」
時親の腰に帯びた一本差しを見て、そう冷やかす
そんな時親を、お七は倒れたまま見上げた
「私のことはどう言おうが構わん。だが、その荷物が届くのを楽しみにしている人が居る限り、黙って見過ごすことはできん」
「恰好付けてんじゃねーぞ!」
自分よりも華奢だと想っているからこそ、舐めた態度で出れたのだろう
ところが時親はこれより少し前に、稲生で久し振りの実戦を経験したばかりだ
躰のどこかに血が染み付いていたのだろうか
時親の動きが常人離れした速さで刀を抜き、破落戸の何人かを一瞬で斬り伏せた
勿論、真剣の方を向けてはただの人殺しになってしまう
時親が斬り付けたのは峰の方だった
それでも時親が持つ刀も、名刀の一本に数えられている『長谷部』である
痛みは相当なものだろう
「大丈夫ですか?」
お七の抱えていた荷物を肩に乗せ、お七を支えながら歩く
「すみません」
「いいえ。私が居ながら怪我をさせてしまって、申し訳ない」
「そんな、お侍様の所為じゃありません。私の向うっ気の強さが禍したんです。気になさらないで下さい」
さっきまで破落戸を相手にしていた時の威勢とは全く違うことに、時親は戸惑った
側にある顔は、店で見たものと同じ朗らかな笑顔である
「この間、お店に来られてたお客さんですよね?」
「あ・・・、ええ」
「うちの店、良く来られるんですか?」
「え?」
「店の奉公人があなたのことを『平三郎様』って呼んでいたので、顔馴染みさんかと想ったんです」
「あ、ええ、そんなもんです」
「どちらのお家ですか?この辺りの?」
「まぁ、そんなもんです」
「そうですか」
「ええ」
まさか清洲から通っているとは言えない
応え辛そうににしている時親を見て、自分が追い込んでしまったと想ったのか、お七もそれ以上何も聞こうとしなかった
住宅街に差し掛かり、辺りをきょろきょろして立ち止まる
「この辺ですか?」
「はい、この先のお屋敷です」
お七が抱えていたのは、辿り着いた先の屋敷の娘の花嫁衣裳だった
「うちは殆ど雑貨屋みたいなもんなんですが、このお屋敷のご主人が長くうちのご贔屓さんで、態々うちに注文をしてくれたんです」
「そうなんですか」
「高い京縮緬の帯なんかも入ってるから、ほんと、あいつらに持って行かれずに済んでほっとしてます。それじゃ、ちょっと届けて来ますから、すみませんが待っていていただけますか?」
「私は構いません。どうぞゆっくり」
「ありがとうございます」
お七は痛む腰を擦りながら、片足を引き摺り屋敷に入った
大きさとしては自分の屋敷の半分程度だろうか
それでも一般家庭にしては大きい方である
お七を待たなくてはならない義理もなかったが、一応は怪我人に入るため放ってもおけなかった
そんな優しさがきっと、お七には充分過ぎるほど届いたのだろう
「すみません、お待たせしました」
また、片足を引き摺ってぴょこぴょこと跳ねるように、お七が戻って来た
「いえ、殆ど待ってませんよ。渡せましたか?」
「ええ、無事ご主人にお渡しできました。凄く喜んで下さって、お茶でもと引き止められたんですけど、連れを待たせてるのでって帰って来ちゃいました」
「それは申し訳ないことをした。私が居なければ、ゆっくりお茶を飲めましたでしょうに」
「いいえ。私はもう少しだけ、平三郎様とお話がしたかったので」
「え?」
「 あ、私ったら、なんだか不躾なことを」
キョトンとする時親に、お七は顔を俯かせて照れ笑いした
「じゃぁ、戻りましょうか」
「はい。ゆっくり歩いていただけますか?」
「勿論、お安い御用です」
「実は腰が痛くて痛くて」
お七は苦笑いをしながら言った
「そうでしょうね。想いっ切り蹴られてしまいましたもんね」
「いくら年増でも、女相手にあんなやり方はないと想いません?」
「ごもっとも」
「あら、平三郎様も私を年増だと想ってらっしゃるんですね?」
「えっ?!いや、別にそんな・・・!」
「ふふふ、冗談です。平三郎様は真面目なお方なんですね。こんなことで慌ててらっしゃるだなんて」
「いやぁ・・・」
内心、随分からかわれているな、と、時親は汗を掻く想いをする
妻と一緒に居て退屈だと感じたことは一度もないけれど、妻とは違う楽しさがあったのも事実だった
店までの道すがら、お七は自分の身の上を時親に聞かせた
初め嫁いだ家は可児に近い米問屋だと言う
そこの家の長男の嫁になったが、子供を産んでしばらく、その夫は喧嘩が原因であっけなくこの世を去ってしまったと話した
お七の財産分与を嫌い、跡継ぎとなる子供を取り上げられた形で嫁いだ先から次の嫁ぎ先を紹介され、嫁に行ったのが可児の土田だった
領主と同じ名ではあっても、所詮は名を拝領しただけの下級武士
その夫も数ヶ月前、美濃・長良川の戦で死に、お七は意地でも子供を連れて実家に戻って来たことを時親に話した
「苦労なさったでしょう」
「初めはね、子供なんて置いてけば良かったって何度も想いましたよ。でも今は、あの子が居るから働く甲斐があるんだって想えるようになって来ました。実家っても、そんな大店じゃありませんから、いくら娘だからって遊んで暮らせるわけじゃないし、でも、こんな時代なのに女でも働ける口があるって幸運ですよ。飲み屋の女将さんじゃ、子供だって可哀想だし」
「そんなことは」
「世の中、そう言う仕組みなんです」
「 」
ある種開き直りと言うか、別の場所では前向きなお七の話に、時親は引かれるものがあった
不躾と想いながらも、生まれも恵まれた妻と比べてみる
美濃一番の大店の娘として生まれ、働き先も武家の、しかも当時でも限りなく国主に近いと言われていた斎藤で、最初に嫁いだ先はその家臣の家
不遇に妻も後家となったが、その後も斎藤家に保護されて暮らしていたようなものだった
そして今、長く仕えていた主の推挙で局処の局長をやっている
生来の人柄もあってか、妻を慕う者は老若男女問わず大勢居た
恵まれた環境が恵まれた人材を作るのか
少しひねたお七を見ていると、どうしても浮かぶ下賤な心と鬩ぎ合いながらも、真っ直ぐ生きようとしている姿勢が見て取れた
今まで逢ったことのない類いの女だった
真っ直ぐ健気に生きようとするお七と、真っ直ぐ健気に生きている時親が男と女の関係にまで辿り着くのに、そう手間は掛からなかった
ここのところ連日の稽古で帰る頃にはボロ雑巾のような状態であるためか、まともに夕飯を食べてから寝ようと言う簡単なことが中々できない
朝も泥のような状態で起き上がるから、朝餉も夕べの残りで済ますことも屡
お陰で昼間は空きっ腹な状態で迎えた
だが、末席である利治には満足の行く食事は届かない
「新五!お代わり!」
「はい!」
「新五!こっちもだ!」
「はい!」
「新五!味噌汁!」
「はいい!」
先輩達の『お代わり』の世話をして、全員が満腹になる頃には賄いも空になっている
空腹にフラフラになっているところを、大抵は姉の側近とも呼べる男達に拾われて本丸の食堂に連れて行かれた
今日は可成に連れられ、食堂にやって来た
「何だ、新五。また食いっぱぐれたのか?」
先に居た慶次郎に笑われる
他には恒興、長秀が居て、信盛と勝家は何やら相談をしながら昼餉を食べていた
「仕方ないだろ?!みんな鬼みたいに食べるんだから」
「お前の要領が悪いだけだろ?詰所なんて各々自分の世話は自分でやるのが決まりなのに、ここのところ河尻さんが忙しくて詰所に居ないのを良いことに、お前を扱き使ってるだけじゃねーか」
「そんなこと言ったって・・・」
詰所で用意される賄いよりも本丸の食堂の方が豪華だから、自分としてはこっちで食べる方が良いに決まってる
とは、口が裂けても言えない
「まぁまぁ、慶次郎もそこまでにしてやれ。新五様、どうぞ」
「うん・・・」
可成に促され、しょぼくれながら座布団の上に座る
「どうぞ、新吾様」
給仕係の侍女から茶碗を受け取ると、詰所では麦ご飯だが、ここでは銀シャリのご飯が出るため、掌の上には光り輝く米がたっぷりと盛られおり、利治もそれに目を輝かせた
それまで食べ慣れた食事に舌鼓を打っていると、どう言うわけか姉の帰蝶が食堂にやって来た
「奥方様!」
ここに来ることのない帰蝶の姿に、当然だが誰もが驚く
「如何なさいましたか、このようなむさ苦しいところに」
実際男ばかりでむさ苦しいのだから、あちらこちらで苦笑が起こる
「勝三郎」
「はい」
茶碗を持った恒興が膳に戻しながら返事する
「悪いのだけど、昼餉が済んだら局処のお義母(かあ)様のところへ行ってくれる?」
「はい。どうなさいました?」
「土田家が提携の交換条件を不履行しようとしている動きがあるらしくて、お義母様がそれを阻止すると息巻いてるのよ。多分明日には可児に向うと言い出すだろうから、話によっては誰かもう一人連れて、お義母様の護衛に着いて欲しいの」
「承知しました。では御前様と、その打ち合わせをすればよろしゅうございますか」
「そうね。なつが説得に当ってるけど、相当ご立腹なさってるみたい。自分の顔に泥を塗ったってもう、頭から角生やしてるの。なつだけで充分なのに」
帰蝶の言葉に、膝下に控える龍之介が苦笑いし、それに釣られて食堂でも笑いが起きた
その最中、帰蝶は優雅に笑っている利治に目を向けた
「どうしてお前がここに居るの?」
「 え・・・?」
「ここはお前の来るところじゃない。今直ぐ出て行きなさい」
「え・・・、でも・・・」
さっきまで明るかった座が、一瞬にして緊張する
「お前は、黒母衣衆で修行中の身。本丸でのんびり昼を食べていられる身分なの?」
「 」
落ち込み、膝の上に茶碗を乗せしょんぼりとする利治を、可成が庇う
「奥方様、新五様をここにお連れしたのは私です。責めるのなら、私をお責めくださいませ」
「三左、お前にしては随分迂闊なことをするわね」
「申し訳ございません」
「謝罪は要らないわ。今後、ここで新五を見掛けたら、即座に追い出してちょうだい。ここは戦で血を流し、傷を負い、誉れと武功を挙げた者だけが入れる場所よ。未熟者が立ち入れる、憩いの場じゃない」
「 はっ」
可成は静かに平伏した
話に夢中になっていた勝家と信盛も、揃って頭を下げる
ただ一人、慶次郎だけは真っ直ぐ帰蝶を見上げた
「何?」
「 いや。立派だよ、奥方様」
「 ?」
慶次郎の言葉の意味はわからないが、帰蝶は軽く首を捻るとそのまま、食堂を後にした
恐らく誰かがここに利治が来ていることを、悪意ではなく帰蝶に告げたのだろう
だから、今まで一度も来たことのない場所に、足を踏み入れたのだと想えた
帰蝶が出て行った後、利治も茶碗を膳に戻して食堂を出ようとした
その利治を、慶次郎が止める
「待ちな、新五」
「でも、姉上が・・・」
「奥方様は出て行けと言ったけど、飯を残して出て行けとは言ってねーぜ?」
「え・・・・・」
「『来るな』とは仰られたが、ここは一つトンチでもどうだ」
「トンチ?」
「そうか。食堂で食べちゃ駄目だけど、食堂の廊下なら良いんだ」
「おー、さっすが勝三郎さん、あったま良い」
「ははは。奥方様は、素直じゃないお方ですから、な」
可成も苦笑いで告げる
「と言うことは、今後も食いっぱぐれたら、お連れしても良いってことですね」
「でも本当なら奥方様、新五には詰所で食べて欲しいと想ってるはずだぜ?なんでかわかるかい?」
「え・・・」
「ここに来たってことは、お前は母衣衆の連中に『負けた』ってことだ。姉貴として、そんな弟を不憫に想うか、不甲斐ないと想うか、奥方様ならどっちだろうねぇ?」
「 」
昼餉が済むと、詰所に戻って馬の世話をする
馬を持っている者は指揮官だけだが、その馬の世話を部下がするのは当たり前のことで、だが、利治が末席についてからは毎日が利治の仕事になっていた
要するに押し付けられたのだ
秀隆の馬は名馬の一つにも数えられているので、世話の最中は大人しくしてくれているが、他の馬はそうも行かない
馬に蹴られて膝から下はいつも青痣だらけ
それも最近になって漸く馴れて来た頃だが、時々は馬の世話を佐治がやってくれている
正直、それを期待しない心も少なくはなかった
今日も馬の世話をと馬小屋に向えば、やはり佐治が先に来て飼葉桶の草を補充してくれていた
「佐治!」
「ああ、新五様」
佐治はまだ侍ではないため、食事は台所の下人(しもびと)達と一緒に摂っているので自分よりも遅い昼餉を済ませている
それでも本丸の食堂で優雅に食事をしていた自分よりも早く、小屋に来ている
この勤勉さは見習わなくてはならないと想った
「すまない。またお前にさせてしまったな」
「いいえ。馬の扱いには慣れてますから、こんなの朝飯前ですよ。あ、夕餉前ですか?」
「ははは!」
佐治は侍になるため見習いとして自分の馬引きになったのに、その自分が黒母衣の見習いに就いた所為で、佐治にはするべき仕事がなくなってしまった
それでも腐らず自分から仕事を見付けてはせっせと片付けている姿を見て、何も想わないのは武士ではない
口にはしないが利治は、そんな佐治を尊敬もするし、感心もしていた
「もう殆ど終わってしまったな」
「これが済んだら槍の稽古でしょう?」
「ああ」
「ご精が出ますね」
「早く一人前にならないと、お前にも仕事をさせてやれないからな」
「いいえ、私は。私のことは、気になさらないで下さい。急がば回れと言うじゃないですか。それに毎日、台所で美味しい賄いも食べられるし、結構楽しみなんですよ。今夜の献立は何だろうって想ったりしてね」
住み込みで働いている佐治には、朝昼晩、ここで食事が出る
「そうか。晩ご飯の用意をしなくて済むのは、羨ましいな」
そこへ、侍女を連れた市がやって来た
「佐治、馬を出して」
「はい、市姫様」
「町に出るの。引いてくれる?」
「承知しました」
馬に乗る、と言っても、帰蝶のように自分で手綱を引いて走るわけではない
佐治ら『馬引き』が手綱を持って、市は馬の上に座っているだけである
「義姉上様が松風の子を貸してくれるのだそうなの。どの子に乗ろうか、楽しみ」
「松風の子を?ですが松風の子はどれも脚が長いので、落ちると痛いですよ?」
「だったら佐治が受け止めて」
「はい」
苦笑いする佐治の腕を掴み、市は自分の方へ引き寄せ、利治をきっと睨んだ
「 ?」
睨まれた利治は、なんで睨まれるのかわからない
「ははは!そりゃお市様、ここのところさちをお前に取られてるからな、憎いんだろうさ」
「ええ?さちを取ったって、そんな・・・」
市がさちに懐いているのは知ってるが、覚えがないのに一方的な言い掛かりだと落ち込む
馬の世話の後、槍の稽古の時に利治は、小屋であったことを慶次郎に聞かせた
慶次郎からは推測紛いな返事をされ、余計落ち込む
稽古で散々痛め付けられ、いつものようにフラフラと帰れば、長屋で夕餉を作ったさちが待ってくれている
一日の疲れが吹き飛ぶ瞬間だった
ここのところ慶次郎から与えられる傷も、数を減らしていった
少しだけ希望が見えて来た
生駒屋内偵が終了し、時親はお七に別れも告げず小折にも立ち寄らなくなって、何ヶ月が過ぎただろうか
産休を取っていた妻がいつも家に居ることが嬉しいと、改めて想えるようになって来た
仕事が終わり屋敷に帰れば、子供達も出迎えてくれる
それが当たり前になった頃、妻が五人目の子供を出産した
今度も女の子だったが、嬉しいことに変わりはない
名前は菊子の姉の名前を拝借し、『徳子』と名付けられた
毎日が順風満帆に過ぎていると信じて疑わなかった頃、絶望が自分を待ち受けていた
突然、局処で帰蝶に呼び出された
滅多に行くことのなかった場所なので、呼び出されることもそうだが、俄に嫌な緊張感が時親を襲った
侍女が開けた襖の向こうに、泣き伏せている妻の姿が見えた
それと同時に、お七の姿もあった
腕に赤子を抱いたお七が、自分を見付けて微笑んだ
全てが終わったかのような錯覚に、時親は目の前が真っ暗になった
こんなにも楽しい夕餉を送れたのは
「それじゃぁ、私は帰るね」
主君の弟だろうと、局処では一般人として扱えと言われていたからか、さちは利治に対しても佐治と同じような対応をしている
利治にとっては、寧ろその方が嬉しい
まるで友達のような感覚で居られるから
「一緒に食べないか?」
「でも」
「遅くなったら、城まで送るから」
「う~ん・・・」
作ったさちも、作りながら腹を空かせたタチだ
この誘いを断るには相当の勇気が要った
「じゃぁ、ちょっとだけ」
「並べよう」
「うん」
城から持ち寄った食材は、山菜・魚・海藻類
若布は味噌汁の中で気持ちよさげに漂い、鯵はこんがりといい色に焼けている
山菜もこの頃は貴重品である醤油の香ばしさに包まれ、塗した鰹節が湯気で踊っていた
「いただきます」
「いただきます」
食器も不十分だったが、ご近所から借り受けて何とか揃えた
並べて向い合わせで合掌する
「ふ~ん、そんなことがあったんだぁ」
「もう、みんな酷いんだ。人を扱き使うだけ使って、なのに散々罵倒して。まるで憂さ晴らしだよ」
相手がさちだからか、利治も気を許して愚痴を話した
「でもさ、鍛えられてるって想えば安いもんじゃない」
「こんな鍛えられ方、嫌だよ。どうせなら剣術で鍛えて欲しい」
「でも新五さん、剣術の腕は上がったの?」
「
正直に聞かれ、利治は苦笑いだけを浮かべて正直な顔をして無言で応える
「だったら、せめて精神的にも強くならなきゃ」
「さちまで、向うの肩を持つのか?」
「誰の味方をするわけじゃないけどさ、悔しかったら先輩達が文句言えないような仕事をすれば良いじゃない」
「簡単に言ってくれるな」
「簡単じゃない。廊下磨きをさせられてるんだったら、顔が映るくらいピッカピカに磨いてやれば良いのよ」
「冗談じゃない。さちは詰所の廊下を知らないから、そんなことが言えるんだ。あそこは大和守家が居た頃に城内でも戦闘があって、あちこち血糊の跡が残ってるんだ。もうこびり付いて取れないよ」
「それなら、いい物あげる」
「いい物?」
「明日、台所に来て。渡すから」
「わかったけど、なんだ?いい物って」
「明日のお楽しみ。さっ、食べよ食べよ」
「う、うん」
さちの父、土田平左衛門は元々武家の出身だったからか、子供達の生まれた年号をはっきりと把握していた
お陰でさちも、自分の生まれた年を覚えていられる
一般家庭にはまだ朝廷の定めた年号と言うものは浸透しておらず、「だいたい何歳」と言うあやふやな数え方しかできなかったが、さちは父のお陰か自分の年齢をきちんと知っていた
利治より一つ年下の十三である
友達としても、生涯の伴侶としても、いい釣り合いの取れる年齢だった
今はまだ互いが子供心の抜け切れない年頃なので、互いを異性としては見れていないのが現状だが
さちが居ることで利治の鬱積した気分も晴れ、最後には笑い合いながら食事を摂れることができた
すっかり遅くなり、約束どおり城まで送る
翌日、城に上がった利治は早速台所に行き、さちを呼んだ
さちは局処で働いているため、バタバタと走りながらやって来た
「ごめん、ごめん。奥方様のお部屋、お掃除してたから」
「掃除って、毎日やってるじゃないか」
「でも、それが私の仕事だから」
「
さちの輝かんばかりの笑顔に、利治は胸を抉られる想いをした
そうか
自分はなんて甘い考えをしていたのだ、と
ぼんやりとする利治に、さちは小さな土瓶を手渡した
「なんだ?これ」
「お酢よ」
「お酢?何に使うんだ?」
「廊下を磨く時に使うのよ」
「廊下?」
「これを桶の水にほんの少し垂らして、せっせと磨くの。それを何回も繰り返していたら、すっごくピカピカになるわよ?」
「本当か?」
「疑う前に、やってみる!ほら!さっさと詰所に行かないと、また怒鳴られるわよっ?」
さちは利治の背中を押して、詰所に行くことを促した
押されながら利治は、手にした小さなその土瓶を眺めた
使い掛けなのか、随分と軽い
最も、今は米の高騰が収まった頃とは言え、その影響はまだ抜け切れず、酢の原料である米もまだ高い物なので、真新しいものなど掃除には回せないだろう
それでも用意してくれていたさちに、利治は心から感謝した
きっと、嫌味ぐらいは言われたに違いないと、想像できたから
さちの言うとおり、桶にほんの少し垂らしてみる
だが、酢の匂いはきつく、また、利治もどれくらいの分量が丁度良いのかわからず、そのまま搾って廊下を磨き始めた
たちどころに廊下に酢の嫌な匂いが充満する
「新五!なんだこの匂いは!」
「すっ、すみません・・・!」
「さっさと掃除しろ!この、薄鈍がッ!」
と、自分を気に食わないと想っている母衣の先輩に、桶をガツンと蹴られる
そこから水が跳ね、利治の仕事が余計に増えた
だが利治は、ほんの少し口唇を結んだだけで、いつものように悲観に暮れることはしなかった
これが自分の仕事だから
さちにそう聞かされ、利治も気付いた
今はまだ大した仕事もできていない自分に与えられた仕事は、この詰所を隅々まで綺麗にすることだと想ったから
「お酢の量が多かったのかな」
そう呟きながら桶を抱え、井戸まで運んで水の半分を減らし、そして注ぎ足す
確かに酢の匂いはなくなったが、それじゃあ効き目がないんじゃないかとも不安になったが、わからなければまたさちに聞けば良いと想い、再び詰所に戻る
「お酢の量はね、桶八分目に対して掌の中心に零れない程度の量が丁度良いのよ」
この日もさちが夕飯を作りにやって来てくれた
「そうか。じゃぁ酢の匂いがきつかったのは、入れ過ぎたからかな」
「あはは、お酢臭かったでしょ?」
「うん、散々叱られたよ」
「加減しなきゃ」
「そうだね」
折角分けてもらった酢を無駄にしたと言うのに、さちはそのことについては全く触れない
弥三郎もそうだが、どうしてさちはそんなにも朗らかで居られるんだろうと、利治は不思議に想った
笑うと左の頬にだけ笑窪が出るのも、可愛いと想った
局処でもしょっちゅう顔を合わせたが、そう感じたことは一度もない
二人きりになったことがなかったからだろうか
次の日、利治はさちの助言どおり、きちんと分量を量ってから廊下を磨き始めた
昨日の今日だから、目立った効果は見られない
本当にこれで、こんな汚い廊下が綺麗になるんだろうかと疑問に想いながらせっせと磨いていると、背後から人の足音が聞こえた
また、意地悪な先輩達だろうか
利治はさっと立ち上がると、桶を庇うように腰を低くする
その利治に声が掛けられた
「廊下磨きか。精が出るな」
「
見上げると、秀隆が居た
「か、河尻様・・・!」
黒母衣衆の詰所とは言え、秀隆は常に外に居るので滅多なことではここには来ない
城に居ても、姉の側に居ることの方が多い秀隆の姿に驚いた
「お前が来てから、廊下も随分綺麗になった」
「ありがとうございます」
黒母衣衆の筆頭からそう言われると、嬉しさと恐縮さで深々と平伏する
その利治の前で、秀隆は裸足の足の裏を廊下に擦り付け、その滑らかさを確かめた
「が、まだ足りんな。ざらつき感が残ってる」
「申し訳ございません・・・!」
「腕だけの力じゃ、廊下は綺麗にはならん。手首、腰、背中、腿、全ての筋肉を使え」
「全ての筋肉・・・」
「槍を振る時と、同じ要領だ」
「槍・・・・・・・」
「お前はきっとこれから背が大きくなるだろう。手足を見ていたら、まだまだ伸びる可能性が大きい。なら、ちんたら刀を振っているよりも、槍を振った方がお前に合ってるだろうと、な」
「
利治は恐る恐る聞いてみた
「ああ」
「
秀隆の短い返事に、利治は胸が熱くなった
ここに居る自分を見守ってくれているのだと感じたから
「今日から刀の稽古ではなく、槍の稽古を付けろ」
「槍の稽古ですか」
「俺が相手でも良いがな、それじゃお前を殺してしまう」
「
確かに、織田でも一番の槍使いである秀隆に稽古を付けられたら、無事では済まないだろうと簡単に想像でき、利治は身震いを起した
「三左も相当の使い手だからな、うっかりお前の首を刎ねてしまうかも知れん」
「はぁ・・・」
「てことで、慶次郎に稽古を付けてもらえ」
「その方が命の危険が大なんですが・・・」
刀使いだった慶次郎が槍に転向したのは二年前の、稲生での戦い以降だった
まだ未熟とは言われていても、天性の物もあったのか、今では秀隆、可成に次ぐ腕前にも成長している
おまけに背も高く、打ち合いには不向きな相手だった
帰る頃にはヘロヘロになって、重たい躰を引き摺るように家路に着く
「大丈夫?!新五さん!」
部屋の前まで辿り着いて、後はバタンと倒れた利治を、驚いたさちが慌てて戸口に出る
「新五さん!新五さん!」
「さち・・・」
「立てる?」
「何とか・・・」
だが膝が笑った状態で、起き上がっても立てない
「肩、貸してくれるかな」
「ええ、勿論」
さちはさっと利治の脇に入り、下から掬い上げるようにして利治を支えた
「大丈夫?」
「今日は慶次郎に稽古を付けてもらったんだ」
「うん、知ってる。ちらっと見た」
「そうか。
「私は女だからよくわかんないけど、男の人ってそうやって、切り替えを上手くできる人ほど、人当たりが良いような気がする。森様とか、池田様もそんな感じだもの」
「そうだな・・・。私はいつも同じ目線でしか行動しないから、だから上手く行かないのかも知れない」
「だったら、これから上手くやれば良いじゃない。でしょ?」
「
敷きっ放しにしている布団の上にごろんと転がりながら、利治は素直にさちの言葉に応えた
「それじゃ、私、今日は帰るね」
「送れなくて、すまない」
「ううん、良いの。まだ明るいし、大丈夫よ。今日は煮魚だから、お鍋に入れっぱなしにしてるわよ?動けるようになったら、自分でやってね。ご飯はお櫃に移してるから」
「うん、ありがとう」
「じゃ」
「さち」
戸口に立つさちに、利治は引き止めるような声を掛けた
「何・・・?」
利治の声が小さいからか、さちも囁くような声で応える
「おなつさんに、ありがとう、って」
「え?」
「お前をここに遣してくれてるのは、おなつさんだろ?」
「新五さん・・・・・・」
「最初は姉上かと想ってた。でも、違う。姉上は身内に情けを掛けるのに、こんなわかりやすいやり方はしない。素直じゃない人だから」
「
上手く応えられず、さちは苦笑いで誤魔化した
「見守ることはしても、私には絶対手出しはしない人だ。だから、おなつさんしか居ないって想った」
「そう・・・」
「おなつさんに伝えてくれ」
「何て?」
「
「うん・・・、わかった。伝えておく」
「ありがとう・・・・・・・」
言いたいことだけ言えて満足したように、利治はその後何も言わぬまま眠りに落ちる
そんな利治を見届け、さちは静かに戸を閉じて新五の長屋を後にした
「いやぁ
絶叫に近い雄叫びを上げながら、慶次郎に突進する利治の姿があった
本物の槍を持って打ち合うわけには行かず、それに見立てた長い棒で稽古する
おまけに昨日の稽古で筋肉痛を起こし、躰のあちこちに激しい痛みが起きた
さっきから筋肉と言う筋肉が悲鳴を上げている
「おらぁッ、どうした新五!そんなへっぴり腰じゃ、荷駄隊すら襲撃できねーぜ?!」
「クソッ・・・!」
よろけた脚を立て直し、利治は再び慶次郎に突進して行く
その利治の棒先を右に避け、慶次郎は自分の棒切れで横腹を薙った
「グハッ・・・!」
筋肉痛で傷む脾臓に、直接激痛が走る
利治は脇腹を抱えて転がった
「おい、新五!こんなことで寝転がってちゃ、敵に首差し出すようなもんだぜッ?!お前はそれでも美濃武士かッ?!斎藤の子かッ?!」
「
罵倒され、悔しさに利治は立ち上がると、転がった棒切れを掴み直し、三度慶次郎に突進した
「それが莫迦の一つ覚えってんだよ!」
と、あっさり見切られ、背後から肺を目掛けて棒を突き立てられた
息が止まったような感覚に目の前が真っ白になり、利治は咳き込みながら膝を突いて蹲る
「なぁ、新五。お前、何のために武士になったんだ?武家に生まれたから、武士になるのか?だから、そんな鈍らな腕なのか?」
「煩い・・・ッ」
「お前さ、少しでもねーちゃんの役に立とうって気はねーのか?」
「わかってる・・・!黙れッ!」
「だったら、なんでそんな恐々な目をして俺に掛かって来るんだよ。お前のねーちゃんは、いつでも、どんな時でも、死んだ目なんかしなかったぜ?大好きな旦那さんが死んだ時ですら、いつも前を見てた。お前、本当に奥方様の弟か?」
「
悔しくて、だけど実際その通りだから、利治は何も言い返せなかった
兄二人は京の寺、妙覚寺に逃げ込み、斎藤の追随から逃れた
自分は姉に保護され、斎藤から守られている
本来なら道三の子として処刑されていても、おかしくない身分だ
そうならなかったのは姉が自分を斎藤に引き渡さなかったからであり、自分が美濃から脱出できたのも道空のお陰だった
自分は色んなものに支えられて生きているのだと、どうしてだろうか、慶次郎に横っ腹を殴られて気が付いた
「お前、こんなとこで終わりたいのか?」
いつまでも蹲る利治に、慶次郎は静かな口調で問い掛けた
「これがお前の限界か?」
「
小さな声で歯向かう
「違う・・・。私はもっと、強い男になりたい・・・。姉上の助けになれるだけの男になりたい・・・。ちっぽけなままで終わりたくない・・・」
おなつさんに、何も返せないまま終わるのは、嫌だ
「だったら立てやッ!立って一度でも良いから、俺に傷の一つでも付けてみろやッ!」
「う・・・・・・・ああぁぁぁぁぁ
その目に溢れるのは、不甲斐ない自分への悔し涙と、何もできない自分への怒り
言い返せない、情けない自分への叱咤
もう、自分は、斎藤の御曹司ではないのだと言う現実
「あいたたたたたたたたたた!」
全身、青痣だらけで転げるように自宅に戻った利治を、さちは用意していたのだろう、今日は何故か薬草の湿布まで持参して帰りを待っていてくれた
その利治の背中にペタンと、湿布を塗した布を貼る
「痛いって!さち!」
「男がこれくらいの怪我で、だらしない」
「だらしないって、何だ!人は痛みの前では平等だ!」
「ヘンな屁理屈。うちの弥三郎お兄ちゃんなんか小牧に居た頃、仕入れた馬に振り落とされて腕の骨折ったけど、気付くのに一日掛かったのよ?」
「
父を失い、道空と兵助に守られながら、利治は尾張に入った
期待していた信長の支援は、信長の死によって断ち切られた
生きていたなら取って返して、美濃を攻められただろう
そして、幽閉されていると言う母をも救い出せただろう
だが、生き残った姉は、信長亡き後の織田家の舵取りだけで精一杯
その上、信長の実弟の謀叛にも遭い、空中分解の危機を迎えた
なのに姉は戦場に立ち、危機を脱した
更にはその手で夫の仇をも討ち取った
端から見れば頼もしい姉かも知れない
けれど、所詮女ではできることも限られている
利治は姉に、「美濃を取り返してくれ」とは言えなかった
絶望した利治に、姉から与えられた乳母は常に、慈愛で自分を包んでくれた
それが、なつだった
家族を失った自分に、持てる限りの愛情で接してくれた
なつと姉の遣り取りに、何度笑ったか知れない
自身、局処の管理で多忙であるにも関わらず、稽古の時はできる限り側で見守ってくれていた
本丸との往復で、だけど局処に戻った時はいの一番に自分の顔を見に来てくれた
そのなつの期待に応えられない自分が悔しかった
「私は、強くなれるのかな・・・」
つい、弱気な心が口から零れる
「願うだけじゃ、人は強くなれないよ。努力しなきゃ」
「わかってる。でも・・・」
「うちの弥三郎お兄ちゃんは、馬屋の倅が武士になったのよ?刀だって最初は上手く振れなくて、小牧の家に里帰りしても、庭先でいつも木刀振り回してた。お陰でお兄ちゃんの掌、豆だらけだよ。今も」
「
『馬屋の倅』にしては綺麗な顔立ちをしている弥三郎の掌など、自分は見たことがない
態々見るようなものでもないからだ
そんなことをしみじみしながら想い返していると、さちが腕に湿布を貼り終え、パチンと軽く叩く
「はい、終わり」
「あ・・・、ありがと・・・」
「もう、痛くないよ」
「
愛らしい笑顔と、まるで呪文のような言葉
「うん・・・・・・・・・・・」
本当に痛みが引いたかのように、利治は少し呆けた顔でさちを見詰めた
「いってててててててて!」
一方、清洲の局処の庭先の縁側で、右の脇腹に打撲を負った慶次郎の手当てを、なつがしていた
「おなつさん!もそっと優しく扱ってくんない?!」
「お黙りなさい。これだけ丈夫そうな体をしていて、女のように悲鳴を上げるとは嘆かわしい。お前、それでも付いてる物付いてるんですか?」
「だったら見るかい?」
「見せなくても結構。お前の粗末な物を見るために、私の目は二つ揃ってるんじゃありません」
「見もしないで、なんだよそれ」
二人の遣り取りに、周囲の侍女達はクスクス笑っていた
その中を、菊子ら数人の侍女を従え、帰命を抱いた帰蝶が現れる
「奥方様
一度会釈し、なつは帰蝶から帰命を受け取る
「慶次郎、新五の様子はどう?使い物になりそう?」
「そうだねぇ。今は返事はできないね。まだ海のものとも山のものとも判断できねぇ」
「あら、お前の目も曇ったのかしら。判断できないとは、上等な逃げ口上ね」
「そうは言ってもね、あいつ、気分に斑があるから突拍子もない動きを見せることもあるし、見掛け倒しで終わることもある。まだ始めたばかりで、どっちかなんて言えないよ」
「新五を庇ってるのね?」
「そうじゃないってさ、奥方様。本当にわかんねえんだよ、新五に関しては」
「
「奥方様」
何も言わない帰蝶に、なつが声を掛ける
「慶次郎のこの脇腹の打撲、誰の仕業だと想います?」
「女風呂でも覗いたの?」
「そんな無粋なこと、誰がするってんだい」
不名誉なことを言われ、慶次郎にしては珍しく顔を真っ赤にして怒る
「新五様ですよ」
「新五が?」
「この慶次郎から『一本』、取ったのだそうです」
「そう・・・」
「あの動きは、俺でも見切れなかった。奥方様にも見せたかったぜ?」
「良いわ。想像できるから」
「そうかい」
内心、『可愛くねぇな』と想いつつも、敢えてそれを口にはしない
「どっちにしても、稽古相手ご苦労様。本丸の食堂に夕餉を用意してるわよ。存分に食べてらっしゃい」
「うっは、待ってました夕餉ちゃん!そんじゃ、ま、食って来ま」
逃げる場所も道も、とっくの昔に失ったと漸く気付いた利治は、死に物狂いの形相で慶次郎に突進して行った
「また・・・!何べん言ってもお前はわかんねぇヤツだな!」
利治の棒を叩き落そうと軌道に乗せ振り上げた慶次郎の腕目掛けて、利治の手が横殴りに飛ぶ
その棒を慶次郎は読みどおり払うが、その直後、おかしなことに利治の体が横向きのまま倒れるように低くなった
「え?!」
一瞬、慶次郎の視界から利治の姿が消える
が、直感力の鋭い慶次郎は殺気の籠る棒先の気配を感じ取り、咄嗟に横っ腹を折って利治の攻撃を躱そうと動いたのだが、その慶次郎の無防備になった横っ腹に利治の棒先が突き刺さった
正しくは『掠る程度に当った』、なのだが、その時は痛みを感じなかったものが、後からじわじわと痛み出し、夕餉の頃にはすっかり青く腫れ上がっていた、と言うわけである
骨には異常はないらしく表皮だけの問題だったが、それでも慶次郎は利治の動きが読めなかったことに驚いた
どうやって動いたのか、慶次郎自身理解できなかったからだ
恐らく利治ですら、自分のやったことなのに再現しろと言われたら「無理だ」と応えるだろう
倒れ様に相手に棒を突き刺すにしても、何かの支えがなければ打撃は与えられない
なのに利治は、なんの支えもない空中でそれをやったのだから尚更だった
これは天性のものか、あるいは隠された才能か
どちらにしても稲生で奇跡的な勝利を収めた帰蝶の弟なのだから、利治にも何かしらの秘められた力があってもおかしくないと想えた
慶次郎が去った後、一瞬、嫌な空気が流れ始めた
それは帰蝶の背中からで、なつはそれを正面から受け止める
「なつ」
「はい」
帰命を菊子に預け、腰を下ろす帰蝶と向かい合う
「さちは、何処?」
「もう直ぐ戻ると想います」
「何処に行ったの?」
「私のお使いで、ちょっとお城の外まで」
「なつのお使いでここのところ毎日ちょっと、お城の外の新五の長屋?」
「はい」
なつは叱られるのを覚悟で、正直に応えた
「どうして、さちをやるの?」
「手が空いてる者で、米を焚けるのがさちだけだったからです」
「それで、新五の長屋にお使いにやったの?」
「はい」
「そう」
周囲も、二人のただならぬ空気に緊張する
「奥方様。これは、『甘やかし』でしょうか」
「そうね」
「ですが、『逃げ道』も必要だとは想いませんか」
「私は、想わないわ」
「奥方様」
「だけど、なつが必要だと想ったのなら、それで構わない」
「
怒鳴られるかと想いきや、帰蝶はそれとは真逆のことを言う
「私は新五の、『公人』としてのあり方は考え付けても、あの子の私生活までは気が回らない。私の足りないところは、なつが補ってくれるのでしょう?」
「え・・・・・・・・、ええ・・・・・・・・・」
肩を張った分だけ『肩透かし』が大きくて、正に『肩の力が抜ける』想いをした
息を吐きながら、なつの張っていた肩がガクンと落ちた
「さちをやってくれて、ありがとう」
「い、いえ・・・」
「でも、食材は不要。あの子には日当をやってるんだから、それで賄わせて」
「
そうだな、と想った
食べる物までこちらで用意しては、『甘やかし』以上の『過保護』になってしまう
「余計な真似を、申し訳ございません」
畳に手を付き平伏するなつに、帰蝶は苦笑いしながら言った
「でも、『おやつ』なら話は別よ」
「奥方様・・・」
「あの子、五平餅が好きなんですって。さっき兵助から聞いたの」
「五平餅ですか?」
「ええ」
なつの目が大きく丸く膨らんだ
「だったら私の・・・、あ、いえ、前の夫の親戚がまだ美濃に残ってますので、本場の五平餅を送ってもらいます」
声も弾んだ
「そこまで大袈裟にしなくて良いわよ。那古野の乾物屋にも置いてあるんだから」
「だったら買って来ます!」
立ち上がるなつの小袖の裾を、帰蝶は慌てて掴んで引き止める
「もう暗くなるわよ、やめなさいってば」
「あ・・・、そうですね・・・」
顔を赤くしてしゃがみ込むなつに、帰蝶はおかしくて笑い出す
菊子も侍女達も、釣られて笑ってしまった
なつも冷静になって、自分の行動が恥しくて、やっぱり声を上げて笑った
「
遠慮がちにポツリと呟く
「ええ。那古野に居た頃、吉法師様に連れてってもらったわ。乾物屋。そこの五平餅はとても美味しかった。お味噌が違うのよね」
「そうなんですか?」
「私が実家で食べたのは、信州の味噌を使っていたけれど、ここもお味噌が名産の一つだから」
「ええ、尾張の味噌は濃い味の赤味噌です」
「それに少量の味醂を垂らして混ぜて、餅に塗るの」
「そうなんですか」
「ええ。乾物屋の店先で、店主がやってくれるのを二人で何度も眺めていたわ」
「公務を抜け出して、ですね?」
「それは言わないで」
今度は帰蝶が顔を赤くする
信長が死んで、まだ二年
忘れて平穏に暮らすにはまだ足りない年月ではあるが、それでも懐かしい想い出話ができるのは相手がなつだからだと想った
なつだからこそ弟はつらい想いをしながらも、痛む体を引き摺ってでも、長屋からここを毎日往復できるような子に育ったのだと
影ながら支えてくれるなつの存在に弟は支えられ、そして自分も支えられているのだと、今更のように想い返した
「
「え?」
突然礼を言う帰蝶に、なつはキョトンと目を丸くする
そこへ市弥がやって来た
「あら、なんだか楽しそうね」
「え?」
今度は侍女ら全員が聞き返す
さっきまで一触即発寸前の状態だったことを告げてやろうかとさえ、想うまでだった
帰蝶から生駒屋の内偵に入れと言われた後、時親はどうやってそれを成し遂げれば良いのかわからなかった
自分はいつも城の中に居て、事務的な仕事だけをやって来た
勿論、武士である以上刀は腰に帯びていたが、自分が仕えていた任期中、斯波家は一度も戦をしていない
また、戦をする立場でもなかった
その斯波家が大和守家織田の謀叛に遭い離散した際も、義近は素直に自分の指示に従い信長の許へ逃げ込んだため、争いらしい争いにも巻き込まれなかったし、刀も振る必要がなかった
そんな、比較的安全な環境で暮らしていた時親に、内偵は初めての経験だ
最初は遠巻きに生駒屋を眺めていたが、土田家に嫁いでいたと言う女らしき人物は見当たらない
ここの長女だか次女なのだから店番などするわけがないだろうと、次に店の中に入ってみた
油も扱っているからか、周辺の豪族の使いらしき者達が何人か行き交っている
やはり店は男だけがおり、目的の人物を見付けることはできなかった
それでも「見付かりませんでした」と、仕事を放棄するわけにもいかない
時親は根気良く店に通い続け、顔馴染みになるまで努力を重ねた
その甲斐あってか、店が混雑時には家族の者が手伝いをすることがわかり、時親は近くの茶屋で暇を潰しながらその時を待った
店の手代とも馴染みになって何ヶ月が過ぎただろう
これと言って成果も上げられなかったが、だからと言って帰蝶からも苦情は来ない
手間が掛かるのは承知の上だったのか、それを理解してもらっていたのが幸いした
漸く、時親の待ち焦がれていた瞬間がやって来た
「いらっしゃいませ」
今日は油の仕入れ日なので、それを知っている常連が殺到していた
時親もそれに紛れて店に入ると、待望の人物がそこに居た
どうしてだろう
恋焦がれた女と巡り会ったような気になったのは
それほどまでに、ここまで漕ぎ付けるのに時間が掛かり過ぎていた
「お七ちゃん!油三合頼むよ!」
「はぁい!」
年は妻より若干上か、口唇の隣には年相応に薄っすらと豊齢線が浮き出ていた
妻にはまだない年輪の証だ
それが却って人当たりの柔らかさを連想させた
現に女はニコニコと笑顔を絶やさず、常に客と接している
「お七ちゃん!これくんないかい?!」
「はぁい、今包みます」
朗らかな笑顔を振り撒き店台から降りて草履を引っ掛け、小走りに掛ける姿を時親は見守っていた
その時親の視線に気付き、女がこちらに目を向ける
「
差し向けられた微笑みに、時親は後ろめたさで目を逸らした
時親が生駒屋の内偵に入ったのは、帰命が生まれてしばらくしてからのことだった
それから何ヶ月も掛けて生駒屋の奉公人らと誼を通わせ、清洲では帰蝶を中心に織田家も纏まりを見せ始めた頃、いつものように生駒屋を視察に来ていた時親の目の前で、狼藉者が幅を利かせて小折の町を闊歩している光景が広がった
「おらぁ!何じろじろ見てんだよ!」
清洲なら織田の侍が逆にうろうろしているので、こう言った光景は滅多に見られないが、清洲から離れた場所になると珍しい光景でもなかった
時親もここに来て何度か目にしている
それでも今までは大した事件も起きず過ぎていたが、今日に限ってはそうは行かなかった
熟れた肌は時親を虜にする
町人らしい雑踏の匂いも立ち込め、それが長く上流階級の暮らしをして来た時親の、その子供時代の懐かしい風景をも見させた
恥ずかしげもなく男の裸の背中に腕を回し、淫猥に脚を絡ませ自分を誘う
もっともっと深い場所へと自分を引き摺り込む
初めて見た光景、初めて知った感触、初めて得た悦楽
女の舌が時親の敏感な場所を攻める
妻ですらやろうとしないことを、この女は何でもやってくれた
どんな恰好も好んでしてくれた
それが時親を狂わせた
「おぅ、ねーちゃん。じゃ、ねぇや、おばちゃんか」
破落戸の声に、時親ははっとした
絡まれているのは生駒屋の、あの女だ
「大した荷物、持ってんじゃねーか。女のクセに力持ちだな」
「ははははは!」
ここでなら普通、女は怯える
怯えて泣き出す
なのにお七は寧ろそんな破落戸共に食って掛かった
「だったら持ってくれるかいッ?!」
下級武士とは言え、それでも一応は武家に嫁いだことのある女だ
一般人では誰よりも血腥い世界を知っている
恐らく度胸では、帰蝶やなつと同等だろうかと想えた
それだけ、胆の据わった声をしていた
「こう見えてもあたしは子供抱えて、毎日汗水流しながら働いてんだ!お前ら無頼者と遊んでる暇なんざないんだよ。とっとと失せな!」
「ほぉ~、勇ましいばーさんじゃねーか」
『ねーちゃん』から『おばちゃん』、『おばちゃん』から『ばーさん』
女を卑下する言葉はいくらでも存在する
そんな言葉をぶつけられても、お七は一向に怯むことなく寧ろ立ち向かっていた
物陰に潜み、事の成り行きを見守ろうとしている時親がハラハラするほどに
「おい、ばーさん。女はな、男にへつらってこそ価値があるってもんなんだぜ?それを教えてやろうか」
「結構さ。お代が高く付きそうだからね」
「へぇ、言うじゃねぇか」
この騒動に、周囲の者は遠巻きに見ているだけ
そうだろう
厄介ごとに自分から首を突っ込みたがるなど、時親がこの世で知っているとするなら、なつしか居ない
どうなるのかと、手に力を入れて見守った
「だったらその荷物、お代としていただこうかねぇ?」
と、お七の手にあった大きな風呂敷を、破落戸の一人が抱え上げた
「あ!お返し!それはお客さんのところに持って行く、大事な商品なんだ!それを手に入れるのに、一ヶ月も待ってもらったんだよ!大事な物なんだよ!」
お七はそれを取り返そうと、果敢にも男にしがみ付いて風呂敷を取り返そうとした
「離しやがれ!」
他の男がお七の両肩を掴んで振り飛ばす
「あッ!」
お七は前倒れに倒れ、その腰を力いっぱい蹴り込まれた
「
余りの痛さに、そのまま倒れ込んで身動き一つ取れないでいるお七の姿に、時親は居た堪れず飛び出した
「何をしている!」
「何だ、おめぇ」
「その荷物を、この人に返しなさい」
「正義の味方気取りか?笑わせんなよ、芋侍」
時親の腰に帯びた一本差しを見て、そう冷やかす
そんな時親を、お七は倒れたまま見上げた
「私のことはどう言おうが構わん。だが、その荷物が届くのを楽しみにしている人が居る限り、黙って見過ごすことはできん」
「恰好付けてんじゃねーぞ!」
自分よりも華奢だと想っているからこそ、舐めた態度で出れたのだろう
ところが時親はこれより少し前に、稲生で久し振りの実戦を経験したばかりだ
躰のどこかに血が染み付いていたのだろうか
時親の動きが常人離れした速さで刀を抜き、破落戸の何人かを一瞬で斬り伏せた
勿論、真剣の方を向けてはただの人殺しになってしまう
時親が斬り付けたのは峰の方だった
それでも時親が持つ刀も、名刀の一本に数えられている『長谷部』である
痛みは相当なものだろう
「大丈夫ですか?」
お七の抱えていた荷物を肩に乗せ、お七を支えながら歩く
「すみません」
「いいえ。私が居ながら怪我をさせてしまって、申し訳ない」
「そんな、お侍様の所為じゃありません。私の向うっ気の強さが禍したんです。気になさらないで下さい」
さっきまで破落戸を相手にしていた時の威勢とは全く違うことに、時親は戸惑った
側にある顔は、店で見たものと同じ朗らかな笑顔である
「この間、お店に来られてたお客さんですよね?」
「あ・・・、ええ」
「うちの店、良く来られるんですか?」
「え?」
「店の奉公人があなたのことを『平三郎様』って呼んでいたので、顔馴染みさんかと想ったんです」
「あ、ええ、そんなもんです」
「どちらのお家ですか?この辺りの?」
「まぁ、そんなもんです」
「そうですか」
「ええ」
まさか清洲から通っているとは言えない
応え辛そうににしている時親を見て、自分が追い込んでしまったと想ったのか、お七もそれ以上何も聞こうとしなかった
住宅街に差し掛かり、辺りをきょろきょろして立ち止まる
「この辺ですか?」
「はい、この先のお屋敷です」
お七が抱えていたのは、辿り着いた先の屋敷の娘の花嫁衣裳だった
「うちは殆ど雑貨屋みたいなもんなんですが、このお屋敷のご主人が長くうちのご贔屓さんで、態々うちに注文をしてくれたんです」
「そうなんですか」
「高い京縮緬の帯なんかも入ってるから、ほんと、あいつらに持って行かれずに済んでほっとしてます。それじゃ、ちょっと届けて来ますから、すみませんが待っていていただけますか?」
「私は構いません。どうぞゆっくり」
「ありがとうございます」
お七は痛む腰を擦りながら、片足を引き摺り屋敷に入った
大きさとしては自分の屋敷の半分程度だろうか
それでも一般家庭にしては大きい方である
お七を待たなくてはならない義理もなかったが、一応は怪我人に入るため放ってもおけなかった
そんな優しさがきっと、お七には充分過ぎるほど届いたのだろう
「すみません、お待たせしました」
また、片足を引き摺ってぴょこぴょこと跳ねるように、お七が戻って来た
「いえ、殆ど待ってませんよ。渡せましたか?」
「ええ、無事ご主人にお渡しできました。凄く喜んで下さって、お茶でもと引き止められたんですけど、連れを待たせてるのでって帰って来ちゃいました」
「それは申し訳ないことをした。私が居なければ、ゆっくりお茶を飲めましたでしょうに」
「いいえ。私はもう少しだけ、平三郎様とお話がしたかったので」
「え?」
「
キョトンとする時親に、お七は顔を俯かせて照れ笑いした
「じゃぁ、戻りましょうか」
「はい。ゆっくり歩いていただけますか?」
「勿論、お安い御用です」
「実は腰が痛くて痛くて」
お七は苦笑いをしながら言った
「そうでしょうね。想いっ切り蹴られてしまいましたもんね」
「いくら年増でも、女相手にあんなやり方はないと想いません?」
「ごもっとも」
「あら、平三郎様も私を年増だと想ってらっしゃるんですね?」
「えっ?!いや、別にそんな・・・!」
「ふふふ、冗談です。平三郎様は真面目なお方なんですね。こんなことで慌ててらっしゃるだなんて」
「いやぁ・・・」
内心、随分からかわれているな、と、時親は汗を掻く想いをする
妻と一緒に居て退屈だと感じたことは一度もないけれど、妻とは違う楽しさがあったのも事実だった
店までの道すがら、お七は自分の身の上を時親に聞かせた
初め嫁いだ家は可児に近い米問屋だと言う
そこの家の長男の嫁になったが、子供を産んでしばらく、その夫は喧嘩が原因であっけなくこの世を去ってしまったと話した
お七の財産分与を嫌い、跡継ぎとなる子供を取り上げられた形で嫁いだ先から次の嫁ぎ先を紹介され、嫁に行ったのが可児の土田だった
領主と同じ名ではあっても、所詮は名を拝領しただけの下級武士
その夫も数ヶ月前、美濃・長良川の戦で死に、お七は意地でも子供を連れて実家に戻って来たことを時親に話した
「苦労なさったでしょう」
「初めはね、子供なんて置いてけば良かったって何度も想いましたよ。でも今は、あの子が居るから働く甲斐があるんだって想えるようになって来ました。実家っても、そんな大店じゃありませんから、いくら娘だからって遊んで暮らせるわけじゃないし、でも、こんな時代なのに女でも働ける口があるって幸運ですよ。飲み屋の女将さんじゃ、子供だって可哀想だし」
「そんなことは」
「世の中、そう言う仕組みなんです」
「
ある種開き直りと言うか、別の場所では前向きなお七の話に、時親は引かれるものがあった
不躾と想いながらも、生まれも恵まれた妻と比べてみる
美濃一番の大店の娘として生まれ、働き先も武家の、しかも当時でも限りなく国主に近いと言われていた斎藤で、最初に嫁いだ先はその家臣の家
不遇に妻も後家となったが、その後も斎藤家に保護されて暮らしていたようなものだった
そして今、長く仕えていた主の推挙で局処の局長をやっている
生来の人柄もあってか、妻を慕う者は老若男女問わず大勢居た
恵まれた環境が恵まれた人材を作るのか
少しひねたお七を見ていると、どうしても浮かぶ下賤な心と鬩ぎ合いながらも、真っ直ぐ生きようとしている姿勢が見て取れた
今まで逢ったことのない類いの女だった
真っ直ぐ健気に生きようとするお七と、真っ直ぐ健気に生きている時親が男と女の関係にまで辿り着くのに、そう手間は掛からなかった
ここのところ連日の稽古で帰る頃にはボロ雑巾のような状態であるためか、まともに夕飯を食べてから寝ようと言う簡単なことが中々できない
朝も泥のような状態で起き上がるから、朝餉も夕べの残りで済ますことも屡
お陰で昼間は空きっ腹な状態で迎えた
だが、末席である利治には満足の行く食事は届かない
「新五!お代わり!」
「はい!」
「新五!こっちもだ!」
「はい!」
「新五!味噌汁!」
「はいい!」
先輩達の『お代わり』の世話をして、全員が満腹になる頃には賄いも空になっている
空腹にフラフラになっているところを、大抵は姉の側近とも呼べる男達に拾われて本丸の食堂に連れて行かれた
今日は可成に連れられ、食堂にやって来た
「何だ、新五。また食いっぱぐれたのか?」
先に居た慶次郎に笑われる
他には恒興、長秀が居て、信盛と勝家は何やら相談をしながら昼餉を食べていた
「仕方ないだろ?!みんな鬼みたいに食べるんだから」
「お前の要領が悪いだけだろ?詰所なんて各々自分の世話は自分でやるのが決まりなのに、ここのところ河尻さんが忙しくて詰所に居ないのを良いことに、お前を扱き使ってるだけじゃねーか」
「そんなこと言ったって・・・」
詰所で用意される賄いよりも本丸の食堂の方が豪華だから、自分としてはこっちで食べる方が良いに決まってる
とは、口が裂けても言えない
「まぁまぁ、慶次郎もそこまでにしてやれ。新五様、どうぞ」
「うん・・・」
可成に促され、しょぼくれながら座布団の上に座る
「どうぞ、新吾様」
給仕係の侍女から茶碗を受け取ると、詰所では麦ご飯だが、ここでは銀シャリのご飯が出るため、掌の上には光り輝く米がたっぷりと盛られおり、利治もそれに目を輝かせた
それまで食べ慣れた食事に舌鼓を打っていると、どう言うわけか姉の帰蝶が食堂にやって来た
「奥方様!」
ここに来ることのない帰蝶の姿に、当然だが誰もが驚く
「如何なさいましたか、このようなむさ苦しいところに」
実際男ばかりでむさ苦しいのだから、あちらこちらで苦笑が起こる
「勝三郎」
「はい」
茶碗を持った恒興が膳に戻しながら返事する
「悪いのだけど、昼餉が済んだら局処のお義母(かあ)様のところへ行ってくれる?」
「はい。どうなさいました?」
「土田家が提携の交換条件を不履行しようとしている動きがあるらしくて、お義母様がそれを阻止すると息巻いてるのよ。多分明日には可児に向うと言い出すだろうから、話によっては誰かもう一人連れて、お義母様の護衛に着いて欲しいの」
「承知しました。では御前様と、その打ち合わせをすればよろしゅうございますか」
「そうね。なつが説得に当ってるけど、相当ご立腹なさってるみたい。自分の顔に泥を塗ったってもう、頭から角生やしてるの。なつだけで充分なのに」
帰蝶の言葉に、膝下に控える龍之介が苦笑いし、それに釣られて食堂でも笑いが起きた
その最中、帰蝶は優雅に笑っている利治に目を向けた
「どうしてお前がここに居るの?」
「
「ここはお前の来るところじゃない。今直ぐ出て行きなさい」
「え・・・、でも・・・」
さっきまで明るかった座が、一瞬にして緊張する
「お前は、黒母衣衆で修行中の身。本丸でのんびり昼を食べていられる身分なの?」
「
落ち込み、膝の上に茶碗を乗せしょんぼりとする利治を、可成が庇う
「奥方様、新五様をここにお連れしたのは私です。責めるのなら、私をお責めくださいませ」
「三左、お前にしては随分迂闊なことをするわね」
「申し訳ございません」
「謝罪は要らないわ。今後、ここで新五を見掛けたら、即座に追い出してちょうだい。ここは戦で血を流し、傷を負い、誉れと武功を挙げた者だけが入れる場所よ。未熟者が立ち入れる、憩いの場じゃない」
「
可成は静かに平伏した
話に夢中になっていた勝家と信盛も、揃って頭を下げる
ただ一人、慶次郎だけは真っ直ぐ帰蝶を見上げた
「何?」
「
「
慶次郎の言葉の意味はわからないが、帰蝶は軽く首を捻るとそのまま、食堂を後にした
恐らく誰かがここに利治が来ていることを、悪意ではなく帰蝶に告げたのだろう
だから、今まで一度も来たことのない場所に、足を踏み入れたのだと想えた
帰蝶が出て行った後、利治も茶碗を膳に戻して食堂を出ようとした
その利治を、慶次郎が止める
「待ちな、新五」
「でも、姉上が・・・」
「奥方様は出て行けと言ったけど、飯を残して出て行けとは言ってねーぜ?」
「え・・・・・」
「『来るな』とは仰られたが、ここは一つトンチでもどうだ」
「トンチ?」
「そうか。食堂で食べちゃ駄目だけど、食堂の廊下なら良いんだ」
「おー、さっすが勝三郎さん、あったま良い」
「ははは。奥方様は、素直じゃないお方ですから、な」
可成も苦笑いで告げる
「と言うことは、今後も食いっぱぐれたら、お連れしても良いってことですね」
「でも本当なら奥方様、新五には詰所で食べて欲しいと想ってるはずだぜ?なんでかわかるかい?」
「え・・・」
「ここに来たってことは、お前は母衣衆の連中に『負けた』ってことだ。姉貴として、そんな弟を不憫に想うか、不甲斐ないと想うか、奥方様ならどっちだろうねぇ?」
「
昼餉が済むと、詰所に戻って馬の世話をする
馬を持っている者は指揮官だけだが、その馬の世話を部下がするのは当たり前のことで、だが、利治が末席についてからは毎日が利治の仕事になっていた
要するに押し付けられたのだ
秀隆の馬は名馬の一つにも数えられているので、世話の最中は大人しくしてくれているが、他の馬はそうも行かない
馬に蹴られて膝から下はいつも青痣だらけ
それも最近になって漸く馴れて来た頃だが、時々は馬の世話を佐治がやってくれている
正直、それを期待しない心も少なくはなかった
今日も馬の世話をと馬小屋に向えば、やはり佐治が先に来て飼葉桶の草を補充してくれていた
「佐治!」
「ああ、新五様」
佐治はまだ侍ではないため、食事は台所の下人(しもびと)達と一緒に摂っているので自分よりも遅い昼餉を済ませている
それでも本丸の食堂で優雅に食事をしていた自分よりも早く、小屋に来ている
この勤勉さは見習わなくてはならないと想った
「すまない。またお前にさせてしまったな」
「いいえ。馬の扱いには慣れてますから、こんなの朝飯前ですよ。あ、夕餉前ですか?」
「ははは!」
佐治は侍になるため見習いとして自分の馬引きになったのに、その自分が黒母衣の見習いに就いた所為で、佐治にはするべき仕事がなくなってしまった
それでも腐らず自分から仕事を見付けてはせっせと片付けている姿を見て、何も想わないのは武士ではない
口にはしないが利治は、そんな佐治を尊敬もするし、感心もしていた
「もう殆ど終わってしまったな」
「これが済んだら槍の稽古でしょう?」
「ああ」
「ご精が出ますね」
「早く一人前にならないと、お前にも仕事をさせてやれないからな」
「いいえ、私は。私のことは、気になさらないで下さい。急がば回れと言うじゃないですか。それに毎日、台所で美味しい賄いも食べられるし、結構楽しみなんですよ。今夜の献立は何だろうって想ったりしてね」
住み込みで働いている佐治には、朝昼晩、ここで食事が出る
「そうか。晩ご飯の用意をしなくて済むのは、羨ましいな」
そこへ、侍女を連れた市がやって来た
「佐治、馬を出して」
「はい、市姫様」
「町に出るの。引いてくれる?」
「承知しました」
馬に乗る、と言っても、帰蝶のように自分で手綱を引いて走るわけではない
佐治ら『馬引き』が手綱を持って、市は馬の上に座っているだけである
「義姉上様が松風の子を貸してくれるのだそうなの。どの子に乗ろうか、楽しみ」
「松風の子を?ですが松風の子はどれも脚が長いので、落ちると痛いですよ?」
「だったら佐治が受け止めて」
「はい」
苦笑いする佐治の腕を掴み、市は自分の方へ引き寄せ、利治をきっと睨んだ
「
睨まれた利治は、なんで睨まれるのかわからない
「ははは!そりゃお市様、ここのところさちをお前に取られてるからな、憎いんだろうさ」
「ええ?さちを取ったって、そんな・・・」
市がさちに懐いているのは知ってるが、覚えがないのに一方的な言い掛かりだと落ち込む
馬の世話の後、槍の稽古の時に利治は、小屋であったことを慶次郎に聞かせた
慶次郎からは推測紛いな返事をされ、余計落ち込む
稽古で散々痛め付けられ、いつものようにフラフラと帰れば、長屋で夕餉を作ったさちが待ってくれている
一日の疲れが吹き飛ぶ瞬間だった
ここのところ慶次郎から与えられる傷も、数を減らしていった
少しだけ希望が見えて来た
生駒屋内偵が終了し、時親はお七に別れも告げず小折にも立ち寄らなくなって、何ヶ月が過ぎただろうか
産休を取っていた妻がいつも家に居ることが嬉しいと、改めて想えるようになって来た
仕事が終わり屋敷に帰れば、子供達も出迎えてくれる
それが当たり前になった頃、妻が五人目の子供を出産した
今度も女の子だったが、嬉しいことに変わりはない
名前は菊子の姉の名前を拝借し、『徳子』と名付けられた
毎日が順風満帆に過ぎていると信じて疑わなかった頃、絶望が自分を待ち受けていた
突然、局処で帰蝶に呼び出された
滅多に行くことのなかった場所なので、呼び出されることもそうだが、俄に嫌な緊張感が時親を襲った
侍女が開けた襖の向こうに、泣き伏せている妻の姿が見えた
それと同時に、お七の姿もあった
腕に赤子を抱いたお七が、自分を見付けて微笑んだ
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千極一夜
家庭用ゲーム専用ブログです
『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません
◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』
おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑
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祝:お濃さま出演 But模擬専… (戦国無双3)
おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙
(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見
転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
「 絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。」
(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない
岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です
今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい
清洲桜醸造株式会社公式サイト


濃姫の里 隠し吟醸
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一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます
清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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