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濃姫擁護しか頭にないHaruhiが運営しております / Haruhiの脳内のおよそ98%は濃姫でできております / 生駒派はReturn to the back.



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米を洗いながら、ふと思った
米を洗ってる最中に、何を考えてるんだか、あたしゃ


信長はやっぱり、凡才だと思う
奇天烈なアイデアは人より優れてるかも知れないから、天才と言うより『革命家』なのだろうね
だけどその『革命家』も、伊達政宗の生まれるのが遅かったから付けられたようなもので、政宗の方が先に生まれてたら日本の近代化は早かっただろうね
江戸時代て言う負の遺産なんか、なかったと思う
これが日本の運命だったんだね

信長が歴史の表舞台に出たのは、1560年の桶狭間の戦い
相手が大軍今川だったから世に出たようなもので、そうじゃなかったら尾張の一大名で終わってたと思う
それと、奥さんが濃姫じゃなかったら大名にもなってたかどうか怪しい
信長の輩出した織田(庶流です)は、元々は一豪族で、本家の織田が尾張の大名です
ややこしいっす
明智家と同じですね
明智も元々は美濃の守護大名土岐家の派流で、土岐が滅んだ後は斎藤に仕えてます
なんかの本で光秀は道三に明智城を落とされて放浪したって書かれてますが、道三が明智城を落とした時、光秀ちっちゃい子供です
生まれてたかどうかもわかんない時分です
明智は一族が生き残れるよう、道三に那々姫(濃姫のお母さん)を差し出します
那々姫を気に入った道三は、明智に城を安堵します
これが概ね正しいようです
なんて言うか、歴史の本を出す人って、全く調べもしないで適当なことを書くのが多いです
それで金儲けしようってんだから、詐欺商法みたいなもんです

信長が桶狭間で義元の首を取った後、逃げるように清洲に帰ります
ずっとその場にいたら、返り討ちに遭うからです
戦場には義元の息子も居ます
その息子が指揮権を握ったら、数千人の兵しか連れてなかった信長に勝ち目があるわけない
大将首取られても、こっちも取り返せば結局痛み分けで済みますから、後は和議に持ち込んで戦は後日改めてという感じです
テレビや映画でやってるような、激しい激闘なんて滅多にありません
まぁ、強いて言うなら剣道の試合みたいなもんでしょうか
剣道の試合、見たことないんですけどね・・・
数千人しか連れてないと言っても、信長はそもそも『当たって砕けろ』の精神で、単独で桶狭間に向かったんですよね
一人でですよ
その後を、慌てて馬廻り衆(親衛隊)が追い駆けて、その様子にまたまた慌てて家臣達が着いて行きます
清洲に集まったのは5000人程度だったらしいし、信長自身「行こうかなぁ、もうちょっと待ってみようかなぁ」なんて、決めかねてたんじゃないでしょうか
現に『敦盛』を6回も歌ってて、その本音は「誰か止めてよぉ」ってのじゃないでしょうか
信長は決して勇敢な男ではなかったのですよね
桶狭間で義元の首を取る間、信長は何度となく今川に攻められ、同盟組んでた斎藤は道三の死によって破棄され、孤立無援にも近い状態でした
尾張統一と言っても、完全に掌握してたわけではありません
粘り強さで耐え忍び、相手が疲れて帰るまで待ってるタイプでした
さて、そんな信長と引き合いに出すのにもってこいな相手が居ます
それは、信長が攻め滅ぼした浅井家当主、浅井長政
妹お市さんの旦那さんです
長政のおじいちゃん亮政は一代で東近江に浅井家を確立させます
大抵は親子何代かに渡って領地を得るものなんですが
現に斎藤道三も、一代で美濃の国主になったと伝えられてますが、道三の父親の時代から既にある程度の地位は確立されてましたので、道三は正確には武家の息子なのです
道三のお父さんは、まぁ、上手く説明できないんですが安国寺恵瓊みたいなものかな
坊さんであり軍師であり武将でありみたいな?
ちょっと違うかな
まぁそれは置いといて、信長が夏に桶狭間を敢行した同じ年の秋(だったと思う・・・)長政は僅か15歳の初陣を勝利で納めました
尾張と近江は隣同士
信長は相当、この長政と比べられたそうです
だって、桶狭間で義元の首を取ったって、今川の領地を得ることはできなかったんですから
今川の領地をもぎ取ったのは、徳川家康です
ですので、信長は家康の居る東側には勢力を伸ばすことはできませんでした
精々、朝倉から奪った越前まで
その隣は越後の竜・上杉謙信が居るのですから、将棋の駒を進めることは無理でした
更には武田を滅ぼしても、信濃は信長のものにはなりませんでした
信長の版図は生まれ故郷である尾張、妻の故郷であり、ぶっちゃけ『棚から牡丹餅』で手に入った美濃、戦の苦手な朝倉からもぎ取った越前、長政を自害させて得た近江と、本願寺を追い出して宅地開発途中でほったらかされてた摂津のみ
大和、紀伊にはそれぞれ大名がいるので、信長の所有地と言うわけではありません
まぁ、同盟は組んでたでしょうね
伊勢・伊賀も信長の版図だったのかどうか
ここは多分、手付かずのままだったんじゃないかな
そんな感じで、信長は『天下布武』を翻したがために天下人と言うイメージが持たれてますが、信長が天下を取ったわけじゃありません
四国は長宗我部が納めており、中国地方は毛利が抑えてます
その毛利との戦いの最中に本能寺の変が起きるのですが、信長は気が大きくなっていたのかどこか一つに的を絞って戦うということをしなかったんでしょうね
日本のど真ん中・東海地方の悲しさ所以
中途半端な場所にあるから、どっちつかず
中部に手を出しーの、四国に手を出しーの、越後(謙信が死んだので怖いものはなかったのかも)に出を出しーの
まるで摘み食い状態
これじゃぁ戦力を何処に搾れば良いのかわからないし、本能寺の変が起きなくても信長は中部で死んでると思います
こうしてみて見ると、信長は戦略下手のようです
勝った戦はどれも弱者相手(一揆などの鎮圧)
寡兵に大軍で攻め込む小心者
さぞや濃姫も恥ずかしかっただろう
背後に敵を残したまま、正面からも敵に突っ込む
これぞ正しく背水の陣
信長は真性Mなんですね
そんな、「死ぬまでうつけ者」の信長と良く比べられていた長政
おじいちゃんは近江の英雄、お父さんは戦嫌いだけど内政手腕は優れていた文化人
その両方の遺伝子を受け継ぐ長政が、凡人なわけがない
お父さんの代で浅井は六角佐々木に支配されてしまいますが、その六角から強制的に送られた花嫁に手も付けず、そのまま丁重にお返しします
15歳の時でした
花嫁は六角の家臣の娘で、世間的には「浅井は六角の傘下に下った」と言うイメージを植え付けたかったようです
これを猛烈に反発したのが、勇敢なる近江武士達
六角の要求を素直に飲む久政にクーデターを起します
決起人は赤尾・遠藤両名だと言われてます
どちらも長政の守役
長政を自分達の手で教育し、文句の付け所のない少年に育て上げました
一般教育から、亮政より受け継いだ兵法など、余すとこなく注ぎ込んだのではないでしょうか
かくして長政は父を竹生島に幽閉し、その間に六角に奪われた旧領を取り返します
初陣で六角を叩き潰し、その後は勢いに乗じて奪われ続けた土地を取り返し、周囲が自分を認めてくれるようになったところで、父を小谷に呼び戻します
なんて親孝行
武田信玄とは大違い
信長と長政はほぼ10歳違い
信長が15歳の時は濃姫を妻に迎え、毎日がバラ色
対して長政は押し付けられた妻を丁重にお返しして、領地もお返しいただく戦ぶり
史料は少ないですが、長政が唯一負けた戦が姉川です
姉川の敗北から、長政は秀吉の調略に遭い、守城の全てを失います
だけど男としての誇りだけは、最期まで守り抜いた
家を守るため、家康は信長に命令されるまま妻子を殺害
それが当時では「しょうがない」の一言で片付けられる
なのに長政は、いきなり攻め込まれた同盟国・越前を守るため義兄に立ち向かう
自分達のために長政が立ち上がったのに越前は、長政が攻められても応援よこすのが、遅い、遅い
この頃信長は周囲を敵にぐるりと囲まれた時期だったので、本気出せば倒せた相手なのに、それでも長政は敗れます
死ぬ直前まで、家臣達に「次の奉公先が見付かるように」と紹介状まで書いて
結局、自分のことしか考えられなかった信長と、最期まで他人に気遣えた長政は根本から何かが違うように思います
お市さんをもらうまで長政は戦続きな人生でしたが、嫁と姑の関係も良好で、この時代には珍しい円満家族のようです
長政の生母・阿古は、信長に捕らえられて惨殺されたという説と、自害したと言う説があります
信長に惨殺されたのだとしたらきっと信長は、自分の母と長政の母を比べたでしょうね
自分の母親も、こんな風に慈愛に満ちた女性だったなら・・・と
長政の人生は28年で終わりましたが、誰よりも幸福な28年ではなかったでしょうか
父に愛され、母に愛され、家臣に愛され、妻に愛され、子に愛され
だから長政は、守るべきものを見失わず人生を真っ当できたのだと思います
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おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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(二本セットの画像)
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本醸造 濃姫
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吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です

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お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
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濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます

清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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