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濃姫擁護しか頭にないHaruhiが運営しております / Haruhiの脳内のおよそ98%は濃姫でできております / 生駒派はReturn to the back.



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静かな昼下がり
この尼寺に預けた妻の容態も、日を追うごとに良くなって来ている
「随分、顔色が良くなってる」
「とても大事にしていただているので」
支えるように側に立った妻の煕子が応える
ほっと安堵する光秀の背中に、義叔母のしきの声が掛かった
「十兵衛」
          突然、お邪魔しまして」
「奥方に逢うのに、何を遠慮しているの」
しきは相変わらず、厳しい中に一輪の美しさを覗わせるような微笑を浮かべた
その表情に聳り立つ
「話があるって?」
「はい」
「いらっしゃい」
         
しきに一礼、妻の煕子の肩を片手で少しだけ抱き、手放す
そして、しきの導くまま応接間に入った

自分の運命はこの時、決まっていたのかも知れない
自分の手で自分の運命を決めた
それは武士として幸せなのか、人間として不幸せなのか、光秀にはわからない
わからないまま、激動の時代に自ら飛び込んだ
誰を真似たのか
それもまた、わからないままであった

お七を着けて辿り着いた先は、清洲にある、一宮へと続く宿場町であった
家からはそう遠くない
その宿場町の一軒の酒場にお七は入った
          酒でも、飲む・・・のかな」
「まさか。そんな余裕があるような暮らし振りには見えんぞ」
「まあ・・・」
帰蝶の言うことも最もだと、利家は気を取り直して酒場の入り口を見る
さっき入ったばかりのお七が出て来て、それまで引っ掛けていた暖簾を外し、別の暖簾を揚げ直した
「え?ここの女将なんですかね」
「知らん。店を出していたら、お能も知っているはずだ」
「そうか・・・」
「ここでぐちぐち言っていても始まらん。犬千代、入るぞ」
「え?!入るって、と、殿!銭は持ってるんですか?」
「持ってるわけがないだろ?」
          俺持ちですか・・・?」
「不服なのか?」
「いえ・・・」
勝家から知行をもらっているとは言え、高給取りでもない
帰蝶に奢ってやれるほどの銭も持ち合わせていない
どうしたものかと途方に暮れている間に、帰蝶がさっさと店に入ってしまう
「とっ、殿っ!」
利家は慌てて後を追った

「いらっしゃーい!」
店の中は随分と暗かった
贅沢に油を使えないためか、小さな行灯が店の中央と四隅に置かれているだけで、手元を見るのが精一杯である
酣と言ったところで、随分と客が入っているように想えた
軽く目視だけでも十五は軽く超える
宿場町だとしても、この時分になってもこれだけ人が居ることが信じられない
いつもなら寝ている頃に起きているのも不思議な感覚だが、酒場の雰囲気にも圧倒されそうになる
「お二人さんですか?」
綺麗に化粧をした女が盆を片手に声を掛ける
「あ、えっと、そう」
おどおどする利家など構いなく、帰蝶はさっさと席に着いた
「あっ・・・、とっ」
こんな場所で帰蝶を『殿』と呼ぶわけにも行かず、利家は口を自分の手で押さえ後を追う
多くの男達が賑やかに騒ぎ、蒸れたその体臭がむっと鼻を突く
「殿、大丈夫ですか?」
利家は帰蝶を心配して小声で聞いた
「大事無い」
「殿はこう言うとこは、初めてじゃ?」
「昼間の酒場なら、那古野時代、吉法師様と何度も通った」
昼からほろ酔い気分で城に帰り、何度、なつに雷を落とされたことかと懐かしく想い返すも、今は笑っていられる状況ではない
周囲の様子を見ていれば、この酒場がどんな商売をしているのかよくわかる
昼は蕎麦を打ちながら酒を出す店も、夜になれば蕎麦以外の物を出して客を取る
多かれ少なかれ宿場にある酒場とは、そう言った生業を行っているものだ
今更顔を赤らめる必要もない
「いらっしゃい。お二人さん、初めてね。尾張の人?」
「え、あー・・・」
席にやって来た女を見上げ、利家は頬を染めながら応えようとする
最も、女の目線は美目麗しい若侍の、帰蝶を一点集中ではあるが
「尾張出身だが、清洲は初めてだ」
「まあ、そうなの」
「え?」
帰蝶の発言に、利家は目を丸くさせる
「どこの生まれ?」
          那古野だ」
「まあ、那古野!私も那古野出身なのよ。もしかしたら、どこかで逢っているかも知れないわね」
「そなたのように美しい女と擦れ違ったら忘れることなどないだろうが、生憎その気配もなさそうだ。那古野は広いからな」
「まあ、そうね、うふふ」
帰蝶の誉め言葉に気を良くしたのか、女はそれ以上詮索しようとしなかった
「酒と蕎麦饅頭をもらおうか」
「はあい」
気を良くしたまま、女はそそくさと厨房に入る
          殿」
「なんだ」
「殿って、『女殺し』の名人ですね」
「なんだ、その言い草は」
呆れたような顔をする利家に、少しムッとする
「だって、あんな歯が浮くような言葉、よく出るもので」
「そうか?なつは大抵、それで大人しくなるぞ?」
          ああ、局処で身に付けた処世術ですか・・・」
『女』だから『女の扱い』が上手いわけではなく、否応なく身に付けた能力かと想った
しばらくすると酒の入った徳利と盃、蕎麦粉と米粉を混ぜて焼いた饅頭が皿に盛られ運ばれた
二人で酒を酌み交わしながら店内の様子を伺う
「それにしても殿、随分酒に強くなられましたね」
女が客の男に話し掛ける光景が見えた
「年季が入っているからな」
話し掛けられた男が応える
「そう言うもんですか?」
女が耳元で何かを囁いた
「お前こそ、酒に関しては底なしだと聞いているが?」
『商談』が成立したのか、男が席を立ち女の肩を抱く
「まあ、それも最近じゃあ大人しくなりましたけどね。酒飲んでる場合じゃなかったし」
逐電時代のことを話しているのか
帰蝶は何も言わなかった
ただ黙って、その光景を見詰めている
女に誘われた男が店の奥に行く
その手間で年配の女が出て来た
男は年配の女に財布から銭を出し、手渡す
受け取った女は顔をしわくちゃにして喜び、二人を奥に案内した
「犬千代」
「はい」
「ここは引き込みの傾城(女郎)屋か?」
「いや、そう言う類じゃないでしょう。だったら表で呼び込みしてるでしょうから」
「だが、その『商売』をしているのは間違いないだろうな」
「でしょうね。ここだけじゃなく、宿場町ってのは多かれ少なかれ、そう言う商売やってますし。特に中山道の辺りは随分賑わってるって聞きますけど」
「そうだな」
「帰りますか?」
「それじゃあ、ここまで来た意味がない」
「でも、もし殿に声が掛かったら」
「断ればいいだけだ」
「そうしたら、稚児が来ますよ?女に興味がないのかって」
                

お七もここで、そう言った商売をしているのだろうか
それで子供を養っているのか
お能が泣いていたのは、自分の亭主の妾が女郎をやっていると知ったからか
いや
お七がここで躰を売っていると決め付けるのは、早計かも知れない
その証拠をまだ見ていない
「犬千代」
「はい」
「もし、お前に声が掛かったら、迷わず行け」
「え?」
瞬間、利家の鼻の下が伸びる
「やー、でも俺、そこまで持ち合わせてませんし・・・」
「後で支払ってやる。足りなくとも甚目屋まで走れば、少しは貸してくれるだろう」
「えー、そうですかぁ?でもぉー・・・、いやぁー・・・、殿の命令だったら仕方ありませんけど、俺、世慣れしてませんしぃ・・・」
顔を赤らめながらも満更ではない様子の利家に、帰蝶の頭から汗が浮かぶ
「貴様な、それが墨俣で売り女(め)を何人も『潰した』男の取る態度か?あのお陰で、どれだけの賠償金を支払われたと想ってるんだ。加納の砦はみな親切だったのに、墨俣には獣が居たと嫌味を言われた私の気持ちを、今説明してやろうか?」
          すみません、浮かれました」

妻と子を三河に連れて来たまでは良かったが、その後の始末が悪かった
元康は元々血色の良かった顔色が、ここのところ土気色に近い色に染まっていることが多い
まさか今川に乗じて武田まで動くとは想っていなかった
三河の国境を超え、岡崎城に連れて行こうとした矢先の騒動も、元康の心を曇らせる

「三河超えッ!」
無事に入れたことを、数正の声が知らせる
                
ほっとした瞬間、後ろで武田と織田の援軍が争っているのを知った
「松平殿はお気になさらず、お入りください!」
可近の知らせに元康は妻子の安否を確保しつつ、岡崎に向かう
だが、少数の金森隊で食い止められれるほど、甲斐の武田は易くはない
金森隊が蹴散らされ、武田の触手が松平に差し掛かろうとした瞬間、正面から別の軍勢が攻めて来た
「挟まれた・・・か・・・」
その軍勢の勢いは、遠目から見ても止められるような弱いものではない
軍旗を揚げていないので、どこの兵士かもわからない
「殿ッ!」
先頭を行っていた数正が元康の許へ馬を走らせた
「岡崎城を迂回ッ、安生寺に向かいます!」
「安生寺・・・?」
安生寺は岡崎城に近い場所にある寺だが、近所と言うわけでもない
その寺は元康の父が保護していた寺だった
「殿!」
数正より少し遅れて、忠次も駆け付ける
「奥方様と若様方を、一旦寺に入れます!」
安生寺行きを決めたのは、この忠次かと感じた
この時の元康は、愛鷹らの安全を確保するための作戦なのだと信じて疑わなかった
「正面ッ!織田軍、到着ッ!」
「え・・・?」
元康に併走していた平八郎に声を掛けるかのように、忠次は叫んだ
その声を聞き、目の前に居るのは敵ではなく、帰蝶の寄越してくれた援軍だと知る
          御母様・・・ッ」
「道を開けろッ!」
松平軍の中央を、弥三郎の率いる織田軍斬り込み部隊が一陣の風のように、駆け抜ける
それは、一瞬の出来事だった

黙り込んでいる帰蝶を見詰める利家に、店の女が声を掛けて来た
「お兄さん、何かご用はない?」
「え?」
驚いて見上げると、随分膏(あぶら)の乗りもいい感じの年増女が微笑みながら自分を見ていた
溢れんばかりの色気に、軽い目眩を感じる
「疲れているところがあったら、按摩でもしてあげるけど」
「あ、でも・・・」
「そちらのお兄さんは、どう?」
ちらりと帰蝶を見る
「私は間に合っている。犬千代、お前だけでも世話になれ」
「え?良いんですか?」
訊ねてはみるものの、利家の本心は既に決まっていた
「行って来い」
「そ、それじゃあ・・・」
伸ばせるだけ鼻の下を伸ばし、席を立つ
そんな利家に帰蝶は、一言だけ告げる
「但し、『目的』を忘れるな?」
心の蔵を抉るほど、想い切り睨み付けながら
                
利家は青い顔をしながら、年増女の後に着いた
これまでざっと店の中を眺めてみたが、それらしい女は見ていない
直接顔を合わせたことはないので、お能から聞かされている人相と、名前だけが頼りだが、該当する者はここにはいない
そうなると、既に『商売』を始めているか、別の理由があるのか
利家が階段があるのだろうと想える奥に消えて行くのを気にも留めず、帰蝶は薄暗い店内を見渡した
ここは自分がこれまで見たこともない世界が広がっている
昼間が『善』なら、夜は『悪』なのか
ずっと昔、死んだ義叔父に言われた言葉を想い出す
「お前は、綺麗な世界しか見ていない」
寒気がするような人間の煩悩と、男と女の吐き出す息に巻かれ、目眩を起こしそうになる
          義叔父上様
私は、まだまだでしょうか

何人もの人間をこの手で殺しても、私はまだ汚れることができないのでしょうか
この世の理を理解するのは、まだまだなのでしょうか

          お侍様」
考え事をしている帰蝶に、話し掛ける者が居た
『深く考えている』ことをしていない帰蝶には、その声は容易に届く
                
見上げると、まだ幼い娘、年の頃は十三か十四だろうか、あどけない少女が立っていた
「何かご用は、ありませんか?」
                
ほんの少しだけ、目が見開かれる
こんな年端も行かない子供までもが、身を売っているのか
想像しただけで、愕然とする
「あの・・・」
自分を見上げ、ぼうっとしている若侍に、少女は尻込みした
綺麗な顔立ちの『青年』に見詰められていると勘違いをして
「ご用は、ありませんか・・・?」
消え去りそうな小さな声で再び訊ねる
帰蝶は応えられず、ただ黙ってじっと少女を見ていた
余りにも強く見詰められているからか、少女は他の席に行こうとぺこりと頭を下げ、その場を離れた
そんな少女を見ているしかない自分が、歯痒い
すると、少女の手首を掴んで話し掛ける中年の、無精髭の男の姿が目に映る
帰蝶は慌てて少女の後を追い、男が掴んでいない方の手首を自分も握った
          あの・・・」
                
それで、どうするのか
何ができるのか
こうやって身の上に不幸を背負う者を一人一人、救済して回るのか
そんな余裕がどこにあるのか
自分でも解けぬ疑問に、帰蝶はただ黙って、少女の手首を掴んでいるしかなかった
「おい、にーちゃん。おめぇもこの子に用があるのか?」
                
「残念だけど、早い者勝ちだ。その手を離しな」
                
「あの・・・」
少女が自分を見詰める
その視線に気付き、帰蝶は慌てて手を離した
「なんでぇ、気取りやがって。田舎侍が」
言い放った男の周りで、帰蝶を嘲笑う声が上がる
                
帰蝶は何も言い返せず、男に連れられる少女を見送るしかなかった
これが、現実か
自分は今もまだ、無力なのか
男の毒牙に掛かりゆく少女一人、救えないのか
自分はどこまでも、無力なのか
                
気が、遠くなりそうな想いをする
帰蝶はふらふらと歩き、店を出ようとした
その帰蝶にぶつかる女が居た
「あっ、ごめんなさい!」
両手に大きな盆を持った、年増の女だった
「お怪我はありませんか?」
          いや・・・」
「すみません、ぼやっとしていて」
派手な着物は着ていない
商売女ではないのだろう
いや
その女は、お七の家から出て来た女と同じ着物を着ている
つまりそれは、お七だった
「お着物も汚れていないようで、良かったです」
ほっとした顔をしているお七を、帰蝶は黙って見下ろした
ふと、想い浮かべる
この頃の女はみな、これくらいの背丈であった
なつも市弥も、並べば自分の胸元より若干下に頭が来る
どれだけ自分が女として異質なのか、それだけで想い知らされた
「あの・・・」
          不躾なことを伺うが、そなたがお七殿か?」
「え?私をご存知で?」
お七はキョトンとして帰蝶を見上げた
「あの・・・、私、厨房にばかり居るんですが、どこで私のことをお知りに?」
その質問は当然だった
「いや・・・」
言い訳を考えていなかった帰蝶には、その問いに答えるのは難しい
「少し話がしたいのだが」
「え?」
お七は帰蝶の誘いに目を丸くした
自分のどこが気に入ったのか、と
確かに、今の生活振りがそう見せているのか、随分とみすぼらしい顔立ちであった
どこかやつれた雰囲気もあり、肌も老け込んだようにくすんでいた
例えるなら、まるで亡霊のような様相だ
何某か屋敷の片隅で、霞のように佇んでいてもおかしくない
成る程、これでは表に出て客を捕まえるのも困難なことだろう
だから台所に居るのだと想った
時親はお七のどこに惹かれたのだろうか、と
素直にそんな疑問が浮かぶ
お能の肩書きが時親を狂わせたことは聞いている
しかし、それでも清楚ながら妖艶な妻を置いて走りたくなる女ではない
贔屓目を抜いたとしても、自分だったら迷わずお能を選ぶ
なのに時親は、この女に入れ込んでいた
一体、どこが良くて、と考えると、どうしてもお七の人となりを知りたくなる
夫が残した言葉、「物の本質を知るには、本来の姿を見なきゃ意味がない」
それを今も忠実に守ろうとしている
お七はお七で自分の容姿をよくわかっているのか、目の前に立つ長身の、その上優美な顔をした若侍は、何を狂って自分などに話し掛けるのだろうと、不思議でならなかった
声を掛ける女なら、他にも居るだろう
「あの・・・、私、で?」
誘いの言葉を確かめようと聞き返し、それが周囲からは愚図愚図しているように見えたのか
奥の部屋の出入り口を固めていた女が叫ぶ
「お七!何やってるんだい!」
          す、すみません、今すぐ戻ります」
「そうじゃないよ」
と、女はつかつかと歩き出し、二人の居るところまで寄った
「何考えてるんだい?お客様をさっさと案内しないか」
「え?」
「お侍様、この子、まだ清洲に馴れてなくて。土臭い田舎者の不躾で不愉快な想いをさせてしまって、相すみません」
何本か歯が抜けている、とてもではないが綺麗とは言い難い顔をくしゃくしゃにして、『商売用』の笑顔を浮かべる
様子からして、この店の主人
つまり、『内儀』(おかみ)かと、帰蝶は想った
「いや」
この女は、自分をどう見ているのか
帰蝶にはわかる筈もない
世の中には変わった趣味の男が居る
目の前の別嬪には目も呉れず、遠く離れた醜女、例えば容姿の悪い女や、醜く肥え太った女、逆に骨だけのような骸骨女に劣情を感じる者も居る
こう言った商売を長くやっていると、人には説明しにくいようなおかしな趣向を持つ人間と、たまに出くわすものである
この、すらりと背の高い貴公子もその類なのだろうと、軽く考えていた
「ほれぇー、いつまでお客様を立たせたままにしてるつもりだい。早くご案内しなっ」
「えっ・・・?」
店主(内儀)と想われる女が、帰蝶とお七の背中を同時に押し、奥の部屋に向かわせようと催促する
帰蝶は押されるがまま歩き、お七は抵抗しながら先に進む
「あっ、あのっ、私っ、そう言うことはできないと、初めに言ってる筈ですけどっ・・・!」
「煩いね。今月のお給金、弾んでやるから、文句言わないでさっさと歩きなっ!」
                
『金』はいつでも人間を黙らせる力がある
その力に抵抗できる者は少ない
黙り込み、さっきよりは抵抗する力も抜けたお七を、帰蝶は見下ろした
高潔だった夫は金に勝てず、長い間、清洲大和守織田のいいようにされていた
出家して間もない弟も、金の力で高僧に上り詰めた
『金』は誰をも動かす力がある
それを今、想い知らされた
「ところでお侍様」
と、女が帰蝶に話し掛ける
話し掛けられ、後ろを向いた帰蝶にこう告げた
「お代は、前払いでお願いしてるんですが」
「ああ、それなら」

「お邪魔しますよ」
と、突然声がした
『事』に及んでいる利家には随分間が空いてから耳に届いた
当然、その声を理解するのにも手間が掛かった
「開けますね~」
そう、間延びした声がしたかと想うと、みずぼらしい襖がいきなり開けられ、入る前に金を手渡した女が立っていた
「すみませんが、お代を」
「え?」
年増女に激しく前後に振っている腰が止められない
「お連れさんの分も頂戴いたします」
          殿・・・」
腰の動きは止められないが、涙は出そうな想いをする利家であった
女がずかずかと部屋に入り、脱ぎ捨てた小袖を掴んで目の前で財布を抜き出す
それを『止められない』のだから
「それじゃあ、確かに頂戴しましたよ」
と、男女の行為に興味も示さず、取るものを取ったらさっさと出て行こうとする
しかし、ふと立ち止まり、小さく呟く
          図体は、でかいのに・・・」
                
心なしか、嘲笑しているかのように見える
益々泣きたくなる利家であった

「それじゃあ、ごゆっくり」
利家から代金を徴収し、ほくほくした顔で帰蝶とお七を見送り、店主はそそくさと持ち場に戻って行った
残された帰蝶は自分の手で粗末な襖を開ける
部屋の中も粗末なものだった
土壁はところどころ綻び、中の竹骨が剥き出している部分もある
手にした襖も穴が開いており、予め敷かれている布団は染みだらけ
とてもではないが、この雰囲気の中、秘め事を交わす気にはなれない
その布団の上におどおどとお七が進む
「酒でも頼むか」
                
声を掛ける帰蝶に向かい、お七はガバッと蹲ると、布団に額を擦り付けて土下座した
「どうした」
          すみませんっ!ごめんなさいっ!」
「何を詫びている」
「わっ、私なんかを見初めていただけたのは、とても光栄に想います・・・!お侍様のようなお美しい方なら、こんな場末な飲み屋の女よりも、京の島原辺りの綺麗な太夫の方がお似合いでしょうに、なのに、こっ、こんな私なんかを・・・!でもッ」
布団に重ねた、ささくれだらけの指先が震えていた
「ごめんなさい・・・ッ!私、お侍様のお相手は、できません・・・ッ!」
「お七殿」
「できないんです・・・・・ッ」
                
真摯に謝罪するお七の頭の先に膝を落とし、帰蝶は訊ねた
「心に決めた男が、居るのか?」
                
少し間が空き、お七は震える声で応えた
          はい」
「だから、男を取る仕事ではなく、台所の仕事を選んだのか?」
          お給金は下がりますけど、それでも昼間の仕事より良いお金になるので・・・」
そろそろと顔を上げたお七は、頼りなくも微笑んでいた
みずほらしい着物に、みすぼらしい容姿
やつれた頬が少し上がり、それは、慈愛に満ちた微笑だった
『なつ』と同じ、微笑だった
                
心が安堵する
「お話・・・のお相手なら・・・。でも、不満ですよね・・・、ごめんなさい・・・。申し訳ございません・・・」
「謝る必要は、ない」
                
『若侍』の、余りにも美しい微笑みに、お七は目頭の上の眉を吊り上げて戸惑った
「初めから申している通り、私はそなたと話がしたくて声を掛けた」
「あの・・・。          そう言えば、どこで私のことをお知りに?」
「そなた、子はどうした。居るのか?」
「あ・・・、あの・・・」
自分の質問を置いてけぼりに、聞きたいことを訊ねる帰蝶に困惑しながら正直に答えた
「居ま・・・す。兄に、弟を見させて、それで」
「子は、二人か」
「はい」
「二人の子を置いて、母親は夜半に仕事に出掛けているのか」
「昼間の仕事は、中々いいのがなくて・・・。それに、家の維持費も掛かりますから・・・」
「家?」
「清洲の商店街の近くで、結構いいとこの人が多く住んでるんです。ですから、税金が掛かって・・・」
「そうか、税が掛かるのか」
「地価は安いんです、元々。だけどここのところ、清洲が急に開けたものだから、他の地方からも人が来るようになって、それで土地代だけどんどん上がってしまって・・・」
「どうしてだ。人が増えれば、逆に土地代は安くなるものだろう?」
「それが、人が増え過ぎて、住む場所がなくなってしまう現象が起きているんです。それで、金のない人間を追い出そうと地主が・・・」
「そうか、そう言う事情があったか」
類に違わずどこの土地にも税は掛かる
その税収は全て、帰蝶の束ねる、『領主』である織田の懐に入る
採れた米だけが『年貢』ではない
故に、大黒柱を失ったお能に対して帰蝶は、納税を必要としない『安堵』を保障した
時親の屋敷も、それ相応の税金の掛かる地域に住んでいるのだから、お能の稼ぎだけでは到底払えるものではない
ここ清洲は、織田の直轄の領地である
帰蝶の勝手でいくらでも無税を言い渡せる地域であった
だからと言って、このお七にも同じことはできない
それではお能の折角の『申し出』を無碍にすることになるのだから
「昼間の仕事じゃ追い付かなくて、それで・・・」
「子を残して、賃金の良い夜に働きに?」
「そうです」
「子はさぞかし、心細かろう」
          だけど、生きて行くには仕方がないことです」
「ご亭主は、どうした」
知っていながら聞いてみる
お七は帰蝶の思惑に気付かず、これも素直に応えた
「居ません。          死にました」
「そうか」
「それに私、正妻じゃないんです」
「え?」
困ったような、泣き出しそうな、そんな顔をして笑う
「あの人には、綺麗で立派な正妻さんが居て、私なんか足元にも及ばなくて・・・。だけど、私はあの人を」
お七のその心の奥に今もまだ生き続ける時親が、帰蝶に微笑む
「今も、大切に想ってます」
                
お七の気持ちが理解できる
尚、胸が痛んだ
「だから、あの人から授かった子供だけは、立派に育てたいんです。・・・そりゃ、着る物には困ってる生活はしてますけど、それでも、「お腹空いた」なんてこれまで一度も、言わせたことがないんですよ」
そう、小さく自慢するかのように、また、微笑んでみせる
この飾り気のないところが、時親の心を掴んだのか
「そうか。女手一つで、苦労しているのだな」
「苦労なんて、私、してません」
                
お七の言葉に、帰蝶はキョトンとした
贅沢な暮らしをしているわけでもなく、自身、こんな夜更けにまで働きに出ている
それでも、苦労ではないと言い切った
「どうして、そう言える。養ってくれる者もおらんのだろう?」
「だけど、子供が居ます」
                
その一言に、帰蝶は言葉を失った
「あの人が残してくれた子供が居ます。だから私は、生きられる」
「お七殿・・・」
それを言い切るお七の表情が、何にも換えられないほど輝いていた
「あの子を大きくすることが、私の生きる目標になってます。だから私は、どんなことにも耐えられる」
すらすらとそう断言するお七は、子煩悩なのかと感じる
「ならば、尚更、子を家に置いて出るのは忍びなかろう?」
帰蝶の質問に、お七は苦笑いしながら答えた
「今も心配ですよ。ちゃんと寝てるだろうか、とか、起き出して、私を探しに表に出てないか、とか、色々。でもね、あの子達にひもじい想いはさせたくないんです」
「そうか。子が居れば、そなたはどこででも生きられる。世間の厳しい目など、気にもしない。そう言った心積もりがあるのだな?」
「そう・・・、ですね。ええ。あの子が居れば、私はそれだけで」
「二人、子が居ると言ったな」
「ええ、はい」
「そのどちらも大事か?」
                
少し考え、それから、辿るように言葉を紡ぐ
「あの人の子は、末の子だけです。上の子は、別の・・・。昔の亭主の子です」
「そのご亭主はどうした」
「戦で死にました」
「そなたが大事だと言っていた男は」
「その人も、戦で死にました」
それから、吹っ切るかのようにお七は笑った
「私、どの亭主もみんな、戦で亡くしてるんです。ああ、最初の亭主は、痴話喧嘩で死にました」
「と言うことは、亭主は二人で、大事な人は一人か」
「そう、なりますね。          無節操な女でしょう?自分でも呆れてしまいます」
「いや」
お七が二人の男の許に嫁いだ理由は、時親から聞かされている
特に気にするような内容でもなかった
「あの人の子は、確かに末の子だけです。でも、だからって子供に順番なんか付けられません。どの子も私が、お腹を痛めて産んだ子です。どっちも可愛いに決まってます」
「そうか」
「それ・・・に、あの人は自分の子だから、子じゃないからって、差別するようなことはしませんでした。どっちの子も大事にしてくれました。可愛がってくれました。だから兄は弟を苛めたりしません。ちゃんと、私の代わりに面倒を見てくれてます。私が寝ている間のことは、わかりませんけど・・・」
と、最後には苦笑いを浮かべる
その表情に、帰蝶も薄笑いを浮かべた
『子を想う親の気持ち』は、痛いほどわかるから・・・
「頼もしい親や兄を持って、幸せだな、平次は」
                 ?」
一瞬、目を見開く
          お侍様・・・、どうして、平次の名を・・・」
粗末な口唇が震える
震えながら訊ねた
この若侍は、一体何者なのか
今になって大きな疑問が背中から圧し掛かり、お七を潰しそうになった
そんなお七に膝を正し、帰蝶は改めて告げた
「土田平三郎時親の遺言に則り、そなたら親子を迎えに参った」
「え?」
「平三郎はそなたら親子の身を案じながら死んだ。その想いを遂げるため、ここに来た」
「お侍・・・」
「平三郎正妻、土田能の嘆願により、本日よりそなたら親子は私が面倒を見る」
「え・・・?え?」
突然のことに、お七の頭は混乱を極める
何がなんだかわからない顔をして、帰蝶を見詰めた
「お侍様は、一体・・・」
「私は、尾張清洲領主、織田上総介である」
                 ッ!」
息が止まる想いがする
言葉が出て来ない
時親が織田の家臣であることは知っている
その主人が信長であることも知っている
だが、目の前に居るこんなにも若い侍が、その『信長』であることは想像を遥かに超え、理解できなかった
まさか、と言う想いばかりが巡る
大きく瞼を開き、黙り込むお七に帰蝶は苦笑いした
「どうすれば、信じられる」
                
「お能が、お前を心配している」
          嘘・・・」
「嘘じゃない」
「嘘・・・よ・・・。だってあたしは、あの人から夫を・・・」
「『盗った』と、想い込んでいるか」
                
「笑わせるな。あの二人の絆は、お前が入り込んだところで切れるような簡単なものではない」
          そ・・・」
「だが、妻とは別の場所でお前を大事に想っていたことも、事実だ」
                
無慈悲に残酷な現実を突き付ける次には、包み込むような暖かい希望を持たせる
この、『信長』と言う人物は、人の心を簡単に操ってしまうような、そんな印象を持たせた
          私・・・」
「お能が、安心して子を育てられる環境に居られるよう、配慮してくれと泣いて頼んだ」
「え・・・?あの人・・・が・・・?」
その言葉も、簡単には信じられない
時親の葬儀には、修羅場を演じて見せたのだから
「平三郎は清洲を守る盾となって死んだ。それに報いたい。お七」
「はっ、はい・・・」
「清洲城に来る心積もりはないか」
「え?お城に?」
「勿論、それ相応の立場を保障するとは言い切れない。私自身、お前が海のものか山のものかもわからん。私の役に立つか立たないかも、だ」
                
その通りだな、と、厳しくも確かな事実を口にする『信長』の清々しさに感心する
「お前の身の上は、お能に一任する」
「え?」
「お能は清洲城南殿局処の局長をやっている。つまり、局処で頂点に立つ者だ。覚えめでたく行けば、お前の一生は安泰だろう」
          だと、良いんですけどね」
そう、苦笑いする
「簡単には行かぬか」
「だって私、恋慕したんですよ?」
「だが、その当時は平三郎に妻子が居ることを知らんかったのだろう?」
「知っていようが知ってなかろうが、私はそう言う立場に居た女です。それは変わりません。妾が本妻の世話になるには、それに相応した報いが来ます」
「その覚悟は持てんか」
帰蝶の言葉に一瞬笑い、それから胸を張って応える
「覚悟?覚悟がなけりゃ、あの子を育てようなんて気にはなりませんよ」
「お七」
「どれだけ頑張ったって、私は本妻になんかなれない。わかってる。あの人は肩書きで女を選ぶ人じゃない。わかってる、だから、私は・・・」
好きになった
その言葉を告げず、飲み込む
一人の胸に仕舞いこんでおきたい想いなれば、尚のこと
「それでも良いと想いました。だから、清洲で暮らす決心をしました。あの人が死んだ後も、あの人の暮らした町を出て行きたくなかった。あの人の買い与えてくれた家を守ることが、あの人の想いに応えることだと信じてました。だから私は、この清洲に、石にしがみついてでも居残ってやるって決心したんです」
「それで、この仕事を」
「織田様。女が一人、虚勢を張って生きて行くには、何をするにも覚悟が必要なんです。誰も助けてなんかくれないんです。助けてくれるのは、その人が『力』を持っているからなんです。何も持っていない人間を助けてやろうなんて、そんな夢物語みたいな話は、この世には存在しないんです」
「では、城に来るか?お前がそこで力を付けたなら、いくらでも助けてくれる人間が作れる。どうだ」
呼び掛ける帰蝶を、お七は正面から見据えた
「あの人の正妻が、どんな腹積もりで私を呼んだのかわかんないけど、それであの子を安心して育てられるんですよね?」
                
「もう、夜に怯えていないかとか、泣いていないだろうかとか、心配することもないんですよね?一日中、あの子を見守ってられるんですよね?」
「そうなるな」
「転んだら、直ぐに助けに行けるんですよね?」
「ああ」
帰蝶の返事に満足したか、お七は少し頬を吊り上げ、今、覚悟を決めた目をして応える
「行ってやろうじゃないの。例え正妻からどんなに罵られようと、正面から受け止めてやる。清洲のお城で、生き残ってやる」
                
頼もしい女だ、と、帰蝶は心底想った

さっきは『行為』の最中に水を差され、一発放ってもなんだか中途半端な気がして、追加料金を払ってもう一度接(は)げんでいるところを再び邪魔される
「犬千代、帰るぞ」
                
もうちょっとで『イ』けそうな時に『ご主人様』から声を掛けられ、他の人間と違いさすがに帰蝶の命令は絶対である
性の快楽がそこまで来ていると言うのに、利家は泣く泣く女の穴から男の棒を抜いた
泣きたいというより、死にたい気分である
「さっさと支度をせんかっ」
「はい・・・」
何をそんなに苛々しているのか、今にもその手に兼定を掴みそうな雰囲気で、おまけに見栄えの悪い女を引き連れ、その女もどことなく偉そうな印象があり、全く嫌な気分になる
女と言うのは、男の事情を理解してくれないものだなぁと愚痴りたくもなる
帰蝶や妻の前では決して口にできないが

これがお七だと紹介され、下半身がうずうずした状態でお七の家に戻り、寝ているお七の子供を背負って城に戻る
末子の平次はお七が背負い、次兄の喜三郎は利家が背負う
手ぶらで暢気な立場の帰蝶に「さっさと来んか」と何度も怒鳴られ、ああ、確かにこれは河尻様には無理な仕事だと痛感する
見掛けに因らず頭の固い秀隆に、商売女の相手をしろだとか、その女の子供を背負えだとか言えやしないし、何より『黒母衣衆筆頭』にさせる仕事ではない
だが、その秀隆は城でしっかり帰蝶の帰りを待っていた
「お帰りなさい」
呆れた顔をして
大手門の前で仁王立ちしている秀隆は、なんだか怖い
自分が叱られるような気がして、利家が萎縮してしまった
「なんだ、待っていたのか。さっさと帰ればいいものを」
「帰れるわけないでしょう?お能さんから聞きましたよ」
「お能から?」
「今日一日沈み込んでるから、おかしいと想って問い質したんです」
ちらりと、後ろに立つ女を一瞥すると、再び視線を帰蝶に戻す
「まさか殿ご自身が、騒動を持ち込むとは想っておりませんでした」
「聞き捨てならんことを言うな、お前は」
「兎に角、お話があります。少しお暇をください」
                
帰蝶は秀隆を軽く睨むと、後ろに控えた利家に命令した
「犬千代。局処に行き、なつに後のことを頼め。お能はもう屋敷に戻ってるだろうからな、今から呼び出すのも忍びない」
「はい、承知しました」
帰蝶の背中と秀隆に頭を下げ、利家はお七を促して局処に向かった
残った秀隆は厳しい目をして帰蝶を表座敷に連れて行く

「あの女性と土田殿との関係は、ご存知の筈です」
「ああ」
表座敷で向かい合い、膝を付き合わせる
もう、何度こんな対談を経験しているだろうか
主が信長から帰蝶に代わってから、今ではすっかり馴染んだ光景にも想える
「例えお能さん直々の願いだとしても、それを殿が実践する必要がどこにあります?」
「捨て置けなかった」
「しかしね、殿。城の中に本妻と妾を突き合わせて、何事も起きないと想っておいでなのですか?」
「知らん」
「殿!」
しらっと応える帰蝶に、秀隆は声を張り上げた
「私はそう言った場面に出会うこともない。遭いたくとも、相手がおらん。だから、お能の気持ちもお七の気持ちも、私には理解できん」
「だったら」
『女同士の揉め事』は、国を滅ぼしかねない事態に発展する可能性がある
いつの世も、騒動の原因は『女』と言っても過言ではないのだから
帰蝶は秀隆を遮り、続けた
「私は女でありながら、女の気持ちが理解できん。何故お能が泣きながら頼むのか、何故お七がわかっていてもここに来ることを承諾したのか、私にはわからんッ。戻る最中、背中にお七を置きながら何度も考えた。私だったらどうだったろうか、と。それでも憎い相手である本妻の世話になりたいだろうか、例え子供のためとは言え、私に耐えられるだろうか、色々考えたッ。だけど、答えは出なかった・・・」
「殿・・・」
項垂れる帰蝶を、秀隆は呆然と見詰めた
          わからんのだ・・・。私には、お能の決心も、お七の覚悟も、私には、わからんのだ・・・」
                

『女』なのに、『女の気持ち』がわからないと言う
色事に疎かった先代城主の信長は、だからこそ彼女を愛しんだのか
常に傍に置き、文字通り『女房』としての働きを全うできたのか
ただ、お能の願いを叶えてやろうと、ただそれだけで動いたのかも知れない
他は、何も想定していないのかも知れない
『女の気持ち』がわからないと言いながら、身内を大事にする帰蝶らしい行動だとは想った
だが、それとこれとは話は別だ
お七の出現により、織田の家内で一悶着など起きねばよいのだがと祈るしかない
吹き出したくなるほど、人の色恋には鈍い
人の心はいとも容易く掴んでしまうのに、それ以外のことに関してはまるっきりである
なら、これから先の自分の役目も多くなるな、と、秀隆は腹を括った
帰蝶の代わりに動かねばならなくなることもあるだろう、と
その時はおなつ様にも協力してもらおうかと、俄かに暢気な考えにも到った
長く帰蝶と付き合うと自然と逃げ道だけは上手く見付けられるようになった
それがいいことなのか悪いことなのか秀隆自身判断できないが、この主に従う限り、必要な能力になるだろうとも想えた
項垂れ、元気をなくした帰蝶を、苦笑いで見詰める
何度、そんな目をしてみたものか
それは秀隆すら気付いていなかった

「ねえ、お兄さん」
自分の後ろを着いて来るお七に声を掛けられ、利家は何の気なしに振り向いた
「さっき、門の前に立ってたあの人、誰?」
「門の前?          ああ、河尻様のことか?」
「河尻って言うの」
「どうかしたか?」
「ううん、別に。良い男だったわね」
何かを誤魔化すかのように、お七は心にもない話を持ち出す
「そうだな、うん。でも、河尻様は無理だよ」
「何が?」
「河尻様は殿の言うことしか聞かないから」
と、正面に向き直して歩いた
「え?そうなの?」
お七は鼻で笑いながら続ける
「もしかしてあの二人、『菊門の契り』でも交わしてるの?」
「っぷ!」
この時、帰蝶が女であることをまだ知らないお七には、そう勘違いしても仕方がない
吹き出す利家の背中を、お七は睨み付けた
「何よ」
「いや。そんなのはないけど、兎に角河尻様を誘惑しようとしたって、無駄だよ」
「別に誘惑しようなんて想ってないけど、何でそう言い切れるの?」
「だって、美濃攻めの時だって、殿が態々呼んだ傾城屋の女を誰一人相手にしなかったんだから」
「え?」
美濃攻め云々のことは範疇外だが、『女』を前にして何もしなかったのか
それが不思議だった
そんな男がこの世に居るわけがない
お七はそう想ったからだ
「だからま、その分俺が相手してたんだけど、なのに殿ったら『女を潰した』とか言い掛かり付けるしさぁ、今日だって殿に付き合ったってのに、あんな目に遭うし、全く付いてない」
最後には一人ぶつくさと愚痴を零し、理解できないお七の頭には汗が浮かんだ
「でも、何で?」
「え?」
利家は再び立ち止まり、お七に振り返った
「何で河尻様を気にするんだ?」
「別に。良い男だったから、ちょっと目に付いただけよ」
「ふ~ん。でも、河尻様は無理だよ」
「さっき聞いたわよ」
「殿の命令しか聞かないし、意外と恐妻家だし」
「ふふっ」
利家の口調がおかしかったか、お七は軽く笑った
お七が気になったのは、秀隆の、帰蝶を見る眼差しだった
厳しく睨み付けながらも、どこか慈愛を感じさせた
心の底から心配していたのだとわかるような、そんな眼差しで帰蝶を見詰めていた
ああいった見詰められ方など受けたことのないお七には、少し羨ましい光景でもあったのだ
相当、大切に想った人間なのだろう、『信長』と言う人物は
ただ単純に、そう感じていた
「でも、よくここ、来る気になったね」
「え?どうして?」
急に話を変える利家に、お七はキョトンとした
「いくらお能様の希望だからって、のこのこ清洲に来るなんて。敵が多いよ?ここは。だってあんた、土田様の妾だったんだろ?」
          普通、言いにくいことを平気で言えるもんね。若いっていいわね」
「そう?」
お七の嫌味を、素直に受け取り少し笑う
「あたしだって、できればあの人とは一生、顔を合わせたくなんかないわよ。増してや、その世話になろうなんて。でも、さ。それで子供を安心して育てられるんだったら、なんだって耐えられる。そんな気がしたの」
「へえ」
「それに、織田様に興味も湧いたし」
「あはっはっはっ、それこそ無理無理」
「何が」
「あわよくば殿の側室に、とか想ってない?」
「まあ、そうなったら将来安泰よねぇ」
「無理だよ。殿は側室なんて持たない。持っても、そうだな、『利用できる』と想った人間しか取らないだろうな」
「何、それ。随分冷たい人間だって言ってるように聞こえるけど?」
「殿は、結構あったかいお方だよ。うん、あったかくて、優しくて。でもさ、それ以上におっかないとこも、確かに持ってるんだよ」
                
利家の口調が静かなものに変わる
お七はその変化を肌で感じた
「おっかないよ、あの方は。敵に回したら、ションベンちびっちまうくらい、おっかない」
「随分、怖がってるのね」
「殿を怖がらない方が、どうかしてるよ。あんた、殿のことなんにも知らないから、だからそんな上段で構えてられるんだ。殿は、おっかない。怒らせちゃぁなんない人なんだ」
「へええ・・・」
帰蝶の性格を痛いほど良く知る利家には、帰蝶は『畏怖』の対象でもあった
数年前、女の手、ひとつで夫の仇を討ったこと、女でありながら織田の版図を確実に広げていること
『敵』と見做せば躊躇いなく攻め殺せる
例えそれが、血を分けた兄弟であろうとも容赦しない
優しさと恐ろしさが背中合わせに存在する帰蝶を恐れない方がおかしい
利家はそう想っていた
恐ろしいが、だが、やはりどこかで見放せない部分があるのも間違いではなく、だからこそ、秀隆が帰蝶に魅入られていることもわかっていた
お七は一見しただけで、それを見抜いたのか

朝になり、なつの怖い顔で一日が始まる
「別に、お能の肩を持つわけではありません。事情も、聞いております」
「なら、今更何が言いたい」
「殿の、その、悪びれた様子のないお顔に腹を立てているだけです」
「え?」
「昨夜、シゲが待っていたのではありませんか?」
「ああ、門の前で仁王立ちしていたぞ」
「シゲは殿のことを、とても心配していたのですよ?」
「犬千代を連れていたんだ。心配することもなかろう?」
「そうではありません。殿のこれから先のことを心配しているのです」
「私のこれから先のこと?」
なつは真っ直ぐ帰蝶を見詰め、告げた
「あなたは、時には損得勘定抜きで行動されるから。土田殿の妾を連れて来ることで、どのような騒動が起きるか想像しようとなさらない」
「起こさせなければいいのだろ?あの女は案外強かだ。騒動を起こせばここには居られないこともわかってる。自分からお能にちょっかいを出すこともないだろう」
「先のことは誰もわかりません。その騒動が織田家を巻き込むようなことにならなければ良いのですが、そうも言っておれますまい」
「どう言うことだ」
「実家にも戻らず、清洲に残った女です。どのような手を使って、織田に入り込むか予想できないのですよ?」
「考え過ぎだ」
「殿」
「織田は帰命のものだ。帰命が受け継ぐ家だ。誰が入り込もうが、帰命以外の誰に継がせるつもりはない。巴の子であっても、だ。これで充分か?」
                
人の心は、そんな簡単なものだろうか
お七とその子、特に平次の存在を脅威に感じているのは、この時はなつと秀隆だけだった
平次がこの先どのように化けるのか、帰蝶ですら何も考えていなかった

尼寺の応接間で義母と向かい合う光秀は、懸命に自分の想いを話して聞かせた
時折美しい女僧は俯き、時折天井を見上げ、懸命に義理の息子の話を理解しようと努力しているように見える
          上手く行くかな・・・」
その光景を庭の隅から心配そうに弥平次が見守る
「大丈夫ですよ。しき様は聡明なお方ですもの」
煕子は少し笑っている
ここに辿り着くまでは死にそうな顔をすることも多かった主人の妻は、今ではすっかり元気を取り戻しているようにも感じる
それが唯一、嬉しかった
二人の立つ場所から少し離れたところには、光秀と煕子の子供らが無邪気に遊んでいた
この子らを養うこともしなければならない
いつまでもしきの世話を受けている場合ではない
まだ若い弥平次も、その事情はよくわかっている
決して裕福な寺ではないことを
話し合いが上手く運ぶようにと、祈る想いで居間を見詰めた

昼間になり、お能が本丸に顔を出す
「珍しいな、お前からここに来るのは」
「殿・・・」
少し、憔悴した顔をしているか
自分で決めたこととはいえ、実際にその顔を見れば気持ちも揺らぐのだろう
「どうした。現実を見て、自分の言い出したことがどれほど愚かだったか、わかったのか?」
                
「勝手に野垂れ死ぬのを待っていれば良かったのだ」
「殿・・・」
「だが、お前にはそれができない。だから、平三郎はお前に『それ』を頼んだのではないのか」
                
お能は、お七らを引き取りたいと願い出ると同時に、時親の手紙を帰蝶に見せた
桶狭間山に向かう前、お能に手渡した手紙だ
今となってはそれは、『遺言状』になってしまったが
その一節に平次の面倒を見たいと書いてある
自分の生活に余裕が出た頃になって想い出し、仏心を出した
そして一夜明け、自分のしたことを思い知らされ、落ち込む
「後悔しても詮無きことだ。もうここに連れて来てしまった」
「はい・・・」
「お前が言い出したことだろう?自分の言葉には責任を持て」
「はい・・・」
「お七の役割は、お前が考えろ。風呂の薪割りでも良いし、使い走りでも良い。お前の亭主を寝取った女だ。気が済むまで存分に扱き使え」
「そんな・・・ッ」
お能はつらそうに眉間を寄せ、帰蝶に顔を向けた
「『できない』のだろう?憎くても、できないのだろう?気になって仕方ないのだろう?だからこそ、お前は愛されたのだ。自分に自信を持て」
「殿・・・・・・」
「平三郎の愛情は、一時的にお七に向かったかも知れない。それでも平三郎は、最後にはお前を頼った。お前しか居ないからだ。その事実は、何を以ってしても曲げられない。お能。お前なのだぞ?お前だけが、土田平三郎時親の妻だったのだ。例えお七が何人、平三郎の子を産もうとも、平三郎の『妻』はお前だけだ。それは誰であろうと捻じ曲げられない『真実』だ。お能」
お能の瞳から一粒、涙が零れた
「土田平三郎時親の妻であることを、決して忘れるな」
          はい・・・」
少し苦笑いを浮かべ、それから、帰蝶は搾り出すような声で言った
「私のように、なるな」
「殿・・・」
「夫の『名』すら食らい尽くすような、そんな女にはなるな」
                

泣いているようにも、想えた
皮肉を浮かべて笑っているようにも、想えた
この主を幼少の頃から知っているお能は、誰が一番つらい想いをしているのか、その苦笑いを見ただけで、わかってしまった
夫は、あの女を愛していたのか、あの女との間にできた子を愛していただけなのか
最後の想い出は、儚く水面に浮かび、揺れ動く
生まれて間もない徳子の襁褓を、嬉しそうに換えていた時親の笑った顔が目蓋に浮かんだ
この時代には珍しい、非常に子煩悩な男だったことを、想い出した
          坊丸の生まれた日のことも、想い出した
男泣きに喜んでいたことを
その坊丸を実家に遣ってしまったこと

冷たかったのは、自分なのかも知れない

秋口に差し掛かる景色も、その風も、何も感じないほど光秀は義叔母、いや、義母のしきを見詰めていた
正しくは、自分が決めたこれからの運命について
その行く末についてずっと、考えていた
「心を決めたのね」
対峙するしきは、優しい眼差しで光秀を包み込んでいる
今はそれが救いになった
絆され、光秀はゆっくりと頷く
「この初秋、帰蝶姫の弟君が京都、妙覚寺の副住職に就任されたと伺いました」
「ええ。仏籍に身を窶して五年。異例の出世ですね」
「斎藤の力は、まだ衰えていない。いえ、もしかしたら新九郎様の、生前の働き掛けがあったのかも知れません」
「私もそう想います」
「義叔母上様。私は、私の手で、帰蝶姫に謁見せねばならない日が、いつか来るような気がするのです」
「十兵衛?」
しきには光秀の言葉が理解できない
「別に、帰蝶に逢うのに今直ぐでも」
「義叔母上様。『浪人』の身で、尾張国主の妻に逢うことは、できません。姫様の沽券に関わることです。例え従兄妹とて、姫様はそう言ったことには厳しいお方です。馴れ合いで姫様に逢うことは叶いません」
「十兵衛・・・」
「ですから、朝倉家に仕官しとうございます。朝倉家にてそれ相応の地位を手に入れ、それからのち、姫様に         
「そう・・・。お前が決めたのなら、私は何も申しません。朝倉で見事、出世して御覧なさい」
                
光秀は黙って頭を垂れた
これから先、越前斎藤の力に頼らざるを得なくなるだろう
それには何より、越前斎藤の縁者であるしきの力も不可欠なものになる
今より先の自分の命運は、母と変わらぬ親しみを持つ、この、しきの両肩に委ねられる
自分が明智光綱の子ではなく、明智光安の子であったのは、何かの運命なのかも知れない
そして、その妻の手で育てられたのも、また

光秀は、まだ気付いていなかった
自分自身が過酷な運命の下、生まれて来たことを
この時は、まだ         
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千極一夜

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『戦国無双3』が絶望的存在であるため、更新予定はありません

◇◇11/19 Nintendo DSソフト◇◇
『トモダチコレクション』

おのうさま(帰蝶)とノブ(信長)が 結婚しました(笑

祝:お濃さま出演 But模擬専…     (戦国無双3)


おのれコーエーめ
よくもお濃様を邪険にしおってからに・・・(涙

(画像元:コーエー公式サイト)
オンラインゲームにてお濃様発見


転生絵巻伝 三国ヒーローズ公式サイト:GAMESPACE24
『武将紹介』→『ゲーム紹介』→『Exキャラクター紹介』→『赤壁VS桶狭間』にてお濃様閲覧可
キャラクター紹介文
絶世の美貌を持つ信長の妻。頭が良く機転が利き、信長の覇業を深く支えた。
また、信長を愛し通した一途な妻でもあった。

(画像元:GAMESPACE24公式サイト)
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濃姫好きとしては、飲めなくても見逃せない

岐阜の地酒 日本泉公式サイト

(二本セットの画像)
夫婦セット 吟醸ブレンド(信長・濃姫)
本醸造 濃姫
カップ酒 濃姫®=爽やかな麹の薫り高い、カップとは想えない出来上がりのお酒です
吟醸ブレンド 濃姫® ブルーボトル=自然の香りのお酒です。ほんの少し喉を潤す程度でも香りが深く体を突き抜けます
本醸造 濃姫®=容量的に大雑把な感じに想えて、麹の独特の香りを抑えたあっさりとした風味です

今現在、この3種類を試しておりますが、どれも麹臭い雰囲気が全くしません
飲料するもよし、お料理に使うもよし
お料理に使用しても麹の嫌な独特感は全く残りません
奇跡のお酒です
何よりボトルがどれも美しい

清洲桜醸造株式会社公式サイト

濃姫の里 隠し吟醸
フルーティで口当たりが良いです
一応は『辛口』になってますが、ほんのり甘さも残ってます
わたしは料理に使ってます

清洲城信長 鬼ころし
量的に肉や魚の血落としや、料理用として使っています
麹の香りが良いのが特徴ですが、お酒に弱い人は「うっ」と来るかも知れません
どちらも一般スーパーに置いている場合があります
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